島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

長崎県五島列島=富江探訪=

2021-11-26 | 富江
 
    昔の名前で出ています   小林旭
 奈留島にいるときゃ symbol7symbol7
 「犬先生・マリオ先生」と 呼ばれたの
 富江病院じゃ 「富江富ゑ」と名~乗ったの
 京都の自宅に~戻った その日から
 あなたが検索 してくれるの待つわ
 (「島の医者になって、た頃もあった」と)
  昔の名前~で書いて~います  symbol7symbol7
 
 五島列島奈留島で過ごした最後の2年間は、五島列島で一番大きい島、福江島の富江病院で働きました。
在職中に富江病院院内報「みじょか」が刊行されました。
  みじょか;五島弁でかわいい美人のこと
 
 
 厚かましくも「みじょか」の第3号から、=富江富ゑの富江探訪=として私のブログのような写真と駄文を10回ほど掲載させてもらいました。
 
 私が富江を去ってからも、「みじょか」はもちろん続いて月1回刊行され、今や80回を超え、ありがたいことに=富江探訪=も同じような形式で80回に迫ろうとしています。
今も律儀に京都に送ってくれる「みじょか」を読んで、立派に成長した息子を見るように、楽しく読ませてもらっています。
 
 この=富江探訪=が私の在職中も院長だった小原院長などの尽力により自費出版されました。
私のもとにも1冊送られてきたので、懐かしく楽しく読ませてもらいました。
 もちろんはがきでお礼と京都のお菓子をちょっぴり送っていますが、改めて院長はじめ富江病院スタッフの皆さんにお礼いたします。
   ありがとうございました!
 853-0205
  長崎県五島市富江町狩立499  富江病院
 宛に申し込んでもらったら、もしかしたら富江観光のお供として、手に入れられるかもしれませんよ。
    しらんけど

         返事
Toitennさん:あのころとは違って、
    朝は強い人間になっています。

コメント (4)
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中休み

2016-04-20 | 富江
 
 当直での富江病院の検食は、さすがに長崎、チャンャ唐ェ出る時もありました。(おまけに、デザートは好物のパイナップル)
奈留病院の時は、キビナの味噌田楽や五島うどんの時もありました。
 
 いよいよ富江病院とも五島列島ともお別れです。
このブログの読者の方にも、読者でない方にも、本当にお世話になりました。
この11年間(ブログを始めて9年程)が、私にとっては本当に楽しくためになった時間でした。
 五島で一番気に入って、よく行った寿し善さんともお別れです。
一人だけで、家内と二人で、家族が来た時も、京都から知人が来てくれた時も、研修医を連れて3人前食べられた時も、皆さんが美味しい美味しいと言ってくれました。
だいいち、その値段に皆がびっくりしていました。
 
 富江で一人の時の野菜不足は、いつもこのソトノマさんの定食で補っていました。
 京都に戻っても、まだ少しだけは働きますし、せっかく五島で始めたこのブログも、無理なく看板を書き換えられるなら、「島の医者になって、た頃もあった」ぐらいに書き換えて続けたいと思っています。
 
 下五島からブログを発信してる「ちょっとコーヒーブレイク」のこふひいやさんのこのスウイーツも食べ納め。
喜珍さんのブログが無くなったのは悲しいですが、他に奈留島地域おこし隊の「なせばなる」、久賀島のことが分かる「久賀島ブログ」、元気すぎる「シフォンのブログ」、最近難しい話になりすぎてるが「江戸っ子でい」で、五島の情報を仕入れていきたいです。
 
 皐月賞も終わって、5月も目の前になり、散歩道にも鯉のぼりが揚がる季節。
長崎式鯉のぼりの揚げ方は、ここでは風車が付いていますが、正式には杉丸太の先端に枝を残した支柱にササの竿を斜めにつけて、これに鯉をつって揚げる方式です。
江戸時代の唐船の旗に習ったもののようで、こうすると風がなくても鯉全体がよく見え、風があると竿も回って鯉の泳ぎ方が綺麗になるという、なかなか優れた方法ですよ。
 
 木曜日は最後の奈留外来、金曜日は最後の富江勤務になりました。
帰りに熊本から南九州の御陵・宮崎・別府と神武東征に沿って京都に帰ろうとしましたが、皆さんの迷惑になるだけの状況ですので、すべてキャンセル。
新たに、長崎と北九州、そして山陰を廻って帰る予定に組み直しました。
 引っ越しの手続きが終わり落ち着いて、PCも京都でうまく動き出すまで、しばし休憩します。
     ありがとうございました

     返事
花水木さん:功績なんてないですが、11年間楽しみました。
    奈留島に行った決断は良かったと思っています。
福山市さん:カムバックは無理でしょうが、遊びにはこれそうです。
    福山市さんのようにフットワーク軽く過ごしたいです。
鼻鬚50歳さん:正体判明しましたね。
    私のうんちくは負ける方法のうんちくなので・・・。
大雪男さん:百人一首覚えなおしていますが、2年間で大分忘れていました。
    好評?ですか?、新しい百人一首物でもまた考えます。

コメント (8)
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福江島最後の春

2016-04-18 | 富江
 
 島に戻って最後の雑用や仕事や片づけ、その間熊本に大地震が起こって大変です。
九州と言うことで「大丈夫ですか?」の連絡ありましたが、私も五島列島も無事です。
 嵐のような天候の日もありましたが、その間を縫って福江をぶらついています。
魚津ヶ崎の菜の花畑ももう終わりかけ。
 
 病院前の桜はもう葉桜ですが、17日(日)の三井楽の八重桜はまだ満開に近かったです。
 
 大瀬崎の夕陽も仕事の後に見納めに行きました。
晴れていたと言っても、黄砂かPM2.5か単なる雲か、この後完全に隠れてしまいました。
 
 11年前の4月末に奈留島に着いた時、咲き誇っていた道端の野アザミは、まだ少し早いのか、只狩山の上で少し見られたぐらい。
そのかわり、どこもツツジが満開でした。
 
 富江湾越しの鬼岳も、山焼きで黒くなった山肌が緑に変わろうとしていました。
 
 富江の麦畑はまだ青い所が多く、麦秋の頃はもうここにはいません。
 帰りは熊本城や神代三陵の残りひとつ、それに宮崎の古墳などを巡って、別府を通って帰る予定を立てていましたが、それどころではない状態ですので、気の毒ですがあわてて旅館をキャンセルし、北九州の知人や山陰の温泉を巡って帰る予定をたてています。
 あと一回ぐらい富江から発信して、京都でまたPCがつながるまでお休みします。

     返事
和さん:京都でどんなブログを続けるのか模索中です。
     一応続けはしますので、五島以外の内容ですが、読んでいただければ幸いです。
花水木さん:人並みにジーンとしましたが、
    涙ボロボロではありませんでした。
     写真の細かい所まで観ていただき、ありがたき幸せです。
    私も次男も嫁に着物を買ってやる甲斐性はありませんので、実家の母親の着物らしいです。
鼻鬚50歳さん:長男がわざわざメールで、
    18番強いと言ってきたのに、信用せず18番買いませんでした。
     口惜しい!! 長男は単・複と少しの馬連も獲ったそうで、
    「完璧」と自慢の電話あり。
大雪男さん:大雪男さんも丁度地震で大変だったですね。
     山にいる時でなかって良かったと思えば、腹も立ちませんよね。
     私も10日遅れぐらいで発生なら、もろに熊本で被災してたかも。

コメント (4)
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牛骨発掘地

2016-04-05 | 富江
 
 日曜日の雨で病院前の桜も大分やられ、地面に花びらが広がっています。
もう葉桜か、でも満開とも言えます。
 
 福江に行く時に通り、車窓から見る大浜海岸は、満潮の時干潮の時それぞれ違う顔をしてるので楽しく、天気の良い日の海の色は抜群です。
 
 道をはさんで海の反対側にある五島列島唯一の自動車教習所、五島中央病院から4月だけ来てくれている研修医は今ここに通っているので、先日送っていきました。
 
   自動車学校の隣に建つ「日本古代の牛骨発掘地」の碑。
 ここ大浜には弥生時代の2000年~1800年前の遺跡である大浜遺跡があります。
1800年前頃に書かれた中国の史書、かの有名な「魏志倭人伝」によると、当時の日本列島には牛・馬・虎・豹・羊・鵲はいないと記されています。
日本列島に本格的に牛馬が移入されたのは5世紀以後らしいです。
でも、日本列島に牛がいないと書かれた、3世紀のこの大浜の遺跡から牛の歯が出土したそうですので、その頃は日本本土より五島は大陸や朝鮮とのつながりが深かったと推測されています。
 こういうことは五島のプチ自慢になるのでしょうか?なりますよね!

一旦京都に帰ります、また五島に戻りますので一週間ほどお休みします。

     返事
じょんのびかあさんさん:医者でではなく、めざせ日本一周!を目指します。
      又京都でうかがいます。
花水木さん:3回楽に言えましたよ。
    子供とかぶとえび獲ったこと思いだしました。
大雪男さん:メール送信不能でした。
    ありがとうございますが、留守にするのでイカはパスします。
和さん:4月後半は九州本土を巡る予定です。
鼻鬚さん:?? 競馬は勝てる気がしないこの冬でした。
コメント (4)
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松尾のため池

2016-04-02 | 富江
 
 病院前の古い桜も一週間でほぼ満開、明日の日曜日から五島は雨が降りそうなので、今日が最高の花見日和か。
 でも今日は日当直です、出勤する時はいつもこの桜の下を通りますが、桜も満開になると小鳥が沢山寄ってくることに今になって気付きました。
 若い時から人の家に泊まるのは嫌いでなく、大学時代は友達の家(下宿)によく泊まりました。
医者生活40年ちょっとで、3000日は病院で泊まったかもしれません。
最後の?当直が、ブログを書いたり、競馬に勝ったり、医局内の片づけが進んだだけで、つつがなく終わることを祈ってます。
 
 その病院から松尾の山の方を眺めると、なんか直線的な土手が見えます。
 
 奈留島の野首の土手と同じくゴジラの出る土手に興味を持つ二人は、3月初めの散歩でやっとそこまで行ってみました。
やはりダムではなく、ため池の堤でした。
 
 松尾にはこんなため池が山際に三つもあるため、春になると田んぼが沢山広がるのです。
 
 帰り道で声をかけてくれた地元の人の言うことには、この大きいため池も湧水を溜めたため池だそうで、他の地区のため池と違って松尾は湧水だから美味しい米が採れるのだそうです。
 
 堤の上から海の方を眺めると、黒島・黄島・只狩山、もちろん富江病院も見渡せます。
 
 キミマロズームの威力か、黄島もやけに近くに見えます。
中央の土色の建物が富江病院、その上に増築された白い四角の中で、このブログを書いています。

     返事
花水木さん:花水木さんのおかげでこのブログを続けられた、
    と言っても過言ではないぐらいお世話になりましたが、
    今後もお世話をどうかお願いいたします。
大雪男さん:理想の女性と結婚できる人はなかなかいません。
    お互い傷をなめあって生きていくのが人生です。
コメント (5)
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