島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

スマホデビュー

2018-04-30 | ノンジャンル
  
 今年の私のゴールデンウイークは、4連休・2労働・4連休です。
前半の4連休は、奈良まで天皇陵巡りや、孫たちが来てくれたり、出産お祝いの訪問者があったりで終わりそうですが、4月生まれ4人の誕生日組み合わせで買った天皇賞はもちろんダメで、阪神もしばらくは借金生活でしょうね。
   
 そして、息子に付いて来てもらって、3時間かかってガラケーからスマホに交換、遅ればせながらスマホデビューしました。
2階からスマホで撮った、キャッチボールしてくれてる婿や孫のパノラマ写真です。
 まだまだ使いこなせてませんが、天皇陵を現地で見つけ易くなったら良いのですが。

   返事
花水木さん1:煩わしさから逃げ続けて70年が、
    私の人生のような気もしています。
花水木さん2:私の4人の孫のうち上2人は、出産後すぐにICUに入りました。
    今回は普通に元気に育ってるので、ありがたいことです。

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30?敏達天皇皇后廣姫

2018-04-25 | 天皇陵巡り
   
 滋賀県の関ケ原から長浜へ向かう道、昔の北国𦚰往還(ホッコクワキオウカン)を車で走っていると、米原辺りでこの石柱が目に入りました。
 日本古代豪族の息長氏(オキナガウジ)は、この辺りを中心に栄えていたと言われる謎多き氏族らしいです。
   
 第30代敏達天皇の最初の皇后が、この豪族息長氏出の息長氏真手王(オキナガノマデノミコ)の娘比呂比売命(ヒロヒメノミコト)、日本書紀では廣姫(ヒロヒメ)です。
 畑の横の陵道の向こうに、小さな円丘の陵が見えてきました。
   
 第30代敏達天皇は廣姫との間に、押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ)・逆登皇女(サカノボリノヒメミコ)・菟道磯津貝皇女(ウジノシツカイノヒメミコ)の3人をもうけています。
 ちょっとした家の庭の林、程度の陵です。
    
 敏達天皇皇后廣姫息長陵(オキナガノミササギ)(滋賀県米原市)と、新しいですがワープロ文字で印刷された制札でした。
ここは村居田古墳(ムライダコフン)と言う、昔は前方後円墳であったようですが、廣姫の時代とは年代的には合わないようです。
  
 裏から覗いてみると、中央が盛り土してある程度の小さな林にしか見えません。
近くにいる人に尋ねると、「横の古墳からなんか掘り出した物を、そこに埋め戻しただけの墓だよ」との答え、聞き流しましたが、そんなものなんですね。
   
 陵の隣にあるお寺との境にあった小さな円墳横に、「息長陵付属地」や「息長広姫陵古墳群」の石柱も建っていましたので、ここから掘り出して陵のような形にしたのかもしれません。
   
 元の道に出てみると、目の前には伊吹山がそびえていました。
 ほぼ日本列島の真ん中にある滋賀県と岐阜県の辺りに栄えていた豪族がいて、その娘が中央の大王の皇后にはなりましたが、早くに亡くなり、後妻の皇后はもっと強い豪族蘇我氏から、その後の天皇も蘇我氏系だったためか、中央の大和から離れた実家の地に、夫から離れて埋葬されたのですかね。
それでも、その孫が天皇になり(第34代舒明天皇)、今の天皇家ともつながったので、明治~昭和になってから、新たに陵も整備された感じですかね。

    返事
花水木さん:私の母も兄弟姉妹多く、
    その兄姉のうち3組が同じ家の兄弟姉妹と結婚しています。
     丈夫な人はたくさん子を産んでいますが、
    つい最近まで、出産で親子死亡もたくさんあったようですね。
     娘も無事男の子を産んでくれてほっとはしています。

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30?敏達天皇

2018-04-18 | 天皇陵巡り
   
 桜も終わり、1ヶ月ぶりぐらいの、忘れられたかもしれない天皇陵巡りに戻ります。
 第29代欽明天皇は7人の妻に最大28人の子供を産ましていると書いて来ました。
その内皇后の石姫皇女(イシヒメノヒメミコ)は、箭田珠勝大兄皇子(ヤタノタマカツノオオエノミコ)・渟中倉太珠敷尊(ヌナクラノフトタマシキノミコト)・笠縫皇女(カサヌイノヒメミコ)の3人の子を産みました。
長男は夭折したので、第2皇子のヌナクラノフトタマシキノミコトが即位し、第30代敏達天皇(ビタツ)となりました。
   
 敏達天皇は百済大井宮(奈良県桜井市・奈良県広陵町・大阪府河内長野市など諸説あり)に新しく宮を開き、在位14年48歳で亡くなり、河内磯長中尾陵(コウチノシナガノナカノオノミササギ)(大阪府太子町)に葬られました。
 陵は河内の、用明・推古・孝徳天皇や聖徳太子廟が集まっている近つ飛鳥にありましたが、判りにくい道を上って、峠にある作業所の横に、写真の参道を見つけました。
   
 第30代敏達天皇の父方母方両祖父は親子である第26代継体天皇と第28代宣化天皇、両祖母は第24代仁賢天皇の娘同士の同母姉妹、故に父母はかなり血の濃い伯父と姪の関係になります。
この辺りから天皇家の血は、天皇の娘である皇女を妻にすることが多いので、濃すぎて混乱するぐらい判りにくくなっています。
 写真、丘の上の道という感じの陵道を、少し上って行きます。
   
 この陵道を直角に曲がると、急に森の中の小道のようになって、鳥居が見えてきました。
 敏達天皇は最初の皇后である息長真手王(オキナガノマテノオオキミ)の娘廣姫(ヒロヒメ)との間に、押坂彦人大兄皇子(オシサカノヒコヒトノオオエノミコ)をもうけました。
皇后が薨去したため、次の皇后に後に推古天皇になる異母妹の額田部皇女(ヌカタベノヒメミコ)すなわち豊御食炊屋姫(トヨミケカシキヤヒメ)を迎え、駐c皇子他8人の子供を、又老女子(オミナゴ)に4人、菟名子(ウナコ)に2人と、計4人の妻に17人の子を産ませました。
    
 この子供達のうち、廣姫との間に産まれた押坂彦人大兄皇子と菟名子との間の糠手姫皇女(アラテヒメミコ)の異母兄妹が結婚して産まれた敏達天皇の孫が、後の第34代舒明天皇(ジョメイ)になっています。
 蘇我家の血をひく蘇我稲目の娘堅塩媛が産んだ豊御食炊屋姫は、敏達天皇との間に8人の子供をもうけていますが、その子供たちの家系は誰も天皇には成りませんでした。
   
 第30代敏達天皇の母親は、第28代宣化天皇の皇女で第29代欽明天皇の皇后石姫皇女ですので、その墓はもちろん御陵で、以前29≠Qで紹介した磯長原陵、そこに息子の敏達天皇は追葬されて河内磯長中尾陵となり、親子でここに合葬されています。
    
 500年中頃の敏達の時代は、大臣蘇我馬子(オオオミソガウマコ)と大連物部守屋(オオムラジモノノベノモリヤ)が仏教の受容をめぐって対立し始めた時代ですが、敏達天皇自身は仏教に好意的ではなかったようです。

    返事 
花水木さん:金の大吉、八坂神社だけではなく、
    他の神社にも有るようですよ。
大雪男さん:セは混戦で、どこが強いのかまだわかりませんね。

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大吉

2018-04-13 | ノンジャンル
   
 7~8世紀の天平時代に大陸から伝わった三大染色技法
1.臘纈(ロウケチ):ロウで生地を防染する、いわゆるろうけつ染め
2.纐纈(コウケチ):生地を手で括ったり縫ったりして防染する、いわゆる絞り染め
3.夾纈(キョウケチ):板で生地を挟んで防染します。
 あまり聞きなれない3.の夾纈は、難しいので途絶えてしまった技法です。
    
 この夾纈を現代に蘇らせた職人件p家が、私の古い友人なのが、私のプチ自慢です。
彼が90歳まで生きたら、人間国宝に成れると思っています。
 そんな偉い彼ですが、私にとっては小学校からずっと遊んでいた、単なる遊び友達。
件p家なので、なんか霊感が強い奴で、私の麻雀のあがり牌を簡単に当てたり、ロト番号もよく当ててきましたし、競馬に行く時には、最初から半数の馬がこれはこないと黒塗りした競馬新聞を持って来て、勝って帰るのはいつも彼だけ、パチンコに行くと私も出る台に座らせてくれる、貴重な友人です。
   
 そんな彼も、私が島に行ってる間に病気になり、その頃から昔の感の良さもなくなってきたようで、心配してました。
  3枚とも彼の夾纈染めの作品、買いたい方は連絡いただければ嬉しいです。
   
 その彼が、昨年末に毎年恒例にしてる八坂神社のおみくじで1万枚に1枚と言われる金の大吉を引き当てました。
 それによってかどうか、また調子が悪くなっていた病気の再燃も、上手に手術してもらって、悪運強くなんとか乗り切ったようです。
 正月には、このおみくじの運はすべて彼に行くようにと、見せてもらうだけでしたが、良くなったので、2月にはこのおみくじのおこぼれを貰おうと、写真にも撮って、思い切り撫ぜまわしました。
     病気;信ずれば全快
   
 そしたら、3月は麻雀3回やって3回とも大勝!、競馬は久しぶりの3万馬券ゲット!など、と絶好調。
 4月に月は変わって、調子は少し下り坂ですが、4月には4人目の孫が元気に生まれて、まあ金の大吉さまさまですかね。
     勝負事;万事障り無し
     願望;諸事成果有り    おみくじの通りでした。

   返事
花水木さん:京都の男性平均寿命は都道府県中第3位。
    80歳越えてましたので、私の希望死亡年齢を今までの80歳より引きあげて、
    今は85歳に訂正しています。
     それで中の上。

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お七夜

2018-04-09 | 京都から
  
 金曜日、娘を見舞ったついでに、近くでやってるターナー展に行きました。
 展覧作品も多くなく、その分楽に観れました。
まずまず良かったですが、漁師の船や波の絵を見るだけで、なんとなく奈留島を思い出しました。
   
 夕方会食の前に、雨の哲学の道の桜をちょっと鑑賞。
人はさすがに少なかったですし、桜もほぼ終わりで、疎水を花びらが流れていました。
   
 土曜日、早くも娘と孫は退院です。
孫Ⅲ≠Pも数日で可愛くなってきました。
 夜は大学の同窓会、110人ほどの同期卒業者のうち、もう16人がいなくなっていました。
60番目ぐらいに死ぬのが理想です。
   
 日曜日、盛り上がりに欠ける京都府知事選挙、出口で朝日新聞の出口調査に呼び止められました。
最近、よくアンケートに答える機会がありますね。
  
 夜は、孫Ⅲ≠P産まれて7日目ということで、「お七夜」にもよばれました。
私たちはお七夜はしたことがなかったので、初めての経験です。
7日間よく生きた、これで無事育つだろうと、赤ん坊に名前を付けて祝うというのが元々の始まりのようで、床の間の上には命名書も貼ってありました。(名前は誕生日当日にはもう決まってましたが)
お寺に嫁がしたおかげで、色々としたこともないことや知らないことも経験できて、興味津々です。
  
 お寺なのでまだ入ったこともない部屋も沢山ありますし、婿殿が使った衣装も飾ってありました。
    
祝膳をいただいて、皆さんが私よりはるかに喜んでいてくれたのが嬉しい限りです。
 同じ誕生日になって、忘れられそうになっていた婿殿の誕生日祝いもあって、ケーキも食べられました。
  
 土日と誕生日に合わせて4・2を入れて勝馬投票券買いましたが、4割ぐらいしか戻ってきませんでした。
 月曜日、まだ少し寒い京都です。
自宅の小さな桜は、まだ咲いています。
4月いっぱいは、4人暮らしの生活です。

    返事
花水木さん:音感は血統的には良くないと思いますが、
    お経をあげるのが上手だったら嬉しいです。
     私的には、カラオケ嫌いの人は大好きです。
和さん:8日は京都少し寒かったでしょうね。
    平安神宮内の枝垂れ桜はまだ残っていましたか?
     向こうのお父さんの耳介とそっくりなことを、発見しました。

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