西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

常任委員会討論採決、及び空手のこと

2012-06-21 22:06:20 | 日記
本日委員会の討論採決が行われました。

結果は閉会日において報告したいと思いますが、委員会のメンバーがそれぞれの考えで意見を言い合う姿を見ることができました。

私は今回文教厚生常任委員会になりましたが、活発な委員会での討論及び意見の出し合いが良いなと思った次第です。

さて空手のことです、できる限り毎日、形の稽古をしています。
形は先人達が経験で得た闘争術を形として残したものです。

船越先生は「形は実戦と別物」だと言う言葉を残しています。
実はこの言葉がずっと引っかかっていました。

形が実戦と別物ならば、組手(戦い)で強くなるためには「形」は必要ないものなのか?という疑問です。

これは空手における形で起こる疑問であるし、例えば中国拳法における立禅や這いにおいても言えるかもしれません。

私が言うのも何ですが(大学時代、形の稽古が嫌いだった私)、最近思ったことがあります。

身体操作がスムーズに行えるような身体を磨くために形は存在しているんではないかと言う思いです。
そして、反応力というのか、頭で考えず体が反応する事を磨く、例えば熱い鍋なんかに触ったとき「これは熱いもので、このままだと火傷する、だから手を放さねば・・」などと考えるかたはいないはずです、おもわず「アウチッ」の声と共に手を放すはずです。
このような反応を闘いの中で出せるように、先人が作り上げたのが「形」なのかと思うのです。

その昔沖縄の「手(今で言う空手のこと)」の達人が弟子と共に歩いていたとき、暗闇からいきなり襲われました。
達人は一瞬のうちに防ぎ倒したそうです。
弟子はそのわざを見て「先生、今のわざを御指南ください」と願い出ました。
ところが達人は「どのような技をだしたか覚えていない、体が勝手に反応したのだ」
このような反応力を身につけるのが「形」の稽古なのかなと思うのです。

宮崎県に宮崎大学があり、そこは心道会の拠点です。
宮崎県連(宮崎県空手道連盟)にも、心道会は参画しており、高段者の演武を見ることがあります。

その会の形はゆったりとした動きをされます、ですが現役の大学生の組手を平気で封じる60-70歳の会員が居ます。

また形の分解では、県連(全空連の理事)の佐藤会長が披露する分解(形の技の意味を具現化させる)には心から凄いなと思う次第です。


50の半ばを過ぎた私ですが、形を通じて先人達の身体操作を身につけたいと思う今日この頃です(無理かな~)。
コメント (1)
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