アナーキー小池の反体制日記

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#4576 記し継ぐべきこと ⑭ 滝川から太郎吉蔵そして解散(16)

2023年11月29日 | マチの事件簿

市長や副市長などが反イノマタから親イノマタに180°転換を迎えるんだけど、市職員が同調圧力を受けて、多くが親イノマタに変貌を遂げるのにはあっという間でした。

でも、反五十嵐網は不変でした。時系列的にどうななのか知りませんが、相変わらず五十嵐氏とNPO  A・C・Tは無視され続けていました。

五十嵐氏が提唱した芸術公園都市構想や、旧浄水場の五十嵐氏のアトリエ使用などに、幹部職員や副市長に「ほっとけ!」の一言で放置され、市長にあがりもしなかった、って説がまことしやかに囁かれていたんです。

結局この2件に対し、何ら回答すらしなかった市当局の対応が、五十嵐氏滝川撤退の原因となりました。

副市長や幹部職員の関係者に、例の石蔵清掃事件の被害者?ではなく、同調圧力のみによる反五十嵐意識を持ち、ことの対処に当たったことを残念に思います。

噂が本当なのか知る由もありませんが、本当なら今回のNPO解散に直結する行為で残念です。

反五十嵐感情は20年経っても消えはしなかったのです。五十嵐氏に、とうとう見切りを付けられた、って感じています。一度生じた些事が原因でこんな結果になるなんて残念過ぎます。(当事者は些事とは思わないのでしょうが、市政を俯瞰(ふかん)するに些事であることは明らかです)

五十嵐威暢氏が提案した芸術公園都市構想は一顧だにされませんでしたし、同氏が希望した旧浄水場の五十嵐氏のアトリエ使用の件は無視され続けたんです。

反五十嵐網と反イノマタ網が成した悪行で、チンマイ軍団の所業が五十嵐威暢氏をこのマチから追い出しました。このマチ出身でこのマチに大きな愛を感じていた著名な人を追い出したんです。

この2点だけでボクが思うに、滝川市史上大きな汚点となる出来事です。きちっとした検証が必要と考えますが・・・期待してはいません。

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ボクは多くの者に嫌われれていることは充分理解してますし、このブログも評判がよろしくないことは知っています。でも10年20年後に過去の市政の検証に使われればいい、って思いです。

この長々と続いたシリーズ、送られてきた“NPOアートチャレンジ太郎吉蔵2000-2020”を眺めながら、思うところを記しました。

送られてきた冊子は、NPOとしての活動とか実績などきちんと整理され記されているんだけど、ボクとしては肝心なものが欠けているよいうに感じるのです。送られてきた冊子は、アートチャレンジ太郎吉蔵の表面史で、その裏側にある解散に追い込んだ原因について触れてはいません。

送られてきた冊子は、アートチャレンジ太郎吉蔵の表面史で、ボクが長らく記したこのシリーズはその裏面史なのです。両方合わせてアートチャレンジ太郎吉蔵の完成史となります。20年で泡と消えたNPOの本質が理解できます。

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こんな些事(さじ)をオーゲサに!って思われる方もいようかと思いますが、こんな些事だからこそ記し残さなければならない!ってボクは思います。農業開発公社粉飾決算事件同様、些事の扱いを受けているため、つい皆が忘れがちになるのです。こんなに性悪な事柄なのに、市民の大半は忘れ去っています。皆が忘れ去らないようボクは、あと20年20回にわたり記し続けます。(笑)

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反五十嵐風と反イノマタ風が、このマチが生んだ偉大なアーティスト五十嵐威暢氏をこのマチから吹き飛ばした裏面を記した・・・長々続いたこのシリーズを終えます。

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