アナーキー小池の反体制日記

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#1818 儒教原理主義者

2015年12月20日 | ボクの思い・信条・理念
前回、戦前の儒教の呪縛から抜け切れない石頭男とカボチャ頭女からの非難殺到必至、と記しましたが、説明が必要なようです。
昭和初期から戦後の一時期までの儒教の影響は、現在のイスラム教原理主義者を思わせるほど、激烈なものだったのです。
儒教は宗教というより学問なのですが、明治維新以降、とりわけ昭和の初めから為政者の都合のいいように使われ、国民の多くも日本帝国陸軍の思いのまま従ってしまったのです。

本来、儒教はそれほど悪い教えではありません。(古臭いですが)
人が悪どい行いをすることを諌(いさ)める啓蒙書なのですが、悪者がそれを逆手にとって国を治めるために用いたのですから、孔子も迷惑顔をしています。

2千も前に書かれたものですので、現在とずいぶん時代背景が違います。
時代背景が大きく異なるのに、”孔子がこう言ったのだから!”とその一部分をことさら無理強いするのは正に原理主義者なのです。
イスラム教でもキリスト教でも仏教でも原理主義者は存在します。

明治維新後、とりわけ昭和初期からの日本帝国陸軍は儒教の一部を取り上げ、目上の者(上官)には絶対服従、年長者に服従、男尊女卑、貞操観念の厳格化、家制度の厳格化などを喧伝し、民衆の洗脳に成功しました。
国民の多くはそれを真に受けて、天皇万歳を叫び、目上の者(上官)への絶対服従を誓い、女性の貞操を極めて強く求めました。

天皇万歳を叫び、上官への絶対服従を誓うのも大きな問題を含みますが、今回の主題は”女性の貞操観念”です。
この時代の日本の”女性の貞操観念”は世界的にみてもかなり異常です。(植民地だった朝鮮も同様です)
日本の歴史上だって、こんなに過酷な女性の貞操観念を求められた時代はありません。
卑弥呼の時代から平安、江戸の時代だって、女性も男性ももっと奔放に性を謳歌していたのです。

ボクは昭和20年代の生まれです。
両親や教師はもちろん戦前戦中の教育を受けています。
その特異な”儒教”の教えもボクの身に染まったものがあります。
潜在的にそれが当たり前と思う気持ちは捨て切れないものがあるのです。

でもその観念が世界的にも日本史的にも特異なことを知っています。
年寄りは今の若い人たちの放縦な性観念を嘆いています。
でも嘆いてはいけません。
この状態がスタンダードなのです。

ボクたち年寄りは、極端な男尊女卑や、女性への過度の貞操観念を求める特殊な観念を持っていることを認識しなければなりません。
人類史上類を見ないほど、特殊な観念なのです。
そしてそれは当事者であるボクたち年寄りには自覚しがたいことなのです。

16日の2件の最高裁の判決を鑑(かんが)みるに、その思いを強くしたものです。


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