アナーキー小池の反体制日記

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#651 生と死と(下)

2011年03月25日 | 健康と生と死と
動物園飼育動物の安楽死について続けます。

安楽死について同園は「生活の質の維持が困難と判断し、苦しみの小さな方法をえらんだ」と説明したとあります。
"生活の質の維持が困難"とはなんともお役所的な表現でして、具体的に何なのかさっぱりわかりませんが、一般的には良くなる見込みが無く苦痛から逃(のが)すために安楽死は選択されます。

このブログのカテゴリー”健康と死と生と"に繰り返し述べていますが、ボクはヒト以外の動物には安楽死を施すのに、なぜ人が安楽死を選択出来ないのか大きな疑問を持っています。
回復の見込みの無い患者で苦痛に襲われ、「殺してくれ!」と本人が断末魔の苦しみの中、頼んでもなんら手立てが出来ない仕組みになっています。
いまだ医者でも家族でも、安楽死に手を貸したら殺人罪です。

ヒトは家畜や動物園の飼育動物より過酷な最後を迎えなければならないなんて・・・とってもおかしいと思います。
1分1秒でも長く生きながらせるのが、医療関係者の務めだと思っているのはナイチンゲールの時代です。
時代はどんどん変わっているのに、日本の法整備が進んでいません。

何度も述べていますが、死はボクにとって何ら怖いものではありません。(むしろ甘い誘惑なのです。)
ただ、死に至るまでの苦痛を思うと堪(たま)りません。

先進国の多くは安楽死を認めていますし、その中でも急進的なオランダでは自殺を願う人に応えることもしているのです。
せめて動物園の動物並みの扱いをしてもらいたいと思っていますが、日本ではまだ法制化の声も聞こえてきません。
法制化をしようともしないその当事者だって、死に逝くとき断末魔の苦痛を受けるかもしれません。
その時に、きっと後悔するでしょう。

・・・
話がそれてしまいましたが、”ひと一人の命は地球より重い”なんて言葉を聞きますが、この世の中そんなに人命は大事にされていません。
意識がなく回復の見込みのない老人が大事にされ、その老人を守るため若い人の人命がないがしろにされている現実に接すると何か割り切れない思いに駆られます。

いまの世の中、苦しみから逃れるための安楽死すら認められていません。
未曾有の災害の中で寝たきり老人の看護のため、命を落とすのを容認しておいて。

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