アナーキー小池の反体制日記

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#3138 再掲シリーズ㉘ #131 自死と刑死と自然死

2019年09月06日 | 健康と生と死と
死について昔の投稿したものを再掲します。
今回のも11年前のものです。

#131 自死と刑死と自然死  2008年5月29日投稿

ボクはずっと昔から、死を迎えるに至る苦痛に対し、理不尽な思いを抱いています。
#2に病院で死を迎えることの酷(むご)さを記しています。
ボクの実体験と見聞を元にしていますが、十数年前ベストセラーになったヌーランド著『人間らしい死にかた』には、医者として看取った大量の患者の死に様を克明に記録しています。

その本でもやはり病院での死の大半が、大変苦痛に満ち、人の尊厳を失わせるものだということが繰り返し書かれています。
「尊厳ある死」なんて、神話でしか無いとも書いています。
そして、そのことは大半の人が知っていることなんです。
でも、人は「自分はそんな苦痛に満ちた死に方はしないだろう。」って、無意識に思ってしまうのです。

(大半は苦痛に耐えられなくて「殺してくれ!」と叫びながらなお死なせてはくれないのが現実なんだけど、その時にならなければ自分にとっては無縁だと思っているのって、楽天的を通り越して、少々お目出度く感じます。)

大半の人が苦痛に満ちた死に方をするのに、この事が議論の対象にならないのはこのせいです。
また、苦痛にのたうち死んだ人が(当たり前ですが)その経験を言葉に出来ないのも、その原因です。

こんなに文明が進んで、利便性が良くなり暮らしやすくなったのに、死に至る苦痛は改善されないどころか増すばかりです。

人は必ず死を迎えます。
ボクは死ぬことはなんでもないんだけど、こんな苦痛に満ちた死に方はイヤです。

死刑は苦痛の少ない方法で行われることが、法に定められています。
大きな罪を犯した人が、苦痛無く死ねるのです。

死刑は、死にたくないのに死なせることで刑罰として成り立っています。
しかし、この頃死刑になりたくて犯罪を犯す人が現れてきています。
刑罰として成り立ちません。

あまり生に執着がない人には、死にいたる苦痛を考えると刑死が一番楽で確実なんです。
でも多くの常識人は、死刑になるほどの犯罪を犯してまで、その方法を求めようとはしません。

そこで、選択肢の一つとして登場するのが自死です。
自然死(自死、刑死意外)に比べ、他人に迷惑をかけなくて、コストが低く、楽に死ねる方法です。
でも、素人が試みると確実性がありませんし、周りに予期しない迷惑をかける事もあります。

インターネット上で、簡単に確実に楽に死ねると掲載されると、試みる人がどっと増えるのをボクは理解します。
その様な情報を待ち望んでいる人が一杯いるんですから。

究極は自死を医者が幇助(ほうじょ)出来るよう、法を整備すべきです。
すでにオランダでは試みられています。

人生の大半を終え、思い残すことが何もなくて、これからそれ以上いいことが起こるはずが無くて・・・
考えます、過酷な苦痛を伴う自然死を選択するか、安楽な自死を選択するかを。

そんな時代が来るような気がします。
現に哲学者の須原一秀は2006年に65歳で、「全く健全な自死」を成し遂げたのです。


2008年5月29日投稿の#131 自死と刑死と自然死 の再掲でした。
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