北海道の方言について再開です。
なまら、という方言はボクも幼少の頃 使っていました。
大いに、とか、すごい、とかを表し「なまらデカい!」なんて言っていたものです。
すっかり死語化していましたが、昨今 復活しているのです。
そんな言葉があったことも知らないような若者が“なまら”を連発しています。
一方、“なげる”という方言は昔から現在も広く使われています。
捨てる、の意で使うのですが、放り投げる、を短縮したものなのでしょうか。
昔の北海道の家屋では屑籠(くずかご)なんてなくて、ゴミは部屋の隅か窓の外に放り投げていたのでしょう。
その名残で、捨てることを“なげる”と言っていたのでしょうが、北海道の方言がほとんど用いられなくなった中でなぜか“なげる”だけは今も健在なのです。
この方言は本州から来た人たちとの間に、たくさんの喜悲劇を生じさせています。
ボクはすべての方言に対し擁護をする姿勢を持っていますので、北海道の人が捨てることを“なげる”と言い続けて欲しいもんだ!と思っています。
ボクは“捨てる”と言うのですが。
なまら、という方言はボクも幼少の頃 使っていました。
大いに、とか、すごい、とかを表し「なまらデカい!」なんて言っていたものです。
すっかり死語化していましたが、昨今 復活しているのです。
そんな言葉があったことも知らないような若者が“なまら”を連発しています。
一方、“なげる”という方言は昔から現在も広く使われています。
捨てる、の意で使うのですが、放り投げる、を短縮したものなのでしょうか。
昔の北海道の家屋では屑籠(くずかご)なんてなくて、ゴミは部屋の隅か窓の外に放り投げていたのでしょう。
その名残で、捨てることを“なげる”と言っていたのでしょうが、北海道の方言がほとんど用いられなくなった中でなぜか“なげる”だけは今も健在なのです。
この方言は本州から来た人たちとの間に、たくさんの喜悲劇を生じさせています。
ボクはすべての方言に対し擁護をする姿勢を持っていますので、北海道の人が捨てることを“なげる”と言い続けて欲しいもんだ!と思っています。
ボクは“捨てる”と言うのですが。