1970年も後半になると、改革要求の実現性が薄くなっていることに多くの参加者が感じ始めていました。一所懸命活動をするのに認められない、との絶望感が漂ってきました。
ただ、活動家どもは違いました。有り余ったエネルギーの吐け口として、内ゲバに精を出すようになりました。各派で凄惨な内ゲバが繰り広げられました。愚かなことです。
そのうち、日本での武力革命を空想する連中が表れたのです。銃砲店に強盗として押し入り、銃器を手にいれ、本気で武力革命を起こそう、ってんですから愚かにもほどがあります。オウム真理教の麻原彰晃なみのお粗末さです。
そして彼ら、連合赤軍を名乗る連中は1972年に発覚する浅間山荘事件や山岳ベース事件を起こし、世間を震撼させました。
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この狂気に満ちた事件をきっかけに、日本の市民運動はすっかりしぼんでしまいました。以来50年、いまだ後遺症が残っているようで世界でも類を見ないほどおとなしい国民になってしまったんです。
でも最近、国会周辺にデモに参加する人が見受けられるなど、風向きが変わっていることに希望を抱いています。
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この間50年になりますが、ホイト的資本主義は社会主義的資本主義に変わりつつあります。旧来のホイト的資本主義では、地球の気候変動問題などに対応できなくなってきているのに気付いた北欧などから始まった現象ですが、日本もようやく大手企業を中心に社会主義的資本主義に取り組みだしました。でも、資本主義は資本主義なのです。根本のところは何ら変わりません。
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ボク自身は、35年ほど前になりますか、幌延町に核の糞便模擬処理施設が設置される話が出た際、抗議の集会に参加したのが最後の実力行使です。ハチマキに“火の用心”って記したのを付けての参加です。
昨年、寿都町と神恵内村が核糞便施設誘致を表明した際も、現地に赴こうと思いましたが、自身の健康状態を考慮して断念しました。
今は、ボクの主張はこのブログだけです。
最後は脱線してしまいましたが、ボクの70年安保シリーズを終えます。