Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」ヴィム・ヴェンダース

2012-03-20 00:43:37 | cinema
Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち
2011ドイツ/フランス/イギリス
監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース


ピナ・バウシュとヴェンダースは、ピナの振付けによるヴッパタール舞踊団のダンスを
映像作品につくりあげようとずいぶん長い間検討を重ねていたそうだ。
舞台のスケールや生命感を表すのにヴィデオの映像では限界があると
ヴェンダースは考えていたようで、最近になってようやく3Dによる表現が
彼らの構想をよく形に出来ると踏み、撮影に入った、とその矢先に
ピナの急逝。

映画製作を一時断念したヴェンダースだが
舞踊団のメンバーらの意志で再度製作にとりかかり
完成したのが本作。

という背景を知りながら観た。

この作品はダンスの躍動感の記録ということ以上に、
ピナの残したものとしての団員たちによるダンスを
彼らなりに再現して、こんなものをあなたは残して行きました、どうでしょう?と
師匠に問いかけるような映画になっていたと思う。

ダンスのシーンの臨場感はもちろん見所なのだけど、
間に挟まれる団員へのインタビューは
実際に彼らが話す映像ではなく
彼ら一人一人のポートレイト的な映像に声がかぶさる形となっており、
それがドキュメンタリーらしさを良い意味で感じさせないようになっているのもよい。
そこにはピナと彼らとのあいだにあった親密で個人的な空気が感じられる。
それは我々が知るべきものというよりは、団員からピナへのメッセ-ジなのだ。
語りかけであり思い出話であり天に届けと語られた言葉を我々は観る。
そこには冷徹な視線ではなく、暖かい慈しみがある。
そういう映画である。

*****

ダンスは舞台でのものと、
ヴッパタールの屋外で撮られたものがある。
舞台の映像は客席からの視点ではなく、
こちらも舞台の上にいてダンスを観ているかのような距離感である。
なかなか面白い。

単に固定したアングルからではなく、綿密に計画されているらしく
切り返しや引きがダンスの構成にあわせて仕組まれているのは見事で。
「春の祭典」ではダンサーたちの表情や息づかいまで感じられて
動作や表情によるコミュニケーションや物語の紡がれ方をみることができて感動的である。

ピナのダンスは技術的なことがら以上に
ダンサーが踊りに際してどのようなことを思い感じ表出するかという
精神的なあり方を重視したということだが、
それは「春の祭典」でのダンサーの迷いのない動きや
演技を通り越した自由で真剣な表情からも十分うかがえる。

そのような演技指導のありかたとその結果としてのこの充実したダンスが
ピナの残した物であり、それをしっかり形にして我々に伝えることのできる映画に仕上がっていると思った。



******

ダンスを観るのは好きなのだけど
あまり熱心に公演に通ったりはしていない。
今回の3Dによるダンスでいわば舞台上に乗ってみてあらためて
生で見ることの面白さや違いを考えさせられた。
大きな劇場での公演でもダンサーの肉体が動く時の存在感は感じられるし、
小さな劇場で目の当たりにするのもまた特別な感じである。

機会があったらなるべく公演に行くようにがんばってみよう。

****

パンフというかプログラムは写真集みたいになっていて
お値段も1600円とお高め。
書籍というほうが正しい。
内容は結構充実している。
ピナと交流のあった日本人へのインタビューや
監督インタビューなどなど。


あと場所がヴッパタールということもあって
ヴェンダースファンには思わず顔がほころぶサービス映像も。


@バルト9


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