Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「落葉 他12篇」ガブリエル・ガルシア=マルケス

2010-01-24 01:44:30 | book
落葉 他12篇
ガブリエル・ガルシア=マルケス
新潮社

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落葉 他12篇: ガブリエル・ガルシア=マルケス
三度目の諦め/エバは猫の中に/死の向こう側/三人の夢遊病者の苦しみ/鏡の対話/青い犬の目/六時に来た女/天使を待たせた黒人、ナボ/誰かが薔薇を荒らす/イシチドリの夜/土曜日の次の日/落葉/マコンドに降る雨を見たイサベルの独白

新潮社ガルシア=マルケス全小説シリーズの1冊。ガルシア=マルケスが第1長編「落葉」を刊行するまでの、作家としての道をつかむ過程にある20代の頃の作品を発表順に収めたもの。著者が「頭の中だけで作ったもの」として習作と位置づける作品も多く含まれるが、それでも発表順に読むことで作家としてのテーマに次第に迫っていく過程を見ることができるという観点で刊行を許しているのだという。
この本からガルシア=マルケスを読み始めるというのもよいが、後の傑作群を読んでからこちらを読むのもまた著者のテーマをより俯瞰できると思う。ああ、あのエピソードはこういうルーツがあったのか。。等々。

短編の多くは10ページほどのごく短いもので、いきおいテーマというかアイディアをむき出しで置いてあるという感がある。もちろんそこが短編のスリリングなところで、心に響くものもあればちょっとピンと来ないものもある。この本からガルシア=マルケスを読み始めた方は「なんだこんなもんか」と思ってしまうかもしれないが、評価を下すのは「落葉」を出発点とするその後の小説群(特に「百年の孤独」)に触れてからがいいと思う。

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ワタシが印象的だったものは、まずは冒頭の「三度目の諦め」で、生と死の境界のあいまいな世界の意識を描くもの。カフカ「変身」を読んだ衝撃のまま一気にかいたという割には、7歳から死体であり続ける人間というなんともガルシア=マルケス的主題であることに感心する。

それと「死の向こう側」。双子の弟の死が兄の意識に深く影を落とす。ここでも生と死の間を生きる者がモチーフ。その設定で思い出したのはP.K.ディックの生い立ち。双子の妹の死が彼の著作に投げかける影について。「鏡の対話」も同じ線上にある作品かも。

「土曜日の次の日」も印象深い。これは大分後のガルシア=マルケス風味に近づいてきた風情。鳥が窓に激突死する異変がおき始めた村、その村に住み着く100歳近い神父の人となり、その村に偶然足止めを食った若者(ガルシア=マルケスその人をイメージさせる)、など脈絡のないモチーフを並置して、けだるくゆっくり疲弊していく南米の村マコンドのイメージを形作っていく。ガルシア=マルケスの創作の舞台が出来上がってきた。

そして長編の「落葉」。ガルシア=マルケスが20代のころに母親と故郷アラカタカを訪ねたときに大きな転機が訪れ、その体験に根ざした小説ということだが、予想と違って物語は架空の街マコンドでのある男の葬儀を行おうとしている家族の心持を、父、娘、孫の3者の視点で語るという極めて閉じた世界での出来事を描いている。限定された視点ながら、マコンドの雰囲気や歴史を背後に茫洋と浮かび上がらせるところはなかなかいい感じだ。

最後の「マコンドに降る雨を見たイザベルの独白」は、「落葉」の後に読んでさらに味わい深い。もともと「落葉」の中の断章として構想されていたとのことで、「落葉」の娘イザベルの若い頃からの、家族を巡る思い出を綴ったもの。その中でやはり倦怠に満ち希望を抱き得ないマコンドでの人生が、雨の降り止まぬじめじめした日の描写とともに肉感的に迫ってくる。

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てな感じです。ガルシア=マルケス自伝「生きて、語り伝える」を読むとさらに面白く読めるのだが、伝記的な事柄を踏まえた読みと、作品自体の強度とは分けて考えなくてはいけないのかも知れない。もう知っているということはどうがんばっても覆せないので、その峻別はとても難しいし、もしかしたら不毛な分類なのかもしれないけどね。



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