Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

ブラザーズ・クエイ「ストリート・オブ・クロコダイル」

2006-07-09 18:05:48 | cinema
Brothers Quay: Shorts

Kino Video

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アメリカ1983~88
監督・撮影:ティム・クエイ、スティーヴ・クエイ
原作:ブルーノ・シュルツ

5つのアニメーション小品からなる短編集
・レオシュ・ヤナーチェク(83)
・ヤン・シュバンクマイヤーの部屋(84)
・ギルガメッシュ/小さなほうき(85)
・ストリート・オブ・クロコダイル(86)
・失われた解剖模型のリハーサル(88)

製作年によってテイストは異なるが、基本的には、
ヨーロッパ、それも東ヨーロッパ的閉塞感溢れる、
薄汚れて錆び付いて誇りまみれで脂ぎった暗い人形アニメである。

つまり私の古巣である。

幼い頃にかいま見て堅く小さく心のなかにしこり続ける幻想の種。
奇想に溢れる人形アニメには、そういうものになる独特の力が宿っているように思える。
日本でいうならば、毛色はやや違うが辻村ジュサブローか。

クエイ兄弟の作品は、師シュヴァンクマイエルのようにアニメーション自体に驚きと奇想を封じ込めるタイプのものではない。
その影響を多分に受けながらも、異なる方向を向いている。

クエイはアニメーション技法自体は驚きではないが、それによって作り出す空間の全体から細部にいたるまでを奇想とナンセンスで貫く。
抜きん出ているのは表題作となっている「ストリート・オブ・クロコダイル」。
キネトスコープの覗き窓の中に展開する幻?の街、
妙な滑車と細いワイヤーが謎めいたうごめきを続けるがその意味はまったく定かではない。
掃きだめのような街。
意味ありげに横異動するカメラのとらえる先は、まったく説明のない人物の不可思議な動きだったりするし、
水がいきなり氷になったり、内臓をもつ時計がいたり、
脳味噌が空洞の少年たちがでてきて、肉片で型紙をとってみたり、男の顔をすげ替えてみたり。

まったく意味不明の幻想空間が繰り広げられるのだ。

心惹かれるのは、人形たちの「目線」がとても意味ありげに撮られていることだ。
首をほんのすこしかしげ、ふと隣の人形を見るまなざし。
ふと手もとの綿毛を見るまなざし。
従順に視線にそって動いて行くカメラによって、
光景はさらに不思議な重層世界に見る者を誘い込むのだ。
その視線のなまめかしさに圧倒される。


でもどこがシュルツ原作?
ストーリー的には原作を反映した部分は全くないのではないか?
とはいえ、そこに表現されている閉塞感はまさに原作の描く街のイメージにぴったり。
思いきり原作を読み返してみたくなる。
その意味では実に出来がいいのかもしれない。


クエイ兄弟はアメリカ生まれ。
アメリカでこんな作品が生まれるのか??
と思ったが、どうやら移民文化の中で育ったらしい。
イギリスに渡り、アニメの勉強をし、コマーシャルやビデオクリップなどを製作し、
一連の監督作品をつくるに至ったらしい。
ピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」のビデオの一部も
クエイ作とのこと。

ビデオはイメージフォーラムから(だったかな?ダゲレオ出版か?)
出ていたけれど
現在は入手困難
上に挙げたのは海外版。

TSUTAYA新宿店でレンタルしました。

ブルーノ・シュルツ原作はこれ↓
「肉桂色の店」のなかの「大鰐通り」
(ながらく絶版だったので入手するなら今がチャンス!!)
シュルツ全小説

平凡社

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コメント (2)
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