♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■コミュニケーションの回復

2007年03月27日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。

 聖書の使徒の働きという書物を読むと、教会がどのように最初に誕生していったかが記されています。それはペンテコステ・五旬節と呼ばれる時でした。これはユダヤにおいては三大祭りの一つでした。ですからこの祭りの時には遠くに住むユダヤ人たちや改宗者たちも大勢エルサレムにやって来ました。イエス・キリストの弟子たちは一つ場所に集まっていたんですねえ。すると彼らの上に不思議なことが起こりました。それは、知るはずのない他国のことばで神様の素晴らしい御業を(彼らが)語り始めたんです。この弟子たちは、殆どはガリラヤ出身者です。教育という教育を受けている者など殆どいませんでした。しかし彼らはめいめいにその場に集まってきた人たちに、その人たちの国のことばで話し出したんですね。想像してみてください。もし(この)ペンテコステの出来事の中にあなたがいたら、日本語で、それもあなたの地方のなまりで神様の素晴らしさを聞いたことでしょう。それは何と身近で分りやすいことでしょう。聖書は私たちの日常語で語られ、分かち合われていくものなんですねえ。そしてこのペンテコステに起こった不思議な出来事は他国のことばで話し出したという訳ですから、今まで通じなかった人と通じるようになったということですよね。

 実は旧約聖書にはその正反対のことが起こったことが書かれているんです。それは「バベルの塔」の話しです。彼らは天にも届く建物を建築しようとしました。神様のようになろうとして天に向かって塔を建て始めたんです。人間は愚かですよね。立派な建物、そびえ立つ塔、こうしたことで自分がまるで神様になったかのような錯覚に陥ってしまうんです。しかしその途中で大変なことが起こりました。それは、今まで通じ合っていたことばが全く通じなくなってしまったというんです。神のようになろうとした代償は高くつきますよね。人々が分り得ない、理解し得ない存在になってしまったというんです。神のようになろうとする高慢は必ず人間関係を破壊していきます。そして人を遠ざけてしまうんです。

 しかしペンテコステの出来事は私たちに何を教えているんでしょう。イエス様の福音はめいめいの国ことばで語られ、通じ得ない世界を通じるものとしてくださるということなんです。聖書には、「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊し」(エペソ人への手紙2章4節)と書いてあります。分りあえる、通じあえるコミュニケーションの回復はイエス・キリストから始まるのです。

 ( PBA制作「世の光」2007.03.27放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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