ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

クリスマスは教会で!

2013-12-19 20:46:06 | 美竹教会
今週の日曜日、12月22日はクリスマス礼拝です。
午後は昼食をはさんで楽しい祝会が準備されています。

教会に来たことのない方、お子様のいらっしゃる親御さん、ぜひ美竹教会で
教会のクリスマスを体験なさってください。
お子様にも印象深いクリスマスになることと思います。

  

↓祝会のご案内です。

  

  


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
ホームページの中に美竹教会へのアクセス(地図)があります、ご覧ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご降誕を待つ人々

2013-12-18 21:40:56 | 「先週の講壇より」
12月8日の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に掲載されました、どうぞお読みください。
説教のテキストは「ルカによる福音書」1章57節~66節 タイトルは「御降誕を待つ人々」でした。


  


説教の全文は美竹教会のホームページ「9.説教集」に載っています。
上田先生の説教、皆さま、是非お読みください。




今シーズン、都市公園に冬鳥が全く下りてきません。
まだ山に餌の木の実が沢山あるからとか、山に雪が降らないからとか
鳥撮りさん達はアレコレ理由を想像していますが、一体どうしたことでしょう?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩編103篇

2013-12-17 20:41:38 | 今日の聖句
今朝、目覚めた時フト思いました。
私の姉たちも、教会の兄弟姉妹も、信仰の先輩は皆さん、それぞれお気に入りの聖句や讃美歌を持っていられる
ようですが、新参者の教会員の私は、まだ聖句も讃美歌もコレというものがありません。
お気に入りの聖句の一つも欲しいな~と思いながら、いつものように詩編を読みました。
ナント、今日読んだ詩編103篇は今の私の気持ちにピッタリでした。
記憶力の減退している私はこれをすぐには覚えられませんが、これから時々読むことにします。
詩編103篇、ダビデが詠んだ詩のようです。


わたしの魂よ、主をたたえよ。
わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。
わたしの魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
主はお前の罪をことごとく赦し 病をすべて癒し 命を墓から贖い出してくださる。
慈しみと憐みの冠を授け 長らえる限りの良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにしてくださる

主はすべて虐げられている人のために 恵みの御業と裁きを行われる。
主はご自分の道をモーセに 御業をイスラエルの子らに示された。
主は憐み深く、恵みに富み 忍耐強く、慈しみは大きい。
永久に責めることはなく とこしえに怒り続けられることはない。
主はわたしたちを罪に応じてあしらわれることなく 私たちの悪に従って報いられることもない。
天が地を超えて高いように 慈しみは主を畏れる人を超えて大きい。
東が西から遠い程 わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる。
父がその子を憐れむように 主は主を畏れる人を憐れんでくださる。

主はわたしたちを どのように造るべきか知っておられた。
わたしたちが塵にすぎないことを 御心に留めておられる。
人の生涯は草のよう。 野の花のように咲く。
風がその上に吹けば、消えうせ 生えていた所を知る者もなくなる。

主の慈しみは世々とこしえに 主を畏れる人の上にあり 恵みの御業は子らの子らに 主の契約を守る人 命令を心に留めて行う人に及ぶ。
主は天に御座を固く据え 主権をもってすべてを統治される。
御使いたちよ、主をたたえよ 主の語られる声を聞き 御言葉を成し遂げるものよ 力ある勇士たちよ。
主の万軍よ、主をたたえよ 御もとに仕え、御旨を果たすものよ。
主に造られたものはすべて、主をたたえよ。
主の統治されるところの、どこにあっても。

わたしの魂よ、主をたたえよ。




公園の紅葉はそろそろ終わりです。東京は明日雪が降るそうです。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「疑いを乗り越えて」

2013-12-16 20:35:56 | 説教
昨日の礼拝説教 テキストは「マタイによる福音書」1章18節~25節
タイトルは「疑いを乗り越えて」でした。

マリアが身ごもったことを知ったヨセフは自分が運命に翻弄されていると思ったことしょう。
処女降誕の話は単純に受け入れられるものではなく、婚約と結婚が同じ意味を持っていた当時、
マリアが身ごもったことは姦淫と見なされるものでした。
公表すればマリアは石打の刑になりますので、密かに離縁しようとしたヨセフは紳士的であったと言えます。

信仰者であったヨセフは自分に降りかかった不条理に真正面から向き合い、神に真剣に祈ったはずです。  
人間の問題も神の前に曝せば違って見え、私たちには最後の逃げ道として祈りがあります。 
神に祈り、解決を探す道があります。
サタンは人の周りに八方塞がりの壁を作りますが、天に向かう壁は作れません。
神からの解決は必ず来ます。
(亡くなった国連事務総長であったタグ・ハマーショルド氏は紛争地に赴く際、必ず聖書を持参し、
まず祈ってから交渉に臨んだということです。)

神に祈ったヨセフ、しかし夢で「聖霊によって宿った」という御使いのお告げを聞いてもすぐには
理解できなかったことでしょう。
最初、ヨセフはイエスがダビデの子孫でメシアとなるとは気づかなかったと思います。

その後、ヨセフはマリアが「神の召し」を受けたことに気づき、マリアへの疑い、自分の受けた不条理は
神の偉大な計画の前にはとるに足らないものと思えたのです。
神に祈ることによって、神の召命に目を開かれたヨセフはマリアを迎えました。

ベツレヘムに身重のマリアを伴ったのはマリアを一人で置くことが心配だったに違いありません。
そんなヨセフをマリアは信頼し、夫婦は神への信仰によってお互いを信頼し合っていました。

ヨセフは比較的早死にしたようですが、彼の生涯は「仕える」生涯でした。
主イエスとマリアを支え、仕えて一生を終えました。

一生懸命に生きて不条理と闘う私たちの日々は救いの歴史のなかではほんの一齣にしかすぎませんが、
神は私たちの人生を豊かなものにし、教会に連ならせ、労苦に意味を与えてくださいます。

自分の小さな人生がそのために用いられることを喜ぶこと。
イエスの御身体である教会を建ててゆく、そのほんの一端を担うことでも私たちには大きな喜びが与えられます。
                                  (以上、文責はゆうゆうにあります。)



ムクノキの実を啄む<キジバト>です。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
今週の日曜日はクリスマス礼拝です。 
初めての方、大歓迎です。教会のクリスマスをぜひ経験なさってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アドベントクランツ

2013-12-15 21:40:45 | 美竹教会
アドベント第三主日の今日は、教会のアドベントクランツの蝋燭三本に火が灯りました。



アドベントという単語は「到来」を意味するラテン語Adventus(=アドべントゥス)から来たもので、「キリストの到来」のことである。
ギリシア語の「エピファネイア(顕現)」と同義で、キリスト教においては、アドベントは人間世界へのキリストの到来、そして、
キリストの再臨(ギリシア語のパルーシアに相当)を表現する語として用いられる。

西方教会では、教会の1年は待降節から始まる。
11月30日の「聖アンデレの日」に最も近い日曜日からクリスマスイブまでの約4週間で、最も早い年で11月27日、遅い年でも12月3日に始まる。
最初のアドベントを待降節第一主日、もしくは降臨節第一主日と呼び、その後、第二、第三、第四と主日が続く。

アドベントには、ろうそくを4本用意し、第一主日に1本目のろうそくに火をともし、その後、第二、第三、第四と週を追う毎に
火をともすろうそくを増やしていくという習慣がある。
この風習は、一説によると、ドイツ国内の伝道の祖といわれるJ・H・ヴィヒャーンが始めたもので、ハンブルクにある子供たちの施設
「ラウエス・ハウス」(粗末な家)で初めて行われた。
当時は、クリスマスまで、毎日1本ずつそうそくを灯したといわれる。      (Wikipediaからの引用です。)



今日、美竹教会では「臨時教会総会」が開かれました。

議題は 1)2014年3月31日付で、上田光正牧師は美竹教会の主任担任教師を辞任する
      2)2014年4月1日付で、美竹教会は左近豊牧師を主任担任教師として招聘する の二項目です。
全員の賛成で議題は承認されました。
新参者の教会員である私は他の教会員の皆様に合わせて挙手をしました。

牧師交代の事項は上田先生からのご提案で始まったもののようです。
上田牧師は30年以上にわたって美竹教会を牧会してくださいました、心からの感謝とお礼を申し上げます。
上田先生ご夫妻のこれからのご健康と伝道の道を神様が守り支えてくださいますように、お祈り申します。

新しく美竹教会を牧会してくださる左近先生は、現在は聖学院大学人間福祉学科の准教授をなさっています。
4月から美竹教会がどんなふうに変わっていくのか、私は今は期待感でワクワクしています。

安定した大学の教職を捨てて、陪餐会員数も礼拝出席者数も少ない美竹教会牧師の道を選ばれた左近先生、私のような
素人クリスチャンの俗人からみると本当によくぞ決意されました、と申し上げるほかありません。

これからも教会の兄弟姉妹の健康が支えられ、左近先生に導かれて、神様を中心として皆が信仰生活に伝道活動に
健やかに励むことができますように心から祈ります。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユダの王ヒゼキヤ

2013-12-13 21:05:12 | 今日の聖句
今日の聖句は 「列王記下」18章 1節~7節 です。

イスラエルの王、エラの子ホシェアの治世第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。
彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。
その母の名をアビといい、ゼカルヤの娘であった。
彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、
石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。
イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタインと呼んで、これに香をたいていたからである。
彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。
彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。
主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した。 彼はアッシリアの王に刃向い、彼に服従しなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒゼキヤ王はアッシリアへの朝貢を中止し、隷属関係を破棄しエルサレムに導入することを強いられたアッシリアの
偶像も排除した。 このため列王記の記者に非常に高く評価されている。 
実際のところは、このころ、アッシリアの帝国内では至る所で反乱が頻発し、またバビロニアがメロダク・バルアダンの
もとで独立を遂げたりして、アッシリアの王、センナケリブは東方の支配を固めねばならず、
ユダに介入する力がなかったのである。

しかし、しばしの混乱の後、センナケリブは支配を安定させユダの国にも侵入しエルサレムを包囲した。
絶体絶命の危機に陥ったエルサレムは辛うじてこの危機を免れた。

これについては聖書には二つの伝承が記述されている。
一つは、ヒゼキヤが神殿と宮殿の倉庫にあった莫大な財産をアッシリアに収めてこの危機を免れた(列王記下 18:3~)という記事。
もう一つは、主の使いがアッシリア軍の多くを滅ぼした(イザヤ書37:36~)というものである。
これはアッシリア軍に疫病などの災害が起こったか、アッシリア本国に政治的異変が起こってセンナケリブが
急遽退却せざるを得なかったということが考えられるが、歴史的には「列王記下」の記事のほうが事実であったろう。
しかし、このことによってエルサレムは不滅であるという迷信的な信仰が広がったようである。

以上「よくわかる旧約聖書の歴史」より抜書 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今日の聖書も、今の私の唯一の解説書「よくわかる旧約・・・・・・」を読んでナ~ルホド! なのでした。

 
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス祝会のお知らせ

2013-12-12 23:27:39 | 美竹教会
12月22日(日)はクリスマス礼拝です。
礼拝のあとは皆で昼食をいただき、クリスマス祝会をいたします。

  ↓ 祝会のプログラムです。
  

  

お子様の参加は無料です。 大人は1000円です、ヨロシク~
教会のクリスマス祝会、子ども達がたくさん参加してくれたら本当に嬉しい!なぁ~


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラエル王国の終焉

2013-12-11 22:38:45 | 聖書
「列王記下」17章 「イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落」 まで読みました。

17章3節~6節
アッシリアの王シャルマナサルが攻め上って来たとき、ホシェアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。
しかし、アッシリアの王はホシェアが謀反を企てて、エジプトの王ソに使節を派遣し、
アッシリアの王に年ごとの貢ぎ物を納めなくなったのを知るに至り、彼を捕らえて牢につないだ。
アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。
彼はサマリアに攻め上って来て、三年間でこれを包囲し、ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。
彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れてゆき、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた。


・・・・・・・・・・・・・・・

アッシリアに対する莫大な朝貢に苦しめられたホシェアはひそかにエジプトと接触し、アッシリアへの朝貢を中止した。
アッシリアの王シャルマナサル五世は直ちに北イスラエルに軍隊を送り、ホシェアを捕縛しイスラエルの領土全体を占領した。
サマリアは非常に堅固な町で、包囲されたまま三年間持ちこたえたが、シャルマナサル五世を継いだサルゴン二世によって陥落させられた。(前721年)

このようにして約200年続いた北イスラエル王国は終焉を迎えた。

アッシリアの政策は、支配した国の民を国外に追放し、その代わりに外国の民を移すというものであった。
これは一種の国際結婚政策で、そうすることによって民族的なアイデンティティを喪失させ、独立運動の気力をなくさせることであった。

列王記の著者(申命記的歴史家)は、北イスラエルが滅ぼされたのは、イスラエルの民がヤハウェに忠実でなく常に偶像礼拝と
外国の風習に従って歩んだからである、という総括を記している。(17章7節~18節)

・・・・・・・・・・・・以上、樋口進著「よくわかる旧約聖書の歴史」より

旧約聖書は解説書を併読しないと理解できませんね。
私の場合は解説書をよんでも中々頭に入らず、覚えず、苦労は人一倍。
でも、それだから、旧約聖書は何度読んでも飽きることがありません、って、負け惜しみです。 (^^;)



マガモの雌雄です。
綺麗な羽の方が(♂)で、首が青いので別名<アオクビ>と呼ばれます。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
まとまりのない私のブログの唯一の目的は、美竹教会にリンクを張って、
ブログを読んでくださる方が美竹教会のことを知ってくださることにあります。
どうぞ、教会の扉を押してお訪ねください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

讃美歌96番

2013-12-10 17:00:53 | 讃美歌
讃美歌96番「エサイの根より」
昨日の礼拝で歌いました。 イエスの降誕を待ち望む「待降」の歌です。

1. エサイの根より 生いいでたる
  くすしき花は さきそめけり。
  わが主イエスの
  うまれたまいし このよき日よ。

2. イザヤの告げし すくいぬしは、
  きよき母より うまれましぬ。
  主のちかいの
  今しも成れる このよき日よ。

3. たえにとうとき イエスの御名の
  かおりはとおく 世にあまねし。
  いざやともに
  よろこびいわえ、このよき日を。

救世主イエス・キリストの到来を予言した「イザヤ書」11章1節
エッサイの株から一つの芽が萌えいで その根から一つの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。」 
を主題にした歌です。

エッサイはダビデの父親、イエスはこの系図につながっています。(マタイによる福音書1章6節) 

16世紀以前からドイツのライン地方で歌われてきた宗教的民謡のようで“古くから伝わるラテン語から
ドイツ語に翻訳されたマリア讃歌” “Altes lateinisch-deutsches Marienlied”との説明があります。

本来は聖母マリアを称える歌で、最初に出版された「カトリック教会古聖歌集 Alte Catholische 
Geistliche Kirchengesang」(1599年、ケルン、ドイツ)では23節(長い!)もありましたが、
1609年にミハエル・プレトリウス(Michael Praetorius 1571-1621)が初めの1、2節だけを採用し、
加えて、第2節の強調点をマリアから幼児イエスに置きかえました。

それ以来、プロテスタントの歌集に編入されるようになり、19世紀になってドイツ新教で普及し、
それが英米にも伝わって、ついには世界的な待降の歌となりました。

讃美歌の1節、2節は上に記した1、2節ですが、3節は後に別の作詞者 Friedrich Layriz(1808-59)
により加えられたものです。

作曲者のミハエル・プレトリウスは、賛美歌136番「血しおしたたる 主のみかしら、」を作曲した
レオ・ハスラー(1564-1612)と同時代のドイツの著名な音楽家だそうです。。

なお、ドイツ語の原歌詞では“エッサイ”に代わって“バラ”となってますが、日本語の訳詩では
“エッサイ”に戻しています。 

讃美歌96番、ここをクリックすると聴くことができます。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
教会のアドベントクランツの蝋燭が二本灯りました。
写真を撮るのを忘れてしまうゆうゆうです、来週、三本灯ったクランツの写真を貼りますね。



今日の写真はお魚くわえた<カワセミ>嬢です。
カワセミの(♀)は下嘴が赤くて、(♂)は嘴上下とも黒です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ご降誕を待つ人々」

2013-12-09 22:09:34 | 説教
昨日の礼拝説教 テキストは「ルカによる福音書」1章57節~66節
タイトルは「御降誕を待つ人々」でした。

年老いた祭司ザカリアと妻エリサベトには子がありませんでした。
天使ガブリエルが現れ「妻エリサベトが男の子を産む。彼をヨハネと名付けなさい。
彼は母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、主の御前に偉大な人になる。
イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。」とザカリアに告げました。
それを信じなかったザカリアは事が起こる日まで口がきけず、話せなくなりました。

57節からの記事は
エリサベトは月満ちて男の子を産み、名前をザカリアとしようと言う周囲の人々に逆らって
「この子の名はヨハネとしなくてはなりません」と主張します。
困った人々は父親であるザカリアに手振りで尋ねると、ザカリアは板に「この子の名はヨハネ」と
書いたので人々は驚きました。
その時たちまちザカリアの口が開き話せるようになって、神を賛美し始めました。

バプテスマのヨハネの生誕を告げられても、マリアと違って御使いの言葉を信じられなかったザカリアは
10カ月間口がきけなくなりました。
この記事は神を信じられなかったザカリアの家の家族史ですが、同時にイスラエルの民族史でもあります。
不信心なイスラエル、彼らの中から救世主が生まれると約束されたイスラエルはそれを忘れ、信仰も停滞していました。

ここに私たちは、今日の教会の不信仰を見ることもできますが、神は約束を違えられない、変わらないという信仰を持つならば、
頭を上げて新しい時を信じることができます。
人と人国と国が理解し合えず、孤立感がつのり、今日の世界にはザカリアの失語症が蔓延しているともいえます。
日本は高齢化社会で、私達も自分は年を取りすぎたと思い勝ちで、この世に希望を持てないと感じることがあるかも知れません。
しかし、神を信じる私たちが神と共にことを始める時、何事も年を取りすぎたという事はありません。

ザカリアにとって口を聞けなかった10カ月間の最大の苦しみはそれが不信仰の故であったということでした。
しかし不信仰は人間にはつきもので、あのアブラハムも不妊の妻サラが懐妊すると告げられた時、神の言葉を笑いました。
「マルコによる福音書」には、病気の息子を癒してほしいとイエスに願った父親が「主よ、信じます。
不信仰な私をお救い下さい。」と言ったという記事があります。
ここには私たちの信仰の本質が示されています。
父親は私の全て(全体)をあなたの憐れみの中においてください、と頼んだのです。


ザカリアは10カ月間自分の不信仰と向き合い、信仰に導かれました。
孤独のうちにあって信仰の純度が高められました。
人々に「名前はヨハネ」と告げたのは彼の信仰告白です。
家族史としては妻と信仰が一致した喜び、イスラエルの民族史としては主を迎える準備ができた喜びの時でした。
ザカリアの10か月間は私たち人間が神を迎える信仰のための準備期間です。

信仰を求め続ける者には主の降誕を喜ぶ気持ちが神によって与えられます。
68節からの「ザカリア賛歌」には神の憐れみの中に置かれていることを信じる人の喜びが歌われています。
78節は神の憐れみから人間の希望が来ることを歌っています。

主の御降誕から、主を望みとするかぎり、私たちに望みはあります。
曙の光が私たちを訪れるのがクリスマスです。
ザカリアのように誉め歌を歌いながら御降誕をむかえましょう。         (以上、文責はゆうゆうにあります。)


相変わらず、まとまりのない要約で申し訳ありません。 m(_ _)m
美竹教会のホームページの「9.説教集」で上田牧師の説教全文を是非ともお読みください。(タイムラグがあるのがちょっと残念・・・)




ヒマラヤ杉のてっぺんから飛び出した<オオタカ(♂)>です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする