ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

今日の聖句も難しい

2020-07-02 12:49:31 | 分からなかった今日の聖句
「ヘブライ人への手紙」 12章18節~29節

あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々が
これ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。
彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなか
ったのです。 また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」
と言ったほどです。 しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の
天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものと
された正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む
者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそう
ではありませんか。 あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。
「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」 この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続
するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。
このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。
感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。
実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。


「ヘブライ人への手紙」読み終わりました。
今日の箇所、言葉も文章もですが、言葉の背景が分からず、本当に難しいです。 
ワ~イ、どなたか解説してくださりませ~!
私の参考図書「新共同訳 聖書事典」(2004年)からの解説を抜書いたします。
なんとなく全体像は掴める・・・・・ような気はしますが、一つ一つの聖句が難しい。
ま、いいかぁ、 サ~テ、次に進みま~す!



   コロナの影響なのでしょうか、ステイホームが快適になった、
   というより出かけることが億劫になりました。 
   暑さの所為もあって、公園への散歩もサボリ気味です。
   今年は公園のカルガモファミリーにも会えませんでした。


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ヘブライ人への手紙 「聖書事典」川村輝典氏の解説
著者:
後3世紀以来、ギリシャ、シリア地方の教会でパウロ説と主張されてきた。
西方教会では後4世紀以降、これが認められ中世全般にこの説が一般的。
しかし、宗教改革時代からエラスムス、ルターなどこれに異議を唱える人が出た。
(アボロ説、バルナバ説、プリスキラ説など) かくして特定の人物を挙げることは不可能。
後1世紀の80年代に活躍していたヘレニスト・ユダヤ人であって、アレクサンドリア思想に
通じており、ローマの家の教会に所属していたと予想される人物と断定できるであろう。
構成:
古くから手紙と呼ばれながら、最初の挨拶の言葉がない、終わりの挨拶の言葉が2度繰り
返されているように見えることなどから、神学的論文とする意見もあるが、最近では、教えと
勧告とが交互に繰り返されている文章構成から勧告の書ないし説教とする見方が有力。
執筆場所と宛先:
かつて有力であった対エルサレム教会ないしパレスチナ説は、本書の内容がエルサレム神殿
についての知識に欠けているところから、不可能。
有力なのはローマ説で、ヘブ 13:24 の句から執筆場所とも宛先とも取れる。
宛先と考える方がより自然で、その場合執筆場所はエフェソ辺りと考えることがふさわしいだろう。
キリスト論
古くから大祭司キリスト論について記された文書と見られ、重点が置かれていたが、全体として、
神の子キリスト論と大祭司キリスト論の両者が主張されているというべき。
救済論
キリスト論と密接に結びついている。基礎をなすのは、大祭司としての業。
キリストが新約の大祭司として一度限りの天の至聖所に入り、自身を犠牲として捧げたことにより、
人々の罪が清められ、永遠の救いが完成したのである。(ヘブ 7:27, 9:12, 14, 26, 10:12)
終末論
宛先の教会の信者たちが信仰の危機に陥っているのを励ますために、終末の救いの到来を強調する。
著者にとって現在は「この終わりの時代」であり(ヘブ 1:2)「来るべき世界」(ヘブ 2:5)の先取りである。
本書の終末論は、一方では将来における神の行為、すなわちイエス・キリストの再臨を指し示すとともに、
他方では現在を指し示している。
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美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
美竹教会では今週の日曜日(7月5日)の礼拝まで、礼拝のネット配信をするそうです。
コロナ禍の最中ですが、皆さまお気をつけて、ぜひ礼拝におでかけください!
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