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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

教会の「兄弟姉妹」

2013-02-20 14:32:22 | その他
日曜礼拝最初の、司会の方の祈りには、いつも励まされ学ばされることばかりです。
祈ることの下手な私は司会の方に心を合わせて感謝しながらご一緒に祈ります。

先日の礼拝では、文言は忘れましたが、「私たちは一人では信仰を全うできません。
教会の兄弟姉妹に支えられて、私たちの信仰生活は守られています」という言葉に続いて
兄弟姉妹への感謝が祈られました。


実は、私にとって「教会の兄弟姉妹」という言葉はちょっと苦手で、素直に出てきません。
毎日の祈りでも「教会員の皆さんの健康を支えて、全員が活き活きと伝道に励めますように」とは
祈りますが、なかなか兄弟姉妹とは言えません
いわんや「愛する兄弟姉妹」とは殆ど言えません。

礼拝に出席しても口をきくのは、顔見知りの方数名に「おはようございます」と「さようなら」を言うだけです。
礼拝では祈り讃美歌を歌い、説教をお聞きし、献金を捧げるだけで十分だと思っていました。
ほかの人の言動にそれほど興味が無いのでしょうね、他人と交わることの必要性も感じないで、
礼拝を守れるならば、自分一人でも何とも思いませんでした。
「教会の兄弟姉妹」とは・・・・・・・・少し考えてみました。

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2月3日の礼拝説教「仕える者となれ」の中で、上田先生が「兄弟姉妹」について話されました。
教会では教会員同士が互いに「兄弟姉妹」とよびあいます。
これは単なる親しみの表現ではないのです。
そういうことは当然ありますが、兄弟姉妹というのはお互いに僕として仕えあうことだという
厳しいことを含んでいます。
教会によっては一切「兄弟姉妹」と言わず、全部「氏」(うじ)で、また祈りの中では
愛する兄弟姉妹ではなく「主の愛する兄弟姉妹」という教会もあります。
兄弟姉妹とはただ一人の主イエスを指し示し、証しする役目がある、ということです。
教会の中で、兄弟姉妹であるということは、お互いにキリストが主であることを証しし合い、
教え合い、学び合うということです。
キリストを指し示し、聖書を重んじ、兄弟姉妹を愛し、重荷を負っている兄弟には指一本でも
お貸しすることこれこそが、「兄弟姉妹」と呼び合っていることの重い内容です。
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礼拝で司会をなさる方も、讃美歌の奏楽の方も、受付も、献金も、証しなさる方もみんな
「教会の兄弟姉妹」です。
神様を指し示しながら最期まで一緒に生きていく「教会の兄弟姉妹」です。
「教会の兄弟姉妹」と信仰に関しては、励まし合い、支え合い、慰め合うことができます。
やはり兄弟姉妹のいない教会は考えられませんね。

お互いの生活や性格や背景など、何も知らない者同士で意思の疎通はあり得ませんから
信仰以外のことでは励まし合ったり慰め合ったりはできないかもしれません。
実際、教会の兄弟姉妹にもあまりお話ししたくない事柄もたくさんあります。

神の身体である教会につながる私たち「教会の兄弟姉妹」にとって大切なことは、主を仰ぐ生活
なのですから、神様が中心にいてくださり、聖書と祈りと礼拝を守っていれば大丈夫ですよね。

私はこれまで、そして今も、毎日、信仰には無関係なこの世的な私の苦しみや悲しみ、不安などを
神様には祈ってきました。
神様には、祈って励まされ、慰められても良いのですよね?
ゴチャゴチャ細かい事柄を祈られたり願われたりしても神様も困るよね~、と言った方がいましたが。 (*^_^*)




<アオバト(♂)>
昨年の2月に公園に現れました。
今年は来てくれるでしょうか。


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