ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「呻きと嘆きの言葉」

2020-02-22 16:17:49 | 説教
2月16日の礼拝説教です。
タイトルは「呻きと嘆きの言葉」
テキストは「エゼキエル書」3章1節~11節でした。






26日の礼拝はほんのチョビっとコンテンポラリーでした。
少し現代風な讃美歌をピアノ、ギター、カホンという楽器の伴奏で歌いました。
恐ろしいほどリズム感欠如の後期高齢者の私はほとんど歌えませんでした。 (^_^;)
でも、新しい試みは楽しくて新鮮でした。
礼拝全部がコンテンポラリーってどんなふうなのでしょうね~~ (^^)

礼拝前に楽器の音合わせをする会員の皆さん


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私たちは皆、許されて生きている

2020-02-22 16:06:21 | 今日の聖句
「ヤコブの手紙」4章11節~12節
兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、
律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。
律法を定め、裁きを行う方は、お一人だけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。
隣人を裁くあなたは、一体何者なのですか。

13節~15節
よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの街へ言って一年間滞在し、商売をして金儲けをしよう」と言う
人達、あなた方には自分の命がどうなるか、明日のことはわからないのです。あなたがたは、わずかの
間現れて、やがて消えていく霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、
あのことやこのことをしよう」と言うべきです。


「ルカによる福音書」12章15節~21節
イエスは言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど者を持っていても、
人の命は財産によってどうすることもできないからである」
それからイエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは『どうしよう。作物をしまって
おく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。蔵を壊して、もっと大きいのを建て、そこに
穀物や財産をみなしまい、こう自分にいってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えが
できたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前に命は
取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

今日の聖句は、神様の御心について(かな?)私の少ない記憶の中から探しだして来たものです。
コレくらいしかヒント(聖句)が思い浮かばずすみませんが、ここでクイズです。
これらの聖句から私は何を言いたいのでしょうか!?

正解は、私達の命は神様によって与えられているということ、私達の命は、明日とは言わず今、
この瞬間にも神様に召されるかもしれないということを言いたいのです。 地球上のすべての人、
植物、動物、すべての生き物は神様がご支配なさっている、ということを言いたいのです。
私は、あなたは、すべての人は、生き物は、今ここに在ることを神様に許されているものです。
私の命の主(あるじ)は私ではありません、神様です。 
あなたの命の主(あるじ)はあなたではありません、神様です。
すべての人、すべての生き物の主(あるじ)は神様です。
神様が許してくださっている限り私たちは生きていてよいし、生かされているのです。
神様の前では誰が誰より優れているとか、誰は生きていてよいが誰はダメということはありません。
神様の前では皆同じです、そういう信仰(教え)を私は信じています。
この信仰に依り頼んでいる平安を心から感謝して毎日を生きています。


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