ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌392番「神のみ声は」

2020-02-03 15:01:22 | 讃美歌
昨日の礼拝で歌いました。

讃美歌392番 「神のみ声は」
The voice of God is calling, John Hynes Holmes, 1913
「MEIRIONYDD」 Welsh Hymn Melody

 1)神のみこえは むかしのごと、
  今なおひとを 召させたもう、
  [とらわれし民 なやむものを
  すくうつかいの 世にはなきか」

 2)小屋に小みちに 市に里に
  ひとのもだえの こえはきこゆ、
  「やみのちからの せまりくるに
  うちやぶるベき つかいなきか」

 3)神よ、みこえを われらきけり、
  いずこへなりと おくりたまえ、
  ちからはよわく 知恵なけれど、
  みむねのままに もちいたまえ

 4)やすきを、幸を いまねがわじ、
  ちからを、才を はやたのまじ、
  かみのうつわと なさせたまえ。
  みことかしこみ 我らはゆかん。

■この曲は、Welsh Hymn Melodyとなっており、英国のウエールズ地方で歌われていた賛美歌が
原曲である。392番はウエールズ生まれのウイリアム・ロイドWilliam Lloyd(1786-1852)によって
編曲されたものである。「讃美歌略解」によると、この曲は彼の持っていた手記の歌曲集の中に発
見されたとある。
ロイドはウエールズの農夫であったが,生来美声の持ち主で且つ音楽好きであった。
家畜を売買するためにイングランドに旅行する度に、彼は教会に行って会衆の歌う美しい
讃美歌を聞き、それを覚えてウエールズの農民達に教えていたが、そのうちウエールズ各地方で
『歌う会 Singing meeting』を催し、その指導をした。
曲名の”MEIRIONYDD”は原曲名ではなく、ロイドが住んでいた地方の郡名 “Merioneth”の
ウエールズ語名に因んだものである。
この美しい旋律は、今日広く英米で愛唱され、歌詞も色々なものがあてはめられている。
ちなみに275番「強き神の子、朽ちぬ愛よ “Strong Son of God, immortal Love"」のメロデイも
この曲を採用している。
■作詞者ジョン・ホームズ(John H.Holmes 1879-1964)はアメリカ人で、ハーヴァード大学を
卒業してユニテリアン派の牧師となりマサチューセッツ州とニューヨーク州の教会で牧会をした。
彼は世界平和と社会改造とシオン運動とのために戦い、この歌は彼の信仰と思想とを率直に
披瀝したものであると言われている通り、第1節ではイザヤ書6章8節のイザヤの召命の場面が
引用されている。
「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。』
わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。』」
■20世紀初頭のアメリカは自動車、石油、鉄鋼などの基幹産業の発展と大衆消費時代の幕開けにより
大きな経済発展の途上にあったが、一方では労働条件、貧富の格差など影の部分も拡大し社会的
諸問題が顕在化しつつあった。
ホームズはこうした社会の底辺にあって苦しみ、虐げられ、絶望感にある人達を救うために,
神に「どうかわたしを遣わしてください。弱き我々をあなたの栄光を現すために用いてください」との
祈りをこの歌に込めている。     (解説、ネットからの引用です。 <(_ _)>)

ここをクリックすると讃美歌392番「神のみ声は」を聴くことができます。

昨日の説教、テキストはイザヤ書6章1節~8節 タイトルはまさに「遣わしてください」でした。
生ぬるい信仰、背中をどやされているのにまだ動かない私の心と体。
もう年だから、と言うのは言い訳ですね。


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今年は暖冬、公園は少し寒そうです。
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公園で・・・・

2020-02-03 14:46:07 | 今日の聖句
今日の聖句は「コリントの信徒への手紙 一」 7章14節 です。
私の夫はクリスチャンではありませんでした。
悲しむ私に姉が教えてくれた「今日の聖句」です。
夫と、次姉と母も・・・・神様の身許で再会できる時が楽しみです。


「なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である
夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れている
ことになりますが、実際は聖なる者です。」

三年半前に亡くなった夫の趣味は野鳥撮影でした。
肝細胞癌で亡くなる前の十年間、雨や雪が空から落ちてこない限り、ほとんど毎日のように夫と私は
野鳥を探して公園・野原を彷徨っていました。夫のカメラは400mmから500mmの超望遠レンズの
ついたもので5kg近い重さでした。自然の中で自由に動き回る野鳥を探し、美しい野鳥写真が撮れた
ときの感動に心躍る、それが夫に重いカメラを持たせ、病気を忘れさせていたようです。
私は探鳥と観察だけで十分楽しかったのですが、夫は私のためにも野鳥撮影用のカメラを用意して
くれました。「とっても良いカメラとレンズの組み合わせだよ」と言っていましたが、ド素人の私には
馬の耳に念仏、何もわかっていませんでした。それでもしっかりカメラの恩恵には与っていたようで、
時々素人とは思えない良い写真が撮れたりして感激しました。私のカメラとレンズも3kgと、
後期高齢者の私が振り回すには厳しい重さで、最近はタンスの肥やし状態でした。

先日の土曜日、晴天に誘われて久しぶりに3kgのカメラを持って公園に野鳥を撮りに行きました。
野鳥を探して歩いていると、私のカメラとレンズを見た鳥撮りの男性が「良いカメラとレンズだね~」と
非常に驚いてくれました。
白髪交じりの老婦人(私のこと)がこんなセットを使っているとは!と思ったのかな~ (笑)
老化現象著しく、露出もISO感度のこともすっかり忘れてしまった私に付ききりで色々教えてくれました。
ずーっとカメラとレンズを褒めながら・・・・(^^) 夫が私のために見繕ってくれたカメラセット、
そんなに素敵なものだったのか~ありがとう。 しみじみと嬉しい時間でした。


十年も使ってあちこちガムテープで補修した私のカメラと
下は、久しぶりでボケボケの<ルリビタキ> 雄の若・・・らしいです。

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