ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

私の場合

2019-06-27 14:19:54 | 今日の聖句
今日の聖句は「ローマの信徒への手紙」14章7節~8節です。

わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために
死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば
主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは
主のものです。


昨夜はお手伝いをしている書道塾の暑気払い(早い!)でした。その席で、塾生の
紳士から「旦那は曹洞宗のお墓に入っていて、ゆうゆうさんの遺骨はドーするつもり?」
と聞かれました。私はクリスチャンで夫は(一応)仏教徒で菩提寺の墓に埋葬されて
いるので「ドーなのよ」というわけです。
以前は自分が死んだらどうなるのか、どうしたいのかよく分からず、このブログにも
何回か迷いを書きましたが、今は少しずつ考えが固まって来ました。

昨年、一人暮らしの教会員の方が自宅でお一人で亡くなられました。その時、
これから先の万一に備えて、緊急連絡先や葬儀、埋葬などに関して教会に知らせておく
「牧会メモ」なるものが作られました。一人暮らしの私は、一人でいる時に意識を失う
可能性大ですから(一応)真剣に考えてメモに記入し教会に提出しました。

『まず、葬儀はせずに火葬場で牧師先生に祈っていただくこと。遺骨は可能ならば
キリスト教の共同墓地に埋葬していただき、分骨を夫と一緒に曹洞宗の菩提寺に
入れていただくこと。キリスト教の共同墓地への合祀が不可能な場合は、夫と同じ墓
に納めていただくこと』にしました。

私がそんな風にお話すると皆さん、納得なさったようでした。
本当は、最期のときが来て神様の御許に召されたら、亡くなった母、姉、そして夫とも
相見えるのですから、遺骨のことは気にならない、というのが本音なのですが。
両親、義母、夫の従姉妹、夫、と身近な人たちを見送って来た経験から、
残される家族や友人知人にとって、然るべき方法で故人を弔うということは
とても重要なことだとは思います。
でも、私の場合は、私の望みは、「できる限りさり気なく消えたい・・・・」です。

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花菖蒲や紫陽花の美しい季節、梅雨は嫌いではありませんが
居間の天井から雨漏りするようになりました。
ワ~ン、どうしよう! 一人暮らしは心細い・・・・・
コメント (2)
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