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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

アモス書

2013-06-29 12:12:37 | 聖書
アモス書を読む前に「聖書事典」の解説を読みました。
まず「正典における位置」の解説が書かれていました。

*************************************************
ヘブライ語正典は、大きく3部に分けられる。
「律法」「預言者」「諸書」である。
「預言者」は「前の預言者」と「後ろの預言者」の二つに分けられる。
前者は「ヨシュア、士師、サムエル、列王」の歴史書であり、後者は「イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、12小預言者」の4書である。
アモス書は「12小預言者」の第3番目の書である。
*************************************************

浅はかな私が、一昨日「ヨエル書」の所でチンプンカンプンだと書いた「正典における位置」というのが、
これで少し分かりました。
解説者は「アモス書」の項で説明していらしたのですね、失礼いたしました。 m(_ _)m


次に、「構成」が下のように並んでいました。
① 表題(1:1)
② 諸国民に対する預言(1:2~3:2、9:7~10)
③ 預言者の内的確信(3:3~8)
④ サマリアの支配者に対する審判(3:9~15、4:1~3、6:1~14、8:4~7)
⑤ 祭儀の堕落に対する審判(4:4~13、5:1~7、10~15、16~27)
⑥ 5つの幻(7:1~3、4~6、7~9、8:1~3、9:1~4)
⑦ 祭司アマツヤとの対決(7:10~17)
⑧ 頌栄と断片的審判(5:8、9、8:8、9:5~6)
⑨ 終わりの日の審判(8:9~14)
⑩ 後の日の回復(9:11~15)

上の構成で、抜けているところは無いかな~? 聖書の章立ての順に並べてみました。

1:1 ①    1:2~3:2 ②   3:3~8 ③   3:9~15、4:1~3 ④   
4:4~13、5:1~7 ⑤        5:8、9 ⑧   5:10~27 ⑤ 
6:1~14 ④   7:1~9 ⑥   7:10~17 ⑦   8:1~3 ⑥   
8:4~7 ④   8:8 ⑧     8:9~14 ⑨   9:1~4 ⑥   
9:5~6 ⑧   9:7~10 ②   9:11~15 ⑩

完全に網羅されていました!(当たり前ですよね、疑り深い私。)
よく見ると、① ② ③ ④ ⑤ ⑧ ⑤ ④ ⑥ ⑦ ⑥ ④ ⑧ ⑨ ⑥ ⑧ ② ⑩ という順番です、
構成が少し入り交じって記述されているようです。

これは聖書にしるしをつけて番号でも入れて読んでみると分かりやすいかも知れません。
妙な所が気になってしまう私です、解説をよまずに頭からスラスラ読んだ方がよかったかな~?  (^^;)

とにかく「アモス書」読み始めま~す。



<オオシオカラトンボ> シオカラトンボより一回り大きく顔が真っ黒、と言うのが特徴です。


明日は日曜日、美竹教会ではの午前10時半から礼拝と聖餐式です。
礼拝後、讃美歌練習もあります、多分。
よろしかったらお出かけください。
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オホラとオホリバ

2013-06-07 21:58:48 | 聖書
エゼキエル書は23章まで読み進みました。
23章は「オホラとオホリバ」の話です。

オホラは北イスラエル(サマリア)を、オホリバは南ユダ(エルサレム)を象徴しています。
出エジプトで契約を結んだ神を裏切り、その時の大国になびき、他国の偶像を礼拝する両国を
淫らな姉妹として象徴的に描いた物語です。
その淫らな様の描写は、うへぇ~、もう読みたくな~い、と思うほどドロドロと具体的で驚きました。
  
以下の解説は「恵庭福音キリスト教会 説教の要旨」を参考にさせていただきました。
旧約聖書も(新約聖書も、です。勿論)重いです。 ぜひ手に取ってお読みくださいませ。 (^-^)

************************************************

北王国イスラエルと南王国ユダの神に対する反逆が、二人の娘による淫行にたとえられて述べられています。
オホラは北イスラエルの首都となったサマリヤを、オホリバはユダの首都エルサレムを、それぞれ象徴的に表しています(4節)。
出エジプトにおける神と民との契約により、イスラエルの民は律法によって一つの国家(ダビデ、ソロモンの時代)となり、
信仰的にはもちろん、文化的、政治的、経済的、軍事的なことにおいても主に従う必要がありました。

Ⅰ. オホラへの裁き(5-10節)
 オホラ(サマリヤ)は、強国アッシリヤ帝国に魅力を感じて「恋い慕った」(5節)とあります。
目に映る全てのものが格好良く見えたのです。(6節) しかしどんなに美しくても、その底辺には異教的な思想や価値観があります。
オホラは結局、アッシリヤの文化と共に偶像をも受け入れていきます。(7節)
「アッシリヤと共にありたい」という願いは、征服と捕囚という神のさばきの形で実現することとなりました。(9-10節)

Ⅱ. オホリバへの裁き(11-28節)
 オホリバ(南ユダ・エルサレム)もオホラと同じように隣国に心惹かれていきました。
さらに罪深いのは、北イスラエルの末路を知りながら、それをまったく教訓にしなかったことです。(11節)
目に見える魅力は不都合な真実を覆い隠し、自分の選択を正当化させていったのでしょう。
ユダも最初アッシリヤを恋い慕いましたが(12節a)その後バビロンに鞍替えしました。(16節)
ところが、バビロンの異教的習慣が押し寄せてきたため距離を置いたところ(17節)バビロンの反感を買うこととなります。

すると今度は、反バビロンであるエジプトにつくようになりました。(19-21節)
オホリバ(ユダ)の姿は、自分の利益を優先しやすい私たちの姿でもあります。
オホリバは政治的に当然だと思われることを行ったつもりでしたが、最も重要な神との契約を破っていたことに気付いていませんでした。
そこには、「生活や仕事と信仰は別」という意識があったかも知れません。

信仰が道徳や倫理、精神論的な意義だけに留まってしまうと、信仰が形骸化してしまう恐れがあります。
信仰とは生活の隅々に深く浸透させていくためのものです。
私たちは無自覚の不信仰に陥っていないでしょうか。

ユダに対する主のさばきは、ユダが求めたことを徹底させることでした。(24節)
すなわち、ユダが選んだところのこの世の価値観、やり方に任せたということです。
私たちは、それがどんなに魅力的なものであっても、その動機が信仰から出ていないことの結末は「滅び」であることを
わきまえなければなりません。(ローマ人への手紙6:23)
 
オホラとオホリバが陥った罪の一番怖い点は、「それほど悪いことだとは思えない」というところにあると言えます。
誰かに頼ること自体が悪いことではありませんが、それが「神よりも期待し、頼るもの」になってしまうことが問題です。
神以外への過度の期待は当然、失望に終わり、神に対する不信仰となります。
私たちの内に潜む罪は私たちを的外れにし、かえって非現実的な生き方にしてしまう力があるということです。

*************************************************




<アカボシゴマダラ(春型)の雌と雄>
外来種だったのですが、何年か前、心無い蝶屋さんの放蝶により
今では在来のゴマダラ蝶を駆逐する勢いで増えています。



東京渋谷の美竹教会のホームページです、クリックしてご覧ください。
人間も含めてこの世のすべてのものは全て移り変わり、いつか無くなります。
変わらない神の愛を信頼して生きることは大きな慰めです。
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(エレミヤ)哀歌

2013-05-30 12:57:48 | 聖書
新共同訳聖書ではただ「哀歌」となっていますが、昔私が使っていた聖書では「エレミヤ哀歌」でした。

「聖書事典」によると『これは著者が預言者エレミヤであると考えられていたからで、新共同訳聖書も
この伝統に基づいてエレミヤ書の後に「哀歌」を配置している。 エレミヤ著者説は長く支持者が存在したが、
今日では否定されている』そうです。

私の唯一の正統的ツール「聖書事典」から、「哀歌」についての解説を抜き書きしますね。

『エルサレムの神殿と都の破滅は、神の激しい怒りの表われと考えられたゆえに、ユダの住民は身体的苦痛に加えて
精神的な危機にも襲われた 。数回に及ぶ強制連行(バビロンへの捕囚?)によって民は引き裂かれ、指導層の
内部抗争によって社会は完全に崩壊した。

「哀歌」にはこのような歴史的破局についての「意味の問いかけ」が満ちている。
(ヘブライ語の書名「エーカー」は嘆きの言葉として発する「なにゆえ」を意味しているそうです。)
苦悩の中にある人々が心の底から神に向かって「なにゆえ」と意味を問いかける、これこそが「哀歌」の主要テーマである。
そしてこの問いかけは、今もなお、大災害や戦乱の中にある人々によって繰り返し問われているものである。』そうです。  (確かに・・・・・)


「(エレミヤ)哀歌」読み終わりました。
これから「エゼキエル書」を読みます。 
これも結構読み応えありそうです。 


ところで、↓は 「聖書事典」の「哀歌」の項からの抜書きですが、もう少し分かりやすい文章にできないものでしょうかね~ 
私は内容以前に文章が理解できません。 (T__T)

『マソラ本文は比較的よく保存されている。 しかしこのことは翻訳が容易であることを意味しない。 
シリア語約や70人訳等にマソラとは別の解釈が見られることが少ないために、ヘブライ語の意味が明瞭でない場合、
翻訳者が十分な根拠なしに読み替えを行わざるをえない事態がしばしば起こる。 
さらに哀歌のヘブライ語は、技巧的な詩文特有の難解さを示す。 各種の翻訳の間に相当の解釈の違いが見られるのは、
このためである。 新共同訳には本文批判の領域での近年の研究成果が十分に反映されている』   (^^;)
(マソラ本文(ホンモン)とはユダヤ教社会に伝承されてきたヘブライ語聖書のテキストをいうそうです。)

と、悪口を言った後・・・・・・・・・・
今日の写真は大好きなシジミチョウの仲間の<ウラナミアカシジミ>です。
橡の大木の上の方に止まってるのを望遠レンズでやっと撮りました。




東京の渋谷駅から徒歩7分、美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
教会にいらっしゃいませんか、真の心の平安が得られるかも知れません。
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エレミヤ書 まとめ

2013-05-27 21:00:36 | 聖書
ようやく読み終わった「エレミヤ書」の分かりやすい解説文書をネットで見つけました
佐々木明さんという牧師さんの「聖書を読むぞー(36)」の文書です。
少し長いのですが、ここに転載させていただきます。 
(佐々木先生のコメント欄に転載の許可をお願いしてありますが、もし不都合がある場合はこの記事は削除いたします。)

****************************************************************
この書物は、紀元前627年からおよそ50年にわたって、南朝ユダで活躍した預言者エレミヤの預言を記したものです。
北の強国アッシリヤがすっかり衰え、代わりにバビロンが台頭してきていました。事実、エレミヤが神の召命を受けてから2年ほどすると、
アッシリヤはバビロンとの戦いにも敗れ、もはやユダを脅かすことも出来なくなってしまいました。
そのために、弱小国ユダはつかの間の自由と独立を享受することができたのです。

しかし、その平穏も長くは続きませんでした。たちまち南のエジプトがユダ王国と周辺の部族に触手を伸ばしてきたかと思うと、
北の覇者バビロンも隙をうかがうようになって来ました。そのような不安定な中でエレミヤは、祖国の救いを預言する代わりに、
神に告げられたように滅亡を預言し続けるのです。
当然、エレミヤは「非国民」「売国奴」のレッテルを貼られ、嫌われ、憎まれ、排斥されるようになってしまいます。
人々はエレミヤの預言を受け入れなかっただけではありません。「神は必ずユダ王国をお守りになるのだから、心配してはならない」という、
まったく反対の預言をする偽預言者たちまで現れて、人々の人気を集めだしたのです。
しかも、その偽預言者たちの言葉のとおりに、ユダ王国はいくつもの危機を乗り越えて、存続し続けたのです。

そのために、ユダの人々の罪を責め、王国の滅亡を告げるエレミヤの預言は、いく度も外れたと言われるようになり、
ついには偽預言者と断じられ、処刑されそうにさえなるのです。神の哀れみと忍耐がユダ王国の滅亡を遅らせていたために、
エレミヤは神に裏切られる形になってしまったのです。
人々は「本物の偽預言者」の安易な慰めと励ましによって、自分たちの背信の罪を軽く見過ごし、ますます堕落を加速させて行きました。
真の愛国者であったエレミヤは、自分こそ神の守りと助けを預言し、ユダの人々に「安心せよ」と語りたかったにもかかわらず、
彼らの罪を糾弾し、王国の滅亡を告げなければならなかったのです。

ユダ王国は南のエジプト、北の新興勢力のバビロン、そして東側で力を付け始めたメディヤに囲まれながら、たとえつかの間であったとしても、
偽預言者たちが預言したように平穏を楽しみながら、その実、坂道を転げ落ちるように滅亡に向かって進んで行ったのです。
神に背き、滅びに向かって転げながら、まったくそれに気づこうとしないユダ王国のために、エレミヤはしばしば涙を流しました。
彼が憂国の預言者、涙の預言者と呼ばれるのはそのためです。

紀元前605年になると、バビロンはエジプトを破り、パレスチナとその周辺をエジプトから奪って支配下に置くようになりました。
弱小国のユダはバビロンを恐れ、進んで貢物を納めて恭順のそぶりを見せるのですが、前601年にもう一度バビロンとエジプトの戦いがあって、
今度はエジプトが勝ってバビロンの王ネブカデネザルは負傷して一時帰国しました。
すると、ユダ王国の人々は王も民もエレミヤの度重なる警告に反して、エジプトに多大の期待を寄せるようになっていき、彼らは、
エジプトの支援を信じてバビロンへ貢物を送ることを止めてしまいました。

それから2年後の紀元前599年、傷が癒えたネブカデネザルは軍を整え、ユダ王国の北東に位置する諸国へ進撃し、
これらを征服して略奪をほしいままにし、貢物を取り立てて行きました。
年を越して前598年になると、ネブカデネザルはさらに西に向かい、ユダ王国を攻め立てました。
明らかに、貢物を送ることをやめてバビロンを裏切ったユダに報復するためでした。
このときも、ユダの人々はエジプトからの救援を期待していましたが、エジプトは最後まで腰を上げることがありませんでした。
このもっとも大きな危機に当たって、エレミヤが預言した通りになったのです。 バビロンに反旗を翻したユダの王エホヤキムは、ネブカデネザル王が
バビロンから出陣したとき不慮の死を遂げていますが、たぶん、側近に暗殺されたのではないかと思われます。
バビロンに反逆した王を殺して、ネブカデネザルの怒りを和らげようとしたのかもしれません。
しかし、ネブカデネザルの怒りはおさまらず、前597年のはじめついにエルサレムを攻略し、エホヤキムについで王となったエホヤキンを捕らえ、
捕虜としてバビロンに連れ去ってしまいました。

このときネブカデネザルはユダの王だけではなく、すべての有力者たち、すなわち身分の高い者、学者、技術者などを、根こそぎバビロンに連れ去りました。
その中には後に出てくる、ダニエルとその3人の友人やエゼキエルなども含まれていました。
列王記の記録によると総勢10,000人、エレミヤによると3,023人の人々が捕囚となっています。
また、1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは3,000人と言っています。列王記とエレミヤの記録の違いは、エレミヤが特に身分の高い者たちだけを数えたか、
無事にバビロンまで到着したものを数えたためだと考えられます。
どちらにしても、女子供を入れるともっともっと多くの者だったに違いありません。これが70年にわたるバビロン捕囚の始まりです。

ネブカデネザルはこのとき、ゼデキアを傀儡政権の王として、絶対の忠誠を約束させてユダに残して行きました。
ところがこのゼデキアを始め残された人々は、ユダ王国が完全な壊滅を免れ、まだ王国として存在できたことに胸をなでおろし、
バビロンはたいしたことないと間違った感覚を持ってしまいました。彼らはエレミヤの預言に耳を貸さず、エジプトに期待を寄せ続けたのです。
捕囚としてバビロンに連れ去られた人々の間にさえ偽預言者が起こり、エジプトが助けてくれるから希望を失うなと預言する始末でした。
怒ったネブカデネザルが、これらの預言者を処刑したほどです。

前589年になると、傀儡政権の王として任命されたユダ王ゼデキアは、ついに周囲のエドム、モアブ、アモン、ツロ、シドンなどの諸国諸部族と図って、
バビロンへの反乱を企てます。あるいはこのとき、エジプトからの支援の約束があったのかも知れません。
このときもエレミヤは、ゼデキアを始めユダの人々の激しい憎しみと迫害を受けながら、エジプトへのはかない期待を抱くな、と預言し続けました。

反乱の企てを聞いたネブカデネザルは、紀元前588年、ユダを攻め、町々を攻略し、再びエルサレムを包囲してしまいます。
ところがこのとき、ユダの人々が狂喜するニュースがもたらされます。ついにエジプトが救援に来るというのです。
ネブカデネザルは、エジプト軍を迎え撃つためにエルサレムをはじめとした町々の包囲網を、解かなければならなくなりました。
これを見たユダの人々はますます楽観的になり、エジプトへの期待を募らせ、とうとうエジプトに頼ることに反対し続けたエレミヤを捕らえ、投獄してしまったのです。

ところが、期待のエジプトはバビロン軍に撃退されて退却し、ネブカデネザルはまたもエルサレムを包囲し、兵糧攻め作戦をとりました。
エルサレムはよく耐え持ちこたえましたが、ついに、紀元前586年の7月、城壁が落ち、ここに抵抗は終焉を迎えます。
ゼデキア王はわずかの手勢と共に夜陰に逃れ出ますが、すぐに捕らえられてしまいます。
ネブカデネザルの怒りはすさまじく、ゼデキアは自分の子供たちが目の前で処刑されるのを見せられた上、両目をえぐり出され、
鎖につながれてバビロンに引き行かれ、そこで惨めに死んでしまいます。

このときのバビロン軍の攻撃はものすごく、エルサレムだけではなく、周辺の町々のほとんどはその後数世紀にわたって再建が不可能なほど破壊されてしまいました。
ユダの多くの人々は戦死し、他の者は餓死し、外国に逃れたものもいました。残された者の多くもバビロンに引いて行かれ、
わずかの貧しい者たちだけがユダの地に留まることとなりました。
このとき、エジプトに頼ることを止めるように預言し続けたために親バビロンと思われていたエレミヤは、バビロンの親衛隊長だったネブダルアダンによって、
バビロンに来て手厚いもてなしを受けるように勧められたのですが、エレミヤはそれを断り、自分を迫害し続けている人々と共にユダの地に残ることを選びました。
エレミヤは決して親バビロンだったのではなく、ただ、神の言葉を語り続けただけだったからです。

こうしてユダの国はバビロンの州のひとつとなり、バビロンの支配を受けることになるのですが、残された人々はまだエジプトに期待し続けます。
そのような時、近隣のアモン人が起した反乱に驚いたユダの人々は、こぞってエジプトに逃走したのです。
このとき、彼らは無理やりにエレミヤをエジプトに連れて行きました。
その途中でエレミヤは、バビロンがここまで攻めてくると、またもや預言をするのですが、その預言は紀元前568年に成就されています。

この預言の後のエレミヤの足跡をたどることはできません。おそらく、エジプトにおいて客死したのだと思われます。

エレミヤ書は、このような実情の中で書き記されたエレミヤの預言と、彼の働きを記したものです。
全般的に見ると、エレミヤは悲劇の預言者でした。意に反して、愛する祖国の繁栄ではなく滅亡を預言し続けなければなりませんでした。
しかもその預言は、短期間で見るとしばしばはずれて偽預言者のレッテルを貼られて、いわば神に裏切られたようなかたちで迫害され続けました。
そして最後には悲劇的な死を迎えるのです。しかもエレミヤは毅然とした鋼鉄の意志の人ではなく、涙の人だったのです。
******************************************************************************




親鳥について何とか岸に上がれた雛です。
コメント (2)
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聖書はいつ書かれたの?

2013-05-21 21:32:20 | 聖書
聖書っていつ頃書かれたものなのでしょうね。 教会の新参者、平信徒の私は実はな~んにも知らないのです。
そう、だから聖書の時代も場所も興味津々、面白くて仕方ありません。
ツールの無いわたしは例によってネットに頼るだけ、ネットで調べた範囲でわかったことを抜き書きしますね。

新約聖書の原本は1~2世紀だといわれています。

いろんな説があるらしいのですが福音書で最も早いのがマルコ福音書。
40年代末~70年までの間なのですが、それ以上確実な証拠は特になく、このあたり、としか言えないようです。

パウロの書簡のうち真作のものが50~60年。
これとマルコとどちらが早いかが神学的には重要らしいですが特に証拠はありません。
どちらが先でもおかしくないです。

他の福音書がマルコより後なのは確かで、大体70~90年あたりか?
その他の文書もいろいろな時期ですが遅くとも2世紀のうちには書かれていたようです。

ただしこの時期、新約聖書なる文書は存在しません
別々の人によって書かれた内容的にもばらばらの文書があり、また教会・地域によっては
これらの文書のうちいくつかは認めない、逆にこれら以外の文書を認める、といった状態が続き
徐々に整理され、結局27の文書をひとつのものとして、正典ということにしたのは4世紀ごろ、
アタナシウスあたりから、ということになります。
その後写本の段階でも修正されたりして、印刷の時代まで書かれ続ける、ともいえるのですが
とりあえず元の文書は1~2世紀ということです

黙示録は2世紀に入ってから書かれたようですが、これは新約聖書の中でも最も成立の怪しいもので、
ルターはこれを正典と認めたがらなかったそうです。


旧約聖書のうち、一応扱っている年代としては、

 約6000年前~紀元前1800年…モーゼ五書
 紀元前1200…ヨシュア記
 紀元前1200~1000…士師記、ルツ記、サムエル記上・下
 紀元前922~587…列王記上・下
 紀元前6~5世紀…ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記 です。

 ただ、どれも扱った時期にリアルタイムで書かれたわけではなく、ずっと後になってから書かれたものが多いです。
(根本主義的キリスト教神学を主張している人は否定するでしょうが…)。
モーセ五書は、口承文学としてはかなり昔からあったと考えられていますが、今の形に近くなってきたのは紀元前6世紀
くらいだろうと言われています。
『ダニエル書』なんかは紀元前6世紀頃書かれたといわれていましたが、紀元前2世紀頃の偽作であるということを
紀元3世紀の文献学者が明らかにしています

「無人島に一冊だけ本を持っていけるとしたら、何の本を持っていきますか」という質問に、多くの欧米人は
「聖書」と答えるそうです。
でも、これは明らかにルール違反。なぜかって?だって、聖書は1600年の間に40人もの著者が書いた
66巻の書物をひとつにまとめたものだからです。
この66巻の本が世紀頃に当時の教会によって一冊にまとめられたといわれていますが、
どうやって決められたのかはいまだにミステリーなのだそうです。 ・・・・・・・・・・・・・・(以上、ネットからの引用です。)


聖書にはどんなことが書かれているかをざっくり説明した文章がありましたのでご紹介しますね。

旧約聖書には神がこの天地を創造し、アダムとエバを創造したことから、エデンの園からの追放、ノアの箱舟、
イスラエル民族の祖であるアブラハムやその子イサク、またヤコブの生涯について、また、映画「十戒」で有名な、
預言者モーセの生涯やその後のイスラエル民族のあゆみ、イスラエルを建国した、サウル王やダビデ王、ソロモン王、
そして、エルサレムの滅亡と後に現れる救い主(イエス・キリスト)関する預言の書物が書かれています。

新約聖書は、イエス・キリストの誕生から十字架上での死と三日目の復活について、また、イエス・キリストが
天に昇られてからの弟子たちの働きと初代教会の働き。罪の赦しと永遠の生命の約束、
そして、世の終わりの裁きと新天新地について書かれています。


さて、本日のお勉強はここまでといたします。 続きはまたいつか・・・・・・・ 


<フクロウ>親鳥
昼間は、孵った雛全員を監視できる場所でじっとしています。


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「エレミヤ書」 預言者とは・・・

2013-05-09 23:23:28 | 聖書
イザヤ書を読み終わり、エレミヤ書を読むことになりました。
イザヤもエレミヤもこの時代の「預言者」です。
「預言者」とはどういう存在だったのでしょう。 いつものように「聖書事典」を読みました。
以下は「聖書事典」の「預言者」の項からの抜書きです。 分かりやすくてホッ! (^-^)


「預言者」とは・・・・・・聖書事典より

神の託宣を告げるという意味での預言者の存在は、はるか古い時代に始まる。
メソポタミアにおいては前3000年以前に既に見られる。
イスラエルにおいては王国初期(前1020くらい?)の時代からあり、人々の日常生活にかかわる神託を告げ、
それに対する報酬を受けていた。
最も一般的な預言者を表す言葉はナービーで、ナブーは「呼ぶ、語る」を意味する。
ナービーは「(神によって)呼ばれた者」「(神の)代弁者」を意味すると考えられる。

サムエル記上で「予言する状態になる」と訳されている語があるが、ナービーの動詞形で
「恍惚状態に陥る」ことを表した。
ナービーは初期の時代には、「恍惚状態に陥る者」を表したが、前8世紀くらいからは、神の言葉を伝える
いわゆる「預言者」の意味になっていった。
それはモーセがナービーと呼ばれ、彼が正統的な預言者の祖と理解されたからであろう。

古代イスラエルには多種多様な預言者がいたことが聖書の記事からわかる。
神の言葉を伝えるために、神によって直接召命を受け、神の霊を与えられた者を「正典的預言者」と呼ぶことができる。 
彼らはそれを職業としたのではなく、「無報酬」を特徴づけられる。
正典的預言者のほかには職業預言者、宮廷預言者、祭儀預言者などがいた。

イスラエルの民の信仰はヤハウェとの契約関係が土台となっている。
ゆえに、真の預言者と偽りの預言者との区別は、その預言者がヤハウェとの契約を常に信仰の前提としているかどうかにかかっている。

預言者たちは民が神から与えられた法を破るとき、その罪を告発して裁きの宣告をするのが主な職務であった。
自分たちは神の使者であるという自覚があったので、権力者であれ一般の民衆にたいしてであれ、「ヤハウェはこう言われる」と
神から与えられた言葉を堂々と述べ、激しく告発し、厳しい裁きの宣告をした。
そのために権力者や民衆から反発を受け、身の危険にさらされることもしばしばあった。
「裁き」の究極は国家の滅亡、すなわち北イスラエル王国の滅亡、南ユダ王国の滅亡で成就したと理解された。

預言者は罪の告発と裁きの宣告だけでなく、「立ち帰れ」と言って悔い改めの勧めもした。
イスラエルの民の根本であるヤハウェとの契約に帰ることによって、裁きではなく祝福が与えられるという救いを述べた。
預言者はまた「執り成し」の職務も持っていた。
民の代表者として神に罪の赦しを乞うのである。
モーセは民が偶像礼拝の罪を犯して、神の裁きによって滅ぼされる時に民の罪が赦されるなら、天にある命の書に
記されている自分の名を消し去った下さい、と言って執り成しをした。
この代贖(執り成して、自らの身で贖う?)の務めは「第2イザヤ」の「苦難の僕の歌」で頂点に達し、
イエス・キリストは十字架の贖いでこれを完成した。

イスラエルの預言者たちは、ヤハウェ宗教の純化と契約の遵守のために、もっとも大きな働きをした人々だったと言える。


「預言者エレミヤ」とは・・・・・・・

エレミヤは、ベニヤミン領アナトトにある地方聖所の祭司ヒルキヤの子。
前627年(ヨシヤ王の治世第13年)に預言者としての召命を神から受け、前587年(ゼデキヤ王の治世第11年)に
エルサレムが陥落するまで預言者として活動した。
その後、1,2年間、エジプトに逃れたエルサレムの残留民と行動を共にした。
その死については不明である。 エレミヤ書は彼の預言をまとめたものである。


では、では、明日から「エレミヤ書」読むことにいたします。



今日は新緑の森で<キビタキ(♂)>を撮りました。
綺麗な野鳥ですが、囀りの声も素晴らしいです。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
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聖書の愛 

2013-03-22 19:12:52 | 聖書
聖書には愛という言葉がたくさん出てきます。
聖書の「愛」とはどんなものなのでしょう、実は私はよくわからないのです。 
早速、私のただ一つの参考図書「新共同訳 聖書事典」の「愛」の項を読みました。


  注) 斜体文字は私、ゆうゆうのつぶやきです。
     普通の文字は「聖書事典」からの抜書きです。
     太字は参照されている聖句(聖書の言葉)です。(ゆうゆうが挿入しました。)




愛を表すギリシア語は4種類あるが、新約聖書に現れるのは2つで、神の愛、すなわち徹頭徹尾
相手に仕える愛としてのアガペーと一般的な愛を表すフィリアである。 
フィリアは厳密には友情を表すのに用いられるが、同時に肉親同士の愛や恋愛、美しいものを求める
情熱的な愛なども含む。


1)イエスの「愛」に関する言葉として有名なものは、
山上の説教の中の「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイによる福音書5:44)である。 

  「マタイによる福音書」5:44
  しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。


もう一つ重要なイエスの言葉として挙げられるのが「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイによる福音書 22:37と39)である。
ここでは神への愛と隣人への愛が同質のものであるべきと強調されていて、善いサマリア人のたとえ話が続いている。

  「マタイによる福音書」22:37~39
  イエスは言われた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
  これが最も重要な第一の掟である。 第二もこれと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい。」



2)ヨハネ文書
「ヨハネによる福音書」には愛について記されている個所が多いが、有名なのは「神はその独り子を
お与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネによる福音書 3:16)である。

  「ヨハネによる福音書」3:16
  神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
  独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。


同じ趣旨が「ヨハネの手紙 一」4:9以下に詳細に説明されている。
ここでは、神の愛、神への愛、人間相互の愛のそれぞれの関係が巧みに述べられている。

  「ヨハネの手紙 一」4:7 ~12
  愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、
  神を知っているからです。 愛することのない者は神を知りません。 神は愛だからです。 
  神は、独り子を世にお遣わしになりました。 その方によって、私たちが生きるようになるためです。 
  ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、
  私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。 ここに愛があります。 
  愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。 
  いまだかつて神を見た者はいません。 私たちが互いに愛し合うならば、神は、わたしたちの内に
  とどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。


御子を我々のために遣わされたところに神の愛の本質があること、まず神によって愛された私たちは、
その同じ愛をもって神を愛し、また他者を愛すべきことが命じられる。


3)神の愛と人間の愛
「ヨハネによる福音書」 21:15~17で、イエスは私たちに、神から与えられた愛をもって神と人を愛すべきと
教えられたが、現実には私たちはそれを実行することが不可能であることを示している。
ここでは、イエスがペトロに「私を愛するか」と問い「私があなたを愛していることはあなたがご存知です」と
ペトロが答える問答が三度繰り返されるが、イエスの求められる愛とペトロの言っている愛とが完全に食い違っている。
しかし、三度目にはイエスの方から近寄られ、ペトロの人間的な愛を求められた。 ←ここ、よくわかりませ~ん。 

  「ヨハネによる福音書」21:15~17
  食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。
  ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あながたご存じです」と言うと、イエスは、
  「わたしの子羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスはいわれた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
  ペトロが「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、
  「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
  ペトロはイエスが三度目も「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。
  そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」
  イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」



4)信仰としての愛
聖書で語られる愛の究極的なものは「コリント信徒への手紙 一」13章に見られる。
ここでは信仰、希望とのかかわりにおいて愛が語られている。

  「コリント信徒への手紙 一」13:2~7
  たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも愛がなければ、無に等しい。
  全財産を貧しい人人のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、
  愛が無ければ何の益もない。
  愛は忍耐強い、愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
  礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
  不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを偲び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。


愛は神から出たものであり、キリストの出来事において具体化され、そこにわれわれの生の根源がある。 
終末の時の完成を待ち望みつつ、キリストに従う時にのみ愛の業が可能となる、それが信仰である。
「それゆえ、信仰と希望と愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」
(コリント信徒への手紙 一 13:13)

  コリント信徒への手紙 一 13:13
  それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。



以上が「聖書事典」からの抜書きと、参照されている聖句(聖書の言葉)です。

 
山浦玄嗣著「イエスの言葉―ケセン語訳」に「愛」とは「大事にすることだ」と書いてありました。
神様は私たちに独り子イエスを賜るほどに大事にしてくださいました。
今も私たちを大事にしていてくださいます。
どうしようもなく孤独な時でも、神様が隣にいてくださるので心はいつも満たされます。
しかし、神様は同じ気持ちを持って私たちも神を、隣人を、そして敵をも大事にするように、求めていられます。 
よく考えると聖書の「愛」はとんでもなく難しいことではありませんか。
聖霊に導かれ、聖書を読み、祈りながらゆくことにいたしましょう。




<大寒桜(オオカンザクラ)>

今日のブログ、文章を打って、形を考えてまとめるのに三日くらいかかりました、疲れました~~
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「聖書とは何か」

2013-02-13 22:54:33 | 聖書
家の本棚に古ぼけた「聖書講解1 聖書序説」という本を見つけました。
オリジナルタイトルは The Layman’s Bible Commentary とありますから、素人向けの本のようです。 
Layman は、聖職者に対して平信徒、俗人という意味だそうです (^-^)

最初にK.J.フォーマンという人が 「聖書とは何か」について書いています。

****************************************
聖書は必ずしも理解しやすい書物ではない。
聖書のもっとも重要な真理は注解の助けをかりなくても理解できるが、そこにはいろいろ困難がある。 

聖書は古代に書かれた物で、全部が同時に書かれたものではない。
旧約のもっとも古い部分は紀元前12世紀ころ、最も新しい部分はキリスト誕生からさかのぼって200年を
超えない頃のものであり、1000年の長きにわたって旧約聖書は書かれた。
これに比べると、最も古い文書と最も新しい文書とがせいぜい100年間くらいしか離れていない新約聖書は
短期間に書かれたともいえる。
そして現在みられるような聖書全体の内容はざっと十八世紀間、存在して来たことになる。

長い年月を経てきた聖書であるが、現代の読者にとって二つの問題がある。

第一は「言語」と「思想」である。
旧約聖書のほとんど全部に用いられているヘブル語はマイナーな言語で、支配的民族や支配的国家の言語にはならなかった
これに反して、新約聖書の言語、ギリシア語は、キリストの時代には、ヨーロッパのもっとも文明の栄えていた地域、
ヨルダンからジブラルタルにかけての地中海世界全体の共通の言語であった。

多くの現代の読者に理解できるよう、古代語の聖書は翻訳されねばならない。
ある古代語を現代語に翻訳するのは困難なことで、大意はかなり明らかになるとしても、他の言語で言われていることを
まったくそのとおりに表現することは不可能である。
つまり本来の聖書は何語にも翻訳不可能であり、さらに最初のヘブル語やギリシア語の文書は失われていて、原本の
もっとも古い使用可能な写本から翻訳しなくてはならない。

「思想」に関して言えば、今の私達よりも2000年前かそれ以前に生まれた、民族も文明も違っているだれかが考えたことが
なぜそうなのかを理解することは難しい。
にもかかわらず、真実なのは、あらゆるものが変遷しても、人間性は根本的にはいつもほぼ同じである、ということである。
過ぎにし時代に生き、苦しみ、信じ、死んで行った人々にひきつけられて、心からの共感を味わうことを現代の読者は知っている。

第二は、聖書は東方的なものである、ということだ。
中国ふうでも、インドふうでも、ペルシアふうでもなく、私たちが知っている世界のどの地方よりも中東的である。
一例として、当時の人々は正確さを好んだり、正確な数字に注意を払うということがなかった。
また聖書の書かれた時代、聖書の記者たちは何処から誰の文書を引用しようが気にせず、好きな場所から得た材料を
勝手気ままに用いている。

またもう一つの東方的な性格として(アングロサクソンやドイツのように散文的な精神を持った民族とことなり)彼らは抽象的、
絵画的言語を好んだと言える。 想像こそは彼らの思考の根本的特質だった。
想像力に欠け、文字通りに考える現代の読者は、聖書記者たちがまったく自然に詩的で象徴的な多彩な言語の中に盛り込んだ
根本的精神を見失いがちである。

また聖書は東方の文学でもある。
これは勿論、聖書の全てがみんな文学的価値を持つ、とか文学的逸品であるということではない。
そして、たとえ聖書の多くの部分がどんなに洗練されているとしても、聖書記者は真実よりも優先して文章を推敲するようなことは無かった。
彼らにとって使信(メッセージ)を伝えるのが第一の仕事であって文体は取るにならない第二の事であった。
***************************************

ここまでが、58頁にわたる「聖書とは何か」の最初の10頁です。
理解力イマイチのlayman の私は、フォーマンさんの「聖書とは何か」を読むだけでも大変で「聖書序説」を読み通すことはできそうにありません。
それでも今読んでいる「ヘブライ人への手紙」の講解はちょっと読んでみたい気がしますね~。
こういう全書が参考図書として身近にあって気軽に手に取れたら便利でしょうね。 


「聖書講解全書」 全25巻 K.J.フォーマン他4名の共著、浅野順一他4名の監修委員 
(日本基督教団出版局 1966年初版)





今日は<マヒワ(♂)>を撮りました。
地面に落ちた好物の秋楡の実を盛んに食べていました。

美竹教会のホームページ  ここから教会の図書室が覗けます、どんな本があるのでしょうね。
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パウロさん

2013-02-06 11:54:49 | 聖書
「フィレモンへの手紙」を読みました。

新約聖書にはパウロの名によって書かれた手紙が13通、その中で疑問の余地のない
真正なパウロの手紙は7書簡です。
フィレモンへの手紙は真正なパウロの手紙とされています。

たった1章の短い手紙ですが、それだけに全文をパウロが書いたと(私には)思われ、
パウロの人となりが偲ばれるようで興味深く何度も読んでしまいました。

手紙の受取人はコロサイの住人で自分の家庭を家の教会として開放していたフィレモンです。

彼が所有していた奴隷のオネシモがパウロのもとでキリスト教に回心し、再びフィレモンの元に
帰ることになりました。
このオネシモを奴隷としてではなく、奴隷から解放して「愛する兄弟」として迎え入れるように、
という勧告の手紙です。

パウロはフィレモンに、このことをパウロの命令としてではなく、フィレモンが自発的に
自らの意志で受け入れてくれるようにやんわりと婉曲に、でも確信して勧めています。

8節~9節
あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ
愛に訴えてお願いします。

14節
あなたの承諾なしには何もしたくありません。
それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと
思うからです。

16節
オネシモはあなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、
愛する兄弟であるはずです。

20節
そうです。
兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。
キリストによって、わたしの心を元気づけてください。



パウロの人となりが偲ばれませんか? 私はこの手紙を読むとパウロをとても身近に感じます。




夕方の公園<オナガ>が水浴びをしていました。


東京は昨夜からの雪で銀世界の朝を迎えました。
美竹教会の十字架の上にも雪が積もっていることでしょう。
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使徒パウロ

2012-12-14 16:23:50 | 聖書
今、聖書は「コリント信徒への手紙 二」を読んでいますが、なかなか手強い。
こういう難しい手紙を書いた使徒パウロとはどんな人だったのでしょう、少し調べました。
と言っても、私の参考図書は「聖書」と「聖書事典」だけです。
長くなりますが、両方からの抜き書きを書いてみますね。

「聖書事典」から **********

パウロは当時のローマ属州キリキアの首都タルソスで紀元前後頃に生まれたユダヤ人です。
ユダヤ教の伝統を重んじる家庭に生まれ、生まれた時からローマ市民権を持っていました。
若くしてファリサイ派の一員となりユダヤ教の律法に熱心な生き方を自覚的にとり、
その結果キリスト教会を迫害し、これを撲滅する活動に従事していました。

そのパウロがダマスコ周辺でキリストの幻視(復活のキリストとの出会い)を体験、
キリスト教に回心しました。
パウロは回心と同時に自分は神により異邦人*1) に福音を伝える使徒とされたという
自覚を持ちました。 (召命体験)

その後約30年近くに3回の伝道旅行に出かけ、異邦人を中心とする多くの教会を設立しました。
第3伝道旅行に赴いた紀元後56年ころエルサレムで逮捕され、58年ころに裁判のため
ローマに連行され、おそらく60年ころ処刑されたと推定されます。

「聖書」から  *************

パウロの回心の場面 「使徒言行録」9章1節~18節からの抜き書きです。 

さて、サウロ(パウロのヘブライ名)はなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、
大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。
それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが
知らされる。」
同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。

サウロはこの後三日間目が見えず、食べも飲みもしなかった。

ダマスコにいたアナニアという主の弟子は、幻の中で、「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに
わたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。 行って、目の見えないサウロに手を置き元通り
目が見えるようにするように」と言われた。

アナニアがそのようにすると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元通り見えるようになった。
そこで、身を起こして洗礼(バプテスマ)を受け、食事をして元気を取り戻した。

**************


新約聖書にはパウロの名による手紙が13通ありますが、疑問の余地のない真正なパウロの手紙は
7書簡だけだそうです。

「コリントの信徒への手紙 二」は真正書簡なのですが、私には分からない部分が多くて難しい。
まあ、毎日1章ずつ、一生懸命読んでゆくことにいたします。


*1) 異邦人 ヤハウェと契約を結んだ民、イスラエル人は自ら選民であるという自覚を持ち、自分たち以外の
        民族、国民をすべて異邦人と呼んで、蔑視する傾向にあった。  「聖書事典」より 

  





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