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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

レビ人って? (2)

2014-01-10 20:28:21 | 聖書
レビ人について「聖書事典」ではどんな解説がされているのでしょう、読んでみました。
ちょっと難しい・・・・・
抜き書きも大変なのでスキャナーでコピーしてみました。



私のような素人にはもう少し分かりやすい辞典が必要なようですね。 (^^;)

ダビデの祈りで「歴代誌上」は終わりました。
いよいよソロモンの登場「歴代誌下」を読み始めます。 楽しみです。



<カワセミ(♀)>
冬枯れの公園で梢から梢に飛び回っていました。


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レビ人って?

2014-01-09 23:02:20 | 聖書
「歴代誌上」23節には “レビ人の任務” 
       24節には “祭司の組織” “その他のレビ人”
       25節には “詠唱者” 
       26節には “門衛” “他のレビ人の任務” の記事があります。
レビ人とはどのような人(部族)だったのでしょう、ネットで調べてみたところ Wikipedia に分かりやすい解説がありました。


レビ族(レビ族)はヤコブの子レビを祖とするイスラエルの部族(氏族)の一つであり、主を嗣業としていた。
レビはヤコブの12人の子供の1人であるが、祭司の一族として特別な役割を与えられ
継承する土地を持たなかったため、レビ族はイスラエルの十二支族には数えない。
聖書(民数記)においても、レビ族は「彼らはイスラエルの人々のうちに嗣業を与えられなかったため、
イスラエルの人々のうちに数えられなかった者である。」と書かれている。

レビ人の歴史
レビ族出身のモーセとアロンの指導の元で、イスラエル人は奴隷として扱われていたエジプトのゴシェンから脱出した。
出エジプトの荒野を移動する時は、レビ族は12の部族の中で最小の部族で、男子の人数が22,000人であり、
カナンに入る前の2回目の人口調査の際には22,3000人であった。

荒野でレビ人は、アロンの監督の元で幕屋の奉仕、契約の箱の運搬、聖所での奉仕に従事した。
会見の天幕の奉仕は、ゲルション諸氏族、ケハテ諸氏族、メラリ諸氏族の3つにわけてなされた。

レビ族において、アロンの家系は名門として特別に扱われた。
アロンの息子のエルアザルの家系から大祭司が世襲で輩出された。

モーセの後継者ヨシュアの時に、イスラエルの民はパレスチナ地方を占領するが、レビ人は相続地を持たず、
全国に居住の町を与えられて、住んだ。
そして、レビ人にはその奉仕の報酬として奉納物の十分の一が給付された。

古代イスラエル王国が誕生すると、神殿が建設されて、レビ人の神殿礼拝は政治と結びつくようになる。
その後、イスラエル王国が北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂してからも、レビ人はダビデ家に忠誠を尽くし、
北イスラエルに住んでいたレビ族は南ユダに移住し、それは南ユダの滅亡まで続いた。

バビロン捕囚以降は、レビ族の立場が確立されていった。
後に、ヘレニズムの時代はハスモン朝、ローマ帝国下にあってはヘロデ家の関係のもとに大祭司が任命されていった。
紀元70年のローマ軍によるエルサレム陥落によるユダヤ滅亡以降に大祭司は任命されていない。

暮れ、正月とあわただしく過ごして聖書を読む日課がおろそかになりました。
「歴代誌上」なかなか読み終わりません。 (T__T)




公園の<アオジ>はようやく居ついたようです。
一応、冬鳥で、春には山に帰ります。


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ダビデの人口調査(続)

2014-01-03 23:06:11 | 聖書
ダビデの行った人口調査が何故神の怒りを買い、ダビデは罰せられたのか。
ネットに比較的分かりやすい下のような解説がありました。 
引用させていただきます。 引用させていただいた記事の著者さん、ありがとうございます。

**********************************************************
ダビデはこれまで、神の導きと助けによって勝利の御業を成し遂げましたことを聖書は繰り返し語ります

「ダビデにはこれだけの事をさせよう」という神のご計画が先ずあって、それに基づいた役割のためにダビデは立てられ、
勝利が与えられた、というように考えることが出来ます。

しかしダビデは人口調査を強引に行って、神の怒りを買ってしまいます。
神が何故この事を悪と見なされたのか、その理由は聖書には明確には記されていません。
人口調査をすることは何故、罪となるのでしょうか

ダビデが行ったこの調査は何のためだったのでしょうか。
歴代第一21章5~6節に「剣を取りうる戦士はイスラエルに80万、ユダに50万であった」とありますが、
ここに「ダビデの人口調査」の目的が示されています。
つまりそれは「徴兵可能な兵士の数を知るため」だったのでしょう

(これは「軍隊は戦争をするためのものであり、戦争は人を殺すことだから、軍隊を持つことが罪である」というような話ではありません。
戦争や軍隊そのものを罪とする考え方は、少なくとも旧約聖書にはありません。
それを持つことが罪なのではなくて、その数を数えることが罪だったのかもしれません。)

「兵の数を数える」とは、自分の持っている戦力を把握することです。
この国は軍事的にどのくらい力があるかを調べることです。
それは戦争をするに当っては必要かつ基本的な事ですから、ダビデがしたことは、王としてある意味では当然のことです。
しかしイスラエルにおいてはその事が、神に対する罪となります。
それはイスラエルにおける戦いが「神の戦い」であり、勝利は神によって与えられるものであり、人間が
自分の力で獲得するものではないのです。
兵の数を数え戦力を数えることは、神様の力ではなく人間の、自分たちの持っている力に頼んで事を計画し、実行していこうとすることです。
神様の力に依り頼むのではなくて、自分の力、自分の兵力によって事を成そうとするところに、この人口調査の罪があるといえるでしょう

ダビデは、自分の元にある兵力を数えることによって、神の自分に対する恵みの大きさを確かめようとした、
つまり神の祝福を形で確認しようとしたのかもしれません。
自分に与えられている神の恵みを、兵力を数えることによって「目に見える仕方で」確認しようとした、
それがこの「ダビデの人口調査」だったのかもしれません。

神を信じる信仰とは本来、見ないでも信じることが出来るものです。
目に見えていることは「信じる」必要はないでしょう。
目に見えない神の恵み、祝福を信じるのが信仰の一つなのです。恵みが確かにあることの保証を、目に見える何かに求めようとする、
それが「ダビデの人口調査」の意味であれば、それは神に対する罪だったといえるでしょう。


別の考えとしては、ダビデが「主の恵み」として民の数を数えたのではなく、自分の功績と力とをそこに数え上げたのかもしれない、ということです

ダビデはたとえ一時的な事とはいえ、神の力よりも人の数の多さに頼ろうとしたのかも知れません。
あるいは、自分がいかに多い民の上に君臨し、自分がいかにすごいかを知りたくなって、自己満足を得たかったのかも知れません。
その思いを神は罰せられたのかも知れません。
************************************************************

勉強になりました。
これでこれからは「なぜダビデの人口調査」は神に悪とみなされたか」を思い悩むことは無いでしょう。 ホッ! (^-^)



公園の<翡翠(かわせみ)>


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「歴代誌」読み始めました。

2013-12-24 20:18:01 | 聖書
ズラズラと並んだ馴染みのない名前から始まる「歴代誌」を読み始めました。 
私の唯一の参考図書「聖書事典」を読んでもよくわからず、今回はネットの Wikipedia の解説を読んでみました。

「歴代誌」(英語:Books of Chronicles)は旧約聖書におさめられたユダヤの歴史書。
歴代誌という書名は聖書の日本語訳者によって様々に表記され、歴代誌、歴代史、歴代の書、歴代誌略などとも表記される。
2巻に分かれており、「上」にはダビデの死までが書かれ、「下」はバビロン捕囚までが書かれている。
「サムエル記」「列王記」と内容が重複している。
ユダヤ教では「預言書」でなく「諸書」の1つになっている。
キリスト教では歴史書として「列王記」と同列に扱われ、「列王記」のうしろにおさめられている。

「歴代誌」(ラテン語:Chronica)という題名はヒエロニムスが初めて使用したものである。
ギリシア語聖書では「パレレイポメナ」(省略されたもの)というタイトルがついていて
「列王記」などの歴史書の補足という意味合いをもたされている。
この書物の原作者は、伝統的にエズラであると伝えられている。
文体や記述法が似通っているため、批評学的「エズラ記」「ネヘミヤ記」と同じ著者グループによって
書かれたものではないかと考えられている。

内容としては「サムエル記」「列王記」をもとにしながらも、独自の資料も用いてイスラエルの歴史を再構成している。
特徴としては神殿についての記述や職制の人名リストが多いこと、北イスラエル王国の歴史を完全に無視していることなどがあげられる。
                           (以上、Wikipedia からの抜き書きです。)


↓ Wikipedia に「歴代誌上・下」の内容が載っていました。少々長いリストですが、わかりやすく参考になります。
  なによりも、ウンザリするような系図も先が判ればと読む勇気が出てくるというものです。 


イスラエルの諸部族の系図(上1章~9章)

o 1章 アダムからアブラハムにいたる系図、エドムの王
o 2章 ヤコブの子らの子孫
o 3章 ダビデの子孫
o 4章 ユダの子孫
o 5章 ルベンとガド、マナセとレビの子孫
o 6章 レビの一族と居住地
o 7章 イサカル、ベニヤミン、ナフタリ、マナセ、エフライム、アシェルの子孫
o 8章 ベニヤミンの子孫
o 9章 バビロン捕囚後のエルサレムに住んだ人々
• ダビデの治世(上10章~29章)
o 10章 サウルの死
o 11章 ダビデ王の即位
o 12章 ダビデの家臣たち
o 13章 ダビデと神の箱
o 14章 ダビデ王の勢力
o 15章 神の箱の移動
o 16章 神の箱の前での儀式
o 17章 ナタンの予言とダビデの祈り
o 18章 ダビデの戦果
o 19章・20章 アンモン人、アラム人とのたたかい
o 21章 ダビデの人口調査
o 22章 神殿造営
o 23章 レビ人のつとめ
o 24章 祭司の組織
o 25章 詠唱者のリスト
o 26章 門衛のリスト
o 27章 軍隊の組織、財産の管理者
o 28章 ダビデの神殿建築
o 29章 ダビデの祈りとソロモン王の即位

ソロモン王の治世(下1章~9章)

o 1章 ソロモンの知恵
o 2章~7章 神殿の建築
o 8章 ソロモンの事業
o 9章 シェバの女王とソロモンの富

王国の分裂(下10章)

捕囚にいたる南ユダ王国の歴史(下11章~36章)

o 11章 ユダの王レハブアム
o 12章 エジプト王の攻撃
o 13章 ユダの王アビヤ
o 14章~16章 ユダの王アサ
o 17章 ユダの王ヨシャファト
o 18章 預言者ミカヤとアハブ王
o 19章~20章 ヨシャファトの事跡
o 21章 ユダの王ヨラム
o 22章~23章 ユダの王アハズヤと母アタルヤ、祭司ヨヤダ
o 24章 ユダの王ヨアシュ
o 25章 ユダの王アマツヤ
o 26章 ユダの王ウジヤ
o 27章 ユダの王ヨタム
o 28章 ユダの王アハズ
o 29章 ユダの王ヒゼキヤ
o 30章 過越祭
o 31章 ヒゼキヤ王の改革
o 32章 センナケリブの攻撃
o 33章 ユダの王マナセ
o 34章~35章 ユダの王ヨシヤ
o 36章 ユダの王ヨアハズ、ヨヤキム、ヨヤキン、ゼデキヤとバビロン捕囚

イザ! 「歴代誌上・下」! 頑張るぞ~!



イイギリの赤い実に<ヒヨドリ>です。


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イスラエル王国の終焉

2013-12-11 22:38:45 | 聖書
「列王記下」17章 「イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落」 まで読みました。

17章3節~6節
アッシリアの王シャルマナサルが攻め上って来たとき、ホシェアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。
しかし、アッシリアの王はホシェアが謀反を企てて、エジプトの王ソに使節を派遣し、
アッシリアの王に年ごとの貢ぎ物を納めなくなったのを知るに至り、彼を捕らえて牢につないだ。
アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。
彼はサマリアに攻め上って来て、三年間でこれを包囲し、ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。
彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れてゆき、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた。


・・・・・・・・・・・・・・・

アッシリアに対する莫大な朝貢に苦しめられたホシェアはひそかにエジプトと接触し、アッシリアへの朝貢を中止した。
アッシリアの王シャルマナサル五世は直ちに北イスラエルに軍隊を送り、ホシェアを捕縛しイスラエルの領土全体を占領した。
サマリアは非常に堅固な町で、包囲されたまま三年間持ちこたえたが、シャルマナサル五世を継いだサルゴン二世によって陥落させられた。(前721年)

このようにして約200年続いた北イスラエル王国は終焉を迎えた。

アッシリアの政策は、支配した国の民を国外に追放し、その代わりに外国の民を移すというものであった。
これは一種の国際結婚政策で、そうすることによって民族的なアイデンティティを喪失させ、独立運動の気力をなくさせることであった。

列王記の著者(申命記的歴史家)は、北イスラエルが滅ぼされたのは、イスラエルの民がヤハウェに忠実でなく常に偶像礼拝と
外国の風習に従って歩んだからである、という総括を記している。(17章7節~18節)

・・・・・・・・・・・・以上、樋口進著「よくわかる旧約聖書の歴史」より

旧約聖書は解説書を併読しないと理解できませんね。
私の場合は解説書をよんでも中々頭に入らず、覚えず、苦労は人一倍。
でも、それだから、旧約聖書は何度読んでも飽きることがありません、って、負け惜しみです。 (^^;)



マガモの雌雄です。
綺麗な羽の方が(♂)で、首が青いので別名<アオクビ>と呼ばれます。


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列王記の王たち(続)

2013-12-05 18:46:05 | 聖書
「列王記下」12章 ユダの王ヨアシュ

ヨアシュは王位についたとき、七歳であった。
イエフの治世第七年にヨアシュは王となり、四十年間エルサレムで王位にあった。
ヨアシュは、祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことをおこなった。

ヨアシュは神殿の修理に関して改革を行いました。

その頃、アラムの王ハザエルが上って来て、ガトを攻略し、更にエルサレムに向かって攻め上って来た。」
ヨアシュは、先祖のユダの王ヨシャファト、ヨラム、アハズヤが聖別したすべての聖なる物、
自分自身が聖別した物、および王の神殿の宝物庫と王宮にあるすべての金を取り出し、アラムの王ハサエルに送ったので、
ハザエルはエルサレムを離れて行った。
ヨアシュが死んだあと、この子アマツヤがヨアシュに代わって王となった。


このヨアシュという王の前に王としてユダを治めたアタルヤは女性で、アハズヤという王の母親でした。
ヨアシュはアタルヤに殺されそうになったのですが、アハズヤの姉妹(という事はヨアシュにとっても姉妹なのでしょうか?)
にかくまわれて、アタルヤが王位にあった六年間、神殿に隠れていたそうです。

イスラエルにもユダにもヨアシュやアハズヤがいて王位についています。
当然別の人物だと思うのですが、ややこしいですね。
11月22日の記事「王と預言者」をご参照ください。



12月に入って何かとせわしなくなりました。
夜、眠る前に聖書を読もうとするとウトウトしてきます、イカンイカン。
落ち着いて聖書を読む時間が無くなりました。
集中力を取り戻して、なんとか、このややこしい列王記を読み終わりたいものです。 (^^;)




公園のヒマラヤスギのてっぺんにオオタカが止まっていました。
凛々しく美しい雄の成鳥です。


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列王記の王たち(続)

2013-11-30 22:07:23 | 聖書
「列王記下」8章16節~

ユダの王ヨラム
イスラエルの王アハブの子ヨラムの治世第五年にーーヨシャファトがユダの王であったがーー
ユダの王ヨシャファトの子ヨラムが王となった。
彼は三十二歳で王となり、八年間エルサレムで王位にあった。
彼は主の目に悪とされることを行った。しかし、主はその僕ダビデのゆえに、ユダを滅ぼそうとはされなかった。
主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである。

ユダの王アハズヤ
イスラエルの王、アハブの子ヨラムの治世第十二年に、ユダの王ヨラムの子アハズヤが王となった。
アハズヤは二十二歳で王となり一年間エルサレムで王位にあった。
彼もアハブの家と同じように主の目に悪とされることを行った。


この辺りは読んでいても中々呑み込めません。
「王と預言者」の表を見たり、「よくわかる旧約聖書の歴史」を読んでも混乱します。
お手上げで~す。 (^^;)

9章から、イエフ王朝の記事が始まります。 気を取り直して読み続けましょう。



今シーズン初めてツグミを見ました。 (^-^)


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第一主日で聖餐式も執り行われます。  どうぞ扉を押して教会の中にお入りください。
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エリシャの奇跡

2013-11-28 14:06:29 | 聖書
「列王記下」4章 エリシャの奇跡
預言者エリシャが起こした四つの奇跡物語が記述されています。

〇夫を亡くした妻を助ける話
主を畏れ敬う夫が亡くなると債権者が来て子供二人を奴隷に売ろうとします。
貧しい彼女の家には油の壺が一つあるだけでした。
エリシャは近所の人々皆から器を借りて来させ、借りてきた器がすべていっぱいになるほど
壺から油を注ぎだしました。
油を売って負債を払い、残りで妻と子供の生活が成り立つようにしました。

〇いつもエリシャに食事を勧めるなど親切な婦人は、彼のために家の階上に部屋を作ってくれました。
エリシャは感謝のしるしとして、不妊の彼女に子供ができるようにし、翌年彼女は男の子を生みました。
ところが大きくなったその子はある日「頭が、頭が」と言って死んでしまいます。
ひどく苦しんだ婦人はエリシャを訪ね子供が死んだことを告げました。
エリシャは婦人の家に行き、子どもと二人きりになり子供の上に伏して、自分の口を子供の口に、目を子供の目に、
手を子供の手に重ねてかがみこむと子供の体は暖かくなって起き上がりました。
婦人はエリシャの足元に身をかがめ、地にひれ伏しました。

〇ギルガルの血が飢饉に見舞われた時のこと、預言者の仲間たちが彼の前に座っていました。
エリシャは従者に煮物を作って預言者にふるまうよう命じました。
野生の瓜をたくさん採ってきた従者は、それが何であるかを知らずに、刻んで人々に食べさせようとしました。
その瓜には死の毒があったのですが、エリシャが麦粉を鍋に入れると有害な者は亡くなりました。

〇一人の男がエリシャに大麦パン二十個と一袋の新しい穀物を持ってきました。
エリシャはそこにいる百人の人々に与えて食べさせるように命じました。
どうしてそんなに大勢に分け与えることができるでしょう、と答える男にエリシャは
「主は言われる。『彼らは食べきれずに残す。』」と言いました。
召使いがそれを配ったところ、主の言葉のとおり彼らは食べきれずに残しました。


新約聖書の福音書に出てくるイエス様の奇跡物語にも同じような話がありますね~ (^-^)



今年も川に<キセキレイ>が戻ってきました。


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「王と預言者」

2013-11-22 20:40:40 | 聖書
列王記の王たちを列挙するつもりでしたが、以前読んだ本に「王と預言者」の表がありましたので
とりあえず、その表を載せます。
列王記上は16章の「イスラエルの王アハブ」まで王に関する記述がありますが、17章からは
預言者エリヤの話などが入り、王に関する記述は最終章22章「ユダの王ヨシャファト」で再開しています。

  

↑の表は樋口進著「よくわかる旧約聖書の歴史」に載っています。
前回、旧約聖書を読んだときに併読した本なのですが、記憶がイマイチ。 (T__T)
齢を取るにつれて読んだ本も忘れるようで、これからはそんなにたくさんの本は要りませんね。
最後は聖書だけでОKになったりして・・・・・・それも寂しいことです。




モミジが赤くなり始めました。
猛暑の記憶消え去らぬ身に、もはや冬の気配とは。
忙しいことです。


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神様はいつもあなたと共にいて、あなたを見守っていてくださいます。
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列王記の王たち

2013-11-21 23:35:34 | 聖書
ヤロブアム
シロの預言者アヒヤの言葉↓ によって、分裂後のイスラエルの王となりました。
「イスラエルの神、主はこういわれる。『わたしはソロモンの手から王国を裂いて取り上げ、銃の部族をあなたに与える。
ただ一部族だけは、わが僕ダビデのゆえに、またわたしが全部族の中から選んだ都エルサレムのゆえにソロモンのものとする。(中略)
わたしは彼の息子の手から王権を取り上げ、それを十部族と共にあなたに与える。
彼の息子には一部族を与え、わたしの名を置くためにわたしが選んだ都エルサレムで、わが僕ダビデのともし火がわたしの前に
絶えず燃え続けるようにする。
だが、わたしはあなたを選ぶ。自分の望みどおりに支配し、イスラエルの王となれ』・・・・」

ヤロブアムはべテルとダンに祭壇を設け、金の子牛を祀った
ヤロブアムが王であった期間は二十二年
その子のナダブが代わって王となった

ユダの王レハブアム
ユダではソロモンの子レハブアムが王位についた。
四十一歳で王となり、十七年間エルサレムで王位にあった。
エルサレムは、主が御名を置くためにイスラエルのすべての部族の中から選ばれた都であった。
その子アビヤムがレハブアムに代わって王となった。

ユダの王アビヤム
ヤロブアム王の治世第十八年にレハブアムの子、アビヤムがユダの王となった。
三年間王位にあった
彼もまた、父ラハブアムが犯したすべての罪をお菓子、その心も父祖ダビデの心のようには自分の神、主と一つではなかった。
その子アサがアビヤムに代わって王となった

ユダの王アサ
イスラエルの王ヤロブアムの治世第二十年に、ユダの王としてアサが王位につき、四十一年間、王位にあった。
アサは父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼をその地から追放し、先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた。
その子ヨシャファトがアサに代わって王となった。

イスラエルの王ナダブ
ユダの王アサの治世第二年に、ヤロブアムの子アダブがイスラエルの王となり、二年間イスラエルを収めた。
彼は死の目に悪とされることを行って、父と同じ道を歩んだ。
イサカルの家のアヒヤの子バシャは、彼に謀反を起こした。
バシャがナダブを殺し、代わって王となったのは、ユダの王アサの治世第三年のことであった。

イスラエルの王バシャ
彼は主の目に悪とされることを行って、ヤロブアムの道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返した。

イスラエルの王エラ
ユダの王アサの治世第二十六年に、バシャの子エラがティルツァでイスラエルの王となり、二年間王位にあった。
その家臣で戦車隊半分の長であったジムリが謀反を起こした。

イスラエルの王ジムリ
ユダの王アサの治世第二十七年にジムリはエラに代わって王となった。
かれが王位にあったのはわずか七日間だった
ジムリが謀反を起こして王を倒したとの知らせを聞いたすべてのイスラエルは、陣営において軍の司令官オムリをイスラエルの王とした。

イスラエルの王オムリ
ユダの王アサの治世第三十一年にオムリがイスラエルの王となり、十二年間王位にあった。
オムリは主の目に悪とされることを行った。
彼はヤロブアムのすべての道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返して、空しい偶像によって主の怒りを招いた。
その子アハブがオムリに代って王となった。

イスラエルの王アハブ
オムリの子アハブがイスラエルの王となったのは、ユダの王アサの治世第三十八年であった。
アハブは彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った。
彼はヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕えこれにひれ伏した。
アハブはまたアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った。


列王記を読んで、ソロモン以降、バビロン捕囚までの王をまとめてみようと思いました。
今日はイスラエルの王ジムリまでを聖書の記述に従って抜き出してみました。
私もそれなりに忙しい毎日を過ごしていて、一気には読み進めません。
少しずつ抜き書きして、最後にまとめられたら、と思っていますが、サテ、無事に最後までゆけるでしょうか。 (^^;)




黄葉の映り込んだ池を泳ぐ<カイツブリ>


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