その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

最後に食べたいもの^^;

2022-10-21 07:56:01 | 転職

『なべ焼きうどん生活』もこれで最後?

「これが我が家での最後の晩餐である。」…今まで、何度か聞いたこのセリフ。それでも幼馴染みの晩酌会は延々と続いて来た^^; 今回の場合は、「さすがに、うどんに飽きた。」という理由もあるけれど、友人『ノロ社長』がこの週末、稽古会に参加することと、仕事の都合(遠征)で、しばらく恒例の晩酌会も中止ということなのだけれど…まぁ、2、3日すれば、また再開呼び出しがあるに違いない。
はて、『最後の晩餐』…レオナルド・ダ・ビンチの絵画で有名な、キリストの受難前夜の12人の弟子たちとの晩餐。生きている限りは食事を取り、必ず死が訪れる以上は、誰にでも『最後の晩餐(最後の食事)』の時が来るはずである。不幸にして「事故死」に遭遇でもしない限り、普通は「病院死」が一般的となっているから、『病院食』が『最後の晩餐』となってしまうのかしら?などと、また、おバカなことを考えている『おやじぃ』であります。嚥下障害を起こして「胃瘻(いろう)」を造設したり、IVH(中心静脈栄養)で栄養分を摂取する医療も普及してはいるけれど、『最後の晩餐(食事)』は、お口から取り込んだものとしたいし、ならば、「何が食べたいか?」と尋ねられたら、途端に答えに窮してしまうのでありますよ。祖母の場合は「バナナ」であり、親父の場合は「桃とあんびん(大福)」を所望し、お袋の場合は、意識がない中で「みかんゼリー」が最後だったような気もするが…。1968年日本初の心臓移植手術を受けた18歳の男子高校生が、「今、食べたい物は?」と記者のインタビューを受けて「なべ焼きうどん」と応えた場面が、今でも何故か記憶に残っている…生涯で一番美味しいと感じたもの(決して高価なものとは限らない。)を所望すると思うのだけれど、今、聞かれたら、決して「なべ焼きうどん」と応えないことだけは確かである。人生初の入院の際に、食抜きによる空腹でうかつにも近所の『○✕屋』のラーメンが夢に出て来たこともあったけれど、よくよく考えて置かないと「あの人は〇✕が大好きだったのよ。」と残った者に決めつけられてしまうから注意しないとな(笑)


オニノゲシの花言葉には「毒舌」が…

さて、『おやじぃ』の『最後の晩餐』の機会は、当面訪れないであろうと確証のない自信をのぞかせながらも、ドリフターズの『仲本工事さん』が、不幸にして交通事故死されたことに驚いております。(ご冥福をお祈りいたします。)そうそう、こんな世の中だから、自分だけは、事故に遭遇することはないということなどあり得ないのだから、常に身ぎれいにしておかないとなぁ…。
イギリスでは、就任早々のトラス英首相が辞意表明ですと…何の『成果』も上げないままに、庶民からすれば、お耳に優しいはずの『大型減税策』がポンド安を招いて、政策をほぼ撤回。なるほど、自身の目玉政策のはずが、市場の混乱と支持率が急落して辞めざるを得なかったのだろうけれど、党首選では『財政堅持派』と『減税派』の論戦で勝ち上がって(党員の支持)きたはずなのにねぇ…。それでは、日本の場合はどうなんだ?『所得倍増計画』が『資産所得倍増計画』にいつの間にか衣替えし、『全国旅行支援』でダメージを受けた観光業にテコ入れし、物価高には『賃金を上げてください。』とお願いする。『お願い』であって、「政策」ではないから『失敗・失策』の恐れはないに違いない。そうそう、「日本は労働生産性が悪いから、賃金が上がらないのだ。」と経営者に責任を押し付けておけば良いのだよ。何かなぁ…アクセクと働いて来たというのに『中小企業の労働生産性の悪さが、全体の足を引っ張っている。』と言われているようで、少々頭に来ているんですけれど…。円安で高い材料費で仕入れ、適正価格で売りたいところを買いたたかれて納品し、製品輸出をするところだけが儲かる仕組みで良いのかねぇ?庶民の『最後の晩餐』は、不味くても食事(仕事)にありつけるだけ幸せでしょうというところなんでしょうかねぇ?


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