おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

特別展観 遊び

2013-08-24 23:22:24 | 見たもの
 京都国立博物館で開催されている「特別展観 遊び」を見てまいりました。新聞とかテレビとかの大メディアに頼らない京博オリジナルの展覧会、京博の収蔵品だけで構成された展覧会です。

 「遊び」をキーワードに9つのテーマに分けて、古代の須恵器や銅鏡から始まり、屏風や絵巻物、焼き物、人形、お道具、おもちゃ…さまざまなものが展示してありました。

 各テーマと簡単な説明を書き出します。

 第1章 神々から人へ
 神々のために歌い踊ることを「神遊び」といいます。競馬、蹴鞠、相撲なども神前に捧げる祭礼でした。これらの遊びはやがて人々の楽しみのために催されるようになります。

 第2章 酒宴のたのしみ
 酒席には趣向がこらされます。酒は人の心を解放し、詩人に霊感を与え、人々の親交を深めますが、ほどほどに嗜むのが理想です。

 第3章 年中行事
 日本には四季折々の行事があります。正月、雛祭り、端午の節句、七夕、重陽。特別な飾りや道具を用いて行われる、年に一度の祭礼に、人々は祈りを込めつつ、また非日常の楽しみを見いだしました。

 第4章 遊山
 遊ぶということばには、日常を離れて広い屋外を気楽に歩きまわる、という意味もあります。花見や紅葉狩り、月見に船遊び。気の合う仲間と野外で宴会を楽しみ、あるいはひとりで季節の移ろいに心を震わせます。

 第5章 遊興 ―芸能と大衆―
 歌も踊りも芝居も演者がプロになり、大衆へ向けて上演されるようになります。町には芝居小屋や宴会場が設けられ、芸事を身につけた美しい女性たちが客をもてなす遊里も発達します。

 第6章 清遊 ―文人のたしなみ―
 君子は「琴棋書画」を嗜みます。すなわち音楽、囲碁将棋、詩文、絵画という四つの芸道を極めながら決して生活の糧にはしないのが、東洋の知識人が理想とする暮らしでした。心を通わす友人と知性を磨きあう、清らかで豊かな遊びの世界です。

 第7章 動物のたわむれ
 動物も遊びます。そして、人も動物と遊んだり、動物で遊んだりしてきました。馬に乗って球を打つポロ、闘鶏や闘犬、鳥の鳴き声比べなどは動物がいなければできません。子犬と子供などは互いに格好の遊び相手といえるでしょう。

 第8章 室内の競技
 平安貴族は室内遊びの天才です。中国から伝わった囲碁、和歌の教養を基礎にした歌合わせ、香合わせに貝合わせなど、団体戦もあれば個人戦もあり、多くは賭け事を伴いました。時代を経て発達したお座敷遊びを集めます。

 第9章 子供の遊び、雑技、曲芸
 遊びころげる子供の姿は、なごやかで幸せな暮らしの象徴です。子供の健やかな成長を願って作られる人形やおもちゃのほか、人々を笑わせる雑技や曲芸など、にぎやかで楽しい雰囲気の作品を展覧会の最後に並べます。

 京博の学芸員さん、毎回思いますが、よーこれだけいろいろなものを集め、っていうか収蔵品から探し出して、うまいこと系統立てて並べ、見せ方も工夫して、ひとつの展覧会にまとめはりますよね。心から敬服します。京博って半端じゃない収蔵品を持ったはりますね。

 そして、京博へ行く時の私の密かな楽しみでもある、作品のキャプション、今回も裏切られることなく、なかなかユニークな文章が並んでおりました。(今回は図録を買ったので全文記します)

 能面の「邯鄲男」では「時の権力者である秀吉や家康が能を愛好したことから、諸大名たちもこぞってそれにならった。遊びが出世にひびくという点では、現代のゴルフにもたとえられようか。数多い能面のなかで、邯鄲男は中将とならぶ美男の面。眉間に寄るシワが醸し出す愁いは、現代の渋い俳優にも通ずる普遍的な表情といえよう。」

 円山応挙の「唐子遊図襖」では「唐子(中国風の髪型や服装の子)の遊ぶ景を「琴棋書画図」に見立てている。子供を中国風に描くのは、たとえば今日の子供服のコマーシャルに、欧米の子供たちを登場させるのに似て憧れの装いだ。(後略)」

 京博の学芸員さんの名誉のために、もちろん、ちゃんと真面目な解説もありましたので。今回に限らず、京博の展示のキャプションはいつもわかりやすいと思います。見に来る人にとても親切な博物館です。

 
 
 お庭の噴水の前にあった「顔出し看板」です。

 
 玄関ホールにあった豊臣棄丸(秀吉と淀殿の子)の玩具船の模型です。実際に動かしていいものですが、子供が動かしたら可愛らしいけれど、おばちゃんが動かすってねぇ~と思い、止まっているのを撮ってきました。
コメント (2)
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