おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

公明党vs創価学会

2007-07-31 23:35:46 | 読んだもの

 島田裕巳さんの「公明党vs創価学会」を読みました。実は、1ヶ月ぐらい前に読んでいたんですが、ブログにアップしようと思ったら、参議院選挙前で特定の政党や候補者について書く(褒めても、貶しても)と公職選挙法に抵触するおそれがあると書いてあったので、ストップしていました。そんなことを全然気にしなくてもいい「零細ブログ」なんですが(1日に千も二千もアクセスのあるような人気ブログではありませんから)、一応『法令順守』ということで

 公明党についても創価学会についても、しょっちゅう見聞きしますが、実際に知っていることと言えば、選挙になると突然“知人(あるいは友人)”なる人から電話がかかってくることぐらいでしょうか。それと「そうはイカンザキ」のCMも知っていましたね。まっ、その程度の認識です。

 著者の島田さんは宗教学者で、「創価学会」という著作もあります。今回のこの本は、それの続きということになります。(「創価学会」読んでいませんが)創価学会系の出版社から出ているような「池田大作礼賛」の本でもなく、かと言って週刊誌的なスキャンダルを追いかけた本でもありませんでした。中立の立場で事実のみを淡々と書いていらっしゃいます。なので、ちょっとしんどい部分がありましたが(だって、やっぱり「覗き見的」なスキャンダラスな本のほうが読んでいて面白いですから)、まあ、何も知らない人間が読むにはよかったかなと思いました。

 いろいろ“トリビア”がありました。「公明党と共産党は支持層が重なる部分が多く、聖教新聞と赤旗でかなり派手な中傷合戦をしていた」とか、「日中国交正常化では、実は舞台裏で公明党の竹入氏が動いていて、田中角栄氏とツーカーの仲だった」とか、「公明党に二世議員はいない」とか、「ヘーっ」がいくつもありました。


 私なんかは、この本を読むまで、完璧に「公明党=創価学会」で一心同体だと思っていましたが、今では異心異体だそうです。だから、タイトルににも『vs』が入っています。元をたどれば、公明党は創価学会の「文化部」として作られたそうですが、その後、政教分離の問題やいろいろ紆余曲折があって(そのあたりのことについて興味がある方は本を読んでください)、今では、公明党議員でも学会員ではない人もいるそうです。ただ、選挙のときは全面的に協力する事だけは残っているので、あのような強力なパワーになるようです。本当に、学会員の人たち、熱心ですよね。

 この中で、現在の連立政権について書かれてある部分がまるまる1章分あって、いかに上手く機能しているかを述べていらっしゃるんですが、実は、公明党の政策は、自民よりも民主に近いそうです。実際は民主と組むほうがしっくりいくんだけれど、そっちに飲み込まれる恐れがあるので、たぶん現在の自公の枠組みは崩れないだろうというのが島田さんの見解です。でも、「政治の世界は一寸先は闇」なので、今回の選挙の結果を受けて、このまま強固な協力関係が続くのか、あるいは…? 選挙をまたいで読むっていうのも、なかなか、また違った面が浮かび上がってきて、面白かったです。

公明党vs.創価学会 (朝日新書 53)

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土用餅

2007-07-30 22:49:18 | 食べたもの

 今日は「土用の丑の日」です。フツーなら、「鰻」の話題になるところですが、身体の半分がお菓子でできているワタクシ(←ウソ、でも当たらずとも遠からずですが)としましては、やはり「土用餅」を取り上げます。

 盛夏の土用の入りの日(今年は7月20日)を土用太郎といい、この日にお餅を搗いて食べると暑気当たりを免れると言われているそうです。

 この「土用餅」ですが、わが家では毎年当然のように食べており、「鰻」と同じく日本全国共通の土用の食べ物だと思っておりましたが、違うんですね。この前新聞を見たら、「関西や北陸地方(特に京都・金沢)を中心に夏の土用の入りの日にあんころ餅を食べる風習がある」と載っていて、「えーっ」と驚いてしまいました。さらに、その記事には続きがあって、「節分の巻寿司の丸かじり」のように、土用餅の風習を全国に広げようと和菓子屋さんや関西以外のデパートの食品売り場は今年から「土用餅の販売」に本腰を入れ始めたということらしいです。

 その中に載っていたんですが、東京の日本橋高島屋では、金沢の「和菓子村上」の土用餅を販売しています。カップの中にあんこと求肥が重なって入っています。写真を見ましたが、めっちゃ美味しそうで、求肥好きのワタクシは、早速、梅田大丸の村上さんへ行ったんですが、そこでは販売していませんでした。日本橋高島屋の限定だったみたいです。仕方ないので、村上さんでは「抹茶あんみつ」を買って帰りました。抹茶ゼリーと寒天と白玉がバランス良くはいっていて、それはそれで美味しくて、満足しました

 土用餅のほうは、先週は「仙太郎」、今週は「たねや」のをいただきました。いわゆるあんころ餅ですが、一応『旬のもの』って感じで、どちらのお店でもよく売れていました。あんこがあっさりとしています。ホロホロとほどけていくような食感です。あんこにも、夏・冬の区別って、やっぱりあるんでしょうね。“夏バージョン”って感じでした。暑くても、いくつでも食べられるような…。まあ、私の場合、そういう季節は全く関係なく、甘いものさえ食べていればゴキゲンなんですが


追記:若尾文子さん、残念でした。「柄の悪い国会議員のおっちゃんに、サインや握手を求められてもみくちゃにされている若尾文子さん」の図が、私の中には出来上がっていたんですが。
 

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選挙特番

2007-07-29 22:35:43 | その他いろいろ

 参議院選挙が終わりました。テレビは各局とも「選挙特番」をやっています。投票へは行かなくても、特番は見るって言う人多いですよね。私も以前はそっちでしたが、何年か前から「それはいけない、投票は国民の義務だ」と思うようになり、ここ何回かはきちんと投票に行ってます。が、投票したいと思わせてくれる候補者がいないとき、困ります。「選挙権は行使したいのにできない状況」に対処するシステムができたらいいなといつも思います。

 今回の選挙ですが、何か盛り上がりに欠けていたように私は思いました。2年前の郵政選挙(もう2年も前なんですね。私はてっきり去年だと勘違いしていましたが)は、もっと面白くて、ワクワクして見たような気がします。よく言われているように「郵政民営化に○か×か」という白黒つけさせる構図がわかりやすく、みんなも「さあ、どっちになるんだろう?」という期待というか、レースの結果を見るようなドキドキ感があったからなんでしょうね。今回は「年金問題が焦点」と言われましたが、年金問題については答えは○しかなくて、「丁か半か」的なお楽しみもなく、さらに投票前から「自民大敗、民主大躍進」のシナリオができあがっていて、今はそのシナリオ通りに動いていて、「何だかねぇ~」って気分です。

 それと、参議院って、タレントや著名人が立候補しているわりに、地味な感じです。失礼ながら、あんなので議員になっていいの?と思う人もいらっしゃって、「参議院不要論」がよく言われますが、ああいう候補者を見ていると、確かに要らないのかなあと思ってしまいます。

 と、こんなことを言いながら、今のワタクシの興味は「若尾文子さんは果たして当選するんだろうか?」なんですが。4月に舞台を拝見いたしましたが、お美しくて品があって“オーラ”ありましたからね。一応、選挙運動もされていたみたいですが、彼女の場合は、周りから握手攻めにあうそうです。ひょっとしたら、ひょっとするかも…と楽しみ(不謹慎ですが)にしています。でも、本当に当選されたら国会議事堂へいらっしゃるんでしょうか? 国会のセンセーたちに握手やサインを求められて、大騒ぎになりそうですね。それはそれでワクワクしますが。

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嘘つきアーニャの真っ赤な真実

2007-07-28 23:30:13 | 読んだもの

 米原万里さんのノンフィクションです。「角川文庫のスヌーピーのブックカバーが欲しい」という不純、消極的な理由で買った本でしたが、久々のヒットでした。

 米原さんは、昨年56歳と言う若さでお亡くなりになりましたが、ロシア語通訳の第一人者であり、名エッセイストとしても有名な方でした。「彼女のエッセイは面白い」という評判はずっと聞いていましたが、なぜかこれまで読んだことがなく、今回“角川の100冊”に米原さんの本が入っていたので、よしッ、読むぞ!と思って買ったら、エッセイではなくノンフィクションでした。この本で「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞されています。確かに、賞を取るだけのことはある内容でした。

 米原さんはお父様の仕事の関係で1960年から64年まで在プラハ・ソビエト学校に在籍していました。その当時の同級生、ギリシア人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤスミンカの3人との小学校時代のエピソードと、30年後の激動の東ヨーロッパでその3人の消息を求めて探し当て、再会を果たすまでを描いています。

 在プラハ・ソビエト学校には50カ国以上の子供たちが集まっていました。そういった国や育ちが全く違う同級生との数々のエピソードは、日本国内、しかも大阪だけしか住んだことがない私には「!」とか「?」とかの連続でした。しかも、彼、彼女たちは両親の出自、故郷まで背負っています。ソビエト学校というだけあって、各国の共産党関係の仕事をしている人がほとんどですが、『共産党』といってもイデオロギーはさまざまで、米原さんがいた頃には、共産主義をめぐってはソ連と中国の対立が表面化し、米原さん自身もその影響を少なからず受けたと、この本に書いていらっしゃいます。

 米原さんは64年に帰国し、日本の学校に行き、高校受験・大学受験に追われる中、68年の「プラハの春」が起こりますが、高校生である彼女はとても気にしながらも、何も出来ず、そのまま時が経って、彼女は通訳として活躍することになります。1980年代後半以降、東欧諸国の共産主義の没落やベルリンの壁の崩壊、ソ連邦の崩壊を通訳の現場で経験した米原さんは、旧友の消息を探しに東欧へ出かけます。そこからが、またスリルとサスペンスあふれる展開になります。テレビのドキュメンタリーを見ているような気分です。米原さんの筆の力ですね。「会えるのか、会えないのか」と、読んでいる私もハラハラ・ドキドキ、どんどん前へ読み進むことができました。で、結局会えるんですが、それからがまたドラマがあります。3人の親友たちが、「プラハの春」や共産主義の没落・崩壊の中でどのように生き抜いてきたのか、これがまた本当にすごいんです。平和な日本では考えられない、想像を絶する内容でした。

 日々、新聞やテレビで、世界各地の紛争、戦争、貧困等々は報道されていますが、「これこれこういうことがあった」という事実だけで、その場限りで「フーン」と思うだけでした。この本で、実際、個人個人はどう生き抜いていくのか、どう向き合っているのかが、手に取るようにわかりました。いわゆる東側諸国の現代史についても、ざっとおさらいが出来る本でもあります。

 でも、真面目一辺倒の本ではありません。「当代きっての名エッセイスト」の形容詞がつくだけあって、そこかしこで、ユーモアあふれる表現や、おちゃらけな表現に出くわします。だから、内容はちょっと重いんですが、楽しく読めます。私も、読んでから「あー、この本って、結構深刻な内容が書いてあったんやね」と思ったくらいですから。 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

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ヒモのはなし/熱海殺人事件-売春捜査官-

2007-07-27 23:48:53 | 観たもの

 ワッハ上方で北区つかこうへい劇団のお芝居を見ました。「ヒモのはなし」「熱海殺人事件-売春捜査官-」の2本立てでした。なぜ、2本立てなのか、なぞです。「ヒモのはなし」は一人芝居なんですが、一人芝居ってよほど力量がないと、たった一人で観客を引き付け続けることは難しく、昨日の俳優さんにはかなり荷が重すぎたような気がしました。まあ、ご自分でも「『熱海』の前座ですから」という台詞をちょっと自嘲気味におっしゃっていましたが、たぶん、見ている人はほとんど「そのとおり!」と思っていたでしょうね。私も「『熱海』だけで、よかったんとちゃうん?」と思いながら見ておりました。

 つかこうへいさんの「熱海」の初演は、(たぶん)1970年で文学座のアトリエでまず演っています。その後、つかこうへい事務所ができて、そちらで演られるようになったと思います。残念ながら、そのころのお芝居はリアルタイムで見ていません。田舎の高校だったので、小劇場っぽいものとは無縁でして、こういうのを見だしたのは、大学入学後でした。初めて見たのが、京都のそとばこまちの「熱海殺人事件」でした。辰巳琢郎さんがまだ「つみつくろう」で出演されていました。それまで、文学座の、いわゆる“端正な”お芝居しか見たことがなかったので、早口でまくし立てる、がなりたてるお芝居に非常に衝撃を受けました。さらに、見たのが、阪急ファイブのオレンジルームだったんですが、椅子席ではなく桟敷席っていうのも初めてで、二重にびっくりしました

 つかこうへいさん演出の「熱海」って、今回が初めてかと思っていましたが、昔のチケットを見たら、「つかこうへい演出、塩見三省主演」の「熱海」のチケットがあったので、見たことがあったみたいです。つかさん演出のお芝居で覚えているのは、岸田今日子さん主演の「今日子」だけです。岸田今日子さんが網タイツ姿で踊ってらして、強烈なインパクトがありました。私は、このお芝居「良かったな」と思っていたんですが、岸田今日子さんが上手すぎて、つかさんの“お好み”ではなく、二度とこの組み合わせは実現しなかったそうです。つかさんは、下手っぴぃな若い女優さんをしごきたいみたいです。

 で、今回の黒谷友香さんです。昨年も、ニッキ主演の「蒲田行進曲」で見ました。最近のつかさんのお気に入りなんでしょうね。モデル出身だけあって、スタイルのいい、きれいな女優さんです。私自身が、つかさんの“早口でまくし立てる、がなりたてる”お芝居に慣れていない、そういう形を受け入れ難いと思っているせいもあるんでしょうが、主役としてはどうなん?と思いました。もともと「木村伝兵衛」という男優が演る役を女優が演るっていうのも、私のほうにどうしても違和感が残ります。何も考えずに、その舞台だけを見ればいいんでしょうけど。それと、昨日が大阪の楽日だったからか、声がちょっと嗄れ気味で、早口もちょっとしんどそうな感じがしました。あれだけ膨大な台詞を、ずっとテンション高いまま言うって、疲れるだろうなとは、思いますが。

 私は↑のように思ったんですが、同行者は大絶賛でした。スタンディングオベーションまでして、この受け止め方の違いは何なんでしょうか よー、わかりませんでした。

 お芝居の内容はかなり過激でした。放送禁止用語、差別用語、触れてはいけない分野…等々、すごかったです。あれは、つかさんでないと書けないでしょうね。「そんなことまで、台詞にしてしまっていいの?」とハラハラしながら見ておりました。パンフレットは台本付きでしたが、この台本ってつかさんがもう一度上演することがあるんだろうかと、ちょっと思ってしまいました。

 お客さんは、けっこう年配の方が来てました。つか世代の方たちなんでしょうか。でも、いまいち「入り」がよくなかったです。せっかくの「つか演出の『熱海』」なのに、ちょっと勿体ないよなと思いました。

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読んだら、もらえる

2007-07-25 22:51:30 | その他いろいろ

 一昨日の続きです。文庫を出版している各社が、夏になると打ち出す「100冊」フェアなんですが、何年か前から景品をつけるようになりました。みんながみんな同じような「100冊」フェアなので、差別化を図るため?なんでしょうか。

 大体、2冊買うと(1冊でもOKというところもありますが)“もれなく”もらえるようで、景品はブックカバーとか、しおりとか「本関係」のグッズが多いように思います。これまでは、あまり「欲しい!」と思うものがなく、無視していましたが、昨年、角川文庫の「スヌーピーのブックカバー」を見たときは、ちょっと心が動き、あっという間に2冊買って、応募していました。

 実は、中学・高校時代、私は“スヌーピー大好き”人間で、とにかく何でもかんでもスヌーピーがついているものを買っていました。高校時代の友人に「スヌーピーを見ると、貴女の顔を思い出すのよねぇ」と言われるくらいです。結局、30歳近くまではコレクションが続けておりましたが、さすがに「30過ぎてねぇ…」と思うようになり、そのままフェードアウトしました。で、昨年、スヌーピーのブックカバーをいただき、久しぶりにスヌーピーグッズをGetしました

 今年も角川文庫はスヌーピーのブックカバーです。早速、本屋さんに行き、角川文庫を2冊お買い上げです。新潮文庫も、アロハ模様のYonda?君(新潮文庫のキャラクターのパンダ)のブックカバーで、これもまた非常にキュートだったので、こちらも新潮文庫を2冊お買い上げです。出版社の攻略にまんまとはまってしまうワタクシです。でも、こういう人、多いんです、と、言い訳…。昨年のスヌーピーのブッカカバーは超人気で、届くまで3ヶ月ぐらいかかったくらいですから。

 しかしながら、2冊ってすぐに買えそうで、なかなか買えません。新潮なら、角川なら、何でもいいのではなく、「ナントカの100冊」の中から選ばないといけません。100冊って、毎年、微妙に入れ替えているみたいですが、去年と今年ならほぼ同じラインアップです。自分が読みたい本って、ほとんど読んでしまっているので、その残りから「読みたい本」を探さないといけません。これって、結構、難儀します。新潮から1冊、角川から1冊で2冊にカウントしてくれたらいいんですけ、そういうわけにもいかないし…。

 で、今年の2冊は、新潮文庫はドストエフスキーの「罪と罰 上・下」、角川文庫は米原万理さんの「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」、筒井康隆さんの「時をかける少女」になりました。角川のほうは、もう読めましたが、問題は「罪と罰」です。果たして、読み終えることができるんでしょうか? まあ、読み終わらなくてもブックカバーは応募できるので、いいと言えばいいんですが。とりあえず、

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河童忌

2007-07-24 22:59:02 | その他いろいろ

 近畿地方は梅雨明けだそうです。今年初めて、夏らしい“お日ぃーさんが、カァーと照りつける”お天気になりました。

今日は、芥川龍之介が亡くなった「河童忌」です。先日、ご子息の芥川比呂志さんのエッセイを読んで「河童忌」のことが触れられてあって、24日はぜひ“ネタ”にさせていただこうと手ぐすね引いて待っておりました。と言っても「芥川が亡くなった日です」ということ以外、このワタクシに何が書けるんでしょうか

 比呂志さんのエッセイによると、昭和19年までは田端の天然自笑軒で「河童忌」の集まりをされていたようです。天然自笑軒は会席料理のお店で、空襲で焼けてしまったそうです。現在、どなたかがやってらっしゃるかどうかは不明です。太宰の「桜桃忌」は毎年結構盛大にやってらして、ニュースで見ますが。

 「河童忌」にしても「桜桃忌」にしても、新聞のコラムのネタではよく見ます。何年かに一度はどこかの新聞のコラムでお目にかかります。コラムを担当する記者の年代の人(たぶん、年配の人?)には、「芥川」も「太宰」も馴染みがあって書きやすいんでしょうね。あと、芥川は遺書に『ただぼんやりとした不安』と書いていて、このフレーズもよく使われます。私も、この言葉好きです。「遺書の言葉が好き」というのも、何だか不謹慎なんですが、「このニュアンス、上手いよね」といつも思っています。

 芥川は、大学3年のときに「近代文学」の授業で1年間読みました。担当の先生が、授業毎に、違う作品を取り上げられたので、まあまあの数を読んだように思います。あらゆるパターンの作品を読みました。いろいろな作品があって、読む本、読む本が新鮮で、全然飽きることなく1年間読むことが出来ました。(一応)大学の授業だったので、研究文献などもいっしょに読んでいたので、他の作家に比べるとわりあい深く読んでいると思います。いわゆる近代文学の作家の人たちって、本当によくお勉強されていると思います。日本の古典、英文学や仏文学(もちろん原語で)、哲学、宗教…、こういうお勉強、研究が作品の糧となって、奥行きのある彩り豊かな小説になるんでしょうね。それに、今読んでも、全然古さを感じさせないし。

 最近の小説で、50年後、100年後に色褪せないで読める小説って、どれくらいあるんでしょうか。こういうことを考えると、よく言われるように、やっぱり文学の質って落ちてきているんでしょうか

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新潮文庫の100冊

2007-07-23 23:12:44 | その他いろいろ

 子どもたちは夏休みですね。昨日、サザエさんちのカツオ君も朝寝をしていました。大人にはウラヤマシイ限りです。

 で、「夏休み」といえば読書感想文です。私は、本を読むのは昔から好きで苦にはなりませんでしたが、この宿題は大嫌いでした。まず、課題図書が全然面白くない、読むのが苦痛なのに、感想文は原稿用紙○枚以上書かないといけないという“拷問”のような宿題でした。最後の最後まで出来なかった記憶があります。これって、絶対“本嫌い”の子供を増やすだけだと思うんですが。

 高校に入るとさすがに読書感想文の宿題はなくなり、夏休みには好きな本を好きなだけ読めるようになりました。「新潮文庫の100冊」は、ちょうどその同じ時期に始まりました。私の中では「文庫本=新潮文庫」なので(残念ながら岩波文庫ではない…)、本屋さんで冊子をもらってきて、自分はどれだけ読んでいるかチェックしたのを覚えています。大学受験をはさんで、大学卒業ぐらいまでは、毎年夏休みになると、「100冊」をチェックして、その中で自分が読んだ本がどれだけあるか数えていました。一番読んでいたときで、たぶん半分近くは読了していたと思います。←あくまで「思う」です。多少ミエを張っているかも?

 社会人になって夏休みもなくなり、夏だから読書をするという習慣も何となくフェードアウトしましたが、この「新潮文庫の100冊」だけは気になり、この時期になると「今年の100冊には何が入っているのかなあ」と本屋さんで冊子をもらってきます。やっぱり、30年経つとずいぶんと変わります。同じ作家でも違う本が入ったりしています。まあ、違う本にしないと、出版社的には売り上げにならないわけですが。

 この「100冊」シリーズですが(と、勝手にシリーズと命名)、こういうことをすると売れるのか、各出版社が夏になると「ナントカ100冊」と銘打ってフェアをやっています。ただ、当たり前のことながら、各出版社は自分のところで発行している本の中から100冊をセレクトしないといけないので、その点後発の出版社は苦しいような気がします。新潮でも「えーっ、こんなのを100冊に入れていいの?」と思う本がありますが、それでも、半分以上は古今東西の名作で、それなりに「100冊」の価値があると思いますが、他のところだと「えーーーーーっ、こんなの読むべき本なん?」と思うのもあります。まあ、どんな本であれ、活字を読む機会が増えるのはいいことだということで…。

 ところで、この記事を書くために、今日、本屋さんへ行ったら、何と!、あの岩波文庫まで「私の好きな岩波文庫100」っていうのをやっているではありませんか!? 「岩波よ、お前もかっ」と思いましたが、これは夏休みだからではなく『岩波文庫創刊80年』で今年5月からやっているようです。ちょっと安心しました。岩波には、世間の流れに与することなく、“孤高の精神”でがんばってほしいので。それにしても「岩波文庫の100冊」ですが、さすがに格調高い本ばかりです。福澤諭吉、新渡戸稲造、プラトン、デカルト、アダム・スミス、マルクス………ですからね。んんん…、ちょっと頭がクラッとしてきました

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かもがわカフェ

2007-07-22 23:07:35 | 食べたもの

 河原町荒神口にあるカフェです。以前は、SARASA鴨川という名前でしたが、最近名前が変わりました。「カフェSARASA」って、京都ではまあまあ有名なカフェ(たぶん…、カフェ特集なんかで取り上げられているので)があって、今のようなブームになる前に町家をカフェにした三条富小路の「カフェSARASA」とか、お風呂屋さんを改造した「カフェSARASA西陣」とかがあります。

 岡崎で昼食を食べていた私たちが、なぜ、河原町荒神口まで行ってお茶をしたのか?ちょっと理由があります。お目当てのブティックのオーナーが、このカフェSARASAのオーナーなんです。ブティック(と言うより、「服屋さん」って呼ぶほうがしっくりきます)自体は小さいお店で、奥様がデザイナーで取り仕切っていらっしゃるんですが、実は、ご主人がやり手で、カフェを5軒ばかり経営し、ネットショップも成功させているという、実業家でもあります。外見からは、まったくそうは見えない方なんですが。本当に、人は見かけによりません。最初、聞いたときは、ビックリしました

 その服屋さんとは、まあいろいろな経緯があって、お店とお客さんというより、ほとんど「お知り合い、お友達」状態になっていて、行くと、お茶を入れてもらって奥様のほうと四方山話をして帰るんですが、昨日はご主人のほうがいらして「せっかく、大阪から来てくださったから、コーヒーをご馳走するわ」って言って「かもがわカフェ」まで連れて行ってくださいました

 かもがわカフェは、天井が高く、大きな窓があって明るく、繁華街から離れているせいか非常にのんびりとした雰囲気のカフェです。以前、奥様のほうから、このかもがわカフェは、お料理担当の女の子が非常に研究熱心で、日替わりランチは、ローテーションではなく、文字通り「日替わり」で美味しいと聞いていたので、ランチには2度ばかり行ったことがあります。結構手が込んでいて、中国茶までつくわりにお値段が安くて、確かに「お得感」がありました。

 コーヒーは初めていただきました。コーヒー担当の男の子が非常に凝り性で、コーヒー豆も自家焙煎しているそうで(これも奥様のほうからの情報です)、1杯ずつ点ててくれていました。種類が何種類かあって、私は浅煎りが好みなので、それにしてもらいました。コーヒーカップではなく、カフェオレ用のボールでたっぷり出てきます。温度にまで気を配っているそうで(こちらはご主人情報)、飲みやすい適温になっていました。浅煎りは思ったよりはしっかりした感じでしたが、もちろんブラックで美味しかったです。友人は中煎りでしたが、濃くも苦くもなく、こちらもブラックでOKと言ってました。

 ただ、残念ながら、このロケーションはどうしても「わざわざ感」があるので、そう頻繁には無理っぽいです。もうちょっと中心部(四条や三条)から近かったら、行く回数も増えると思うんですが。買い物に行ってもなかなかお茶するところがなくて、いつも「お茶難民」になってしまっているので…。
 

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岡崎美先

2007-07-21 22:08:17 | 食べたもの

 今週もまた京都です。友人がいつもお洋服を買うブティックが銀閣寺のそばにあり、年に2回くらい買出しに行くんですが、そのお買い物につきあって行ってきました。

 で、お買い物の前の腹ごしらえです。岡崎の動物園の北側の京料理のお店です。「花背・美山荘の中東久人さんプロデュース」というのが売りになっています。建物は、故・勝新太郎さんのお家だったと聞きました。ホームページでは結構立派なお庭のように見えましたが、実際は案外狭かったです。中の造りは、一般席はイス席で、ちょっと照明落し気味で、お給仕をしてくれる人もお着物ではなく黒のスーツ姿で、イマ風の和食のお店って感じでした。離れのほうは、たぶん、純和風のような感じですが、そこで食事をしようと思うと15000円のコースをいただかないといけないので、当然、私たちは一般席でした。

 私たちは4500円の「夏の特別なお献立」のコースをいただきました。
〈一献〉胡麻豆腐
〈八寸〉鱧寿司/厚焼き玉子/じゅん菜/生姜/とうもろこしの寄せ揚げ
    もろきゅう/小芋/海老/鮎の甘露煮
〈向付〉鱧/湯葉/うに/鱸の昆布じめ
〈 鍋 〉鱧/新玉/豆腐/水菜
〈焼物〉鮎/丸十レモン煮
〈食事〉鱧雑炊/香の物
〈水菓子〉スイカのゼリー寄せ、ブラマンジュソースかけ

 席につくと、熊笹のお茶と冷たいおしぼりが
出てきました。ナプキンは日本手ぬぐいで、それはそのままお持ち帰りできました。「梔子色」がテーマカラーのようで、日本手ぬぐいやパンフレットもその色でした。

 メニューは「鱧づくし」ということでしたが、この前、高島屋で鱧はいただいたので、今度は「鮎」を食べたいねって言ってたら、焼き物で鮎の塩焼きが出てきて、なかなか満足でした。鮎は小ぶりでしたが、焼加減がちょうどよく香ばしくて、頭からばりばりと食べることができました。鮎って、骨を外すのが難しくて、食べた後がとても汚らしくなるので、そういう意味では“小ぶり”のほうが食べやすくて、よかったです。それ以外は「イマドキのこじゃれた和食」のレベルでしょうか。まあまあお味もいいし、盛り付けにも凝っていましたが、中東さんプロデュースというならもうちょっとレベルが高くてもいいんじゃない?と思いました。

 それに比べると、この前高島屋地下でいただいた「中村楼」さんのお料理は本当に美味しかったと、今日改めて思いました。これまでは、それなりのお値段の和食ってどれもこれも同じでしょうと思っていましたが、同じ和食でも、味に違いがあるんだなあ…ということがわかりました。中村楼のお料理には“力”を感じました。記憶に残るお味です。品数は少なかったですが、老舗のプライド、料理人の心意気がありました。器も、デパ地下だからって手を抜くわけでもなく、お料理に負けない、でもお料理よりは前に出ない器でした。

 ↑こんなことを、今日のお料理の途中から思っていたら、友人も同じことを思っていて、帰りに四条の高島屋におやつを買いに寄ったんですが、思わず「きょうの味どころ」のコーナーに行って、スケジュール表を貰ってきました。中村楼さんは、次回は9月5日~11日に出店されるようで、友人とすっかり行く気になって、めっちゃ楽しみしています。

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