おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

一子相伝なかむら (再訪) その2

2007-10-30 22:32:06 | 食べたもの
 続いて鱧の湯葉汁です。お椀の蓋を開けると、白いお汁だったので、一瞬、なかむらの看板料理である白味噌のお雑煮かと思いましたが、そうではなく、湯葉のお汁でした。生姜の風味が効いた優しいお味でした。

 さらに、なかむらの看板料理のぐじ焼き(上の写真)+お湯で、お汁物が続きます。そのため、ますますお腹がいっぱいになり、ご飯は松茸御飯だったのに、1杯食べるのがやっとでした。せっかく、ちゃんと松茸の香りと味がする御飯だったのに…。普段、私が食べているのは「自称・松茸御飯」なので、ぜひ正真正銘の松茸御飯をもっといただきたかったんですが。お給仕の方が「お代わり、どうぞ」とおっしゃってくださるんですけどね。悔しかったです。

 デザートは柿とぶどうで、これは案外普通のよくあるものでした。なかむらさんなら、もうひとひねり欲しかったところです。

 今回もお食事の所要時間は1時間弱でした。前のお料理を食べ終わる前から次のお料理を用意されていて、非常にあせります。ここが「玉に瑕」ですね。百貨店の地下だから仕方ないといえば仕方ないでしょうけど。

 まあ、でもそういうのを差し引いても「また行きたい」と思うお店です。

 「日本料理は繊細だ」ということはよく言われますが、こちらのお料理をいただいて、本当にそのとおりだなぁと実感しました。甘いとか辛いとか、そういう単純なものではなく、もっと微妙で複雑で“繊細”なものです。素材そのままでも十分美味しいと思いますが、何か手を加えることによって、そしてその手の加え方が変に凝ったものではなく、“直球勝負”って感じで、その素材を10倍も20倍も美味しくしていらっしゃるように感じました。

 友人とは「次、また行こうね」と言い合っております。ローテーションからいくと、春の初めくらいになりそうなので、今度は何をいただけるのか、今から非常に楽しみです
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一子相伝なかむら (再訪)

2007-10-29 23:18:51 | 食べたもの

 高島屋京都店の地下一階「きょうの味どころ」に、「一子相伝なかむら」さんが出店されているのを聞きつけ、先週土曜のランチに行ってまいりました。6月に一度行きましたが、あの味が忘れられず、再訪です。

 先週の土曜は、午前中、京阪電車で四条まで行ってランチをしてから、午後は阪急電車で西宮北口まで行って観劇という、我ながら「よーやるわ」というハードスケジュールでした。生来食い意地が張っているので、食べることになると不思議とフットワークが軽くなるワタクシでございます

 しかし、それだけの価値があるお料理です。メニューは以下の通りです。
 「紅葉の頃」
 一、舟型向付
   水菜、鯛焼霜、鱧落とし、菊花、酢橘加減、山葵
 一、染付け角四方向付  赤絵猪口 菊豆皿
   鯖寿司、秋刀魚の鞍馬煮、子持ち鮎鞍馬煮、栗渋皮煮、紅葉麩
   いくら、菊花、酢橘ジュレ(赤絵)
   蒟蒻、大根、胡瓜、椎茸、胡麻酢和え、黒皮茸(菊豆皿)
   寄せ卵、焼目貝柱(串)
 一、御椀
   鱧葛叩き、粟麩揚げ煮、椎茸、鶴菜、土生姜、湯葉汁
 一、桜楽蓋物
   ぐじ焼き、お湯
 一、茶碗
   松茸御飯、切り漬け、奈良漬、塩昆布
 一、はるな口金
   ぶどう、柿コンポート、ワインゼリー、ミント
 
 11時の予約で、11時少し前に行きましたが、既にお客さんが並んでいらっしゃって、11時の開店と同時に10席あるお席は全て埋まりました。今回は何とか飲み物を頼むことができました(前回はタイミングを逸したので)。お料理はどれもこれも美味で、ビールが進みます。お造りは醤油ではなく、お出汁(酢橘+お出汁?)でいただきます。そのお出汁が飲み干したいくらい美味しかったんですが、ちょっとお行儀が悪いので断念しました。同行者も同じ感想でした。

 八寸は↑上の写真です。見た感じ、あまり量がないように思えるんですが、これだけでかなりお腹がいっぱいになります。どれもこれも手が込んでいて、見た目美しく、お味もよく、一口食べるたびに「おおっ!」って感じでした。

 私、鯖寿司が好きなんですが(鯖のきずしが好きなので)、よく脂ののった肉厚の鯖と酢飯が絶妙のコラボレーションで、メッチャ美味しかったです。一切れといわず、もう何切れか欲しかったです。

 栗の渋皮煮もおそらくワインかブランデーか洋酒系で煮てあるんでしょうね。ジューシーなマロングラッセを食べているような感じでした。

-続く-

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円生と志ん生

2007-10-27 23:14:37 | 観たもの

 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターでこまつ座の「円生と志ん生」を見てきました。井上ひさしさん作で、何年か前に演って、評判が良く、今回は再演だそうです。

 井上ひさしさんの作品は、一昨年の「天保12年のシェークスピア」、6月の「薮原検校」と3本目です。前の2本もそうでしたが、今回も舞台の端にピアノが置いてあって、朴勝哲さんがずっと演奏されていました。

 タイトルのとおり、落語の大名人、三遊亭円生と古今亭志ん生のお二人が主役のお話です。お二人は太平洋戦争の末期に慰問で満州を訪れ、大連で終戦を迎えたんですが、日本への帰国はなかなか叶わず、二年後にようやく帰ってこられたそうです。その2年間をお芝居にしてあります。円生をこまつ座の辻萬長さん、志ん生を文学座の角野卓造さんが演じられました。

 このタイトルと出演者だけを見てチケットの予約をしました(←こういうこと、私にはよくあります)。で、内容を全然知らないまま見に行ったので、前半は全然お話を理解できず、良い席(前から4番目)にもかかわらず、“睡魔”との戦いでした。意識が朦朧としつつも、台詞は聞いていて「あー、面白いお芝居なのに、寝ていたらもったいないわ~」と思っていたことは覚えていますが、お芝居は途切れ途切れにしか覚えていません

 出演者は主役のお二人のほかに、女性が4人出てらして、それぞれ5役をこなしていらっしゃいました。女性陣がピアノの演奏にあわせて、舞台上で歌われるんですが、たまに主役のお二人もその歌の場面に絡んでこられることがあります。そして、歌だけでなく、ダンスもあって、何と!あの角野卓造さんが軽やかにステップを踏んでいらっしゃるではありませんか! ちょっとどころか、かなりビックリでした

 後半は、休憩のときにしっかりとコーヒーを飲んで、あらすじも読んで時代設定もわかったので、ちゃんと起きていました。井上ひさしさんのお芝居なので、日本語の言葉遊びはさすがにお上手でした。この「言葉遊び」ができる人って、本当にウラヤマシイです。まあ、できるから、こういうお仕事に就かれているわけですが。

 
で、「しゃれ」とか「掛詞」とか、そういうのだけなら「あー、面白かった」で終わるんですが、井上ひさしさんの場合は、そこに少し思想的なものが入るので、それはちょっと苦手です。なので、井上さんのお芝居はあまり本数を見ていません。私の場合、お芝居を考えながら見ないといけない、っていうのは勘弁して欲しいと思っているので。本だったら『隠れたるSomething』があってもOKなんですが。

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父の縁側、私の書斎

2007-10-26 23:30:36 | 読んだもの
 檀ふみさんの「父の縁側、私の書斎」を読みました。「モダンリビング」という住宅関係の雑誌に連載されたエッセイに書き下ろしの「能古島の家」を足して単行本としてまとめられた本です。すべて家にまつわる文章で構成されています。

 檀ふみさんのエッセイは何冊か読んでいますが、これはいつもと勝手が違う、毛色の違うエッセイ集でした。これまでは、元気で明るい自虐ネタ満載のケラケラ笑い飛ばせるようなもの(阿川佐和子さんとの往復エッセイ「ああ言えばこう食う」に代表されるようなもの)ばかりでしたが、この本はご自分の家、家族のことを中心とした“優しい”内容になっています。なので、ダンフミのエッセイに必ず登場するアガワはこの本には出てきません。

 巻頭エッセイ「能古島の家」は、檀ふみさんのお父様、檀一雄さんが最期を過ごされたお家なんですが、そのお家から始まり、ふみさんが生まれてから出たことがない石神井のご自宅、山の家、都心の仕事部屋など、いろいろなお家が登場します。

 お父様の檀一雄さんもちょくちょく登場します。私は「火宅の人」は読んでいませんが、確か、彼女のところに行ったきりほとんど自宅に戻らなかった、というお話だったように思っています。今でも、そういう人のことを「火宅の人」って言いますからね。だから、檀一雄さんって、家族団欒には全く無縁の人かと思い込んでいました。しかし、この本には、彼はこよなく家族を愛し、家を愛している人だということがここかしこに描かれており、ちょっとびっくりすると同時に、檀ふみさんの根っこの部分を少し垣間見たように思いました。

 “優しい”内容と書きましたが、そこはやはり檀ふみさんのことなので、品のよい文章の中にクスッとさせる部分もあります。自宅を建て替えたときに、設計の人に「女優さんなんだから、ウォークインクローゼットを造られたらどうですか」と勧められたのに、「いえ、結構です」と断わったばかりに、ご自分のお部屋がウォークインクローゼット状態になってしまった、というお話があって、私はここが一番笑えました。私の部屋もまさしくそんな状態で、そうか、私ってウォークインクローゼットの中で寝起きしていたのね、とミョーに納得させられました。

 

父の縁側、私の書斎 (新潮文庫)
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津島家の人びと 太宰治を生んだ家

2007-10-25 23:56:34 | 読んだもの

 今日、何気にテレビのニュースを見ていたら、「消費税アップか?」というニュースとともに、自民党の与謝野馨さんと津島雄治さんが同じ画面に映っていました。お二人とも自民党の税制調査会の委員を務めていらっしゃるそうですが、私はお二人のことをどうしても「与謝野晶子の孫」と「太宰治の女婿」としか見ることができないので、「おおっ、すっげーツーショット!」と思ってしまいました。

 秋山耿太郎さんと福島義雄さんの「津島家の人びと」を読みました。もともとは1981年に出版された本で、2000年にちくま学芸文庫で復刊されました。秋山さんと福島さんは朝日新聞の青森支局の記者で(当時)、朝日新聞青森版にこの「津島家」を連載され、後に単行本になりました。津島雄治さんはこの本の最後のほうに少しだけ登場されています。

 太宰治は特に好きな小説家ではありませんが、大学時代のゼミの担当教授が太宰治研究の世界ではまあまあの有名人でいらっしゃったので、何度かお話を伺う機会があり、そのつながりで何となく評伝を読んだり、研究論文を読んだりしていたので、非常に馴染みのある小説家ではあります。

 太宰治と津島家の関係は太宰の小説にも度々登場し、太宰を研究した文章でもそのことについては必ずといっていいほど触れられていますが、それらはあくまで太宰の目を通した「津島家」でした。この本も、てっきり、太宰の小説から書かれたものかと思っていましたが、全然違っていて、非常に客観的に書かれていました。新聞記者さんなので、徹底的に取材されていて、津島家の先祖はどんな人なのかお寺の過去帳を調べたり、養子の実家を訪ねたりして、津島家が興ったときから、どのようにして“大地主”になったのか、そして戦後の農地解放による没落まで、この本は「津島家の歴史」になっています。太宰はその中の彩りとして登場するだけです。

 津島家は大地主で大金持ちで政治家の家ではありますが、太宰が小説で書いていたほど「悪徳地主」ではないように思いました。それよりも太宰のいろいろな問題(出奔や自殺未遂、共産党活動)に振り回されて、気の毒な感じすら覚えました。ただ、今となっては「太宰治」のブランドは絶大で、そういう意味では、亡くなってから津島家には恩返しができているのかなぁと思いますが。

 ↓本の表紙は太宰の生家である「斜陽館」です。私が学生の頃はまだ旅館をやってらして(ただし、経営は津島家ではありません。戦後売却されています)、みんなで「斜陽館へ泊まりに行こう!」とよく言い合っていました。でも、青森は遠くて行けませんでしたが…。現在は、旅館はやめられて、金木町太宰治記念館になっているそうです。元・文学少女としては、やはりいつかは行ってみたいなぁと思います。


津島家の人びと (ちくま学芸文庫)

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衣更え

2007-10-23 22:40:40 | その他いろいろ

 いつの間にか季節はすっかり「秋」になりました。ついこの前まで半袖で過ごせたのに、いまや長袖どころか、上着まで必要になりました。

 地球温暖化のせいか(と、何でもコレを理由にしてしまう傾向にあるような気がしないでもないんですが)、どうも季節の移り変わりが“急激”です。徐々に、ということがなくなりました。昨日まで夏日だったのが、今日から急に10月下旬の気温
になるような、そんな感じです。

 で、困るのが「衣更え」です。まだまだ暑いと思って、夏服をしまわないでいたら、急に秋物が必要になり慌てます。こんなとき、いつも思うのが「(夫ではなく)妻が欲しい」です。妻がいれば、夏物はきちんとお洗濯をし、夏物と冬物の入替をしてくれて、冬物のアイロンがけをしてくれるのに…と思うわけです。

 本当に「衣更え」の作業はかなり大変です。なので、「もう、これ以上お洋服を増やすのはやめよう」とワタクシはその瞬間は決心しているんですが、豆腐のような決心なので、新しい洋服を見ると、またフラフラと買い求めてしまいます。

 秋は、私にとっては、世の中の「旦那サマ」がうらやましくなる季節です。そして、「奥サマ」っておエライですよね

 

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たちばなのかりんとう

2007-10-22 22:39:50 | 食べたもの

 たちばなのかりんとうは、ここ何年かの私の東京土産の定番になっています。10年くらい前に雑誌で見つけました。どこのデパートにも出店されてなくて、通信販売もなさっていないので、本当に東京でしか買えないお菓子です。私のポリシーとして(って、何だか大げさですが)、お土産はその土地でしか買えないものでないと、と思っておりますもので。それくらい希少価値がないと値打ちがないですよね。

 去年も東京に行った折に、会社へのお土産に買ってきたところ、同僚の女性にいたく気に入っていただきました。で、その彼女が先日出張で東京に行くことになり、ぜひたちばなにも寄りたいとおっしゃっていたので、わが家の分もお願いし、本日いただいてまいりました。

 たちばなは銀座にあります。銀座通りのTHE GINZAの本店の角を曲がり、二つ目の筋を新橋側に曲がるとあります。1間ほどの間口で、気をつけて見ていないと見過ごすような地味な店構えです。

 かりんとうしか売っていません。かりんとうは「さえだ」と「ころ」の二種類あって、文字通りさえだは細い、ころは太いかりんとうです。写真は「さえだ」の袋です。贈答用に缶入りもありますが、また、その缶が朱色の美しい缶で、人に差し上げるとその缶にも感動していただけます。

 たちばなのかりんとうを初めて食べたとき、私の中でかりんとうのイメージが大きく変わりました。関西では、かりんとうと言えば、黒糖味の真っ黒なものしかなくて、変に甘いお菓子というイメージしかありませんでした。それが、たちばなのかりんとうは、色が白く、味もあっさりと軽く、いくらでもポリポリと食べられるんです。本当にびっくりしました。

 わが家では「東京のあのかりんとう」で通じるくらい、人気のお菓子になっています。今回も「東京へ行かはる人に頼んだから」というと、先週から非常に楽しみにして待っておりました。相変わらずの美味しさでした

 非常になんですが、ただ、お店の方が素っ気ない、事務的な方なのでそう思って行って下さい。
 住所:東京都中央区銀座8-7-19
 電話:03-3571-5661
 営業時間は11時から7時まで、土曜は5時までです。
日・祝日はお休みです。

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ブログのかけもち

2007-10-21 23:09:57 | その他いろいろ
 先週から、ブログをもうひとつ書いています。

 勤務先のホームページにブログがあって、それは会社の本体ではなく関係団体のブログで、本来はその団体に所属している人が書くべきものなんですが、だれも書かなくて、4ヶ月ばかり更新を放ったらかしにしてありました。それではさすがに「まずかろう」ということになり、とりあえず、私にお鉢が回ってきて、4本ばかり記事を書きました。

 と言っても、このブログを書くだけでもアップアップしているのに、新たに書くことは到底ムリで、申し訳ないんですが、同じお題で書いてしまいました。もちろん、会社のほうは「私の気持ち」はすべて消し去り、無味無臭になるようにはしています。

 でも、そうすると、本当にツマラナイですね。自分で書きながら「こんなん読んでも、おもしろくないやろうなぁ」と思っています。じゃあ、このブログがおもしろいのか?と言われると、お返事に困るんですが

 それで少し思い出したのは、桂枝雀さんが昔よくおっしゃっていたんですが、彼は自分の落語をビデオで見るのが一番面白かったそうです。なぜなら「自分の感性とぴったり一致するから」だそうです。この気持ち、何となくわかります。私も、自分のブログを読むの、結構好きなんです。これって、単に、ナルシストなだけでしょうか?

 担当者には、「せめて『お題』をちょうだい」と訴えているんですが。だって、会社のブログに「○○のケーキが美味しかった」はやっぱり変でしょう…。せめて、それっぽい本を読んでいたら、それについて書くんですが、残念ながら、仕事に関係する本って、あまり読みたくないのでめったに読まないもので…。

 私の勤務先をご存知の方々へ同じネタを書いていても見逃してくださいませね。とりあえずので。

 

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狩野永徳

2007-10-20 23:35:04 | 見たもの
 京都国立博物館で開催されている「特別展覧会・狩野永徳」を見てきました。

 NHKが番組と番組の間にさかんに宣伝している、アノ展覧会です。主催者にNHKが名前を連ねているとはいえ、民放ではない放送局があんなにCM
を流していいものか、といつも思います。テレビの力って本当に大きくて、NHKの主催の展覧会はいつも押すな押すなの大盛況です。主催者はそれでホクホクでしょうが、見るほうはたまったものではありません

 今回は巡回展がなくて、京都だけで30日間しか会期がないということで、少しでも空いているときを…と思って、昨夜、冷たい雨の中、金曜の夜間開館を狙って行ってきました。それでも、それなりに人は入っていました。みんな、考えることは同じなんですね

 チラシからの抜粋ですが、「史上初の大回顧展として、国宝5件、重要文化財9件を含む国内外の名品をはじめ新発見、初公開の作品を網羅し、真の天才とうたわれた永徳芸術の神髄に迫ります」という展覧会です。『お墨付き』に弱い私は、国宝・重文と聞いただけで、「ははーっ」とひれ伏してしまいます。

 絢爛豪華な桃山時代にあって、しかも時の権力者織田信長、豊臣秀吉に仕えただけあって、作品は“ゴージャス”です。とにかく大きいです。モノは屏風とか障壁画とかなんですが、展示室のひとつのウィンドウに一作品の展示です。多くても二作品までです。

 この展覧会のポスターにもなっている「唐獅子図屏風」は縦224センチ、横453センチもあります。唐獅子が2匹描かれていますが、どちらも、人間より大きいんです。しかも、金碧の地に、ゴールドとシルバーの唐獅子です。少し離れないとよく見えないので、展覧会って、普通は、ガラスに沿って人が歩くんですが、ここだけはみんなガラスから離れて歩いていました。

 狩野派の「源氏物語図屏風」というのもありました。唐獅子図ほどではありませんが、結構大きな屏風に源氏物語の場面がいくつか描かれてあります。地色は金色で、色使いもカラフルでした。が、やはり、源氏物語は、絵巻物ぐらいの大きさで、一人でひそやかに読む(見る)ほうがふさわしいような気がしました。あんなに大きな源氏物語って…、って感じでした。

 唐獅子図の絵葉書が欲しかったんですが、残念ながらありませんでした。著作権の関係でしょうか。仕方ないので、虎の絵葉書を買いました。自分のブログのタイトルを「おとら」としているだけあって、虎を見ると他人のような気がしないんです
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劇団四季と浅利慶太

2007-10-19 23:41:35 | 読んだもの

 「お芝居、見るのが好きなんです」と、私が人に言うと、10人中半分以上の方が「じゃあ、劇団四季とか見るの?」と聞かれます。私は、四季が苦手なので、そのたびに「いえ、四季はあまり…」とお返事しております。

 余談ながら、以前の会社の同僚で「日本野鳥の会」の会員という人がいましたが、その人はそれを言うと、10人中10人が「あの、紅白歌合戦の?」と言われるそうです。何年も前から、野鳥の会は紅白に出ていないそうなんですが、よほど紅白のインパクトが強いんでしょうね。

 話を戻して、今回読んだ「劇団四季と浅利慶太」は、10人中半分は知っている劇団四季について書かれた本です。昨日の「日本の有名一族」の参考文献つながりです。浅利慶太さんの大叔父が二代目市川左團次で(浅利さんの祖母の妹が左團次の妻)、左團次に子供がいなかったので、浅利さんを跡継ぎにという話も小さい頃あったそうです。

 著者の松崎さんは、中曽根政権時代の自民党で研究員をされていた方で、著作もそういう方面の著作が多い方ですが、中曽根元総理つながりで、浅利慶太さんとコネクションができて、この本を書かれたようです。そのせいか、浅利さんと劇団四季を必要以上に賛美する表現がそこかしこにあって、ちょっと(いや、かなり?)鼻につきます

 劇団四季は「キャッツ」の初演を見に行きました。20年以上前のことで、当時普通のお芝居はまだ3千円か4千円の時代に7千円のチケ代を出して、大阪駅の北側のテントまで行きましたが、私にはもうひとつでした。その1本を見ただけですが、どうも四季アレルギーになったみたいで、全然行ってなかったんですが、昨年ストレートプレイで三島由紀夫の「鹿鳴館」を演るということで見に行きましたが、それももうひとつでやっぱり四季は「もういいわ…」と思っています。

 確かに、劇団四季はいまや、お芝居を見ない人でもその名前は知っているし、日本で最も人気のある劇団だと思うし、何よりも、その経営は磐石で、劇団員がお芝居だけに打ち込める環境を提供していらっしゃるのはすごいことだと思います。自前の劇場をいくつも持ち、テレビに頼らずに本業の舞台だけで利益を上げていらっしゃるのは、一般のビジネスとして見ても、大成功でしょう。だからって、そこまでヨイショしなくても…ってくらい、持ち上げています。

 さらに、劇団四季(=浅利さん)を過大評価するあまり、四季をやめていった人のことを「四季にいた頃より精彩を欠いている」と過小評価されています。そんなことはないと思うんですけど。この本は劇団四季の協力を得て書かれていますが、劇団四季って、「何か、ケツの穴、小さいんちゃうん」と思ってしまいました。

 と、私は文句ばかり書いていますが、この本結構売れていて「第6刷」までいっています。劇団四季について何か知りたいと思う人にはちょうどいい本かと思います。それにしても、劇団四季ってやっぱり人気があるんですね。


 劇団四季と浅利慶太 (文春新書)

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