おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

泥象 鈴木治の世界

2013-08-31 23:02:04 | 見たもの
 京都国立近代美術館で8月25日まで開催されていた「泥象 鈴木治の世界」展でございます。先週、京博とハシゴしてきました。

 私は今回、この展覧会で初めてお名前を知ったのですが、鈴木治さん(1926-2001)は、戦後の日本陶芸を代表する陶芸家の一人だそうです。千家十職の永樂工房で轆轤職人をしていた鈴木宇源治(うげんじ)氏の三男として京都五条坂に生まれ、早くからお父様に轆轤の手ほどきを受けられ、戦後、本格的に陶芸家を志し、1948年に八木一夫、山田光らとともに、陶芸による新しい造形表現を目指して前衛陶芸家集団「走泥社(そうでいしゃ)」を結成されました。器としての用途を持たず、純粋に立体造形としての芸術性を求めた彼らの作品は、当時の人々に驚きをもって迎えられ、「オブジェ焼」と呼ばれました。鈴木さん自身は「オブジェ」ではなく、あくまでも土と火による造形を追求し続け、作品名に「泥像(でいぞう)」や「泥象(でいしょう)」という言葉をしばしば用いられました。

 最初、駅で上のポスターを見たとき、水色地に茶色っていう色合いが非常にインパクトがあり、この並べ方が何だか可愛らしくて、「おっ」って感じでずっと気になっていました。全然関係ないけれど、基本、お洋服でこの色の組み合わせが好きなので、このポスターも「好き」です。ただ、“茶色い”焼き物(って大雑把な書き方でスミマセン)って苦手なのでどうしようかと思っていたのですが、駅に置いてあったチラシを見ると青白磁の焼き物もあったので、青白磁ならと思い直し、行ってまいりました。

 没後初めての大規模な回顧展だそうで、初期作品から晩年の未発表作品まで約150点の作品が展示してありました。鈴木さんがおっしゃった「〈使う陶〉から〈観る陶〉へ、〈観る陶〉から〈詠む陶〉へ」の足跡を辿るというものでした。

 “茶色い”焼き物は赤い化粧土を施した焼締めという技法で制作されているそうですが、やっぱり苦手意識が先に立ってしまい、さらに題名とはすぐに結びつかない非常に抽象的な形のものが多く、久しぶりに「一点一秒」の鑑賞となりました。「馬」という題名の作品が全部で27点ありましたが、「これのどこが馬なんですか?」っていうのが多くて、「抽象」っちゅうのは、絵でも焼き物でも難しいです。凡人には理解し難いと思いました。青白磁のほうがまだわかりやすかったです。ポストカードになっていたお気に入りの青白磁の作品です。

  
 「爐 虎児」です。つい、虎に反応してしまいます。

 
 「香炉十二支」です。十二支の左上はネズミです。子年なので、ネズミにも反応してしまいます。ネズミの置物を集めているので、美術館のガラスケースの中の作品なのに、「あ、これ欲しい」と思ってしまいました。
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いちりんのお菓子

2013-08-30 23:25:09 | 食べたもの
 以前はあんなに毛嫌いしていた国立文楽劇場のロケーションですが、「いちりん」というお菓子屋さんを見つけてからは、文楽劇場へ行くのが非常に楽しみで、ウキウキしてしまいます。とっても単純なワタクシ…。でも“甘いもの”の魅力は何物にも代え難く、ねっ

 ということで、上方歌舞伎会の折にも当然のように「いちりん」に寄ってまいりました。

 
 小豆ゼリーです。これ、なかなかヒットです。「ゼリー」と言う名前ですが、原材料はゼラチンではなく葛、でも、水羊羹ではないんですよね。やっぱりゼリーなんです。スプーンですくうとちょっと“もちっ”としています。お色が薄そうに見えますが、しっかりと小豆のお味です。あんこをしっかりと晒しているんでしょうね。後味がすっきりしていて、何個でもいけそうな感じでした。

 
 マスカット大福です。中にマスカットが1個入っていました。私はみかん大福のほうが好きかも、と思いました。

 
 餅パイ饅頭です。黒ごまがトッピングされた右側が餡子、左側は栗です。お餅とパイ生地と餡子が何とも言えない絶妙な組み合わせです。

 《オマケ》
 
 上方歌舞伎会の折の観劇弁当です。吉野寿司の袱紗と巻寿司の詰め合わせです。袱紗は刻んだ穴子や椎茸が入ったばら寿司を玉子焼きで巻いてあります。穴子好きなので、ウレシイお寿司でした。
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今年の顔見世

2013-08-29 23:16:26 | その他いろいろ(歌舞伎)
 今年の京都南座の顔見世の演目と配役が発表になりました。猿翁さん、猿之助さん、中車さんの「襲名披露公演」であることは一昨年の9月から決まっておりましたが、いくらなんでも「顔見世」で澤瀉屋さんだけの公演というのは有り得ないことなので、どなたが列座されるのか興味津々で発表を待っておりました。と申しますのも、いわゆる“週刊誌ネタ”で恐縮なんですが、香川照之さんが中車として歌舞伎界に入られることに対し、大幹部さんたちが「これまで一度も歌舞伎をしたことがない人といっしょの舞台に立つのはねぇ~」とおっしゃったとか、おっしゃってないとか、いろいろウワサがございましたので、皆さんどうされるのかしらと思っておりました。

 フタを開けてみると、襲名の澤瀉屋さん+松嶋屋さん+西の成駒屋さん+萬屋さん+梅玉さん+松緑さんという座組みでした。まあまあいつもの顔見世かなぁって感じです。そして、孝夫さんと中車さん、「御浜御殿」で綱豊卿と助右衛門で共演です。丁々発止の台詞の応酬がありますよね。「御浜御殿」がいくら新歌舞伎とはいえ、台詞まわしとか所作とかどうなんでしょうか。中車さんには申し訳ないけれど、ちょっと「コワイモノ見たさ」のような気持ちです。孝夫さんの綱豊卿、ワタクシ最後のお能の“怪傑ライオン丸”みたいな格好が好きなので、楽しみです。中車さん、孝夫さんの前で「ぢいさんばあさん」とは、それもプレッシャーですね。まあ、でもこちらは御園座で拝見しましたが、あまり違和感なく拝見しましたので、大丈夫ではないかと思っています。

 ただ、なぜか孝夫さんの相手役はすべて孝太郎さん、うーーーん、12月は玉ちゃんは歌舞伎座と前から決まっているので、ご共演はないのはわかっていましたが、「ちょっとね」と思ってしまいました。スミマセン、孝太郎さん。

 演目と配役です。

 【昼の部】(午前10時30分開演)
  第一 厳島招檜扇(いつくしままねくひおうぎ)
    日招ぎの清盛
      平相国清盛         我 當
      三位中将重衡        亀 寿
      瀬尾三郎兼経        亀 鶴
      小松三位維盛        萬太郎
      祇王            壱太郎
      越中前司盛俊        月乃助
      仏御前実は源義朝息女九重姫 笑三郎
      内大臣宗盛         進之介

  第二  仮名手本忠臣蔵
      道行旅路の嫁入(みちゆきたびじのよめいり)
       戸無瀬       時 蔵
       小浪        梅 枝
       奴可内       翫 雀

  第三 ぢいさんばあさん
       美濃部伊織       中 車
       下嶋甚右衛門      右 近
       宮重久弥        月乃助
       妻きく         春 猿
       用人喜平        寿 猿
       戸谷主税        薪 車
       宮重久右衛門      猿 弥
       伊織妻るん       扇 雀

  第四 二人椀久(ににんわんきゅう)
       椀屋久兵衛       仁左衛門
       松山太夫        孝太郎

  第五 三代猿之助四十八撰の内 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
     川連法眼館の場
     市川猿之助宙乗り狐六方相勤め申し候
       佐藤忠信/佐藤忠信実は源九郎狐  亀治郎改め猿之助
       静御前        秀太郎
       亀井六郎       松 緑
       駿河次郎       愛之助
       法眼妻飛鳥      竹三郎
       川連法眼       段四郎
       源義経        藤十郎

 【夜の部】(午後4時15分開演)
  第一 元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)
     御浜御殿綱豊卿
       徳川綱豊卿       仁左衛門
       富森助右衛門      中 車
       中臈お喜世       孝太郎
       御祐筆江島       時 蔵
       新井勘解由       我 當

  【口上】
       猿之助改め猿 翁
       亀治郎改め猿之助
           中 車
           ○
       藤十郎

  第三 猿翁十種の内 黒塚(くろづか)
       老女岩手実は安達原鬼女  亀治郎改め猿之助
       山伏大和坊       門之助
       同 讃岐坊       右 近
       強力太郎吾       猿 弥
       阿闍梨祐慶       梅 玉


  第四 道行雪故郷(みちゆきゆきのふるさと)
     新口村
       傾城梅川       藤十郎
       亀屋忠兵衛      翫 雀

  第五 児雷也(じらいや)
       児雷也実は尾形弘行   梅 玉
       高砂勇美之助      愛之助
       仙素道人        猿 弥
       妖婦越路実は綱手    笑 也
       山賊夜叉五郎      松 緑
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第二十三回上方歌舞伎会

2013-08-28 23:34:36 | 観たもの
 国立文楽劇場で「第二十三回上方歌舞伎会」を見てまいりました。公演最後の25日の夜の部です。

 今回の演目は、「菅原伝授手習鑑」から〈車引の場〉、「伊勢音頭恋寝刃」か ら序幕〈野道追駆けの場〉〈野原地蔵前の場〉〈伊勢二見ヶ浦の場〉、二幕目〈古市油屋店先の 場〉〈同 奥庭の場〉となっています。配役はこちらでご確認くださいませ。

 「車引」は我當さんと秀太郎さん、「伊勢音頭」は秀太郎さんと孝夫さんのご指導となっています。さらに今年から指導補として翫雀さんと吉弥さんのお名前があがっていました。秀太郎さんのブログによれば、このお二人が指導に加わってくださったおかげで、隅々まで指導が行き渡ったそうです。実は…
 
 ジャーン!秀太郎さんにサインを頂戴しました。休憩時間にはいつもロビーに出てこられて御贔屓の方々にご挨拶して回られる姿を毎年拝見していたので、今年は思い切ってサインをお願いしました。とても気さくにさらさらとサインしてくださいました。

 話がそれました。「車引」ですが、孝夫さんが奇しくもプログラムのご挨拶のところに書いていらっしゃるんですが、時代物と世話物について「一見、『世話物』の方が演者は入り易く見えますが、『時代物』にはしっかりした『鋳型』があり、それが救命の役割をしてくれます…」と。「車引」はお衣裳もお化粧も大道具もすべてド派手で、そして演技には「型」があってその通りきちんと演じられたら、何となくそれでOK?となってしまうような気がしました。吉太朗クンが今年から正式に上方歌舞伎会に入会されたそうで(これまでは子役でご出演)、杉王丸をお勤めになりました。中学生になりそろそろ変声期を迎えちょっとお大変な時期のようですが、お兄さま方に負けることなく、っていうか、大きな舞台での演技経験は吉太朗クンのほうがおありになるので、そういう意味では“一日の長”があるような気がしました。

 「伊勢音頭」は、2年前に松竹座の夏歌舞伎で、孝夫さんの絶品の福岡貢を見ているので、どうしても場面場面で「孝夫さんなら…」と思い出してしまい、主役を演じられた片岡佑次郎さんには大変申し訳なく…。

 序幕の「野道追駆けの場」は仁三郎さんと松十郎さんでした。本興行でもそれなりのお役がついているお二人ですので、とても安定感があって、面白く可笑しく見せていただきました。このまま本興行でも通用するのではないかと思いました。松十郎さん、二枚目なのに、こういったコメディアン的なお役もOKなんですよね。今後期待できる立役さんです。

 二幕目は女形さん大活躍でした。万野は千壽さんでしたが、お客さんの期待も大きく、登場されたときはどなたよりも拍手が大きく、あちこちから「千壽!」の大向こうかかかっていました。その期待に応え、たっぷりといけずな万野でした。名題に昇進されてからメキメキと腕を上げていらっしゃいます。お紺のりき彌さんとお岸の當史弥さん、相変わらずおきれいでした。もちろんきれいなだけではなく、お芝居も安定感があって、ワタクシ、この上方歌舞伎会を拝見するのは今回で4回目ですが、回数を追うごとに皆さん上達されているのは実感します。4年前はとにかく言われたとおり動いているだけって感じでしたから。三枚目のお鹿の松四朗さん、松竹座では彌十郎さんが演じられ、結構インパクトがあったので、最初は「やっぱり彌十郎さんのほうが…」なんて思ってしまいましたが、途中からどんどん引き込まれ、最後は完全に松四朗さんのお鹿しか見えませんでした。千野でベテランの比奈三がご出演で、いかにも遊郭にいそうなベテラン仲居(遣り手ばばぁ?)って感じで、お芝居を締めていらっしゃいました。

 女形さんに比べると、やはり貢の佑次郎さんはだいぶ固かったような気がしました。孝夫さんのイメージが強すぎますからね。ご本人、すっごいプレッシャーだったと思います。

 最後はお楽しみの「指導者よりのご挨拶」です。松嶋屋さん三兄弟がお揃いで出てこられます。それ狙いで日曜の晩なのに、行ったのですが。今年は皆さんあっさり目のご挨拶で、秀太郎さんいつもならいろいろおっしゃってくださるのに、すっと終わられました。孝夫さんは結構熱のこもったご挨拶で、やっぱりステキでございました。最後は「大阪締め」なんですが、なぜか我當さんは「よーっ」って掛け声をかけておしまいになって、思わず三本締めをしそうになりましたが、鳴り物さんがちゃんと「大阪締め」のリズムを取ってくださったので、無事大阪締めで終われました。

 
 満員御礼だったようです。
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三津五郎さん休演 【追記あり】【さらに追記あり】

2013-08-26 23:34:11 | その他いろいろ(歌舞伎)
 今朝、起きてテレビをつけたら「坂東三津五郎 緊急入院か…『九月大歌舞伎』降板」というニュースが!びっくりしました。

 三津五郎さんの公式ホームページのお言葉です。
 この度は新橋演舞場『九月大歌舞伎』を休演することとなり、座頭の高麗屋さん始め代役を引き受けて頂くことになった左團次さん、翫雀さん、橋之助さんほか関係各位の皆様、そして何より舞台を楽しみにされていたお客様には大変ご迷惑をお掛けすることとなりましたことを深くお詫び申し上げます。
これまで代役を仰せつかることはあっても、この五十年病気・怪我での入院もなく休まず舞台に打ちこめたのは丈夫な体のお陰だと思っておりました。
ところが例年の健康診断を七月に受けましたところ、膵臓に腫瘍が見つかりました。早期発見出来たことは膵臓の病気としては大変幸運なことだそうです。
この病気の更なる検査、完治に向けての治療のためしばらく三津五郎にお時間を頂戴したく存じます。
この度は急遽の降板となりましたこと、誠に申し訳ございませんでした。
何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。
   平成25年8月26日
    坂 東 三津五郎

 ご本人も書いていらっしゃるように、これまでご病気とは無縁のイメージがあったので、突然のことで本当に驚きました。十分治療していただき、くれぐれもご無理なさらず、完治してから復帰していただきたいですね。お元気なお姿をまた舞台で拝見できる日を楽しみに待ちたいと思います。「早期発見出来たことは膵臓の病気としては大変幸運なこと」という言葉を信じたいです。勘三郎さん、大親友だからって呼ばないでね。

 もうひとつ、吉右衛門さんもご体調があまりよろしくないというウワサを漏れ聞きました。幹部俳優さんは皆さん、歌舞伎座の杮葺落公演で4月から6月まで3ヵ月間出ずっぱり、特に吉右衛門さんは團十郎さんの代役をずいぶんと引き受けられ、一番出番が多かったのではないでしょうか。休む間もなく7月は巡業でした。秀太郎さんや猿三郎さんのブログでわかりましたが、巡業って本当に大変です。移動→公演→移動→公演→移動というのが延々と続きます。さらにその間に次の月のお稽古が入ったり、取材が入ったりと労基法バリバリ違反状態なのではないでしょうか。

 松竹株式会社もそろそろ役者さんの健康管理をきちんとしないと、ブラック企業大賞にノミネートされるかもしれません。冗談ではなく、真剣に考えていただきたい問題です。

【追記】
 浅草の文扇堂のご主人・荒井修さんがご自身のブログで三津五郎さんのことを書いていらっしゃいます。ちょっとホッとする内容です。よろしければごらんくださいませ。

【追記2】
 上と同じ荒井さんのブログで手術成功!とありました。
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平成知新館

2013-08-25 22:33:02 | 見たもの
 
 

 京都国立博物館の新平常展示館でございます。昨日行ったら、工事の仮囲い塀やシートがすべて取り払われ、新しい建物が姿を現しておりました。一年前の写真はこちらにあります。

 京博のWebsiteによれば、新平常展示館の名称は「平成知新館」と決まったそうです。ちなみに特別展示館(いつも展覧会が行われているクラッシックな建物のほう)は「明治古都館」と名づけたそうです。

 万博のパビリオンみたいな、なかなかシュッとした建物ですね。前の平常展示館は“コンクリートの箱”そのもので、味も素っ気もなく、中に展示されている作品は「石を投げれば国宝や重文に当たる」くらいの充実ぶりなのにちょっと残念な感じがありました。何事も“見た目”は重要です。これで中も外もバッチリOKになりますね。

 「遊び」の展覧会では、お道具や楽器など蒔絵が数多く展示してありました。以前の平常展示館にはその蒔絵ばかり集めたお部屋がありました。“これでもかっ”ってくらい蒔絵ばかり展示してあって、圧巻でした。そこには箪笥のような大型?の蒔絵もあって、それはそれは見事な装飾で、お育ちの良い?ワタクシなどは、つい「これっていくらぐらいするんやろう?」と下世話なことを思いながら拝見してしまうんですが…。そういうお部屋も復活するんでしょうね。来春が楽しみです。
 

 
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特別展観 遊び

2013-08-24 23:22:24 | 見たもの
 京都国立博物館で開催されている「特別展観 遊び」を見てまいりました。新聞とかテレビとかの大メディアに頼らない京博オリジナルの展覧会、京博の収蔵品だけで構成された展覧会です。

 「遊び」をキーワードに9つのテーマに分けて、古代の須恵器や銅鏡から始まり、屏風や絵巻物、焼き物、人形、お道具、おもちゃ…さまざまなものが展示してありました。

 各テーマと簡単な説明を書き出します。

 第1章 神々から人へ
 神々のために歌い踊ることを「神遊び」といいます。競馬、蹴鞠、相撲なども神前に捧げる祭礼でした。これらの遊びはやがて人々の楽しみのために催されるようになります。

 第2章 酒宴のたのしみ
 酒席には趣向がこらされます。酒は人の心を解放し、詩人に霊感を与え、人々の親交を深めますが、ほどほどに嗜むのが理想です。

 第3章 年中行事
 日本には四季折々の行事があります。正月、雛祭り、端午の節句、七夕、重陽。特別な飾りや道具を用いて行われる、年に一度の祭礼に、人々は祈りを込めつつ、また非日常の楽しみを見いだしました。

 第4章 遊山
 遊ぶということばには、日常を離れて広い屋外を気楽に歩きまわる、という意味もあります。花見や紅葉狩り、月見に船遊び。気の合う仲間と野外で宴会を楽しみ、あるいはひとりで季節の移ろいに心を震わせます。

 第5章 遊興 ―芸能と大衆―
 歌も踊りも芝居も演者がプロになり、大衆へ向けて上演されるようになります。町には芝居小屋や宴会場が設けられ、芸事を身につけた美しい女性たちが客をもてなす遊里も発達します。

 第6章 清遊 ―文人のたしなみ―
 君子は「琴棋書画」を嗜みます。すなわち音楽、囲碁将棋、詩文、絵画という四つの芸道を極めながら決して生活の糧にはしないのが、東洋の知識人が理想とする暮らしでした。心を通わす友人と知性を磨きあう、清らかで豊かな遊びの世界です。

 第7章 動物のたわむれ
 動物も遊びます。そして、人も動物と遊んだり、動物で遊んだりしてきました。馬に乗って球を打つポロ、闘鶏や闘犬、鳥の鳴き声比べなどは動物がいなければできません。子犬と子供などは互いに格好の遊び相手といえるでしょう。

 第8章 室内の競技
 平安貴族は室内遊びの天才です。中国から伝わった囲碁、和歌の教養を基礎にした歌合わせ、香合わせに貝合わせなど、団体戦もあれば個人戦もあり、多くは賭け事を伴いました。時代を経て発達したお座敷遊びを集めます。

 第9章 子供の遊び、雑技、曲芸
 遊びころげる子供の姿は、なごやかで幸せな暮らしの象徴です。子供の健やかな成長を願って作られる人形やおもちゃのほか、人々を笑わせる雑技や曲芸など、にぎやかで楽しい雰囲気の作品を展覧会の最後に並べます。

 京博の学芸員さん、毎回思いますが、よーこれだけいろいろなものを集め、っていうか収蔵品から探し出して、うまいこと系統立てて並べ、見せ方も工夫して、ひとつの展覧会にまとめはりますよね。心から敬服します。京博って半端じゃない収蔵品を持ったはりますね。

 そして、京博へ行く時の私の密かな楽しみでもある、作品のキャプション、今回も裏切られることなく、なかなかユニークな文章が並んでおりました。(今回は図録を買ったので全文記します)

 能面の「邯鄲男」では「時の権力者である秀吉や家康が能を愛好したことから、諸大名たちもこぞってそれにならった。遊びが出世にひびくという点では、現代のゴルフにもたとえられようか。数多い能面のなかで、邯鄲男は中将とならぶ美男の面。眉間に寄るシワが醸し出す愁いは、現代の渋い俳優にも通ずる普遍的な表情といえよう。」

 円山応挙の「唐子遊図襖」では「唐子(中国風の髪型や服装の子)の遊ぶ景を「琴棋書画図」に見立てている。子供を中国風に描くのは、たとえば今日の子供服のコマーシャルに、欧米の子供たちを登場させるのに似て憧れの装いだ。(後略)」

 京博の学芸員さんの名誉のために、もちろん、ちゃんと真面目な解説もありましたので。今回に限らず、京博の展示のキャプションはいつもわかりやすいと思います。見に来る人にとても親切な博物館です。

 
 
 お庭の噴水の前にあった「顔出し看板」です。

 
 玄関ホールにあった豊臣棄丸(秀吉と淀殿の子)の玩具船の模型です。実際に動かしていいものですが、子供が動かしたら可愛らしいけれど、おばちゃんが動かすってねぇ~と思い、止まっているのを撮ってきました。
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記録更新

2013-08-23 23:44:59 | その他いろいろ
 本日は二十四節気の「処暑」、暑さが終わるという意味だそうです。日中の暑さはともかくも、朝晩は何となく涼しくなって、だんだんと過ごしやすくなる頃なんだそうですが、大阪は暑かったです。とにかく暑いです。びっくりするくらい暑いです。その証拠?に、最高気温が35度を超える“猛暑日”が本日で17日連続、71年ぶりに記録更新したそうです。ところが、枚方はその上をいっておりまして、昨日までで猛暑日が19日連続、府内の連続日数の過去最長記録になったそうです。

 枚方は何年か前にその日の国内最高気温を記録、全国ニュースでも取り上げられたことがありました。その後も、何回か「気温が高い」ということで全国ニュースに登場しましたが、今年はその地位?が豊中にとってかわられ、何となく悔しい思いをしていたので、「こんなんで“府内一!”と言われてもなぁ…」と思いながらも、「そうか、やっぱり枚方が“一番”なんやわぁ…」とちょっと嬉しい自分がいます。人間の心理って不思議です。

 そういえば、先日高知県の四万十市が国内観測史上最高気温となる41.0度を記録したときに、それまで最高記録持っていた熊谷市の人が悔しがっていましたからね。人間ってそんなもんなんでしょう。

 今晩は久しぶりに雨が降りました。涼しくなるのかしらと期待しましたが、あまり気温が下がらないみたいで、明日の朝の最低気温の予想は28度、バリバリ熱帯夜のようです。せめて朝晩だけでも25度を下回ってくれるともう少し過ごしやすくなるのですが…。
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振りかえるのはまだ早い

2013-08-22 23:33:17 | 読んだもの
 杉村春子先生の自叙伝「振りかえるのはまだ早い」を読みました。1986年に発行された本でこれも古本屋さんです。杉村春子先生のいわゆる伝記はこれまでもう3冊(日経新聞の「女優の運命-私の履歴書」、中丸美繪さんの「杉村春子-女優として女として-」、大笹吉雄さんの「女優 杉村春子」)も読んでいるので、もういいかなぁと思いましたが、玉ちゃんのご本といっしょに見つけたというのも何かのご縁かと思い、いっしょにお買い上げです。

 内容紹介です。
芸者の子に生まれ、数日後に他家へ貰われていった生いたち。女優への夢、二人の夫との愛と死別。戦争のさなかでの劇作家森本薫との宿命的な恋と別れ。文学座の分裂事件などをめぐって、今だから話せる、昭和の新劇史とともに生きた女優の証言。

 さすがに4冊目ともなると大体知ってることなんですが、この本はご自身で書かれたのではなく、聞き書きで、文字に起こされた原田八重さんとおっしゃる方が杉村先生の話し方の特徴をよく捉えていらっしゃって(これはあとがきで杉村先生も謝辞を送っていらっしゃいました)、読んでいても杉村先生の声が聞こえてくるようなそんな感じでした。

 杉村先生の代表作、三島由紀夫の「鹿鳴館」ですが、三島らしい美辞麗句が散りばめられ、最初は杉村先生でも難しくてどうしようと思われたそうですが、三島からは「もう何にも考えないで。あなたはよく新派的だといわれてきたけど、そんなことはかまわないから、うーんと大見得切ってお芝居してごらん」とアドバイスを受けられたそうです。それまで、確かに“新派的”という批判があって悩まれていたそうですが、このお芝居はそれを逆手に取ったような、そういう部分を杉村先生の新しいスタイルとして確立させたようです。以前、劇団四季の「鹿鳴館」を見たことがありますが、確かに杉村先生のために書かれたお芝居だと思いました。四季の看板女優、野村玲子さんではちょっと手に負えないような…。

 三島由紀夫は「僕の歌舞伎のほうのヒロインは歌右衛門さん、新劇のほうのヒロインは杉村春子さん」とおっしゃっていたそうで、昭和38年の「喜びの琴事件」さえなければ、もっともっと杉村先生のためにお芝居を書かれたでしょうね。杉村先生ももう一度ちゃんと会って話をしようと思っていたのに思いがけない亡くなりかたでぷつっと糸が切れたとおっしゃっていました。

 森本薫さんの文学碑が大阪市の中津にあるそうで、その除幕式※に杉村先生がいらしたようで、そこで森本薫さんの奥様とお会いになって、その時のことを「奥さんにどういうふうに話していいか分からないんですよ。それこそ40年経っているからなんでもないようだけど、すでにもう彼方へ行ってるかと思うけれども。やっぱり直接会うとね、忸怩たるものがあるような気がしてしようがない。奥さんのある人、好きになっちゃいけない。金輪際、奥さんのいる人、好きになるまいとその頃、あんまりつらいから思ってましたけど」と語っていらっしゃいます。天下の杉村先生でもこういう思いをなさっているんですね。ちょっとびっくりしました。杉村先生、2回結婚なさっていてそのお二人のご主人のこともいろいろ語っていらっしゃるんですが、ここまで生々しくなくて、それだけ森本薫さんのことを一番愛していらっしゃったんでしょうか。

 ※訂正
 文学碑ができたのは1986年、除幕式には杉村先生に代わって戌井市郎さんが出席されたそうです。1996年に森本薫没後五十年の集いが京都で行われ、杉村先生はそちらに行かれたようです。
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玉三郎・舞台の夢 坂東玉三郎vs須永朝彦

2013-08-20 23:45:16 | 読んだもの
 「玉三郎・舞台の夢 坂東玉三郎vs須永朝彦」を読みました。1984年に発行されたご本です。玉ちゃんのファンなら“MUST HAVE”なご本かと思いますが、これまでなぜか買ってなくて、先だって阪急三番街の演劇専門の古本屋さんに立ち寄ったら、置いてあったので、思わずお買い上げです。

 後で気がつきましたが、このご本、玉ちゃんオフィシャルサイトに全文掲載されていたんですね。でも、パソコンの画面で本を読むって何となくうっとうしいし、何よりも舞台写真が満載で、やっぱり本ですよね。しかも歌舞伎だけでなく「メディア」とか「サド侯爵夫人」とか洋装もありました。「助六」の写真には孝夫さんも!

 1984年と言うことは約30年前、玉ちゃんが34歳でございます。最初から最後まで読んでまず思ったのは「ぶれない人」だなぁってことです。須永朝彦さんとの対談形式になっています。本業の歌舞伎に対する思いやご自分が将来なさりたいこと、また本業以外のヨーロッパの映画やオペラやバレエ、泉鏡花先生への敬慕の念等々多岐にわたってお話なさっていますが、最近トークショーやテレビのドキュメンタリー、いろいろな雑誌のインタビュー記事などでおっしゃっていることとほとんど同じなんです。“ほとんど”というのは失礼かもしれません。全くブレがありません。読みながら、びっくりしました。(まあ、だからご自身のホームページにも掲載されているんでしょうけれど)

 「四谷怪談」のお岩さんもなさっているんですね。そのときは孝夫さんが伊右衛門初演だったそうです。ちょうど「血の道の薬」を飲もうとしている場面の写真がありました。孝夫さんと玉ちゃんの「四谷怪談」、見てみたかったですね。

 泉鏡花先生と同じくらい、三島由紀夫先生のことも熱く語っていらっしゃいました。三島由紀夫の戯曲も何度も演じていらっしゃるんですね。「鹿鳴館」にもご出演なので、てっきり主役の朝子かと思っていたら、朝子を崇拝する大徳寺夫人のお役だったみたいで、ぜひ玉ちゃんの朝子での再演をお願いしたいものです。「鹿鳴館」は三島が杉村春子先生のために書き下ろした作品で、朝子=杉村春子先生なので、玉ちゃんならきっと芸質が合うと思うんですが。

 三島の「サド侯爵夫人」をなさったときは、お衣裳もご自分で調達されたそうです。イタリアのフィレンツェのドゥオーモ近くに「カーザ・ディ・ティスーティ」というお店で、タフタとレースを買い求められ、それをお衣裳にされたそうです。ヨーロッパ中のオペラや演劇関係の方が買いに来られるお店だそうで、もしフィレンツェに行くことがあれば、ちょっと覗いてみたいと思いました。

 文章だけであれば、玉ちゃんのオフィシャルサイトの中の「私の考え」というところに前文が掲載されています。ご本のほうは、古本屋さんのサイトをお調べになれば、おそらくどこかで売っているかと…。でも、拙ブログを読んでくださっている玉ちゃんファンの皆様なら既にお読みになっていますよね…。
コメント (2)
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