兵庫県立美術館で開催されている
「石岡瑛子 I デザイン」展です。本日が最終日です。
先日も書きましたが、東京都現代美術館で2020年11月14日から2021年2月14日まで開催された「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」という大規模回顧展に行きたかったのですが、コロナのせいで行けなくてとても残念な思いをしていました。この展覧会、どこかに巡回する予定があったみたいなのですが、それもコロナのせいで中止になってしまって、「あぁ、もう見られないのかぁ…」と思っていたので、今回この展覧会があることを知って、「よっしゃ~

」ってなりました。会期は9月28日から始まっていたのですが、なかなか行けず会期末ギリギリで何とか間に合いました。
と、熱望してキャッキャッして行ったのですが、思ってたより小規模?何か不発って感じでした。コロナでヒマだった時に、瑛子さんの評伝や現美の図録を読み込み、現美のギャラリートークの配信を見て、瑛子さんに関する知識を結構蓄えていたので、その知識の量に比べると展示物がちょっと少なかったような気がします。
公式サイトに掲載されていた展覧会の説明です。
没後10年を経て国内外から再び注目を集める石岡瑛子(1938-2012)。広告、舞台、映画など表現のジャンルから国境までを超え、世界的に活躍したデザイナーです。
本展では瑛子が、東京を拠点にしていた1960-80年代の仕事を中心に、センセーションを巻き起こしたポスターやCM、アートワークからスケッチまで400点以上の作品を一挙公開します。表現者にとって大切なのは「ほんとうの自分力」を培うこと。つまり「私」を磨き抜くこと。瑛子はその信念を胸に、革新的ビジュアルを生み出す創造の旅を続けました。写真や映像、イラストなど多様な分野のトップランナーたちとの協働作業コラボレーションを重ねながら。
本展は石岡瑛子のクリエイションの核となる「 I=私 」に迫ります。いまなお熱を放つビジュアルと瑛子自身の言葉に、時代をも超越するデザインの生命力を体感してください。これは“回顧展”ではありません。石岡瑛子は、ここにいます。いまを生きるあなたをインスパイアするために。
上のように思った理由がわかりました。東京時代だけ、ポスターやCM、アートワークだけだったからだと思います。1980年以降、ニューヨークに拠点を移し、ブロードウェイやハリウッドで舞台や映画の仕事をされるようになり、さらに、サーカス、オリンピックと仕事の領域がどんどん広がって、文字通り世界を股にかけて活躍されました。現美の時は、そういう展示もありました。日本未公開の三島由紀夫の「金閣寺」の映画のセットもあったように記憶しています。アメリカは権利関係がとても煩雑で、作品を借りるのがとても大変っていうようなことをギャラリートークの時に、現美の学芸員の藪前さんがおっしゃっていたのを思い出しました。
展覧会はほぼ撮影可能だったので、写真を載せておきます。

資生堂ホネケーキの広告(1964年)。瑛子さんの資生堂時代の仕事です。一番有名なのは前田美波里さんのサンオイルのポスター(1966年)だと思いますが、撮影NGでした。美波里さんのポスターはハワイまで行って撮影したそうですが、思ったような写真が撮れず、無理やり仕方なく1枚を選んでポスターにしたそうで、小さい写真を無理くり引き伸ばしたので、よく見ると非常に目の粗い写真でした。今なら、どうとでもなると思うのですが。

パルコの仕事です(1971年~)。資生堂には10年も在籍せず退職されています。パルコは心斎橋にもあって高校生の頃から行ってたと思いますが、当時はポスターなんてそんな注意して見てなくて、全く記憶にないのですが。

角川文庫の仕事です(1975年)。

オペラのポスター。オペラ「忠臣蔵」(1997年)の舞台、衣装デザインを担当されています。

「地獄の黙示録」(1979年)日本語版のポスター

「ドラキュラ」(1992年)のポスター
衣装デザインを担当されました。現美の時は衣装のスチールや衣装デザインドローイングもありました。
↑写真が何となく正面じゃないのは、すべてアクリル板があって、正面から撮ると自分が映りこんでしまうので、どうしても角度がついてしまいました。
《かべす》

ミュージアムカフェで瑛子さんをイメージして真っ赤なりんごの形をしてケーキがありました。せっかくなのでいただいてきました。
《オマケ》

美術館は海に面しています。

海側から撮った美術館です。安藤忠雄さんの設計です。