以前より健緒組命については何度かブログに記載している。
熊本市南区城南町の火の君文化センターに先日行ったのだが
健緒組命は火の君の祖として肥一族の古墳の候補地は
城南の塚原古墳群や竜北の大野窟古墳を含む野津古墳群など
いくつも候補となるものがある。
さて健緒組命の出自については 『熊本の健軍神社の神話 No367』で
以前に考察を述べたが、
古来よりの阿蘇三摂社と呼ばれる甲佐、郡浦、健軍のうち
甲佐、郡浦の主祭神である蒲智比命、八井耳玉命は
健磐龍命と系図ではつながりがあることになっている。
蒲智比命については『熊本の乙姫神社 No224』で考察している。
筆者の考えでは健軍神社では火の君の健緒組命をもともと祭っていて
それが阿蘇家に征服された際に
祭神の入れ替えがあって阿蘇の神を祭るようになったのだろうと思って
関係を詳しくは調べていなかった。
しかし附会であると軽率に判断せず調べてみる必要性をその時に感じた。
阿蘇惟敦の記した「阿蘇家伝 六」の笹原系譜、市原系譜等に
健緒組命が記載されている。
具体的には阿蘇家本では健磐龍命--速瓶玉命-惟人という譜に対して
笹原系譜では阿蘇大明神健磐龍命--国造大明神速瓶玉命--郡浦大明神--甲佐大明神--健男玉命
-健軍大明神健緒組命-惟人命となっている。
市原系譜では阿蘇大明神--国造大明神--速神玉命--速甕男命--神八彦命--健速玉命
--健玉彦命--大池主神--健津彦神--速彦麿神--甕男人神--健男玉神--健男組神--惟人神
となっている。
健緒組命の父が健男玉神となっているところが気になるところだ。
普通に考えると阿蘇国造の権威付けとして肥国造も取り込まれていったと
考えるべきであろうか?
今後さらに背景を調査していきたい。
熊本市南区城南町の火の君文化センターに先日行ったのだが
健緒組命は火の君の祖として肥一族の古墳の候補地は
城南の塚原古墳群や竜北の大野窟古墳を含む野津古墳群など
いくつも候補となるものがある。
さて健緒組命の出自については 『熊本の健軍神社の神話 No367』で
以前に考察を述べたが、
古来よりの阿蘇三摂社と呼ばれる甲佐、郡浦、健軍のうち
甲佐、郡浦の主祭神である蒲智比命、八井耳玉命は
健磐龍命と系図ではつながりがあることになっている。
蒲智比命については『熊本の乙姫神社 No224』で考察している。
筆者の考えでは健軍神社では火の君の健緒組命をもともと祭っていて
それが阿蘇家に征服された際に
祭神の入れ替えがあって阿蘇の神を祭るようになったのだろうと思って
関係を詳しくは調べていなかった。
しかし附会であると軽率に判断せず調べてみる必要性をその時に感じた。
阿蘇惟敦の記した「阿蘇家伝 六」の笹原系譜、市原系譜等に
健緒組命が記載されている。
具体的には阿蘇家本では健磐龍命--速瓶玉命-惟人という譜に対して
笹原系譜では阿蘇大明神健磐龍命--国造大明神速瓶玉命--郡浦大明神--甲佐大明神--健男玉命
-健軍大明神健緒組命-惟人命となっている。
市原系譜では阿蘇大明神--国造大明神--速神玉命--速甕男命--神八彦命--健速玉命
--健玉彦命--大池主神--健津彦神--速彦麿神--甕男人神--健男玉神--健男組神--惟人神
となっている。
健緒組命の父が健男玉神となっているところが気になるところだ。
普通に考えると阿蘇国造の権威付けとして肥国造も取り込まれていったと
考えるべきであろうか?
今後さらに背景を調査していきたい。
いつも興味深い記事を感謝致します。
別の記事のコメントで触れた古代日本列島の言語を研究されているAさんによると、阿蘇・宇佐・伊勢は明らかに同一民族の国だそうです。ひいては石神や石上など「イソ」という音の地名も、阿蘇の国を建てた民族が関係している可能性が高いのだとか。
最近気になるにがたけです。音のが大切で感じすると惑わされてしまいます。
祭神を理解するのにも苦労します。記事にある方も謎ばかりです。興味深いです。
阿蘇、宇佐、伊勢が同族だと私も嬉しいです。
そこで吉田さま!
阿蘇とは、あぞとは昔から呼ばれていなかったのでしょうか?蘇我氏でなく物部氏の印象が強いので。蘇我氏をぞがしとは呼ばないだろうから、どこかで区別したいと思っています。三笠山も物部氏が封印しているのでなくいてあたりまえだったのをなんて思ってしまいますが。9593、藤原さんに挟まれる土と木(水)?
古い時代のあぞという発音については良くわかりません。
ただ私は阿蘇を吾蘇(我蘇る)という意味にとらえていますので
私見では古来より濁音ではないと思います。
阿蘇の名前の意味を紐解いて行くと「蘇我」に繋がりますね。
「そが」は息長の息を音読みした「そく」が訛化したという説がありますが、蘇りは息を吹き返す事でもあるから、阿蘇と息長氏も無関係ではなさそうな気がします。
馬や船にも関わりそうですが阿蘇のよみがえりに貢献してくれそうな気がします。きつねではなくたぬきも。今日は私の狸の日でもあります。今後も記事楽しみにしています。元寇の頃までは日本は守られていたのに、今ではすっかりですからね。今後が楽しみです。
そしたらですね。本日の半覚醒中に石造りのアーチ状のたもとに昔の人二人「男性」が現れる画像を記憶していていました。これは啓示ではないですが、はっきりと記憶に残っていまして不思議だったのです。
天台宗の寺院を調べていて、能勢の本滝さんがでていると納得し、熊本県山都町福王寺(阿蘇氏の菩提寺)福王寺を偶々調べると、石作りの山門がアーチ状で、あの半覚醒中の画像だと衝撃を受けました。天台宗を調べることは必然だった?ようです。
「一乗」という言葉が気になり、乗とは乗り物なんですね。差別なく全員乗れる一乗の教えと受け止めました。こんな簡単に書いてしまうと失礼になりますので、教義については触れないようにします。あと法華経は28品あり、前半14品「方便品」→水に映る月。後半14品「寿量品」→天に映る月。天台宗は前半の方便品が重要のようです。こんなことは、簡単に調べれますので、序盤です。
どのような影響力をもっていたのか、、、
最澄は国費の遣唐使で唐からの最新の密教を中国天台宗傍系の順暁から灌頂を受け持ち帰った。その一年後空海は恵果阿闍梨からの密教を受け帰国。最澄の密教は傍系のため、空海に礼を尽くして教えを乞うたが二人は離反していく。最澄の天台宗は国家鎮護として法華経を中心として密教を体系化していく。その後、有名な弟子たちが次々と出てきて、最澄の遺志を継ぎ天台仏教総合大学のように、体系化をし、そこからまた、浄土宗や浄土真宗、曹洞宗、臨済宗、、など派生していきます。
しっかりと、後世の人たちがそれぞれの理論でもって「エッセンス」をどこにするのかを考えて派生していくのが素晴らしいと思います。弟子が育つという意味です。一代限りではなくずっと、水のように流れていく。
最澄の遺志、理論を継承していく。人が育つ。これが法華経の影響力ではないかと感じました。
空海は天才すぎて、何となく上手く弟子に伝わりにくい感じがします。完璧すぎて、ほかの宗派に派生はしなかったのではないかと憶測しています。
素人の個人的感想です。深くお勉強されているかたに突っ込まれると脆いです。
私にはよくわかりません。
歴史を勉強すればわかるといわれそうですが、、
実は、上記の最澄と空海のへんてこな文と山門のアーチの既視像の文を書いた後、聖徳太子と法華経を調べなさいと指示をうけました。
聖徳太子という人物を仮定して書かせていただきます。
もしかすると、ここから八代の妙見さんや能勢の妙見さん、秩父の妙見さん、日羅さんの八大龍王尊を祀ることへの秘密が解かれるかもしれないです。繋がっていますから、、
とりあえず、私のことですので、大意しかわからないと思います。
基本、奇跡は起こらない。それをむやみに信じないというのは、釈尊の理念でしょう。
これを必ず押さえないといけませんね。これが自分を守る術でもあります。
<a href="www.nichibun.ac.jp/graphicversion/abase/forum/.../fn045.htm..." >
上手く出来なければすみません<(_ _)>
自信ないわぁ、、、
ごめんなさい。
この二つのコメント削除お願いします。
また、出直します。