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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
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香春の呉音霊 No403

2015-07-22 10:31:09 | 神霊界考察
前回の記事の『呉音霊を考える No402』を記載し終わったら、
呉音霊について次の秘鍵が香春神社にあると伝えられた。

香春というのは今まで一度も調べたことが無い地域だが
『物部氏の三輪での祭祀の背景考察 No263』のコメントにて2011年に金鷹さまから
『秦氏一族の中でも奈良や京都の時代よりも遥か前から
渡来していた北九州は豊国の香春の鷹を象徴する
弥生時代の秦氏の血筋の者です。』というコメントと
『香春岳の辛国息長大姫大目命は神功皇后とは違う。
この神は鉱山の神であり、多々良の神=青銅製鉄の神。
即ちカバラの錬金術の神である。
この香春岳で神功皇后が関係しているのは卑弥呼の関係と言われている。』というコメントから
香春の地域は百済から渡来した弓月氏や新羅経由の秦氏である辛嶋氏などの
奉祭する地域なのだろうと漠然と考えていた。

今回呉音霊との関係を明らかにする必要性が出てきたので地図を見てみると

確かに呉という地名や少呉という地名が見つかった。
福岡県田川郡香春町鏡山呉という地名もあり呉人と銅鏡との繋がりを強く感じさせる。
知りたい呉との繋がりは前回も記載したが
春秋の呉越の呉(紀元前12世紀から紀元前473年 場所は蘇州・上海)であるが
三国時代の魏呉蜀の呉 (222年 - 280年 場所は南京あたり)が無関係というわけではない。
呉鏡で検索してみると
赤鳥元年 (238年) 内行花文鏡  山梨県三珠町鳥居塚出土
赤鳥七年 (244年) 平縁神獣鏡  兵庫県宝塚市安倉古墳
と呉から伝来されたか呉人が作った可能性がある鏡が2枚は出土している。

呉人のことはまだ糸口しか見つかっていないが
「漢倭奴国王」という倭奴国王への印の伝授や
「親魏倭王」という魏の皇帝から女王卑弥呼への印の伝授をみても
敵対する呉人は日本においても
追い詰められていったのではないかという推測が成り立つ。

八代市の中心部を流れる前川の徳淵(とくぶち)という所に、
河童が住んでいたという伝説が残っている。
この徳淵にいた河童の祖先は仁徳天皇の頃(313~399年)に
中国は呉の国から九千坊という頭目に率いられ
揚子江(長江)を下り黄海を経て
八代に上陸したと言われている。
その数は九千匹と結構な人数だ。
この河童と云われる呉人が九州の各地に広がっていったという。
確かに長江下流から季節風に乗って流れていくと九州地方に流れ着く。
熊本天草の富岡海岸の漂着物にもそれがあらわれている。
  
この一族こそ呉人の渡来の最初であるといわれている。
しかしこの伝承も時代は三国時代の魏呉蜀の呉であろう。

宇佐神宮に呉橋というものがある。
何度か補修等為されていていつ作られたのかははっきりしない。
屋根付きの木造橋で日本百名橋の一つとされている。
呉人が架けたと伝えられこれが橋の名の由来として残ったということだ。
間違いなく宇佐神宮の創建には呉音霊が関与している。

ここまで書いていて今、香春の呉音霊の一柱が見えた。
それは神農とされる姿と似ていた。

この姿は過去に感じた気比の都怒我阿羅斯等(ぬがあらしと)と思えた。

調べてみると香春には現人神社があった。
そして香春の霊ラインはこの現人神社を指し示していた。
香春の第一の秘鍵はこの地に呉人の気配があり
その呉人を指し示すのは都怒我阿羅斯等ということになる。


この地には白山菊理媛か天日槍の気配があると思っていたのに
都怒我阿羅斯等が現れたのには驚かされた。
都怒我阿羅斯等は呉人の血統なのだろうか?
『日本書紀』には崇神天皇の時に額に角の生えた都怒我阿羅斯等が
船で穴門=下関から出雲国を経て笥飯浦に来着したとある。
敦賀は都怒我=角鹿が語源と云われている。
朝鮮から渡来したと考えられているが
今回の一連の流れから云えば中国の呉の国の
長江からの渡来である可能性が示唆されている。

ところで炎帝神農氏の子孫である兵主神の蚩尤であるが
やはり角があるように書かれている。
『蚩尤』


河童はひょうすべ=兵主と呼ばれていることからも
八代に上陸した呉の九千坊という頭目は
炎帝神農氏の子孫。兵主神の蚩尤の子孫である可能性を感じる。
それならば頭に角があってもおかしくない。
河童の角はどこに消えたのか?
またこの一族と都怒我阿羅斯等との繋がりを考えていきたい。

要するに筆者は春秋の呉人は上海から船で九州にダイレクトに
いわゆる「江南ルート」で渡来して
その後、朝鮮に渡ったという経路を予想しているのだ。
この「江南ルート」とは日本のイネの中に
朝鮮半島にない遺伝子があったことから想定されている。
つまり稲は朝鮮経由で伝来したと云えないらしい。
参考文献
『すでに縄文時代に長江から稲が伝わっている』
『熱帯ジャポニカは中国江南地方から来た』
『長江文明の伝播と水田稲作を拒否した縄文人』

魏呉蜀の呉と日本との接点については
日本書紀及び穴織宮伊居神社に伝承が残っている。
『のりちゃんず 穴織宮伊居神社』
『阿知使主の謎』
阿知使主と呉王謁見の伝承
呉王は日本よりの勅使の到着をいたく喜び饗応し、
早速数多の優れたる工女の中より撰びに撰び人選を重ねて
裁縫の師として兄媛(えひめ)弟媛(いろとひめ)を、
機織の師として穴織・呉織の四媛を贈られた。
また呉をくれと呼ぶのは呉までの道のりを案内したのが
久礼波、久礼之だったからだそうだ。
日本書紀 応神天皇三十七年阿知使主・都加使主を呉に遣わし、縫工女を求めた。
阿知らは高麗ヘむかい、呉を目指した。
高麗王が久礼波・久礼志を道案内としてよこしたので、
阿知らは呉へ行くことが出来た。

ところで前出の江南から九州へのダイレクト航路は
一方通行であり逆に九州から航路で行くのは難しい。
従って戻る場合は朝鮮陸路経由となる。

どうも弥生時代を創りあげたと思われる春秋の呉人の伝承(紀元前300年)は
三国時代の呉の伝承(紀元300年頃)で上書きされているようだ。

その上に倭国大乱で呉人は敗戦し俘囚とされた為に
ますます情報が混乱してしまったようだ。


『日本書紀』によると都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は
于斯岐阿利叱智于岐(うしきありしちかんき)とも呼ばれ
意富加羅国の王子という。
意富加羅国とは朝鮮のことだとされるが、
記紀にもその他の歴史書にもその言葉に該当する国は無いようだ。
意富をオオと読まずにユーカラ国と読んで
中国のことではないかという話もある。
意富を無視し加羅国の部分から朝鮮としているが確実性は無い。
時代は第十代崇神天皇 第十一代垂仁天皇の時代とされ
天之日矛の伝承と完全にかぶっている。
これは春秋の呉人の伝承が上書きされたせいだと判断する。

ところで伝承では都怒我阿羅斯等も天之日矛も女性を追っかけて渡来している。
内容は錯綜しているが、とりあえず以下の組み合わせに仮定したい。

天之日矛-阿加流比売神  但馬国一宮の出石神社 新羅国王子
天之日矛に牛を殺すのかと咎められた男が許しを乞うて赤玉卵を献上
これが美しい童女と化した。
日本において渡来系出石族の伝承と重なり合って信仰されている。

都怒我阿羅斯等-比売語曽神 氣比神宮境内摂社の角鹿神社(式内社)香原の現人神社
意富加羅国の王子 牛黄の代償として得た白石が美しい童女と化した。

『古事記』では比売碁曾社の由来が天日槍と阿加流比売神の伝承となっている。
『日本書紀』では垂仁天皇2年条の注において都怒我阿羅斯等とその妻の伝承となっている。

このブログの末尾コメント欄に記載されているが
八幡神を奉祭する祭祀一族の末裔の伝承を教えていただいた。
それによると父が西周王の子孫(呉系)で母は釈迦族の末裔であるインドの王女が
2千年前に中国から葦船に乗って日本に渡来したそうである。
この女性は日本では辛嶋勝乙女とされるが、
首長としての能力があり彼女が大日霊女となったそうだ。

この話を利用しようという訳ではないが
比売語曽神は呉系で長江からの渡来人であったという
仮説の傍証としたい。


20160212後記
国東半島の姫島の比売語曽神社とは
語曽=呉楚で中国呉楚の姫氏ということを
意味していると考える。

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128 コメント

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Unknown (ulala)
2015-07-23 08:36:10
猛暑ならびに大雨お見舞い申し上げます。
お久しぶりです。
いつも読ませてもらってますが、私のレベル低すぎてコメント残すに至りませんでした。
邪馬台国の時代まで魏と繋がってて、それから五王時代まで途絶えるのですよね。
崇神天皇はミマキイリヒコで、魏と対立してる国から来られたんだなと思ってました。
2007年秋、紹興酒の紹興、杭州、蘇州、上海などを巡りました。
呉越の民族の違いが今でも一般民家の屋根の形にも残されていました。
車窓から見た農村地帯に日本の原風景を見た気がしました。
少なくとも近畿地方は呉の国の風習が残ってるなと
当時のブログ旅の記録残したのを懐かしく思い出しました。
返信する
吉田さま (りひと)
2015-07-23 09:00:46
凄いですね、河童が大活躍した時代があったのですね。それが日本を支えていたはずです。屋根付きの橋なんて!スイスにもありますね、繋がっていたら面白い木造の橋でルツェルンという地です。湖のある地です、水の神一緒かも?
すもうの土俵にも屋根ありますね、そう今話題になっている国立競技場も屋根でもめてますね。屋根と河童も関係ありそうな気がします。木を守る為だったと思いますね。

そう都怒我阿羅斯等さんですが、私の中ではヒボコさんとかぶってますが、朝鮮からではなくもっと早く日本に定住していたはずの一族に感じてました。嬉しいです。そう鹿もここにつながるはずです。ただ角はホルン型で鹿の角は後世の象徴だと思います。人間ウォッチからの解釈のみですが、若草山にもいたように感じますね。刀の鍔もいっぱいありましたけど金属と火の関わりもあると思います。呉音関係者だと凄いですね。
今年のポケモン映画にも力持ちの角に輪をかけた魔神のようなポケモン出てきましたね、みかづき型の角、これです。手がいっぱいでしたね。
どうやら牛や鹿の象徴になる方々が最重要なのかもしれないと思うながれになってきてます。お仲間に河童も必須です。
エリア的には九州だけではなく関東も東北にも広がっていくとも妄想してますが、それは地震やその他事件等で自然の流れで見えてくるといいですね。神のペースで人間が動かされる、これぞいい和合なのかもしれませんね。3198、3と8が1と9を挟む、まずは男性の方の解釈が必要みたいですね。
返信する
Unknown ()
2015-07-23 14:49:45
さすが先生、とても博識でいらっしゃる。感動します。

私も秦氏が住んでいたという事を見ました。

先生が掲載されておいでる、神農様のお写真、香春神社の山王社様のお姿によく似ていらっしゃいます。ハッと致しました。さすが先生…すごいですね。
神農様の息吹は今も香春にもおいでられるのですね。

では宇佐神宮の一之宮にいらっしゃるのでしょうか?
返信する
吉田一気 (ulala様への返信)
2015-07-23 23:29:59
お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
おかげさまで記事もなんとか
400を超えることが出来ました。
過去の記事の見直しもしていく必要があるのですが
自分で書いたことをどんどん忘れていくので
ブログの中身を濃くしていくことと
全体の整合と合理性を図るのは大変です。
旧石器人 縄文人 弥生人
その中に紛れる中国春秋・日本の弥生時代の
倭人 呉人 越人 楚人
それから3世紀の魏呉蜀の影響とを分けて
日本人の根底に流れる血統を
神霊背景的に探り出すのはなかなか困難です。
渡来人が押し寄せる中でも
保持されてきた気質のなかに
日本人としての神霊背景的があるのだと
思っています。
呉越の民族の違いが今でも中国で残っているように
日本にもその形跡があると思います。
神霊背景は歴史学者でも考古学者にも
解き明かすことが出来ない在野の学問です。
信仰の菩提となるものです。
これからも応援よろしくお願いします。
返信する
感謝です。 (りひと)
2015-07-26 12:13:44
ありがとうございます。父も喜んでいるはずです。新羅のヒボコはすでに先住していないと辻褄が合わない事と考えてました。都怒我阿羅斯等のぬは呉音ですね。それに伴い日本の鏡族が歴史に復活してくるはずです。金属との接点や技術の凄さでそこに日本再評価があるといいですね。阿知使主についても以前調べましたがスサノオやここも色んな伝承ミックスしたりかぶったかなり複雑です。
今年は父と同じ36年ぶりの三碧木星のひつじ年なのです。どこかで分身を産みたいと思ってましたが、体があると逆にやられてしまう可能性もありますのでこれでいいのかもと吹っ切れました。芸能界では、流産を超えて無事出産のニュースも多い年、また去年は数々の古を忘れていた災害による聖地の被害者もいっぱいいました。きっと生まれ変わってきていると思います。三碧木星って3とあおと木って物部さんとも関係ありそうですよね。ひつじは、犠牲になってきているイメージもあるので残り12月まで将来のための人材がどんどん揃ってくるといいですね。来年はさる、今年と来年は守り本尊も大日如来!鏡族が大事にした太陽や日が復活すると思います。火山の男神の復権になるかはこのさき、ゆっくりと。吉田さまの研究に関わるかはわかりませんが、楽しみにしております。よろしくお願いします。
4187、4は呉音一族と8は角一族、その間に一男?7の星も見守ってるといいです。
富士山が噴火したら日本の半分、阿蘇が噴火したら世界が危険、ならば噴火に対しての警戒と準備そして自然の恩恵に対しての感謝と人間活動の断念やあきらめや譲歩必要ですね。持ちつ持たれつでも人間の力は微力だとここのところ十分感じた事わすれないようにします。6047?6も理解必要なんでしょうね。81の前は60?物部さんがもっと先?連れて来られたのではない?石の信仰かなあ?大国主命さんだとどこも落ち着く理由?エンドレスみたいですが、生活第一でゆっくり研究します。
返信する
息長氏は呉人の末裔では? (禮月)
2015-07-29 08:48:04
香春の記事も読ませて頂きました。「辛国息長大姫大目命」ですか…あの息長氏との縁を強く感じます。恐らく彼女こそが三韓征伐に登場する神功皇后のモデルになった方のお一人でしょう。卑弥呼や台与よりも、もう少し古い時代に半島へ渡った女性権力者がいた可能性大です。息長という姓から、たたら製鉄のイメージは連想されます。大陸から海路で九州北部に逃れてきて、製鉄技術を伝えた蚩尤(神農炎帝氏)の末裔の可能性が高そうです。時代にするとBC150~AD50位でしょうか?崇神天皇が勢力を拡大する少し前だと思われます。
上代語で「から」とは半島や大陸のみならず、列島から見た海外全般を示しますから、決して朝鮮半島のみを示していたのではありません。何故か日本の古代史研究家達は「から」を高句麗、百済、新羅に限定している人が多いですけど。そのせいか、私達が小学生の時は日本に製鉄技術が伝わったのが、新羅からとされて、5世紀末から6世紀初頭と教科書にも書かれていました。
都怒我現羅人さんが列島にやってきたのも、当初は南下した勿吉に追われた6世紀末位かと思いましたが、もっと古い時代とした方が自然だと思います。
崇神天皇とは敵対していたのか、息長氏は半島でも勢力を伸ばしたのでしょう。古事記と日本書紀は、神功皇后を卑弥呼か台与である様な、無い様な感じでぼかして書いています。卑弥呼を特定の個人を表す名前ではなく、肩書き役職を表す名前と考えれば、辛国息長大姫大目命も製鉄の炉の炎の神に仕える「火巫女」だった可能性があり、魏誌倭人伝に登場する卑弥呼とは別人となります。但し台与の方は息長氏の血を引いている可能性が否定できません。気比神宮のある「越」出身と書かれているからです。
中国の歴史書と広太土王碑文に残されている史実と照らし合わせるなら、神功皇后の三韓征伐のエピソードは、雄略天皇が辛国息長大姫大目命を政治的プロバガンダに用いた事がきっかけではないか?という仮説を立てました。
三國史記を編纂した高麗王朝も、新羅の建国を高句麗よりも古い時代に見せかける為に、雄略天皇の半島遠征を大辛国息長大姫大目命の半島移住の史実としたのだと思われます。
返信する
吉田様へ (すずたま)
2015-07-29 12:09:37
吉田さまの神霊的考察が日本というクニの最深層の真相に及びはじめるのを目の当たりにし、戦慄的に身の引き締まる思いです。皆様方のようには霊的感受性に恵まれもせず、神様系にもうとい私ですが、古代史を少々かじってきて、結局知識面だけで研究しても真実にいたることは絶対に絶対に無理、と悟り始めました。

以下は、迷いに迷った末に少しだけお伝えさせていただくことに決めたところの「封印された八幡神」に関する、ある情報です。トンデモ的に通説とはかけ離れていますが、私は真実であると仮定して一般歴史書を漁りつつ検討を続けてまいりました。神霊的観点ではどうご判断いただけることでしょうか?
○字を含むのは、このコメントで吉田さまに一切のご迷惑をおかけしたくないためです(あまり意味がないかもしれませんが?)。

最低限に簡略にお伝えします。その情報によれば、
八幡神(ヤハタノカミ)とは、2千年ほど前に生きた一人の渡来女性です。
千数百年にわたり段階的に、近代にいたっては徹底的に、完全犯罪的に、封印されています。
その女性とは、書紀ではアマテラスの別名とされるところの、オオ○ルメ(○日霊女)、その名は「辛○勝乙女」です。

情報元は、1994年刊「今、○界と○本で何が起こっているかその恐るべき実態」(調和を目指す○絡会)という2冊組の簡易な印刷の本。著者は、八幡神を奉祭する祭祀一族の末裔、辛○某女史。
古代史や日本神話に無知かつ無関心だった数年前の私を、一気にその分野に引きずり込んだのが、知人に譲られたこの本でした。今は入手困難です。

全編通して縷々訴えられているのは、八幡の真実を一子相伝で秘匿してきた血統にあるために、「ある世界的組織」から攻撃を受け、古文書は○内庁に取り上げられ、先端科学テクノロジーおよび霊的テクノロジーにより、「魂エネルギーの簒奪」が行なわれ、いかなる過酷な状況下で廃人化あるいは死にむけて心身を抹殺されつつあるか、壮絶怪奇なる体験の数々が臨場的に記述されています。(現在は生きておられないと思います)。
肝心の八幡情報は、霊的攻撃により記憶も薄れつつあるとのことで、ほんのわずか、全体の数パーセントにもなりません。
数年前にはネット上にこの本についてのコメント(トンデモ・オカルチック部分への関心のみであり、八幡情報に注目したものは皆無)がいくつかあったのに、不思議なことに今日見ると全て消えています。何故か英訳本のみ通販されていますが?

某女史の語るところを、もう少し書きます。
「辛島○○女の父は西周王の子孫、母は釈迦族の末裔であるインドの王女。2千年前に中国から葦船に乗って渡来した。
辛○氏はスサノオの子イタケルノミコトを祖とする。
彼女は類まれな神人であると同時に古今東西の宗教や学問に通じるマルチな天才だった。
世界諸宗教の根本はひとつと悟り、縄文アニミズムと合体させて、日本における最も古態の古神道を創始した。
その神祀りの方法は代々天○家に伝えられたが、禰宜の急死により昭○○皇には伝えられなかった」。

続き
おそらく、香春神社、香椎宮、宇佐八幡宮等の隠された元神は、すべてこのかたです。
比売大神とか辛国息長大姫大目命とか豊姫とかいうのも全部。(「大目」はオウマ←勝乙女のオツメ?乙女は乙目とも書かれます。)

神巧皇后は真実を隠すためにヒミコはじめ複数の祭祀女王(斉明天皇も含む?)がミックスされた捏造存在といまのところ推測しています。
ヒミコが親魏なら、半島の狗耶韓国(≒敵対していた狗奴国?)に兵を出すのは道理ですし、斉明が伽耶系と仮定すると、伽耶を乗っ取った統一新羅と戦うのも道理です。

自分なりの探索の結果、ククリ姫、白山姫、十一面観音、伊勢神宮内宮後方にある荒祭神、瀬織津姫、撞賢木厳之御魂天疎向津媛(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)等の謎の女神たちは、みなこのかたと関連性があると考えています。イコールではありませんが、同じ霊統、範疇にあると。
その働きは、太陽女神ではなく、「月神」であり、水の女神の一面もあるのだろうと考えています。ククチヒコの狗奴国と対立したヒミコは別系統でしょう。

私見を述べますと、ヤハタノカミは、メビウスの8の字の中心にあって時代をククル(括る)(反転させる)神。即ち見えない世界での封印はすでに解かれ、今現在大御活躍中の女神と思います。
月の時代(夜の時代)(偽太陽の時代)を真実の霊太陽の時代に反転させる神です。
そして隠された神、ツキヨミノミコトの働きとも重大な関わりがあると・・・?
さらに、少彦名とも・・・?(吉田さまの少彦名考については未だほとんど読み込めてないのですが。)
返信する
続き (すずたま)
2015-07-29 12:11:42
続き
また探索の結果、オオ○ルメは呉方面から来たとの結論を得ています。鹿児島から上陸したと思います。かつて徐福が来たルートのひとつで、琉球弧を渡ってきた可能性もあり?
鹿児島神宮はオオ○ルメの伝承を残し、全国で唯一呉の太伯を祀る神社でもあります。

豊前宇佐の○島郷を中心に結集した○島氏は金属精錬集団でもあり、鉄を求めて半島南部に出向いたのでしょう。(すでに祖であるスサノオ系イタケルが開発した地?)
彼らを核とし、半島南部と豊前をつないで秦氏のクニが形成され(=狗邪韓国)、豊前の銅を求めてUターンした人たちが香春神社を建てたと思います。
新羅神が云々されますが、実は豊前から出向いてUターンした秦氏の神のわけです。
のちの統一新羅は元狗邪韓国の地(≒金官加羅)を祖神ごと吸収したのでしょう。それが金首露伝説(インドの王女を后に迎えた云々)になっているのかも?
新羅の建国譚は伽耶のコピーであり、半島史も日本史とセットで大幅に捏造されているでしょう。

最後に。
鷹やら小童のすがたで顕現する八幡神は、「我は誉田天皇広幡八幡麻呂(ホムタノスメラミコトヒロハタノヤハタマロ)なり」と名乗ります。ヒロハタヤハタと秦氏の神であることを強調しても、即ち応神天皇、とはどこにも書いていません。
応神天皇の和風諡号はホムタノスメラミコトとかホムタワケノミコト。ヤハタはつきません。
(ホムタですが、製鉄の溶鉱炉を指す、という意見も目にしたことがあります。)

もうひとつ、香春の銅が大仏に使われた背景とは、この偉大なる神女は大日如来(の再来)とみなされたのではないでしょうか?

・・・なるべく簡略をこころがけるつもりが、ついいろいろ書いてしまいました。間違った私見も混じっていると思います。これ以上は、コメント欄に長々書くようなことではないので、自分の責任において別の場所(ブログとか開設して?)で発表しようかと思っております。錯綜した八幡信仰史の研究も限りなく難解でなかなか進まないし、天○家のタブーに切り込むことでもあり、ずっと先延ばしにしにしてきましたが、きりがないので一か月後くらいには何とかしようか?と。(来月は仕事が忙しいこともあり)。一か月黙っておれない気がして、軽率と思いつつここに書かせていただきました。

ちなみに、私の母の郷里は菊池です。(私自身は岡山です)
「呉音霊」にそっと肩をたたかれて、このコメントを書いたかもしれません。
(ご判断によってはあとで削除してくださってもいいのですけれど?おまかせいたします。)
返信する
勉強になります。 (りひと)
2015-07-29 21:01:02
すずたまさんへ
本当凄い研究量ですね。そんな方にであえた事に感謝です。でも不思議ですね、伺いたい地、凄い地に縁がある方というのも!ネットならではの危険も同じく警戒しながらですね、吉田さまにも迷惑かけずで。そもそも私がとんでもない事ばかりで恐縮です。神社との付き合いと一緒で直接感じたこと教わったことに感謝することととまた自分の体験考えを含めて再検討してそして自分の考えとして自分の関わるすべき事だけみんな出来るといいですね。日本人にはそこが弱いので偉い方がこうと言ったらそこに疑問があっても流されていく。あれ~と思いながらも、外人ではあり得ないと思います。あなたはどうなの?って。でも今回競技場の事でも一般人の意見がたまりに溜まって変更にいくなんてびっくりですよね。日本の少しずつ変わってくるかもしれません。オリンピックの会場より選手への援助の水準が低いとの事も取りざたされましたね。何が大事かちゃんと考え始めましたよね。
歴史も色んな説があるのが普通、あとは受け取る方の利用の仕方に品格等が伴えばいいですね。
本当に勉強になりました、ありがとうございます。7398お決まりの番号、良し。
返信する
初めまして (禮月)
2015-07-29 21:56:32
すずたま様。
初めまして、禮月と申します。
すずたま様の香春神社と大辛国息長大姫大目の考察は、魏誌倭人伝や後漢書並びに晋書等の古代中国の歴史書の記述と照らし合わせても、何ら矛盾は生じないですね。大陸側が記録した史書は時期が正確なだけではなく、出来事も公平かつ詳細に書かれている為、半島と列島の古代~奈良時代までね歴史を考察する上では不可欠な資料です。
都市国家時代の新羅は、西周の末裔で神農炎帝氏の血を引く一族が列島から半島南部に建国した、狗奴韓国が母体の様な気がします。周王朝の王族の姓は「姫」か「妃」氏で、読みは「きし」だったと習いました。女神を氏神にしていていたか、神女たる巫女が政治の中枢にいた感じがします。この「姫又は妃」氏の長が大辛国息長大姫大目命で、彼女が朝鮮半島へ民を率いて移住したのでしょう。
一方、統一新羅を建国したと言うより西周系倭人が建国した新羅を簒奪したのは、外満州に住んでいた狩猟民族の勿吉族で、鼬婁(ユウロウ)とも呼ばれていました。
神功皇后の三韓成敗のエピソードは、外満州から南下してきた勿吉を撃退する為半島し在住していた倭人系新羅への援軍として赴いた雄略天皇とかつての狗奴韓国の領土を勿吉から取り返そうとした斉明女帝のエピソードをミックスしたものだと考えます。
返信する
香春が朝鮮語起源に疑問。 (禮月)
2015-07-29 22:36:51
追記です。
香春神社の「かはる」という読み方は朝鮮語(韓国語)の「カクホル」が起源であり、元は朝鮮の神だったと書かれている以下のサイトがありました。

ttp://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hachiman-kawara.html
(直リンクは避けました。)

私はここで異議を唱えたいと思います。
と言うのは、8世紀頃までの古代の朝鮮半島の言語は、漢語を共通言語としており、各民族毎の言語はまちまちで異なっていました。これは魏誌倭人伝と後漢書東夷伝に明記されています。また、古代列島の言語学を研究しているネット上で知り合った人曰く、当時の高句麗、百済、そして新羅人がどんな言語を使用していたのかは、言語学の専門家からしても現段階でも想像も付かないのが現状との事です。つまりこれと言った有力な説さえ無いらしいんですよ。

更に複雑な事に、百済も高句麗も征服王朝の為支配層と被支配層とでは民族も異なっており、当然使用されていた言語も民族毎に異なっていました。そのサイトの運営者は一体何を以てして朝鮮語と判断していたのでしょうかね?

因みに三韓時代に「朝鮮語」や「韓国語」という言語は存在していません。当時のリアルタイムで書かれた中国の歴史書は数多あれど、言語について言及している資料はほぼ無いに等しいのが現状だと言語学の専門家がそう言っているんです。


りひと様
7388が出ています。
返信する
吉田一気 (すずたま様への返信)
2015-07-29 23:29:00
貴重な情報提供ありがとうございます。
感謝します。
すでに禮月様がお答えになっておりますが
①父方が西周の王家の流れという事で
国姓は姫で呉の太伯の末裔ということと思われます。

②辛嶋勝乙女については
比売語曽神≒阿加流比売のことだと思えます。
御白石で表わされ御神霊は姫島におられます。
中国からの渡来ルートは朝鮮経由ではありません。
呉霊神の感応があったものと思われます。

③香春の銅が奈良大仏に使われたことにより
神霊背景的には地方の神霊であった八幡神が
それ以降に国家神に成長しています。

④比売語曽神は向津媛と同体であるといえます。

⑤息長帯比売命は人間として実在します。
香春で比売語曽神と怒我阿羅斯等の神霊に感応し
神功皇后として九州をまとめ上げ
なおかつ朝鮮に出向いています。
神霊背景はベースが龍宮海龍神です。

⑥比売語曽神の霊力を以て怒我阿羅斯等が
霊的な権限を持つに至り君臨しましたが
その力を宇豆比古に譲っています。
それ故に宇豆比古は倭宿禰(倭国王)となります。

⑦宇豆比古の権力はその後に妹の山下影日売を
通して武内宿禰に譲られます。

⑧秦氏系の辛島氏にとっての八幡神は
YHWHであり男神が第一殿と考えられる。
そして実際のところはたぶん怒我阿羅斯等だと思います。
第二殿の比売大神は呉霊神を宿す辛嶋勝乙女でいいかと思います。

⑨神功皇后にとっては残念ですが
誉田天皇と応神天皇は血統が別であり
神功皇后の血統は途絶えています。

以上が私の仮定するところです。
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吉田一気 (すずたま様への返信 追記)
2015-07-29 23:44:15
今感応がありまして
古代宇佐祭祀での
第一殿は太陽
第二殿は月
第三殿は海原 隠れて星
と考えていいと思います。

この中でまず第二殿の
月が封印されたということでしょう。

そして第一殿に関しては怒我阿羅斯等と
呉音霊が封印されていますね。
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何度も失礼します。 (禮月)
2015-07-29 23:48:03
古代列島の言語学研究家であるAさん曰く、香春(かはら)は河童と同義語だろうとの事です!私の個人メールに返信が来ていました。

吉田様
九州を纏め上げた息長帯姫とは、卑弥呼の後を継いだ台与の事ではないか?と考えています。香春神社には豊姫が祀られており、台与の名前の由来も豊姫の祭司を行ってたからでは?魏の使者達は彼女が崇拝していた神の名前を彼女の名前と思い込んだのかもしれません。

台与の故郷の越の国には気比神宮があり、都怒我阿羅斯等との縁も深いです。台与が怒我阿羅斯等の感応を感じ取っていた可能性はとても高いでしょうし。

数字は1711です。
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吉田一気 (禮月さまへの返信)
2015-07-29 23:51:13
私が香春の呉音霊でいいたいことも同じです。
新羅神が到来したのではなく
紀元前到来の呉音霊が朝鮮に還流したのです。

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吉田一気 (禮月さまへの返信 追記)
2015-07-30 00:02:31
香春は河童と同義語だと私も思います。
そもそも菱形池に八幡神が童子で現れたという事も
河童を暗示しています。
問題はブログ記事中で述べているように
河童の角はどこに消えたのか?ということです。
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りひと様、禮月様 (すずたま)
2015-07-30 00:07:01
そうとう変わり種なことを書いてしまい、皆様固まってしまわれたかと心配でしたので、あたたかいコメントに心底ほっといたしました。
皆様の鋭い視点や感性をかねて尊敬しておりましたので、嬉しいです。

禮月様、雄略天皇という切り口は考えていませんでしたので、あらためて考えてみます、ありがとうございました。

イワイの乱は倭王朝崩壊への第一歩でしたが、イワイは雄略(=武?)の子という説もあります。
イワイの乱から継体朝成立にかけて「安閑天皇」という存在があり、このかたが歴史の闇の鍵を握っているような予感がありますが、禮月様はたしかこの名にどこかで触れておられましたね?

「西周の末裔で神農炎帝氏の血を引く一族」
私はこの一族にk女史いうところの釈迦の血を引くインドの王女(=金首露伝説にいうアユダ国の王女?)が嫁いだ、というところに強い関心があります。
安閑はアユダ国とかマガダ国の流れをひくような予感があるのですが、妄想の域を出ません。(安閑の流れから蘇我氏が世に出たという異説もあります。)
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吉田様 (すずたま)
2015-07-30 00:11:19
御返答有難うございました。

これからゆっくり熟読いたします。

やはり歴史書読んでいくら頭をひねっても金輪際無理だと再確認です。
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Unknown ()
2015-07-30 06:56:28
すずたま様、勇気有る書き込み、私も拝読でき嬉しく思いました。

本当ならば凄い事。時代の変わり目とは、これから、どうなるのでしょうか…もう既に御活躍との事でしたら、どんな事をされていらっしゃるのでしょうね…すごいなぁ…と思います。
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安閑天皇は蔵王権現との伝承 (禮月)
2015-07-30 08:11:44
すずたま様。
安閑天皇が蔵王権現の化身というエピソードがあります。
何故蔵王権現が出てきたのかというと、チリやインドネシアで火山活動が活発化しといる事を受け、日本も世界有数の火山国なのに、火山の神様がいないという流になりました。長い歴史の中で封印された火山神がどなたなのか?という考察を吉田様やりひと様と続けてきました。そして、山岳信仰には不動明王が切っても切れない関係である事と、御嶽山や蔵王山に祀られている青面金剛と蔵王権現の姿が不動明王に酷似している事から、日本神話でこの方々に比定される神様は何方か?という話になりました。
その中に三峰神社の主祭神かつ蔵王信仰の権現の蔵王権現が安閑天皇と同一視されているエピソードを見つけたのです。
安閑天皇は65歳で漸く皇位に就いており、これが史実なら明らかに中継ぎだろうと思われます。また播磨には安閑天皇には皇子がたった一人だけ生まれており、秦河勝という名前だと伝えられています。息子が秦姓を名乗っていたので、安閑天皇も辛国息長大姫大目と同族の可能性がありますね。
霊感を駆使して古代の天皇を霊視されていた方のサイト(ほぼ心霊サイトなのですが)では、「安閑天皇は外見がインドかシルクロード辺りから来た方の様で、僧侶の格好をされている」との霊視結果を書かれていました。
武烈天皇~欽明天皇迄の時代を記した古代中国の歴史書では、この時代は天皇と皇太子が相次いで没した為国は乱れたと書かれています。個人的には雄略天皇=武烈天皇で、雄略が重祚して武烈になったと考察しています。
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職人集団って感じですね。 (りひと)
2015-07-30 08:24:12
大昔は、多分専門の職人達が必要な時にお互いの知恵を絞って使命を果たして橋祭事に必要なものを作っていたのでしょう。それが権力者や取りまとめ役が自然に出来、気が付いたら現在商社役の取次役が出来、あっという間に物作る専門家たちは一番報酬もなくまた地位や身分もなく追いやられてしまったのだと思います。ただこの流れ、少し変わってきそうですよね。プロ意識を持っている農家やそれを直接購入する消費者も出てきますね。というのも仲介したり、売ってくれる方の物に対する愛情が消費者には感じられないし、だったら作ってる方に来ちゃった方が早いってメーカーに聞いちゃったりします。中間で売るためには安くすることと手をかけないことに徹しています。メーカーから説明する方を呼ぶ形も増えてます。

物作りの原点は熱意、おそらくそれを古代やってきた一つの役割に河童がいます。土木や薬もかな?水神の役割もひょっとすると?

お金に換算すればお金が多ければ満足の時代が変わってくるかも?金属の登場でそれが一番になってきて金属を持っていれば偉いなんて感覚になったんでしょうね。武器にすれば当然強いのです。
ただお金は手段で目的ではないのは中国のバク買いでもお金余裕あれば日本に来て日本の物を買っていく。物にこだわるんですね。

それほど日本のイメージは凄いんですよね。それなのに後継者が育っていない理由に職人の立場と評価が低すぎな事があります。

ドイツみたいのマイスターとして守れないのか?と。でも色々な水面下の活躍もあるはず、見守りたいですね。

TPPの件も辞めてしまう肥料の会社も多いとか?これからはそこを援助しないといい肉が食べれない事になります。

古代の職人集団の復活、河童の復活が日本を何か刺激するはずです。
皆様のおかげで何か変わるといいですね。

そう大津にもしこぶちさん?河童かなと思っている神がいます。九州だけでなく近畿にもそれも聖地大津にもいそうです。また関東にも川に沿って古墳がいっぱいありますし、またその先東北にもかなり河童伝説あります。全国にいるはずです。胡瓜が関わるのも河童と関係あるかもしれませんね、神事やお盆行事と知らず知らずのやることは出来ていても、河童へとちょっと思ってあげるだけで変わる気がします。

香原が河童は私の人間ウォッチからもかなり嬉しいです。香取のフツさんと田原藤太(唐沢神社)さんと河童が関係ありそうですから。そうだ、唐沢神社に足尾神社ありましたね、銅山ですよね。

こちらでの情報交換が今生きているみなさんの役立つといいですね。9579、9!
春日さんが応援してくれるといいなあ、まだ甘いかな?6374、6がまだ絡んでこない、玉造だとは思うけど、八幡とは関係あるけど大国主命さんを解明しないとわからないなあ。
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安閑天皇 (りひと)
2015-07-30 10:18:32
吉田さまへ
私も御嶽神社系が父に関わるので安閑さんが絡んできているのは感じてましたがお二人今回ここでの指摘があり調べてみました。

すると安閑さんのお妃さまがお二人いてその一方が尾張さんの女さんですね、きたきた。そして安閑さんには皇子はいなさそうですが豊彦という方の記載が信憑性はなさそうですがあるよう。
昨日たまたま物部さんの珍しいお名前の方を調べていましてその方の娘が安閑さんの妃のお一人で、姉妹の方ではないんですが、この安閑さんのお妃様三人って宗像三姉妹イメージが似てるようにかんじてます。もしもお一人に皇子がいたら八幡男神と八幡母神?おまけに物部氏がすでに絡んででます。蘇我氏が活躍する前にすでに物部氏が妃を出しているとは?鎌足と天智天皇のお妃の件でも貴人でないと嫁げないはずですが当時それほどの大事な一族だったはず。でも後ほどの歴史ではタブーでしょうね。
安閑天皇は、ある意味丁重に祀られていますね、それも大国主命さんとかぶってる部分もちらほら。ひょっとしてお杓子さまには安閑天皇さんと物部の娘が?なんて妄想し始めました。去年春日に行って神様お手紙書かせて頂いたのは今頃です、一昨日もなぜか春日の御旅所に無事いけました。春日と香春の関係も河童が関わる可能性ありそうです。

つのがない理由は、春日が握っているようですね、フツが斬ったとか?鹿の角切り神事って?フツさんはやらされただけですね、頼まれて仕方なく、正義感強いので。カラの血ありそうですよ。

そう河童の頭のお皿って濡れてないとだめだと子供も言ってましたが。角の名残?

そう山岳の方が多いかな?狛犬で角が凹んているの見たことありませんか?きられたのか?狛犬も河童だったり?

そうだ、弘法大師も水を出す時、棒でかき回したり立てたりしますよね。柳井戸だっけ?つのって大事なのかもしれません、水を出す為に。月形の角です、これ第二御宮かな?

私の中で物部氏と蘇我氏が逆に思う事、そして安閑天皇がやたらでる6のヒントと考えると大国主命解明のきっかけになりそうな気がします。安閑天皇のお名前に勾玉の勾があります。山に祀られているのも巨石や石の神事に関わりを感じます。
先ほど今日の地震みたら【北海道】
弟子屈町でした。てしかがと読むようですが、テシカ.カでアイヌ語で岩盤の上という地名みたいで磐井の乱の記載もありイワや石に気になっている所でした。東北のいわき市もかなり気になってます。

馬子のお墓も物部さんよりに考えてますので6と石と大国主命と安閑天皇で妄想しました。玉造と八幡は金王八幡で繋がります。源氏にも関わるはずです。

いつの日か役立つといいです。
そう子供の夢でやたら犬に追いかけられる夢で怖いと言ってます。安閑朝で犬養の組織出来たのか?ちょっとリンクしました。4146、6と接点あるのは4みたいですね。3545?5が喜んだ?大地の神、知恵の女神日本に河童と一緒に住んでいたのかなあ?
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角を奪われた河童? (禮月)
2015-07-30 16:10:13
奪われた河童の角は、製鉄技術技術と製鉄に必要なインフラの事かな?と思います。また「角」は武器も連想させるので、武力も削がれたのでしょうか?その武力を削いだのは誰でしょう・・・
私は、もう一つの製鉄王国である吉備と、鬼から財宝を奪った桃太郎(吉備津彦)の存在を思い出しました。吉備津彦が闘った鬼のモデルは百済からやって来た高度な製鉄技術を持つ「温羅(ウラ・オヌラ)」と言われています。温羅も頭に角があり、蚩尤との外見的な共通点があります。
只ここで一つ問題が生じます。河童(呉人)から角(製鉄技術とインフラ)を奪ったのが、吉備津彦と温羅のどちらなのか?という事です。
前者の場合は、河童=温羅となり、辛国息長大姫の一族が吉備津彦に打ち負かされた事になります。ところが後者の場合は、呉人と百済人との間に戦争が起きて百済が呉から製鉄技術や設備を奪います。吉備津彦は百済から製鉄技術を奪う訳ですから、吉備と呉人との関係が複雑になります。
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桃太郎妄想記 (りひと)
2015-07-30 18:25:22
そうなんです、ここが皆さんの疑問点。温羅には阿曽姫がついてるので肩入れしがちなんです。なので大吉備津彦さんをヒールにしたいのですが、どうやらこの方も地域でそれなりの評価があるようです。ただ温羅は今でもすごい人気みたいですね。そこでこの前大彦命調べていて思ったのですが、平和的解釈すると、元々たたら系である程度統一感があったところに四道将軍が行かされたそれも大彦命さんが四街道全てに、もうすでに基盤もあったはずでと。あとは大彦命の許可だけだったと。まあ極端な平和的な発想ですが。金山彦と大彦命もかぶるのでこの所、その方が父の解釈に納得いくのですが。組織の長を従えちゃうと早いですよね、統一って。日本武尊も近い思います。温羅に対しての犬は凄まじいですので怖い存在、楽々森彦もキジもククノチまで吉備津彦神社の辺りにもいますね。
最近歴史へは引き算を使って解釈してます。登場人物を減らす事、エピソードをやけに書いている所に怪しさ感じ、百済と新羅はあえて書いている所は逆に先住として考えてます。
そんなで間違って大彦命がひょっとしてやってしまったか?温羅と大彦命は同じルーツなはずなのでやってない、むしろやってしまったヒール役は犬さんなのでは?と。なので大吉備津彦も温羅も地域に愛されていてほしいです。そう吉備津彦のお墓って、茶臼山女神っぽいんです。吉備津彦にも温羅にも関わる女神がいそう。何の根拠もない希望的平和的解釈です。
7498、お決まりです。4380、3が出てほっとしました。
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吉田一氣 (禮月さまへの返信)
2015-07-31 00:01:29
やはり温羅に行きつきますか?
吉田一氣の考えとしては
河童=温羅と仮定して
菟狭津彦一族が吉備津彦に打ち負かされた事
という気がします。
呉系を倒したのは日本においても
越系と楚系ではないかと思います。
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吉田一氣 (りひとさまへの返信)
2015-07-31 00:20:04
現実世界への神霊界の関与を見極めようとされる姿勢は感じ入るものがあります。
歴史を探索している訳ではないのですから
その姿勢が大切だと思います。
ところで『安閑天皇のお名前に勾玉の勾があります』とは
『廣國押建金日の命、勾の金箸の宮に坐しまして
天の下治しめしき。』のことでしょうかね。
安閑天皇については不勉強ですが、
禮月さまのコメントに
「安閑天皇は外見がインドかシルクロード辺りから来た方の様で、僧侶の格好をされている」との霊視結果があると書かれていますが
もしかしたらトンスラ頭=河童スタイルかもしれません。
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吉田さま。 (りひと)
2015-07-31 01:04:29
ありがとうございます。
どうやら諱というもので勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)との日本書紀での記載があるようです。大兄は良く聞く名前でその修飾で勾だったので気になってしまいました。ただ諱というものは日常本人も使わないような感じもありそうですので戒名に近いのかしら?そこは私こそ不勉強なのでもっと追求してみます。淡海三船さんってどんな方なのか?も気になっていましたので一人の人間持つ色々な名前は生前とその後、三船さんの時代とおそらく違っているだろうと思います。そう宮のお名前にあるのも本人自覚があるのかどうか?単純に勾が多かったのでつい深読みしただけです。ご迷惑おかけしました。インドですかあ、そうそう呉音で金はコンって読むようですが、金比羅さんはコンだから呉音かと考えて一つ思い出したのが、コンピーラってわにかさめ?だっけと。今実はわにとさめにもだたならぬ興味がありまして。ガンジス川のワニの神?そんな気配もあります。インド繋がりであれ?と思いましたね。和邇氏が猿田彦との流れとの話もあり、ワニならインド経由やってきたのかとも思います。ただ私は、むしろさめが気になって仕方なく猿田彦もさめの方に寄せたいと検討中です。わにざめといっちゃえば同じなのですが、あえてさめで動いています。わには卵生かな?さめは違うはず。呉音の方がやって来た時、さめもお供していないかとも?妙見のようにさめに乗ってきていないか?と。うさぎが騙したのもわにザメ、出雲で娘の足を奪ったのもわにザメ、父が怒りあらゆる神祈ったらそのわにザメを出頭させ手助けしたとか?人間が一番弱いみたいですね。うなぎも神とされていて食べない地域もあるようですね、土用の丑の日の関連でやってましたが、どうやら人助けもするので同じような役割感じますね。観音運んだりも。安閑天皇とわにざめやうなぎ同じルーツなのか?ゆっくりみてみます。5988!いいぞ2830、2が出たぞ。オモダルは足、安閑さんも足だよね、インドと全くなかった発想です。何かお知らせありましたら報告いたします。
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安閑天皇と和名にある勾と金の文字 (禮月)
2015-07-31 08:07:29
吉田様
霊能力者の霊視結果に現れた安閑天皇のお姿が、トンスーラ姿で、河童を連想させるというのは盲点でした。私は、その霊能力者の人の文章から、仏教僧の姿を想像しましたので。
安閑天皇の和名には「金」と「勾」の文字がある事から、金属加工と勾玉作と関係ある一族の出身かと考えました。もしかしたら製鉄の辛国息長大姫一族と、翡翠が採集できる「越」の国の両方の血を引いておられたのかもしれないですね。蔵王権現の化身と言われる所から金山彦、猿田彦、塩土翁との繋がりも見えて来ます。
血筋的に見ても、雄略朝~欽明朝の混乱を纏める為には、安閑天皇が一時的にでも皇位に就くのが政治的にベストだったと想像します。
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八幡神の真実 (すずたま)
2015-07-31 19:28:21
〈吉田さまへ〉
忙しかったためやっと今朝、「御返答」を熟読させていただきました。

学者が束になって追及しても「謎の八幡神」であり続けた存在の、限りなく真実に近い答がここに書かれていると思い、震撼としました。

k女史情報で八幡神と大日霊女がイコールで結びつけられることにはわずかに違和感があったのです。何か一つの情報にこだわりすぎるのを今後やめます。

御返答から、宇佐八幡の祭神を勝手ながら私流に理解し纏めると、
①一の殿、太陽神(男神)~八幡神、YHWH、呉音霊、これらを体現する実在人物としては都怒我阿羅斯等
②二の殿、月神(女神)~比売大神=比売語曾神≒阿加流比売、呉音霊のながれ、実在人物としては辛嶋勝乙女
③三の殿、星神

これからすると、
①アマテラス、②ツキヨミ、③スサノオ
とも、読めますが・・・?

③は「海原、隠れて星」とお書きになっておりますが、この表現がよくわからなかったのですが、神霊アマテラスと神霊ツキヨミの治める範囲を天界(昼、太陽)と地界(地底、ヨミのクニ)とすると、海原とはその中間にあって人間の住む、現実界を表すようにも思えますが。つまり太陽・月・星=天・地・人?
浅薄な読み方で申し訳ありません。

「星」というと、スサノオの源郷と思われるメソポタミア、今の中東方面の国旗は星が描かれているものが多いことや、海洋系と縁の深そうなオリオンとか、悪神とされたアマツミカ星とか・・・そのくらいしか思い起こせません。

都怒我阿羅斯等については電撃的すぎて頭がおよばないでいるところです。

〈皆様へ〉
品さまへ。
あたたかいコメントありがとうございました。私は品さまのような超感覚は持ち合わせず、いろんな情報を自分なりに組み合わせることしかできません。
吉田さまのご返答から、「勇気を振り絞って書いた?」情報は大いに不正確であると判明いたしました。
しかしメビウス螺旋の神がククリ(総括)の時代に浮上して、新時代への反転に向けて瀬織津姫の「糾す」の働きをもって神剣をふるっている(今は悪があぶりだされている段階)、という感覚は変わらずあるのです。

りひとさまの「八幡男神と八幡女神」という表現が、私には興味深いです。直観的なりひと様ではのものですね。2神を統合して呉音霊ということなのでしょうか??

禮月さまへ。
遅くなりましたが、安閑天皇についてのご指摘ありがとうございました。
吉田さまの過去記事はおおかたプリントアウトしたのですが、コメント欄までは見ていませんでした。このようにコメント欄での意見交換が充実したブログだったのですね。
蔵王権現については、その憤怒の姿が、安閑とその系統の普通でない消され方を象徴するようで気になっていたことと、国東半島あたりに始まった修験道よりの仏教は辛嶋氏後裔に始まると思っており、安閑が修験系の神にされたことは、安閑の出自(辛島勝乙女の母の系譜?)を想像させるような感じがあったのです。
それでインドかシルクロードあたりから来た人の姿、というのはおおいに納得です。
また、安のつく名はソグド系、というイメージを持っています。
(同じ意味で伽耶諸国の一国、安羅もシルクロード系の感じを、勝手に持ってきましたので、都怒我阿羅斯等は安羅のひとかと思っていたのですが、これも浅薄だったかと。)

雄略=武烈というのも、は~そうなのか!と。

安閑天皇については、私見の一部を次にコメントさせていただこうと思っています。
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安閑天皇は香春にいた? (すずたま)
2015-07-31 20:13:51
書紀より抄訳
「安閑=勾大兄広国押武金日(まがりのおおえおしたけかなひ)天皇は、男大跡天皇の長子。母は目子姫。
531年、男大跡は大兄を天皇として立て、即日男大跡は崩御する。
534年、安閑は都を大倭国の勾金橋に遷す。
535年(70歳)、勾金橋宮にて崩御。
陵は河内の古市高屋丘陵。皇后春日山田皇女及び天皇の妹神前皇女を合葬する。」
(この年次については研究家の間で重大とされる注記がありますが、ここでは触れません)

古事記の方は、
「広国押建金日命、勾の金箸宮にて天下を治める。子は無く、御陵は河内の古市の高屋の村」

勾金橋宮は奈良県橿原市曲川町(元・金橋村曲川)が跡地とされ、金橋神社があります。
すぐ東を流れる曽我川が大きく蛇行する(曲がる)地にあり、金橋神社の東北六百メートルには宗我都比古神社があり、一帯は蘇我氏の本拠地です。(蘇我氏は勾玉を造る氏族でもありました。)

一方、香春駅から北方2キロ、採銅所から南5キロ、香春岳三山の一の岳と三の岳と正三角形をなす位置に、神功皇后が鏡をおさめたという「鏡山大神社」を山頂にもつ小山、「鏡山」がぽつんとあります。
注目すべきは、この小山のはじにある河内王の墓とされる小さな円墳は、明治中期に「勾金陵墓参考地」とされたらしいこと。そして鏡山の南方には、「勾金」という駅もあるのです。
河内王とは安閑天皇のこと?
記紀の伝える勾金橋宮は元は香春にあったのでは?!(参考サイト「倭王武の足跡を求めて」)

また京都の大酒神社の祭神は「秦始皇帝」「弓月王」「秦酒公」ですが、江戸末期の国学者鈴鹿連胤が記した神社覈録によると、別の祭神の名「安閑天皇の御子・豊彦王」と「弓削物部守屋大連」があると。
何とこの豊彦王=蘇我稲目と考える人もあり。(安閑と蘇我の縁についての参考HP「中原中也とダダイズム、日本史探訪・オノコロ共和国」)

マガリは真+カリ(古語で銅のこと)という説もあります。

豊+勾というキイワードで結びつく香春と安閑、そして蘇我氏・・・?
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安閑の母 (りひと)
2015-08-01 05:26:59
すずたまさん、言いたい事全て同じです。吉田さまより指摘うけて色々と調べた結果が表現されていてありがたいくらいです。なの方向は全く同じです。
香春はこのサイトまでは全く知らなかったのですが、香椎宮は知合いが速攻飛んだ地だったので何かあるとは思っていました。神功皇后と鳥の流れの天皇との関係で。そこに鍵を握る安閑さんがいると思いますね。
そして、唯一解釈が違うのは二宮の存在です。吉田さまの考察を拝見し、そうこれと思いながらも畏れ多いのですが少しアレンジしてみると、

一宮はキーワードは太陽と手!
太陽神の母子としてすずたまさんがおっしゃる女神のお母様と八幡男神の息子(安閑さんにはこの血ありそうです。

二宮は、キーワードは月と足
月神の父?か乗せてきた力持ちまた移動の神(猿田彦の流れを組む、和邇氏?とはいいたくないのですが、わにさめに相当する神です。子孫としては小野や柿本としてどこか渡来系に解釈されていますが、一般的な渡来よりずっと先にいる原住民的だった方々。

三宮は、星!
虚空蔵的になっている次元の違うパワーを持ち、一宮二宮に与える星神的存在。聖徳太子や毘沙門天などもこの中に入りそうです。時代や権力によって一宮二宮とそれぞれの加担の比重が違ってきてその都度争いになる存在。

この三つ巴が八幡神だと思います。

すずたまさんの二宮がちょっとニュアンスが違うのと、母と子が一緒でないと怖い神になっていそうなのであえてくっつけました。その力のベースはあくまでも姫で継承も女性のみ、この女性一族がが母いることが大事なように感じます。

特に二宮の解釈が月の女神だとかはやりの神としてスピブームで代名詞のように使われている男神というよりは、むしろ賢い方が概念作ってくれた綿津見さんや大山くいさんや塩土さんなどで、スクナヒコや淡島さんもこちらに判断されていそうですが、巫女的絶対的なパワーは一宮の姫しかないと思います。

手と足は平氏と源氏や将門と藤太、天武と天智として絶えず取り巻きにより争いをさせられて表舞台に出てきています。
ただ裏の悪ブレーンさえいなければ、本来仲良く出来るはずです。

一宮の巫女の性格と神のパワーと二宮の男の力と金属、これを合わせて和合し石鏡、銅鏡の鏡族の登場が日本に起こったはずです。ただこの方がたすっかり消えてます。

地震で見ると釧路の地震が起こったようですが、釧路という名の由来にアイヌ語クシロとは、水路のようなニュアンスあるようです。また薬や湯なんてのも書いてましたがスクナヒコピッタリですよね。くしといえば金属だと釧の字ですが、串や櫛って神に対してはとても大事な音です、橘氏ですよね。一宮に橘さんが関係しています。
またどなたかが書いていた中に呉音の流れで妃の一族とか、書いていましたよね!あれもそのものズバリきの一族でしょうね。佐々木や紀貫之のお名前に出てくる木や紀氏や鬼になっているはずです。

温羅と阿曽姫も、二宮と一宮のタッグです。ならそこを解体したのは?何故?りゆうは追求せず正しい目で日本を見ていこうと思います。

日本創生の神がちゃんと祀られていないのは今後怖いです。神事等はきちんとやれていそうですが、その一族が理不尽な解釈をされていてはどんどん病んだ子孫になってしまいます。どうにか変わってくれたらいいですね。
過去は過去、現在のさじ加減で未来に光を、子供達に悪影響は現在で終わらせたいですね。

そう呉音霊でいえば、多分一宮も二宮も呉音霊の方だと解釈します。また三宮も呉音の方々が星からきてるかもしれませんね?誰にもわかりませんが。
9486、9は一宮の男、4と8は一宮の女、6は二宮。姫には母と姉か妹いるのかも?シモテルさんかなあ?七夕もどうやらこの辺りに関係しそうに思います。
8225?星でないねえ?一宮二宮で日と太陽で星になるのかなあ?8牛頭と5馬頭?その間に2スサノオ夫妻と2面足、カシコネ両方いるのか?そうか月ベースだとスサノウ稲田姫夫妻、太陽ベースだとカシコネ面足!どちらも同じだけど派閥やブレーンが違うだけみたいですね。テナガ足長さんの娘が稲田姫、これが4!カシコネさんと面足さんが8!8には一宮二宮の両方で無限大のパワーがありそうね。
返信する
鹿児島神宮の母子神 (すずたま)
2015-08-01 10:25:42
連投失礼します。
りひとさま、非常に感覚的・直観的な発想は私には無いもので目がシロクロしてしまうこともありますが、ドキリと核心をつくものがあり、頭をやわらかくしておかなくちゃと反省材料になります。
「八幡男神と八幡女神」と前のコメントに書いてしまったのは「八幡男神と八幡母神」の間違いでしたね、ごめんなさい。

さてこの「母子神」で思い出しました。過去に書き溜めていた拙文から引きます。

・・・鹿児島神宮とは、史書にある「大隈正八幡宮」の現在の正式名。名前に「正」がつくように、ある時期に宇佐に対してこちらが正統と主張する一派が生じ、宇佐神宮を偽八幡と見なしたらしい。それは宇佐神宮の神職の主要地位から辛島氏が脱落し、大神(おおが)氏が主流となった頃で、格下げをよしとしないグループがこちらに移動したともいわれるが、この神社に伝わる伝承「八幡御因位縁起」は次なるもの。(抄訳)

「震旦の陳大王の娘・大比留女(オオヒルメ)は七歳にして懐妊、いぶかった父王が問いただすと、夢で朝日の光が胸にあたったために懐胎したという。驚き畏れた王は大比留女を生まれた子供とともにうつぼ船に乗せて大海に流した。継体天皇の御宇、船は大隈に漂着し、のちに大比留女は筑前若椙山に入り、香椎の聖母大菩薩と呼ばれるようになり、大隅国に留まった王子は正八幡と称えられ、幼くして隼人を平定した。」

この伝承はオオヒルメの到来地を鹿児島とし、中でもオオヒルメの父を震旦(中国)の王としている部分はk女史文書と重なる。「香椎に祀られるのはオオヒルメ」と主張し、オオヒルメと正八幡を母子神のセットとしてとらえている。
この伝承には東アジア諸国の始祖伝説にみられる「卵生神話」「箱舟(空(うつぼ)船)神話」「日光感精(処女懐胎)神話」の複数の要素があり、「母子神信仰」も入った混合型とみられる。
卵から生まれるのは、金官加羅の建国説話、新羅建国にかかわった昔脱解、日光に感精して太陽の子を孕むのは、高句麗の朱蒙の誕生や、アメノヒボコが日本に追ってきた妻であるアカルヒメが日光を受けて孕んだ母の産んだ赤玉の変化(へんげ)であった、という説話などが同類。
日光感精は太陽を男性神として巫女的女性が孕む、という観念であり、太陽神を男性とする北方アジア、大陸系の宗教観であって、南方系の宗教観との違いが現れていると思われる。
即ちアマテラス太陽女神の思想は南方系海洋民のものなのである。
卵や箱や布に包まれて降誕するのは、日本神話のニニギが真床追衾に包まれて降臨するのと同型であり、要するに日本神話を半島由来の流れとする一群の学者の考えの根拠となっている。
「処女懐胎」「母子神信仰」は聖母マリアとイエスへの信仰が日本に入ってきたこと、それが神功・応神親子の神聖視に繋げてあると想像され、特にオオヒルメを聖母大菩薩と表現したところをみても、原始キリスト教徒の関与が想像される・・・以上

原始キリスト教!
そうです、八幡祭祀にはその陰があるかも。
だから、都怒我阿羅斯等はイスラエルの神の流れにあり、その母(母系の祖)が聖母大菩薩とみなされたんですよ。
そして男神太陽神とは私見によれば「太陽神霊としてのキリスト神霊」。
キリスト神霊(キリスト意識)≠人間イエス、イエスはキリスト意識の人間界への具現化。

目子姫と安閑の母子もその流れのセット?
目子の目は乙女=乙目(おうま)の目で、マコ姫と読むのだろう。
(あっ天○家の、m●子様!その母k●子様は姫氏、紀氏の流れ??●はローマ字表記で一文字…余談)
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そう目なんです。 (りひと)
2015-08-01 11:41:01
すずたまさま
書き忘れたのが一点、昔から目にいいという神が謎でした。
でも見えてきましたね。姫の名に目がつくのですね。おうまの神事と関係出てくるかも?夢で出てきてからやっと。馬にこだわってましたが目、どこかの組織と似ていそうですね。第二宮は物部さん石工も入ってくるはずですので。
秋 宮さんがいくところいくところきになってますよ。あちらも頑張って日本のためのベストしていそうですね。また地震か何かあればお知らせします。火山落ち着いたならいいけど。今日は佃の住吉さんの大祭らしいのでいいも悪いも受け入れてきます。
すずたまさん、かなり妄想は進展しました、感謝です。興味深い話ばかり、凄い所に縁があるのは偶然ではないようですね。今後も個人のご活躍応援いたします。3273
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吉田一氣 (すずたま様への返信)
2015-08-01 13:30:29
総覧しての解釈ありがとうございます。
今回の香春から宇佐までの
呉音霊を通しての歴史は信仰史の中の一ページであって
全ての真実というわけではないと感じています。
あくまで切り口の一つです。
この香春は銅の産地であり相当に古い時代である
弥生初期からの銅をイメージさせます。
同時に蚩尤は鉄文明をもたらしたはずですから
香春の銅だけではなく鉄を探し求めたとなると
その地域は朝鮮であったかもしれません。
探し求めて見つけた後には
還流して故郷へ戻るはずで朝鮮から香春への帰還も
事実であると感じます。
それが歴史に刻まれているもうひとつの断面です。
私は歴史を学ぼうとしているのではなく
その神霊背景を糺してその御神霊を祭祀することにより
国家守護を祈願したいと願っています。
呉音霊祭祀の形跡は霧島、熊本霊ライン、香春と
見つけ出しましたが、
今後の日本の守護の礎となるはずです。
皆様の祈願により神霊もまた還流し
日本に戻られるはずです。

また私自身も今後止められていた吉備国での神霊祭祀の
足掛かりとなりそうです。
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吉田一氣 (りひと様への返信)
2015-08-01 13:40:14
太陽と手という組み合わせと
月と足という組み合わせに対する知見はありませんが
重要なので今後調べてみたいと思います。
一の宮 二の宮は古い時代は入れ替わっていて
一宮の巫女の性格と神のパワーと
二宮の男の力と金属という時代があったように思えます。
巫女の力の源泉にまず縄文神が居られることは
明白ですがそれだけではないのでしょう。
吉備の温羅については今後の私の課題です。

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吉田一氣 (禮月さまへの返信)
2015-08-01 13:50:11
日本独自の御神霊である
蔵王権現は火山神でもあると思います。
私は毎日自宅の窓から見える熊本市の金峰山の
蔵王権現を遥拝しておりますが
この山は10万年前までは火山活動が盛んだった
姿のりりしい山です。
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安閑天皇とその子孫 (禮月)
2015-08-01 17:37:45
すずさま様、りひと様深いご考察をありがとうございました。日本の火山神が何故大々的に祀られていないのか?と山岳信仰では欠かせない不動明王と蔵王権現の由来等が、私自身の中で一つになりました。
播磨に残る伝承では、安閑天皇には皇子が一人生まれており、「秦河勝」という名前を名乗ったと書かれています。所が、安閑天皇の皇子が蘇我稲目との説を拝見して、やはり息長(河童)と(蘇我)の家系は、天皇家から抹殺されたのだと確信に至りましたもの。古事記や日本書紀からは存在そのものが、抹殺されていますし、記録が残っている播磨の伝承でも秦姓で出てきている事から、「蘇我」の姓を出すのが憚られた時代があったと考えます。「河勝」の名前が息長(辛嶋)の血脈である事を伝えていますね。
安閑の唯一の皇子である秦河勝にはこんな伝承も残っています。「蚕の幼虫を神として崇め奉る新興宗教が流行った。私財の全てをなげうってまで狂信的な信者が増え続けた為、河勝はその宗教を糾弾した。」というのです。
秦河勝=蘇我稲目でしょうか?蘇我氏は百済から朝廷に仏教を導入した事で、物部氏と対立した事になりますが、仏教の伝来ルートが百済からではなくて、父の安閑天皇から受け継いだものなら、教科書の内容が誤りとなります。学説を大きく覆す程の衝撃の事実ですね。仏教の伝来ルートも大陸南部から列島に渡った一族、辛嶋(息長)氏が伝えたものとなり、大陸からダイレクトに伝わった事になります。そして何よりも、蘇我氏が単なる一豪族ではなくて、天皇家の直の血筋となります。蔵王権現として祀られているの安閑天皇の形相は確かに凄まじい憤怒の形相ですね。安閑天皇から蘇我氏に連なる血筋を絶やした事で、祟りを恐れた者達が神として祭ったのでしょう。
りひと様の「蘇我氏と物部氏が入れ替わっている様な感覚」は私も何となく理解できます。現に、曽我部又は蘇我部という姓の方々が千葉県に多くいらっしゃいますから、蘇我氏と物部氏の血筋はどこかで一つになっていると確信しています。
日本の天皇家は、新羅の王妃が生んだ不義の子が始祖という説が、とんでもない誤認と曲解によるものだという事も実証できました。明治時代以前は、伊勢神宮よりも宇佐八幡宮と大神神社の方を重要視していたといいます。天皇家も呉人の家系を丁重に弔っていた事が解りますね。
昨日は現職の最終日でしたが、同僚から選別に貰ったのが蔵王高原のブルーベリージャムでした。関係無いかもしれませんが、安閑天皇が私に何かを語りかけて下さったのかもしれないですね。
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原始キリスト教と八幡宮 (禮月)
2015-08-01 19:13:00
八幡信仰とは、日本古来の縄文神の信仰と呉から伝わった信仰を、辛国息長大姫大目が統合させたものがベースに出来た日本古神道の一つだと思います。
八幡信仰の根底には、縄文神と角のある河童である蚩尤がいるので、アラハバキ信仰が蛇と製鉄に関わる神に結び付けられたのでしょう。アラハバキ信仰も八幡信仰と共通点があります。聖母菩薩とその子供の信仰は、確かにキリスト教との類似が見られますね。中国にはキリスト教の一派であるネストリウス派キリスト教の信仰もありましたし、大地母神の息子である穀物神の死亡と復活のエピソードは、キリスト教よりも遥かに古いシュメール時代から存在しています。
八幡信仰の「便宜上」の祭神は、一宮:縄文の蛇神+太陽神、二宮:大地母神+月神+始祖の辛国息長大姫大目、三宮:一宮と二宮の息子たる幼い太陽神+星神(金星かシリウス)+火山の男神+航海の神(辛嶋氏が海路で大陸から列島へやって来た事を考えれば、航海の守護神がいるのは自然な流れ)と推測します。
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自分に合った理解深められそうですね。 (りひと)
2015-08-02 00:49:05
皆様とのやり取りがとても不思議にスムーズでなんの説明いらず伝わり理解して頂けたようで楽しかったです。なおかつそこからさらに進み各自新しい発見や考察を出しあえるのも組織化していない証、とても貴重な体験です。

数々の偶然とタイミングで出会えたのも本当不思議です。

吉田さまの呉音霊から皆様の今まで持っていた疑問が少し解消したのを考えると今後楽しみですね。

水が電気を伝えるという波動の凄さを感じる痛ましい事件がありましたが、呉音霊も水を媒体として何かをそれぞれにまた他にも沢山の方に何かを伝えているのだと思います。
水は全ての源、水の上で移動して呉音霊に関わる方がどんどん出てきそうで楽しみです。明日佃島の住吉さん海上渡御みたいですよ、呉音霊に関わる神は喜ぶんでしょうね。八角神輿は見て来れました。住吉さんは二宮さんに関わるんでしょうね。獅子頭が龍虎と黒駒、一方に宝珠もう一方に角、ここも関係しそうです。たまたま左右が逆になっていてそれを入れ替える光景がありましたが何か象徴のように見せられた気がしました。左右が変わる?天地がひっくり返る?
そんな事にも焦る事もなく冷静でいられる方々ばかりのようで安心です。
禮月さまへ
お疲れさまでした。ブルーベリーのアントシアニンって目に良いんですよね!赤ワインとかもにもあるらしいですね。青の中に赤もあるのか?赤不動と青不動?蔵王権現も目の神が入っているとも思います。青面金剛、出雲の青石、碧?まだまだキーワード出てきそうですね。いい導きあるはずですね。9294?4は以前初期キリスト的な要素でしたねえ、でも女性的に思ってましたが、秦河勝さんですね。この方に関わる女性は出てこないでしょうかね。ドラえもんの主題歌の秦さんには芸術の神いそうですね、男性でもちゃんと継承できるんでしょうね。河勝さんと接点ある方探してみようと思っています。蚕が嫌いなのは意外でした。私追ってる方が蚕の方なので宗教的対立があったかもしれませんね。源氏よりの主人がやたらあの稲荷さん大好きなので河勝さん寄りかな?私は今の立ち位置は平家寄りなので蚕の方に引っ張られいきそうな予感。河勝さん奥様気になってきましたね。

そう三宮の禮月さまの解釈も投稿後私もあれ?と気になりましたね。すると奥様が祭神として若宮さんがいるのもありそうですね。弁天の代名詞の方ですが。邇邇芸命の役割的ですね。一宮があお、
二宮が金、三宮は赤と白が共存?
妄想し過ぎ、すみません。

みなさん、温かい目でみてくれてありがとうございました。4374、ここで星かあ。
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すずたま様 ()
2015-08-02 03:40:31
もし、御覧頂けますと嬉しいのですが、すずたま様は秦氏のお方ですね?単に歴史を御探してはいらっしゃられ無いのではございませんか?

金鷹様、同様。もし、正直に御答え頂けましたら、香春で思う事が有るので投稿させて頂きます。私の勘違いでしたら、申し訳ございません、御許し下さいませ。また、それについての投稿は差し控えさせて頂きます。
秦氏の末裔の御方は、何か焦っておられますか?または道士の御方でしょうか?
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すずたま様 ()
2015-08-02 18:40:21
もし、御所望下さいましたら広島の教会にて主または精霊を感得した時のお話もさせて頂けます。
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品様 (すずたま)
2015-08-02 19:51:13
(新しいコメントを見る前に書いたものです。)

金鷹様という方は、存じあげません。
最近の記事で見かけたようなと思ったら、過去記事にコメントされた方なのですね。
今そのコメント読んで、文体で思い出しました。以前何かを調べていてその方のサイトにアクセスしたことがあり、神武天皇にかかわりある八咫烏と金鶏をごっちゃにしてはいけないという部分に、なるほど、と思った記憶があります。今見たら、アクセス不能の設定になっていました。

たぶん自分は秦氏系なのだなとは、歴史をかじってきてうすうす推測してはいます。
母の父方先祖に菊池の松尾神社の神官をした人がいる、と最近聞いて、なるほどと思いました。
私自身は、秦氏というよりも、そのなかの一族である辛嶋氏の一女性の、特にその母方に何となくシンパシーを感じています。インドというよりももっと西方に(もしかしてエジプトとかにまで?)淵源のあるかたではないかと想像します。
そちらはたぶん仏教美術関係を生業としていた父の先祖に関係あると、勝手に思っています。父はアーリア系インド人みたいな風貌の人でした。

私が無知無関心だった古代史に嵌ったきっかけは、例のk女史文書ですが、これを読んでの最初の衝撃は、一族の秘匿伝承を秘守してきた末裔が「世界的組織」によって半殺し?になるという事実。日本には一体何が隠されているのか、日本っていったい何なの?という問題をつきつけられたのでした。
次に深い印象を受けとったのは、八幡神がなぜ日本にはいってきたか、その元々の働きや役割についての記述でした。
「あらゆるクニから戦乱をのがれてきた多種多様の民族が、この列島で、たいらかに、やすらかに暮らせる戦争の無い国をつくること」これがもともとの八幡神≒大日霊女の願いだった、と書いてあります。それで列島先住民の「縄文アニミズム」を土台にして「古今東西の哲学宗教の大元は一つ」を合体させた神祀りを創始した、と。

彼女の中に昇華された縄文神は、大日霊女の「霊」の字に表れていると思います。
これはもともとは、吉田さまの過去記事にあった、口が四つ下に並んだような難しい字ではないでしょうか?
ブログ記事の下方に画像が出ていますね。縄文神≒地神≒龍神界の神々です。

さて彼女の平和への願いが現代にいたるまで全く困難であったことは歴史の示すところ。
それどころか大日霊女の願いとは反対に、八幡神は何処かの時代に軍神にされてしまいます。

宇佐八幡の今に残る三神に分かれたかたちは、幾多の変遷を経たものであり、大日霊女自身はYHWH祭祀にこだわる方向とは別のものだったはずです。原始キリスト教の混入もしかり、それだけではないということです。分かれに分かれたものを統合し(ククリ)、次の世に反転させることが、大日霊女が持ち込んだ原初の「八幡神という神格」の働きであるのでは。(これは私の個人的考え)。

霊視をされるような方も歴史研究をする方も、それぞれの切り口で読み取るのでしょう。軍神としての切り口に注目する人もあるでしょう。
ひとつの切り口であって「それがすべてではない」というようなことを吉田さまも言っておられますね。

話が長くなってしまいました。
要は、一氏族の正統性を主張する方向の方々とは、私は立場を異にしておきたい、ということです。
自分の属する氏族のカルマ(たぶん蘇我氏の?)が溶けますように、ということを祈っていますが、
それには「贖罪」という部分はあっても、正統を主張するような立場に立つことはありません。

霊感というよりは超感覚をお持ちの品様の感得されたこと、ぜひお聞かせください。
謙虚な方とお見受けしますが、のびのびと発言されますように願っております。
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すずたま様 ()
2015-08-02 22:20:34
御返信ありがとうございます。歴史を探求する方が突然ユダヤ教のYHVH等と御神名を出されたので、これはと思い失礼申し上げました。

皆様のコメントを最近は拝読を惜しんで色々自分が感じた事の意味を探しておりました。

沢山の方の崇敬社であります。私の無神経な書き込みに心象を悪くされましたら、どうぞ御許し下さい。

都怒我阿羅斯羅は秦氏では無いかと思います。越~門長~出雲~敦賀に至ると有るのですが、その中の者が吉備国の王 温羅になる。
都に知れる所になる。鉄の搾取と表の理由が有りますが、加古川で呪詛をしながらの戦いでありますので、秦氏誅夷では無かったか。
殺され無かった者は、宇佐に移動。(弥生時代)

5世紀頃には秦王国は、香春まで及ぶ。崇峻天皇の御世、 香春岳は別名、鷹栖山。814年『太政官府』に「6世紀末、八幡神が鷹になり化して人を殺したので辛嶋氏の神女がこれを鎮め鷹居社として祀った」とあり、これが宇佐地方の八幡祭祀の始まりである。
京都の秦氏の広隆寺には上宮王院太子殿の横の秦河勝を祀った建物の瓦だけは鷹の模様だった。

阿蘇も昔は、修験の山で、古く中岳火口付近に36坊があったそうです。阿蘇山が鷹山と呼ばれ、阿蘇修験の山伏が配った牛王法印には「鷹」が描かれていたそうです。
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続すずたま様 ()
2015-08-02 23:03:45
祭祀一族の都怒我阿羅斯羅は、神に憚り(阿羅人)現人神社として三ノ岳に鎮まり、最近、山が削られ力が弱くなった香春神社を助けに山頂から巨石の山王社様が鎮座された様です。山王社様は、とてもパワフルに思いました。巨石に憑く御神霊は月神様とは思われませんか?
秦氏は、独自の神様を奉祭されたと思います。一の岳辛国息長大姫大目命(月神、金鷹様曰くカッバーラ)この辺りの神人の呪詛は強いと大陸まで知られていました
二の岳忍骨命(月神、龍)三の岳豊比売(海神)

これを都人に上書きされているかと感じます。
都から天皇家が来られた。神功皇后が、御霊を鎮めた鏡を埋めたり
『豊前国風土記~逸文』昔者、気長足姫尊、此の山に在り、遥かに国の形を覧で勅し祈って「天神も地祇も我が為に福あれ。」すなわち銅鏡を用い此処へ安置した。その鏡は石と化して山中にある。因って名付けて鏡山という。

『万葉集』では鏡を日にかけた歌は一首も無いそうで、銅鏡、とくに白銅鏡(ますみのかがみ)は月の象徴として扱われており、「神代紀」五段第一によれば、イザナギが左手に白銅鏡を持ったとともにアマテラスが化生し、右手に持つと月弓尊が化生した。白銅鏡は、スズの配合率が多いから銅鏡と違って、かなり青白い。月の輝きの様だそうです。

『万葉集』鞍キ(革木)作村主益人 豊前国より京に上がる時に作る歌一首

梓弓引き豊国の鏡山 見ず久ならば恋しけむかも

梓弓とは欠けた月の形を現す

香春岳は、炭坑節で名高い山だそうで、歌の三番目に「月が出た出た 伊田の炭坑の上に出た~」という歌が有るそうです。
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続続すずたま様 ()
2015-08-02 23:20:37
長々とすみません。
『宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起』844年6月17日欽明天皇の御代に 八幡神は宇佐郡辛国宇豆高島ウズタカシマに天降る

「宇豆」=「珍」=「貴」=「太」は美称
「勝」=「すぐり」=「まさ」したがって太秦=宇豆勝

私は、宇佐神宮の一の宮で銀色の縦菱形に光、まるで勲章の様な形をみました。あれは天之御中主ではないのだろうか又は月。二の宮はピンク色の蓮の様な多弁の花をみました。あれは薔薇十字の薔薇ではないかと感じます。蓮でも良いのです。仏教も秦氏ですので。原始キリスト教の薔薇も仏教の蓮も余りかわりなく感じます。三の宮は、緑色のワニの様なお姿でした。海神様です。隣に住吉社があったので間違いないと思います。今、首を絞められる感じです。
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吉田一気 (吉田一氣のひとりごと)
2015-08-02 23:40:23
皆様ご指導有難うございます。
過去何回も鹿児島神宮の面前の
国道223号を通ったことはあるのですが
参拝する機会がありませんでした。
今考えてみると鹿児島神宮の主祭神の
彦火火出見尊は私の信仰する宮崎の
青島神社の主祭神でもあるのですが
やはり神社としての系統に違いがあって
導きがなかったものと思われます。

今回その理由がやっと解りました。
今後呉音霊が呉音神に昇格すれば
この鹿児島神宮にも導かれて参拝出来ると
感じています。

また宇佐神宮は30年くらい前に
観光参拝した時はきれいな神社でしたが
どこからかおかしくなってきました。
また私の不徳ではありますが
一度ある理由で参拝に出向いたときに
参拝の車もまばらなのに神社が
利益主義で有料駐車場を経営しているのに
とても腹が立ってしかたなく
落ち着いた参拝が出来ないこともありました。
俗な言い方をすると波動が荒くなっていたのです。
全国の神社を回って思うのですが
駐車場は無理をしてでも無料にしているところが
市街地でも結構あります。
あの宇佐であの波動には納得できませんでした。
そしてその後宇佐神宮お家騒動時代では
掃除も行き届かなくなっており
神霊感応も完全に薄くなっていました。
もう生涯参拝することも無いのではないかと
思っていましたが
今回の結論によりまた参拝せねばならないようです。

また香春にも出向かねばなりませんが
信仰の山そのものが削られており
悲しみに打ちひしがれそうで気力が削がれています。

自分のやるべきことは解っているのですが
その環境が整っていないことは明白です。

御存じのように八幡神は日本で一番祭られています。
このブログをお読みの方が、
悪い影響を受けることなく
それぞれの偉大なる御神霊に守護されることを
本日より祈願させていただきたいと思います。

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続続続すずたま様 ()
2015-08-02 23:41:03
秦王国は潰され辛嶋氏は、宇佐神宮の祭祀の脇におかれます。

姫島の姫神様の神社の分社が、大阪に1社、広島に2社有ります。広島の2社共に呉市に有ります。新しい秦王国にまた、神功皇后の跡が残ります。呉の名前は残り、末裔は沢山居るかと思います。

都に上った秦氏は、秦河勝の時代に隆盛を極めます。神社を建てても、物部氏等に乗っ取られ、隅にやられる。豪族と血縁を結び、牙を出さずに見せかける。聖徳太子に様々法を授け懐柔する。八代に妙見神が着いた時も、山口に置き、満を持して聖徳太子に目通りする。物部守屋を打たせ、仏教を流布する。もしかして太子が身を滅ぼしたのは、秦氏が授けた修法の末路では無いのでは無いかとさえ思います。宮家に復讐できたのですから。手を汚さずに。

なぜ秦河勝を悪役の様に書くかといえば理由が有ります。

秦氏は、弓月君の末裔と称されております。名前のままに月を信奉されているかと思います。蘇我氏もそうなのですが、蘇という文字は、月が満ち欠けして蘇る様を現す言葉だそうです。月読尊は馬に跨がる童子の姿で霊視されているそうです。荒ぶると鎮める為に馬を奉納するそうです。天馬で月に帰るためでしょうか?
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続続続続すずたま様 ()
2015-08-03 00:13:13
貴女様が古代イスラエルの御神霊の名前を出されたので、無知な私も如何なる事か?と探してみました。

鷹はイスラエルの12支族のダン族のトーテムでした。インターネットでも秦氏=ダン族でヒットしました。表のトーテムは、蛇ですが裏のトーテムは鷹。
香春神社、阿蘇神社の御神紋共にたがい鷹。ダン族の特徴は、己の民を裁く。マムシの様な狡猾さ。と何故か厳しい事を書いていました。聖書にも「…私は あなたの救いを待ち望む」と書かれているそうです。その因縁が有るので、天皇家またその回りの支族に逆らわず尽くされているのでしょうか?
蘇我氏、白山の女神様といい、月を信奉されると、栄えても隅にやられてしまう様ですね。
あとダン族にサムソンという者が居たそうですが、その者は怪力で暴れん坊。神様の契約で葡萄酒や強い飲み物を飲まない事。汚れたものを食べない事。そして生まれる子の頭にはかみそりを当てない事の3つでした。そして頭をかみそりで剃られて力を失った。という話ですが、河童のお姿に似ていませんか?モーセには角が有った様ですので、ダン族の方に有っても変では無いですよね。

古代は太陰暦なので、月神主体で辻褄は合う様に思うのですが。インド、ゲルマン、古英語でも日数を夜で数えていたそうです。
柳田国男氏も1日の始まりは、午前0時ではなく夕日が没する時からであるとする。夕から朝までの一夜が大切な時で有った。すなわち1日は、神霊の時間であるから夜から始まったのである。だそうです。月神奉祭は、利に叶うと思うのですが。

私見をバラバラと申し訳ございません。教会での事は、御所望御座いましたら書かせて頂きます。誤字脱字等有りましたら、お許し下さいませ。お目汚し失礼致しました。
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Unknown ()
2015-08-03 00:34:39
今、フッと思ったのですが、蛇がトーテムのダン族の禁忌がぶどう酒等の強い飲み物、秦氏の人を殺す鷹。輝くカガミ(蛇眼)。都怒我阿羅斯等の通った道程。農神、タタラの神の神格。秦氏こそヤマタノオロチでは無いのでしょうか?8の頭に八幡ですし。
先生、如何思われますか?
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品様へ (りひと)
2015-08-03 08:16:32
品さま凄いですね。白銅で一度、なぜかとまった事がありましたが、青白い、月なんですね、この前ブルームーンでしたね。太陽でなく月、目指す方向が違っていたようですが、私納得しちゃいますね。月満ち欠け、十五夜ではなく十三夜を特に重要と考えていた一族はかなり日本でも古いはず。

大昔から秦がいたのは分かっていましたが聖徳太子と河勝さんが仲良かったみたいなのでどうも昔からいた方々を河勝さんとは分けて秦氏とはしたくない意向がありましたね。品様のお考えには日頃も特別な印象を持っているので、そこは反省して自分の意向と先入観は一度クリアにしてみていきますね。

聖徳太子が出て普賢菩薩に繋がりましたよ。ここ最近普賢菩薩が頭をよぎることが多く、台湾の普賢菩薩さんと縁を持ち何かが溶けて、吉田さまの記事でまたやっぱりと思い、品さまのコメの聖徳太子でまた納得しましたね。

八岐大蛇のオロチが八幡神の可能性はかなり高いと個人的には思います。ただ現状の八幡神にはなぜか異質に感じています。私の中では八幡との関わりは今年までにしないといけないと思っていたので、ここ五年は先延ばしにすればスムーズなのかと思ってましたがどうやらそうでもないようです。もっとちゃんとコツコツやっていればよかったとも。

ただここにきて目的の八岐大蛇が八幡神であるとの仮定を立てれば、少し救われます。

銅が白銅、太陽が月という新しい発想を取り入れてみます。

ぶどうにもアントシアニンありますね、ポケモンのフーパというキャラが角を持ち、封印のよう抑えられていて怪力で破壊と創造どちらもその都度の状況でなってしまう。どちらにも転ぶんでしょうね。目ががが、蛇。色々思うところなキーワード出てきました。ありがとうございます。6091
返信する
品様へ (すずたま)
2015-08-03 10:52:27
今朝読みました。数々の御教示、深く感謝もうしあげます。
なんとなく、ゾクゾクしています。悪寒ではなく、いい意味でのゾクゾクです。
偏向した知識しかない私には、必要なことが多々書かれていると思います。
私の理解力が残念ながらおよばないところが多く、プリントアウトして午後から出かける仕事場に持っていき夜勤の休憩にゆっくり読ませていただきます。

都怒我阿羅斯等を秦氏とみなし、温羅と結びつけたところは、なにやら画期的に凄いのではないでしょうか?
(吉備の生まれでありながら吉備の歴史を棚上げにしてきたので、何とかせねば。)

香春神社と鏡大神社は、一昨年菊池での法事のさい寄りました。現人神社は時間がありませんでした。
一帯をもう一度巡りたいと思います。

品様のコメントで、私などが何より感服するのは、宇佐の三宮での感得です。
品様の感得力を霊能力と言いたくないのは、もっと澄んだものをかんじるからです。こういった能力が「私は凄い!」といったエゴ想念とセットになってるスピ系自称霊能者が多すぎますから。

一の宮を銀色縦長菱形に光でミナカヌシ、なにかゾクっときます。垂直的な男性的な宇宙神であり地球神ですね。

二の宮は多弁の蓮、わかる気がします!「薔薇十字」と、この存在を奉祭した一族の性格も表現されていますね。k女史文書に、「八幡神は〈ヘルメスのエネルギーを日本に持ち込んだ〉」とありました。このエネルギーが欲しくて「世界的組織」とやらに狙われたのでしょう。エネルギーを盗まれて日本の国力は危険にさらされていますが、吉田さまの言葉を借りればそのエネルギーは日本に「還流」しはじめているのでしょう。
秦氏的なモノ作りの才能が、やがて世界をリードしていくはずです。

三の宮は緑色のワニザメ、これは息長帯比売命の神霊背景を「龍宮海龍神」とみなされた吉田さまの感得と一致しますね。これは神巧の名で龍宮神「豊玉姫」が祀られていると私は解釈いたしました。

古代イスラエルについては古代史探訪の中で日本とイスラエルの深い関係に気づいて以来、探索していました。よく言われる失われた十支族(北イスラエル)以上に、ユダ族(南イスラエル)に関心がありました。
この系統は最も早い時期に、イザヤに率いられてイスラエルの神宝を携えて日本に向かった、という説があります。ヤハウェ信仰のあとは、東北の民謡などに多々残されています。ユダ族はのちにイエスを輩出します。

日本史において現代にいたる最たる葛藤は、この南北イスラエルの正統争いにあるかも?と思っています。

ただ私はイスラエルにこだわる原理主義者とは立場を異としたい。
正統イスラエルにこだわる神官たちが古神道をゆがめてきたと思います。
それにイスラエル以上に、シュメールやバビロニア、とくにヒッタイト(その母胎となったハッティ)あたりに秦氏や蘇我氏のルーツがあるように思えます。
氏族の正統争いは早く終焉してほしい。物部氏はもちろんも藤原氏も含めてもともと親戚だったようなものですから。

首がしめられるかんじ、とおっしゃっていますが、真実に触れ始めると、邪魔する想念もやってくるでしょうね。鈍い私も今朝は頭が痛いです。

吉田さまも御祈願くださっているとのこと。
吉田さま、ありがとうございます。
日本発で、日本、ひいては地球が晴れていくことを、およばずながら私も祈願いたします。

品様、広島での御感得もぜひお知らせください。
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りひと様 ()
2015-08-03 11:01:13
全く視野が狭く、様々要約しましたので、うまく御伝えできたのか。すみません。

八幡神では無く、もっと古い秦氏(ダン族)だと思うのです。
八幡神で古代の水神祭祀の跡を封印したりしていると思います。蛇神を蛇神で封印しているのでは無いかと思いました。
八幡社に萩神とか有るのが封印される側。まさに「同族を裁いて」いますね。
刀の神事も、九州発祥なら刀の祭祀なのも納得ですね。

まだ色濃くシャーマンの性質を持たれた秦氏の頭領と蘇我氏(物部)の頭領の古代の戦いだったのでしょうね。その戦いを仕切られたのが(破壊と再生の神様の)少彦名様だと思います。

それは反キリストの者と烙印を押されたダン族の負けは約束で、そして終日に再び反キリストとして復活する約束。聖書に明るく無いので、間違えていましたらお許し下さい。
ダン族が、仏教等を通し、どこまで祓い清めをされて、神様の祝福が有ると、終日は避けられるのでは無いかと。もしかしたらキリストも秦氏に絡んで居るのかも知れないですね。光と影は一対ですし。
私達は、何が出来るのでしょう。私は、中国地方の痕跡に数ヵ所出掛けて感謝の御祈りを捧げました。こんな事しか思いつかないのです。

余談ですが、ポケモンの事で思い出しました。高知県の物部村の出身のやなせたかし氏のバイキンマン(悪魔)の道具(手先)の名前がダダンダンですね。
きっと御存知だったのでしょうか?なんせ四国は在野の陰陽師のメッカですから。その物部村ですもんね。
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品様感謝です。 (りひと)
2015-08-03 12:17:56
レベルのケタ違いにもかかわらず、教えて頂きありがとうございます。
蛇を八幡神で抑えてしまっているのならば認識は同じです。やなせさんは、そうご存知で子供へメッセーも残そうとしてらっしゃるのでしょうね。
すずたまさまがおっしゃるように三宮の件も今そこにシフトチェンジしていたのが理解出来ました。以前、ワニの化石を調べ豊中の待兼山に繋がり、枕詞にもなっていたのを今更思い出します。中国もワニ化石出ているようですね。ここが竜のモデルだと思っていられる研究者の方もいるようですから更にこちらでびっくりしてしまいました。吉田さまの八大竜王にもワニが関わるのも理解してしまいました。

とても場違いな所でコメントしながらも軌道修正をして頂き恐縮です。
八岐大蛇は蛇ですね、そこに辿りつくよう見守ります。9483、良しとします。
同族の争いなんですね、そこも安心しました。コメントの随所に愛情を感じずにはいられませんでした、まさに赤ちゃん状態、幸せです。
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個人的に都怒我現人は・・・ (禮月)
2015-08-03 14:36:47
蘇我氏の祖先の様な気がします。スサノオ由来とされる蘇民招来も「蘇」の文字から蘇我氏を連想させますし。但し以前に吉田氏が「秦氏が蘇我氏の代弁をしている」という説も気になりますね。
蘇我の文字からも「我蘇る」の意味合いに取れる為原始キリスト教の教義も思わせます。秦氏もネストリウス派キリスト教を信仰した集団とされていますし、双方は共通点が多いでね。しかも、蘇我氏と秦氏が協力関係にあった事も確かだと考えています。
ここで思い出したのが、スサノオと大国主の関係と安閑天皇と秦河勝との関係に似ていると思います。大国主の立ち位置ですが、出雲大社縁起と氷川神社縁起では大きく異なります。出雲大社ではスサノオと櫛稲田の娘婿ですが、氷川神社の方ではスサノオと櫛稲田の嫡子で呼び名も大己貴命です。スサノオの次代または嫡男ではなく、六代後の子孫としている所もありますが、スサノオの直系としている所と姻族の子孫としている系図の二通りが残っています。
杵築大社(現出雲大社)は、江戸時代に一時期祭神がスサノオになった時期がありますし、出雲と香春と宇佐の関係が複雑そうです。
秦河勝の記録を残した播磨地方でも鉄が採取できましたし、香春や宇佐とは何らかの交流があった可能性は高いです。
朝鮮半島には、製鉄の際に鉄の練度を高くする為の、特殊な鉱石があったとされており、倭国が朝鮮半島への覇権を求めたのは、この鉱石を求めたからだという記述もyou tubeの動画の説明で読みました。
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禮月 (品様、すずたま様、りひと様へ)
2015-08-03 16:16:31
宇佐神宮も出雲大社(杵築大社)も主祭神が何度か入れ替わっていますね。
蘇我氏に意識を集中させようとすると秦氏が出てきたり、蘇我氏と物部氏が混ざり合っていたりと、祖霊を考察する時もどなたがどのお家の祖霊なのかを考察するのも一苦労です。
安閑天皇の系譜がはっきりすれば、蘇我氏・物部氏・秦氏と出雲の国と藤原氏の関係も見えてくるものがあります。聖徳太子~斉明朝の辺りの時代に、宇佐も出雲も大きな混乱があったと思われますね。
それともう一つ、北九州一体に広がる氏族で、気になる苗字を持つ方々がいらっしゃいます。それは「置鮎(おきあゆ)」という苗字です。元来「鮎」という漢字の中国での意味は、「鯰」でした。鮎イコール鯰とすると、「鯰を置く」の意味となり、鯰に同一視された龍神に関する何らかの祭司を行った一族であった事が考えられます。果たして「龍神を崇拝した」のか?「龍神を封印した」のか?どちらだったのでしょう?
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すずたま様 ()
2015-08-04 03:36:48
過大評価です。浅学で全くお恥ずかしいです。

秦氏はペルシャ時代の事等、もう少しお勉強させて頂きます。

作年末、イスラム国に日本人の方が拉致された時に、自分にも何か出来ないだろうか?と考えまして、御祈りを捧げるならイスラムの神様が良いかと思ったのですが、さすがにイスラムの教会というのも時勢柄失礼千万かと思い、同じ神様だと広島の平和記念大聖堂に参りました。午後から葬儀の儀が控えておいでましたので、御祈りを捧げるのは私だけでした。こちらは昭和にローマ教皇の行啓が有りましたし、戦時中の被害の事も合わせると、神様の息吹が降りたはずだと思いました。

長い間、ただ純粋に御祈りを捧げておりましたら映像が入って来ました。長い髪に髭をたくわえておられ白いユッタリした衣を召された男性が、壺?の様な物の中を覗いておられました。その方の回りは薄暗いのですが、小さな覗き穴からはオレンジ色の光が漏れていました。そこからは、老若男女の様々な言語で泣き叫ぶ声が大音量で溢れていました。その方は、ただ静かに覗いておられました。気がついたのです。片目で見ておられている。そんな形象有ったなぁ…と。その時、感銘して涙が流れたのは、人は、どんなに辛く悲しい時も神様は側に居て下さるのだ。本当の孤独は無いのだと思いました。神様に感謝を捧げて席を立ったのですが、出入口のドアの所に信者の方が栞を置いて自由に持ち帰りが出来る様になっていました。私も頂いたのですが、それには「私があなた方を愛したように互いに愛し合いなさい これが私の掟である ヨハネ15・12」 と書いてありました。御神籤と同じだと思いました。
一人ではないのですね。見守っておられる。愛だと思いました。

秦氏の佳いところ、沢山御座いますね。物作りだけでなく、宮中の楽師の方もおられます。やはり頭が良いのでしょうね。幸多く御座いますよう
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禮月さまへ (りひと)
2015-08-04 07:10:06
鯰、たしかに古い書物にも記載あるんですね。鯰と言えば鹿島香取の要石です。間違いなく封印でしょうね。
神社によっては神の使いだったり、食べないという風習も場所によりあるようですね。また場所が滋賀から西、そしてその後関東東北だと?また大津という地名出てきました。近江と大津と言えば私の中ではツヌガさんに関わる地です。また要石は地震とも関係があるはずなので火山との縁もあるはずです。地震は波の電波、そして水に伝わる電気雷電のイメージも併せ持つ、縄文の疱瘡神的な役割も鯰には感じます。それを石で抑えて地震や火山のパワーを抑えて、のちのスサノオ的な疱瘡の神の地盤固めになっている可能性ありますね
絵では金や瓢箪との組み合わせや翁、この流れと合ってますね。そうぬめりもきになります。たこなど鱗を持たない海産物をあえて食べない信仰が日本にもありますが、これキリストか?西洋でもあったようです。秦の流れでしょうね 。うなぎも同じように感じます。サメやいるかくじらも少しかかわるようにも。

まだここに関わる一族は出ませんが、関連の確信を持てそうな情報として思ったのはナマズ博士です。そう秋の宮さまです。
歴史や日本の鯰の起源も研究しているはずです。やらなきゃいけないことを研究し、それを活かしている可能性はありそうですね。また私の根拠が人間ウォッチで妄想に過ぎませんが、取り急ぎ一報入れておきます。4488これすごい!48の組み合わせ二つ4の呉音霊が鯰の可能性ありそうですね。
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禮月様 ()
2015-08-04 12:18:16
お恥ずかしい持論の展開、浅き見識をお許し下さい。何かに憑かれた様に過ごして居たので、私にも思いがけない展開でした。

広島の毛利元就公の根城が有ります吉田町に清神社スガジンジャが神代から鎮座されております。元就公、今のサンフレッチェ広島の崇敬社です。こちらはスサノオ様が大蛇退場をされ、清々しいと名付けたと由緒に有ります。吉田先生と、ここだろうと話になった事が有る神社です。

スサノオ様が蘇我氏の親神様ならば、日本に来られた時期が八俣大蛇より少し遅く思われるのです。秦氏は、もっと早くに入植されていた様に思うのです。クシナダ一族は既に大蛇の祭祀をされていたと。

都怒我阿羅斯等は名前から波斯(ペルシャ)起因の気持ちがしまして、新羅を一時「波斯」と書いていたのです。『日本書記』欽明天皇22年条に見える、新羅が「阿羅波斯山」に築城と。波斯は、中国におけるササン朝ペルシャでありますので、縁が深いのかと。そこで蘇我氏では無くダン氏と思った次第はサムソンの伝説でした。頭を剃り力を失ったと。都怒我阿羅斯等は、穴門に王がおれば他所に移動するという丸腰が、力を失った様に思えました。

古代の吉備王国は兵庫県赤穂市の一部も入りますので、大変、近隣かと思います。その一帯の瀬戸内も治めていた様です。

余談ですが、水戸光國公は、神仏習合のおり、八幡神社を沢山、鹿島神社や吉田神社等に名前を変更されたそうです。その理由は、まだよく調べていないのですが。疎まれていたのでしょうか。

まだよく解らない事が沢山で、間違った見解も有るかと思います。どうぞ一笑に伏して流して下さいませ。申し訳ありません。
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りひと様 ()
2015-08-04 12:20:16
とんでもありません。皆様の足元にも勤勉さが及びません。

主観ですので、笑ってやって下さい。申し訳ありません。
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秦氏だったら疎まれないのではないかな?と。 (禮月)
2015-08-04 14:09:22
品様。
いえいえとんでもない事です。
水戸光國が八幡宮を別の神社に改名させた、という書き込みを見て、ますます蘇我氏が江戸時代になっても朝敵だったが分かりました。あの長宗我部氏すら秦氏の末裔を名乗っていた位です。長宗我部という漢字からして「息長」+「蘇我」+「物部」の3つの血筋の出身である事は疑い様が無いのに。
もし八幡宮が秦氏の父方で直系の家系が建立したものなら、神社名を変えさせられる等の暴挙に出られる筈が無いと思います。鎮めているモノすら分からなくされているのですから。
蘇我氏はシルクロードにあった弓月国または大月国の出身で、更に古くは「牛」を信仰していた古代オリエント国家「カナアン」のバアルや、古代エジプト初期王朝のハトホルやホルスの信仰にまで期限を遡らせる事ができるかもしれません。一方で八岐大蛇の一族は、シュメール・メソポタミアに起源を持つ更に古い時代に日本にやって来た一族かと。櫛稲田姫の一族もシュメール・メソポタミア系の蛇神を封印をしつつ慰霊をしていた…櫛稲田姫の一族が秦氏系かもしれないですね。蛇が蛇を封印していた。そこに牡牛の神スサノオがやってきて、更に封印並びに慰霊と言った漢字かと推測しています。
りひと様
りひと様の予感では、「置鮎氏」は龍神を封じる一族ではないか?と思われるのですね。それと鮎が漢字に付く事から、息長足帯姫と宇佐八幡宮との関連性も感じられました。
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禮月さまへに (りひと)
2015-08-04 14:56:39
置鮎さんがどちらかが悩んでいます。
鯰は神に近い存在でそれにどうちなんでいるかで解釈が変わります。一般的には、鯰に関わる一族と考え封印されている方と考える方が無難ですね。ただ場所が滋賀から西とあるならば、むしろ東の方が実際要石がある方です。鹿島香取、静岡、どう出雲にもあったような?なのでまたいでもいます。文書にはあえて書かないトリックがありますから鯰が神として全国にいた可能性もありますよね。そしてもう一つのトリックはあえて限定的に表現してしまう事、国名まで出して修飾してしまわれるとそう思いますがそこが最近余計に怪しいところも感じます。
なので滋賀から西とすると、むしろ東が本拠地にもなりかねない。すると呉音由来と考えても時間がかかってしまう。

吉備が中心的な役割ならその前か後かでもかなり違う事になります。

個人的には南方系は、大阪静岡関東の存在が最近急上昇しているので静岡辺りから北上して岐阜そして近江吉備へとのルートも気になってきました。一般的には九州から山陽四国そして吉備へでしょうけどね。まずはもっと鯰の地点をさがしてみます。

要石は私の慰霊の鍵ですので個人ワークで進展したら報告します。

置鮎さんがどちらに転ぶのか全くの五分です。オキとの音で息長さんとかぶるのか?そこに置かれたとして封印されているのか?
ただ思うのはいい名前を頂いたと名字が変わり、本来大事ななまえが消えている所もあります。今少ないなら名前を与えて見えなくされている可能性ありますね。
いい機会にします、ゆっくりやります。
9688
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置鮎氏と蘇我氏 (禮月)
2015-08-04 16:44:04
りひと様
置鮎氏に関する早速の考察を感謝いたします。m(_ _)m
鯰も地震・噴火・津波等列島にとっては存亡に関わる程の大災害の象徴ですから、祭司には慎重にならないといけないですよね。

置鮎氏が要石と関係あるとすると、必ずしも北九州起源とは限らないですよね。鮎の字から八幡宮を即座に想像したのは短絡的だったかな?と思いました。

霊的なものが関わっているかどうかはわからないのですが、置鮎氏と蘇我氏の関係で興味深い事を思い出しました。現在は故人となってしまった方なのですが、声優で曽我部和恭氏という方がいらっしゃいました。曽我部氏はお生まれもお育ちも千葉県と言って差し支えの無い方でした。千葉県には蘇我や曽我または曽我部という姓の方が沢山いらっしゃいますし、応神天皇と蘇我氏のエピソードも残っている土地があります。

その曽我部和恭氏は2000年に声優を引退されたのですが、曽我部氏が演じておられた配役の大半を置鮎龍太郎氏という声優の方に譲渡されました。現時点では置鮎氏が、龍神というか縄文の蛇神を、封印する側か崇拝する側かは判りませんが、仮に鮎を八幡宮の神功皇后の故事に倣わせるのなら、曽我部氏と置鮎氏の縁は八幡宮繋がりなのか?と勝手に考えてしまいました。^^;因みに置鮎龍太郎氏の出身地は北九州市です。曽我部和恭氏は自らのご希望で置鮎龍太郎氏を指名されたと書かれていました。

置鮎龍太郎氏が曽我部和恭から引き継いだ役の中に、女神の名前を持つ男性のキャラクターがいます。その女神は北欧神話に登場する女神で最高神の妃神名前なんです。(正妻の后ではないが、むしろ后よりも最高神に尽くしている感じすらする)

西周の姓が「姫」氏であり、列島に逃れてきた呉の末裔である辛国息長大姫大目を神として崇めており、その一族が蘇我氏になったとしたら…

男性だけど「姫」の姓を持つ人間とイメージが重なってきました。魏誌倭人伝によてば九州南部には「女人国」があり、これか息長大姫が長だった西周姫氏の国だったかもしれないですし。

出雲の大国主の別名である大己貴(オオナムヂ)が訛って「オオナマズ」になった可能性も考えると、呉人と古代出雲の関係ももっと慎重な考察が必要かな?と思います。

4450
4の呉音霊が二つ並んでいる?そこに5の大地の女神、無と永遠と内包する0!何か見えてくると良いです。蘇我氏も置鮎氏も同じ呉音霊の共通点がある?

3128
3は氷川神社の三つ巴、八幡宮の3羽の鳩、三輪山の3つの桐、金峰寺の蔵王権現堂の三尊…1と2が何で出てきているのか判らないです。8は八岐大蛇か八幡宮に封印されているもの?
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禮月 (りひと様へ)
2015-08-04 17:05:12
4は原始キリスト教で聖母菩薩のエピソードを思い出しました。この2つが並んだという事は蘇我氏も置鮎氏も同じく八岐大蛇を封印する側の一族?

4450が出た時には書き込めず、次の3128でやっと書き込む事ができました。

1は男児で2がオモダル・カシコネ様でしょうか?

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禮月さまへ (りひと)
2015-08-04 18:10:37
りひとは、ただの一般人です。それも妄想の根拠が自分に関わる人間ウォッチがメイン根拠です。なので吉田さまのプログへのお邪魔になっていないか?ちょっと心配です。皆さんが使命を持っている方々だけに。
なので私との鯰の件は、メインプログに関わるようになった時の宿題にしませんか?
でもこれ絡んできますよ、きっと。
声優の方の件も自然にそうなるんでしょうね、びっくりしちゃいますね。何かプロというのは職人であり特別な厳しい目で見るのでそこに当てはまるのは、やはり魅力としてこの方って思う要素がお互いの中にあるのかもしれませんね。
この件、人間ウォッチで見るとやはり蘇我が封印の関わり、置鮎氏が鯰。そして引退とともに石をどかしてあげたように妄想しますね。でもこれ、近い先祖からのお邪魔もありそうなので覚悟や被害もあったでしょうね、そこを乗り越え結果的に出来たのはお互いの個人の信頼と職人魂でしょう、あっぱれです。どんどん色んな人間が作ったわだかまりを子孫が解消していけるといいですね。これからお盆もあるならばそうした善行が供養になるんでしょうね。素晴らしいお知らせありがとうございます。
足のオモダルと手のカシコネでいけば、蘇我がオモダルで置鮎氏がカシコネのように感じます。藤原さんと大地の神エルダにそれぞれ繋がりそうな気はしますよ。5627。
そうやばいと思ったのは、オオムナムヂが大鯰ってありそう。長男だったりして?スサノオ側に行った稲田姫側ではなく、稲田姫の兄か弟側が現れる?鯰はピッタリですね、山の神にもなってますし、凄いパワーなんです。アジスキとシモテルとも思いますよね?大阪でナマズか要石ないかな?淡路島あたりも調べてみます。8062
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吉田一氣 (品さまへの返信)
2015-08-04 23:33:22
コメントいろいろと参考にさせていただいています。
以下の件私も以前より気にしていましたが
どうもトラップではないかとも思います。
もう少し証が必要です。

「宇豆」=「珍」=「貴」=「太」は美称
「勝」=「すぐり」=「まさ」したがって太秦=宇豆勝


ところで秦氏系は現在も生きた活動があり
霊的にも祭祀が行われていますので
霊感が有る方は影響を受けやすいです。
そのおかげでいろんなものが秦氏系に感じられてしまいます。
『物部氏の三輪での祭祀の背景考察 No263』
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/808cd6d8e904dee1df6cd597b893e1f4
に筆者の経験を述べています。

あと都怒我阿羅斯羅は紀元前400年頃の話になりますので
秦氏とは時代が違う可能性があります。
従いましてとりあえずは天之日矛との方が時代が合うと思います。
秦氏の一回目の渡来の時代が紀元前400年頃とすると
秦氏と原始キリスト教との接点が薄くなりますし、
秦氏が日本を支配した時代があったことを
仮定する必要が生じます。
それでは前提を全て洗いなおす必要が出てきます。
秦氏が古代日本天皇だった話を藤原氏が封印したなどという
話があれば別です。
決め手の情報が無ければ最後の手段的に残しておきましょう。

ダン族と秦氏の繋がりについては初見でした。
ダン族は確かに蛇の紋章ですね。
裏が鷹の紋章なんですね。
ダン族は朝鮮に留まったという説がありますね。
秦氏はベニヤミン族とかマナセ族とか
天皇に繋がるとも言われるガド族とかではないでしょうか。
でないと秦氏の中に完全に別な2系統があって
秦氏が秦氏を滅ぼした歴史の検証をせねばならなくなります。
初期の秦氏がユダヤ教で後期秦氏が原始キリスト教となって
しまうと考えられますが
そう考えるよりも2系統を別の種族と考えるほうが
手っ取り早く自然だと感じます。
ネット上にも説は無数に出回っていますが
根拠が薄く参考を超えるものには出会えていません。

旧石器人 縄文人 弥生人 倭人 日本人の区分で
クナト神 アラハバキ神 八岐大蛇の信仰を
どの時代にどう当てはめるかは
すぐに決め付ける必要はないでしょう。
じっくり品様なりに検証していってください。
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吉田一氣 (禮月さまへ の返信)
2015-08-05 00:04:01
製鉄精銅にいい藁灰が必要であることは
知っていましたが
朝鮮半島には、製鉄の際に鉄の練度を高くする為の、
特殊な鉱石があったという話をはじめて知りました。
なんと検索すればその情報に接触できるのですか?
ところで都怒我阿羅斯羅と蘇我氏に繋がりが無いかを
調査中ですがまだピンときていません。
これからもいろいろとアドバイスをお願いします。
返信する
吉田一氣 (りひと様への返信)
2015-08-05 00:18:35
鯰あるいは鮎 提といえば呉人のトーテムですね。
後漢書倭伝に呉人に関して
「会稽の海外に東(魚是)人あり。
分かれて二十余国を為す。」とあります。
(魚是)は鯰の意です。
また呉人の風俗は「提冠提縫」と表されています。
提とは鯰。
呉人は鯰の冠を被っているのです。

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禮月様 ()
2015-08-05 02:13:01
八幡宮は蘇我氏では無く、元は秦氏です。また秦氏は、朝敵ではありません。登りつめれない、その様に思えました。

蘇我氏は、武内宿禰様の後裔ですので、遡ればウガヤフキアエズまで視野に入りそうです。『新撰姓氏録』では皇別に分類されています。馬子の頃から三代にわたる醜聞が伝えられ入鹿の暗殺で嫡流は絶えますが傍流は残り、壬申の乱で没落はすれど以降は石川氏が本流になり877年宗岳朝臣を賜姓され、末裔は日本中に分布されておられます。

クシナダヒメ様なのですが石上神宮に八岐大蛇を退場した刀が御神霊で鎮まっておられます。そこから4キロ程の所に穴穂神社が有ります。
祭神 タカオカミノカミ

石上神宮のホームページによりますと神宮最大の祭典で『ふるまつり』または「田村渡タムラワタリ」というお祭りが有るそうです。午前中穴穂神社より衣冠姿の稚児が騎馬で従者を伴い御弊を棒持して社参する。その後、午前十時三十分から例祭を斎行。この時稚児より荷先ノサキ(新穀の穂のついたままの稲穂)が奉られ棒弊の儀を行います。~
と有ります。封印では無く、五穀豊穣を祈られたのだと思われます。
返信する
スサノオと龍蛇神 (すずたま)
2015-08-05 02:25:48
吉田さま、皆様へ。
多忙にしており、ここに参入させていただいて以来浮上した、気がかりな色々をあらたに調べたりする時間もないまま、日が過ぎてゆきます。
そこで今日は、私にとって内面的に大切な節目となった、最近のあるできことをお伝えさせていただくことにしました。題して「出雲で龍蛇神に逢った」。

私の娘(30代)は、私と違って、いわゆる霊媒体質です。
今年の2月頃のことですが、その娘と会話中、突然ナニカが降りて(?)、こう宣告されました。
「お母さんのすることは歴史を調べることじゃない、謝ること!」
「謝る?!はあ~??」
困惑しましたが、ナニに謝れというのか、彼女との短い問答の中でわかったのは、私の先祖が何か酷いことをしたことを怒っているカミサマがいるらしいのでした。女のカミサマだといいます。

そのときに浮かんだのが、以前に読んでいた吉田さまの記事の「蘇我氏の祭祀における縄文神の封印」の部分でした。

娘がいうに、土地のカミサマなのでその場所に行かねばならない。「来い」とそのカミサマが言っている。何もわからなくてもいいし調べる必要もない、ただ行けばよい。調べることはかえってよけいな汚れがつく。行けばわかる、と。
行けばわかるったって雲をつかむような話、いったい何処に?
ちょうど出雲のことが気になっていたので出雲地方の地図をみせると、彼女が指でたどって感応し指し示したのは、西出雲の山あいの辺鄙な一帯です。ポイントとしては須佐神社と須佐温泉しかなく、周りは山しかありませんが、その周辺一帯の山々を歩けばわかる、と。
4月のおわり、3泊4日の出雲への旅では、つい欲張って目的地以外にいろいろなところへ行きましたが、日御碕神社その他、何故かスサノオ関連の場所ばかり選んでしまい、あとまわしにした肝心の目的地でもスサノオの後継者たちの痕跡をとりあえず巡り始めていたのです。目的地とは須佐神社のある須佐地区を取り囲む佐田町一帯ですが、あるHP(東須佐を歩く)によると山岳信仰系仏教が中世に盛んだったらしく、それも歴史に埋もれていて、土地散策は、とりあえずそのHP管理者さんが追及している遺跡から始めたのでした。
その中途です、「事故」に逢ったのは。つづく
返信する
続き (すずたま)
2015-08-05 02:27:22
続き
院王山山頂に向かう坂道でバランス崩し、レンタル電動自転車ごとモロにわきの溝に倒れ込み、溝にすっぽり嵌まり込んで空を見上げる格好となったのでした。不思議にちいさなケガしかありませんでしたが血は派手に出ました。片側はまっさかさまの怖ろしい崖が続く急峻な場所。ふるえあがり、即座にカミサマに怒られたと思いました。スサノオを祀る須佐神社そのものも、その地に興ったという「山岳信仰系仏教」も、このカミの敵だということは、うすうすわかっていたからです。そのカミとはスサノオが封印した出雲の「龍蛇神」であろうか、という目星もつけての旅行でした。
その日は温泉で傷をいやし、本来の目的を果たすために翌日午前に訪れた場所は、神戸川の源流となる小さないくつもの細い谷川が山々から流れ出す、その川の両脇に形成された狭い農地のひとつです。山々の裾のあちこちに浸み出る水を農地に引くための樋(とい)が設けられ、無数のせせらぎが神戸川の一支流をなし、驚くばかりの水の豊富さです。それがこのささやかな農地のどこにもない不思議な明るさと豊かさを形成しているのでした。

そうです、ここは水の女神の場所なのでした。

ひとつのせせらぎのそばで座り、瞑目しました。春らんまん。あふれる光と鶯の声とせせらぎの音の中で、ここに来ることができたことへの感謝と、祖先の過ちのお詫びとをこころのなかで奏上しました。

対峙した相手は、たぶん「龍蛇(りゅうだ)様」です。
そのことは帰宅後に見た夢ではっきりしました。
急峻な崖と崖にはさまれた谷川の上空にソレは浮き、視点はゆっくり崖の下方、谷の下流方向へ転じられ。斜め下方に向かって滑空し始めたかと思うと、前方にぽっかり黒い穴があき、物凄いスピードでソレは穴から地下に潜っていき・・・同時に「地竜」というコトバが浮かびました。
龍というよりも蛇に近い。龍神の中でもより地的な、水と土のカミだと思います。龍の体型よりも蛇の方が地下を凄いスピードで巡るのにふさわしいはず。(角はどうだか?わかりません)
地下を廻り、土地に清浄をもたらす純粋な蛇型エネルギー体です。

土地の豊饒をもたらす、「生む」カミですから、女のカミサマと娘が言ったのはうなづけます。

いわゆる出雲の龍蛇神とは何か、吉田大洋著の本にあるトミ族の末裔が言ったという「出雲神族の神は龍蛇神」というのがよくわからず、「龍とか蛇」のことで「りゅうじゃ」と読むのかと思っていましたが、はっきり「龍蛇(りゅうだ)」という存在があるのだと、かの土地への訪問と夢とで、はっきり実感しました。
怖そうではあるが、厳しさ激しさはあっても、土地に清浄と豊かさをもたらす、共に生きれば無限に優しいカミサマです。
出雲で逢って以来、温かいものがじわじわと心身を潤してくれています。
数年来の心身の不調、とくに今年初めからの重さがとれ、娘も私の旅行中の重さが帰宅後取れたそうです。つづく
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続き (すずたま)
2015-08-05 02:29:33
須佐神社は、スサノオがクシナダ姫を娶りリュウダ族を懐柔したのち最終的に自らの魂をとどめたという地にあります。ある著名なスピ系霊能者がこの神社の神木のパワーを紹介して以来このバスも通わぬ辺鄙な地にある神社が有名になり、スピ系が押し寄せて木が気枯れしてしまったそうです。
神社の由緒で「スサノオはこの土地を気に入り、石や樹ではなく土地に名を残した」とあります。
つまり、佐田という清浄な土地に須佐という名を刻印した。佐田のカミの「名を奪った」ということです。
(佐田のカミというと、出雲の佐田大神。この神の祭祀もわけのわからないことになっており、封印のあとがみえます。)

佐田は元々は「狭田」でしょう。
つまり山あいの谷川の両岸に形成される狭い土地です。
元は葦がはえる湿地だったものを開墾して、狭いながら農地にしたのです。
この地に住み着いた先住民、クシイナダヒメの祖は、葦の根元につく褐鉄鋼「すず(錫ではありません)」=「高師小僧」を採集し溶かして、最も初期の素朴な製鉄をし、鋤や鍬としたでしょう。この地の水が中国山地がもたらす鉄分を多く含むため、「すず」がたくさん取れ、しかも水の豊富なことから、彼らはこの地をえらんで住みついたのでしょう。シュメール由来の民かもしれません。土地の「水と土のカミ」を大切にしたので、そのカミは彼らを護り、彼らと共に生きたのです。

豊葦原瑞穂の国の豊かさの源泉となった葦。鉄と稲、ふたつをもたらした。(あっ・・・葦→足??)
サは古語で鉄を表すと、何かで読みました。
ダは田でもあるが、リュウダのダでもありましょう。
サダのカミは、鉄と稲のカミ、蛇型の縄文女神とはこれではないのだろうか?
一体一体はその土地限定の土地神だから、「会いに来い」と言われたのでしょう。

宇佐は菟狭、この狭も同じ。
「菟」は以前書きましたが葦や稲などの禾本植物の総称であり、宇の「生む」「生成」の働きを具体的に行う植物です。
宇佐族もまたシュメール由来の初期製鉄の民でしょう。
宇佐神宮の南方にも佐田という地があり、同じ地形です。

スサノオはこの「ウやサやダ」のカミを奉じる民を取り込み、結果このカミの名を奪います。
このカミは怒り、祟ります。祟りを封じるためにその子孫は、吉田さまの言う「敬いつつ鎮まっていただく、つまり封印」したのです。
名を奪うだけでも封印の働きがありましたが、その子孫は封印の祭祀を行ったのです。
それはたぶん仏教的な封印だったのでしょう。その流れの初期に、辛嶋氏後裔が国東半島ではじめた山岳修験系仏教があるでしょう。安閑も蘇我もその流れにあります。佐田地区に痕跡を残す山岳信仰の跡もまた。
安閑が憤怒の象徴とされるのも、因果応報と言えます。
辛嶋勝乙女は縄文神を大切にするという以上にそれを土台にすらして、その上にユダヤ教や仏教や道教をひとまとめにして合体させたのに、子孫はまたもやばらばらにしていったのです。

なんで古代史にはまったか、何をすべきか、やっとわかりつつあるしだいです。
吉田さまの数々の記事のおかげです。
有難うございました。
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続き (すずたま)
2015-08-05 02:36:43
長々すみません。
以下は私自身定かでない妄想としてお聞き流しください。

龍神も龍蛇神も鯰神も、龍神界の存在。龍神界とは人間界が創られる前にあった世界で、私たちの祖ともいえると思います。私たちの三次元世界の隣にあって、日夜私たちと深くかかわりつつ存在しています。
龍神界にはいろんなモノ(精霊)がいるでしょう。たぶん人間界と同じで、ピンからキリまで、善神から悪神までイロイロいると思います。人間側から悪龍を使役して善龍を封印するなどということもあり得るわけです。
オオモノヌシとは精霊の王、龍神界の王でしょう。
オオモノヌシと同一視されるオオクニヌシもまた、本来は人間でなく、龍神界の最高峰、神界と境の無いあたりにおられる大神霊であると、ある本で読みました。(小桜姫物語:浅野和三郎の妻による霊界通信の書。龍神界の知見はこの本で得ました。)
ヤマタノオロチは、皆様と意見を異にするとは思いますが、龍神界における黒龍的、サタン的なネガティブ存在と思ってきました。
スサノオはこの存在と戦ったのだと思っています。
この場合のスサノオは太古地球創世期にきた「神霊スサノオ」。そのとき「前の宇宙から今の宇宙に潜入したネガティブ蛇」を封印した因果が、龍と戦い続けるスサノオ族のカルマとなったかと思います。スサノオ霊を宿す人間スサノオは、人類史に無数にいたと思います。ヤマトタケルなどその系統かと。
メソポタミアにいたスサノオと、(k女史がいう)列島から半島に出向いて大陸を開発したスサノオと、新羅方面から来て出雲を平定したスサノオは、別存在でしょう。仏教的封印に関わったスサノオも別にいるかもしれません。
「鉄で解く歴史」関係の書を漁って私が得た以下の考えは、真偽も定かでなく、ここに書くのも嫌なのですが・・・進んだ製鉄技法を持つヤマタノオロチ霊の系統にある部族(オロチ族?)が、初期製鉄族クシナダ姫系の土地に侵入して行ったことは、恐ろしい生贄を使う製鉄・・・(鉄の精製に必要なカルシウムやリンを得るため、人体を溶鉱炉に投入)・・・ほかの方法もあるでしょうにそれを行ったとすれば、悪魔的儀式の面があったはず。
そんなでヤマタノオロチを美化する立場には私はなれません。それを止めさせたスサノオは、たしかに出雲の英雄ではあると考えています。
蛇神にもいろいろあるということですが、スサノオ(スサノオ族の一人、仏教で蛇を封印した主要人物?)は龍神界全体を敵視したように思えます。彼の時代に(六世紀ごろ?)龍神信仰界全体が霊力の競い合いと呪詛の投げ合いに堕ちていることを嘆き、仏教をこの国に根付かせようと決意のうえ、強引な出方をしたので、あとに「龍蛇」の怨みを残すことにもなったと想像しています。
私の父は仏教関係者ですが、龍神信仰を低くみる、という態度にこだわっていました。神通力などは呪術の世界への堕落を招くと言っていました。私の関わるカルマが父と蘇我の系統と何となく感じるゆえんです。

長々書きすぎました。吉田さまの手の上で勝手なことを書き散らし、申し訳ございません。

さて人員不足から仕事が忙しくなるうえに、半年後の資格取得をめざして九月から学校通いです。
九月にブログ開設は無理というより、今はたぶん避けた方がいいと判断しました。それは、吉田さまという傘の下にいるからこうして勝手なことを書けていると思うからです。
自分一人の今の力では、電網を通してやってくるいろんな波動に、とても対処しきれないでしょう。

ここに参入させていただいたこと、皆様に感謝いたします。
今後発言は多少減るはずですが、毎日読ませていただきます。ときどき、むずむずして我慢しきれないで、結局いっぱい発言するかもしれませんけど(笑)

ps
河童ですが、皆様とはちょっとずれたことを申すのかわかりませんが、褐鉄鋼「すず」を集めて初期の製鉄をした民を河童というと、何かで読みました。葦の生える水辺で身を屈めて採集する姿が河童みたいだからと。
(それなら角は生えていませんね。)すると、古代菟狭族も、有明海あたりに江南方面から最初に辿り着いた民も河童ということになります。
私の逢ったリュウダ様は見えたわけではありませんが、角は無さそうに思えます。
しかし角の生えた蛇神も存在する気がします。それはサダのカミよりも、もっと男性っぽくて恐いカミかも?
武器製造に貢献する蛇神はこちらかも??これが蚩尤??・・・またまた妄想です。
(鉄は、縄文系の民にとって稲作りの平和的道具だったのに、弥生渡来系にとっては戦争の武器用でした。
縄文女神は、男性神である軍神にとってかわられてゆきます・・・)

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Unknown ()
2015-08-05 03:28:03
先生、ありがとうございます。宇豆の件ですが、大阪市東成区の比売許曽神社ヒメゴソジンジャがあり
垂仁天皇朝(前29~70年)創設
1781~1786年間は牛頭天皇社であった古社です。こちらの由緒書に、下照比売を祀って高津天神とよばれたのが起源であると伝えられ天皇の御幸があり聖徳太子供奉されて、太子自ら神供を奉り難波総社古宇豆天宮社と称し~と有ります。古代では宇豆も使っていたかと思われます。

八岐大蛇と都怒我阿羅斯等の接点ですが、石上神宮の御霊の御神名です。布都斯魂大神です。
また点在する秦氏の王国は豪族規模の物では無いかと思われ、ただ他の小国と比べ高度な文明が有ったのだと推測されます。土木に長け、産業に長け、しかし宮中の楽師を輩出している。雄略天皇の時勢にやっと「秦の民」を与えられたと日本書記に有るそうです。秦酒公は、その恩に報い朝廷にうず高く貢物を献上し、そこで天皇は「兎豆麻佐」の名を賜ったという。お話が有ります。
『新撰姓氏録』だけを見ても秦氏は、直接の祖先が誰かという事では20氏族を超える秦氏の分家の様なものが有るそうです。秦氏は、いくつもの地から来た人々の集団で、同じ秦氏でも出身地なり故国が違ったりするそうです。

秦河勝でさえ家系も父も母もまるで不明だそうです。「うつまさは 神とも神と聞こえ来る 常世の神を打ちきたますも」と称賛されたそうです。が一族はアンダーグラウンド的で表に出てこられません。

もしスサノオ様が下鴨社家、陰陽家葛城賀茂氏、三輪・大神(大三輪)高宮家 大神神社社家の家系図の通り賀茂氏の一代目なら同族というのは後世の婚姻になります。
また中国の史書『宋史 巻 491、外國伝、日本國』の条に「ヨウキ元年、日本國の僧チョウネン 其の徒5、6人と海を浮かんで至り、銅器十事 ならびに本國職員令・王年代紀各一巻を献ず」とあり、つまりは神代の天皇の系譜が記して有るそうです。
第一代を天御中主、天村雲尊、天八重雲尊、天弥聞尊…と続きイザナギノミコト、スサノオノミコト、アマテラスオオミカミ…と続き、第18代目がスサノオ様がそして24代目に磐余彦尊(神武天皇)と有るそうです。チョウネンは東大寺の僧で宋に渡ったのは984年。宋には日本の天皇の系譜は、上記の系譜が登録されたそうです。

イスラエルの事は、これからお勉強なのですが、他の氏族ではトーテムが合いません。ベニヤミンは南ですし、マナセでは王族、ガドの祭祀族は他の氏族では無いかと思われます。
ダン族が呪われたのが知恵の実由来か気になるところですが、私に憑いているかもしらない御方(私もそう感じています)に導かれてみたいと感じます。

天王社総本社の津島神社も面白く思いました。
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すずたま様 ()
2015-08-05 03:46:09
一幅の絵を見ている様な心地で拝読させて頂きました。ありがとうございます。

資格のお勉強、頑張って下さいませ。御多幸を御祈り申し上げます。
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Unknown ()
2015-08-05 04:32:17
先生、どなたが何を御伝えされたいのか、自分ではよく解らないのです。

投稿している事は、書籍からの引用で、ネットはWikipediaと神社のホームページ位なのです。今まで全く考えた事が無い事や、知らなかった事だらけです。
しかも本来なら、今頃、お出掛けしているところだったのですが、主人の部下が結膜炎で両目が真っ赤で出社出来なくて、お家でいます。

今日は、図書館に動員されました。
不思議な感覚です。最近、毎日3時間睡眠です。何何でしょうね…
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皆様でハーモニー作れたらいいですね。 (りひと)
2015-08-05 10:10:31
吉田さま、
鯰オッケーですね、ありがとうございます。かなり個人的にも山の上の石がある地淡路島なども気になってきました。山岳信仰もの地にそこで修行していたりという部分でも、皆様のコメントとの中にもそうそうと思う点もあり不思議な波動のようなハーモニーで何かが見えてくるかもしれませんね。今後もよろしくお願いします。

品さまへ
なんだか巻き込まれた上、特別な役目のためご自身に苦痛までご苦労さまです。情報のソースはそれぞれだから面白いんですよね。苦痛や悲しみを伴う任務がそのうち輝かしい未来の展望になるといいですね、どうぞ宜しくお願いします。

禮月さまへ
いつも近い存在で理解して頂きありがとうございます。禮月さまの鯰、吉田さまのお墨付きも頂き、禮月さまの研究熱心さ、日々の努力の成果とセンサーもばっちりですね。ヤッター!と思いましたよ。今後もよろしくお願いします。

すずたまさまへ
何だかお忙しい中なのに質問したりしてすみませんでした。そして今後のご活躍もまたどこかでお会いした時楽しみにしていますからね。
私個人的には、龍蛇神に父もあやまらなきゃいけない立場が半分で出雲大社のお札もずっと飾れないでいます。お墨付き頂くまでは。そしてトミとの話もコメントの中にありましたがやられた方も半分関わっていてそちらに肩入れすることで慰霊が出来るのではと自分に関わる事だけ研究しています。すずたまさんのお子さんの言葉での理解とその後の行動、素晴らしいと涙が出ますね。多分私の中の半分それぞれが泣いて喜んでいるはずです。これから何かを感じ同じように自分のルーツや先祖のフォローを自分一代でも出来るだけやりたいと思う方々が増えるといいですね。だって家族幸せや自分の守りに一番近い特効薬ですからね。
すずたまさまが先駆者でとても大事なお役目だったはずです。スサノオのもそれなりの理由があったはずですし、結果として歴史の中でも追放までされているのですからまだまだ黒幕がいますよね。ただ一度そこを踏まえてもあやまる事ができたのもお子様のおかげ、いい家族のおかげです。多分そこから新しい歴史の評価が始まるでしょうね。感謝です、私も行くべき場所湯殿山?に行けるといいです。最終は阿蘇だと思ってます。
一仕事終えたのだからゆっくりしてくださいね。菊池に関わる方に出会えた喜び感じましたよ。2104、8509、8出た!
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朝敵にされたのは蘇我氏の方というニュアンス (品様へ)
2015-08-05 11:25:25
品様へ
私の書き方が悪かったのでしょうか?朝敵扱いされたのは「蘇我氏」のニュアンスで書きました。秦氏は朝敵呼ばわりされる事になった蘇我氏を弁護というか、弁明しといる様な感じに捉えられたもので…
長宗我部氏が秦氏の末裔を名乗ったのも、祖先とされる「蘇我入鹿が天皇と朝廷を意のままに操ったという」悪評が安土桃山時代末期も根強く残ってしまったからだと考えました。
歴史は勝者の都合の良い様に書き換えられます。逆に敗者の側の事情は、どんなに正統性があっても、例え真実であっても勝者にねじ曲げられます。これは歴史の常です。
私は長い歴史の中で敗者となって行ってしまった者達の声に耳を傾けて行きたいと思います。
吉田様
朝鮮半島と製鉄に必要な鉱石の関係が書かれていたyou tubeに投稿されていた動画に対する感想文にでした。「韓国人が絶対に知りたくない自分達のルーツ」という様なタイトルだったと記憶しています。新羅は大陸人や倭人の昔(せき)氏が作った国であり、半島土着の民族が建てた国ではないという内容でした。他にも半島では倭人が古くから住んでいた等という話題がありました。
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禮月 (品様へ)
2015-08-05 11:53:56
寧ろ秦氏は蘇我氏の無実を晴らそうとしていた様な気がします。あれ程高度な技術や祭司の技術がありながら、政治の表舞台に立てなかった理由は、藤原氏が秦氏を政治的争いに破れた可能性が考えられます。
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吉田さまへ (りひと)
2015-08-05 14:44:51
地震反応あったようです。
8/3白山市、8/4洲本市 南あわじ市!
呉音の関係の地震かもしれません。
淡路島が気になった要石や鯰のコメントが18:00代、地震は22:00代です。タイムリーですよね。即ネットで見ると淡路島は山の上の石かなりあるようです。人の力の及ばぬくらいの石。
そして、品さまの調べて頂いた大阪ヒメコソ神社は、去年車で通り子供に行かなくていいの?って指摘され通りすぎる時に鳥居だけ見えた神社です。即調べて行きたかったですが、大通りで止められず次回にと思っているところです。
また、今調べるとアジスキさんもいましたね、当時はシモテルさんだけだと思ってましたが。今なら即刻Uターンだったですが。

そしてもう一つ気になったのがヒメゴ神社です。大分にあるようですが、ことごの違い。私の中では呉音関係が濁点の違いで特に気になります。ツヌガさんも関係ありそうなので実質かなりかぶりそうですよ。白石の信仰も大神の奥宮国津でも気になってますが、白山の地震も関係しているような気がしました。

そして今静岡が気になってきました。呉音霊のルートに静岡も関わっているはず、ココトムスビさんの奥様コトマチさまがいますので。言霊の神様です。
沼津では古い古墳も発見されたようですし、西だけが呉音霊関係ではないように思い始めています。

そして不思議に今日の来客者から四阿山とかいてあずまやさんと読むとのはなしが来ました。四は、呉音霊の数字と思い始めてます。以前は秦や初期キリストやユダヤ系と思っていましたが呉音霊ですね。サッカーの本田さん同様私の守り数字です。その四に阿蘇の阿であずまやと読むのか?呉音でもない読みのような気がしますがタイムリーなのでお伝えします。長野県と群馬県の県境でもあり父の縁の長野安曇野と祖母の縁群馬との関係でもピッタリであります。またあずまとは、吾妻、吾嬬、東と個人的にも重要な音を持っています。
四阿屋山との地名も二カ所ほどあるようです。同じ呉音霊の流だと思います。
どうぞお役に立てられたら利用して下さいね。聖湖とかあるようでその辺りも気になりましたよ。呉音霊は、私の中では手なのかなあ?と千住や千手観音とも関係ありそうですね。アカルヒメの字も呉音ならば、この前観た阿弖流為も呉音霊のルーツの可能性が出てきますよね。
今後が楽しみです。7088、8が二つ!
9555、5が三つも嬉しいです。
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ヤマガ! (りひと)
2015-08-05 15:46:01
吉田さま
四阿屋山は秩父と長野にあり、長野の方は真田氏と関係がありようです。山の頂上に奥宮はありますが私は尊敬する方の助言で里宮の方を大事に考えます。なので山家神社の方が元の山の信仰にあると思います。やまがという音、確か鹿でもと思い調べると吉田さまの近くに山鹿市ありますね。菊鹿だと濁らないようなので勘違いかもしれませんが。山鹿ってどうやら鞠智城ある地ですね。近隣地域も関係者が揃っています。
また鹿の伝説もありますが、本来は長野の山の信仰が先だったなんて思うと呉音霊上陸ルートが静岡もありになってきます。阿蘇も塗り替えられている可能性ありますよ。
鹿といえば?姫でも翡翠姫、白石の姫、鹿島さん、諏訪さんの生贄、春日さん角斬り。姫には角の用心棒が付いていたのでしょうか?四阿には四つ目っぽく感じてきました。女神に繋がるといいです。八幡の女神もこの方だといいなあ。四阿あずまの姫!6341
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品様、吉田様へ (追記です。)
2015-08-05 19:07:02
品様
蘇我氏は蘇我氏の嫡流は絶えても、傍流は残っているのですね。ついつい高知県の長宗我部家の事にばかり頭が行ってしまっていました。八幡宮の祭司は秦氏と蘇我氏が協力し合っている様な気がするのです。でもこれはあくまでも私のインスピレーションであり、未だ根拠の無いものです。
蘇我氏の祖先である武内宿禰がウガヤフキアエズにばかり繋がる…ありがとうございました。何かが頭の中で氷解しました。
吉田様
都怒我現人が蘇我氏?と思ったのは、スサノオが牛頭天王と同一視されていた事と牛の角が三日月と同一視されていた事。そこで蘇我氏のもう一つのトーテムが牛ではないか?と思いました。蘇我氏の出身地が、古代シルクロードの大月国か弓月国出身と書かれている本を読んだ事がありました。牛と月というキーワードから都怒我現人は蘇我氏と関係の深い存在ではないか?と思ったのです。
鯰の帽子を被るのも呉人の特徴なのですね。もし置鮎氏が呉人系の末裔なら、りひと様へ伝えた4の数字が二つ並んだ意味も納得です。八岐大蛇の霊を鎮めつつ祭る女神様のイメージが浮かびました。
古代エジプト初期王朝の始祖とされるナルメル王を表す神文字は鯰と鐫(のみ)です。5000年程前にエジプトで製作されたと言われている「ナルメルのパレット」には、鯰とノミの他にも角のある牛の親子が掘られています。
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呉人系の神社 (禮月)
2015-08-07 01:13:17
宇佐神宮の摂社/鷹居社では以下の様な描写がありました。

「大御神は宇佐河渡(現郡瀬社)から当地に遷った時、人々を殺傷するほど御心が荒れていた。そこで辛嶋勝乙女(カラシマスグリ オトメ)が崇峻天皇3年(590)から3年間祈って心を和ませ、同5年(592)鷹居社を創建し、乙目を祝(ハフリ)と為し、辛嶋勝意布売(イフメ)を禰宜と為した。」

仮に辛国息長大姫大目命が辛嶋勝乙女だとしたら時代が合わな過ぎると思ったのですが、すずだま様が仰る所の「魂を宿した女性司祭」だったのかもしれません。

大御神は恐らく土着の神様で蛇神の一種かと思われますが、古くからいる土着の神様にもきちんと敬意を払い続ける事が大切なのでしょうね。

呉から入植した司祭の方で辛国息長大姫大目命の魂を受継いだ女性は、土着の神様や人間とも一時的には争いを起したとしても、きちんとその後のフォローを忘れなかった。それは古事記や日本書紀で書かれている神功皇后の描写で、彼女が旅先の土地の神をきちんと祀った所にも表れています。

古事記や日本書紀に記されている素戔嗚命は一柱または一人ではなく、その魂を引き継いだ人間達の物語も含まれるのでしょうか?八岐大蛇を倒した素戔嗚と新羅から列島に戻ってきた素戔嗚は別の存在だけど、魂は同じ。だから素戔嗚一人の功績である様に書かれていた事になるのですね。

私の父は神仏というものを一切信じていません。生家は貧しく、父の父である祖父は「仕事なんかしなくても何とかなる。」と働かない怠惰な人間だったそうです。また「学校教育なんて時間の無駄だから、さっさと外国(中国大陸や朝鮮半島またはフィリピン等の東南アジア)」へ行けばそれなりに生活できるから…」等と言って中学にも満足に通わせて貰えなかったそうです。父は苦学して奨学金を得て高校と大学を卒業したのですが、「信じられるのは金と米だけ」という考え方は今でも変わっていません。また祖父の事を今でも酷く恨んでいます。祖父は生前そんな父の気持ちも全く顧みず、一切聞き入れなかったとの事です。

そんな祖父に反抗し続けた父ですが、父は私に対しても「お前は家庭に対して幸せを求めず、一生をキャリアウーマンとして過ごせ。結婚や出産等一切認めない。どうしてもやるのなら戸籍を写せ!」とまで言っています。私四捨五入をすると40歳になってしまいますが、父はこれまで私にあった縁談を全て独断で断ってきたと、つい最近知らされました。私も生きている間は父とわかり合う事は無いと確信しています。

そんな父の思想に影響を与えているのは何か?また自分がこのカルマを解消する為には何ができるか?と思い立ち父が出生した三重県津市の神社を調べてみた所、素戔嗚命と誉田分命を祭った神社が最多でした。次いで多かったのが大日霊女尊と大国魂命です。

父は若い頃に友人島根に旅行へ行った時、出雲大社から賽銭を盗んだ事があると言っていました。神様なんているかどうかも判らない存在にお金を渡すのなら、昼食代にした方が遥かにマシだから…との事です。

父も私も八幡宮と氷川神社との間に何かあるのかな?と思いました。

数字は5077
「7」が二つでてきました。大地の女神の5と無限の0、そして八岐大蛇の封印が二重に?

次が4818
今度は呉音霊4と男児1に挟まれた八岐大蛇8。八岐大蛇の封印をコントロールできるのは呉音霊?と男児?
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Unknown ()
2015-08-07 06:15:49
先生、みえてきました
返信する
禮月さまへ (りひと)
2015-08-07 12:57:10
人間ウォッチしか私の特技はないのですが、84番目にもなりますのでコメントさせて頂きます。

お父様とお祖父様の件で私の思った事ですが、お祖父様は多分きちんとした先祖のきちんとした家庭に生まれていそうに思います。というのも昔はきちんとやるべき事、風習を守ってきていてその恩恵でお金などもいざという時にはきちんとヘルプが入り不思議に苦労しなかったのだと思いますよ。そして一般的ですが日本もとても凄い時代になりそうした風習よりも目先に重点が行きお祖父様には伝えられるベキものが伝えられなくなっしまったのではと?日本全体がそんな風に空洞化してしまったんだと思います。
そしてそのひずみがお父様にて、お父様は自分の努力だけで全てやってできる方だったんでしょう。反発が更なる力になる。ただ、そこに自分一人で頑張ったという自我がありますし、お金の強さこの時代よりも感じた為にそこに重点を置いてしまう。これって流れと考えれば仕方なかったんだと思いますよ。お祖父様がこうだったから更なる強さが出たと解釈出来るようになったら親子のお気持ちも変わるはずです。そして、禮月さまは、お父様に反発してキャリアウーマン+幸せな生活をして見せつけてあげてください。すると考えに幅が出来、お祖父様への考えも変わってくる連鎖が現れるのでは?と思います。親子って必ず逆にいきます、兄弟も夫婦も。
神も信じないお父様が、禮月さまのように神の意向や考えに目を向けて成功しているもの姿も見せないといけません。お金では買えない心が綺麗だからのヘルプを受けている姿をどんどん吸収していってくださいね。大切な一族、お孫さんでも出来たらすんなり変わっちゃうかもしれませんよ。うちは亡くなって気付いた部分ありますので、遅かったくらいです。辛い境遇からしか偉人が現れない理由も反発こそ最高な未来への原動力になりかねないと思いますよ。
最近は、母のいいなりのような子供しか評価されていないような気がします。男の子は潰されて最後とんでもない事起こすか引きこもるか?小さいときの反発こそが自立、親子の巣立ちを早める為に必要だと思います。

親子は永遠親子、反発して子供のが凄いと思わせられるような人生送りましょうよ。父は天国ですが見てくれてるといいです。7295。5597、2が5にかわった!
いいパートナーが大地の神も喜ばせるといいですね。
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禮月 (りひと様ありがとうございます。)
2015-08-07 13:28:10
りひと様
私は最初の就職に失敗して以来、ずっと非正規のワーキングプアです。最初の就職では2時間通勤のみならず、お給料も完全歩合制だった為終電を逃しては野宿という日も多々ありました。働いても働いても貧乏になるばかり…ついに私は体調を崩して長期療養を余儀なくされました。幼少時に受けた手術の後遺症によるものです。父はそんな私を見て「何でお前は俺の設計図通りにならないんだ!」と病院のベッドにいた私の胸ぐらを掴んで私の顔を殴りました。直ぐに医者に拘束されましたが。(笑)
返信する
禮月さまへ (りひと)
2015-08-07 14:08:42
みんな被害者ですね、会社も生活出来るだけの給料を与えず無理して時間を見つけ身体を壊してしまうのは当時私の時代でもありました。朝起きれないと来れない男性の方や専門性がある故引っ張りだこで出張ばかりで身体壊してた方。そもそも人がいい方ばかり病んでいます。上司も分かっていて流す日々。そんなところばかりですし、今は親が会社見学を行き入社させてそして休む時も親が電話するらしいですよね。間の私たちの年代も恐らく大変な時代だと思いますね。
家賃が一番いけないとも思います。これさえ楽になれば余裕で暮らせるのにと。まあそこはよし、政治家が考えなきゃいけない事なので。

そうそう、今気になっている事があります。これも呉音と関係あると妄想していますが、千葉に詳しい禮月さまへ質問です。おじゃもじさまってご存知ですか?
これ房総から神奈川に伝わってきたとの話がありますが千葉にはありますか?

私が出会ったのは春日大社、多賀大社ここは単純にしゃもじがアイテムとしてあるだけです。そして東京では品川の神社、神奈川ではお寺。どうやら神奈川いっぱいありそうです、それに昨日びっくりしました。お時間ある時教えて下さいねU+1F647夫婦円満や子孫繁栄の意味合いのように感じます。禮月さまの今後にも関わりそうな気がします。
ちなみに私うし年で少し世代上ですが、大学の友人、女性は成績優秀で総合職で会社入った先輩後輩もすでに一度辞めて違う人生を歩んでる人ばかりです。え~ってびっくりですよ。女にはきつい世の中なのは確かです。
体調、心の健康が第一です。

自分でもなんでも出来る方には自分は動かせても人を動かす事は出来ないはず。
親の言う通りではない自分の幸せを子供は自分で勝ち取る時代なんでしょうね。
4483、4二つ!
返信する
禮月様 ()
2015-08-07 14:20:45
参考になりますと幸いです。
葛城、波多、平群氏系図
近藤敏喬編『古代豪族系図集覧』より
武内宿禰ー葛城臣 葛城襲津彦

ー蘇我臣 蘇我石川

ー 波多臣 羽田臣 波多八代

ー紀(木)臣 紀角

ー許勢臣 巨勢臣 許勢小柄

ー平群臣 平群木莵

ー若子

ー久米之麻伊比売

ー怒能伊呂比売

だそうです。

禮月様は、女伊達とも思える神功皇后様が好きな理由が、強さなのですね。
人生は、打上花火の様に激しく打ち上がった魂の様に思えます。それが如何に静かで穏やかであっても葛藤の連続です。
傷心の傷も痛まれる事も有るかと思います。でも神様は貴女様の側で、一緒に泣いたり笑ったり困ったりして下さっておいでます。1人ではありません。
今まで、とても頑張ってこられた貴女様、とても強くてご立派だと思います。その甲斐有って、貴女様で流れが変わられましたね。すごい事だと思いました。
もう貴女様は、貴女様らしい人生を歩まれて下さいませ。
30代なんて、まだお若いですよ。人生楽しまれて下さいませ。
御体は、くれぐれも大切になさって下さいませ。
返信する
禮月様 ()
2015-08-07 14:38:40
申し訳ありません。続きです
蘇我氏

蘇我臣 蘇我石川 ー 満智 ー 韓子 ー 高麗 ー 稲目 ー 馬子 と境部臣 境部摩利勢
馬子 ー蝦夷 と 倉麻呂
蝦夷 ー 入鹿

となっております。解りづらくて申し訳ありません。
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近江にナマズ (りひと)
2015-08-07 15:28:46
お友達からのメッセージで藁園神社になまずと河童と。なまず祭りあり!鎌足神社あり。鎌足は私の中ではきくちさんです。9203
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禮月 (品様、りひと様本当に感謝致します。)
2015-08-07 17:08:09
品様
古代有力豪族の系図を載せて頂いた事と、暖かい励ましのお言葉を感謝致します。m(_ _)m
蘇我韓子と高麗の名前の由来は、片親が外国人の意味だそうですね。当時の言葉での「韓」は大陸から見た東側にいる異民族全てを、「高麗」は列島側から見た西側の海外に住む異民族全般を指していた様で、必ずしも朝鮮半島のみを限定的に示した言葉ではない様です。未だに多くの歴史学者が「韓」と「高麗」の意味を誤解しており、蘇我氏が新羅人だの高句麗人だの書いている本ばかりなのには開いた口が塞がりません。そしてもう一つ、励ましのお言葉を感謝致します。私か神功皇后に惹かれたのは、夫を亡くした上に身重の体で海外に乗り込んで行った強靭な精神力でしょうね。但し皇族の女性が国家としての新羅に赴いたという事実は、後世の創作でしょう。実際に日本の皇族が戦争目的で半島に赴いたのは広太土王碑文で有名な5世紀の話で、その時は雄略天皇でないと大陸側の記録との大きな矛盾が生じます。雄略の目的は昔(せき)氏新羅への援軍で、当時台頭してきた北方狩猟民族の勿吉(鼬婁)の侵攻を食い止める為という見方が一番しっくり来ます。白村江の戦いで中臣鎌足が百済に援軍として赴いた事も、勿吉に簒奪されて唐に与した勿吉新羅の侵攻を食い止める為です。この時に辛国息長大姫大目の半島御幸の例えを持ち出したのでしょう。
私も幼少時の後遺症で無理が利かない肉体です。又私が住んでいる所は郊外の為、近隣に雇用がありませんその為現在でも2時間以上掛けて都心に通勤しています。
りひと様
りひと様も温かい励ましのお言葉を感謝いたします。私が女傑の神功皇后に惹かれているのは、心の奥底にある男性不信の心も影響しているのかもしれません。私が幼い頃、療養の為に入院していた小児病院での事です。長期入院の原因は、明らかに主治医の手術失敗によるものでした。名医と有名な医者だった為執刀を頼む為に父は大金を積んだそうです。その名医殿は、評判とは裏腹に、注射一本打つのに17回しくじる始末です。そればかりか、入院患者の女児に対して暴行を加える等、現実は酷い有り様でした。重度の脳性麻痺で動けない女の子に怒鳴りながら往復ビンタを喰らわせる等、今で考えたら大問題になる事ばかりです。
私はというと、その主治医とインターン医及び麻酔科医から三人がかりである事をされました。「ある事」の内容は敢えて割愛させて頂きますが、「ある事」が原因で自殺をする女性もいる位です。事実私も幾度となく自殺を考えました。
両親は「近所の悪い評判になるから」とこの事を病院に訴えませんでした。後年私が大人になって病院に対して抗議をしましたが、当時の病院側の回答は「手術が失敗して障害者になったり、死んだ訳でも無いのに一々言いに来るな!子供の頃にそういう目に遭ったという事は、子供の内に女性として認められた事だから、寧ろ誇らしく思うべき。今時の女性にしてみたら、羨ましがる。」とまで言ってきました。
所で、おしゃもじ様を少し調べましたが、夫婦の石の神様ですね。個人的には諏訪神社のミシャクジ様に端を発していると思いました。石神様のお名前には、「豊」と「櫛」がありました。農耕に関する神様の様にも感じられます。アラハバキ信仰同様、色々複雑な変遷を経てきた神様に思えます。
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禮月さまへ (りひと)
2015-08-07 18:48:56
諏訪さん由来ですね、ありがとうございます。香取と鹿島さんと諏訪さんは関係がありそうと感じていますので房総から来たなら確かにあり得ますね。私の妄想は、むしろ逆で神奈川から房総へと考えていたのでちょっとガックリですが、自分に関わる事をで何か絡んでくると今後楽しみです。ありがとうございました。

また幼い頃の事まで、全て乗り越えていきましょう!私の父も病院とは色々ありました、人間の悪は私では裁けないのであきらめて父の慰霊の方に重点をおいて未来に向かってます。

なまずって白い石信仰にも関わりそうです。ヌナガワヒメは鹿かな?また豊玉姫の神社との関連もありそうです。白い女神にナマズは関係ありそうですよ。
ありがとうございます、今後もよろしくお願いします。3197
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皆様へ (すずたま)
2015-08-07 20:40:26
りひとさまへ
先日のおかしなリュウダ物語に、温かいお言葉かけてくださったこと、おくればせながらありがとうございました。
「私の中の半分それぞれが泣いて喜んでいるはず」のお言葉には、こちらも涙が出るほどうれしかったです。
出雲から帰って顛末を娘に伝えたとき、「あそこまで行ったという、それだけでいいんだよ、よく来た、と喜んでくれてるよ」とのことでしたが、今思うと、怒っている存在が今は喜んでくれてる、というのは、もしかして西出雲の小さな地域限定のカミサマだとしても、そこからささやかながらも見えない温かい波動がじわじわ拡がっているかもしれない・・・と想像してしまい、あらためてうれしさ有り難さがじわりときます。

勝手ながら、これからもときどきこちらにおじゃまさせていただくつもりです。ただ皆様が問題提起されたことについて、とても気になるのに、新たに何か調べたりする余裕がしばらくないです。

品様へ
こちらもおくればせながら。先日の広島の教会での御体験拝読し、「壺を片目で覗き込む聖なるかた」の意味するものをしばらく考えましたが、よくわかりません。品様の背後のかたは、「エジプトにいたイスラエル(あるいはそのもっと深淵?)」にかかわる方だろうか?と、勝手に想像したりもしましたが・・・?
しかしそれよりも、文章からは、品様のひたすらなこころの美しさと「愛」が伝わってきました。
このような方なら、何かが「憑いて」も、私のようにマチガウことはないのではないかと思いました。
私の場合は、歴史の闇を追及するうち「謎解き」自体に夢中になり、謎は謎を呼んで迷路にはまるばかり、あたりはどんどん暗くなり帰り道もわからない迷子状態、文字通り闇に取り憑かれたように顔は悪くなるし体調も崩し、はっきりいって人生ボロボロの数年でした。
今は、愛において浄化への願いと平和への希求のためだけに解いていく、という態度を守りたいと思います。
「わかった」けれども「書けない」とのことですが、品様が解いたこと、いつか教えていただきたいです。

禮月様へ
お仲間に参入する以前から、禮月様のコメントにいつも注目していました。
関心の対象が自分とかぶる部分が多いこともありました。
禮月というお名前自体が、その部分を象徴しています。
ツヌガアラシトは蘇我の先祖ではないかとのことですが、蘇我氏はペルシャ系サカ族という人もいます。
今は追及する余裕がないのですが、「サカ族」≒「月氏」≒「牛族」でしょうか?
神農の角も、蚩尤の角も、月=牛トーテムでしょうか?
モーセの角も??ならばなぜモーセは金色の牛信仰を厳しく排したのでしょう。
シュメールの印章にある牛冠の神官?はどうかかわるのでしょうね?
エジプトのクヌム神も角ある羊頭の神。
多くのエジプト神の頭上の太陽?も角で掲げられています。
(私はツヌガアラシト~蘇我の淵源のひとつにエジプトがあるような気が、ちょっとしています。蘇我にはシリウス信仰があるらしいこともあり。)

角については私にはわからないことだらけです。

禮月様の辿られた人生は大変なものだったこと、中でも明記を避けられた事件については、胸が塞がれます。こんなことがあっていいんですか?!

空虚な慰め言をいうようで心苦しいのですけど・・・私の好きな言葉に「苦難は宝」というものがあります。苦難はそれを超えたときに人が大きく成長するためにあり、人は、超えらない苦難は与えられない、大きな苦難を与えられることは、それだけの器だと。

吉田さまへ
こちらにコメントするときは、いつも迷いつつ「えいっ」と気合で送信するようなかんじでした。多くの人が見ているだろうこの場所に書き込ませていただくことで、何かを晒していくような感じもありました。
「皆さんが悪い影響を受けないように、祈願させていただく」の御言葉は、本当に有り難く、感謝申し上げます。
先日リュウダ体験書きあげ送信した明け方、寝る直前、ふっとナニカあまり良くないモノが近寄ってきている感じがあり、かまわず寝たところ、やはり来ました。金縛りがきて、ナニモノカに頭の両側から、びりびりじりじりと、電磁気的なドリルのような感じで光線みたいなものを打ち込まれました。リアルな体感でした。
そう、「角」の生える部分です。
恐怖というほどではありませんが、ヤラレタ、と思いました。去れ!去れ!と心で叫んでいるうちに、去りました。
(「角」っていったいなんでしょうか・・・?)
(実は私には蚩尤は少し恐いのです。神農像はこわくないのですが。)

角ある蛇、やはりありました。「夜刀神(やとのかみ)」というもので、常陸の国、いまの茨城県あたりに伝承があります。
谷戸(やと)が語源らしく、やはり谷の両岸に形成される葦の生える地に棲む蛇神のようです。
このカミが討伐された伝承は、このカミを奉じる先住民が後来の産鉄族に殺戮されたことの伝承だといわれています。
夜刀の蛇神のどこか陰惨なイメージと、私の逢った地竜、地の豊穣をもたらすリュウダ神の、誇り高いイメージは全く違います。それに夜刀神は蛇集団ですが、リュウダは単独の土地神です。
リュウダの民が殺され追われるうちに、リュウダ自身も陰惨なイメージを負わされていったのかと想像します。
ただ見えない私には、リュウダに角があったかどうかがわからず・・・多分無かったと思うのですが。

吉田さまの関心の射程外かもしれないことをながながと、すみませんでした。
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すずたまさまへ (りひと)
2015-08-08 07:41:47
メッセージありがとうございます。
ご家族の助言に従い動かれた事あっぱれと思います。団体でも個人でも動きすぎて今は危険なくらいですが、最適な必要な時の動きがじわじわ効いてくるかもしれませんね。
多分この件ですずたまさまのお役目が今後出てくるはずです。その時は呼びかけますね。生きているというベースに現世があります。今はその時のためにもベースがため専念頑張ってくださいね。
すずたまさまの行動が追い風として必要な時までゆっくり見守ってください。
それぞれの仕事分担だと思います、このサイト技術者集団の和合の象徴だと思います。それぞれの役割極めていきましょう。2833
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りひとさまへ (すずたま)
2015-08-08 08:37:12
りひとさまへ

りひとさま、ありがとう!!!!!

皆様、上のコメントにご返事はされないでください。今は急ぐべきでない、というか無理な質問もありますし、きりなく何か書きたくなってしまいますので。

(品様、最後にひとつだけ。知人の知人の霊視者が、今日本に働いてる神を、縦長菱形、中に丸い光、の霊視をされています。その人はタカミムスビノミコト、と言われています。)
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禮月様 ()
2015-08-08 09:53:03
おはようございます。一口に二時間の通勤と申されても、とても大変な事だと御察しいたします。

貴女様の毎日の幸運を祈らずには居れませんね…

でも、それでも、帰る事の出来る温かいお家が有る事、日々の食事をいただける事、お仕事が出来る健康と幸せに感謝されて下さいませ。

辛い時は、神様に泣いて聞いてもらって下さい。その時は、赤ちゃんになって甘えて下さい。健気に頑張られている貴女様を包み込んで下さるでしょうね

頑張れ禮月様!しかし御無理されません様に…
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すずたま様 ()
2015-08-08 10:11:15
おはようございます。なんと同じものを見られてるのですか。タカミムスビ様も月神様らしいので、成る程納得です。そうですね…そうかもしれません。

私は、たまたま代打がヒットを打った様なもので、間違えたり、勘違いしたりすると思います。
看板を掲げていらっしゃる方は、修行されたり、斎戒や潔斎されておられると思います。勉強になりました。ありがとうございます。

私は、広島の原爆記念日にイザナミ様と迦具土神が気になっています。突然、夜に思うところが有り、号泣しながらひれ伏して謝りました。イザナミ様への日本人の数々の無礼が、もう許容範囲という器を越えてしまいそうで。

迦具土神に寄り添って、鎮めて下さっているのに、本来は気高く温かい御方なのに、神話でマインドコントロールされていました。怖いだけでは無いのですね。

因みに、私は、本当に普通で、平凡で、いえ、平凡にまで及ばない様な薄っぺらい者です。もっと努力します。すみません。
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皆様感謝致します。 (禮月)
2015-08-08 16:38:31
りひと様
りひと様のお父様は亡くなられていたのですね。お話をしたくてもする事が出来ないのたから、私の知らない悲しみを背負われているのでしょう。あの医師達や病院を裁くのは私の役目ではありません。世の中の人間には、各々に与えられた専用の役割があると聞きます。私の役割は、歴史の中で消されていった、本来敬意を払われるべき崇高なる方々の存在へ心を傾ける事と思います。現在の列島で起きている様々な歪みは、そうした方々の事を省みなくなった事のしっぺ返しだと思うからです。
滋賀県にも要石あったのですね。滋賀県も能登同様独自の信仰や神話、そして神様の家系図が残る所なので、研究のしがいがあります。白い石の女神ですか…白い翡翠の勾玉を創造しました。勾玉の形は何となく魚っぽいとも感じるので、勾玉と鯰も関係がある?翡翠と言えば仰る通り、ヌナガワ姫ですね。台与も翡翠を沢山持って邪馬台国にも入って来たと伝えられているので、ヌナガワ姫と台与は何らかの関係があると思います。台与は辛国息長大姫の魂を受け継いだ女性でしょう。
品様、すずたま様
私に与えられた「器」が、りひと様への返信の通り「抹殺された崇高な方々の声に心を傾ける」為のものなら嬉しいですね。苦痛にうちひしがれた時も、息長姫様やウガヤ様、豊玉様、豊受様、大日霊女様、そしてスサノオ様等、様々な方々が導いて下さるのだと思いました。
角のある蛇神様のお話は興味深いです。江戸時代頃までは、茨城県と千葉県は芦の生い茂った湿地ばかりだったので、土着の蛇神様でしょうか?縄文神の蛇神様の中には怒りか治まらず、人間を滅ぼす事しな頭に無い方々もいらっしゃいますからね・・・ミシャクジ様の「シャクジ」には石神の漢字を充てると思われます。
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禮月さまへ (りひと)
2015-08-08 17:20:26
私も色々悩みましたよ、どんどん深みにはまりそうな時期もありました。ただ自分が逆に病んでいく事よりももっといい状態でいたいなあと訴えたり協力者を探すことが事もやめました。人間は多分悪くなってしまう生き物だとも思いますのでそこを詰めても解決にならないような気がして。おっしゃる通り、今でもそんなひずみがわんさか出てくることにも疑問を感じます。もうかなり経っていても何も変わっていない。被害者を助けられる方法もないんですから。原因は個人的事ではないように思います。慰霊を始めて特にそう思います。
禮月さまと出会えた事も嬉しい限り、8/8無限大のパワーを得るべき本当にまっすぐな方に出会えた事感謝します。今後の明るい日本の未来目に見たいですね。神様もヘルプしてくれるはずですよ、禮月さんならば。5941
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吉田一氣 (8月1日のすずたま様文章への返信)
2015-08-08 23:07:49
なかなかコメントに対する考察が間に合っていない状況です。
鹿児島神宮にはお許しが出ましたので
近日中に参拝予定です。
ところで記載の『驚き畏れた王は大比留女を生まれた子供とともにうつぼ船に乗せて大海に流した。継体天皇の御宇、船は大隈に漂着』という内容がとても気になっているのですが、
同様譚で金色姫の話があります。
養蚕が春秋の呉よりダイレクトに日本に伝わったことは
間違いのない事実ですが
茨城の鹿島灘にうつろ船で流れ着いた金色姫はすでに亡骸であったそうですが
生きた蚕が箱に入っていたそうです。
別伝で生きていたという話もあります。
『蚕影神社』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%95%E5%BD%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
『蚕霊山星福寺』
http://yotsuba23.blog104.fc2.com/blog-entry-1135.html
大比留女と金色姫 同じような経緯で流されたのでしょうか?
返信する
吉田一氣 (8月1日りひと様への返信の追記)
2015-08-08 23:29:12
お馬については情報を持っていませんが
蚕と馬には接点がありそうな気がしています。
金色姫と馬との婚姻譚や
馬から助けられたという話が伝わっています。
ところで目の神様は生目八幡に淘汰されていますが
源流は活目入彦五十狭茅尊を目の神様とするものと
平景清が源氏に対し復讐せぬと両目を抉り出したところ
頼朝から日向勾当の職を与えられたという伝承により
生目八幡が目の神様として広まったようですね。
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吉田一氣 (8月4日の品様への返信)
2015-08-08 23:36:51
阿羅波斯山 《 あらはしのむれ 》 が
ペルシャを表わしている可能性があることを
初めて知りました。
勉強になります。
返信する
吉田一氣 (8月5日のすずたま様への返信)
2015-08-09 00:21:17
『院王山山頂に向かう坂道』とありますが
探しても見つかりませんでした。
もしかして『王院山』のことでしょうか?
ここらで私が呼ばれた場所としては
『八雲風穴』というものがありました。
『穴から地下に潜っていき』という言葉と
重なり合うものを感じます。

ところで角は草食の証でもあります。
肉食獣には角がなく草食獣に角があるのです。
ちなみに恐ろしいのは牙と爪です。
霊的にみてもそういえます。
返信する
吉田一氣 (8月8日のすずたま様への返信)
2015-08-09 00:40:17
『知人の知人の霊視者が、今日本に働いてる神を、
縦長菱形、中に丸い光の霊視をされています。
その人はタカミムスビノミコト、と言われています。』
この件はなるほどと思います。
でも私のことではありませんよね。
『菊池竜門の神龍八大龍王神の系譜の謎 No251』
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/4d41d4d866b1e78242955aa86e310d18
で私がイメージするものをデザインしていますが
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/58/8b552ad71a3d7d23f1ce7a61ff2c300e.jpg
高木神にまでは至っていません。
まだ勉強不足なのでしょうか。
水の女神に囚われている部分があります。


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吉田一氣 (禮月さまへの返信)
2015-08-09 01:37:29
いつもコメント頂きありがとうございます。
今回コメントを再度拝読させていただきました。
2015-05-01のコメントで
安閑天皇と蔵王権現と火山の神
について初記載されておられますね。
私は越の八岐大蛇の封印を為した天海僧正の
その秘術が金峰山の蔵王権現にあるから
蔵王権現の感得に集中しているのですが、
そこでやはり蔵王権現と香春とに
繋がりがあることが解りました。
ついでに私の熊本の金峰山信仰が
いろんな縁となっていることも分かってきました。

さて禮月さまが『カルマ』と記載されていましたが
私の経験上ではそうではないように思えます。
だいたい手相に現れるのですが
禮月さまはある巫女の系統のように思えます。
信仰心がない親が感応すると
少しばかり歪んだ表現とはなります。
祖父から父と繋がっているとすれば
50年くらい以前からストーリーとして出来上がっている
神霊の仕組みとしての巫女へのいざないですので
簡単には破れないでしょう。

こういう系統の女性の場合は
一般的に妙な霊感が出てくる前に
正神界の神霊との縁を結ぶことをした方がいいです。
出雲方面はとりあえず良くないです。
三輪もまだ良くないです。
水の女神系もまずはだめです。
稲荷社は絶対にだめです。
産土神社はどこでしょうか?
私の個人的な感じから言わせてもらうと
厳島神社系が良いように感じられます。





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吉田様へ (禮月)
2015-08-09 02:43:43
私の出生地には兎に角氷川神社が沢山ありました。又峰ヶ岡八幡宮という大きな八幡宮もありました。
私の出生地から、どういう事が私の国籍が日本ではないと思われる方多いのですが、先祖代々五代前まで日本人です。特に父の家系は、貧しい農民で食うや食わずやの生活をしていました。
私が産まれて直ぐに引っ越して来た土地では大日霊女尊とスサノオとの間にウケヒでもうけた五柱の男神が祭られている社がありました。お助け観音で有名な、曹洞宗の報恩寺の方が遥かに住民からは崇拝されていましたが…そして現在住んでいる場所にはイザナギ様とスサノオ様親子を祭った神社と、日本武尊、摂社に大日霊女尊と猿田彦尊が祭られています。元は飯綱権現と呼ばれていた神仏習合のお寺だった所です。
返信する
以前夢に大日霊女尊が (禮月)
2015-08-09 02:54:31
吉田様
以前私が吉田様に、夢に大日霊女尊が出てきて「汝は我と共に歩むべし」というメッセージを私に残したという話を書いた事がありましたね。しかもナマズ形のパイを私が食べていたという。
やはり大日霊女尊とのご縁を結んだ方が良いのでしょうか?
返信する
お給料が低すぎる事を理由に (禮月)
2015-08-09 12:21:56
早速父からあばら骨を折られてしまいました。(- -;
父曰く月給240万円以上稼げる仕事に就けない輩はドブネズミの排斥物にも劣るとの事。次の勤務先の事を巡って父と取り組み合でした。(恥ずかしながら)母も母でそんな父には盲目的に服従しています。
母は私に対して、自分以上に裕福な生活をしたり、幸福になってはいけない。それは神との契約を破る事になる、と言います。母は私が物心つく前から、キリスト教系の振興宗教に入信しており、私に対してその宗教の教義を強要してきました。やはり父に対する不満が大きかったのだと思います。私が神社にお参りに行こうとしても、「悪魔崇拝の儀式に参加する」と言っては、私を厳しくなじります。
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吉田さま (りひと)
2015-08-09 12:41:29
ありがとうございます。
そう行くところ行くところに目の神が絡んできて追ってましたがきちんと調べてない事に気づきました。お導きありがとうございます。平氏と源氏と八幡と派生しているところはバッチリです。原点を探さないと行けませんね。五十と茅といい字が入ってるのに何故か気乗りしない方ので調べなきゃいけませんね。歴史は書物が頼りですから。でも疑っても見ないといけないのかもしれませんね。

姫と馬の間にやっぱり河童かな?河童は馬を水に引き込むらしいですから姫とは対立しちゃうのか?でも付き物ですからね、仲良しだった時代あると思います。

そう記事再度拝見しましたが、木造の橋、高校野球のチームからたまたま出てきましたよ。これ関係ありそうなのでお伝えします。現在の大阪鶴橋あたり、コリアンタウン。日本の歴史書で昔、橋があったと。今はなし。技術者いたはずです。百済や聖徳太子、渡来人の地とも。
森の付く神社と岡山という地名が徳川さんで勝山という地になった古墳など、渡来人にしてもかなり古いはずです。橋姫と河童は付き物考えてますので面白く感じました。大阪で河童の聖地探し中です。そう猪甘とかいう言葉出てきましたが、呉音で甘という字は、カイってよみませんかねえ?力技ですのでゆっくりみていきます。
そう猪は角ではなく牙ですね。豚に牙つけちゃったのかなあ?
でも猪も呉音関係者に感じます。
妄想の妄想です。8222
返信する
りひと様 (禮月)
2015-08-09 13:00:17
少々補足を宜しいでしょうか?現在朝鮮半島に在住している多くの方々は、統一新羅を打ち立てた北方狩猟民族の末裔だと思われます。現在半島に残る民間信仰の儀式と、現在日本列島に伝わる百済由来と言われる神道儀式とは、内に流れる精神性が異なると感じました。
白村江の戦いで敗戦して、百済の遺民は多数列島になだれ込んで来ました。高句麗の遺産民は、現在の遼寧省・吉林省・黒龍江省にかけた領土を持つ勃海国を建国しています。
エリザベスバードが残した旅行記には、19世紀末の朝鮮半島の様子が書かれていますが、その風俗や習慣は鼬婁・勿吉族のそれと共通する部分があります。
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禮月さまへ (りひと)
2015-08-09 13:14:30
大丈夫ですか?
そんな事に!
先ほどコメントしたら私の前に禮月さまのコメントがありびっくりしました。

私一押しは、住吉さんです。佃はいかがでしょうか?神功皇后さんもいます。それに家康さんも。多分禮月さんなら間違いなく気に入ってくれるはずです。
本殿の左にある小さなお社にも挨拶してみて下さいね。私には何もわかりませんがお伝えしておきます。
疫神疱瘡神、船霊神のお社も行くといいと思います。東京は小さな敷地ですからきっとそれほど負担はないと思いますので。そう金運で有名な巳お守りのお社もあります。吉田さまの助言の後の参考にしてくださいね。8458
返信する
禮月 (りひと様ありがとうございます。)
2015-08-09 15:41:05
りひと様の一押しは築地近くの住吉様ですね。勿論参考にさせて頂きます。
休日診療所で急患扱いにして貰いました。(涙)
住吉様は海の男の神様ですから、水の女神様ではないですものね。
所で統一新羅を建国したと思われる勿吉族ですが、ルーツは春秋戦国時代から後漢時代に凶奴と呼ばれた多民族集団国家に属した一部族と思われます。理由は凶奴のトーテム獣と思われる動物が猪みたいな姿をしているそうで、勿吉族も豚や猪を多く放牧していたと書かれています。しかも興味深い事にその獣の名前が「ノイン・ウラ」で凶奴の首都の名前でもありました。トーテム獣ノイン・ウラが鹿かトナカイを追い回しているタペストリーが残っていると聞きます。ノイン・ウラが征服した先の神々や民族の信仰していた獣の名前だったら?と思うと…吉備の温羅や春日大社の鹿、そして宮島にある厳島神社の鹿との関係がますます気になります。
返信する
吉田一氣 (禮月さまへの返信)
2015-08-09 15:49:49
お話しを伺うとやはり急ぐべきというか、
せっつかれているような感じがします。
自分の直感を信じるより他は無いでしょう。
でも大日霊女尊はなかなかハードルが高いように
思えます。
まず参拝するのにいい神社が近くにありますか?
返信する
禮月 (吉田様)
2015-08-09 16:01:48
一番近所の神社がスサノオ様とイザナギ様を祭った鈴鹿明神社です。個人的に良くお参りに行くのが伊勢原大神宮(祭神は女神天照様と豊受姫様)ただ摂社でお稲荷様もお祭りしてあるのが不安な所では有りますが。
返信する
禮月 (吉田様へ)
2015-08-09 17:32:07
千駄ヶ谷の鳩森八幡宮か溜池山王の山王日枝神社は如何ですか?
大日霊女尊がハードル高いとなると、やはり次は神功皇后(息長足姫)になりそうです。それか溜池山王の日枝神社は如何ですか?大山クイ様はスサノオ尊の孫神ですが、境内には庚申社があり、猿田彦様もいらっしゃいます。近江か何処かの伝承では、猿田彦様=事代主様=塩土翁様で、父神の大国主様が早世した為祖母または育ての母親の大日霊女が後見をして日向から播磨に至るまで範図を拡大させたとの伝承があります。
返信する
吉田一氣 (禮月様への返信)
2015-08-09 20:25:30
たぶん最初は仮の縁になるかと思います。
溜池山王の山王日枝神社を
お勧めします。
巫女として御神霊を降臨させる気持ちで
導きを祈願してください。
まずはすがるところからでも
大山咋神の大御心は
必ず導いてくださいます。
最初は試練がありますが
今までの経験と前世の思いが
救いの手となるはずです。
私も及ばずながら後方支援させていただきます。
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恩に着ます。 (禮月)
2015-08-09 20:55:56
吉田様
溜池山王の日枝神社に致します。神女として大山クイ様、猿田彦様の神縁を得るつもりでいます。
吉田様、支援のお申し出は大変感謝致しますが、これは私自身の問題です。本当に私自身に山王様の神女たる器があるのなら、自分自身で成し遂げるべき事。必ず私自身のみの力でやります。
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吉田さまへ (すずたま)
2015-08-09 23:38:28
そうです、王院山の間違いでした。八雲風穴は道が工事中で行けず、迂回して山登りしました。
「東須佐を歩く」というサイトを頼りに散策計画をたてましたが、それによると佐田町一帯は才の神(塞の神)っぽい石碑が多数点在するようです。
私が吉田さまのブログに最初にアクセスしたのが、「出雲井神社のサイ神」という記事、「このサイの神の封印こそは蘇我一族と共に闇に葬られた秘め事である」の一文に、一気にこのブログにのめり込み、また出雲への旅の根拠ともなりました。
私がリュウダにご挨拶した地は、須佐神社の南方、稲田という集落のもう一つ先の原田という集落です。何でもない山あいの狭い農地ですが、上記サイトにもあるように、このあたりの小集落は、他所で見たことのない明るい清浄さにあふれています。
同じかたの「奥出雲~ヤマタノオロチライン」という記事にある、「八口神社」(スサノオがヤマタノオロチ退治で用意した酒壺の一部との伝承のある「印瀬の壺神様」という磐座がある)にも、この旅行中に行きたかったのですが、時間がありませんでした。
「この壺神様のエネルギーはすさまじい強烈さ、この石が出雲という大蛇のエネルギーを抑えようにも抑えようにも、暴れ狂いながらいまにも噴き上げてきそうな、間欠泉のイメージ」というこのかたの一文にも惹かれます。

菱形の神霊ですが、霊視したのは歴史とも神様系とも無縁な、理化学系の会社に勤める無名の一女性です。周囲の人によると、「自我意識がすっぽり抜けている」ため、神の通路となっているそうです。

(品様、だから知識などは必要ないのです、要は神の通路になれるかどうか、そのためにはエゴ無く謙虚な魂をもつかどうかです。)

菱形は、吉田さま画像ほど複雑ではなく、ただの縦長菱形ですが、本当はこうなのかもしれません。

鹿児島神社ですが、k女史文書によると、明治期以降に由緒から辛嶋勝乙女の名が消されたそうです。
もし彼女が葦船規模で鹿児島に最初に来たとするならば、琉球弧沿いのルートが自然です。琉球弧に残るアマミコ伝説などとどうかかわるか、半年先の課題です。
台湾から連なる琉球弧は、私見によれば稲作と初期製鉄到来の一ルートであり、龍蛇信仰のあとがあり(久高島の祭祀)、ウナリ発祥の地でもあります。
龍宮神の影も濃厚ですし。
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応援します。 (りひと)
2015-08-10 10:44:11
禮月さまへ

吉田さまの助言で決定出来て何よりです。そして最後は直感でいい未来を想像していきましょう。私には、能力がないので今後の苦労も想像を超えています。今回もなにも出来ずメンタル維持だけ心がけました。何も能力ない私も応援している事お伝えします。
そして今日、私もその方針でお伝えすれば、山王さんはいい選択だと思います。個人的に神幸祭を去年追っかけて家族一人(女)とそのルートをたどりとまった箇所でお祈りしたりしている縁あるところ。特に一緒の家族が縁が強く彼女の本拠地にしています。また今年は、ついこの前歌舞伎で同じ場所でびっくりしまいした。そう大山くいさまから芸術の神に縁を持っている家族が一人います。そこが本筋なのかはわかりませんが。ただいい導きの実績あります。それからもう一つ山王祭は江戸時代に何年かで赤坂氷川と交互に祭りやったようです。そんな事もあり赤坂へ行ったのですが、私は今のあの場所は合いませんでした。本当の聖地であるのは理解できても今は近づきたくない所。そしてその後溜池の方に傾いてます。発想が似ている禮月さんなので危険回避としてお伝えします。個人の相性の問題だと思いますで山王さんオッケーです。

そしてお祭りでも御旅所が大事なので山王さんの御旅所もいずれ導かれるとおもいます。今回はお怪我中ですし、暑いですからまず山王さんに挨拶できるといいですね。私からも念?(ないですが)あそこなら送ってみます。絶対に守りたい方なので。吉田さまもいうように一歩一歩いい縁に導かれ物凄い本筋にいくのでしょうね。人間出来ることしかできない、無理はせず自分の感と体との相談で実行してくださいね。そう、スサノオさんもいますね、禮月さまのベースは見ている方も味方してくれると思います。7112、スサノオと稲田姫が応援してるといいですね。1354、9出ませんね、よしよし。
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禮月 (りひと様)
2015-08-10 12:18:16
りひと様には何時も温かい言葉を掛けて頂き、大変感謝しております。
痛み止めを処方してもらったので痛みは落ち着いております。ただくしゃみをすると痛むので、通年性ハウスダスト・ダニアレルギーの私には辛いですね。(苦笑)
櫛稲田姫も味方をして下さる様で、嬉しい限りです。大日霊女貴様もお力添えはして下さっている様ですか、吉田様の仰る通り、やはりハードルが高いと感じました。地方の風土記を見てみると、大日霊女様は正に女伊達ですから(汗)。一般市民に近い所にいらっしゃる櫛稲田様の方が、私に近い目線で寄り添って下さるのでしょう。
スサノオ様も陰ながら応援している様ですね。こちらも心強いです。系譜上は大山クイ様のお祖父様ですから、大山クイ様とお気持ちの上で賛同して下さったのかも知れません。
大山クイ様の神縁で芸術方面のご加護が得られた方がいらっしゃるとは…これも大変嬉しい事です!
実は私自身も水面下で現在小説家を目指しているのです!身体的に通勤の無理が利かなくなったので、在宅で収入を得る方法を得るため、小説を執筆中なのですよ!!
小説の事のみならず、人生全般においても大山クイ様の佳き御導きがある事を願います。
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禮月 (吉田様)
2015-08-10 12:50:38
大山咋神との神縁を結ぶと決意した昨晩というか本日未明の夢で、とても奇妙な夢を見ました。

目の前の机に伊弉諾様と伊弉冉様、.面足尊と惶根尊、そして安閑天皇の和歌が並べてあったのです。伊弉諾様と伊弉冉様のお歌は、内容までは殆ど覚えていないのですが、共に「水」について詠まれており、御二方のお歌は連歌の様になっていて、お気持ちがぴったりという感じでした。この御二方が和解をされていれば良いですね。

所が面足尊と惶根尊のお歌は共に反対の内容を読まれており、こちらの御二方が仲違いをされているのが判りました。お歌の内容までは覚えていないのですが、御二方の仲がとても気まずい感じでした。

安閑天皇のお歌は内容が全くわかりませんでした。お歌の短冊を読もうとした所で、目が覚めてしまいました。

話は変わりますが、吉田様が私に神縁を結ぶ際のアドバイスを下さった時「お稲荷様は絶対にダメ」と仰せだったのを読み、改めて背筋がぞっとしました。

理由は、私の父の直ぐ上の姉(私から見たら伯母)は生まれた時から「狐憑き」と言われており、18歳の時から施設暮らしです。突然白目を剥いて奇声を発しては暴れ出すという事が日常的に続いた為貧しい祖父母と父一家は伯母を養いきれなくなり、施設(殆ど監獄の様な所みたいですが)へ入れたとの事です。54年間施設暮らしなのですが、彼女は時折「皆祟ってやる!」と恐ろしい形相になりながら、施設の職員に噛みついたり引っ掻いたりを繰り返しているそうです。時折彼女の様子を見に行く叔母(父の妹)の話では、現在は正気に戻る事もなく、まるで獣そのものだとの事。四足で歩いて床に置かれた肉や魚をそのまま食べてるそうです。施設では拘束されており、ますます人間扱いされていないのだそうです。

父の家系は大国主様のみならず、お稲荷様(倉稲魂様か荼枳尼様か存じませんが)からの怒りも買っているのでしょうか?何れにしても吉田様の感応は恐ろしい程の精度だと思います。

7351
須佐能袁様・櫛稲田姫の7、宗像・住吉三神or須佐能袁様・櫛稲田姫様・大己貴様の3、大地の女神様の5、幼少の男神様の1?
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禮月さまへ (りひと)
2015-08-10 19:04:23
素敵ですね。小説家って。なりたい自分の姿を言葉で表現すると言霊となり魂が宿るって信じてます。色々な苦労も全部よい方に考えて新しい自分像を自分思い込みで作ってくださいねU+1F609

夢のカシコネさんの件思いあたりますよ。この3年くらい前までは全く投稿も出来ないくらいでしたから。でも少し変わってきたはず。これから歴史も現実も変わってくるはずです。ラジオで千葉の地層登録の件たまたま通って聞きました。イタリアと地層でせっているとか?千葉時代?とか言ってました。詳しく調べないでスルーしておきますね、神のお邪魔にならないように。そんな流れでも禮月さまのお役目があるはずです。まずは心の傷を自分のいい思い込みで少し癒して、体を万全にしてください。私素人なので根拠はタイミングしかありません。自分の頭で考えていれば間違いはないはず、応援してます。1874、また変な私の感覚で先入観つけちゃうとまずいので数字にはふれませんが、8も出ましたね。年号にも感じます。変わります、きっと。
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父の家系とお稲荷様 (禮月)
2015-08-10 20:27:09
りひと様
1874ですか。やっぱりこれは何かの西暦の様ですね。りひと様の感は、やはり私なんぞよりも数倍鋭いのでしょう。1874年に父と祖父の出生地やそこにあった土地と神社でどの様な変化があったかを見てみます。

私の役割もぼんやりと像が見えてきたと解釈しても良いのでしょうか?父の家系には、やはり「お稲荷様」に纏わる何らかの「影響」を受けてしまっていると思われます。現に大山咋神様と意識をコンタクトさせようと思った所で、今度は父からスタンガンが…TT

父の家系の祖霊とお稲荷様の関係を調査して、父方の家系に掛かってしまった憎悪の念を鎮める事が私の”巫女(この書き方は著しく誤解を招く言葉ではありますが”としての役割でしょうか?

古事記での倉稲魂様は、素戔嗚様と妃神市大姫の間に生まれています。大歳神の兄弟姉妹と言われているので、大山咋神からみたら叔父か叔母にあたrます。日本書紀では伊弉諾と伊弉冉が餓えていた時に生まれたのが倉稲魂様との事。阿蘇山のウナリや久高島のウネリとの関係はが気になってきました。

9146
春日大社の9、幼い男の子の神様の1、呉音霊の4、大国主の出雲の6でしょうか?
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すみません。 (りひと)
2015-08-10 20:55:56
本当にピュアな方ですね、大好きです。
お稲荷さんにもどうやら色々あるように感じます。また神でなく眷族がメインな所も。多分、関わる人間の数くらい変化すると思っていいと感じます。スサノオさんもそうだと思います。なので自分との相性で、ひとまず避けるべき時期なのでしょうね。ただ本物は、そんな恨んだり罰を与えたりするとも思えません。そこに長い歴史や先祖に関わる人間の念が入り攻撃やお邪魔があるんだと。
お稲荷さんもきつねに見える方が全てかどうか?私むしろたぬきとして区別して分けていたりしますよ。本来は蛇だと思いますがね、流されていきます。

そう神々からのメッセージというサイトの神様の言葉面白いですよ。あそこの言葉で神様との親近感と怖いのは愛情の裏返しだと感じてます。何か起こったら自分の解釈間違ってないかって怖いとは思わなくなりました。基本自分の周りで起こる事って親や先祖の宿題で自分には落ち度ってないんでは?と。だからそこに生まれたのが事故で生まれたならきっと何か変化角度が5度でも戻せたらと思って行きてます。私は発想がとっちらかっていてまた浅いんで気分転換で利用してくださいね。

生きる事楽しんでください。生活も楽しんでください。人との関わりで何か変わる事が一番素敵です。本物にすでに見込まれているからこんな劇的な事に。人を恨まない姿が、神々しいくらいです。恨んだら損ですもん、可哀想だと思えたらいいですね。そんな人が恵まれない世の中だったらもう世界は終わりでしょうね
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吉田一氣 (禮月様への返信)
2015-08-11 00:17:18
禮月様の巫女としての役割は小さいものでは
有りません。
ただ家系の救霊は、今後縁の出来る方に
お願いするほうが良いように思えます。
餅は餅屋です。
あなたのやるべきことはまず祷りで
御神霊を心動かすことです。
贖罪は高度な御業が要求されるので
最初に関わるとまず抜け出せなくなります。
伯母は貴方にとって身代わりのようなものです。
同じ巫女体質なのではないでしょうか。
彼女によって守られています。
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贖罪は難しいのですね。 (禮月)
2015-08-11 02:06:10
吉田様
私の父方の家系に掛かっていると思われる「悪意」や「憎悪」の念は、簡単に祓えるものではないのですね。一刻も早く原因を何とかして、その元を絶たないと私や私のあとの代にまで影響が出ては嫌なので、先ず最初に「巫女」としての贖罪が必要と早合点してしまいました。
吉田様の見たてでは、「狐憑」とされる伯母も巫女の素質があったのですが…それならば彼女も様子がおかしくなった時点で然るべき神様のご縁を得る機会があれば、50年以上も苦しんだり悲しんだり屈辱的な目に遭わずに済んだのですね。その私の場合は本当に幸運過ぎる位です。
やはり先ずは祷る事から始めないと、お話にならないですね。了解しました。
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禮月さまへ (りひと)
2015-08-11 12:52:52
今日は頭がガンガンで私の神様から余計な事していると言われているようです。
私の尊敬する方もご自分の家を変える事は無理と言っていました。でも何かと理想論で。これもレベルの違いですね。
ただ吉田さまからいい縁で他の方にとは、いいアイデア頂いたようにも思います。一人では出来ない事、作業に同調してくれる縁、そして作業が出来る職人、全て巡り合わせです、いい方向に熟考しながら進んでくださいね。
そう、お不動さんの日のおみくじでいい宝石のあるような石を見つけてもそれを同じように思う人、またそれを掘り出す人がいないと。縁ですよね。
昨日将門の地の坂東という地が地震、成田山のお不動さんが気になりました。
主人、成田に行った後カード利用されたり散々でした。神田明神に幼い頃行ってるのもありあれ~?と。神田、築土の氏子のタブーが成田という都市伝説が。でもうちの主人も実母と神田に行き、その祖母は深川が大好きだったんですよね?はて?今回主人深川で助かってます。
禮月さまのお家に限らず、何か将門とお不動さまの長い年月の解消が始まっているようにも感じます。
お不動さまも将門をたおそうなんて思っていたのではないと思いたいだけのこじつけかもしれませんが。

横浜のお不動さまに出会えたのが吉兆だったと書けるような小説いつの日か見せてくださいね。
将門が呉音霊に関わっているならば凄いストーリーになりますね。
いい方向に進んでいると思い込みながら川の流れに身を任せてみましょうね。
7907、

この前の年号ですが、1/1増上寺焼失ってびっくりしました。明治7年らしいですが禮月さま個人以外で考えても大きなうねりがあった時期だと思います。
頭痛いし、大切な方や個人的な探索以外には関わらずスルーします。1252、5が暫くぶりに出ましたね。
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禮月 (りひと様へ)
2015-08-11 18:14:00
平将門が崇拝していたのは謎の多い妙見菩薩なので、不動明王様と妙見菩薩様が漸く本音でお互いの心中を語り合える様になった、と言った感じがしました。
私が善光寺と野毛山のお不動様に逢える様になったのは、輪島朝市に出来た重蔵神社分祀へお詣りしてからなので、小説の舞台の始まりは能登かも知れません。(笑)
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禮月さまへ (りひと)
2015-08-11 19:37:10
また余計な事書いたみたいで消えました。
同感ですよ、火山の神いるのなら私達を出会わせてくれたのも、感謝ですね。吉田さまにも感謝です。神様、禮月さまが好転していくシナリオで宜しくお願いいたします。9056
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