ちょうど6年前の1985年3月20日に福岡市の玄界灘でM7.0の大地震が起きている。
福岡市内でも震度6弱を記録している。
ところが被害はそれほど大きくは無かったので福岡以外では忘れている方も多いかもしれない。
その地震からちょうど1ヵ月後の4月20日に再びM5.8の地震が志賀島を震源として起こっている。
最大震度は5強となっている。
志賀島では志賀海神社の石垣に大きな被害が生じている。
この福岡は地震がもともと少ない地域であり
M7.0の地震は有史以来初めての規模の地震と云われている。
これは福岡市沖の玄界灘から同県筑紫野市までの
長さ約55kmの活断層である警固断層(けごだんそう)によるものだった。
志賀海神社が被害を受けたことはどういうことかと当時考えたことを思い出す。
今回東北地方太平洋沖地震では震災の前の3月9日にM7.3の地震が発生している。
この時は最大震度は5弱となっていた。
昼前に地震が起こりニュースを見ていよいよ東海地震が起こるのではないかと危惧した。
そして3月11日に同じ地域で東北地方太平洋沖地震が発生した。
この地震をTVで見て一番に理解したのは、
6年前の福岡の地震では志賀海神社の神霊が被害を縮小してくださっているという事だった。
津波は起こっていないが、これは北西と南東の方向への横ズレだったために
海底を震源地としながらも起こらなかった。
また震度6弱という揺れに関しても波長が短くて1秒未満の短周期だったために被害が少なかったらしい。
周期が2秒近ければ阪神大震災のような大規模な被害が出ていたかもしれない。
また津波が発生していれば大規模な被害となった可能性がある。
それを理解して、今回志賀島の志賀海神社にその時の神御感謝と
今後の地震災害復興祈願のために参拝してきた。
最初の地震が起こった後に
福岡のように次の地震が小さくなるのかあるいは次の地震が大きくなるかで
これだけの被害の違いが生じるという訳だ。
そこに太古からの祈りの力の確固たる存在というものを
志賀海神社に参拝して感じてきた。
志賀海神社は元寇の際に国防の要となったと
『龍神信仰 2 No159』で記載しているが、
今後も日本の国防と震災復興祈願の地として大切にしていきたい。
応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
福岡市内でも震度6弱を記録している。
ところが被害はそれほど大きくは無かったので福岡以外では忘れている方も多いかもしれない。
その地震からちょうど1ヵ月後の4月20日に再びM5.8の地震が志賀島を震源として起こっている。
最大震度は5強となっている。
志賀島では志賀海神社の石垣に大きな被害が生じている。
この福岡は地震がもともと少ない地域であり
M7.0の地震は有史以来初めての規模の地震と云われている。
これは福岡市沖の玄界灘から同県筑紫野市までの
長さ約55kmの活断層である警固断層(けごだんそう)によるものだった。
志賀海神社が被害を受けたことはどういうことかと当時考えたことを思い出す。
今回東北地方太平洋沖地震では震災の前の3月9日にM7.3の地震が発生している。
この時は最大震度は5弱となっていた。
昼前に地震が起こりニュースを見ていよいよ東海地震が起こるのではないかと危惧した。
そして3月11日に同じ地域で東北地方太平洋沖地震が発生した。
この地震をTVで見て一番に理解したのは、
6年前の福岡の地震では志賀海神社の神霊が被害を縮小してくださっているという事だった。
津波は起こっていないが、これは北西と南東の方向への横ズレだったために
海底を震源地としながらも起こらなかった。
また震度6弱という揺れに関しても波長が短くて1秒未満の短周期だったために被害が少なかったらしい。
周期が2秒近ければ阪神大震災のような大規模な被害が出ていたかもしれない。
また津波が発生していれば大規模な被害となった可能性がある。
それを理解して、今回志賀島の志賀海神社にその時の神御感謝と
今後の地震災害復興祈願のために参拝してきた。
最初の地震が起こった後に
福岡のように次の地震が小さくなるのかあるいは次の地震が大きくなるかで
これだけの被害の違いが生じるという訳だ。
そこに太古からの祈りの力の確固たる存在というものを
志賀海神社に参拝して感じてきた。
志賀海神社は元寇の際に国防の要となったと
『龍神信仰 2 No159』で記載しているが、
今後も日本の国防と震災復興祈願の地として大切にしていきたい。
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福岡の地震から6年も過ぎてしまいました。
しかし今考えると福岡に津波来なくて
本当によかったですね。
宗像大社にも参拝してきましたが
今回の地震による災害復興が日本の復興にも
繋がるように祈願してきました。
災害にいくら備えてもそれ以上のものが襲うのが今回のことで良くわかりました。
村の鎮守様への信仰を深めることが大切なのですが、そのことを理解できない人が増えて来ました。
鎮守様や産土様に100回程度祈願して初めて大社への
通行手形をいただけるのに
鎮守様を抜きにして参拝する人が増えたことが
大問題なのですが、
これをどう伝えていくかが悩みとなっています。
虹色巫女さまのように地元の小さな社に心を向ける人の願いしか大社では耳を傾けてもらえないことは日本神霊界の掟だったのですが
それが忘れられ破られていることが大問題です。
例で言えば大病院と町のかかりつけの地元病院との関係のようなものです。
今はちょっとしたことで掛かる患者が増えすぎて
大病院が機能しなくなってきてしまう状態です。
正直いろんな霊能者が神社をパワースポットと喧伝することが
どれほど大きな問題なのかを考える必要を感じています。
まあそれなりのメリットもあるので表立って上記のことを言えないところもあるのですが。
褒められるとは恐縮です。
これからも宜しくお願いします。
追伸。面白い話、ありがとうございます。宇佐の比売大神については現状を分析しただけの状態です。今から推理を楽しむつもりでした。刺国若比売命、向津姫、面白いですね。
とくに>金田屋野姫命の子の三姫が宗像三女神の可能性。>品陀真若王が素盞嗚尊では。の話は興味深いです。いま出雲と九州の拘わりがテーマです。神話における時代の重構造は「投影」のなせるわざでしょうから。来週は八代、鹿児島の探索行です。楽しみです。