本田親徳が復興体系化して
大本教の浅野和三郎などにより実践された鎮魂帰神法は
結局審神者の能力が降臨する神霊を凌駕できないために
挫折したと聞く。
こちらの方つまり人間界からの鎮魂帰神の祈願で
御神霊が降臨するなどという都合のいい話を
そうそう信じることは出来ない。
とはいうものの一つの神霊についての探査の佳境においては
御神霊の感応があるのは経験上理解している。
ただその感応の解読にはかなりの修練が要求されるように思う。
自分はほとんどを翻訳出来ずに取り逃がしている。
それはまさに見た夢の内容を思い出せそうで思い出せない状況に似ている。
何らかのテクニックがあるのかもしれないが
師匠がいないので教わったものはない。
自分は幼少時に道君首名公との神霊邂逅があるが
道君首名公の御神霊が私をどう導こうとしたのかは、
道君首名公の御神霊の指導をどれだけ自分が咀嚼できたかが疑わしいので
自分なりの想像の範疇を出ない。
ただ向かう先があることは強く感じている。
これは自分の人生におけるメインの神霊系統の話である。
この系統は豊玉姫・玉依姫・少彦名神の系統であり
健軍神社・鵜戸神宮の二社が生涯における崇敬社となる。
また血縁においては阿蘇神社と国造神社が祖母と祖父から繋がる産土神社となる。
この基本的な神霊系統のみを信仰の基本として
踏み外さないつもりでいたが
三輪山祭祀に縁を得てから別の神霊系統がクロスしてきた。
このブログは熊本霊ラインの神霊背景を
記載することが最初の目的だった。
ところがそこには中央構造線のエネルギーを含めて
過去に封印された系統までがクロスしてきている。
そして八大龍王神とされる日本の龍体
八岐大蛇とされるさらに古い日本の龍体
鯰として封印される縄文の龍体にまで祭祀の幅を広めてきた。
この現実世界と神霊界の狭間に存在する龍体との接触により
現われてきたのが呉音霊といえる。
この荒ぶる呉音霊は祭祀により呉音神に昇格させると
『日本における呉の太白の祭祀 No429』の記事で以前紹介しているが
これは現世への呉音霊の直接的影響を減らすという手段でもある。
今回の2016年04月の熊本大地震は白山姫神社での経緯により
東日本大震災と熊本大地震とのセットで
中央構造線の両端になり
関東・関西圏に時間的猶予を与えるものであったとの認識でいる。
西原の白山姫神社に気を向けていただいた方は
そのことを十分に認識されているということであり
とてもありがたく思っている。
ただ人間と神霊界との間において
我々はもう少し主体性を持つべきであるとの思いが強い。
地震後の調査において中央構造線を主催する龍体の機微に迫ったが
感応による感情の起伏は自らの自我を失わせると感じることがあった。
特にそう思ったのが
熊本本震のニュースの後に出てきた
東京都知事のアメリカパレードのニュースの時だ。
,,,
論理的にはこのツアーは震災前から決まっていた日程であり
東京都あるいは東京都知事と熊本の地震には一切の相関は無い。
しかし私が感じた東京都知事の行動の違和感と
ドロドロとした悪感情の流入は強くて
熊本の因縁とこの件は切り離せそうではなかった。
今回は熊本で食い止めて猶予を持つことが出来たとしても
東京都知事には『一朝有事に備えて影腹を切る』ことが求められている。
それ以降東京の都政は荒れ続けている。
調べても特段な情報がある訳ではなく
ネットの世界では2年前から伝わっていた情報に
公用車問題が付加された程度だ。
熊本県民の感情が誰かによって利用されたと思われる。
つまり呪詛的要素があるということだ。
急に文春やマスコミが取り上げたのは
その裏があると考えてよい。
呉音霊は左回りといっているが
日本と韓国との間においては
日本側からの供与は問題ないのであるが
逆の方向に関しては強い拒絶反応がある。
それは龍の逆鱗というべきものであろうか。
しかしながらこのような直接的な神霊的関与を無くすのが
本来の自分の役目であると思っている。
自分の感応のありかたに対しては
修行の必要性を痛感した次第である。
少しばかり回りくどい言い方となっているが
大神霊が個人に対して攻撃したりするとは思えないので
もともとこれは都民全てに関わる警告なんだろうと判断する。
この警告の要素を呪詛的要素に組み替えられたという訳だ。
まさに個人攻撃の様となり居たたまれないが
東京都民に掛けられた呪詛であるなら
この程度で幕引きとはなるまい。
大本教の浅野和三郎などにより実践された鎮魂帰神法は
結局審神者の能力が降臨する神霊を凌駕できないために
挫折したと聞く。
こちらの方つまり人間界からの鎮魂帰神の祈願で
御神霊が降臨するなどという都合のいい話を
そうそう信じることは出来ない。
とはいうものの一つの神霊についての探査の佳境においては
御神霊の感応があるのは経験上理解している。
ただその感応の解読にはかなりの修練が要求されるように思う。
自分はほとんどを翻訳出来ずに取り逃がしている。
それはまさに見た夢の内容を思い出せそうで思い出せない状況に似ている。
何らかのテクニックがあるのかもしれないが
師匠がいないので教わったものはない。
自分は幼少時に道君首名公との神霊邂逅があるが
道君首名公の御神霊が私をどう導こうとしたのかは、
道君首名公の御神霊の指導をどれだけ自分が咀嚼できたかが疑わしいので
自分なりの想像の範疇を出ない。
ただ向かう先があることは強く感じている。
これは自分の人生におけるメインの神霊系統の話である。
この系統は豊玉姫・玉依姫・少彦名神の系統であり
健軍神社・鵜戸神宮の二社が生涯における崇敬社となる。
また血縁においては阿蘇神社と国造神社が祖母と祖父から繋がる産土神社となる。
この基本的な神霊系統のみを信仰の基本として
踏み外さないつもりでいたが
三輪山祭祀に縁を得てから別の神霊系統がクロスしてきた。
このブログは熊本霊ラインの神霊背景を
記載することが最初の目的だった。
ところがそこには中央構造線のエネルギーを含めて
過去に封印された系統までがクロスしてきている。
そして八大龍王神とされる日本の龍体
八岐大蛇とされるさらに古い日本の龍体
鯰として封印される縄文の龍体にまで祭祀の幅を広めてきた。
この現実世界と神霊界の狭間に存在する龍体との接触により
現われてきたのが呉音霊といえる。
この荒ぶる呉音霊は祭祀により呉音神に昇格させると
『日本における呉の太白の祭祀 No429』の記事で以前紹介しているが
これは現世への呉音霊の直接的影響を減らすという手段でもある。
今回の2016年04月の熊本大地震は白山姫神社での経緯により
東日本大震災と熊本大地震とのセットで
中央構造線の両端になり
関東・関西圏に時間的猶予を与えるものであったとの認識でいる。
西原の白山姫神社に気を向けていただいた方は
そのことを十分に認識されているということであり
とてもありがたく思っている。
ただ人間と神霊界との間において
我々はもう少し主体性を持つべきであるとの思いが強い。
地震後の調査において中央構造線を主催する龍体の機微に迫ったが
感応による感情の起伏は自らの自我を失わせると感じることがあった。
特にそう思ったのが
熊本本震のニュースの後に出てきた
東京都知事のアメリカパレードのニュースの時だ。
,,,
論理的にはこのツアーは震災前から決まっていた日程であり
東京都あるいは東京都知事と熊本の地震には一切の相関は無い。
しかし私が感じた東京都知事の行動の違和感と
ドロドロとした悪感情の流入は強くて
熊本の因縁とこの件は切り離せそうではなかった。
今回は熊本で食い止めて猶予を持つことが出来たとしても
東京都知事には『一朝有事に備えて影腹を切る』ことが求められている。
それ以降東京の都政は荒れ続けている。
調べても特段な情報がある訳ではなく
ネットの世界では2年前から伝わっていた情報に
公用車問題が付加された程度だ。
熊本県民の感情が誰かによって利用されたと思われる。
つまり呪詛的要素があるということだ。
急に文春やマスコミが取り上げたのは
その裏があると考えてよい。
呉音霊は左回りといっているが
日本と韓国との間においては
日本側からの供与は問題ないのであるが
逆の方向に関しては強い拒絶反応がある。
それは龍の逆鱗というべきものであろうか。
しかしながらこのような直接的な神霊的関与を無くすのが
本来の自分の役目であると思っている。
自分の感応のありかたに対しては
修行の必要性を痛感した次第である。
少しばかり回りくどい言い方となっているが
大神霊が個人に対して攻撃したりするとは思えないので
もともとこれは都民全てに関わる警告なんだろうと判断する。
この警告の要素を呪詛的要素に組み替えられたという訳だ。
まさに個人攻撃の様となり居たたまれないが
東京都民に掛けられた呪詛であるなら
この程度で幕引きとはなるまい。
産土神への参拝は、指導を頂いている教団設立時、神様よりたっての願いがあったそうですので、氏神様を通させて頂いて参拝しております。
月日を重ね参拝しているうちに朽ち果てていた氏神様がだんだん整ってきて活気が出て手水舎などが綺麗になってきています。
都知事退任です、これより都民の意識改革が進むことを願いますが、さしあたって、この夏は水不足に耐えねばならないような?ダム湖に雨が降りません。
呪詛を嫌うなら産土神へ参拝することが
解決の第一歩でしょうか。
それに都民の皆様が都政にもっと関心を持ち
いい政治家と公務員を育てることでしょう。
あんな知事を選ぶ都民のおひとよしさが驚きです。
選挙前からネット上には悪評がありました。
そういうところが付狙われて
ほころびが出てくるんだと思います。
ごたごたが起きてますます不信感に陥り
都政と政治家・公務員に対する不信感が増すことが
一番の問題ですね。
役所の信用がなくなると国や地方は滅びるのです。
そこが狙われています。
本日新しいコメントが掲載されていて、たどった先に普賢岳のことが記されていて、1991年の噴火の事を思い出しました。
信仰してる九州の教団の東京教会の先生は毎月九州から御祭においでになるのですが「来月僕きませんから(笑)」・・・。
えっ!
九州で教祖が「来月東京で地震があると神様が云ってるのよねえ」と・・・。
神様のことは、いつも信じられない事ばかりで、後になってやっぱり・・・と思うばかりですから、その時も半信半疑で聞いておりました。
ところが翌月雲仙普賢岳噴火、大火砕流で犠牲者がたくさん出ました。
「東京の身代わりだよ」とその後仰っていました。
その時のお返ししないといけないのかな?
いつも真摯な姿勢で祭司に臨まれている吉田様には、ただ感嘆あるのみです。
こちらに書いて良いものか迷いましたが、昨晩の夢には陶器で出来た少彦名の像が出てきました。
どういう訳か、福岡にあるどこかの醸造学校か大学の醸造科の研究室に私がいました。研究室には「沐浴中の少彦名の像」があったのです。白磁で出来ているのが、全裸の肌は透き通る様に白く、漆黒に塗られた髪は長めの髻(みずら) を結っています。大きさは20㎝も無かった様に思いますが、均整のとれた体躯はとにかく美しかったです。いささか低俗な表現になる事をお許し頂きたいのですが、気品と神々しさと官能性が入り交じった珠玉の像でした。
私が少彦名の像に見とれていると、教授と思われる初老の男性が入ってきてこう言います。
男性「珍しいでしょう?沐浴をする少彦名です。」
私「こんなに大人びた少彦名の姿を見たのは初めてです。何と言うか、その・・・」
男性「艶かし過ぎますか?」
私「(バツが悪そうに)そうです。色気が有りすぎます。これを初め見たら、誰でも赤面すると思いますね。」
男性「溢れ出んばかりのみなぎる生命力こそ、この世で最も美しいのです。少彦名は我々の、否全ての生命の源たる存在。少彦名が喜んでいる限り、我々の生命力も躍動します。少彦名が全てなのです。」
という内容の夢でした。
像とはいえ、少彦名が私の夢に出てきたのは初めてなので、驚きました。
吉田様が少彦名の祭祀を事の他大切にされる意味が、解って来た様に思えます。
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