8月の伊勢参拝以降記事がまとまらなくて困っている。
それで迂回すべく別の切り口から話をしたいと思う。
角大師とは第18代天台座主の慈恵大師良源(912年~985年)のことで
通称「元三大師」と呼ばれる。
このブログで過去に話題とした天台宗教祖の最澄は中国の天台山の国清寺の
山王神「地主山王元弼真君」を山王眷属として日本で祭祀している。
地主山王元弼真君は周の霊王(前571~前545)の子であり
王子晋もしくは太子喬と呼ばれる。
国清寺で山王神として祭祀した理由の一つとして
阿蘇山の破局噴火を防ぐ祈願を目的としていると考えている。
参考『中国寧波の天台山国清寺に繋がる熊本の阿蘇火口ラインNo500』
慈覚大師 円仁(794年~864年)は第3代天台座主であるが
常行三昧堂の後戸の神として摩多羅神 赤山の神として泰山府君を勧請している。
『呉言霊から分霊され右回りの鬼子になった摩多羅神 No471』
悉曇12母音の摩多の神霊も王子晋も筆者が祭祀している呉音神の要素であるが
抜け落ちている部分もある。
そこを補っているのが角大師といえる。
今まで香春の都怒我阿羅斯等を始めとして牛王 牛玉まで角と宝珠を探ってきたが
『祭祀に持ちいた都怒我阿羅斯等の神籬とその証 No420』
『高千穂神楽と地主神 No446』
『続続 香春の呉音霊の足跡 岡山における姫氏調査 No458』
『東京の牛嶋神社の伝承 No483』
慈恵大師良源は自らもってして角大師として呉音霊を体現している。
ただし慈恵大師良源をもってしても世間に真意を理解させることは出来なかったようで
傷病神に障礙神という関係に留まりその範疇を超えることが出来ていない。
元三大師を「慈恵大師講式」として国家守護に起用したのは天海僧正であるが
残念なことに呉音霊の祭祀は消えてしまい
山王一実神道に化けて東照大権現信仰となってしまう。
元三大師は衆生には優しいが仏門の僧侶には厳しい(祟る)と言われている。
しかしながら慈眼大師天海が100歳以上の長命を得たということは
それなりの理が慈眼大師天海にはあったということであろう。
さてこの天台の呉音霊に対する関与に対して
真言宗は狩場明神(四所明神)を持ち出して高野山を設立して関与している。
『畏るべし戊戌2018年 最後なる平成30年 No479』
ここでの主張は「高野山の犬神である狩場明神は、
姓は姫、名は晋、字は子喬とされている姫姓王氏の祖とされる地主神の
王子晋のことで、山王元弼真君=桐柏真人王君のことと思える。」ということである。
このことはこの夏に英彦山と求菩提山の調査でも感覚的には裏付けされている。
高野山で四所明神の祠を見つけ出したので
中国の天台山の国清寺と阿蘇山と高野山の四所明神社を線で結んでみた。
みごとにこの阿蘇山防衛ラインと重なる。
以下に参考地図をリンクしておくので各自確認されたし。
PCでない方は新しいタブで開いて欲しい。
google地図ソフトでは表示できないのであしからず。
https://drive.google.com/open?id=1vEy_wJhWgOO2GUJ9JFbW9ci1smg&usp=sharing
自分は阿蘇山の破局噴火のメッセージを受けたことがあるが
過去の霊的感応者はかなりの数がこのメッセージを受信しているのであろう。
中国の天台山の国清寺において阿蘇山の鎮静祭祀が行われていたなどという話は
自分も信じがたいのであるが、預言者が存在した可能性を否定はできない。
実際阿蘇山の破局噴火が起これば現代文明は壊滅となる。
参考文献
『iRONANA 誰も知らない阿蘇山「破局噴火」は起こるか』
それで迂回すべく別の切り口から話をしたいと思う。
角大師とは第18代天台座主の慈恵大師良源(912年~985年)のことで
通称「元三大師」と呼ばれる。
このブログで過去に話題とした天台宗教祖の最澄は中国の天台山の国清寺の
山王神「地主山王元弼真君」を山王眷属として日本で祭祀している。
地主山王元弼真君は周の霊王(前571~前545)の子であり
王子晋もしくは太子喬と呼ばれる。
国清寺で山王神として祭祀した理由の一つとして
阿蘇山の破局噴火を防ぐ祈願を目的としていると考えている。
参考『中国寧波の天台山国清寺に繋がる熊本の阿蘇火口ラインNo500』
慈覚大師 円仁(794年~864年)は第3代天台座主であるが
常行三昧堂の後戸の神として摩多羅神 赤山の神として泰山府君を勧請している。
『呉言霊から分霊され右回りの鬼子になった摩多羅神 No471』
悉曇12母音の摩多の神霊も王子晋も筆者が祭祀している呉音神の要素であるが
抜け落ちている部分もある。
そこを補っているのが角大師といえる。
今まで香春の都怒我阿羅斯等を始めとして牛王 牛玉まで角と宝珠を探ってきたが
『祭祀に持ちいた都怒我阿羅斯等の神籬とその証 No420』
『高千穂神楽と地主神 No446』
『続続 香春の呉音霊の足跡 岡山における姫氏調査 No458』
『東京の牛嶋神社の伝承 No483』
慈恵大師良源は自らもってして角大師として呉音霊を体現している。
ただし慈恵大師良源をもってしても世間に真意を理解させることは出来なかったようで
傷病神に障礙神という関係に留まりその範疇を超えることが出来ていない。
元三大師を「慈恵大師講式」として国家守護に起用したのは天海僧正であるが
残念なことに呉音霊の祭祀は消えてしまい
山王一実神道に化けて東照大権現信仰となってしまう。
元三大師は衆生には優しいが仏門の僧侶には厳しい(祟る)と言われている。
しかしながら慈眼大師天海が100歳以上の長命を得たということは
それなりの理が慈眼大師天海にはあったということであろう。
さてこの天台の呉音霊に対する関与に対して
真言宗は狩場明神(四所明神)を持ち出して高野山を設立して関与している。
『畏るべし戊戌2018年 最後なる平成30年 No479』
ここでの主張は「高野山の犬神である狩場明神は、
姓は姫、名は晋、字は子喬とされている姫姓王氏の祖とされる地主神の
王子晋のことで、山王元弼真君=桐柏真人王君のことと思える。」ということである。
このことはこの夏に英彦山と求菩提山の調査でも感覚的には裏付けされている。
高野山で四所明神の祠を見つけ出したので
中国の天台山の国清寺と阿蘇山と高野山の四所明神社を線で結んでみた。
みごとにこの阿蘇山防衛ラインと重なる。
以下に参考地図をリンクしておくので各自確認されたし。
PCでない方は新しいタブで開いて欲しい。
google地図ソフトでは表示できないのであしからず。
https://drive.google.com/open?id=1vEy_wJhWgOO2GUJ9JFbW9ci1smg&usp=sharing
自分は阿蘇山の破局噴火のメッセージを受けたことがあるが
過去の霊的感応者はかなりの数がこのメッセージを受信しているのであろう。
中国の天台山の国清寺において阿蘇山の鎮静祭祀が行われていたなどという話は
自分も信じがたいのであるが、預言者が存在した可能性を否定はできない。
実際阿蘇山の破局噴火が起これば現代文明は壊滅となる。
参考文献
『iRONANA 誰も知らない阿蘇山「破局噴火」は起こるか』
実は、昨日の善神王を調べていまして、偶然、琵琶湖瀬田の唐橋、石山寺に八大龍王神と金龍神が祀られていることを知り、急遽出かけました。現地に着いて、そこには、三蔵法師霊仙の碑があることを知ります。
13日、14日と秋月祭があり、、船のクルージングや横笛の演奏の催しがあることを、現地にて知ります。
残念(T_T)知っていれば、企画に合わせて行動したはずです。
八大龍王神の場所の龍穴池にて、日の光による神秘現象がありましたので、やはり、昼間に行って良かったのだと納得させています。
高野山に繋がるラインの神社群で、「塩井神社」というのがありますね。それも、二つも。
この塩井とは、阿蘇の祖母神社にて、「御塩井」と書かれていたので、塩井は気になっていました。
私は、牛鬼→うしおに→潮に→塩井の事かと想像していました。
つまり、牛鬼とは、潮が関係するのですが、それは暗号で隠されていることではないかなぁと感じています。
隠されているので、ここがわからなければ、全て解らないという事になると思います。
私の場合、関東大地震が初めと言われている。
破壊は仕方ない。
だが、これから、創造するにあったて、
必要なのは、これからお主はどうすると
言われているような気がする。
破壊は、恐る必要はない。
吉田さんが、凡人程度のことで、
悲しむのは、凡人なのだろう。
男なら、どーんとせんかい。
人は、いつ死ぬのではなく、
どう生きたかで変わる。
明日、死のうと、
そこまでの人生よ。
つまらぬ心配するのは、
小人。
恐らく、私の姉、兄、死ぬかもしれない。
関東大地震の天災によって。
そこまでの人生だったなのだろう。
ま、…私は、神に愛されているから、
助かるかもしれない。
この私を誰だと思っている。
悩む必要はない。
我についてこい。
ひひーん。
パッカラ、パッカラ。
私は、白い馬を乗る男である。
死への恐れこそが、あらゆる争いへの源だ。
普遍的な凡人は、死を悲しみ、
殺されたらから憎しむ。
怨みに心が曇り、怒りで目が眩み、絶望を糧としている。
愛する妻が死んだ。
愛する子が死んだ。
それは、事故かもしれないし、
殺しかもしれない。
亡くなったから冥福を祈って
何になる。
それは、死への悲しみを
同調しているだけ。
復讐して、己の
自己を満足している。
死を通して、人は
事故、病気、戦争、
災難に逢う時節には災難に逢うがよく
死ぬる時節には死ぬがよいのだろう。
北海道の災害で、
さくらさんが、北海道で、
夫、子供を死なせたならば、
そこまでの人生よ。
冥福なんてのは、
何も考えてない生き方を祈っている。
己の生きざまに恥じない生き方なら、
生き死は意味がない。
最後まで、花を開花したなら、
死、輪廻のことがわかるだろう。
ま…、でも、君たちは、
孤独が必要なのだろう。
死=別れではないと
気づくのは、いつからな。
あの世と、この世は、続いている。
死への恐れこそが、あらゆる争いへの源だ。
普遍的な凡人は、死を悲しみ、
殺されたらから憎しむ。
怨みに心が曇り、怒りで目が眩み、絶望を糧としている。
愛する妻が死んだ。
愛する子が死んだ。
それは、事故かもしれないし、
殺しかもしれない。
亡くなったから冥福を祈って
何になる。
それは、死への悲しみを
同調しているだけ。
復讐して、己の
自己を満足している。
死を通して、人は
事故、病気、戦争、
災難に逢う時節には災難に逢うがよく
死ぬる時節には死ぬがよいのだろう。
北海道の災害で、
さくらさんが、北海道で、
夫、子供を死なせたならば、
そこまでの人生よ。
冥福なんてのは、
何も考えてない生き方を祈っている。
己の生きざまに恥じない生き方なら、
生き死は意味がない。
最後まで、花を開花したなら、
死、輪廻のことがわかるだろう。
ま…、でも、君たちは、
孤独が必要なのだろう。
死=別れではないと
気づくのは、いつからな。
あの世と、この世は、続いている。
猜疑神。
災いの神様。
そもそも、あれは、一部の人間しか理解出来ない。
あれは、そういった神。
あれに、
気に入られてしまったか。
貧乏神なりwww。
空海と最澄の対決は、
物語形式で、舞台が決まっていたのだろう。
舞台は、役者がいないと、
始まらないだろう。
のわわわん、酷いよ😭。
エロくて、ナイスボディな女を、
猜疑神さん~、
ヘルプミー。
くくく。
僕しか、わからないだろう?
蛇の型も、
僕に観照しているのも、
あれが観照しているからだろう。
にゃー🐈、
伝説になる男だ。
覚えておくといい。
いずれ…分かる。
そこ👉、
エロで、ナイスなボディ、
神のごとく乳をしている女だよ、
はい、霊界にいるお爺さん連中に言っているんだよ。
かぁー、エロいことも、
言えない、
優秀な人間ほど、
崩れるのも早い。
優秀さを逆に言えば、凡人の集まりなのだよ、
私から言ったら。
大樹の如く、
そこにいるだけで、
完成する。
んー、僕ちん、言いこと言うな~。
うひひひひ。
さて、僕は、世迷い言を言う、
狂った人間かな?
くけー。
ひゃ、ははははは。
高森町大字高森2556の祖母神社の手水舎の横の碑の事でしょうか?
さくら様が感じられた
牛鬼→うしおに→潮に→塩井
は私には考えが及びませんでしたが
いくらかの可能性があると思います。
これが事実ならとてもすごいことだと思います。
藤田和日郎のマンガの『うしおととら』は
「うしとら」から連想して主人公の蒼月潮を
創り出していますが
牛尾を潮としている例は過去に記憶があります。
興味深いので今後もう少し調べたいと思います。
手水舎の横の碑の事になります。
そこで、志賀海神社、筥埼宮の事を書かれていて、
根子岳を遥拝する神社と記されています。
阿蘇都姫は阿蘇の姫であり、豊玉姫ではないかと書かれていました。
根子というのが、また、気になります。
私の場合は、住吉大社と熊本藤崎八幡宮と呉羽神社と(八尾志紀駅)弓削神社で、猫に縁が在りました。
滋賀朽木のシコブチさんめぐりの時に、本物そっくりの猫の焼き物を道の駅で買いました。
八尾志紀駅弓削神社で出会った猫にそっくりだったので、縁を感じ買った記憶があります。
住吉大社では、伏見稲荷の門前の荒木神社の「口入り狐」に似ていると着物猫を対で購入してお祀りしたうえで、平野神社・青面金剛の祠にです。
多田の塩川氏の由来からです。平野、山下の地域になります。
志賀海神社の御潮井
参拝前に
禊祓いの神様であるために、ご参拝の前に御潮井を左、右、左と軽くふり清めていただきます。 手水舎で左手、右手、口を清めてからご参拝をしてください
筥崎宮の御潮井取り
筥崎宮の年中行事の中で、春(三月)と秋(九月)の二度、社日祭があります。
社日祭とは雑節のひとつで、春分の日・秋分の日に一番近い戊(つちのえの)の日にあたります。社日祭は、五穀豊穣・除災招福・家内安全等を祈るお祭り(もとは土の神様に豊作を祈願また感謝するお祭り)で、この社日の日はお潮井取り(お潮井汲み)と称して、箱崎浜の真砂を頂いて自宅へ持ち帰ります。古来より美しい博多湾の中でも、この箱崎浜(筥崎宮の御神域)の真砂を神聖なものと考え、その真砂をもって清め祓って参りました。特にこの社日の日のお潮井は効き目があると珍重され、早朝から箱崎浜へ訪れる参拝者の姿が多く見受けられます。5527
ちなみに、
私の前世は、王家である。
艮の血筋なのか?
ニギハヤヒの血筋と婚姻関係か?
ニギハヤヒは、血筋ではないのに?、
関係していると思っていたが…。
てっきり、スサノオ一族の関係者かと
思ってたが。
なるほど、
私のことを知っているのも、
…。
偶然ではないか…。
中国では、あの蛇の型を見るものは、
…。
私に偶然はない。、
神に愛されし男であるからだ。
必然的に決まっている人生だからだ。
私についてこい。
伊達ではないことを教えてあげよう。
ひひーん。
パッカラ、パッカラ。
私が望んだのであろう。
生まれではなく、
魂で。
だから、最下層になるように
仕組んだ。
だが、私は帰ってきた。
うおおお、
ニギハヤヒきゅん🌟
それは、私ではない。
私ではないのだ!!。
私であって、私意外の魂が、
いるのだ。
だから、頼む。
私が、居たことを伝えたいのだ。
意味がわからないかのだろうが、
だから、私は、私でありたい。
そこに居たと刻みたいのだ。
僕は、ここにいる。