このブログで何度か白山神社や菊理媛神について記載しているが
呉音神と関わりのある九州の白山菊理媛神については
本家の加賀国の白山比咩神とは取り合えず別けて考えていただきたい。
切り分けたうえで吉田一氣感得のククリヒメとは
九九と呉系姬(き)氏祭祀の金星神?ということを予想している。
また話題とした犬は委奴国=呉音読みで「ゐぬ国」に繋がるように思える。
つまり志賀島の金印の委奴国=狗奴国ということかも。
このククリヒメの意味について調べていたが
おおよそのところは解明できている。
九九は九十九=「つくも」と受け取れてこれは以下記載の通りに
「つちぐも」を意味する。
金星は太白星で端白星=羽白星とも呼ばれるのだが、
その感応の根拠をいろいろと探していたのだが
一昨日寝室を片付けていて偶然に未読の真鍋大覚著の「儺の国の星」を見つけた。
真鍋大覚氏の星神についての著作は昭和50年代の頃のものである。
まだ長江文明も陵河文明も知られていないし
DNA分析のハプログループも未解明の時代の事なので
中国の長江流域の春秋時代の呉越文明の発展と倭国文化の発展の基礎を
胡人=イランの西域人によるものとしている。
拾遺P177には胡人の子孫が西の熊襲、東の佐伯、隼人となったとある。
(日本人シュメール起源説に近いのかも)
『唐代胡人俑』
占星術はカルディア人が発明したとも言われる。
イラクの新バビロニアをカルディア人が創ったとし
これ以降中国夏王朝のカルディア人説等に発展した。
しかしながら春秋の三国の基礎である長江文明が
紀元前14000年には始まっていることが判り
チグリス ユーフラテス川文明の古代メソポタミア文明
あるいはシュメール都市文明(バビロニアの南半分)より
古いことになり文明の流れが実際のところ逆転している。
しかしながら福岡の那珂川の星の伝承があまりにも奥深いので
胡人がもたらしたものではないかと推察したものと思われる。
金星の事が知りたかったのでそれをパラパラとめくっていて
P171『三十五 端白星』の欄で興味深い記事を見つけることが出来た。
そこには以下のようなことが書かれていた。
「金星の漢名を太白という。これを倭人は〃をしろぼし〃と訓じた。
景行帝(71~130)の御名は大帯日子淤斯呂和氣天皇
(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)であるから
この頃筑紫は呉越の民族が大いにその勢力を競っていたものと思われる」
「百引くことの一は九十九である。これを筑紫では〃つくも〃と読ませる。
昔は土蜘蛛のことを敬称してその親分を大白、子分を小白と呼んだ。
〃つくも〃とは九を重合対立させた形で〃つちくも〃の略であった。」
P174 「古事記神代紀には筑紫の国を白比別と称している。
伝説には遠い昔に背振の峯には白日別命なる女神を祭っていたと申す。
今の辨天様はその権化であると語られている。」
大白(あしろ)は太白で金星
小白(をしろ)は〃をしろぼし〃でやはり金星である。
背振山については以前も話題にしているが性空が感得した乙護法善神の来歴は
徳善大王15番目の王子であり徳善大王の御后は辨財天の化身となっている。
この大王夫婦は王子との別れを悲しまれ、龍樹菩薩に王子の行衛を尋ねられた。
龍樹は「これより東、日本扶桑の国の西に当たる肥前の国背振山に垂跡されて
衆生利益の大願を成就された」と答えた。
その後、徳善大王・辨財天・乙護法らは仲よく脊振山の神に祭られるようになった。
伝教大師が渡唐の時、この乙護法善神は、「色赤くして鬼神のごとし、
左の御手に鉄の杖をつき」現われになったという。
(以上肥前州古跡縁起より抜粋要約)
土蜘蛛の一族は背振山の白日別命なる女神≒辨財天≒金星神として
祭祀していたということを暗示している。
過去に素盞嗚尊=太白星=金星=大将軍の考察もしているが
さらなる検証が必要と考える。
※九州島の四面宮神 白日別命、豊日別命、豊久土比泥別命、建日別命の四柱
正直に言って九州のククリヒメを金星神の系譜とするには
証が薄すぎでまだまだ仮定の域を出ない。
それはひとえに筆者の星神についての理解が浅すぎる所以であるが
中国の太白金星神は紛争を掌握する武神なので
呉音神を日本の国防と技術革新の御神霊として祭祀する筆者の直感は
方向的にはいい線行っていると思う。
さらなる感応を待ちたい。20190919記載途中
呉音神と関わりのある九州の白山菊理媛神については
本家の加賀国の白山比咩神とは取り合えず別けて考えていただきたい。
切り分けたうえで吉田一氣感得のククリヒメとは
九九と呉系姬(き)氏祭祀の金星神?ということを予想している。
また話題とした犬は委奴国=呉音読みで「ゐぬ国」に繋がるように思える。
つまり志賀島の金印の委奴国=狗奴国ということかも。
このククリヒメの意味について調べていたが
おおよそのところは解明できている。
九九は九十九=「つくも」と受け取れてこれは以下記載の通りに
「つちぐも」を意味する。
金星は太白星で端白星=羽白星とも呼ばれるのだが、
その感応の根拠をいろいろと探していたのだが
一昨日寝室を片付けていて偶然に未読の真鍋大覚著の「儺の国の星」を見つけた。
真鍋大覚氏の星神についての著作は昭和50年代の頃のものである。
まだ長江文明も陵河文明も知られていないし
DNA分析のハプログループも未解明の時代の事なので
中国の長江流域の春秋時代の呉越文明の発展と倭国文化の発展の基礎を
胡人=イランの西域人によるものとしている。
拾遺P177には胡人の子孫が西の熊襲、東の佐伯、隼人となったとある。
(日本人シュメール起源説に近いのかも)
『唐代胡人俑』
占星術はカルディア人が発明したとも言われる。
イラクの新バビロニアをカルディア人が創ったとし
これ以降中国夏王朝のカルディア人説等に発展した。
しかしながら春秋の三国の基礎である長江文明が
紀元前14000年には始まっていることが判り
チグリス ユーフラテス川文明の古代メソポタミア文明
あるいはシュメール都市文明(バビロニアの南半分)より
古いことになり文明の流れが実際のところ逆転している。
しかしながら福岡の那珂川の星の伝承があまりにも奥深いので
胡人がもたらしたものではないかと推察したものと思われる。
金星の事が知りたかったのでそれをパラパラとめくっていて
P171『三十五 端白星』の欄で興味深い記事を見つけることが出来た。
そこには以下のようなことが書かれていた。
「金星の漢名を太白という。これを倭人は〃をしろぼし〃と訓じた。
景行帝(71~130)の御名は大帯日子淤斯呂和氣天皇
(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)であるから
この頃筑紫は呉越の民族が大いにその勢力を競っていたものと思われる」
「百引くことの一は九十九である。これを筑紫では〃つくも〃と読ませる。
昔は土蜘蛛のことを敬称してその親分を大白、子分を小白と呼んだ。
〃つくも〃とは九を重合対立させた形で〃つちくも〃の略であった。」
P174 「古事記神代紀には筑紫の国を白比別と称している。
伝説には遠い昔に背振の峯には白日別命なる女神を祭っていたと申す。
今の辨天様はその権化であると語られている。」
大白(あしろ)は太白で金星
小白(をしろ)は〃をしろぼし〃でやはり金星である。
背振山については以前も話題にしているが性空が感得した乙護法善神の来歴は
徳善大王15番目の王子であり徳善大王の御后は辨財天の化身となっている。
この大王夫婦は王子との別れを悲しまれ、龍樹菩薩に王子の行衛を尋ねられた。
龍樹は「これより東、日本扶桑の国の西に当たる肥前の国背振山に垂跡されて
衆生利益の大願を成就された」と答えた。
その後、徳善大王・辨財天・乙護法らは仲よく脊振山の神に祭られるようになった。
伝教大師が渡唐の時、この乙護法善神は、「色赤くして鬼神のごとし、
左の御手に鉄の杖をつき」現われになったという。
(以上肥前州古跡縁起より抜粋要約)
土蜘蛛の一族は背振山の白日別命なる女神≒辨財天≒金星神として
祭祀していたということを暗示している。
過去に素盞嗚尊=太白星=金星=大将軍の考察もしているが
さらなる検証が必要と考える。
※九州島の四面宮神 白日別命、豊日別命、豊久土比泥別命、建日別命の四柱
正直に言って九州のククリヒメを金星神の系譜とするには
証が薄すぎでまだまだ仮定の域を出ない。
それはひとえに筆者の星神についての理解が浅すぎる所以であるが
中国の太白金星神は紛争を掌握する武神なので
呉音神を日本の国防と技術革新の御神霊として祭祀する筆者の直感は
方向的にはいい線行っていると思う。
さらなる感応を待ちたい。20190919記載途中
アスクレピオスの杖かな?
赤い人種で、
杖の象徴を表している。
医療に充実していたのだろう。
ヨハネの黙示録にあるように、
秘儀参入者を、
伝えているのだろう。
ふ、やはり、私は、偉大なる小川様と
呼ぶ日も近いだろう。
苦しゅうない、
ボインでエロな女性を、
紹介しなさい。
さすれば、神の後利益が訪れるだろう。
どうぅははははは。
はー、やれやれ、
ふー。
( -。-) =3、ちみたちは、
下らんジョークの一つも言えないのかね┐(-。-;)┌。
うきはの地名が景行天皇ゆかりとしり、日岡古墳や月岡古墳が気になったり。
加古川の日岡山古墳(褶墓古墳)は景行天皇のいなみ姫が祀られてますが、なんか関係あるのか考えてたらシャットダウン、頭ぐるぐる。
筑後川のあたりは呉越の民が勢力を競ってたとこなんですか。
内容のないコメントでごめんなさい。
たまたま昨日記事にしたばかりで、そのシンクロに驚いてしまって。
そのテーマの1つが養蚕の女神で、武蔵御嶽山で養蚕神としての宇気母智神の御札を賜りましたが、岩に裸足で立つ女神の手には稲穂と麻の葉。
金色姫伝説の常陸の三蚕神社。日本では温湿度を調整して繭になる時期が同じになるよう工夫していたことを知りました。これなど、呉音神的だなぁと思っていました。
8/17に調布市深大寺の深沙大王のご朱印を賜り、8/18に豊浦の地名が残る日立市の蚕養神社に。崖の上に立つお社は管理が行き届いており、崖の突端には波切不動がお祀りされていました。この波切不動は私の目にはとても女性的に見えました。そしてお堂の中には「豊布都神社」と書かれた赤い幟が。
ネット情報ではこちらの社はもともと「於岐都」社と呼ばれていて、息栖神社(於岐都説神社)との関連性が囁かれています。
息栖神社の元宮と噂される蚕霊神社。私はこちらにうつほ船が隠され祀られた気がしました。
息栖神社の男甕と女甕。言葉遊びになってしまいますが、於岐都≒大宜都≒興津≒沖津≒大気津≒大月≒宇気母智。岐神≒於岐都説神≒於岐都背神で、岐神は養蚕の女神の背の君で夫婦という妄想も・・・。
ただ、蚕は桑の葉以外は食べないというし、両方セットになっているのは麻賀多神社にも祭られる稚産霊神。豊受大神を生んだとされます。
豊布津は深沙大王つながりで二上山を思い出しました。その日、吉田様が「美具久留御魂神社と二上山と檜原神社」の記事をアップされていてまたびっくり!
高野四所明神として気比明神(大食都比売大神)が含まれるのも気になってました。
8/18は皇祖皇太神宮→蚕養神社→御岩神社→大甕倭文神社→泉神社にご参拝。帰宅時、駅では、梅(5)と麻(6)模様の浴衣を着た女子が私の前に立っていて非常に感慨深かったです。
ネット情報より。
蚕養神社(養蚕が蚕養となっているのは、率川神社のサイがイサになっているのと同じなのでしょうか)
寛文3年(1663)の「開基帳」に津明神として記載あり、別当は吉祥院(廃寺)。
それ以前より「於岐都説(おきつせ)神社」と称されていたようで、祭神は宇気母知命だった。
また「蚕養嶺地主神」(祭神:稚産霊命)を相殿に祀っていた。
明治34年、蚕養神社と改名。
大正8年、稚産霊命・宇気母智命・事代主命の三柱を祭神とする。
※白山社が合祀されているとの話もあり。
なんと、この記事にあるガッツポーズ胡人俑にそっくりな、明王像を見てしまいました。無動明王。
越智山大谷寺です。
泰澄さんの白山信仰の前は、越智信仰で、海人族で、船で日本海から、滋賀、大阪、四国、瀬戸内海、長崎まで、海路、川路で網羅していたそうです。
大谷は、大丹との事で、、谷は、丹とはっきりいわれました。火山の恵み、温泉、土。
一時間ほど大谷寺住職ご夫妻と歓談になりました。
お寺の前の蓮池をボーっと見ていると、看板があり、蓮から糸をとり、この辺りの地名糸生と言う地域名になり、その糸を織った地名が、隣の織田であり、織田信長の生まれた地になるそうです。
どこから、来られましたか?と声をかけられまして、関西からですと答えますと、
四天王寺と比叡山のお話しになり、住職は四天王寺に長く世話になり、比叡山の回峰行も終えられたとの事でした。
不変水。不老長寿の話し。
邪馬壹国から、鯖江は、娑婆で、、王が居て、、
私の心の声「三光の謎が、わかったような、、、」
泰澄さんは、大津皇子の子で、天王の血筋らしいとか。
何故か、同じ話しを平泉寺、法師の宿で、違う人から、代わる代わる聞きました。
髪長姫、みやこ姫、不比等の話しや、奈良時代の陶器がでてきたとか、
泰澄さんの仏になる話しや、、
盛りだくさんで、、、まだまだあるのですが、、
古代のロマンとして、沢山の説があり、そそられました。
とりあえず、こちらの記事の胡人俑、そっくりさんが出てきましたので、コメント残しておきます。
貴様の都合で、
私が、運命を決められるか。
神の都合で、
決められるか。
僕は、僕だ。
ふざけがって、
うおおお、
貴様の都合で、
このままで
終わるか。
私は、…、
迷惑をかけても、
貴様の道は、
歩かない。
私は、私だ。
例え、泥を歩こうと、
作りものなだろうが、
僕は、歩く。
…。
その時に、谷は丹であり、越智は、越だけで、ヲチと呼び、オではなく、ヲなんですって。知と言う文字は送りかなだと思うとのこと。
このヲも大のヲ、小のヲとか言ってたかな、、
万葉集に越水のことが、載っていて、それは、変若(ヲチ)水。不老長寿、不老不死のこと。
東大寺二月堂、お水取り、若狭井
神宮寺、お水送り、柱に赤土、棒に赤土団子、法水。
養老の滝。元正天皇。
変若(わかちょう)、薬の水、老を養う若変わりの水。
菊水霊泉。くくりの水。菊理姫(白山明神)
・越山(ヲチサン)お知山(音写)おしらやま(音写)小白山(音写)白山(音写)
・不死山(フジサン)(甘露)不尽山 不二山 富士山(音写)
丹生
①丼、丹砂 赤い石の名
②煉丹 煉丹 中国道士の術
③水銀 亜鉛鉄
④ミネラル
話を聞いているときに、住職が私の首の傷跡を見ます。今まで、人と対話しているときに、首の傷を見られたことは無く、初めて人に気づかれたと思いました。
勿論、何もそのことについて一切、触れませんが、、
きっと、わかったと思います。
私がここに来た理由。私は、自分の先祖との縁で訪問したのですが、本当はもっと、大きな意味があったのだろうという事になります。
住職さんは四天王寺と比叡山でお世話になり、赤山禅院の僧が師匠だと言っていました。
私の必死の(仏師先生にダメ出しばかりくらい、夢の中でも仏に叱られ)仏頭作成が出来ましたので、漸く、こちらに来ることができたのかなぁと感じました。
※現在もダメ出しばかりで、心折れています(T_T)
また、何故か、住職奥様から、四天王寺、住吉区、堺・浜寺のお話しになりました。4077
絶対に絶好の機会がありますよ。
ただ健脚でない人は
山小屋一泊しないといけないとか?
私も興味がとてもあるのですが
熊本からは遠いですね。
白山も月山も鳥海山も登ってみたい山です。
ところで武蔵御嶽山では眷属神以上の存在として
お犬さまを祀っているとか。
この記事とのシンクロがとても興味深いです。
お釈迦様の糸とはこのことなのでしょう。
ところで「九九と呉系姬(き)氏祭祀」であることは
間違いないと考えていますが
太白金星神というのは早とちりだったかもしれません。
記事を記載後にもその証のサインが今だ現れていません。
円仁は赤山禅院に泰山府君神を祭祀するように指示していますが
もしかすると太一神=北極星なのかもしれません。
あとしばらく感応を待ちます。
私の越前、加賀での泰澄さんは、何故か志賀・滋賀と繋がりまして、志賀つながりから、熊本藤崎宮や道君首名公繋がりになっていますが、、、
ずっと、連綿とつながっています。
今回新たに、一つ謎が解けた不思議出来事がありました。
それは、名古屋に住んでいたときの出来事になりますので、ちょっと、詳しく書くのははばかれるのですが、、
2004年にこちらに関わる扇・国常立尊・神功皇后・道氏の夢を見ていますが、、
その頃に、私は中部電力の技師の奥さん・友人を励ますために、先頭に立って、企画をして動いていました。
技師の方は、脳腫瘍闘病中でしたが帰らぬ人になったためです。社宅をでて、実家蒲郡に戻られることが分かっていました。
その新居で飾ってもらう、友人達で楽しく造るものを教えようと、全くのオリジナルで、材料を取り寄せて、下準備を色々としていたのですが、、
その準備中、いつも「西友」で中電友人と会うのです。
西友は遠いのです。私は、下準備が無ければいかないとこです。中電友人も勿論「西友」は遠いのです。
後から、友人にあの時、不思議なぐらい偶然必ず会っていたけど、どうして?と聞きますと友人は喪の挨拶状などを出すために通っていたという話をして、不思議だったよねとお互い言い合っていました。
技師の方の遺影を見たときに、
あー夢でお会いしましたよね、、、私にできることをさせて頂きましたと思いながら、手を合わせました。
名古屋の地名は「星」が付きます。
そんなこんなで、額は完成して、、私はその後、急遽突然に「猪名の笹原」地域に引っ越しになりました。
その引っ越しの際にも、名古屋の小学校で」引継ぎしてくれた先生は、「猪名の笹原」出身で、これまた、偶然で先生も吃驚していた記憶があります。
長いですね。ちょっと、端折ります。
夢を見て、土地探しをします。
今現在住んでいる土地は、子鹿の夢を見た事と、周りに沢山関西電力の社宅があるのです。夢で見た土地のキーポイントも少しありました。
以前、中部電力の技師の為に動いたので、縁が上手く繋がるかと思い、ここにしようかなあと半信半疑で思います。
今は、関電社宅はほぼ売却されて、宅地になったり、スーパーに成ったり変化しています。
関西電力に勤める奥様と何人か知り合いになります。
私は今更、仲良くは出来ないのですが、子供が仲良しでした。
偶々、越智のお話しから、滋賀の愛知(えち)も一緒だという事を知ります。
そこは、犬上郡に隣接しています。
水が綺麗で、和菓子屋さん(たねや)日牟禮ビレッジ、えち(愛知)にも工場を建設していた話を聞いています。
最近、滋賀県甲賀市の水口神社にある人の弔いに行きます。
この水口神社、井口ともいうのですが、、、中世は「山王新宮」
大水口宿禰、大和国魂神。玉津米神社(玉留産結霊尊)など知ります。
摂社に武雄神社(御武社)もありました。久延彦神かと思うカケラも感じました。
今回の福井石川旅の帰り、「えち」川を通っているときに、はっとなります。
中部電力から、関西電力に引き継がれた縁のお蔭もあり、大黒天の奇跡が起きたと分かったのです。
水口神社も関係したと気づきました。
鯰が眷属ですか?
色々と豊玉姫神はちらちら見えました。
お水取りの若狭井→若狭彦、若狭咩神社、神宮寺
大谷寺でのお話しは、若が沢山つくのです、水にワカがつき、きっとワカヒルメが関係すると分かりました。
温泉もありますし、山形など羽黒権現の行者も万炉会に参加するとのことです。
熊本藤崎八幡宮の時に、出羽の神様の事を考えていました。
其処は、玉依姫紙でした。
豊玉姫神が祀られている菅生石部神社には、全て黄色いシデで結界が貼られていました。
初めて黄色いシデを見ましたので、御朱印の紙をもらう時に聞きました。(御朱印をもらいなれていないために、いつも持参するのを忘れて、大谷寺にて紙でもらうやり方を教えてもらいます)
御祭りがあり、その時に黄色いシデを張り、お正月には白いシデに交換する。御祭りは、天神さんか牛頭さんか、、もう忘れてしまいました。七月に御祭りをされるとのことですので、疫病除けかと思います。
ここは、牛像が沢山いました。三匹みたかな。
黄色いシデでしたので、雷神ではないのか?とか思いました。
奉祀する斎藤家の美濃国各地の天神さんは、17社あり、すべてこちらの菅生石部神社からのものだそうです。
大谷寺のあと、白山神社平泉寺に参りました。
その時に、私は一人、参道途中の御手洗池に行きました。そこに、一人のおじさんが居まして、、
私に話しかけてきます。
おじさん「どこから来ました?」
私「大阪です。ここに来る前に大谷寺に行きました」
※すぐ県外の人とばれるなぁ・・・
おじさん「大阪?おお、本家本元だね。それも、大谷寺に行ったの?何しに?私も三年前に大谷寺に行きましたよ、、大谷翔平も羽生弓弦も丹生、丹ですからね。
世界で活躍しています。大阪は天皇が居たところだからね。気比神宮での名前交換の話あるでしょう。それで、隠されているけど、、不比等が隠したんだ、、、丹波にも本当は「斑鳩」があって、丹波が本当のイカルで聖徳太子の法隆寺がどうとかこうとか・・・・」
私「あー、それ、全部知っていますし、分かっています。この前は、鯖江の舟津神社にも行きましたし」
おじさん「舟津も行ったの??あなた何者??王の山古墳があるでしょう。泰澄・粟津王のこの本に書いてある」
私「すみません。あまり時間が無いので、これで失礼します(-_-;)」
平泉寺ではこのような感じで、それも何故に御手洗池にいるの?
でも、私が全肯定したおかげか、帰りにはおじさんの姿はなかったです。
劔について。。。
糸生→織田→織田の一宮、劔神社
那谷寺→なたてら→金属のなたと呼ぶ、
谷だが、ここでは「タ」。
谷は「こく」ともよぶので、「なこくてら」でもいいのではないか。
こちらの11面観音は、雷山の観音さまによく似ていました。
しらやまひめ神社の近くの地名は鶴来(つるぎ)でした。本殿に入る前に、「手取川」と書かれた看板があり、この白山からの源流が手取川に注がれているとのことです。手取川は、白い岩肌であり、水はエメラルドグリーンでした。手取と言う名前から、熊本の「手取神社」を思い出していました。
参道途中に、琵琶の瀧がありました。
伊弉諾・伊弉冉をお祀りしています。
という事は、滋賀彦根の多賀大社と似たような感じでした。
一番気になりましたのは、麻の葉紋考察で私が参考にした紋章と同じものが社紋になっていました。
麻の葉紋はこの旅で、結構目につきました。
劔や鉈が金属の「北斗七星」をあらわすのかなぁとは思いました。熱田神宮の剣と関係あるのかどうか?
虚空蔵山の四山神社と同じように、菅生石部神社は稲荷社にて鳥居が小さいのが4つありました。
それは、舟津神社でも鳥居が沢山あり、似た雰囲気を感じました。7115