道君首名公が造った熊本の味生池に悪龍が住み着き
この龍を真言宗の弘法大師空海が亡ぼしたという伝承がある。
この際に頭は今の龍角寺石碑のあたりに落ち
胴は今のヤマダ電機からヒライ工場あたりの
七色蛇畑に落ちたということだ。
七色蛇畑では七種類の穀物を育てる限りは
いつも豊作になると言われている。
また20140426に吉田比呂子さまからの情報で
以前「池の上小学校」の授業で地元の伝説を調べた事があり、
当時地元のどちらかの神社で
「谷尾崎は龍の尾が落ちたからこういう地名になった」と
説明がなされていたそうである。
これで頭 胴 尻尾の落下位置が分かった。
独鈷山は天台宗系の寺があったということだが
戦前には独鈷山山頂にはこの龍の霊を鎮める為に
観音像が祀られていたそうである。
それとは別の伝承では天台宗の真澄が味生池の悪龍を改心させたという。
そしてそれ以来その龍は独鈷山の八王子神社より下には降りないで
衆生を救うと約束したそうである。
いわゆる悪龍伝承であるが、龍の話はともかく
この地で真言宗と天台宗のしのぎ合いがあったことは間違いない。
また近くには綿津見神社で八大龍王神を祭る神社もある。
八大龍王神は水霊である水龍であり
綿津見神は海神であるとすると龍蛇神という違いが気になるが
実際にいくつもの神社で混同されていて区別は意味をなさなくなっている。
※参照資料として
慈眼寺 (上勝町)のウイキペディア情報より
寺伝によれば平安時代初期の延暦年間(782年 - 805年)四国を巡錫中の空海(弘法大師)が、
邪気の漂う不思議な鍾乳洞を発見した。
洞窟の入口で数日間、加持祈祷を行ったところ悪龍が洞窟より出て空海を襲った。
空海は法力で悪龍を洞窟の壁に封じ込めた。
また、十一面観音を刻んで洞窟の前に堂宇を建立し安置した。
これが慈眼寺の開創と伝えられている。
第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺
寺伝によれば、大宝年間(701-704)役小角が小岳修行のため庵を結んだのが始まりで、
のち、弘仁六年(八一五)、弘法大師がこの山に
悪龍(大蛇)が棲んでいて、
人や農作物に火を吐いて苦しめているのを知った。
大師が開山のために登って来られると、悪龍(大蛇)はこれを阻もうと満山を火の海としたが、
大師が摩慮の印(水輪の意)を結び、真言を通して登り賜うと火は衰えていき
悪龍の激しい抵抗にも
虚空蔵菩薩(四尺五寸)と三面大黒天の加護によって
最後には悪龍を岩窟に封じこめてしまわれたといわれている。
ここの岩頭に空海自ら三面大黒天を刻み安置して
被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈ったという。
※この独鈷山の悪龍伝承の続編は
『肥後の志水甚吾の雨龍鎮護と独鈷山 No303』にて公開している。
この龍を真言宗の弘法大師空海が亡ぼしたという伝承がある。
この際に頭は今の龍角寺石碑のあたりに落ち
胴は今のヤマダ電機からヒライ工場あたりの
七色蛇畑に落ちたということだ。
七色蛇畑では七種類の穀物を育てる限りは
いつも豊作になると言われている。
また20140426に吉田比呂子さまからの情報で
以前「池の上小学校」の授業で地元の伝説を調べた事があり、
当時地元のどちらかの神社で
「谷尾崎は龍の尾が落ちたからこういう地名になった」と
説明がなされていたそうである。
これで頭 胴 尻尾の落下位置が分かった。
独鈷山は天台宗系の寺があったということだが
戦前には独鈷山山頂にはこの龍の霊を鎮める為に
観音像が祀られていたそうである。
それとは別の伝承では天台宗の真澄が味生池の悪龍を改心させたという。
そしてそれ以来その龍は独鈷山の八王子神社より下には降りないで
衆生を救うと約束したそうである。
いわゆる悪龍伝承であるが、龍の話はともかく
この地で真言宗と天台宗のしのぎ合いがあったことは間違いない。
また近くには綿津見神社で八大龍王神を祭る神社もある。
八大龍王神は水霊である水龍であり
綿津見神は海神であるとすると龍蛇神という違いが気になるが
実際にいくつもの神社で混同されていて区別は意味をなさなくなっている。
※参照資料として
慈眼寺 (上勝町)のウイキペディア情報より
寺伝によれば平安時代初期の延暦年間(782年 - 805年)四国を巡錫中の空海(弘法大師)が、
邪気の漂う不思議な鍾乳洞を発見した。
洞窟の入口で数日間、加持祈祷を行ったところ悪龍が洞窟より出て空海を襲った。
空海は法力で悪龍を洞窟の壁に封じ込めた。
また、十一面観音を刻んで洞窟の前に堂宇を建立し安置した。
これが慈眼寺の開創と伝えられている。
第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺
寺伝によれば、大宝年間(701-704)役小角が小岳修行のため庵を結んだのが始まりで、
のち、弘仁六年(八一五)、弘法大師がこの山に
悪龍(大蛇)が棲んでいて、
人や農作物に火を吐いて苦しめているのを知った。
大師が開山のために登って来られると、悪龍(大蛇)はこれを阻もうと満山を火の海としたが、
大師が摩慮の印(水輪の意)を結び、真言を通して登り賜うと火は衰えていき
悪龍の激しい抵抗にも
虚空蔵菩薩(四尺五寸)と三面大黒天の加護によって
最後には悪龍を岩窟に封じこめてしまわれたといわれている。
ここの岩頭に空海自ら三面大黒天を刻み安置して
被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈ったという。
※この独鈷山の悪龍伝承の続編は
『肥後の志水甚吾の雨龍鎮護と独鈷山 No303』にて公開している。