yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

1997年のモロッコの旅で見聞したメディナの住居、クサールの新旧住居、カスバの住まい、遊牧民のテントを総集

2017年09月12日 | studywork

1999 「モロッコの風土と住まい」 民俗建築誌116号

 1997年12月にモロッコを訪ねた。
 その年の初めにエジプト訪問を計画したが、テロ事件が発生し、日本人を含む大勢が犠牲になった。テロ再発に危険もあり、厳戒態勢が敷かれ行動が自由にならないとの情報もあって、旅行社も延期を提案してきた。
 1994年にスペインツアーに参加し、イスラム建築とキリスト建築の相克・融合に圧倒された。
 1995年、イスラム建築を実感しようとトルコを旅した。
 隣国のエジプトに関心が向いたが、テロで延期、ならば、北アフリカの西端に位置し、地中海を挟んでスペインと対峙し、アラブ人・イスラム教徒のイベリア半島上陸の本拠となったモロッコに注意が向いた。
 モロッコについての資料は少なく、ほとんど予習ができなかったが、気持ちの向いたときが好機である。
 日々、新鮮な感動を覚えた。
 旅行記は棚上げになったが、1998年、建築学会に「モロッコの中庭式住宅の住み方と現代化」を報告、1999年、民俗建築学会に「モロッコの風土と住まい」の梗概を発表した。
 それぞれ2ページである。
 その両者をまとめ、詳細を加えて10ページとし、民俗建築誌に投稿したのが、表題「モロッコの風土と住まい」である。

 歴史的に見れば、移動用テントが先住民ベルベル人の原初的な居住形態で、定住にともなう日干しレンガなどを用いた住宅がつくられたと推測できるが、テントから中庭式住宅への移行は今回の調査では関連は見つけがたい。メディナやクサール、カスバなどの都市・村落の形成がアラブイスラムの進出にともなうものであることから、中庭式住宅の成立はアラブイスラムの住文化の影響と考えるのが順当であろう。
 アイトベンハドゥの一室住居とメディナ、クサールの中庭式住宅の相関もうかがいにくい。アイトベンハッドゥは交易・防衛・高密が背景にあり、特殊な居住形態で、規定要因がない場合には中庭を囲んだ居住形態が志向されると考えられる。2000人規模の街が5世帯に減少している事実がこれを裏付ける。
 アイトベンハッドゥ、ワルザザード、エルフードともにサハラ砂漠側に立地するが、移動用のテントでは布地の遮熱性と通風により酷暑に耐え、定住住居では60cmもの土厚で被覆して遮熱する。カスバ、クサールともに外周を土塀・土壁で囲うが、これも砂漠の熱砂を防ぐ効果が高い。さらに住居単位でも外壁を閉じ、前庭・中庭を通風採光空間としているが、これも熱風を防ぐための必然のデザインと考えられる。
 メディナ・クサールの中庭式住宅は、外周を閉じる壁とその内側に井桁状に配置される壁によって平面の構造が確定し、外周壁と井桁壁のあいだに部屋が配列される。生活は内側に残された中庭を介して結びつき、中庭によって採光通風を確保する住み方を基本にする。メディナのような高密集居では、集密条件によって外周壁と井桁壁との構成が変形するが、2階に平面が重ねられて空間量が確保される。 現代化の特徴として中庭の室内化をあげることができるが、これから広間への志向と室内化を裏付ける採光通風の人工化がうかがえる。さらに、新築住宅から、広間の重視と採光通風を外周壁によって確保しようとする志向をうかがうことができる。この志向が普及すると、中庭は室内化された広間に変わり、中庭を介した家族の結びつきを基本とする住み方が変質する可能性があると考えられる。
 テントでは男・女の空間分節、メディナ、クサールの中庭式住宅では男性用客室と家族室などの空間分節が見られており、男女の分節が社会通念として根強いことをうかがわせる。一方、新築住宅のように空間分節に変化も生じ始めている。現代化の進行によって男女の分節が弱まり、家族重視がいっそう進むと予想される。

 モロッコの建築について関心のある方はホームページを参照されたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1999 モロッコで砂漠のテン... | トップ | 富山県砺波平野ではアルプス... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

studywork」カテゴリの最新記事