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2007.2 中国・青島の歴史街区調査2日目・3日目=ゼツェッションの名残を残す青島駅から徳国公寓、徳国領事館など

2017年10月16日 | studywork

  2007.2 中国・青島の歴史街区調査2日目・駅前~湖南路へ

 2007年2月24日、中山路を桟橋まで下ったので一区切り、昼食を青島駅近くで取ることにして、中山路を湖南路まで戻り、西に折れて、駅に向かう。右手の東菜銀行1923を見てさらに進むと、駅前広場に出る。駅前はすでに高層ビルが建ち並んでいるが、さらに再開発が展開している。資料に記載されていたいくつかの建物は取り壊されてもうない。かろうじて青島駅=青島火車站1901(写真)がゼツェッションのスタイルをそのまま残していて、およそ100年前にドイツがここ青島に都市を形づくったことをしのばせる。

 駅前広場を見回すと、味千ラーメン、好一家の字が目に飛び込む。どちらも衛生的な感じである。海外では食の安全は気になるし、そのためにも衛生的な店がいい。今回はうどんを食べることにして、好一家に入る。10~15元=200円前後なので我々には高くないが、通訳をつとめる学生はちょっと高いという。

 食事を終え、駅前広場南の車站飯店1913(写真)、海沿いの礼和商業大楼1902を見る。前者はホテル、後者は商業ビル(貿易?)であり、青島駅周辺にも一定の都市整備があったであろうことをうかがわせるが、桟橋から東のドイツ人居住区に比べ、現存する歴史建築は少ない。駅周辺の再開発のためと考えられる。
 駅から広西路を東に進むが歴史建築は見つからず、中山路をこえてから広西路の一本北の湖南路を東に向かう。浙江路の角に鉄路小学校1900が建つ。向かいには鉄路住宅とされる集合住宅が建つが、確証無し。東に進み、安徽路の角に住宅1904、向かいに100年前?の住宅、徳国公寓1903などが建つ。住宅地として整備が進んだことをうかがわせる。

 さらに進んで、徳県路手前に膠奥帝国法院1914(写真)が建つ。徳県路の北は総督府1906で、湖南路のこの先には領事館などが建ち並ぶ。政治の中心をイメージした都市計画が目指されたようだ。総督府はやや高台に建ち、湖南路あたりから見上げる位置になる。100年前ごろは、青島湾についた船上から、総督府の居丈だけしい重厚な総督府が目にできたのではないだろうか。いまでも総督府正面から青島路が海へ一直線にのびていて、海への視界が確保されている。法院の向かいは開治酒店1913であった。


 時間は14時半、かなり歩いたし、日がかげってきたので、資料整理をすることにした。太平路に出て、泛海名人酒店向かいからバスに乗る。今回のホテルは新市街・ジャスコのバス停に近いので、分かりやすい。しかも1元と安い。2階だてバスに乗り込む。2階は頭を下げないと天井にぶつかるが、見晴らしはいい。30分ほどでジャスコにつく。ジャスコには、スターバックスも入っている。コーヒーを飲みながら、資料を確認、部屋に戻って資料をパソコンに入力し、今日の作業は終了である。

中国・青島の歴史街区調査3日目・太平路~広西路
 2007年2月25日、今日はだいぶ暖かい、9時にホテルを出て、バスで旧市街・泛海名人酒店前のバス停に向かう。
ここから、太平路を東に進むことにした。泛海名人酒店の並びに徳華銀行1901が建つ。かなり痛みがひどい。さらに東に、山東鉱務公司1902(写真)が建つ。ざっくり砕いた石積みや左右非対称の表現が特徴である。ドイツは青島進出で鉱物資源の掘削権を得ている。鉱務公司は鉱物取引の事務所であったと思えるが、お堅い仕事にもかかわらずゼツェッションの自由、斬新な表現を採り入れている。
 鉱務公司の先に坂井貞一邸1929(写真)が建つ。確証のある日本時代の建築は意外と少ないが、これはその一つである。いまは数家族が住宅にしている。その先に天后宮がある。現在の建物は1467年で、海の神様である媽祖を960-987にまつったのが始まりだそうだ。当時、このあたりが漁村であったことを裏付ける。さらに西隣が青島女中・二中1934で、このあたりで旧市街が終わりになる。そこで、常州路を北にのぼり、広西路を西に戻ることにした。

 まず総督府学校教学楼1906が建つ。現在は海軍で写真撮影禁止。江蘇路との交点にCooke邸1914、Marshall邸1914ほかが建つ。イギリス商人だったそうで、大勢の商社や商人が集まっていた証になる。さらに西に進むと、ドイツ時代らしい住宅が連続する。いずれも物証がないが、さらに西に、同じスタイルの徳国神甫姫宝璐1914(写真)が建つ。このあたりもドイツ人達の居住区として整備されたのではないかと考えられる。その先は総督府前の青島路で、徳国領事館1912が建つ。

ここで休憩、泛海名人酒店でコーヒーを飲みながら、資料を確認する。泛海名人酒店のコーヒーは25~30元なので、いかにここのコーヒーが高いか想像できよう。昔の兌換券を使っていたころの外国人料金を思い出させる。その分、味はいい。一息したら出発である。

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