1999 「モロッコの風土と住まい」 民俗建築学会大会
1 はじめに
アフリカの北西端に位置するモロッコは、アルジェリア、チュニジアとともにマグレブ(陽の沈む国)と呼ばれ、もともとベルベル人の暮らす土地であった。マグレブの地勢は、2000~4000mの山並みが東~西に続くアトラス山脈、その南側のサハラ砂漠、アトラス山脈の北側で地中海に面する平野に特徴づけられる。地勢的特徴は気候的特徴に一致し、生業形態を規定する。
ベルベル人はかつて半農・半遊牧を行っていたが、7世紀以降、アラブ・イスラムがマグレブにも侵攻し、当初はアラブ人によるイスラム国家、その後はベルベル人のイスラム国家が成立し、各地にメディナ、カスバ、クサールなどの都市・村落が形成された。
本稿は、1997年12月にモロッコを訪問した際に採取した住居のうち、エルフード郊外の遊牧民のテント住居、交易で栄えたカスバで世界遺産に登録されているアイトゥベンハドゥの住居、半農・半遊牧を営むワルザザード郊外のクサールの住居を紹介する。
2 テント住居
エルフードは、アトラス山脈の南、サハラ砂漠の入口に位置するオアシス都市である。ここから車でおよそ1時間ほど走って砂漠に入ると、遊牧民のテント住居に出会える。図はその概略図で、奥行きはおよそ4m、長さはおよそ8m、高さは2m強であった。テントの北側は手前にも目隠しとなるテントが回り込んでいて内部は見えないが、子どもが出入りしていて、女性空間であることをうかがわせる。テントの南側・手前は高さ1mほどが開放されており、じゅうたんに座った主人がミントティーを振る舞ってくれてこちら側が男性空間であることをうかがわせる。テントは焦げ茶色の布地で、中央部を2本の柱で支え、東西端に3本の脇柱を立て、南北端に7ヶ所の杭を打ち込んでここに張り綱をかけ、テントを構成する。夜具、衣類などは2本の支柱あたりに積まれ、男性空間と女性空間を視覚的にも分けている。「天幕」によれば、ベルベル人は円陣を組むように一族でテントを並べるとある。
今回のテントは単独であったが、テント住居の基本は「天幕」に共通する。
3 カスバの住居
カスバのもともとの意味は穀物倉をもった支配階級の城塞、要塞のことで、周囲に堅固な土壁が築かれる。一方、クサールは要塞化された村のことで、もともとは村人共有の穀物倉を指し、周囲に堅固な土壁が巡らされた。結果として両者は類似する特徴をもち、外観からは判別できないことが多い。アイトゥベンハドゥはアトラスの南斜面を流れるメラ川沿いにクサールとして形成された要塞だが、サハラ砂漠を経由する交易の拠点として栄え、一時は2000人ものベルベル人が住んだといわれる。そのため強固な土の城壁が造られ、見張り台を兼ねた塔が立ち、城塞化されており、本稿ではカスバに分類した。現在は5世帯しか住んでおらず、崩れ落ちている住居も見られる。図2はそのうちの一戸で、幅11mほど、奥行き3m弱で、入口は木製扉、向かいの壁に通風・採光の穴が二つ開いている。入った右側にプロパンのコンロと水がめ、小さな丸テーブルがあり、壁に鍋やビンが並ぶ。左手にはカーペットが敷かれ、奥に毛布などが丸めておいてあって、入口を境に一室住居の右手を炊事・食事、左手を就寝空間に分けている。壁厚は60cm強の日干しレンガ、天井スラブは細い丸太の上に細竹を渡して土をのせた造りで、室内を囲う6面が厚い土造となっており、遮熱性は高い。入口手前の小さな前庭には小ヤギがつながれていて、放牧をうかがわせる。
4 クサールの住居
ワルザザードはアトラス山脈の南、標高1100mに位置する。この郊外のベルベル人の集落クサールで訪ねた民家は、南側の家畜場とともに、四方は窓のない3~4mの土壁・土塀で囲われている。土壁は厚さ60cmほどで、外は土のまま、中庭側は赤茶系、寝室などは白色系の漆喰仕上げである。天井スラブは細い丸太に竹を渡して土をかぶせた造りでアイトゥベンハドゥに共通し、遮熱性は高い。外の入口を入ると14×10mほどの前庭になり、さらに中入口を経てオリーブが植えられた中庭に至る。中庭はおよそ10×10mで、中庭に面して東側に寝室が二つ、北側に家族室と裏入口、倉庫、西側に客室、台所とモロッコ式トイレが並ぶ。寝室は北東隅が親夫婦用でベットとタンスなど、その南側が息子夫婦用で、マットとタンスなどが置かれている。台所は最近引かれた水道とコンロだけで、冷蔵庫は客室にある。入口-中庭-各部屋の構成で、中庭が通風採光空間と同時に各室の結節点となっている。前庭から西側にある囲いに入るとヤギが10数頭飼育されており、放牧であることをうかがわせる。
5 おわりに
歴史的に見れば、移動用テント住居が原初で、定住にともないカスバ、クサールが形成されたことになるが、テント住居から定住住居への移行は見つけがたい。定住がアラブイスラムの進出にともなうものであり、定住住居はアラブイスラムの文化移入と考えるのが順当であろう。アイトゥベンハドゥの一室住居とクサールの中庭型住居の相関もうかがいにくい。アイトゥベンハドゥは交易・防衛・高密が背景にあり、特殊な居住形態で、規定要因がない場合には中庭を囲んだ居住形態が志向されると考えられる。3事例ともサハラ砂漠側に立地するが、移動用のテントでは布地の遮熱性と通風により酷暑に耐え、定住住居では60cmもの土厚で被覆して遮熱する。カスバ、クサールともに外周を土塀・土壁で囲うが、これは砂漠の熱砂を防ぐ効果も高い。さらに住居単位でも外壁を閉じ、中庭を通風採光空間としているが、これも熱風を防ぐための必然のデザインと考えられる。 また、テント住居では男・女の空間分節が見られるが、アイトゥベンハドゥでは一室を炊事・食事と就寝に分節し、クサールではさらに部屋単位の機能分節が見られた。他の事例では中庭型住居でも男性用客室と家族室などの男女空間の分節が見られており、テント住居の男女空間の分節はイスラム教の考えを背景にすると考えられる。一室住居に対する中庭型住居は定住化にともなう住機能の充実が目指されたと結果であろう。
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