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2022.3野村万作狂言の世界「入間川」「隠狸」

2022年03月19日 | 旅行

埼玉を歩く>  2022.3 野村万作の「狂言の世界」 「入間川」「隠狸」

 さいたま市プラザノースでは毎年、ノース狂言会による「野村万作の狂言の世界」が開催される。「人間国宝・野村万作の魅力と650年続く伝統芸能・狂言の世界をわかりやすい解説付きで楽しめる」企画で、この企画に気づいてから毎年、窓口販売初日にチケットを購入し、観劇している。
 学校教育では能・狂言について不勉強だったし、いままでも観劇には消極的だったので、舞台構成、演者の所作、言葉づかいなどなどまだ学習中である。
 野村万作氏は1931年生まれで90歳になるが、声はマイクなしでも最後列に近い席の私にもよく届き、立ち居振る舞いも高齢を感じさせない。

 演目は「解説」に続く「入間川」と「隠狸」である。今年の解説は万作氏自身が右手の切戸から姿を現し、しずしずと舞台中央に出てきて正面を向いて正座、3歳4歳のころから祖父(五世野村万造)、父(六世野村万蔵)の指導を受けたことなどを話し始める。
 姿勢を正し、大きな声で先生の口まねをするのだが、厳しい稽古で、とくに父は厳しかったこと、外国で公演すると現在使われている外国語に翻訳された台詞がモニターに映されるが、日本では室町時代ごろの古語が伝統的に使われている、野村萬斎たちは新しい表現スタイルに挑戦している、台詞が現代日本語になり狂言も新しいスタイルになる時代が来るのも楽しみだが、伝統的な狂言も守りたい、狂言には美しさがある、気持ちが和む笑いを表現するのが狂言などなどを話し、スーと立ち上がり、切戸に退場する。拍手・・。
 
 最初の演目「入間川」は深田博治演ずる大名と月崎晴夫演ずる太郎冠者、岡聡史演ずる入間の何某によって演じられる。
 大名、太郎冠者、入間の何某が順に左奥の鏡の間に掛けられた揚幕から現れ、橋掛かりを渡り、本舞台の中央に大名、左に太郎冠者が立ち、右に入間の何某が正座する(狂言では正座をしている者は演技から消えていることを意味する)。
 大名が目の前に大きな川が流れていると話すと、太郎冠者が入間川と応える。大名が入間の何某に声を掛けると何某が立ち上がり(演技に参加し)、大名に川は深いと話す。大名は、入間の言葉は入間様といって逆さ言葉になっているから川は浅いと思って川に入り、深みはまってずぶ濡れになってしまう。

 怒った大名は、入間の何某なら入間様を使うはず、入間の者がここは深いというならば浅瀬のはず、大名をだまして濡れ鼠にさせた罪で成敗すると刀に手をかける。
 入間の何某は大名が入間様を持ち出したので、逆手にとって大名の「成敗する」と言ったのは逆さ言葉なので成敗しない意味になり、命を助けてくれなくて忝くない(かたじけなくない)と応える。

 ここから大名と何某の逆さ言葉の応酬になる。大名は逆さ言葉をおもしろがり、武士の命である刀を譲るわけにはいかない(逆さ言葉なので刀を譲るの意味)と話し、何某は刀を譲られても忝くない(逆さ言葉なのでありがたく頂戴する)と応える。
 ・・実際には古語の会話なので所々を聞き損ない、言葉を推し量っているうち会話は先に進むのでわかりにくいところもあった。演目解説に現代日本語の台詞を入れてくれると理解が早いと思う・・。

 大名は逆さ言葉をおもしろがり、着ている裃まで何某に与えてしまう。入間の何某が頂いた刀、裃などを持ち去ろうとしたので、大名が「入間様を除けて真実を言え」と話したのに、何某が「身に余って忝い」と応えてしまう。
 忝い(かたじけない)=ありがたく頂戴するは、逆さ言葉にすると頂戴したくないの意味になるので、大名は刀、裃などを取り返し橋掛かりに向かう。太郎冠者が続き、追いかけるように入間の何某が続いて3人が揚幕に消える。拍手・・。
 他愛ないやりとりだが、これが野村万作氏の言う気持ちが和む笑いであろう。

 休憩ののち、野村万作演ずる主と野村遼太演ずる太郎冠者の「隠狸」が始まる。野村遼太は1991年生まれの万作氏の外孫(野村萬斎の甥)で、早くから祖父=万作氏に師事、4歳で初舞台を踏んだそうだ。
 揚幕から主=祖父万作、続いて太郎冠者=孫遼太が現れ、橋掛かりを渡り、主は本舞台右に正座する。太郎冠者は中央に立ち、日ごろ主に隠れて狸を釣って(=捕まえて)いて、今日も大狸を釣ったと言いながらかわいい狸のぬいぐるみを披露する。

 主が立ち上がり(演技に参加)、(実は太郎冠者が狸を釣って売りさばいているのを知っていて)、太郎冠者に客を招いて狸汁を振る舞うので狸を釣ってきてくれと頼むが、太郎冠者は狸の釣り方も知らないとしらを切る。
 主はそれなら市場で狸を買ってくるよう太郎冠者に命じ、太郎冠者は捕まえた狸を隠しながら市場に行くと、様子を見に来た主に出くわす。

 狸を隠しながらうろたえる太郎冠者を横目に、主は酒を飲み始める。おいしそうに飲み終えた主は、太郎冠者に酒を勧める。主、太郎冠者、主、太郎冠者と酒を酌み交わすうち、主が太郎冠者に「兎」を舞えと命じる。序盤は腰に下げた狸を隠しながら舞うが、兎の舞では終盤に一回りしなければならないので、太郎冠者は主にあらぬ方向を指さして気を反らせた隙に一回りする。
 目を戻した主は太郎冠者に狸らしいもの見えたような気がすると話すと、酔いの回った太郎冠者は狸の捕まえ方を身振り手振りで説明し、あわてて聞いた話なのでしかとは存じません、と取り繕う。

 また酒を酌み交わし、今度は主が舞い始め、舞いながら太郎冠者の後ろをのぞこうとすると、太郎冠者は必死に狸を隠そうとする。ならばと主は二人で舞う連れ舞を命じ、ぐるりと回ったところで太郎冠者の腰から狸を取り上げてしまう。
 太郎冠者は南無三宝(=しまった)と言ってうろたえ、主が狸を持って橋掛かりに向かい、太郎冠者も追いかけて、二人が揚幕に消える。拍手・・。

 90歳の祖父と30歳の孫の息のあった掛け合いや舞を見ると、祖父の指導した芸を孫が見事に継いでいるように思えた。
 古語の知識や狂言の舞の知識があれば主と太郎冠者の軽妙な掛け合い、舞をもっと楽しく鑑賞できたかもしれないが、未熟ながら楽しい時間を過ごすことができ、気持ちが和んだ。  (2022.3)

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