よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

日光街道№5粕壁~杉戸~幸手(埼玉県春日部市~幸手市)

2019-05-30 17:50:40 | 奥州街道(日光街道)

№4からの続き)

小渕信号から4号線に沿って歩きます。左側には、「観音院」があります。この観音院には、芭蕉の「毛(も)のいへば唇寒し秋の風」の句碑があります。

意味は、「人の短所を言った後は、寒々とした気持ちに襲われる。」

  

不二山浄春院の寺標を過ぎると、杉戸町(北葛飾郡杉戸町)です。杉戸町は、この地は杉林が多かったことから、いつしか「杉の渡」といわれ、それが「杉戸町」になったそうです。

また、杉戸町は、北緯36度線上に位置しているので地球儀のモニュメントが建っていました。因みに36度線上の都市は、中国・チンタオ、アメリカ・ラスベカス、グランドキャニオン、イラン・テヘランなどです。

 

   

大作桃塢は、5代忠三郎、6代助右衛門(有隣・文蔚堂)、7代暢(桃塢・豊秋教舎)と、3代亙って南埼・北葛・東葛の子弟教育に尽力しました。内容は、論語・日本外史・十八史略・孟子・文章規範から詩賦にまで及び、

門下は2千名にも達しました。

  

九品寺(くほんじ)には、道標を兼ねた庚申塔「左日光」「右江戸」があります。天明4年(1784)堤根の住民42人が造りました。また、この道路の向かい側の高野家が立場茶屋を営んでいました。

  

馬頭院:慶安2年(1649)の中興で本尊は、伝教大師の作。明治になると新知学校に使われました。

  

4号線堤根の交差点から県道373号線に入ります。それと並行するように「みなみがわ散策道」というのがあります。農業用水路であった南側用水路の跡地を散策道にしたと説明文がありました。

サクラなどの樹が植えられており、散歩コースにはもってこいの場所でしょうね。

  

三本木の一里塚は、民家の生け垣の中に説明文があります。江戸日本橋より10里目。

万福寺には、六地蔵があり、明治になると本堂は、清地学校の仮校舎になりました。

 

三本木八幡神社:境内の手水石は、文政2年(1819)の建立。

  

杉戸町の中心部にやってきました。街道の右側には関口酒造があります。関口酒造が創業したのは1822年。その前、1670年の江戸時代から、別事業を豊嶋屋という名で始めていました。

現在のご主人は造り酒屋を始めて6代目、関口家の始まりからは14代目になります。歴史ある関口酒造の家屋は約120年前のものです。

 

杉戸宿は、江戸幕府が1616年(元和2年)に日光街道に設置した宿場です。日本橋から日光へと向かう間、21ある宿場の第5番目にあたります。 

杉戸宿は、江戸に近い方から新町、下町、中町、上町、河原組、横町から構成されていました。更には南隣に清地村、北側に九軒茶屋(茶屋組)があり、宿場と連続した町場を形成していました。

元々の日光街道は、上杉戸方面を古利根川に沿って北上し和戸橋付近で御成道と合流するルートでありましたが、1647年(正保四年)に現在のルートに付け替えられたと言われ、横町の形成は、

その後の1658年(万治元年)のことと言われています。(杉戸町HPより)

高札場は、2016年(平成28年)杉戸宿開設400年を記念して復元されました。

 

近津神社はには、元治元年(1864)建立の珍しい「見返り狛犬」がありました。

   

神明神社:杉戸宿新町北側の鎮守でした。

 

本陣跡地前の信号で本陣を探すが、見つからない。場所としては、三井信託銀行あたりかな?

 

  

漢方医虎屋跡は、現在とらや薬局になっていた。名主は、現在で言う村長で、年貢の徴収や宗門人別(戸籍)の取り扱い、代官からの通知を住民に周知することなど町政を司る役職をしていました。

鈴木小左衛門は、杉戸宿最後の名主でした。

 

 

 

渡辺金物店は、横町の名主渡辺家から分家となった先々代が創業したそうです。平成になって看板を降ろしました。

  

角穀屋跡:宿場の特徴の一つでもある町端の「枡型」。その道沿いに堂々たる風格を見せる古民家、「角穀」です。母家と蔵が並ぶ優美さは道行く人の心にひときわ刻み込まれてきたでしょう。

創業は、二代目小島定右衛門、屋号は枡形の通りの「角」にある米穀問屋を意味しています。

 

 

宝性院から日光方面にかけて電柱に赤いテープが貼られています。これは昭和22年(1947)のカスリーン台風で利根川の堤防が決壊し、一帯に浸水した水位を示しています。

ホンダの所で国道4号線と合流しました。この辺りから筑波山が見えるのですが、今日は曇ってみることができません。

  

厳島神社を過ぎます。茨島の一里塚は、山田うどんの駐車場内にありました。街道は幸手(さって)市に入りました。

  


                                                                                                                                             つづく


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