よっちゃんのおててつないで

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2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「茶畑と古墳群ウォーク」(福岡県八女郡広川町)

2022-05-17 04:08:18 | ウォーキング

5/15(日)は、くるめウォーキング協会の5月度例会「茶畑と古墳群ウォーク」に参加しました。

八女は、筑後川と矢部川に挟まれた所にあり、水がたくさんある土地なのでお茶の栽培が盛んです。山間部なので雨も多く、昼夜の寒暖差もあるため、お茶の栽培に適しています。

八女丘陵には4世紀から7世紀にかけて築造された古墳数が300基存在します。これらは、古代の北部九州に勢力を持っていた豪族「磐井」とその一族の墳墓と考えられています。

筑紫君磐井は、527年に「磐井の乱」を起こしました。日本はまだ統一国家ではなく、有力豪族が各地を治めていました。ヤマト(大王 継体天皇)と地方豪族は対等の関係でありながら上下関係にあり、九州の豪族たちは、朝鮮半島への進出をめざすヤマト王権から、人や食料を提供させられ、不満が高まっていきました。軍事・外交・内政すべてに自立し、財力も持つ磐井は、

ついに火の国、豊の国と力を合わせ、立ち上がりました(磐井の乱)。然し磐井は敗れ、この後に急速にヤマトの国家統一が進みました。

 

集合場所は、岩戸山歴史文化交流館。ここは、岩戸山古墳がある所です。参加者は、約30名。

 

9:30 ウォーキングスタート

 

 

岩戸山歴史文化交流館を出ると、一面の茶畑です。現在福岡県のお茶生産高では、全国第6位です。

 

八女はフルーツの産地でもあります。

  

九州道の高架橋を渡ると、古墳公園資料館です。ここで休憩します。

 

 

 

ここには、弘化谷古墳(こうかだにこふん)装飾古墳のレプリカが展示されています。

弘化谷(こうかだに)古墳は、昭和45(1970)年、果樹園造成の際に偶然発見された装飾古墳です。6世紀中頃に築造されました。高さ7m、直径約39mの大型円墳で、堤と濠を含めると

直径約55mにもなり、国指定史跡・八女古墳群の円墳中、最大級の大きさになります。石室の奥壁に設けられた石屋形(いしやがた)の壁画には、靫(ゆぎ)・円文(えんもん)・

連続三角文(れんぞくさんかくもん)・双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)といったモチーフが、赤色や石材の地色、線刻で表現されています。現在、4月・11月の第2日曜日に

一般公開されています。

  

古墳公園資料館から石人山古墳(せきじんさんこふん)に向かいます。

石人山古墳は、5世紀前半代に造られた八女地方最古の前方後円墳です。岩戸山古墳を生前に造った磐井の祖父の頃の墓と言われています。

横穴式石室に安置された家形石棺外面には重圏文(二重丸の文様)と直弧文などが浮き彫りされており、最古期の装飾古墳としても有名です。

また、墳丘には石室入口を背にして一体の武装石人が立っています。

 

 

この中に「武装石人」があります。

 

こちらは、家形石棺

 

石人山古墳から弘化谷古墳へ

 

弘化谷古墳など装飾古墳は、日本全国に600基あり、その半数以上が九州地方にあります。

 

弘化谷古墳を出るとまた、広大な茶畑です。

 

途中、梨の花の摘花作業が行われていました。

 

 

岩戸山へ向かいます。ここからは、少し上り坂です。

 

 

岩戸山古墳   国史跡内/前方後円墳=墳丘長約135メートル/後円部の高さ約18メートル 築造=6世紀前半
4~7世紀にかけての古墳300余り基からなる八女古墳群の一つで、九州北部における最大級の前方後円墳。日本の古墳は埋葬者が不明な場合がほとんどです。そんな中、この古墳は6世紀初め頃の

有力者であり、ヤマト王権に反乱した筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の墓だということが分かっている珍しいケースです。さて、出土品の円筒埴輪(はにわ)や、九州で特徴的に見られた

石製品(人物・動物・器財)などがあります。

 

 

11:57 スタート地点の岩戸山歴史文化交流館にゴールしました。

くるめウォーキング協会の例会には、初めての参加でしたが、歴史好きの私にとって大変楽しいウォーキングでした。機会があればまた参加したいです。

今日のGPSです。

 

 

 

 


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