アイ・ラブ みどり

逆境にもめげず、けなげに生きるみどり達がいとおしくてなりません。

ノイバラ

2019年05月21日 | うちの庭では

数年前、霞ヶ浦環境科学センターで、霞ヶ浦湖畔の植物を調査をしていた頃、棘のないノイバラを見つけ、挿し木したものです。ところが今は棘ができ、2メートル以上に成長し、無数の花をつけました。ノイバラの花は、前年の新梢から生じた脇梢の先端に咲きます。従って花後、今花を着けている枝を切り落とし、新たに生じてくる新梢を育てれば良いのです。花言葉は「無意識の美」です。

1996年から4年間石垣島に赴任しました。赴任した当初は、珊瑚石の石垣に囲まれた赤煉瓦の民家の町並みが、石垣市内にまだ残っていたのですが、どんどん取り壊され、近代的なプレハブ住宅や鉄筋コンクリート製のマンションなどに建て替えられてゆきました。観光ブームの波に乗り、内地の資本の商魂に身売りしてしまったのです。地元の「石垣人」は、近代化し、町が綺麗になったと喜ぶでしょうが、ヨソ者の私には、伝統的な町並みの方が情緒があり、よほど美しく感じたものです。

石垣島の伝統的町並みは、防風のため、屋敷林で取り囲み、どこにでもゴロゴロ転がっている珊瑚石を積み上げて防風石垣を積み、魔除けのシーサーを戴く赤煉瓦の住宅は、軒を低くして強風に耐えます。地元の材料と技術を使い、恐らく町名の由来となった「石垣島」特有の情緒が醸し出されていたのです。珊瑚と台風という沖縄特有の環境が作り上げた「無意識の美」そのものだったのではないでしょうか。

2000年以来、石垣島には行っていませんが、テレビで映される映像では、内地資本に侵略されて俗化し、説明がなければどこの町かと迷うばかりです。近代的な建材や建築技術が容易に使えるようになり、石垣や赤瓦の木造建築は消え失せ、台風にもびくともしない頑丈な鉄筋コンクリート製の建物に置き換わったのです。魔除けの神聖なシーサーも、屋根から門柱の上に移されてしまい、単なる装飾品となってしまいました。地元の人達は、内地並になってきたと自慢するかもしれませんが、最も大切な地域情緒を犠牲にしていることに気付かないのです。

同じことが土浦でも言えるのです。つくば万博85に便乗し、「無意識の美」であった水都の情緒を犠牲にして、全ての運河を埋め立て造成した土地を売って、経済的には一時的に潤いましたが、その後は衰退の一途を辿っているのです。土浦らしさを失い、何の変哲も無いのっぺらぼうの町に変貌し、もはや魅力や活力を振興する手立てはないのです。将来の復興の切り札とするため、せめて町の一角にでも、水都の情緒を保全しておくべきだったのではないでしょうか。

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