アイ・ラブ みどり

逆境にもめげず、けなげに生きるみどり達がいとおしくてなりません。

ヒャクニチソウ

2019年07月24日 | うちの庭では

今年はヒャクニチソウが、葉も草丈も大きく育ちました。日照不足で、レタスの幼苗は弱々しくみすぼらしいのですが、ヒャクニチソウには、むしろ幸いしたのでしょうか。園芸書によると、ヒャクニチソウは一年草または多年草とあり、保温してやれば越冬できるようです。この冬は試してみようと思います。ことによると、木本なのかもしれません。私の好奇心を刺激します。花言葉は「遠い友を想う」です。

私は冷淡な人間なのでしょうか。典型的転勤族で、別れを繰り返してきました。親しくなった人との別れは、その時は辛いと思うのですが、新任地で直ぐに友達ができるので、辛い思いで別れた旧友のことは、何時しか忘れてしまいます。転勤族だったので、親しくなったと云っても、付き合いは2~3年程度で、交際の度合いは軽いのかもしれません。私には「遠い友」より「近い友」のようです。

大災害が多くなり、長らく住み慣れた集落が破壊され、仮設住宅に一時避難する住民は本当に気の毒です。仮設住宅への入居は、平等を期するため抽選はやむを得ず、集落を支えてきた幼友達がバラバラにされてしまいます。旧集落の住民が力を合わせ、コミュニティーを復活する努力が求められますが、若者が流出してしまい、残された高齢者だけの力・財力だけでは、さぞ難しいことでしょう。災害を機に、子供達の許へ去る住民も多いのではないでしょうか。

転居・転校慣れし、幼友達が存在しない私は、「遠い友を思う」よりは、新しいコミュニティー作りに向かってしまうのです。悲しいことに、「遠い友」は「想い出の友」となり、「新しい友」の陰に薄れていってしまうのです。旧い絆に縛られない事をメリットに、伝統的な人脈重視のしきたりに目もくれず、自由奔放に活動してきました。マレーシアでは、研究者でありながら、カウンターパートに行政機関を選び、批判を浴びましたが、かえって現地でしか得られない貴重な情報に恵まれ、行き詰まった共同研究プロジェクトを成功に導きました。旧い人達には、「糸の切れた凧」視されましたが、ふわふわ浮遊していたわけではなく、座右言「今を一生懸命生きる」にしっかり根を下ろしていたのです。多様性のある人間の中には、こんなのもいても良いのではないでしょうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サルビア | トップ | ヤブミョウガ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

うちの庭では」カテゴリの最新記事