鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

満男連続出場へ

2008年06月25日 | Weblog

小笠原、ナビスコも天皇杯もACLも全部出る!…鹿島

ボール回しで内田(右)と競り合う小笠原
 約1か月中断していたJ1のリーグ戦が25日、再開する。6位につける鹿島の主将MF小笠原満男(29)は24日、最大で44試合にフルタイム出場する決意を表明。オズワルド・オリヴェイラ監督(57)は、後半戦は大会によって、先発を入れ替える考えを持っているが、全試合出場を直訴する。

 リーグ再開を前に、小笠原が一大決意を固めた。「休むつもりはないですよ。1試合も。疲れただの、暑いだの言っている選手を外していけばいい」リーグ戦、ナビスコ杯、天皇杯の国内3大会に加え、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)、クラブW杯を含めれば、今季は残り31週間で最大44試合を戦う。にもかかわらず「出続ける」と言い切った。

 鈴木満取締役強化部長によれば、オリヴェイラ監督は大会によって先発を多く入れ替える方針だという。ベンチにも力のある選手が控えるが、小笠原は「100%のパフォーマンスを毎試合やっていけば、監督も代えられないでしょ」と譲る気持ちは全くない。

 両太もも裏の肉離れも完全に癒え、中断期間には「もう走りたくない」というほど体力強化を図ってきた。日本代表の岡田監督がアジア最終予選の切り札として期待を寄せる中、強い代表復帰への思いはひとまず脇に置き「ここで頑張ることしか出来ないから」と話した。
(2008年6月25日06時01分  スポーツ報知)

そうは言っても無理矢理に休みを取る必要も出てくるであろう。
ある程度の休みは必要なのである。
また、満男はリヴァプールのベニテス監督とはソリが合わなそうである。
それもあるが、チューヤンと修人にも出場機会を与えて欲しい気持ちもあるのである。


篤人出場へ

2008年06月25日 | Weblog

鹿島・内田“無休”宣言!勢いで連覇へ導く
2008.6.25 05:05

日本代表のヒーローとなった内田が、休む間もなく、鹿島の一員として勝利を目指す【フォト】
 W杯アジア3次予選のため1カ月以上中断していたJリーグは25日に再開し、鹿島-大分、G大阪-京都の2試合を実施する。22日のバーレーン戦(埼玉)で決勝ヘッドを決めた日本代表の鹿島DF内田篤人(20)は“無休”を宣言し、中2日でピッチに立つ。日本代表を3次予選1位通過に導いた若武者が、今度はクラブを牽引(けんいん)する。

 決勝ヘッドで一躍、日本のヒーローとなって3日。20歳の若武者・内田が25日、今度は鹿島で主役の座に挑む。
 「疲れは、全然大丈夫です。休日? 腰を骨折して休んでいたので、オレはいらないです」
 24日に鹿嶋市内で行われた練習でチームに合流後、力強く“無休”を宣言した。4月に第三腰椎横突起を骨折し、1カ月近く離脱。その苦い思いがまだ記憶に新しいだけに、休むつもりはない。この日も精力的に体を動かし、チームに即合流して大分戦に備えた。

 知る人ぞ知る選手から、一夜で日本中が注目する存在になっていた。22日のバーレーン戦で、0-0で迎えた後半44分50秒、劇的な決勝ヘッド。だが、W杯予選の日本人最年少ゴールにも浮かれるつもりはない。高くバウンドして、ゴールに吸い込まれる得点に、この日も「きれいなゴールじゃないので」とあまり取り合わなかった。

 しかし、鹿島から唯一の代表招集だった内田のゴールは、チームには大きな刺激となった。「弟みたいなもの。うれしさはある」。DF岩政は表情を緩ませる一方で、「ボクも負けていられない。(内田は)そういう存在です」とライバル意識をあらわにした。代表経験のある選手たちは、みな同じ思いだという。
 「(良いプレーを)試合で出せて、初めて代表から何か持ち帰ったといえる。口でいうのは、いくらでもできるけど」

 オリベイラ監督からは「ヘディングを練習しておいてよかったね」と声をかけられたという内田自身も、気を引き締めるのを忘れない。中断前、リーグ戦で4分け3敗と苦しみ、暫定6位の鹿島。岡田ジャパンの救世主が、昨季終盤に9連勝で王者に登りつめたクラブを黄金期へと導くため、休む間もなく出陣する。
(峯岸弘行)

内田無休宣言!代表も五輪もJも出る

バーレーン戦の疲れも見せず、25日の大分戦へ向け笑顔で練習する鹿島・内田
Photo By スポニチ

 W杯アジア3次予選のため一時中断していたJリーグは25日、未消化分の第11節・鹿島―大分、G大阪―京都の2試合を皮切りに再開する。鹿島は22日の同予選バーレーン戦で幸運な決勝ゴールを決めたDF内田篤人(20)が中2日で強行出場。日本を1位通過に導いた男が、疲れた体にムチを打って今度は鹿島をV争いへと導く。

 今が旬のラッキーボーイが休息を拒んだ。バーレーンとの激闘から中2日。後半45分の幸運なヘディングシュートで日本を1位通過に導いた内田が、今度は鹿島を上位に押し上げるために強行出場することを決めた。
 「疲労は全然ないです。みんなも合宿きつかったみたいだし、僕は腰を折って休んだから休みはもう別にいいです」
 日本代表として、しゃく熱のオマーンやタイでのアウェー戦を含め約1カ月もの間、W杯3次予選を戦い続けた。疲れてないはずはない。それでもチームに恩返ししたい強い気持ちが異例の“無休宣言”につながった。4月9日のACL北京国安(中国)との一戦で相手選手に背中を蹴られ右第3腰つい横突起を骨折。リハビリ生活を余儀なくされた。その間、チームはリーグ戦とACLが重なる過密日程を懸命に戦った。負傷が完治した今こそ、迷惑をかけた仲間に借りを返すつもりだ。

 この日はパス回しやセットプレー確認などで汗を流し、表情は終始リラックスしていた。日本代表ではMF中村らと積極的にコミュニケーションを取っており、右サイドバックとして多くの経験や新たな感覚、課題などを得た。だが、具体的な収穫の内容についてはあえて明言を避けた。「口で言うのはいくらでもできる。試合で出して初めて(代表から何かを)持ち帰ったといえる」。あくまでもプレーで成長した姿を示す覚悟だ。

 8月の北京五輪でU―23日本代表として活躍することはもちろん、さらにスケールの大きな選手への飛躍も期待される。A代表も五輪代表もJリーグも、今は1分1秒たりとも無駄にはできない。急成長真っ最中の若武者は、さらなるレベルアップを求めてひたすら走り続ける。
[ 2008年06月25日 ]

内田、25日・大分戦スタメン確実…鹿島
 鹿島DF内田篤人が25日の大分戦で先発することが確実になった。日本代表のアジア3次予選バーレーン戦(22日)から中2日での試合になるが、「疲れはない。よく食べて、よく寝ていますから」と元気。同戦での代表初得点についてオリヴェイラ監督から「ヘディングの練習をしておいて良かったね」と声をかけられ、「鹿島でも勝利に貢献したい」と意気込んだ。
(2008年6月25日06時01分  スポーツ報知)

連日の篤人報道である。
代表効果は大きいと言わざるを得ない。
どうにか田代と岩政も代表へ復帰させたいものである。
そして興梠の選出も願いたい。
ところで、無休宣言であるが、今始まったことではない。
篤人は去年のU-20ワールドカップ後も即ナビスコ杯広島戦に先発したし、10月にはU-23との掛け持ちにも若いから大丈夫というオリヴェイラ監督の太鼓判もあった。
特に問題は無いと思われる。
どちらかと言えば、試合のある鹿島とガンバの選手を意味のない消化試合に起用した岡田氏の方に問題があるとしか言いようがない。
しかしながら、我等は懐大きく許容しようではないか。


報知の小笠原代表復帰記事たびたび

2008年06月24日 | Weblog

岡田ジャパン 最終予選へ小笠原招集…7月28日ミニ合宿から
 日本代表の岡田武史監督(51)が2010年南アフリカW杯アジア最終予選(9月6日~)で、鹿島MF小笠原満男(29)を招集することが23日、確実になった。5月末から続いたキリン杯、アジア3次予選4連戦の計6試合は両足太ももの状態を考慮して、最終予選をにらんで温存したことが判明。まずは7月28日から始まる代表候補ミニ合宿で招集し、最終予選へ向けてチーム力アップを図る。

 岡田監督は3次予選1位通過を決めた22日のバーレーン戦後、スタッフミーティングを開いて7月末のミニ合宿に向けた人選を行い、「新しい選手をJリーグの視察の中で入れるかもしれない」と示唆。岡田ジャパン初選出となる選手の招集について「あまり多くはない」と初選出組を呼ぶことを明言。その中に小笠原が入ることは、決定的だ。

 鹿島幹部によると、キリン杯、アジア3次予選のメンバーが発表された2日前の5月13日、岡田監督から直接電話で小笠原の招集要請を受けたという。当時、小笠原は強行日程の影響もあり、両足太もも裏は肉離れ寸前。強行招集も可能だったが、岡田監督は最終予選での招集を見据えて回避。コンディション回復を優先させたという。

 評価は変わらない。監督就任当初はオシム前監督のサッカーをベースとする方針から、小笠原を呼んでチームを再構築することは、時間的に難しかった。「オレ流」を宣言した3次予選前には、MF香川真司(C大阪)とともに初招集する考えを周囲に漏らしていたが、疲労により断念。体調さえ戻れば、招集を阻むものは何もない状況だ。

 小笠原も06年ドイツW杯以来となる日本代表復帰へ「戻ってやりたい」と声を大にする。心配されたコンディションも、5月末の11連休で順調に回復している。厳しい戦いが予想される最終予選。岡田監督は、現在の代表で闘う気持ちを持つ選手が少ないことを自認しており、小笠原の闘志あふれるプレーとキャプテンシーは必ずプラスに働くはずだ。

 ◆内田祝福メール殺到 ○…22日のバーレーン戦で、DFとして日本代表史上最年少得点記録を樹立したDF内田への祝福メールが殺到していることが23日、分かった。所属の鹿島によれば、通常の6倍に上るメールが寄せられており、そのほとんどが内田あてで、ゴールを祝福するものだったという。内田はこの日、25日の大分戦に備え、非公開で行われた練習に合流した。

 ◆岡田監督熱血講師もシュートミス披露… ○…岡田監督は23日、埼玉県内で行われた、契約するスポーツメーカー「アディダス」のサッカークリニックで講師を務めた。販売店の優秀な店員に、実戦を通してスパイクの特徴などを知ってもらうのが目的。約3時間のクリニックでは、熱血指導を展開。クロスボールに思い切って左足を振り抜き、シュートミスも披露した。27日にW杯アジア最終予選の組み合わせ抽選が行われるが、対戦国の分析などは「抽選が終わってから」と多くを語らなかった。
(2008年6月24日06時05分  スポーツ報知)

もういい加減にして欲しい報知の小笠原代表復帰記事である。
ガセの報知の面目躍如は不要である。


さわやか篤人

2008年06月24日 | Weblog
最年少弾・内田に“永久契約”オファー?
 22日のバーレーン戦で日本代表のW杯予選最年少ゴール(20歳87日)を決めた鹿島のDF内田が、チームの練習に合流して同僚から祝福された。昨年から内田をイメージキャラクターに起用する常陽銀行(本店・茨城県水戸市)では、6月上旬からボーナス商戦に向けて夏バージョンにポスターを一新。その矢先に記念すべきゴールが飛び出し、同行広報部では「さわやかさに期待したが、まさかここまでやるとは…」とビックリ。契約は今年で2年目だが「このままずっとやってもらいたい」と話した。
[ 2008年06月24日 ]

入団当初からスポットを浴び続けておる“スター”内田篤人に終生鹿島でやってもらえたらそれはとても嬉しいこと。
常陽銀行広報部もそう願っておろう。
しかしながら昨日の記事でも書いたことであるが、スターであり日本代表に選出され続ければ篤人不在の試合が必ず生じてくるのである。
その不安が我等を悩ませる。
篤人がアジアユースに出場しており、いなかっただけで獲れなかった2006年ナビスコ杯の記憶が生々しい。
あれから二年経っても穴は埋めきっておらぬことは明白である。
チューヤン、健太、當間、(新井場を右に回して)石神に託すしかないのである。
その中では、やはり、石神の攻撃力は群を抜いておるように思える。
特にダニーロとのコンビネーションは抜群で、並の選手では抑えることは不可能であろう。
左利き同士という特異な状況がもたらすハーモニーはJ屈指と言える。
ただ惜しむらくはダニーロ自身がサブでありセットで起用することが困難なことである。
日程が進めば、時代の最先端0TOPを試すやも知れぬ。
その際にはダニーロと石神が君臨する日に他ならないであろう。

篤人最年少得点記録更新

2008年06月23日 | Weblog

【2010 FIFAワールドカップ南アフリカ アジア3次予選 日本代表 vs バーレーン代表】試合終了後の内田篤人選手(鹿島)コメント [ J's GOAL ]
6月22日(日) 2010 FIFAワールドカップ南アフリカ アジア3次予選
日本代表 1 - 0 バーレーン代表 (19:20/埼玉/51,180人)
得点者:90' 内田篤人(日本)

●内田篤人選手(鹿島):
「狙った?って俊輔さんに聞かれたけど、狙ってないと答えました。狙ったわけではないです。ヘディングのシュートは記憶にない。今週練習でヘディングに時間を割いたので取れてよかった。首が太くなっていると思います。今日は左が上がれていたので右で無理することはないと思っていました。ミチ(安田)がこの舞台で行かないわけがないから。代表での手ごたえはまあまあ。色々やらせてもらっている感じです。

(得点シーンは)GKと誰かがぶつかればいいなと思って、間に落とそうと思ったんだけど、巻さんがよく走ってくれた(笑)。あれは俺の得点じゃなくて、巻さんの得点みたいなもの。中に入れた後すぐに戻ったので、点が入ったところを見ていなくて、最初は巻さんが入れたと思った。この試合は勝ちが結構重要だったから、どんなゴールであれ、入ってよかったなと思う。今日はミチ(安田)が左で入って、こういう舞台であいつが燃えないわけがないし、だから絶対ガツガツ行くと思ったので、俺はディフェンスだけでもいいかなというくらいの気持ちで前半はあんまり上がらなかった。カウンターも嫌だったし、左サイドで攻撃ができていたので、右は上がらずにという感じで。今日、守備はそこそこやれたかなと思っている。もう少し跳ね返せていれば楽だったけど。ヘディングは競りに行くというよりは、向こうがヘディングをさせないという感じできていたので、競るのは少し難しかった。雨でスリッピーで後ろに落としたくないというのもあって、(中澤)佑二さんと話し合いながらやった」
以上

DF内田奇跡の最年少ゴール/W杯予選

相手MF(左)と競り合いながらもヘディングでゴールを決める内田
<W杯アジア3次予選:日本1-0バーレーン>◇22日◇2組◇埼玉
 日本代表DF内田篤人(20=鹿島)が「奇跡のラッキーゴール」で岡田ジャパンを3次予選逆転首位突破に導いた。バーレーン戦はドローなら2位止まりだったが、0-0で迎えた後半44分45秒に相手のクリアボールをヘッドではね返すと、高いバウンドでGKの頭を越え、決勝弾となった。20歳87日での代表初ゴールは、日本のW杯予選史上最年少得点。アウェーで敗れた相手のリベンジに辛うじて成功。日本サッカーのプライドを守り、最終予選に向かう。

 内田はわずかな可能性を信じて飛び上がった。ロスタイム突入まで残り約15秒。「GKと誰かがぶつかれば」。相手のクリアをヘッドで前線にはね返す。山なりのボールがGK手前でワンバウンドし、さらにFW巻が突進。GKとDFのお見合いを誘って決勝弾が生まれた。

 序盤にPKを外した中村俊が「狙ったのか?」と駆け寄る。格好良くないことは内田自身が自覚していた。「誰か来てくれてよかった。1人じゃ恥ずかしい」と、はにかんだ。

 代表初得点でも羞恥(しゅうち)心は最後まで消えなかった。「代表でゴールを決めずに終わる選手もいる中で記録に残ったけど…」。だが内田は知らなかった。日本のサッカー史上、20歳87日でのW杯予選初得点は中田英寿が持つ20歳151日の最年少記録を更新。そしてその記録が生まれたのも11年前の6月22日だった。

 昨年から3世代で代表入り。オフもなく、クラブ、代表の往復で疲れ果てていた。2月のW杯予選タイ戦の1カ月後にはタイでACLを戦ったが「2月の試合ってタイが相手だっけ?」。目の前の試合を戦うことで精いっぱいだった。

 だがこの1カ月での代表生活で心も洗われた。初めて中村俊と会話し「ピッチを離れてもサッカーの話ばかり。本当に好きなんですね」。この日の決勝弾は中村俊から教わっていたヘディングだった。

 バーレーン戦には苦い思いもあった。3月のアウェー戦は先発落ち。試合3日前の紅白戦で降格を察知した。「自分は小学生からずっと試合に出続けてきたけど、試合に出ない人の気持ちが初めて分かった」。初心に立ち返らせてくれた相手からの決勝弾。「オレじゃなく走ってくれた巻さんのゴール。チームが勝ったことが大事です」。W杯本大会へはまだ長い道のりが待っている。若きサイドバックはラッキーゴールに浮かれることはない。【広重竜太郎】
 [2008年6月23日8時53分 紙面から]

内田が代表初得点!日本1位通過/W杯予選
2008.6.23 05:07

自分がヒーローでいいんスか!? 内田(右端)は中村俊輔に頭をなでなでされた(撮影・財満朝則)【フォト】
 サッカー2010年南アW杯アジア3次予選最終戦(22日、埼玉スタジアム)どうだ、参ったか、ワッハッハ。日本は試合終了間際の後半44分50秒、DF内田篤人(20)=鹿島=の代表初得点でバーレーンに1-0勝利。3次予選1位通過を果たした。内田のヘディングがワンバウンドし、GKを幻惑させた幸運なゴールながら、これぞ岡田武史監督(51)が求める勝利への執着心。9月6日開幕の最終予選へ、シメシメの締めくくりとなった。

 雨か。やけに大きな雨粒だな。あ、ボール!! シュート!? GKモハメドは目を白黒させたはずだ。終了間際、内田が頭で山なりのボールをゴール前へ送ると、競りかけたFW巻(千葉)とGKの間をボールがワンバウンドで抜け、ゴールに吸い込まれた。

 「巻さんは危険なところで競りかけてくる。相手GKと日本の選手が、ごちゃごちゃとなればいい」。代表初得点の内田は顔がくしゃくしゃ。神の手ならぬ真空ゴール? なんの、「代表で得点ができない選手もいる。もう少し、きれいな得点がよかったけど、1つゴールできたことはうれしい」と胸を張った。

 20歳のDFが代表に定着したのは昨年12月に岡田監督が就任してから。3次予選4連戦直前の5月は腰痛でチームと一緒に練習ができなかった。それでも外さなかった岡田監督に最高の恩返し。

 「監督に残れと言われて最後に働けた。本当に感謝している」とジーンときていた。

 指揮官も右手のこぶしで小雨を切り裂きガッツポーズ。「我々はどんな試合でも絶対に勝ちたい。うまくてスマートな選手たちがどうしても勝ちたい、という気持ちを見せてくれたのがうれしい」。試合後のロッカールームでは労をねぎらうミーティング。「執念を見せてくれてありがとう!! (今週再開の)Jリーグを頑張ってくれ。オレはEURO(欧州選手権のTV解説)に行くけど…」と軽口も飛び出すほど、快感に浸った。

 14日にタイ戦に勝利して最終予選進出決定。この試合は消化試合…のつもりはない。3月26日に0-1で敗れた雪辱戦。「自分のプライド、日本サッカーのプライドのためにも勝ちたい」と公言していたのだ。

 欧州、Jリーグでもまれた猛者が集まる代表。しかし、岡田監督は物足りなさを感じていた。「腹の底にあるものを呼び戻してほしい」。選手にはことあるごとに訴えた。5月24日のキリン杯・コートジボワール戦。ベンチ前でDF駒野(磐田)が激しいタックルを受けると、タックルを浴びせたMFエブエの肩を突き飛ばした。先陣を切って闘争心をむき出しにする51歳が、若いジャパンを引っ張っている。

 「まだまだこのチームは成長する」。意地の1位通過は、最終予選でグループ2位以内を争うことになる中東勢へ、何よりのプレッシャー。岡田ジャパンが実りの秋へ向かう。(林健太郎)

入っちゃった!内田“強運”最年少弾

<日本・バーレーン>後半45分、クリアボールを内田(左)が競ってゴール前に送ると、巻が相手GKめがけて飛び出し、ボールはそのままゴールへ
Photo By スポニチ

 「秘蔵っ子」が岡田ジャパンを1位突破に導いた。日本代表は22日、W杯アジア3次予選最終戦のバーレーン戦を行い、1―0で辛勝した。0―0で迎えた後半45分、相手クリアボールをDF内田篤人(20)が返したヘディングは、バウンド後にGKの頭上を越えるラッキーなゴール。20歳87日での国際Aマッチ初得点は、34年ぶりにW杯予選の最年少ゴール記録を塗り替えた。アウェーでの敗戦の雪辱をした日本は、勝ち点13で3次予選を首位で通過した。

 引き分けを覚悟した後半終了間際だった。MF中村憲が前線に上がっていた闘莉王に左からクロスを送る。競り合ったバーレーンDFのクリアボールの落下点にいたのが内田だった。ヘディングでゴール前に戻す。「巻さんが走っていたので、GKと誰かがぶつかればいいな…」。そう思いながら守備に戻ろうとゴールに背を向けた時、“事件”は起こった。

 途中出場のFW巻がジャンプしてプレッシャーをかけると、相手GKは味方DFとお見合いする格好になった。ボールはGKの前でワンバウンドしてゴールへ吸い込まれていく。20歳87日は、97年6月22日のW杯1次予選マカオ戦で中田英寿が記録した20歳151日を抜く、日本のW杯予選最年少ゴール。遠藤、中村から祝福され、岡田監督が派手なガッツポーズで喜ぶ。首位を呼び込む起死回生の決勝弾だった。

 「監督から何が何でも点を取れ、パワープレーでもいいと言われていた。ヘディング?Jではないし、高校でもあったかな?」。代表初ゴールは自身初のヘディングゴール。「代表でゴールできずにいる人もいる中で、記録に残ったことはいいことだけど…。恥ずかしい」としきりに照れた。

 名門・清水東高から06年に鹿島に入り、高卒ルーキーとしては史上初の開幕スタメンに抜てきされた。果敢なオーバーラップを仕掛ける攻撃的左サイドバックは岡田監督に注目される。今年、代表に初招集され、1月26日のチリ戦で代表デビュー。「岡田監督の申し子」とまで言われたが、3月26日、0―1で敗れたアウェーのバーレーン戦が転機になった。

 急きょ、3バックに変更したため、4バックしかできない内田はベンチ外。4月には第3腰椎(つい)突起骨折で離脱した。その間に代表に初招集された長友が5月のキリン杯で活躍し、ポジションを奪われた。その長友が右足首を痛め、オマーン、タイ遠征メンバーからを離脱。代わって再招集された時、岡田監督から「ほかにいないというのもある」と控え扱いされた。

 それでも、岡田監督からクロスを「合わせようと置きにいくな。お前らしくない」とゲキを飛ばされ、速いクロスボールの精度向上に努めてきた。「本当はゴールよりアシストしたかった」と漏らしたのも、ラッキーゴールではなく、本職のクロスで評価されたいからだ。「まずはメンバーに入ること」と最終予選に向けて話した内田は、ラッキーボーイで終わるつもりはない。
[ 2008年06月23日 ]

内田アッと驚くDF最年少弾…W杯アジア3次予選

代表初ゴールを決めた内田は、安田(右)に冷やかされた(手前は巻)
 ◆南アW杯アジア3次予選2組 日本1―0バーレーン(22日・埼玉スタジアム) 伏兵が首位突破に導いた。後半44分、DF内田が相手DFのクリアボールをヘディングでゴール前にパス。エリア外から放物線を描き、前進してきた相手GKをワンバウンドで越え、ゴールに転がり込んだ。「守備に戻ろうとした。ゴールは見ていない」歴史的瞬間を見逃すほど、予想もしなかった代表1号だった。

 20歳87日での国際AマッチDF登録の得点は、中沢佑二(当時V川崎)の21歳353日を更新する戦後史上最年少記録。Jリーグ発足後(93年)では、最年少得点記録となった。今からちょうど11年前の97年6月22日、中田英寿氏がマカオ戦で作った20歳151日を塗り替える記念日となった。

 鹿島の同僚、DF岩政大樹から教え込まれたパス。「DFが一番嫌な場所はGKとDFの間」と耳にタコができるほど言われた言葉。日ごろの意識が天を味方につけ、生涯得点1000得点以上を誇るペレが、狙っても実現できなかったエリア外からのヘディング一発。それを大人になったばかりの内田がやってのけた。

 第3腰椎(ようつい)横突起骨折が完治せず、辞退を申し出るつもりだった3次予選の4連戦。岡田監督に引き留められ、帯同を決意した。「記録を残せてよかった。あんなゴールで…。あっ、そんな言っちゃいけないですね」。何も知らない内田は恥ずかしそうに笑うだけだった。
(2008年6月23日06時01分  スポーツ報知)

報知に因ると篤人のヘディングは岩政仕込みとのこと。
ガセの多い報知故怪しい情報ではあるが、鹿島の選手だからこそ実ったゴールだと思うと非常に喜ばしい。
このゴールと完封で日本代表の右サイドに定着してしまう可能性が高くなったと言えよう。
素直に声援を送りたいところではあるが手放しでは喜べぬ。
やはり篤人不在時の右SB問題が解決しておらぬのである。
先日の負傷時はイノパンが務めておったが攻撃力低下は否めず、イノパン自身もCBの選手である。
笠井健太に至ってはまだまだ育成段階でトップ出場は難しいと言わざるを得ないのである。
當間は笠井健太にSBのポジションを奪われプレイ自体観たことがない。
彼等はこれからの選手であろう。
ここで登場するのが、チューヤンと言えよう。
篤人のように駆け上がるスピードはないが、試合の流れを読んでポジショニングを取り右サイドからゲームメイクをする力は天下一品である。
パスの出所が更に増えるため多彩な攻めが期待できよう。
篤人不在でも勝ち続けねばならぬ。
それが宿命なのである。


ユダ契約

2008年06月22日 | Weblog

中田浩二選手と正式契約を締結
鹿島アントラーズは本日、スイスリーグFCバーゼル所属の中田浩二選手と正式契約を締結しましたのでお知らせいたします。

本日16時より県立カシマサッカースタジアムのピッチ上にて行われた加入記者会見の席上、代表取締役社長・大東和美と中田選手が契約書にサインいたしました。今回の会見はアントラーズとしては初めてサポーターに公開し、約1200名のサポーターの前で行いました。

■中田浩二選手コメント
3年半ぶりに戻ってこられたこと、素晴らしいチームの一員となれたことを大変嬉しく思っています。もうすぐリーグ戦が再開されますが、チームは(国内)3冠とACLを狙える位置にいると思うので、貢献できるように初心に戻って頑張っていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします。

■中田浩二(なかた・こうじ)略歴
1979年7月9日、滋賀県生まれ。帝京高校から1998年鹿島アントラーズに加入。2005年1月にフランスリーグのマルセイユに移籍、2006年からFCバーゼルでプレー。前回アントラーズ所属時にリーグ3回(98、00、01)ナビスコカップ2回(00、02)天皇杯1回(00)、FCバーゼルでスイスリーグ1回(07)スイスカップ2回(07、08)の優勝を経験。J1リーグ通算144試合27得点。国際Aマッチ57試合2得点。

鹿島アントラーズ:中田浩二選手加入記者会見】中田浩二選手コメント [ J's GOAL ]
●中田浩二選手(鹿島):
「みなさん、ただいま。3年半ぶりですが、こうして鹿島に戻って来れたことを、そしてこのすばらしいチームの一員になれたことを大変嬉しく思います。チームは来週から、またリーグ戦が始まります。さっき社長が仰られたように、3冠・3つのタイトルと、ACLも今年はタイトルを狙える位置にいると思います。そのチームに貢献できるように、また初心に戻ってがんばっていきたいと思います。応援よろしくお願い致します」
Q:3年半ぶりのJリーグ復帰となりますが、いまのお気持ちをお聞かせ下さい。
「そうですね、本当にまたこうやって鹿島に戻って来れたこと、このピッチに帰って来れたことは、本当に嬉しく思っています」
Q:バーゼルから残留の誘いもあったということですが、鹿島復帰を決めた理由はなんだったのでしょうか?
「理由は本当にたくさんあるんですけど、言えることは僕が移籍したあとも鹿島は常にコンタクトを取ってくれたし、常に僕を必要としてくれました。今回、契約が切れるということでタイミング的にも良かったと思い決意しました」
Q:個人的にポジションの希望はあるのでしょうか?
「ポジションは監督が決めることなので、僕はこのポジションをやりたいというのはありませんし、監督が望むポジションで、チームが一番良い状態になるポジションでやることが一番だと思っています」
Q:背番号が「6」となりましたが。
「鹿島の6番というと、本田さんが付けてたもので、本当に鹿島を象徴するような選手が付けていたものなので、本当に重たい番号だと思います。自分にプレッシャーをかける意味においても、お客さんとして帰ってきたわけではありませんし、しっかりチームに貢献できるように、そして若手にいい刺激を、チームにもいい刺激を与えられるように6番を選びました」
Q:いまのチームの状態をどう見ていますか?また、そこにどうフィットしていこうと考えていらっしゃいますか?
「何試合か見ましたけれど、最近勝ってないということはありますが、そんなに状況は悪くないと思います。やってるサッカーも良いサッカーをしてると思います。ただ、ちょっとしたきっかけで、ACLとかの試合が続いて疲れとかもあるでしょうし、そういうところで勝ちきれなかった部分があると思います。そうしたところを、メンタルでうまくチームを導いて行ければいいと思います。チームもこの中断期間でリフレッシュできたと思いますし、これから良いスタートが切れると思います。そうなっていくようにやっていきたいと思います」
Q:スイスリーグで自分の力が伸びた部分を教えてください。
「一番言えることは、人間的に成長できたということです。それは文化や言葉が違うところで、ひとりで生活していったというのは大きいと思います。プレーとかっていうと、そんなに大して変わらないと思うんですけど、ただ1対1の部分では多少強くなれたと思いますし、ヨーロッパで3年半できたという自信や経験は、自分にとって一番の大きいものだと思います。そういったものを活かして行ければいいなと思ってます」
Q:怪我の状態はどうでしょうか?
「思ったより長引いてしまったのですが、来週あたりからはチームの練習に合流できると思います。そのへんは、監督・フィジカルコーチと話さなくちゃいけないのですが、7月に入ってからはいけるんじゃないかなという手応えはあります。本当に来週あたりからできるんじゃないかなと思っています」
以上

浩二が3年半ぶり鹿島復帰で公開契約
 鹿島に復帰したMF中田浩二が21日、カシマスタジアムで公開契約を結んだ。ソシオ会員を中心に1200人を集め、ピッチ上で契約書にサインし、背番号6を披露した。フランスリーグ・マルセイユ、スイスリーグ・バーゼルをへて3年半ぶりの復帰。中田は「このピッチに戻ってこれたことをうれしく思う。鹿島は常に僕を必要としてくれた。チームに刺激を与えられるように頑張ります」と話した。
 [2008年6月21日18時40分]

浩二公開契約、鹿島4冠&代表復帰へ意欲

背番号6を披露する鹿島MF中田浩二(撮影・盧載鎭)
 鹿島に3年半ぶりに復帰したMF中田浩二(28)が21日、代表復帰へ意欲を見せた。右ひざ痛が長引き、アジア3次予選中の日本代表招集は見送られたが「厳しい最終予選があるし、まずはケガをしっかり治して鹿島で結果残す」と、7月初旬の公式戦出場を目指す。この日はJでは初めて、カシマスタジアムでファン約1200人を前に公開契約を結んだ。2年半契約で年俸は7000万円(推定)。「国内3冠、ACL制覇を目指して、初心に戻って貢献できるようにしたい」と4冠獲得を宣言した。
 [2008年6月22日8時43分 紙面から]

中田浩二がファンの前で鹿島復帰会見
2008.6.22 05:02

中田浩二がファンの前で鹿島復帰会見
 スイスリーグ・バーゼルからJ1鹿島に復帰するMF中田浩二(28)が21日、カシマスタジアムで加入会見。ピッチで契約書にサインし、背番号は6に決定。1200人のファンに披露された。鹿島の6番といえば本田泰人氏(サンケイスポーツ専属評論家)が06年に現役引退して以来、国内公式戦では欠番。中田は「本田さんは鹿島を象徴する選手。重たい番号だけど、自分にプレッシャーをかける意味で選びました」と説明した。右ひざ痛はほぼ回復し、週明けには全体練習に合流予定。「もちろん代表にも戻りたい」と意欲を見せた。

ただいま鹿島!中田7・13復帰戦

公開入団会見を終え、鹿島の大東社長(右)と握手する中田浩二
Photo By スポニチ

 バーゼルから鹿島に復帰したMF中田浩二(28)の初戦が、7月13日のホームでのFC東京戦となることが有力となった。中田は21日、カシマスタジアムでクラブ初の公開入団会見に臨み、契約書にサイン。約1200人のサポーターが見守る中、背番号6のユニホームに袖を通し「ただいま。国内3冠やACLに貢献したい」と抱負を口にした。痛めていた右ひざ骨挫傷もようやく完治。来週から練習に合流するが「再発させないよう2週間はしっかり準備したい」とFC東京戦に照準を合わせた。

 3年半ぶりの古巣復帰で契約期間は2年6カ月。今月末で代理人との契約を解除し“生涯鹿島”を誓う。「代表にも呼ばれたいし、まずはチームで結果を残したい」。日本代表の岡田監督も注目する男がいよいよ始動する。
[ 2008年06月22日 ]

中田が鹿島と正式契約
 J1鹿島は21日、復帰が決まっているスイス1部バーゼルの元日本代表中田浩二(28)と正式契約を結んだと発表した。

 98年から04年まで鹿島でプレーした中田は、05年にマルセイユ(フランス)に移籍。06年からバーゼルでプレーした。中田は「3年半ぶりに戻ってこられたこと、すばらしいチームの一員になれたことをうれしく思う」と談話を発表。6月末までバーゼルとの契約が残っており、7月以降に鹿島の選手でピッチに立つ。
(2008年6月21日22時28分  スポーツ報知)

中田、代表戻りたい…鹿島公開入団会見で決意
 バーゼルから鹿島に復帰したDF中田浩二(28)が21日、カシマスタジアムで行われた公開入団会見に臨み、07年6月キリン杯以来となる日本代表復帰を目指す決意を明かした。「(代表に)戻りたい。これから最終予選と厳しい戦いになっていくし、まずは鹿島で結果を残して、地位を築きたい」と言い切った。

 5月のキリン杯では招集状を受けたが、右ひざ半月板の手術を受けた影響で辞退を余儀なくされた。現在もリハビリを続けており、来週には全体練習に合流、7月中旬に試合復帰する予定。順調に回復すれば、7月28日から始まる日本代表候補ミニ合宿への招集は確実だ。まずは同合宿参加を目指し、復帰への道を歩むことになる。

 国内で背負う番号は、ミスターアントラーズこと本田泰人氏が現役時代につけていた6番、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)では、5番に決定した。「重すぎる番号だけど、自分にプレッシャーをかける意味もあって、選んだ。番号を新しいものにしていきたい」と意気込んだ。
(2008年6月22日06時01分  スポーツ報知)

どこまで報知はガセを報じ続けるのか。
ユダは代表について全く触れておらぬ。
そんなことは全くしゃべらずに会見は終わったのである。
報知は自分たちがメディアであることを忘れているとしか思えぬ。
逆に公式に質問をしたサンスポには敬意を表したい。


練習試合 流通経済大学戦

2008年06月21日 | Weblog
1本目
    田代 マルキーニョス
  野沢      本山
   満男     青木
新井場 伊野波 岩政 チューヤン
      小澤

マルキーニョス、満男×2

田代の不調が気になる。

2本目
    興梠 よよ
 ダニーロ 誓志 小谷野
     修人
石神 伊野波 當間 健太
     杉山

興梠×3、ダニーロ

ダニーロはこのレベルでは別次元。
小谷野も実戦で見てみたい。
しかし、なんと言っても修人である。
こんな逸材であったとは!
ラーメン満男を食べてみたかった。

田邊涙目

2008年06月21日 | Weblog

中田“生涯鹿島”…代理人と契約解消、移籍封印
 バーゼルから鹿島に復帰するDF中田浩二(28)が、FIFA(国際サッカー連盟)公認代理人の田邊伸明氏との契約を6月末をもって更新しないことが20日、分かった。同氏に帰属していた肖像権などの権利を鹿島に戻し、新たな代理人とも契約しない。21日の正式契約、復帰会見を前に、鹿島に骨を埋める覚悟を決めた。

 2004年1月、鹿島との契約切れを待って、移籍金ゼロでフランス1部・マルセイユへ移籍。強行手段ともいえる手法が批判され、一部サポーターから「裏切り者」と呼ばれることもあった。だが、今後は代理人をつけないことで移籍を完全に封印。残りの選手生活を鹿島にささげる意向だ。

 実は海外でプレーしている間も、カシマスタジアムの年間シート200万円分を毎年購入していた。移籍金を残すことが出来なかった分、クラブの利益につながるよう、ポケットマネーから大枚をはたいていた。4年ぶりに復帰する古巣への恩返しに心血を注ぐ。
(2008年6月21日06時01分  スポーツ報知)

続々報じられるユダの鹿島報道である。
彼もイメージアップに躍起になっているとしかいいようがない。
それだけのことをしたのだから仕方のないところ。
とはいえ、努力は認めてあげたい。
寿命の短い選手生命の残りを鹿島に捧げ我等と共にあることを誓うというのであれば、それは喜ばしいことと思う。
しかし、それは選手として有能であってこそ。
やはり、プレイで見せる以外に道はないのである。


クロスで勝負せよ

2008年06月21日 | Weblog

内田、クロス&ミドル
 ◆南アW杯アジア3次予選 日本―バーレーン(22日・埼玉スタジアム) 20日の約1時間半の練習で日本代表DF内田篤人は、バーレーン戦で先発が確実な右サイドから低空クロスを繰り返した。力強いミドルシュートも放ち「サイドなんで、得点につなげたいなとは思う」。最後はDF駒野らほかのサイドバック陣とヘディング練習。「バーレーン対策と思うけど、はね返せばいいんで」と話した。
(2008年6月21日06時01分  スポーツ報知)

篤人のクロスは質が高い。
どうしても負傷中に代役で出場した伊野波のクロスと比べてしまう。
ただ、クロスの質ならば笠井健太も負けてはおらぬ。
PSM水戸戦で見せたクロスは光っておった。
もう一皮剥ければ出場相成るというもの。
期待せずにはおられないのである。


ユダ背番号継承か

2008年06月21日 | Weblog

鹿島復帰の浩二が伝統「6」継承
 鹿島MF中田浩二(28)がクラブ伝統の背番号6を継承することが20日、分かった。6番は元日本代表で06年に引退した本田泰人氏の代名詞の番号。引退後は空位となっていたが、クラブはバーゼル(スイス)から4シーズンぶりに復帰する中田に受け継がせることを決定。クラブ史上初めてカシマサッカースタジアムで一般公開される21日の入団記者会見で、新背番号をお披露目する予定。現在、中田は右ひざ痛のリハビリ中。当初見込まれていた7月初旬の公式戦出場はずれ込むことは確実な状況だが、光り輝く6番を背負って完全復活を目指す。
 [2008年6月21日8時0分 紙面から]

誰もが以前の背番号5を背負うと予想しておったが、クラブの決断は6とのこと。
確かに5番は裏切った番号であり印象が悪い。
ここはイメージを一新する意味もあるということであろう。
なんにせよ背番号でサッカーをするわけではない。
プレイでのみ我等に答えを見せてくれればそれでよいのである。
ただ、ACLはどうなるのか気になるところ。


東洋大戦

2008年06月19日 | Weblog

連係に課題残す
2008/06/19(木) 本紙朝刊 スポーツ A版 7頁
東洋大と練習試合
 Jリーグ1部(J1)鹿島は18日、クラブハウスグラウンドで東洋大と練習試合(50分×1、60分×1)をした。6-2(1本目4-2)で勝ったが、連係がうまくいかず、2失点したこともあり、25日から再開するリーグ戦へ向け、課題が残る試合となった。

 1本目の先発はGK小澤、DF笠井、伊野波、大岩、新井場、MF小笠原、青木、野沢、本山、FW田代、マルキーニョス。2本目はGK杉山、DF當間、中後、石神、MF鈴木、増田、ダニーロ、遠藤、FW興梠、佐々木のほか、センターバックにユースの選手が出場。

岩政は足首を痛め欠場、曽ケ端も出場しておらぬ。
そんな中で連携に課題を残すとは非常に不安である。
ただ、篤人、イノパンに続く第3の右SBに笠井健太が起用されたことは喜ばしい。
得点者は1本目、本山、マルキーニョス、田代、野沢、2本目は興梠、ダニーロ とのこと。
攻撃陣は好調である。
ところで2本目のCBはチューヤンとユースくんとのこと。
大道の穴が大きい。
それ以上に金古と後藤はどうなっておるのであろうか。
それこそ世界最大の謎である。


鹿島神宮清掃

2008年06月19日 | Weblog

謹慎中の鹿島大道、船山が鹿島神宮を清掃
 5月下旬に飲酒運転の不祥事を起こした鹿島MF大道広幸(20)、船山祐二(23)が18日、茨城県鹿嶋市内で奉仕活動を行った。今月いっぱいまで謹慎中の2人が活動を行うのは今回が初めて。午前8時前から鹿島神宮の参道などを、クラブスタッフ、宮司とともに約1時間半のほうき掛けで清掃した。

 船山は「自分たちの軽率な行動で、チームメートや鹿島に迷惑をかけ、サポーターも裏切った。信頼を取り戻せるように頑張る」と頭を下げた。大道は「人1倍、2倍、恩返ししないといけない」と声を震わせて、決意を示した。
 [2008年6月19日7時51分 紙面から]

鹿島・大道、船山が鹿島神宮を1時間清掃
2008.6.19 05:01
 酒気帯び運転で5月に摘発された鹿島MF大道と同乗のMF船山が18日、社会奉仕活動の一環として鹿島神宮の参道などを午前8時から約1時間かけて掃除した。チーム名の由来は、鹿島神宮で飼われているアントラー(鹿の枝角)ということもあり“原点”からの再出発。船山は「信頼されるのは難しいけど、またピッチに立ちたい」と話し、大道は「多くの人を裏切ってしまった。これから一生懸命がんばりたい」と声を震わせた。(鹿嶋市)

心もきれいに…酒気帯び選手が鹿島神宮清掃

鹿島神宮で清掃作業を行う船山(左)と大道
Photo By スポニチ

 酒気帯び運転で摘発された鹿島のMF大道広幸(20)と、車に同乗していたMF船山祐二(23)が社会奉仕活動を開始した。竹ぼうきを手に鹿島神宮の約300メートルの参道で約1時間、清掃作業を行った。大道は「きょうが初めてですけど、やっていくうちに自分の心も清掃できれば」と声を震わせ、黒く染め直した短髪姿の船山も「何カ月、何年先かは分からないけどピッチに立ちたい」と語った。2人にはクラブから謹慎処分が科されており、練習合流は来月から。同神宮では出場停止処分が明ける9月末まで週1回、社会奉仕活動を行う。
[ 2008年06月19日 ]

キャンプにも帯同できず練習にも参加でない二人が鹿島神宮の清掃を行い、自らの心も洗浄しようとしているとのこと。
心がけ一つでいくつもの見方が変わり、視野も広がってこよう。
我等も彼等の復帰を待ち望んでおる。
ただ、以前と変わらぬままでなく、新生大道・新生船山として。
ヱヴァンゲリオン新劇場版:序のように。


ユダ記者会見を行う

2008年06月17日 | Weblog

中田浩二選手の公開記者会見について
6月21日に県立カシマサッカースタジアムで行われる練習試合(vs流通経済大学)終了後、中田浩二選手の加入記者会見を行います。

練習試合をご観戦いただいた皆様にも、スタジアム内大型映像にて会見の模様をご覧いただけます。なお、当日はメインスタンドでイベントが開催される関係上、一般のサポーターの皆様にはバックスタンドのみ開放することになっております。

・日時 6月21日(土)
14時~ 練習試合vs流通経済大学
16時~ 中田浩二選手記者会見
 
・場所 県立カシマサッカースタジアム
    ※会見場所はスタジアム内を予定(天候に応じて決定します)

練習試合の後にユダが公開謝罪を行う模様。
しかしながら我等は言葉は信じぬ。
ユダはプレイでのみ答えを示すのだ。
それ以外にあの男を認めることは無かろう。


篤人の代表選出に思う

2008年06月16日 | Weblog

日本代表メンバーに内田選手が選出
本日、6月22日に行われる2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ アジア3次予選 vsバーレーン代表(埼玉)の日本代表メンバーが発表されました。

鹿島アントラーズからは、内田篤人選手が選出されました。

これで篤人が6月21日の練習試合流通経済大学戦に出場しないことが決定した。
普通に考えればイノパンが右SBを務めることとなるのであるが、北京五輪時期の代役を検討する上で他の者が抜擢される可能性も考えられる。
最も可能性が高いのが石神を左に起用し新井場を右に回すという案。
昨季も何度も使われた戦術である。
とはいえ、そろそろ笠井健太か當間建文に期待したいところである。
健太はアウェイのクルンタイバンク戦で途中出場し、守備では致命的なミスを犯すも攻撃力の片鱗を見せてくれた。
そろそろ花開いても良いのでは無かろうか。
また、當間は独特のキャラクターでチームに和みを与えておることばかりが伝えられ、本来のプレイは秘密兵器そのものである。
ここらで一発ブレイクして欲しいところ。
篤人・イノパンのいない五輪時期はチャンスなのである。
穴を埋めるのではなくポジションを奪い、チームの底上げを担ってもらいたい。
その伏線が土曜日の練習試合に張られるよう願って止まない。