鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

曽ケ端、負傷でスペシャルマッチを欠場

2012年07月18日 | Weblog
【東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチ】出場選手変更 [ Jリーグ ](12.07.18)
 7月21日(土)に県立カシマサッカースタジアムで開催する「東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチ」(Jリーグ TEAM AS ONE vs Jリーグ選抜)に出場する選手が変更となりましたのでお知らせいたします。

■東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチ 出場選手変更

◎出場を辞退した選手
曽ヶ端 準 選手(GK 鹿島アントラーズ)Jリーグ TEAM AS ONE

◎新たに選出された選手
飯倉 大樹 選手(GK 横浜F・マリノス)Jリーグ TEAM AS ONE
【プロフィール】1986年6月1日生まれ180cm/72kg
【背番号】1

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◎出場を辞退した選手
角田 誠 選手(DF ベガルタ仙台)Jリーグ TEAM AS ONE

代替選手なし

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◎出場を辞退した選手
関口 訓充 選手(MF ベガルタ仙台)Jリーグ TEAM AS ONE

◎新たに選出された選手
太田 吉彰 選手(MF ベガルタ仙台)Jリーグ TEAM AS ONE
【プロフィール】1983年6月11日生まれ175cm/68kg
【背番号】11

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◎新たに選出された選手
菅野 孝憲 選手(GK 柏レイソル)Jリーグ選抜
【プロフィール】1984年5月3日生まれ179cm/75kg
【背番号】33

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◎出場を辞退した選手
中村 憲剛 選手(MF 川崎フロンターレ)Jリーグ選抜★サポーター投票選出選手

◎新たに選出された選手
井川 祐輔 選手(DF 川崎フロンターレ)Jリーグ選抜
【プロフィール】1982年10月30日生まれ182cm/81kg
【背番号】14

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※辞退の理由:4選手ともケガのため


●出場にあたってのコメント

○飯倉 大樹選手
「東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチに出場することが出来て、大変光栄に思います。震災から1年以上が経ちますが、今もなお被災地では厳しい状況が続いています。この試合を通して被災者の方々に少しでも元気を届けられるように頑張ってプレーしたいと思います。」

○太田 吉彰選手
「東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチに選んでいただきありがとうございます。この試合を通して少しでも元気を届けられるようなプレーしたいと思います。」

○菅野 孝憲選手
「追加選出という形ですが、このような特別なイベントに参加させていただけることをとても光栄に思います。デルピエロ選手をはじめ、すばらしい選手と一緒にプレーできることが楽しみですし、自分は勝利にこだわるプレーや試合をお見せしたいです。またスタジアムに集まるサポーターの皆さんとともに、少しでも復興支援の力になれればと思います。」

○井川 祐輔選手
「今回、このような素晴らしい試合のメンバーに選んでいただき、とても光栄に思います。この試合を通して少しでも被災者の皆さんの力になれるように全力でプレーしたいと思います。」

※詳しくはJリーグ公式ホームページをご確認ください。
http://www.j-league.or.jp/release/000/00004589.html


東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチを負傷で辞退した曽ケ端である。
負傷の度合いは如何程であろうか。
非常に不安になる。
今季の曽ケ端のパフォーマンスは目を見張るものがある。
来週から始まる過密日程に曽ケ端を欠くこととなろうものであれば、危機的状況と言って良かろう。
しかしながら、曽ケ端の影に隠れておるが2nd GKのポジションを掴んでおるさんまも実力を付けておる。
今季二度出場したナビスコ杯では勝利に貢献しており、高い才能を魅せてくれた。
もし、曽ケ端の負傷が癒えぬこととなろうとも、さんまの活躍で必ずや勝利を掴むであろう。
気合いを入れてスタジアムへ向かいたい。

攻撃的MF・レナトに期待

2012年07月18日 | Weblog
2012年07月18日(水)

16時から室内トレーニングを行った後、グラウンドでゲーム形式の練習を実施しました。

ゲーム形式の練習を行うレナト、岡本、岩政、大迫である。
特にレナトは次のナビスコ杯より出場可能となるため調子を上げていって欲しいところ。
前を向いてボールを持てば効果的なパスを出し、逆サイドで低い位置にボールがある際は、FWのポジションまで上がって攻撃の準備をする。
レナトはかなり攻撃に絡むプレイをするであろう。
早く公式戦でのレナトを観たい。
あと1週間、楽しみにしておる。

小笠原満男、スペシャルインタビュー

2012年07月18日 | Weblog
小笠原満男(鹿島アントラーズ)
東日本大震災発生から約15カ月が経過したが、被災地には苦しんでいる人たちがまだまだ大勢いる。震災からの復興はまだまだ道半ば。被災された方々の笑顔を取り戻すため、復興支援活動を続ける小笠原は、そう痛感している。そこで、21日に行われるJリーグスペシャルマッチを前に、被災地の現状や自身の活動、そしてJリーグスペシャルマッチに対する思いについて話を聞いた。



――6月下旬、1日だけのオフを使って大船渡を訪れていましたが、震災から1年3カ月程経過した東北の様子はどう映りましたか?

「津波が来たところは片付けられているけど、いまだに瓦礫はあるし、車は山積みだし、復興は全然進んでいない。震災のあと“絆”だとか“日本中がまとまって”という言葉をよく耳にしたけど、本気になってやったらもっとできると思うんですよ。なんでここまでしか進まないんだろう、というもどかしさはすごく感じましたね」

――大船渡高校でのイベントでは子どもたちと触れあったそうですね

「とても喜んでくれるし、何事もなかったかのように笑顔になってくれる。でも、指導者の方々からは、グラウンドだと楽しそうだけどなかなか家に帰りたがらないという話を聞きました。家に帰るには瓦礫のなかを通るし、その家も仮設住宅。友達といると気持ちが紛れるけど、そこを離れると現実に戻ってしまう、という話を聞くといたたまれないですよね。この笑顔を奪っちゃいけないな、と思います」

――被災地では肥満体型の子どもが増えていると聞きます。実際はどうでしたか?

「運動不足は顕著ですよね。聞くと、やっぱり運動ができてないし、運動ができないから発散できてない。授業中に奇声を発する子もいるし、サッカーをやらせてもすぐに息が上がるんですよ。それに去年のイベントで『これからもがんばって練習してサッカー上手になれよ』と言ったら『僕たち練習したくてもする場所がないんです』と返ってきたんです。これはなんとかしなければいけないな、と思いましたよね。仮設住宅が学校の校庭から無くなるには少なくとも3年かかるのではないか、と言われています。“少なくとも”ですからね。長ければ何年かかるかわからない。そこで、そういう場を作るために、大船渡の同級生たちが、“東北人魂・岩手グラウンドプロジェクト”を起ち上げました。この活動では、子どもたちだけでなく市民の方にも、ふれあいを持ってもらえる場所を無料提供しようと考えているし、東北人魂として協力していきたいと思います。」



――東北人魂を主宰していることもそうですが、すごいリーダーシップですね。

「メディアに出ることは、あんまり好きじゃないしやりたくないんです。でも、テレビを見ても震災関連の報道は減っているし、発信できる人が発信していかないといけない。僕らが発信することで、誰かがあとに続いてくれたり、何か力になろうという人がいるのであれば、メディアに出る意味はあると思っています。忘れられてしまうのがいちばん怖い。現地を見に行った方なら分かると思いますが、街が元に戻るには相当な時間がかかると思います。みんなが気持ちや力を合わせたら、もっとスピード感を持って戻っていくと思うので、決して忘れずに助けていただきたい、という気持ちが強いですね」

――そういった意味では、東北人魂のこれからの活動も大事になってくるのではないですか?

「やらなきゃいけないことはたくさんあるのですが、僕らにできることはやっぱりサッカーに関わることだと思います。このJリーグスペシャルマッチでは、東北人魂のブースを出させてもらえることになったので、そこで写真と映像を使って活動報告をするつもりです。また、これまでの募金についても皆さんに直接お礼を言いたいと思っています。30分でもいいのでブースに立ちたいですね。あと、もし僕らの活動を知っていただいて、さらに東北人魂・岩手グラウンドプロジェクトにも賛同していただけるのであれば、募金に協力していただけたらと思います」

――ものすごいパワーが必要な活動だと思いますが、そのモチベーションはどこから来るのですか?

「正直、シーズンを戦いながらの難しさはあります。でも、僕らは何かをやってあげるという意識はありません。恩返しがしたいという気持ちです。いま僕らがJリーガーになれたのも、東北地方のいろいろなところに行って試合して、いろいろな人の恩があったからです。地位や名誉やお金のためではなく、その人たちが苦労しているのなら何か力になろう、育ててくれた東北のために力になろう、と思って活動しています。世の中の関心はどうしても薄れがちですけど、僕らだけはそれを絶やしたくない。そういう気持ちはみんなが持っているので、継続してやっていきたと思っています」

――被災地という意味では茨城も同じです。Jリーグでは成績が残せていないことをどう感じていましたか?

「勝てないもどかしさは確かにありますね。イベントをやっても勝てないと心配されるし、なんとか結果を出していきたいな、という思いはありました。ただ、まだシーズンは半分しか経過していないので。このままの順位で、これで終わったわけじゃない。また勝っていけばいいし、まだ全チームと対戦できる。上位陣とも対戦できるので、そこをきっちり勝っていければ上も見えてくると思います。決して悲観せずに、チーム一丸で戦っていければいいかなと思います。あれこれ悪いところを言うのではなくて、みんなで信じ合って、助け合っていく。それがこのチームのスタンスであり良さなので。それがある限り、勝っていける。大丈夫だと思います。いちばん恐いのはチームがバラバラになってしまうことです。被災地のクラブであることは、自分にとっては大きなモチベーションにはなっています。それをプラスに変えたいなと思っているし、それができているのがベガルタだと思います。いまだに毎週のように選手たちがいろんなところに出向いて活動していると聞くし、それで結果を出している。僕らもホームタウンで小学校訪問を始めましたが、やる意味は間違いなくある。地域に出向いて皆さんと共にあるんだということを示すのは大事なことだと思います。さらに勝っていけばお客さんも入るだろうし、お客さんの後押しがあればさらに勝っていく、という相乗効果があると思う。そういうところに持っていけたらいいですね」

――鹿島アントラーズのホームタウンもようやく道路が直り始めたりして、復興に向けて動き出した感じがありますよね。

「少しずつね、ここも戻りつつありますけど、やっぱり完全な復興までは行ってないし、まだ応急処置的な感じでボコボコしているところもあれば、いまだに瓦の屋根を直せずにブルーシートで覆っている家もあります。震災の直後は、このクラブハウスも液状化現象が起きたし、余震も続いて、水道はストップして、食糧もなくなりつつあるなかで、初めて怪我以外でサッカーができないという状態になった。当たり前にサッカーができて、当たり前に試合ができて、当たり前にお客さんが来てくれると思っちゃいけない。いまでもその気持ちは持ち続けていて、今後も持たなきゃいけないな、と思っています」

――やはり、震災前後で意識は大きく変わった?

「以前からそういうことを考えなかったことがないことはありませんが、そんなに感じる瞬間はなかったかもしれません。毎日のように洗濯物が畳んであったり、綺麗な芝の上でサッカーができたり、そういうあたりまえのことをより強く感じるようになりました。やはり久しぶりにカシマスタジアムで試合ができたときはうれしかったし、ここで練習が再開できたときもうれしかった。世の中は節電や節水と言ってるけど、じつは、それって当たり前のこと。そういうのを見直すべきなんじゃないかなと思いますね」

――このチャリティーマッチもカシマスタジアムでの開催になります。

「忘れられがちですけど茨城も被災地であり、そこでやってくれる意味も大きいと思います。カシマスタジアムでやれること、それとベガルタ仙台とチームを組めるというのが個人的にはうれしくて。やっぱり一緒になってがんばりたいと思いますし、そこに東北出身の選手を絡めてくれるので、非常に意味のある試合になるんじゃないかな、と思います。感じ方は人それぞれだとは思いますが、見てくれる人にも何かが伝わる、意味のあるおもしろい試合にしたいですね」

――それでは最後に試合に来てくれるサポーターに対してメッセージをお願いします。

「普段のJリーグやヤマザキナビスコカップ、天皇杯とはまた違った楽しみがある試合だと思いますが、サッカーそのものが好きで来てくれると思うので、まずは存分にサッカーを楽しんでいただきたいなと思います。今回はみんなコンディションが良いので、真剣勝負で行くと思います。そして、この茨城も東北も、まだまだ復興の途中の段階で支援を必要としているところがたくさんあります。みなさん一人ひとりが何か形を見つけて、それができるのであればやっていただければと思います。そういう思いを持っていただけるだけでも十分です。復興はまだまだなんだという現実を知っていただきたいし、力になれるのだったら力になって欲しい」


聞き手:田中 滋
撮影:徳丸 篤史




(プロフィール)
小笠原満男
おがさわらみつお。1979年4月5日生まれ。岩手県大船渡市出身。173cm/72kg。大船渡高校を卒業後、98年に鹿島アントラーズへ入団。ゲームメーカーとして攻守を統率し、00年ナビスコカップ、Jリーグ、天皇杯の三冠達成に大きく貢献。02年日韓W杯、06年ドイツW杯に出場する。類稀なリーダーシップで常勝軍団を牽引している。


震災について、被災地の現状について、そしてスペシャルマッチへの思いを語る小笠原満男である。
背中で語る主将が、表だって行動する意義を見出したという意味では、この一年数ヶ月は大きかったと言って良かろう。
サッカー小僧として育ち、プロとして成功を収めてきた中で、サッカーだけをしていれば良かった時期は終わりを告げた。
サッカーの力を信じ、サッカーで出来ることを行っていくのだ。
小笠原満男がどこまで進んでいくのかを追い続けたい。

大津高校・植田くん、進路先を絞る

2012年07月18日 | Weblog
プロ注目!U19植田 進路先を3クラブに絞り込む
 プロ注目のU―19日本代表DF植田直通(17=大津高3年)が入団先候補を鹿島、横浜、川崎Fの3クラブに絞り込んだ。インドネシアで開催されたU―22アジア選手権予選を終えて、17日に帰国。関係者によると、J1の5クラブからオファーを受けていたが、この日までに浦和、FC東京に断りを入れたという。

 1メートル85のセンターバックはU―22アジア選手権予選5試合中2試合に出場。「もっと試合に出たかった。(進路は)これからじっくりと考えたい」と語った。
[ 2012年7月18日 06:00 ]

U―19代表DF植田、横浜M、鹿島、川崎に進路先絞った…10クラブ争奪戦の末
 Jリーグ10クラブが獲得を検討したU―19日本代表DF植田直通(17)=熊本・大津高3年=が、進路先候補を横浜M、鹿島、川崎の3クラブに絞ったことが17日、分かった。関係者によれば、オファーを受けた浦和、F東京などには断りを入れた。植田は身長186センチの大型センターバック。高さにスピードや正確なキックを兼ね備え、将来を嘱望されている。

 植田はこの日、U―19日本代表の一員として参加したU―22アジア選手権(インドネシア)から成田空港着の航空機で帰国。早ければ今月中にも進路先を決める考えで、「先生(大津・平岡監督)とじっくり話し合って、決めたい」と話した。

 ◆植田 直道(うえだ・なおみち)1994年10月24日、熊本・宇土市生まれ。17歳。小学3年でサッカーを始める。大津高進学後、センターバックで頭角を現し、U―16日本代表から各年代で代表入り。186センチ、74キロ。

(2012年7月18日06時03分 スポーツ報知)

進路先を鹿島、Fマリノス、川崎に絞った植田くんである。
高校1年生の時点でいち早く声を掛けておった鹿島とFマリノスは当然であるが、最後の最後に飛び込みオファーをした川崎が残ったことは疑問と言えよう。
よほどの好条件を提示したのであろうか。
それとも、風間監督の練習に惚れ込んだのであろうか。
それはそれとして、ここまで残ったということは鹿島への印象は悪くないと言えよう。
ましてや、ジョルジーニョ監督自ら才能に惚れ込み声を掛けた逸材である。
是非とも臙脂のユニフォームを纏って欲しいもの。
しかしながら、植田くんの価値観は我らにはわからぬ。
名門の門戸を叩くのか、迷走するクラブで練習に明け暮れるのか、どこにサッカー選手としての価値を見いだすのかは人それぞれである。
植田くんの去就に注目である。