鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

篤人・興梠、日本代表選出

2009年05月21日 | Weblog
日本代表メンバーに内田選手と興梠選手が選出
本日、キリンカップサッカー2009(5月27日vsチリ、5月31日vsベルギー)および、2010FIFAワールドカップ2009アジア最終予選(6月 6日vsウズベキスタン、6月10日vsカタール、6月17日vsオーストラリア)に臨む日本代表メンバーが発表されました。

鹿島アントラーズからは、内田篤人選手と興梠慎三選手が選出されました。


もはや不動の右サイドバックとなった篤人と、精密診断の結果、異常なしと判断された興梠が選出である。
キリンカップやW杯出場決定後の消化試合では篤人を起用せずに済ませて欲しい。
もう、篤人の能力は十分いわかっておるし、連携も十分である。
逆に興梠はどれだけ代表で活躍するのかを見極めたいところ。
強烈な身体能力をアピールする場を与えて欲しい。
とはいえ、何もかも希望通りに行くものではない。
篤人はフル出場で興梠は途中出場でボールすら触らず終わりというのが関の山であろう。
だとしても、我等は耐える。
耐えた先にこそ幸せがあると知っておるからである。
足利直冬は耐えきれず九州に逃げ落ち、直義は姿を消した、そこで高師直は下克上を思い描くのであった。

興梠、異常無し

2009年05月21日 | Weblog
興梠選手の診断結果について
AFC チャンピオンズリーグ上海申花戦(5月19日、上海)で負傷した興梠慎三選手は、5月21日に都内でCT検査を受け、骨等に異常なしとの診断を受けました。痛みが取れ次第、プレーすることが可能です(ただし、痛みがどのくらいの期間でとれるかについては個人差があります)。

精密検査の結果は骨に異常なし。
一つ安心した。
中国人のプレイを許すことは出来ないが、これで興梠が無念に思うことも無かろう。
痛みさえ取れ次第プレイ可能である。
これまで以上の躍動を期待したい。

興梠、肋軟骨損傷か

2009年05月21日 | Weblog
鹿島・興梠、肋軟骨損傷の疑いで代表入り微妙
2009.5.21 05:02

マスク姿で帰国した鹿島・興梠は21日に検査。日本代表復帰は厳しくなった(撮影・丸山汎)
 ACL1次リーグG組で首位通過を決めたJ1鹿島が20日、中国・上海から帰国した。

 前日、上海申花と1-1で引き分けた試合の後半、相手の激しいチャージで右胸を強打し、途中退場したFW興梠慎三(22)もチームメートともに成田空港に到着。新型インフルエンザ予防のためにマスク姿でゲートに姿を現したが、「バキッと音がした。痛みで眠れなかった」と疲れた様子で顔をしかめた。

 前夜はスタジアムから救急車で病院へ搬送。心配されたひびや骨折はなかったが、肋軟骨損傷の疑いで21日、都内の病院で詳しい検査を受ける。一般的には回復までに約3週間を要するという。

 興梠はJ1前節の16日の柏戦(アウェー)で2ゴールを挙げ、完全復活を証明。1月のアジア杯予選バーレーン戦以来の日本代表復帰へ強い意気込みを見せていたが、21日に発表されるキリン杯と南アW杯アジア最終予選の代表入りは、厳しい状況になった。


興梠、肋軟骨骨折も…キリン杯絶望
 鹿島のFW興梠が右肋軟骨損傷の疑いで、21日に都内の病院で精密検査を受ける。19日のACLの上海申花戦で相手DFに体の上に乗られて右胸を負傷。20日に帰国した興梠は「“バキッ”って音がした。相手の全体重が乗った感じ。(試合後は)せきをしても痛いし寝返りも無理」と前夜は眠れなかったことを明かした。香取庸一ドクターは「骨折していたら3週間、何もなかったら2週間」と最低でも全治2週間と説明。日本代表のスタッフからも連絡を受け症状などを伝えた。日本代表に招集されてもキリン杯(27日チリ戦、31日ベルギー戦)の出場は厳しくなった。
[ 2009年05月21日 ]

興梠、肋軟骨損傷か!?最悪で全治3週間…鹿島
 鹿島の日本代表候補FW興梠慎三(22)が、右胸肋(ろく)軟骨損傷の疑いがあることが20日、分かった。1―1のドローに終わった19日のACL上海申花戦(上海)で相手選手に乗られ負傷したもので、チームドクターが所見として明かした。

 興梠はこの日、チームとともに上海から帰国。21日に都内の病院で精密検査を受けるが、日本代表のキリン杯(27~31日)招集は難しい状況となった。鹿島サイドに日本代表スタッフから状態を問う電話が入るなど、招集を考えていた岡田監督にとっても誤算。「試合でぶつかった時にバキって音がした。今でもせきやくしゃみでも痛い」と興梠は話した。

(2009年5月21日06時01分 スポーツ報知)

精密検査の結果を待つまでもなく二週間はかかるとのこと。
無念である。
そして、興梠本人の気持ちを思うと心が痛い。
しかしながら、この試練を乗り越え、精神的に成長するチャンスである。
気持ちを切り替えて欲しい。
思い起こせば4年前、2005年5月4日のアウェイ・FC西東京戦での鮮烈デビュー。
クロスバー直撃二発のアシストした興梠であるが、この試合でも悪質なタックルを受け負傷退場を余儀なくされた。
この負傷が元でU-20日本代表を辞退することとなりワールドユースを逃したのである。
歴史は繰り返すとは言いたくないが、記憶は消しようがない。
とはいえ、このときとは状況が異なる。
鹿島でもレギュラーポジションを得、代表にも選出実績がある現在は、当確線上の選手ではないのである。
この連休でじっくり負傷を癒し、鹿島で結果を残せばよいだけである。
日はまた昇る。
興梠の活躍はこれからである。