A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

フォーマルでも適度な解放感がないと堅苦しくなりがちだが・・・

2014-09-29 | CONCORD
Exective Suite / The L.A.4

ジャズは色々な起源を持つ音楽がミックスされてニューオリンズで生まれたといわれる。純血種ではなく雑種の強みだろう、時代と共にどんどん進化を遂げ、さらに色々な雑種を作ってハイブリッドな新種を生んできた。
しかし、現在の新種はと聞かれると答えに窮する。
過去にはその時代の本流(流行)となるジャズというものが存在した。それに対して、さらに新しい物や傍流となるものも。
最近の新しいジャズを聴いていないので、新種を知らないのは自分が無知なだけか、果たして進化を止めてしまっているのかは???

ハードバップ全盛期に。モダンジャズカルテットというグループが生まれた。ジョンルイスが音楽監督となってからは、バンドカラーは世の中の本流であるハードバップとは違ったクラシック的な要素が色濃くなった。好き嫌いは別にして、特異な一つのジャンルを創ったのは間違いないが、あまり追従するグループも無かったように思う。

コンコルドレーベルが生まれた時、タイミングを同じくして生まれたグループにThe LA.4というグループがあった。基本はジャズだが、MJQ同様クラシック的な要素も持ち合わせ、更にはラテン的な要素も持ち合わせるといった、まさにハイブリットな新種のグループであった。
グループの性格付けを明確にしたのは、やはりギターのローリンドアルメイダの存在が大きかったと思う。ピアノレスのカルテットに、ギターがリズム楽器として、そしてソロ楽器としても活躍し、それもアコースティックでクラッシクでもボサノバでも自在に弾けるというアルメイダの技がグループサウンドを決めたように思う。このアルメイダとMJQの共演アルバムもあるが、世の中のアランフェスブームの先駆けとなった

さらにアルメイダに纏わりつくベースのレイブラウンとドラムのシェリーマンのリズムコンビネーションが最高だった。3人ともどんなリズムでもこなすと同時に、リズム楽器をメロディアスに操れる名手の集まりであった。グループの立ち上げ時のドラムはチャックフローレスだったというがレコードは残ってない。シェリーマンも短命で、途中でドラムはジェフハミルトンに替わったが、シェリーマンの代役以上の活躍であったのもグループにとっては幸いした。いつのまにかコンコルドに8枚もアルバムを残していた。

聴いた印象がクールなサウンドのリズム隊に対して、唯一の管であるバドシャンクのアルトがクールではなくホットなのがまたいいバランスだ。そして、シャンクのフルートがまた素晴らしい。ルータバキンのフルート同様単なるサックス奏者の持ち替え以上の名手だと思う。

このように各人がソロの名手であるが、グループとしてはきっちりアレンジを施したグループサウンドを作り上げており、LA4は新MJQといっても過言ではないと思う。
バドシャンクはまだボサノバが一般的になる前の50年代にローリンドアルメイダと一緒にグループ作っている。これがこのグループの起源ともいえるので2人にはその時からこのサウンドのイメージができていたのかもしれない。しかし、このグループが解散した後は、二人が一番向かう方向が違ったから皮肉なものだ。アルメイダはギターとのデュオが多くなった、そしてシャンクはよりストレートに熱いアルトに。

結局、このグループが結成されて8年目に作られたこのアルバムが最後のアルバムとなってしまった。エグゼクティブスーツとタイトルされ、いつもより多少選曲や演奏、そしてアレンジにも普段以上の「おめかし」をしたかもしれない。
メンバー達のその後の演奏を聴くと、それぞれが何か開放感を感じる。このLA4での演奏が、たまに集まっての演奏だったら良かったのだが・・・。人気が出てツアーも多くなるとやはり枠組が決まる演奏が続き、ある種の閉塞感を感じてしまうのだろう。兼ね合いが難しいものだ。

普段のジャズのライブではプレーヤーの服装も自由で、ジャズの自由な雰囲気にはそれが似合うことが多い。しかし、多少演奏に規律が必要な場合は服装もきちんとすると演奏も引き締まる。先週もベイシーオーケストラは、日本のベイシーも本家ベイシーもスーツ姿だったが、やはりベイシーサウンドはスーツ姿で聴くとより締まって聴こえるから不思議なものだ。そういえば、MJQはタキシードであった。

TheLA4は、フォーマルなエグゼクティブスーツと言っても写真の様に紺ブレとストライブタイ位が丁度よいかもしれない。しかし、南米生まれ、カルフォルニア育ちというグループだと、きっと適度な解放感が演奏にももっと必要だったかも。
でも、残念ながらこのグループがその後続くことは無かったが、このグループの持つある種の緊張感がこのグループの特徴で良かったと思う。



1. Blues Wellington                      Jeff Hamilton 5:42
2. Amazonia                       Laurindo Almeida 4:38
3. Você e Eu (You and I)   Norman Gimbel / Carlos Lyra / Vinícius de Moraes 4:21
4. Simple Invention                Johann Sebastian Bach 6:27
5. Entr'acte B.Bigard / G. Gershwin / J. Ibert / J. Kander / P. Il'yich Tchaikovsky 6:55
6. My Funny Valentine             Lorenz Hart / Richard Rodgers 7:35
7. Chega de Saudade (No More Blues)  Antonio Carlos Jobim / Vinícius de Moraes 5:41

Bud Shank (as,fl)
Laurindo Almeida (g)
Ray Brown (b)
Jeff Hamilton (ds)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Phil Edwars
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, June 1982
Originally released on Concord CJ-215 ( 所有盤は東芝EMIの国内盤)

Executive Suite
The L,A,4/td>
Concord Jazz
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偶然生まれたドイツでのセッションだが、これがソロ活動のきっかけになったのかも・・・

2014-09-28 | PEPPER ADAMS
Twelfth & Pingree / Pepper Adams Quartet

1975年のサドメルのオーケストラは、もはや毎週月曜日ヴィレッジバンガードに出演するリハーサルバンドではなく、レギュラーオーケストラとして世界中をツアーするオーケストラになっていた。
1月にシカゴから始まり、ニューヨークに戻ってきたのは3月。各地での演奏もクラブ出演というよりは大きなホールや学校でのコンサートが増えていた。ニューヨークに戻ったのは暖かくなった3月の末。

しばらくサドメルの仕事はオフとなったが、アダムスはオフの間は、古巣のスタンケントンオーケストラに飛び入り参加したり、ディジーガレスピーのビッグバンドに加わってクラブ出演をしたり、相変わらずオフも精力的に活動して、次のツアーに備えていた。
一時回数が多かったスタジオワークは、サドメル自身のレコーディング参加以外この年は全くなく、ひたすらライブでの演奏に注力していた。

当初、サドメルの次のツアーは、ヨーロッパで6月から始まる予定であった。このツアーは、ヨーロッパからアメリカに一度帰るが、アメリカツアーの後はニューヨークには戻らずそのまま日本に向かい、日本では11月末まで一ケ月近く全国津々浦々を廻るという超ハードスケジュールだった。

メンバー達の多くはニューヨークでオフであったが、ベースのジョージムラーツの所に、以前ハウスベーシストを務めていたミュンヘンのドミシルのオーナーから出演依頼があった。
ツアー前、特にニューヨークでGigに参加する予定もなかったムラーツは、同僚のピアノのウォルターノーリスを誘って、一足先にヨーロッパに旅立った。2週間のクラブ出演とミュンヘンで一週間のオフを過ごして本隊の到着を待つ予定であった。

ドミシルのステージは2人のDUOで務めていたが、そこにツアー開始の予定が延びたとの連絡がリーダーから入る。さてどうしようかと困った2人に、ドミシルのオーナーが助け舟を出してくれた。そのままクラブへの出演を2週間延期してくれることになって2人は一安心。

折角のオーナーの好意に対して、「同じメンバー、演目では」という配慮が2人に働いたのだろう、ムラーツはニューヨークにまだいたペッパーアダムスに電話を入れた。「こういう事情だけど、もし時間がとれればミュンヘンに早く来ないかと。もし来れるのであれば、ドラムを加えたカルテットでやりたいのだけど・・・」ど。

アダムスはもちろん2つ返事でOKを出し、ニューヨークの仕事を片付け早速ミュンヘンに飛んだ。

ドラムにビリーブルックスを加えたカルテットで7月25日から8月13日までの3週間の出演がブッキングされた。アダムスがドイツに来るのであればという事で、地元Enjaのオーナー、Matthias Winckelmannは別のレコーディングを目論んだが、これは残念ながら組み合わせようとしたメンバーに断られ実現せず。クラブでのライブがスタートしたが、カルテットの演奏を聴いて、結局、今やっているライブをそのままレコーディングしようという結論になった。

ところが、今度はドミシルのオーナーが、ライブ録音をするなら一発録音であればOKと条件を出す。お客さん第一で、レコーディングということでの同じ曲の録り直しが続くのだけは勘弁願いたいということで、結局一日だけの一発勝負で折り合いがついた。

最後にもう一つ難関が生じた。ドラムのビリーブックスがスケジュールの調整がつかず最後の4日間が出演できなくなり、最終日の録音にも参加できずという事になる。
急遽ドラムが南アフリカ出身のMakaya Ntshokoが加わる事になってやっと本番を迎えることができた。

自然の流れで偶然セッティングされ、決してアダムスが念入りに仕込んだセッティングでは無かったが、単なるジャムセッションではないグループが連日同じクラブへ出演し演奏することになった。結果的にアダムスの思い通りの演奏になったのだろう。アダムスの研究家ゲイリーカーナーもこのアルバムをアダムスのリーダーアルバムの一枚として認めている。

このような経緯で生まれたのが、このアルバムとなる。
同じ日のセッションは「ジュリアン」というアルバムもあり、その続編になっているが、それぞれ当初の方針通りの一発勝負。こちらがセカンドステージの模様ということになった。
そして、このアルバムがアダムスにとっては14枚目のリーダーアルバムとなった。

ワンホーンということもあり、入念にアレンジが施されている訳ではなく、各自のアドリブが前面に出た演奏となっている。いかにも、クラブのライブといった感じの演奏だ。
曲は、アダムスのオリジナルが2曲。アルバムタイトルは、アダムスがデトロイト時代出演していた、クラブのあった住所。ブルージーな曲と演奏は当時を思い出してか。ボサノバ調のBossa Nouveauは良く演奏しているが軽快な曲で好きな曲だ。



サドジョーンズの名曲A Child Is Bornもやっているが、ムラーツのソロ、アドリブから始まりあの美しいメロディーは後から出てくるせいか印象が薄かった。ネットにある別の演奏の方がお気に入りだ
ドナルドバードと一緒にやっていた頃は、コンボ編成でも何らかのアレンジが施され、演奏自体もファンキーな曲が多かったが、ここではすっかりプレースタイルも変っている。たまたまのチャンスに恵まれたセッションであったが、サドメルを辞めた後の、ソロイストとしての活動の原点になった演奏のように思える。

1. Twelfth & Pingree        Pepper Adams 9:45
2. A Child Is Born          Thad Jones 8:26
3. Well You Needn'T        Thelonius Monk 9:27
4. Bossa Nouveau          Pepper Adams 9:36

Pepper Adams (bs)
Walter Norris (p)
George Mraz (b)
Makaya Ntshoko (ds)

Produced by Matthias Winckelmann & Horst Weber
Recorded live at The Domicile, Munich on August 13, 1975

トゥウェルフス・アンド・ピングリー[紙ジャケット仕様/限定生産]
Pepper Adams
Pヴァイン・レコード
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いつもはシンプルなベイシーのピアノも本気を出すと・・・・

2014-09-25 | MY FAVORITE ALBUM
Standing Ovation / Count Basie

先週はベイシーウィークであった。

まずは、ベイシーのレパートリーばかりを演奏するBasie Sound Orchestraを東京TUCで。ドラムの橋本龍吾さんが率いる若手主体のメンバーで、元気なベイシーサウンドが聴けた。
次は新しくできたTN Swing Jazzでこれもドラムの稲垣さん率いるベテラン中心の混成チームで。まあ可もなく不可もなく。
そして最後はブルーノートで本家カウントベイシーオーケストラを。この所毎年のように来日しているので大体は行っている。昨年ブッチーマイルスが来た時は久々に注目したが、後は正直惰性のような物。
今回は、リーダーが替わったが、ボーカルも特に一緒では無かったので、あまり注目すべき目玉も無く期待せずに出掛けてみたが・・・。

続けて色々ベイシーサウンドを聴き続けて比較ができたからという訳ではないが、結果的にやはり本家の演奏は格段に良かった。会場のPAを含めてオーケストラ全体の音のバランスも良く、今年のベイシーは、これぞ「ベイシーサウンド」健在という感じで嬉しくなった。
ベイシーオーケストラといえば、アレンジャーは違っても変わらないあのリズム感を味わえただけで満足、やはり本家は違う。



主役のリズムセクションだが、ベイシーのオーケストラでのピアノというと、あの音数の少ないベイシー自身のピアノとギターが代名詞。サド・ジョーンズの曲のFrom One To Anotherではこのリズムセクションを大フィーチャーしていた。
オリジナルベイシーの演奏を聴いてみたくて探してみたが残念ながら見つからなかった。
ほぼ同じメンバーの最近のライブ(2013年Yoshi San Franciscoでのライブ)の映像はこちらで ↓

http://youtu.be/QBJDPNGnlYc

普段は限りなくシンプルなカウントベイシーのピアノも、時にストライドピアノに大変身する事がある。このピアノを再現してくれたのは、本家ではなくベイシーサウンドオーケストラのピアノの小池勇気さん。曲はThe Kid From Red Bank。あのアトミックベイシーの1曲目に入っている曲だ



このアルバムは有名だし前にも紹介したので今回は別のライブのアルバムから。

ベイシーオーケストラがリプリーズ専属になり、シナトラとの共演アルバムを作り、ラスベガスのクラブに長期出演するようになったのが60年代の半ば。地方回りとバードランドを拠点にしていた時よりは、ゆったりと演奏できるようになった。環境がオーケストラのサウンドも変えるのかもしれない、この時代のベイシーはゆったりした感じで明るくなった感じがする。

このアルバムも、その時代の続き。同じようにラスベガスのトロピカーナホテルでのライブ。
バードランドのライブとは雰囲気が違って優雅で煌びやかな感じがする。

この時代のベイシーサウンドを支えるドラムはハロルドジョーンズ、テナーはエディーロックジョーデイビス、トランペットセクションにハリーエディソンがゲストに加わってライブレコーディングに花を添えている。

お馴染みの曲が多いが、シャイニーストッキングはIn Londonの時代よりテンポが速くなっている。サミーニスティコが多少アレンジをいじった曲もあるようだ。時代が変わって多少お化粧は替わっても、いつの時代でも同じ老舗の味を味あわせてくれるのがベイシーオーケストラだ。

1. Down for Double            Freddie Green
2. Lil' Darlin'              Neal Hefti
3. Broadway   Billy Bird / Teddy McRae / Henry J. Wood
4. Jive at Five   Count Basie / Harry "Sweets" Edison
5. Cherry Point            Neal Hefti
6. Jumpin' at the Woodside      Count Basie
7. One O'Clock Jump         Count Basie
8. Shiny Stockings         Frank Foster
9. Blue and Sentimental  Count Basie / Mack David / Jerry Livingston
10. Every Tub           Count Basie / Eddie Durham
11. Corner Pocket         Freddie Green / Donald Wolf
12. The Kid from Red Bank    Count Basie / Neal Hefti
13. One O'Clock Jump             Count Basie


Al Aarons (tp)
Oscar Brashear (tp)
Gene Goe (tp)
Sonny Cohn (tp)
Harry "Sweets" Edison (tp)
Richard Boone (tb)
Frank Hooks (tb)
Bill Hughes (tb)
Grover Mitchell (tb)
Bobby Plater (as,Piccolo)
Marshall Royal (as)
Eddie "Lockjaw" Davis (ts)
Eric Dixon (ts,fl))
Charlie Fowlkes (bs)
Count Basie (p)
Freddie Green (g)
Norman Keenan (b)
Harold Jones (ds)

Produced by Tom Mack and Teddy Reig
Engineer : Wally Heider
Recorded live at Tropcana Hotel, Las Vegas, On January 28~30, 1969
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Pepper Adamsの後継者スマリヤンが亡き師匠に敬意を込めて・・・

2014-09-23 | PEPPER ADAMS
Homage / Gary Smulyan Quartet

後継者、もちろん家族でも後継者を立派に育てることは親の責任として一番大事だが、どんな仕事でも自分がやっていることの後継者が育てばいいなと思うのは世の常である。もっとも会社勤めだと、自分の後継者よりも手掛けている仕事(事業)が育って欲しいという想いが強くなるものだ。

ところが、昨今の企業経営のように「赤字部門は皆切り捨てる」ということになると、手塩にかけて育てた仕事がいとも簡単に身売りされたり、とり潰されたりする。一度捨てた物をもう一度育てるということはほとんど不可能なのにも関わらず。

最近の日本の電機メーカーの凋落ぶりをみると、本業を捨ててしまったようで、何か大きな間違いを犯しているのではないかと思う。それも、本来の自分の意志ではなく、他からの圧力で仕方なくとなると。
昔の企業は、将来の芽を育て、昔からの伝統を守るための赤字は許容できるものであったのだが。目先の利益の為に、過去も未来も捨て去るというのは如何なものか?これも、今さえ良ければ、自分達だけが良ければという世の中の風潮を作っている一つの原因であるのは間違いない。

先日、知人が自宅を訪れて、テレビの画面の美しさに驚いていた。4Kではないですよねと。
自宅のテレビはパイオニアのKUROの最終モデル。生産中止になるというので慌てて買ったものだ。その後、パイオニアのテレビ事業はパナソニックに身売りされ、今ではプラズマディスプレーもなくなってしまった。
自宅にもう一台パナソニックのテレビがあるが、明らかに古いKUROの方が綺麗だ。音以上に画面の優劣というのは素人でも良く分かるものなので理屈は要らない。

この素晴らしい商品が何故市場から消えなければならないのか?
パイオニアは、今度はDJ機器も身売りしてカーナビに特化するそうだ。自宅では、プレーヤーも、アンプも20年以上前のパイオニア製品が健在で、いい音で鳴っているのに。
これらの技術はどこに行ってしまったのだろう。

ジャズの世界でも後継者づくりが大事だ。昨日のカウントベイシーオーケストラはリーダーが替わったせいか、久々に本物のベイシーサウンドがした。メンバーは大きく替わっていないが、何か伝統を引き継ぐコツというのがあるのかもしれない。
オーケストラ運営の後継者となるとそれは演奏技術に加え、作編曲能力やバンド全体の音作り能力、指揮も入るだろう、さらに色々なマネジメント能力も問われることになる。
このコツを身に付け、他人に教え、育てるというには、想像以上に大変な事だと思う。

今、帰国中の宮嶋みぎわさんが、先日自らの演奏とは別にビッグバンドのリーダー養成講座を開催していた。自ら学び続けながら、後進の指導も怠らないといのは、会社であったら管理職の鑑。この心掛けが大事。きっと将来の日本のジャズ界を背負うリーダーの一人になるだろう。

さて、個人の演奏技術の伝授となると、これは完全に師弟関係。よく名人芸は教えてもらうのではなく盗めともいわれる。直接指導を受けるのではなく、徹底的に研究して独学で真似をするというのも一つの方法かもしれない。それで、自分が育てなくとも、思わぬ後継者がどこかからか突然現れるということも・・・。

ペッパーアダムスの後継者となると、やはり一番はゲイリースマリヤン。ただし、アダムスが直接指導したという話は聞かない。スマリヤンがアダムスを研究しつくし、自ら引き継いだのだろう。
ただでさえ、バリトンサックスのソロプレーヤーの数は少ない。それに一際切れ味のよいソロを展開できるとなると数は絞られる。さらにはビッグバンドもこなすプレーヤーとなると、そうそう思い浮かばない。候補は上がっても、最後はあのアダムス節をクリアできるどうかが最大の難関だ。

ペッパーアダムスがサドメルのオーケストラを辞めた時、スマリヤンはウディーハーマンのビッグバンドにいた。まだ23歳だが、高校時代からチェットベイカーやリーコニッツ、ジミーネッパーといったプロと一緒にプレーをし、大学でも学ぶというプレーヤー生活をおくっていたようだ。この頃のモンタレージャズフェスティバルでの豪快なライブの演奏が残っている。

そのスマリヤンが、メルルイスオーケストラに招かれたのはアダムスが去った後、それほど時間を要しなかった。メルルイスはリクルート能力も長けていたようだ。その昔、サドメルのトランペットセクションで大幅に人の入れ替えが生じた時、18歳のジョンファディスを見つけてきたのもメルルイスだったという。
結果的に、その後80年代のメルルイスのビッグバンド、そしてバンガードジャズオーケストラでアダムスの抜けた後を埋めたのはこの若者であった。

このスマリヤンのバリトンは、ペッパー特有の”The Knife”といわれた切れ味のよいフレーズ作りを引き継いでいる。これを、アダムスの研究家ゲイリーカーナーは次にように述べている。

「確かに、スマリヤンはクライマックスを丁度良く迎えるようにアドリブをヒートアップさせる場を弁え、ジャズプレーヤーがよく「火の出るような」と表現する、聴衆の興奮を沸き出させる術の大事さを知っていた。」「そして、聴衆を釘づけするには、メロディーを少し変えたり、ハーモニーを少しはずして驚きを与えることも。」「しかし、スマリヤンにはさらにアダムスが得意にしていた、すごく長い倍速のメロディックラインの作り方も身に付けていた。更には、アダムス節ともいえる生々しい、耳をつんざくような音色も」

多分この技をアダムスから直接指導を受けるという関係には無かったであろう。しかし、若い時から、実によくアダムスのプレースタイルを研究していたようだ。
その、スマリヤンは単にメルルイスオーケストラでアダムスの抜けたバリトンの席を埋めたというのではなく、個人的にもアダムスに心酔していたので、まさにアダムスに成り代わっていたのであろう

このスマリヤンが、アダムスの死後、アダムスへのトリビュートアルバムを作ったのがこのアルバムである。

もちろん、曲はアダムスのオリジナルばかり、ピアノにはアダムスの同郷の旧友であり、ピアニストとしてはアダムス自身も一番気に入って良く共演していたというトミーフラナガンを起用した。
アダムスのオリジナル曲は生涯で44曲。その中から8曲が選ばれている。
サドメル時代以前の作られた曲もあれば、独立してから作った曲もある。晩年は病気がちということもあり、サドメルを辞めた78年から6年の間に半分の20曲近くが作られている。

一曲目のMuezzinは、アダムスの初アルバムである56年のModeのアルバムにも収められているラテン調のリズムで快調に始まる。
Claudette's Wayはゆったりとした感じの78年作の曲、アダムスは何度かレコーディングしているがラストアルバムでフラナガンと共演している。
Bossallegroは、ボサノバの軽快な曲。アップテンポな曲でのソロが聴きどころ。80年のThe Masterというアルバムに入っているが、これもフラナガンと一緒。
Urban Dreamsは綺麗なバラードだが、これも80年のアルバムのタイトル曲。このアルバムのピアノはジミーロウルズ。
Twelth And Pingreeは、75年ミュンヘンのドミシルのライブでお披露目。ここでは、フラナガンのソロから始まるが、ミドルテンポで豪快に始まる。
Ephemeraは75年の同名のアルバムのタイトル曲。先日紹介した、In Europeでもやっている。
Civilization And Its Discontentsも、アルバムEphemeraでやっている曲だが、スローバラード。
Trentinoも80年のUrban Dreamsの中のイタリアのトレントにちなんだ曲。

通して聴くと、アップテンポの曲は1,3,
後はミドルテンポからスローな曲でバリトンの美しさをじっくり聴かせてくれる。

この舞台装置で、スマリヤンのプレーはアダムスの生き写しといっていいほどアダムスライクな演奏だ。アダムスが亡くなったのは1986年。スマリヤンの活躍が十分に世に知れ渡った時だ。アダムスも自分の後継者を見定めて安心してあの世に行けたと思う。

最近は、アダムスのアルバムを時系列で追っていたら、晩年のリーダーアルバムの紹介をまだ全くしていなかった。まずは、アダムスのアルバムはリーダーアルバムを先にやる事にしよう。

1. Muezzin 5:35
2. Claudette's Way 8:43
3. Bossallegro 6:00
4. Urban Dreams 6:55
5. Twelfth and Pingree 11:12
6. Ephemera 10:33
7. Civilization and It's Discontents 7:34
8. Trentino 10:19

Gary Smulyan (bs)
Tommy Flanagan (p)
Ray Drummond (b)
Kenny Washington (ds)

All Songs Composed by Pepper Adams
Produced by Garry Teekens
Recorded on December 18,1991


HOMAGE
Gary Smulyan
CRISS CROSS
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ビッグバンドは、演奏の場を提供するClubと、そこに集まる熱いファンがあってからこそ長続きする・・・

2014-09-22 | MY FAVORITE ALBUM
WKRC-TV &The Blue Wisp Jazz Club Present The Blue Wisp Big Band of Cincinnati

「ビッグバンドのライブを毎日やるという新しいライブハウスができた」というニュースを聞いて、先日早速出かけてみた。

名前は、

TN Swing Jazz




場所は、東京TUCに近い神田岩本町。
ビルの地下に下りていくと、ジャズクラブとしては広い作り。ビッグバンドが入ってもゆったりとした雰囲気で聴ける店だ。

その日は、一部はグレンミラー、ベニーグッドマンナンバーといったスイング系の曲が中心、第二部はベイシーレパートリーを中心に、最後はハーマンのアップルハニーで締める。
その名のとおり、基本は4ビートのスイングするビッグバンドだった。

メンバーは、ベテランから新人までビッグバンドではお馴染みのメンバーばかり。とにかく毎日やるというのが凄い。毎日ということで、メンバーは日々入れ替わりがあるようだが、トラといわれるサブのメンバーも皆一流揃い。メンバーの違いを楽しむのも通のビッグバンドファンかも。

ライブハウスを丹念に探すと、毎週のようにどこかでビッグバンドは出演しているが、個々のバンドがライブハウスに出演するのは年に数回。予定が合わずその機会を逃すとなかなか聴く機会がないのが現実だ。
とにかく、気が向いた時にいつでも行けるというのが、ビッグバンドファンには嬉しいものだ。特に、このようなスイング系のビッグバンドには年配の根強いファンが多いので、早く認知されてファンの溜まり場になるといいと思う。

洋の東西を問わずビッグバンドはまずは演奏をする場の確保が大変なようだ。
サドメルの流れを汲むバンガードジャズオーケストラのように、毎週月曜日と定期的に出演する場所が決まると、ファンも訪れやすいが。
先日紹介した、スウェーデンのMonday Night Big Bandもそのひとつだ。スウェーデンのマルメという地方都市で毎週水曜日に出演し続けられるというのも、バンドのメンバー達の努力に加え、場を提供する店のオーナー、そして毎週演奏に駆けつけるファンが三位一体にならないと実現できない事だ。
このTN Swing Jazzもそのように育っていってほしい。

ジャズの歴史を辿ると、その歴史の中に必ず登場する都市がある。ニューオリンズに始まり、セントルイス、シカゴ、カンサスシティーそしてニューヨーク、ロス。デトロイトやフィラデルフィアも多くのジャズマンを生んだ都市として有名だ。

中西部にシンシナティーという都市がある。コンコルドレーベルに良く登場したギタリストのカルコリンズはこのシンシナティーの出身だが、他にはあまり聞いた事がない。ジャズとは少し縁遠い街に感じる。このコリンズもギターを弾く前は、ブルーグラスのマンドリンを弾いていたというので、このシンシナティーはジャズよりはカントリー&ウェスタンがポピュラーなのかもしれない。
歴史を辿れば、1920年代にはミシシッピー川の支流が流れるこの地は、海運、鉄道の要所であり、ミュージシャンの行き来も多く、それなりのジャズの拠点であったこともあったようだが。



1978年にこの地にBlue Wisp Jazz Clubというジャズクラブが生まれた。
カルコリンズも地元では、この場を活動拠点にしていたようだ。
このクラブに、専属のビッグバンドが生まれたのが1980年。地元のプレーヤー達を集めて新たに立ち上がった。
80年代と言えば、ロックの時代を過ぎ、フュージョンの全盛期、エレキも8ビートもやらないオーソドックスなビッグバンドは珍しかった。
このThe Blue Wisp Big BandはドラムのJohn Von OhlenとトランペットのDon Johnsonが他のメンバーに声がけをし、このクラブのオーナーPaul Wisbyの後押しで誕生した、基本は、良くスイングするピュアーなストレートジャズをやるビッグバンドだ。
こおアルバムではビルホルマンのアレンジもあるが、新人アレンジャーのCaroll DeCampが中心に、メンバー達のアレンジも加わる、すべて自分達で立ち上げたビッグバンドであった。

最初のデビュー時は、メンバー達に他の仕事の心配をさせないように一か月間ブッキングしてとにかく連日演奏を続けた。評判を聞きつけて地元シンシナティーだけでなく、近隣のインディアナポリス、コロンバス、ルイスビルなどからも続々ファンが駆けつけた。

そして、この立上げライブを終えて、2人のリーダーとオーナーのWisbyは「これからも毎週水曜日に続けてやろうと決断した」。
時代は替わり、オーナーのWisbyが亡くなり夫人のMarjean Wisbyが意志を継いで引き継ぐ。100人足らずのキャパだった小さいクラブからスタートしたが、場所も新しい場所に移る。そして、2006年今度はWisby夫人が亡くなると、借財の返済のためにこの店も売りに出たが、3人の篤志家が店を引き継ぎ、今でも店もビッグバンドも続いているという。



このアルバムの1曲目のBasietown USAはアレンジャーで参加したDeCampのオリジナル、いきなりアップテンポのベイシーサウンドで始まる。スタンダードナンバー中心の正統派ビッグバンドの演奏が続くが、一曲だけ、ジョーヘンダーソンのRecorda Meだけが少しモダンな感じのアレンジだ。

このバンドも、設立から30年以上、時代と共にメンバーも入れ替わったと思うが、地元のミュージシャン達が、熱いファンに支えられ伝統を支え続けている。それも演奏の場を提供している、Blue Wisp Jazz Clubがあっての事、神田に生まれたTN Swing Jazzも是非30年後まで続いてほしいものだ。

1. Basietown USA             Carroll DeCamp 4:46
2. Don’t Get Around Much Anymore      D.Ellington 4:53
3. Recorda- Me               Joe Henderson 5:10
4. Amyable                 Jack Willson 5:35
5. Walkin’                  Carpenter 7:25
6. I Remenber You       V.Schertzinger & J.Mercer 2:45
7. Sweet Lorraine          M.Parish & C.Burwell 3:37
8. Take The A Train            Billy Strayhorn 6:32

Don Johnson (tp)
Al Nori (tp)
Rick Savage (tp.flh)
Kevin Moore (tp)
Jeff Fokens (tp)
Paul Piller (tb)
Clarence Pawn (tb)
Lirk Sheilds (tb)
Gary Langhorst (btb)
Mike Andres (ss,as)
Jim Sherrick (as)
Joe Gaudio (ts)
Herb Aronoff (ts)
Larry Dickson (bs)
John Von Ohlen (ds)
Steve Schmidt (p)
Lynn Seeton (b)

Produced by Nick Bolton & Dan Johnson
Recording Engineer : Ric Probst
Recorded on May 12 and 19 1981 at OCA Recording Studio, Chincinnati, Ohio
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人それぞれの憧れの「大都会」があるが・・・、アーネスティンにとっての大都会は?

2014-09-20 | CONCORD
Big City / Ernestine Anderson

「大都会」、地方に住む人にとっては高層ビルに囲まれた街や、人が溢れた雑踏が憧れかもしれない。大都会に住む人間にとっては、このような都会での生活は日常であり日々の現実である。仕事があり、遊びの場があり、多くの人に会う事も出来る、それらが自然に日々の生活に組み込まれている。

しかし、仕事も一線を退き、遊びに出掛けることも少なくなり、そして人に会う機会も減ってくると、このような都会に暮らす必要があるか疑問に思うようになる。
まだ自分は週の半分以上は仕事に出掛けなくてはならない。往復の時間、打ち合わせを何件かこなし、そして事務所でちょっと仕事をするとあっと言う間に一日が終わってしまう。

最近はその時間がもったいなく感じるようになった。現役バリバリで仕事をやっていた時は、ただでさえ忙しい時間をやり繰りして、無理矢理打ち合わせを入れ込んだりしていた。忙しくして、時間がとれないことが、反対に仕事をしているという安心感を生んでいたのかもしれない。今考えると仕事中毒だったのだろう。

最近は、できれば無駄なことはやりたくない。打ちあわせであれば今ではテレビ会議ができる、最近スカイプ会議を何度かやるようになったが、昔はテレビ会議をやるにも装置の設置や準備が大変であった。今では、少人数の打ち合わせであれば、音声だけでなく映像付きでスカイプで簡単にパソコンでできてしまう。

資料は電子メールに添付して簡単に送れる。パソコンに資料を出しながら、単なる打ち合わせだけであれば特に不便は感じない。おかげで、自宅のパソコンのディスプレーは3台になった。以前は、複数の画面と睨めっこはドレーディングをする人たちのトレードマークと思っていたが、自宅のパソコンがマルチディスプレーになるとは思わなかった。

打ち合わせのために出掛ける時間が削減できるということは大進歩、在宅勤務に一歩前進した。ますます都会に住む必然性が少なくなるが、唯一困るのがライブに行きにくくなる事。ジャズのライブだけは大都会で楽しめるものかもしれない。

このアルバムの主人公アーネティンアンダーソン、生まれはヒューストン、前回のアルバムの主役クルセイダーズの面々と同郷だが、彼らよりは一世代年上になる。
両親がいつもブルースのレコードをかけていた中で育ち、父親は自らゴスペルカルテットで歌い、祖父母はバプティスト協会の聖歌隊で歌っていたという音楽一家で育った。そんな彼女は、3歳の時にはベッシースミスの歌をレコードと一緒に口ずさんだとか。

こんな環境に育った彼女だが、16歳でシアトルに引っ越すことになる。ここで高校を卒業すると本格的な歌手になる事を決意しバンドシンガーとしてスタートする。
ジョニーオーティスのバンドを経て、加わったのはライオネルハンプトンのオーケストラ。バンドのメンバーには同じシアトル出身のクインシージョーンズがいた。アートファーマーやクリフォードブラウンとも行動を共にしたことになるが、このハンプトンのバンドというのは今の時代でいうブラック企業の代表格。365日休みなしでツアーをしていたようで、流石にこれに音を上げて辞めるメンバーは多かったという。彼女もその一人、一年余りでバンド生活に別れを告げ、歌手として独り立ちするために、ニューヨークに落ち着くことに。やはり、彼女にとっての最初のBig Cityはニューヨークであった。

しかし、ロルフエリクソンと一緒にヨーロッパツアーに行ってそこで録音を残し、その後彼女の初のアルバムHot Cargoもヨーロッパ録音でされ、リーダーデビューを果たす。それを期にマーキュリーに所属し活動するが、60年代の初めには再びヨーロッパに渡りロンドンを拠点に活動することになる。
多くのジャズミュージシャンがアメリカでのジャズの仕事に見切りをつけてヨーロッパに渡ったが、彼女もその一人であった。彼女にとっての夢が実現するBig Cityは何故かヨーロッパであった。

アメリカでは名前を忘れかけられていた彼女がたまたまアメリカにツアーに来ていたのを再発見された。見つけたのはコンコルドレーベルのスカウト、A&Rマンをしていたレイブラウン。早速自らがマネージャーとなって彼女のアメリカ再デビューを後押しした。
結果は、この時点ですでにコンコルドで5枚のアルバムを出し、母国アメリカでの再デビューを果たすだけでなく、Concord All Starsに加わって世界を廻っていた。

彼女にとっての思い出のBig Cityを思い出しながらのこのアルバムになる訳だが、バックを務めるのはハンクジョーンズのトリオ。ハンクジョーンズは実は彼女の初リーダーアルバムHot Cargoにも参加している。ハンクジョーンは70年代の後半からはグレートジャズトリオの印象が強いが、スタジオワークも多くこなし、歌伴も得意としている。

最初のアルバムで一緒だった事もあるのだろう、このコンコルドへの復帰もハンクジョーンズとの呼吸はピッタリだったが、このアルバムでも再び。ベースは、それまで後見人でもあるレイブラウンが務めていたが、このアルバムではモンティーバドウックに変る。レイブラウンに負けない図太い低音が魅力だ。

歌手を始めた頃はブルースを得意にしていたようだが、ヨーロッパでそしてConcordでジャズシンガーとしてより洗練される。このアルバムで歌う歌は彼女のBig City感がより色濃くより反映されているのか、古い曲であるStreet Of Dreamsもボサノバ調のモダンな明るいアップテンポで歌われている。

彼女のバイオグラフィーを見ていたら、面白いエピソードがあった。
12歳の時、彼女の名付け親が歌の上手な少女であったアンダーソンを世に出そうとしたのか、地元のコンテストに応募した。彼女の持ち歌は”On The Sunny Side of Street”。
曲が始まる前に、伴奏のピアニストから「お嬢さんキーは何?」と聞かれると、彼女は咄嗟にCと答えてしまった。そのまま始まると、実は本当のキーは違っていた。いまさらどうしようもなく、動揺を隠しながらも、メロディーを崩しながら即興で歌いきってしまった。何とか曲を終えると、バックのメンバーの誰かが「お嬢さんはジャズ歌手だよ」と一言。
これが、それまでブルースにどっぷり浸りながら、本格的なブルース歌手ではなくジャズ歌手としての彼女の人生がスタートしたきっかけだったそうだ。



1. All I Need Is You                Bob Friedman 3:32
2. Street of Dreams        Sam M. Lewis / Victor Young 4:26
3. Spring Is Here         Lorenz Hart / Richard Rodgers 4:02
4. The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)  Paul Simon 3:28
5. I'll Never Pass This Way Again         Bob Friedman 4:24
6. Big City                    Marvin Jenkins 4:35
7. All Blues            Miles Davis / Oscar Brown, Jr. 5:40
8. Welcome to the Club                Mel Tormé 4:43
9. I Didn't Know What Time  It Was Lorenz Hart / Richard Rodgers 5:02

Ernestine Anderson (vol)
Hank Jones (p)
Monty Budwig (b)
Jeff Hamilton (ds)
Produced by Carl Jefferson
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, February 1983

Originally released on Concord CJ-214 (所有盤は東芝EMIの国内盤)


Big City
クリエーター情報なし
Concord Records
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印象に残る良い曲は良い演奏で、そして印象に残る良いデザインのジャケットで・・

2014-09-17 | MY FAVORITE ALBUM
Rhapsody and Blues / The Crusaders

先日、ベニーゴルソンのライブに行った。昨年来日した時にこれが見納めと思って出かけてみたのだが、今年も元気に来日。好きなプレーヤーの一人であり、今回はロンカーターと一緒だったので再度聴きに行ってしまった。
しかし、あの滑らかなフレーズを繰り出すテナーをもう聴く事はできない。ライブを聴くのはこれが最後、後はレコードでいいかなと思ってしまった。
ゴルソンの場合は、自らのプレーだけでなく、ゴルソンの作った曲が今でも色々なところで演奏される。作曲家としてのゴルソンを聴くのも楽しみだ。良い曲はすたれることなく、そして老いることなく永遠だ。

昨年のステージでは50年代に自らが体験した様々な出来事を、まるで先週の出来事のように、そしてトークショーのように流暢に語っていたのも印象的だった。
是非、元気な間に手記に残してほしいものだ。

相前後して、キーボードのジョーサンプルの訃報が届いた。こちらはまだバリバリの現役、まだこれからという歳であったので残念だ。

このジョーサンプルはクルセイダーズ時代からよく聴いた。別に集めたという程でもなく、思い出したように手にしたが、不思議と外れはなくどれも何度も聴くアルバムとなっている。きっと自分の好みと相性があっているのだろう。何枚か引っ張りだしてまとめて聴いた。

クルセイダーズ時代には何度か節目がある。ジャズクルセイダーズのジャズが取れた時、そしフュージョンブームにのって、ストリートライフがヒットした時。
自分は、何故かその次のアルバムである、このラプソディーアンドブルースが気に入っている。まずはこのアルバムから。

まずは、ジャケットのデザイン。白を基調として明るいブルーで文字が浮かび上がる。文字部分が型押しされて実際に浮き出た洒落た作りだ。自分が、ブルーが好きという訳からではないが、ジャズのアルバムとしてもあまりないセンスでいい感じだ。
このイメージがそのまま中身の音にもつながる。同じフュージョンサウンドでも、より洗練された感じがするから不思議だ。
最近音楽を聴くのはダウンロードで手軽にできる時代に。しかし、音楽のアルバムでジャケットは重要な要素だと思う。

ビルウィザースのソウルシャドウに始まり、B面に移ると、タイトル曲のラプソディーアンドブルース、ラストコールと・・一度聴くと印象に残る曲ばかり。他のフェルダーやフーパーの曲とは一味違う。

良い曲というものは、大編成にアレンジするとその良さが一段と引き立つ。



やはりジョーサンプルは曲作りが上手かったということだろう。ベニーゴルソンの曲も印象に残る曲が多い、何か2人の共通点を感じる。
ジョーサンプルの方が、特にクルセイダーズを離れてからは何か叙事的な雰囲気が強まったような気がするが・・・。

このアルバムができたのは1980年。フュージョン全盛期であり、アナログディスクの最後の時代。改めて聴き直すと、フュージョンサウンドもアナログの方がいい音がするのは気のせいか。良い曲は良い音で聴きたいものだ。
良い曲、良い演奏、良いジャケット、そして良い音、良いジャズを楽しむにはこの4点セットが大事だと思う。


1. Soul Shadows            Will Jennings / Joe Sample 8:16
2. Honky Tonk Struttin'              Wilton Felder 4:26
3. Elegant Evening                  Stix Hooper 6:03
4. Rhapsody and Blues                 Joe Sample 8:48
5. Last Call                     Joe Sample 6:40
6. Sweet Gentle Love                 Joe Sample 4:56

The Crusaders
Wilton Felder (ts,sa,ss,b)
Stix Hooper (ds)
Joe Sample (p, Keyboards, Synthesizer)

Abraham Laboriel, Sr. (b)
Alphonso Johnson (b)

Bill Withers (vol)

Ralph Rickert (tp)
Bob Mann (g)
Robert Mann (g)
Dean Parks (g)
Roland Bautista (g)
Phil Upchurch (g)
Philip Upchurch (g)
Sheila Escovedo (per)
Paulinho Da Costa (per)

Produced by Wilton Felder, Stix Hooper, Joe Sample
Russ Bracher & Greg Venable Recording Engineer & Mixing

Recorded at Britannia Studios, Hollywood, California in March 1980



ラプソディ&ブルース
クルセイダーズ
ユニバーサル ミュージック クラシック
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「ブルース好きにとってのムードテナーの代表格」スタンレータレンタインのバックには・・・

2014-09-16 | PEPPER ADAMS


Rough’n Tumble / Stanley Turrentine

時代がいつ頃かははっきり思い出せないが、ムードテナーという演奏スタイルが流行った。
演奏していたのはサムテイラー、ジョージオールド、そしてシルオースティン・・など。自分がジャズを本格的に聴き始める前なので多分60年代の初めの頃だろう。これがジャズだと思っていた時もある。

最初は洋物の曲もあったが、日本の演歌やヒット曲を演奏するようになって日本人の心を掴んだのだろう、このムードテナーがムードミュージックの一つのジャンルを占めるようになった。テナーの音が他の金管楽器と較べて人の声に近いからか、ビブラートを聴かせた音色が演歌の小節を効かせた歌い方と何か相通じる所があったのかもしれない。このテナーサウンドは日本人の心に響くものであった。

1966年ブルーノートレーベルのオーナー、アルフレッドライオンは長く育ててきたブルーノートをリバティーに売却した。ビーバップ、そしてハードバップ、そしてファンキーと、ジャズのメインストリームを作り続けたマイナーレーベルの名門がメジャーレーベルの傘下に入ることになった。時代の一つの変わり目となった。

それまでブルーノートは自社プレスのアルバムだけで他のレコード会社に原盤提供は行われていなかった。要はそれまで日本盤のブルーノートレコードは存在しなかったという事になる。当時の日本のレコード会社のジャケットはいわゆるペラジャケ。このペラジャケのブルーノートのアルバムは確かに見たことが無い。当時は、厚紙ジャケットの輸入盤への憧れというものがあったが、そもそも日本盤の出ていないアルバムは山ほどあった時代だ。

当時のスイングジャーナルを見ると、小さな記事で5月28日付のダウンビート誌にこのことが報じられ、リバティーレコードの販売権を持っていた東芝レコードが、早速、電報でアメリカに問い合わせをしていると記載されている。インターネットが無い時代、情報を得る手段はこの程度であった、今の時代とは隔世の感がある。

このアルバムは、丁度その売却騒ぎの真最中に行われた。この時点ではまだオーナーのアルフレッドライオンは現場でも健在であった。そして、片腕として活躍していたデュークピアソンもアレンジや演奏だけでなく、A&Rマンやスカウトとしての仕事も引き続き継続して行っていた。このような状況下で、ピアソンのアレンジで、当時の看板スターの一人であったスタンレータレンタインの新アルバムの制作が行われた。

この記事を書くにあたって、自分も一枚くらいは持っているのでは?と思ってレコード&CD棚を探してみたが、やはりこのスタンリータレンタインのアルバムは一枚も持っていなかった。要は、この手のアルバムは聴く事はあっても自分で購入する対象からはずっと外れていたアルバムという事になる。

したがって、このタレンタインが当時どの位のアルバムを出していたのかも知らなかった。改めて調べてみると、すでにブルーノートで1960年以降10枚以上のアルバムを出している、ブルーノートレーベルの看板スターであった。

ブルーノートは元々黒人向けのレーベル。黒人達にとって、ブルースはまさに心の故郷。ボーカル物のアルバムが少ない?(すぐに思い当たらない)ブルーノートでは、タレンタインのブルージーなテナーは、黒人達にとってブルースを歌う「ムードテナー」そのものであったのだろう。アメリカのブルーノートファンには、日本のコアなジャズファンとは別のファン層が存在した。メジャーレーベル傘下に入って、より売れるアルバム作りのためにはこのようなファン向けのアルバム作りにもドライブがかかっていった。結果、アルフレッドの意向とは異なったものになっていく。

ブルーノートで料理されると、こてこてのブルースではなく、流行のジャズロックのリズムをバックに。曲もレイチャールズやサムクックの曲、デュオンヌワーウィックの初のヒット曲、ウォークオンバイもカバーしている。

ペッパーアダムスの参加は当時一緒に活動することが多かったピアソンからの誘いであったのだろう、R&Bバンド風のバックのアンサンブルに加わっている。ブルーミッチェルやグラントグリーンはこの手の演奏は手慣れた物、雰囲気を出したソロを随所で聴かせてくれる。最後のBaptismalではファンキーな4ビートで、タレンタインに続いてアダムスやピアノのマッコイタイナーのソロも。コルトレーンのエスカレートする演奏にはついて行けずグループを去ったばかりのタイナーの演奏はファンキーだ。

アダムスにとっては、前週のハービーマンのセッションに続き、翌日7月2日のサドメルオーケストラに加わってニューポートジャズフェスティバル初出場の前日の一仕事であった。

1. And Safty                  Ronnell bright 6:46
2. What Would I Do           Without You Ray Charles 4:34
3. Feeling Good         Leslie Bricusse-Anthony Newley 7:13
4. Shake                       Sam Cooke 5:52
5. Walk On By             Hal David-Burt Bacharach 5:55
6. Baptismal                     John Hines 6:37

Stanley Turrentine (ts)
Blue Mitchell (tp)
James Spaulding (as)
Pepper Adams (bs)
Grant Green (g)
McCoy Tyner (p)
Bob Cranshaw (b)
Mickey Roker (ds)

Arranged by Duke Pearson
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, July 1, 1966


Rough N Tumble
Stanley Turrentine
Blue Note Records
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分家も本家に負けずに元祖サドメル・トリビュートを・・・

2014-09-14 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Thanks To Thad / Monday Night Big Band Plays The Music Of The Thad Jones

有名な和菓子屋には、代々引き継がれている老舗の伝統の味や技がある。時流に乗って新しい商品開発をしても、そこの伝統的な名品を上回る新商品を生み出すのはなかなか難しい。
代が替わって、全く新しい領域にチャレンジすることもあるが、それがその店にとって吉とでるか凶とでるかは運と実力次第。仮に上手く行ったとしても、先代からの教えは守らねばならないことが多い。

老舗のバンドもある種似た所がある。先日来日したPreservation Hall Jazz Bandはこれまで伝統商品しか扱ってこなかったが、新しい領域にチャレンジ。悪くはないが新しさを求めるばかりに気を取られ、昔からの伝統の味付けだけは忘れないでほしいものだ。

ビッグバンドの世界もある種同じようなものだと思う。
今年もカウントベイシーオーケストラが来週来日する。ベイシー御大が亡くなってから、リーダーは何度も変わったが、昔のベイシーオーケストラの味を守り通している。今回もきっと本家ベイシーサウンドを堪能させてくれるであろう。エリントンオーケストラも然りである。

サドジョーンズ&メルルイスジャズオーケストラが生まれたのは1966年。そして、サドジョーンズがバンドを去った1978年で双頭バンドは12年間の活動の幕を閉じた。
残されたメルルイスはバンドを引き継いだが、それはメルルイスのオーケストラであった。一時は、サドジョーンズの譜面も封印したということは、一時全く別のオーケストラになったといってもいい。その後、譜面は解禁され、現在のバンガードジャズオーケストラに繋がる。
新装開店して一度メニューから外れた商品を、「昔懐かしいメニューが復活しています」といっているようだ。確かに、それなりの味はするが何か先代の作った物とは違うといった感じがしない訳ではない。特に、先代の味付けを実際に味わったことのある者にとっては。
という点で、サドメルのオーケストラはサドジョーンズが去った時点で幕を閉じたと言ってもいいだろう。

メルルイスの元を去ったサドジョーンズは、その後ヨーロッパに渡り「エクリプス」というビッグバンドを立ち上げる。サドメルのある部分は、メルルイスオーケストラに残されたが、実はサドメルの多くはそのままこのエクリプスに引き継がれた。
というのも、サドメルのオーケストラの中核を占めた、曲、アレンジ、そして指揮といったものはすべてといって程、サドジョーンズ自身によって提供されていた。その本人がバンドを替われば、そのままサドジョーンズに付いていくと見る方が自然だろう。

サドジョーンズは、コペンハーゲンを拠点として活動し、エクリプスや地元のバンドにも曲やアレンジを提供したが、実は、これらがサドジョーンズオーケストラの2代目という事になる。結局、メルルイスとは袂を分かって2つのバンドに分かれたことになる。

しかし、サドジョーンズ本人は1984年の暮れに再びアメリカに戻り、今度は古巣のカウントベイシーオーケストラのリーダーとなる。流石にベイシーバンドは看板を掛け替える訳にはいかず、サドジョーンズオーケストラはヨーロッパに置き去りにされた。
さらに、サドジョーンズ自身は直後に病気が悪化し1986年には再びヨーロッパに戻り、コペンハーゲンでこの世を去ってしまう。再びサドジョーンズオーケストラが生まれることは無かった。

ヨーロッパで作ったエクリプスというオーケストラは、アルバムも残されている。デンマークに活動拠点を置いていたが、ヨーロッパ各地のミュージシャンが集まっていて活動はヨーロッパ全体に広がっていた。

メンバーの一人にスウェーデンのテナーサックス奏者のJorgen Nilssonがいた。コペンハーゲンとは海峡を挟んで反対側のスウェーデンのMalmoから、ホバークラフト通勤でコペンハーゲンに渡り、エクリプスに参加していた。
そのNilssonがジョーンズの死後、1988年に今度は自分自身の地元スウェーデンのMalmo(マルメ)でサドジョーンズの意を引き継いだビッグバンドThe Monday Night Bigbandを立ち上げる。

このプロジェクトはとにかく継続的に演奏を続けることを目標に、そして元祖サドメルオーケストラを見習って毎週月曜日にライブを行う事になった。
首都のストックホルムならまだしも、このマルメは人口20万程度の一地方都市、果たしてどこまで続くかと思われたのだが・・・。

その後、対岸のコペンハーデンとの間を繋ぐ橋やトンネルができたことも幸いしたのだろう、人の行き来も増加し人口も増加し、街は活況を呈した。

その結果、どこまで続くか分からなかった「月曜日の夜のプロジェクト」も、10年間で430回のライブを開くまで徐々に人気が出て、地元だけでなく、ヨーロッパ中でコンサートを開き、テレビやラジオにも出演するほどまでになった。

まさに、バンガードオーケストラがしっかり本家を守っている一方で、分家もちゃんと独立していたという事になる。
となると、最後はやはり本家への挨拶と報告。1996年4月29日にヴィレッジヴァンガードの創設者マックスゴードンの未亡人のロレインゴードンからの招きもあり、バンドメンバー揃ってニューヨークのヴィレッジヴァンガードを訪れ、無事に、分家の演奏を本家の本拠地で行う事が出来た。

これで一区切りということもあったのだろう。その年の暮れにはサドジョーンズに捧げるこのアルバムが制作された。ジャケット写真もサドジョーンズの顔写真を使用し、トリビュートアルバムではあるが、本家のオーソライズを受けた公式版となった。

全編サドジョーンズゆかりの曲、歌物を含め、サドジョーンズの作曲、アレンジだが、中に2曲、初めてアルバムになったこのアルバムでしか聴けない曲がある。
ひとつは、組曲の3部作”Return Journey”。サドジョーンズがエクリプスのために作った曲で、これまで演奏は数多く行わたれたが、レコーディングの機会が無かった。5/4拍子のRitualが実に印象的だ。
そして、もう一曲は”Mean What You Say”。
これは、サドメルの初アルバムも入っている古い曲だが、実はこのアルバムのアレンジはVer2。
サドジョーンズは筆も早く、譜面の手直しも良く行ったと聞いた事がある。一方で、譜面の管理も悪かったと。したがって、今残されている譜面も本当のオリジナルかどうかは興味があるところだが、このVer,2はちょっとした手直しではなく、1980年に全面的に書き直された物だそうだ。
良く演奏はされていたそうだが、これもそれまでレコーディングされた事がなく、今回が初アルバム登場となった。きっと実際に演奏する方が聴けばすぐに分かるとは思うのだが、口ではなかなか説明できない。

サドジョーンズの曲を演奏するバンドは多い、しかし多くの場合アルバムやコンサートのプログラムの中の一部だけ。ビッグバンドの場合でも、アレンジを微妙に変える事が多い。
サドジョーンズのアレンジを引き継ぎ、これだけの演奏回数をこなしているバンドは他には無い。分家と言えども本家に負けない立派な跡継ぎに育っていた。

1. Crackdown          Thad Jones 7:17
2. Evil Man Blues 4:06
3. Return Journey       Thad Jones
Pt. 1: Return Journey 4:47
   Pt. 2: Ritual 8:33
  Pt. 3: Rejoice 4:49
4. Quietude       Thad Jones 5:33
5. Hallelujah, I Love Her So   Ray Charles 3:07
8. The Second Race       Thad Jones 5:29
9. Evol Deklaw Ni      Thad Jones 10:41
10. Mean What You Say     Thad Jones 9:52
11. Back Bone         Thad Jones 6:22

Monday Night Big Band

Anders Gustavsson (tp)
Fredrik Davidsson (tp)
Niklas Fredin (tp,vol)
John Perry (tp,vol)
Ola Åkerman (tb)
Peter Dahlgren (tb)
Ola Nordqvist (tb)
Bjrn Hängsel (btb)
Hakan Caesar (as,ss)
Ulf Halmström (as)
Karl-Martin Almqvist (ts)
Fredrik Carlquist (ts)
Ulf Fagerberg (bs)

Kriste Palmqvist (g)
Jan Lundgren (p)
Jan Karlsson (b)
Rasmus Kihberg (ds)
Ola Bothzen (per)

Jorgen Nilsson Conductor, Leader
Peter Schmidlin Executive Producer
Recording Engineer : Hans Larsson





THANKS TO THAD-PLAYS THE MUSIC OF T
クリエーター情報なし
TCB
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世の中、偽装とか誤報とかが続いているが、このアルバムも・・・・

2014-09-13 | MY FAVORITE ALBUM
Mercy, Mercy, Mercy / The Cannonball Adderley Quintet

67年9月号のスイングジャーナルのレコード評を懐かしく見ていたら、このアルバムが目に留まった。タイトル曲のマーシーマーシーマーシーがシングルヒットして、人気のあったアルバムだ。この曲は、ザヴィヌルの作曲家としての出世作でもあり、色々カバーされている。バディーリッチビッグバンドのアルバムも良く聴いたものだ。

このところ、ペッパーアダムスがバックに入った、ぬるい8ビートを何枚か聴いたので、同じ時期でもこんなに元気な演奏があったと改めて思い出した。

所有盤はCDなので、発売当時ではなく大分後になって買い求めたものだ。
このCD盤のリイシューのプロデューサーはお馴染みマイケルカスクーナであるが、いきなりこのアルバムの正体の暴露から始まる。

先日、朝日新聞の誤報事件(あえて事件と言いたい)があったが、その前は食品関連の産地偽装、素材誤表示と、要は世の中嘘で固めて出回った物が次々と暴露されてきている。
それらには必ず何の為?という理由があるが、メディアが嘘を書いたらこれは自殺行為。憶測記事ならばまだしも、今回のものは調書という文書に書かれた物。日本語の分からない外人が読み間違えたならまだしも、文章を書くことを生業としている記者が、いくら黒塗りのあったにせよ読み間違いをするとは考えにくい。
嘘を嘘の上塗りでごまかすと、二進も三進もいかないところまで行くのが世の常だが、果たしでどこまで行くか。今回の事件を簡単な幕引きで終わらせる事は読者だけでなく、国民が納得しないだろう。

さて、このアルバムの嘘というのは、まずはタイトルそのものから始まる。
タイトル曲のMercy、Mercy、Mercyは良しとして、サブタイトルの”Live at The Club”が大問題。
このクラブが、バーチャルであれば、たいして問題は無かったのだが、シカゴに実在していたクラブの名称だから問題だ。このクラブに、アダレイクインテットが7月に出演し、その時のライブとなっている。ディスコグラフィーを見ても、そのまま表記されている。

では、実際にはどこでとなるが、10月20日にハリウッドのCapitolのAスタジオというのが正解。演奏を聴くと、聴衆の熱気が伝わってくるが、これはスタジオにお客を入れたスタジオライブだから。フリードリンクで当然乗りの良いお客を入れた、いわゆるやらせである。よく、拍手をオーバーダビングしたライブ風(擬き)というアルバムもあるが、それと比べれば実際に客を入れていたので、演奏自体は熱っぽく良いノリとなっている。

では何の為という事になるが、このクラブの新装開店のパブリシティに協力したというのが真相のようだ。今の時代であれば、その点を含めて綿密にプロモーションがプランされる事もあるかと思うが、今回はアダレーがここのオーナーと知り合いだったので、開店祝いに一肌脱いだということだそうだ。

ライナーノーツを書いている地元のラジオのディスクジョッキーも共犯になるが、彼もこのオーナグループの一員だったようなので辻褄合わせに一役買ったのだろう。

シカゴでのライブは7月とクレジットされているので、実際にこの時演奏し収録もされたかもしれない。しかし、せっかくのパブリシティには内容が今一つ(演奏なのか会場の雰囲気だったのかは?)だったので、10月にスタジオライブで録り直したというのが本当の所ではないか?

今の時代では、このような事をやればすぐにネットで話題になる。世の中段々人を騙すのは難しくなっているのに、反対に振り込詐欺が横行するのは何故?

もちろん、このような仕掛けがあっても(あったから結果が良かったのかも)演奏は素晴らしいものなので、アルバム自体は大ヒットした。しかし、お店の方は残念ながら長くは続かなかったという。世の中そんなものだろう。

1, Fun           Nat Adderley / Nat Adderley, Jr. 8:26
2. Games                    Nat Adderley 7:19
3. Mercy, Mercy, Mercy              Joe Zawinul 5:10
4. Sticks                Cannonball Adderley 3:54
5. Hippodelphia                 Joe Zawinul 5:49
6. Sack O' Woe             Cannonball Adderley 10:29

Cannonball Adderley (as)
Nat Adderley (cor)
Joe Zawinul (p,elp)
Victor Gaskin (b)
Roy McCurdy (ds)

David Axelrod Producer
Hugh Davies  Engineer

Recorded at Capitol Studios Los Angeles, on October 20., 1966

Mercy Mercy Mercy
Cannonball Aderley
Blue Note Records
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日本の伝統的な曲でNewportのジャズファンを魅了したのは・・・・

2014-09-12 | MY FAVORITE ALBUM

Sharps & Flats in Newport

先日、Akira Tana率いる”Otomowa”を紹介した。
日本の曲をジャズで演奏して地元ではファンを掴んでいるようだが・・・

1967年、沈滞気味だったビッグバンドが活況を呈してきた年だ。
前年編成されたサド・ジョーンズ&メルルイスオーケストラ以外にも、バディーリッチ、ドンエリス、デュークピアソンなどのビッグバンドも続々と産声を上げていった。もちろん、ベイシー、エリントン、ハーマンといった老舗のオーケストラも復活の兆しを見せてきた年だ。

当時のジャズフェスティバルの中心といえばニューポートジャズフェスティバル。
この檜舞台にも、常連のベイシーに交じって、バディーリッチ、ドンエリスといった新興グループも出演した。
それに負けじと、ハーマンのオーケストラや、ライオネルハンプトンもリユニオンバンドと称して久々にフルバンド編成で出演を果たしフェスティバルの取りを務めた。

この1967年のニューポートにもう一つビッグバンドが出演した。日本の誇る原信夫とジャープス&フラッツであった。
フェスティバル3日目の7月2日の午後のステージ、ヴァイブプレーヤーが勢ぞろいしたVibe workshopに続いての、午後のステージのラストで登場。

当然、当時アメリカでは無名のバンド、プログラムには、

From Tokyo, Japan The Sharps and Flats and 18piece orchestra under the direction of Nobuo Hara

と記されていた、名前だけでは通じず注釈が必要だったようだ。
聴衆達も、有名プレーヤーに交じって登場した、遠く東洋からやってきたビッグバンドが一体どんな演奏をするのか興味津々であったろう。

シャープにとっても初のアメリカ遠征であった。今では、ニューヨークまでの直行便があるが、当時は西海岸でさえ直行便がまだない時代、ニューヨークに行くだけでもまだ大変な時代。さらに、ニューポートの会場は、ニューヨークのダウンタウンからは遠く離れ、ボストンに近いロードアイランドのニューポート。ベイシーオーケストラが、マイアミとドンボ帰りをしたのとは大違いで、何日も前に現地入りし、初舞台に向けて入念な準備がなされた.
舞台に上がる前はかなり緊張をしていたようだが、リハーサルを聴いた関係者からは確かな手応えを感じていたようで、自信満々のステージを迎えたそうだ。

ジャープが現地で演奏したのは、すべて日本の曲。
サクラ・サクラ
梅ヶ枝の手洗鉢
腰天楽
ソーラン節
箱根八里
ソー・タイアード
阿波踊り

終わった時には、スタンディングオベーションの大喝采だったそうだ。

日本の古き良き曲を素材として前田憲男、山屋清、小川敏彦といった新進気鋭のアレンジャーがビッグバンドサウンドに仕立て上げ、さらに曲によって山本邦山の尺八を加えてプログラムを作り上げている。

このアルバムは、ライブではなく、この6曲にみだれ、古都を加えてスタジオで収録されたもの。会場の熱気は味わえないが、会場を沸かした演奏の素晴らしさを再現している。アレンジの演奏の完成度に、やはり尺八の音色というのも日本の心を訴える何かを持っているのだろう。

ニューポートの舞台で、アメリカのバンドも何か新しい試みをしようと立ち上がり始めた時期に、皆が取り上げる手垢のついたスタンダード曲を日本のバンドがやっただけでは何も感銘を与えることはできなかったと思う。このような大胆なプレゼンテーションがあっての評判であり、これがきっかけになって、その後の日本のジャズの認知、興隆にもつながったのではないか。

実際にどのような評判だったかをもう少し知りたいと思い、当時のスイングジャーナルを繰ってみた、67年9月号に載っていたが、大好評であったレポートに加え、初の海外遠征での珍道中ぶりも楽しく記事になっていた。

そして、ジャープの面々から見た他のオーケストラの感想も。
バディーリッチのバンドが凄いのはリッチだけ。バンドの演奏は決して自分達も負けない。ドンエリスの返拍子のドライブ感は格別、ステージでは拍子当てクイズをやっていたとか、ジョーヘンダーソンのリハーサルを見たけど初見の楽譜を読むのもおぼつかなかったのが、練習を重ねる度に音が変わってくる。日本の場合は最初からそこそこ良い音を出すのに、その後それ以上良くならないのは何故?、
とか彼らが生で聴いた感想が語られている。

ちなみに、シャープも現地に入って練習をし始めたら突然日本でやっていた時と音が変わり始めたとか。アメリカの空気がそれを可能にするのかもしれない。

この9月号の特集はこの年の7月17日に急死したジョンコルトレーンの追悼記事。確かに、このコルトレーンの死を境にビッグバンドだけでなく、ジャズ界も大きく変貌を遂げていった

1. さくらさくら
2. 越天楽
3. 箱根馬子唄
4. みだれ
5. ソーラン節
6. 梅ヶ枝の手洗鉢
7. 古都
8. ソー・タイアード
9. 阿波踊り

原 信夫 (Leader,ts)
森川 周三・福島 照之・佐波 博・篠原 国利 (tp)
谷山 忠男・鈴木 弘・宗清 洋・越智 治夫 (tb)
前川 元・谷口 和典・鈴木 孝二・森川 信幸 (sax)
小川 俊彦 (p)
野口 武義 (g)
竹内 弘 (b)
中村 吉夫 (ds)
山下 邦山 (尺八)



ニューポートのシャープス・アンド・フラッツ
原信夫とシャープス&フラッツ
日本コロムビア
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スーパーマンとは万能人間のことなのか?一芸に秀でている人間なのか?

2014-09-11 | JAZZ LIFE



What’s Up ? / Michel Camilo

ミシェルカミロというピアニストがいる。元々がドミニカ出身なので、ラテンのミュージシャンかと思いきや、今ではジャズだけでなくクラシックも。ジャンルを問わず何でも演奏する。そしてソロもあればデュオも得意、自らビッグバンドを率いたと思ったら、クラッシックのオーケストラとも共演する。
バーサタイルという言葉があるが、世の中マルチ人間が求められる時代、このような人間のことをいうのかもしれない。

先日、東京ジャズ2014が開かれたが、このカミロも来日した。今回は人気の上原ひろみとデュオであったが、そのピアノ演奏の迫力と、一方で繊細さ、そして表現力を目の当たりにして改めてそのプレーに度肝を抜かれた。
当日の模様はFMでも中継されていたようなので聴かれた方も多いと思う。テレビ放送も10月にある様なので楽しみだ。
YouTubeに今年7月のイタリーでの同じ二人の演奏のライブ映像があった。曲は東京でも演奏されたCaravan。こんな感じだ、ホールに響き渡る音は再現できなくとも、雰囲気だけでも伝わってくる。。



このカミロ、昨年はビッグバンドを率いての来日であった。メンバーには、ルーソロフ、クリスハンター、そして大好きなペッパーアダムスの後継者ゲイリースマルヤンの姿も。
他のオーケストラでもお馴染みの個性ある名手の顔が多かったが、このカミロのバンドに加わると皆のサウンドはカミロ色に変る。当たり前と言えば当たり前だが。レギュラーバンドではないので、バンドカラーをすぐに出すのは難しいと思うのだが、これはアレンジだけではないカミロのリーダーシップ、ディレクター、そしてバンドを指揮する彼の手腕だろう。

他にも、このソロアルバムの発売に合わせてソロのライブも行われた。まさに、毎回八面六臂の活躍ぶりである。

実は、このカミロとプライベートに数十年の付き合いをしている私の友人がいる。今回は短い滞在期間ではあったが、「彼と会食をする機会があるので一緒に来ないか」との嬉しい誘いを受けた。
もちろん二つ返事でお相伴に与って、このコンサートの夜、ご夫妻同士の会食の末席に割り込ませて頂いた。

昼間の真剣勝負のプレーぶりとは違って、実に穏やかで、フレンドリーで、終始和やかな雰囲気を崩すことは無かった。会話上手でもあり、いわゆる偉そうな感じを全く感じさせず、人の話も良く聴く素晴らしい人物であった。
あっというまの4時間であったが、友人とはプライベートな付き合いなので、音楽の話はそこそこに、ニューヨークの音楽仲間の話しから、世界中を回っている各地の話し、健康の秘訣の話、そして最後は世界経済の話まで、その知識と体験は只々驚くばかり。

ピアノへの拘りもすごく、演奏会場で使用するピアノ選びにも厳しい。今回もリハーサルで最初に使用したピアノは一曲でダメ出しお引き取り願ったそうだ。
日々4時間から6時間、時には9時間を超える練習を欠かさず、その毎日の演奏が今でもどんどん身に付いているそうだ。ピアノの演奏だけでなく、こうやって話をしていることも日々身についていっているので、自分のピアノは「この体そのもの」であり、すべて体の中に納まっているのだと。
それ故、今日はソロ、明日はビッグバンド、明後日はクラシックでも、全部身についているので大丈夫。ジャズだって、「スコットジョプリン、アートテイタム、ピーターソン、ハンコック誰でも、何でも、どんなスタイルも弾けるよ」とのことでした。
超人とはこのような人の事をいうのだろう。

この話を聞いてソロピアノを聴くと、ただ超絶的テクニックに感嘆するのではなく、一音一音にカミロの人生のメッセージが込められているのを楽しまねばと改めて思い直した次第だ。

昔、あるプロゴルファーとラウンドしている時の言葉を思い出した。プロは練習場ではほとんど寸分違わない同じショットができる。だからミスショットなんかしないのだ。しかし、コースに出ると、風も吹き、時には雨も降り、傾斜もあれば芝の状態も違う。その状況を瞬時に把握し、数百のチェックポイントを経て、その状況に最適なスイングをする。結果は、見事に読み通りの事もあるが、実際には何か見落とし判断ミスがあったり、体が違う反応をしてしまうので100点にはならない。日々の練習があってこそ、イメージ通りの一打が打てる、それは練習場とは違って1000回打って1000回違うものだと。

何か、カミロのピアノにも同じプロの世界を垣間見た感じがする。

カミロのバーサタイルというのは何もピアノのプレーだけでなく、人生そのものがバーサタイルであり、その経験があってピアノのプレーにも生かされているのを思い知った。
何の世界でも、その道を極めたプロというのは人物、人格的にも別格な人が多い。
本当のプロというのはとても凡人には真似のできない世界を生きているのだろう、並のマルチ人間とは別次元のような気がする。

1. What's Up?          Michel Camilo 3:43
2. A Place in Time       Michel Camilo 4:55
3. Take Five          Paul Desmond 5:08
4. Sandra's Serenade       Michel Camilo 6:31
5. Island Beat         Michel Camilo 4:43
6. Alone Together   Howard Dietz / Arthur Schwartz 5:28
7. Paprika           Michel Camilo 4:03
8. Love for Sale       Cole Porter 4:56
9. Chan Chan  Amparo & Francisco Repilado Con Grupo Compay Segundo 5:33
10. On Fire           Michel Camilo 4:43
11. At Dawn          Michel Camilo 3:04
12. I GOt Rhythm     G. & I. Gershwin 3:40

Michel Camilo (p)

Recorded at The Carriage Hpuse Studios,Stamford, CT on February 14,15 20113

#12 at Teatro Nacional in Diminica June 28,2011


ワッツ・アップ?
Michel Camilo
SMJ
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これはアダムスのリーダーアルバムといってもいいのでは・・・?

2014-09-10 | PEPPER ADAMS
Pepper Adams Live In Europe

1977年8月24日にペッパーアダムスは、ヨーロッパをツアー中であったサドメルのオーケストラを去って、ニューヨークに戻りソロリストとしての活動を始める。色々自宅に戻って身辺整理もあったとは思うが、すぐに向かった先はサンフランシスコ。昔ウェストコーストで仕事をしていた時以来の旧友であるMarabuto兄弟の元を訪れた。

地元でのセッションにも参加し、この時Marabuto兄弟と一緒にライブのアルバム"Pepper Adams Live at The Douglas"も残した。サドメルに加わる前のソロと較べると幾分荒々しさが増した。プレーぶりだけでなくバリトンの音質も幾分変ったように思う。

そして、再びニューヨークへ戻って、これも旧友であるDavid Amramのセッション"Havana New York / David Amram"に付き合うと、10月9日に再度ヨーロッパに旅立つ。サドメルのツアーでヨーロッパを訪れる機会も多く、滞在期間も長くなっていた。今回の行先はパリ。

着いた翌日には、フランスのピアニストGeorges Arvinitas のTrioに加わってラジオ出演をする。このジョルジュ・アルヴァニタスとしばらく行動を共にするが、11月4日のボルドーでのセッションがライブで録音され、このアルバムとなった。

自分はヨーロッパのミュージシャンをあまり聴かなかったので良く分からないが、このアルヴァニタスはヨーロッパでは実力者の一人。しばらく前に61年のアルバムSoul Jazzが幻の名盤で話題になっていたが、50年代から活躍していたハードバップ、ファンキーの洗礼を受けたメインストリーマー。という点ではアダムスと根差すところは同じ、そして2人の77年の演奏はということになる。

最初の曲、アダムスのオリジナルBossa Nouveaはこの頃、アダムスは良く演奏していた。前作のマラブトとのアルバムでもやっていたボサノバ調の快調な曲だ。
お馴染みBody and Soulはアダムスの静の技を堪能できる。
Min,And Maj. Bluesはアップテンポのアヴァニタスの自作曲。カミソリプレーは健在で水を得た魚のような8分を超える縦横無尽に展開するアダムスのソロは圧巻、色々な曲のフレーズを交えながらソリストになった想いを一気に爆発されているようだ。
そして、自作のEphemeraはまったりと始まるが途中の緩急の付け方がアダムスらしい。
そしてDear Old Stockholmは色々なプレーヤーの名演があるが、それらと比較してもいいかも。

と通して聴いてもピアノのアルヴァニタスとの相性はなかなか良い。流石フランスの主流派の第一人者といわれるだけあって、アダムスのスイング感とピッタリ噛み合っている。

このブログでペッパーアダムスの事を色々書いているが元ネタの多くは、アダムスの研究家であるゲイリーカーナーの資料によるところが多い。

彼の定義によると、アダムスのリーダーアルバムは全部で20枚とある。
このアルバムのタイトルはアダムスになっているにも関わらず、その中でアダムスのリーダーアルバムにはカウントされていない。あくまでもアルヴァニタストリオへの客演という扱いだ。他にも、有名なドナルドバードとの共演アルバムも入っていない。

彼の定義するリーダーアルバムとはあくまでのアダムスの意向がアルバムに入っていないと駄目で、ブルーノートのドナルドバード盤は皆除外となってしまう。ブルーノート自体もアダムスをリーダーとは認めていなかったので事実ではあるが。こもアルバムは演奏を聴く限りアダムス主体にやりたいように吹いているように思えるが。
そして、もうひとつ彼の死後に発売されたライブアルバムも除外となっているが、このアルバムはLPでも出ていたので多分生前には出ていただろう。なぜ外されているのは不可解?

いずれにしても、International Soloistとして活動した1977年~1986年の晩年の活動のキックオフを飾るアルバムとして、ワンホーンでたっぷりアダムスのプレーを聴けるこのアルバムはお勧めだ。ライブ物であるが、一発物のジャムセッションではなく、少なくともこのセッションの前にも何度か一緒にプレーをした一体感がある。アルヴァニタスファンにもお勧めかもしれない。

1. Bossa Nouveau            Pepper Adams 10:59
2. Body And Soul            Johnnie Green 10:10
3. Min And Maj Blues         Georges Arvanitas 16:54
4. Ephemera              Pepper Adams 14:29
5. Dear Old Stockholm          traditional 15:00

Pepper Adams (bs)
Georges Arvanitas (p)
Jacky Samson (b)
Charles Saudrais (ds)

Enregistré en public à l'Alhambra de Bordeaux, France, le 4 Novembre 1977
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ワンナイトスタンドといっても、さすがに2500マイルの往復となると・・?

2014-09-09 | MY FAVORITE ALBUM
Breakfast Dance And Barbecue / Count Basie & His Orchestra

1958年クインジージョーンズのヨーロッパツアーは、予定したミュージカルの仕事がキャンセルになりメンバー全員、家族を連れて明日のコンサートの場所を探してヨーロッパ中を転々とするという過酷なものになったが、バンドにとってツアーはつきもの。バンドのツアーに関しては悲喜交々色々な話題が残されている。

昔、ビッグバンドがダンスのためのオーケストラであった時代、大きなダンスホールの専属となると仕事は毎日同じ場所であった。しかし、ビッグバンドがダンスのためでなく聴かせるためのバンドに変っていくと数も少なくなり、残ったバンドも演奏する場を求めて彼方此方をツアーして廻ることになった。
特に地方の小さな街でのコンサートは一晩限り、ワンナイトスタンドといわれバスに乗って毎日転々していくツアーとなった。ウディーハーマンやスタンケントンなどのビッグバンドの話を聞くとよく出てくる話だ。
しかし、それは有名バンドであるエリントンやベイシーといえども例外ではなかった。

カウントベイシーも歴史を辿ればダンスバンドとして演奏をしていた時代もあった。しかし、50年代も後半になり、いわゆる”Atomic” Basie Bandといわれた時期になると、ダンスの仕事は稀になり、聴かせるためのライブやコンサート主体の演奏活動になっていく。

その時、ベイシーオーケストラはニューヨークにいる時はホームグラウンドとなるバードランドがあった。メンバーにとって、長い地方のツアーから帰り、このバードランドへの出演となると移動の負担も減り、リラックスした演奏を繰り広げていた。
此の様子は、バードランドのライブでも窺い知ることができる。

1959年5月、クインジョーンズがヨーロッパから帰国し、マーキュリーでアルバム作りを始めた頃、ベイシーのオーケストラは後半の2週間はニューヨークに戻り、いつもの通りのバードランド出演となった。この時珍しくホテルThe Wordolf in New Yorkでの仕事が入った。久々のダンスバンドとしての仕事にバードランドの仕事は休みを貰ってメンバー揃って参加していた。

31日、無事にこの仕事を終えたメンバー達は、終わるや否や荷物を片付け空港に向かった。そのままマイアミ行の夜便に乗ると、現地に着いたのはすでに日も変わろうとする深夜。そのまま、3000人が待つThe Americana Hotelの宴会場へ直行した。

着くと同時にセッティングを行い一曲目の音出しが行われたのは何と夜中の2時。
いつものよういベイシーのピアノのイントロで始まったのは、サドジョーンズの作っ
たTheDeacon、少し長めのイントロからジョーンズ自身のソロに続く。それから夜を徹してのパーティーがスタートした。

この宴会場でベイシーオーケストラの到着を待っていたのは、全米のディスクジョッキー協会の第2回大会の参加者達、お客はその道の専門家ばかりで耳の肥えたお客の集まりであった。

そして、このパーティーの主催者は何とルーレットレコードのオーナーであるモーリスレビィー、すなわちベイシーのボスでもあるバードランドのオーナー。ボスの大事なパーティー参加にこのレコーディングが予定されていたのではこの出演要請を断る訳にもいかず、その日の強行スケジュールが決行されたという事になる。

このパーティーもセットを重ねて延々と続く。歌手のジョーウィリアムスも登場するが、歌っている曲がFive O’clock in the Morningとなる。冗談ではなく5時頃の演奏かもしれない。ニューヨークに早く帰りたかったのか、Back To The Appleも演奏される。
途中、朝食用の数百というテーブルがセットされたりして、One O’clock Jumpで最後のバンドの音が会場から消えたのはすでに7時になっていた。

この徹夜のライブを終えたメンバー達は、マイアミでゆっくりオフを過ごしたのかと思いきや、片付けも早々に一休みして空港に直行。そのまま飛行機に乗り込むと、また2500マイルのフライトでニューヨークへ。その晩はそのままバードランドのステージに立ったそうだ。移動距離最長記録のマイアミ往復のワンナイトスタンドとなった。

ベイシーのライブ物にはそれぞれいわく因縁があるものが多いようだが、不思議といい演奏が多い。このライブも長旅の疲れも感じさせず、実に伸び伸びとした演奏でいいライブだろ思う。
バードランドでのライブは会場のざわつき感を含めて「いわゆるライブハウスでの演奏」といったリラックス感が強いが、こちらはダンスもできる大きなパーティー会場。コンサートホールよりは和んだ雰囲気に加え、お客の多くを占めるディスクジョッキー達の「演奏も聴くぞ」という会場の空気が、適度な緊張感を生んでいるのかもしれない。
あまり話題になる事は少ないが、自分としても結構気にいっているアルバムだ。このようなアルバムは大音量で聴くべし、色々な音が聞こえる。これもライブ物の楽しさ。

LPの時は、その演奏の一部しか紹介されていなかったが、このCDアルバムなって大分全貌が見えてきた(コンプリートはまだ他の曲もあるようだが一度は聴いてみたいものだ)

それにしても、このタイトルは何か意味があるのか? 確かに朝食付きのダンスとバーベキューパーティーだったようだが。

1. Deacon
2. Cute
3. In a Mellow Tone
4. No Moon at All
5. Cherry Red
6. Roll 'Em Pete
7. Cherry Point
8. Splanky
9. Counter Block
10. Li'l Darlin'
11. Who, Me?
12. Five O'Clock in the Morning Blues
13. Every Day I Have the Blues
14. Back to the Apple
15. Let's Have a Taste
16. Moten Swing
17. Hallelujah, I Love Her So
18. One O'Clock Jump

Snooky Young, Thad Jones, Wendell Cully, Joe Newman (tp)
Al Grey, Henry Coker, Benny Powell (tb)
Frank Foster, Billy Mitchell (ts), Marshal Royal, Frank Wess (as), Charlie Fawlkes (bs),
Count Basie (p), Freddie Green (g), Eddie Jones (b), Sonny Payne (ds)
Joe Wolliams (vo),
Harry 'Sweets' Edison (tp on 18)

Produced by Teddy Reig
Engineer : Bill Schipps, Tony Brainard
Location & Date : The Americana Hotel, Miami, Florida, May, 31, 1959

Breakfast Dance & Barbecue
Count Basie
Blue Note Records
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クインシージョーンズがこのアルバムで一歩踏み出さなければ今のクインシーは無かったかも?

2014-09-08 | MY FAVORITE ALBUM
Quincy Jones Plays Hip Hits

先日、サドメルのファーストアルバムを録音したフィルラモンのディスコグラフィーを見ていたら、初期の作品にマーキュリー時代のクインシージョーンズのアルバムの名前”Play Hip Hits“があったのに気が付いた

クインシーといえば、昨年来日して多くのチルドレンに囲まれてクインシーの歴史を語るような素晴らしいライブを聴かせてくれたが、アレンジャーからプロデュース業への最初の転身をした時代がマーキュリーの時代だ。

クインシーのビッグバンドはお気に入りのバンドの一つなので、このブログでも多く紹介したが、このマーキュリー時代の後期のアルバムはパスしていた。実際に他のアルバムはLP時代に入手したが、このアルバムを購入したのはCD時代になってから.一二度聴いてお蔵入りしていた。別に嫌いではないが、何か物足りなさを感じて。久々に聴いてみながら、少し振り返ってみることに。

マーキュリー時代のクインシーといえば、まずは自らのレギュラーバンドで始まる。
ヨーロッパに遠征して苦労した後、59年にThe Birth of a Bandでアメリカでのアルバムデビューを果たし、そして61年のニューポートに出演したが、そのライブでクインシーのレギュラーバンドも解散。これで一区切りとなった。

クインシー自身がマーキュリーの経営にタッチしてからは、アレンジャーとしてのクインシーに加えてプロデューサーとしてのクインシーのスタートであり、その後のクインシーのオーケストラも少しその前の時代と色合いが違ったものになった。
要は、マーキュリーの経営者として売れるアルバム作りを求められたのだろう。

このアルバムが、ちょうど端境期の一枚だ。

当時のマーキュリーのカタログを見ると、ジャズだけでなくあらゆるジャンルのアルバムが揃っている総合デパート状態。ジャズテットなどのストレートジャズのアルバムもあるが、ジャズといえどもだんだん売れるアルバム作りに変っていった。

結論から言うと、このアルバムで当時のヒット曲をクインシー風に料理するところから今のクインシーが生まれたような気もするし、一方で、時代的にもベイシーエリントンもヒット曲アルバムを作っていた時代だったとも言える。
これをコマーシャリズムと言ってしまえばそれまでだが・・・。

先日、ハービーマンのコマーシャリズムにのった録音を乱発した時のアルバムをコメントしたが、60年の半ば、ちょうど時期的にもこのクインシーのアルバムは符合する。

ジャケットには63年4月9日、11日、12日の録音と記されているが、62年6月録音のA tast of Honeyや9月録音のDesafinadoなども収録されているので、アルバムはいくつかのセッションから集められたもの。先日のハービーマンのアルバムとも似たような作られ方だ。

いずれにしても、曲は当時のヒット曲が中心。ジャズのスタンダードの多くは元々昔のヒット曲。ヒット曲を取り上げたからコマーシャリズムという訳ではないが、色々なジャンルから良くヒット曲を集めたといって程バラエティーに富んだ選曲がされていて、これで新たなファンを作ったのも事実だろう。

一曲目は、ハービーマンの62年のヒット曲「カミンホームベイビー」。早速、「頂き」といって感じでカバーしている。ベースには、ハービーマンのアルバムでも演奏していたベンタッカーを起用する凝りよう。次のレイブラウンのグレイビーワルツが果たしてヒット曲なのかと思ったら、テレビのスティーブアレンショーの為につくったテーマ曲だった。

ディサフィナードも前年ゲッツとジョビンでヒットした曲、エクソーダスは映画「栄光への脱出」、次のヴィンスガラルディーの曲は63年のグラミーの最優秀楽曲賞受賞作、次のテイストオブハニーは有名だが、誰の作品かと思ったらこのアルバムでソロをとることが多いいボビースコットの作品。

バックアットザチキンシャックは、ジミースミスのファンキーな曲、ハープシコードのイントロがいい感じ、ジャイブサンバはナットアダレーの有名曲だ。テイクファイブもヒット直後。エルマーバーンスタインの映画音楽の後は、ハンコックの初期の名曲ウォーターメロンマンでこれはボーカル入りで。最後のブルーベックのボサノバ曲は別のボサノバセッションからの一曲。

ボビースコットのピアノ、ジムホールのギターとシムスのテナーとウッズのアルトがアルバム全体を通じてフィーチャーされているアルバム作りだ。

どの曲も全体が短いながら、実にそれぞれの曲の雰囲気を生かしたアレンジだ。ソロも短いがどれもピリッとした味付け。自己満足型の長いソロに時々辟易とすることもがあるが、美味しい物を味わうにはかえってこのような少し物足りない方がいいかも。腹8分目とは何の世界でも共通なようだ。

今回聴き直してみると、クインシーのアレンジは元々複雑、難解というより、シンプル&スインギー。素材は確かに新しいヒット曲ばかりだが、ヒット直後や超有名曲のオリジナルのイメージが強い中でのアレンジも難しいだろう。演奏も決して手を抜いている訳ではない。昔テレビのCMの世界が15秒の芸術と言われたように、短い中に表現したいコンセプトを上手く入れ込むのが名人芸と言われるのと同じだと思う

そして、このアルバム作りに参加したミュージシャンのクレジットをみると、どのセッションもオールスターメンバー勢ぞろい。ニューヨーク中のスタジオミュージシャンが集まってしまったような豪華さだ。せっかく見つけたのでコピペをしておくことにする。

1. Comin' Home Baby          B.Tucker & R.Dorough 2:47
2. Gravy            Waltz Ray Brown & Steve Allen 2:36
3. Desafinado              A.C.Jobin & Mendonca 2:57
4. Exodus                     Ernest Gold 3:20
5. Cast Your Fate to the Wind           Vince Guraldi 2:44
6. A Taste of Honey         Bobby Scott & Ric Marlow 2:34
7. Back at the Chicken Shack           Jimmy Smith 2:59
8. Jive Samba                  Nat Adderley 2:38
9, Take Five                    Dave Brubeck 3:27
10. Walk on The Wild Side              E.Bernstein  3:11
11. Watermelon Man              Herbie Hancock 3:20
12. Bossa Nova USA              Dave Brubeck 3:12

Al DeRisi, Joe Newman, Jimmy Nottingham, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Billy Byers, Jimmy Cleveland, Paul Faulise, Quentin Jackson, Melba Liston, Tom Mitchell, Santo Russo, Kai Winding (trombone) Ray Alonge, Jim Buffington, Earl Chapin, Paul Ingraham, Fred Klein, Bob Northern, Willie Ruff, Julius Watkins (French horn) Jay McAllister, Bill Stanley (tuba) Charles McCoy (harmonica) Al Cohn, Budd Johnson, Roland Kirk, Walt Levinsky, James Moody, Romeo Penque, Seldon Powell, Jerome Richardson, Zoot Sims, Frank Wess, Phil Woods (woodwinds) Patti Bown, Lalo Schifrin, Bobby Scott (piano, organ) Kenny Burrell, Jim Hall, Sam Herman, Wayne Wright (guitar) Art Davis, George Duvivier, Milt Hinton, Major Holley, Ben Tucker, Chris White (bass) Rudy Collins, Osie Johnson, Ed Shaughnessy (drums) James Johnson (timpani) Bill Costa, Jack Del Rio, George Devens, Charles Gomez, Jose Paula (percussion) Quincy Jones (arranger, conductor)
NYC, June 15, 1962

Clark Terry (trumpet, flugelhorn) Jerome Richardson (alto flute, flute, woodwinds) Lalo Schifrin (piano) Jim Hall (guitar) Chris White (bass) Rudy Collins (drums) Carlos Gomez, Jose Paula, Jack Del Rio (percussion) unidentified horn and brass, Quincy Jones (arranger, conductor)
A&R Recording Studio, NYC, September 8, 1962

Al DeRisi, Joe Newman, Jimmy Nottingham, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Billy Byers, Jimmy Cleveland, Paul Faulise, Quentin Jackson, Melba Liston, Tom Mitchell, Santo Russo, Kai Winding (trombone) Ray Alonge, Jim Buffington, Earl Chapin, Paul Ingraham, Fred Klein, Bob Northern, Willie Ruff, Julius Watkins (French horn) Jay McAllister, Bill Stanley (tuba) Charles McCoy (harmonica) Al Cohn, Budd Johnson, Roland Kirk, Walt Levinsky, James Moody, Romeo Penque, Seldon Powell, Jerome Richardson, Zoot Sims, Frank Wess, Phil Woods (woodwinds) Patti Bown, Lalo Schifrin, Bobby Scott (piano, organ) Kenny Burrell, Jim Hall, Sam Herman, Wayne Wright (guitar) Art Davis, George Duvivier, Milt Hinton, Major Holley, Ben Tucker, Chris White (bass) Rudy Collins, Osie Johnson, Ed Shaughnessy (drums) James Johnson (timpani) Bill Costa, Jack Del Rio, George Devens, Charles Gomez, Jose Paula (percussion) Quincy Jones (arranger, conductor)
NYC, April 9, 1963


ザ・ヒップ・ヒッツ(紙)
Quincy Jones
ユニバーサル ミュージック クラシック
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