A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

アダムスが旧友サドジョーンズと行動を共にする転機になった一枚のアルバム・・・

2014-07-29 | PEPPER ADAMS
More Blues and The Abstract Truth / Oliver Nelson

1964年のペッパーアダムスは、ライオネルハンプトンのグループの一員としての活動でほぼ一年を過ごした。6月にレイクタホでルースプライスへの恋が一瞬燃え上がったものの、一週間のオフをとった後、再びハンプトンとのツアーは続く。

7月はシカゴからトロントへと今後は東部に移動した後、7月23日には海を渡ってフランスのアンチーブジャズフェスティバルに出演。その足で今度はヨーロッパを移動する。現地では、もう一本セシルペインのバリトンサックスが加わり、ダブルバリトンという珍しい編成になった。
これはアダムスのとっては初のヨーロッパ遠征だったかもしれない。スタンケントンオーケストラで長期間のツアーは駆け出しの時期に経験をしたが、久々にツアー生活に明け暮れた年であった。

久々にニューヨークに戻ったのは7月末。8月にはニューヨークで再びハンプトンとの仕事が続いた。このような日々を過ごしたこともあり、この年のアダムスはここまでレコーディングの仕事は一本も無かった。レギュラーグループを組んでいた時でも、レコーディングをクラブ出演の合間にこなしていたが、ツアーに出てしまうとそのような機会も無くなってしまう。経済的な心配はしなくてもよい一方で、仲間とのギグやレコーディングの無い日々に多少フラストレーションも溜まっていたのだろう。

8月でハンプトンの仕事は一区切りをつけ、秋になると久々にニューヨークでの活動を再開した。しばらくニューヨークを離れていたので生活リズムも狂っていた。ハンプトングループで一緒にツアーをしていたトランペットのビルベリーを誘って、旧友エルビンジョーンズとのギグで久々のセッションを楽しむと、だんだんニューヨーク生活のペースも戻ってきた。

週に何本かのギグをこなして、11月2日は久々にジョーンズ3兄弟とのセッションだった。トランペットのサドジョーンズを始めとして3兄弟とはデトロイト時代からのプレー仲間、ベースのジョージデュビビエを加えたクインテットでの演奏は懐かしさ以上に何か手応えを感じたのかもしれない。すぐ後にサドジョーンズとのクインテットを編成することになる。
前にコンビを組んだドナルドバードも同じデトロイト出身であったが、今度のサドジョーンズも同じデトロイト仲間。彼との付き合いが、その後それまで以上に密に続くとはその時は思いもしなかったろう。

そして、一週間後の11月10日にこの年初めてのレコーディングにサドジョーンズと一緒に呼ばれる。招集をかけたのはアレンジャーのオリバーネルソン、この日のレコーディングはネルソンのアルバム”More Blues and Abstract Truth”であった。
アレンジャーとして頭角を現してきたネルソンのセッション、普通のセッションとは違う事は容易に想像できたであろう。前作は3年前に録音、新生インパルスレーベルからのリリースであり、それなりに有名になっていた。その続編となると、おおよそのイメージは持って臨んだはずだ。

アダムスにとっては前年のモータウンへのレコーディング以来1年ぶりのスタジオ入りであった。ツアー中のハンプトンの演奏はプライベート録音はあるが、正式なレコーディングは残っていない。これも、一度は聴いてはみたい演奏だ。

ネルソンのこのアルバムは、有名なアルバム「ブルースの真実」の続編となるアルバム。前作ではエリックドルフィーやビルエバンスの参加でも有名だが、このアルバムではガラリとメンバーが入れ替わっている。
フロントラインはアダムスの他に、サドジョーンズとフィルウッズ、そしてテナーのフィルボドゥナー、トランペットのダニームーア、曲によってゲストにベンウェブスターがいい感じで加わる。ピアノのロジャーキャラウェイというのも面白い。ベースは後にサドメルにも一緒に加わったリチャードデイビス。ドラムのグラディーテイトは実はパーカッションでミンガスのタウンホールのコンサートにも出ていたが、その後本格デビュー、この頃からすでにスタジオの主となってきた時期での参加だ。
オリバーネルソン自身はこのアルバムでは演奏には参加せず、アレンジャーとしてだけの参加、プレーよりもアレンジャー業の方に重きを始めた頃だ。

アルバムのコンセプトはまさに「ブルースの真実」の続編。ブルースアルバムというとブルース独特の泥臭さを感じるものだし、またそれが魅力だ。
しかし、時代を経てブルースもジャズに染まり、ロックの影響を受け変化をしてきた。60年代のジャズもハードバップ全盛期からの転換期。フリージャズからトラッドまでのまでの広がりの中でブルースが変わっていく道筋はいくつもあった。その中で前作と合わせてネルソンが導き出した一つの答えがこのアルバムであろう。

ネルソンのアレンジはビッグバンドでもカラッとしたスマートな黒っぽさが売りだろう。ロスに拠点を移してからは土地の影響を受けてか、よりアレンジに輝きをましたかもしれない。しかし、根っ子の黒っぽさは変わらなかった。
好きなアルバムであるロスでのビッグバンドのライブアルバムもそんな感じで、西海岸出身のアレンジャーとはちょっと風味が違う。

ブルースの解釈にしても、12小節のブルースコードの制約をとっぱらって自由にブルース風アレンジを展開しているが、安直なブルース擬きになっていないのが流石ネルソンだろう。そしてそのアレンジを作品に仕上げるプレーヤーの個性の引き出し方も流石だ。

前作の”The Blues and The Abstract Truth"ではドルフィー、エバンス、ハーバード、そして、リズムはロイヘインズとチェンバースと役者が揃っていた。今回はメンバーががらりとチェンジした。前作が有名なだけに、それと比較すると「あれ」と思うかもしれない。そもそも個性の違うプレーヤーを揃えたのだから結果は違って当然。ベースのチェンバースとデイビスは明らかに芸風が違う。明らかに60年代の新たなリズム感だ。ドルフィーとウッズも違う。もちろんアダムスの役割も、そして今回はベンウェブスターという全く芸風の違うソリストをゲストに加えているのもミソだ。



結果はというと、また新たなネルソンのブルース解釈ができたということだろう。同じ3管、4管編成であっても、並のグループとは違ったブルースサウンドがする。ソロを生かすアレンジであり、アンサンブルに合わせたソロの絶妙なバランス感がいい
プレーヤーとして参加したサドジョーンズは、きっとこのセッションで「アレンジャーとしてのサドジョーンズ」に何かきっかけをもらったのかもしれない。ベイシーオーケストラで没になったアレンジに、新たなアレンジを加えてサドジョーンズ&メルルイスオーケストラが始動を始めるのは年が明けた1965年からからだ。

そして、アダムスもこれを機に旧友サドジョーンズと行動を共にする機会が増えていく。

1.Blues and the Abstract Truth      Oliver Nelson 5:14
2.Blues O' Mighty            Johnny Hodges 6:48
3.Theme from Mr. Broadway        Dave Brubeck 5:49
4.Midnight Blue               Neal Hefti 4:06
5.The Critic's Choice           Oliver Nelson 2:21
6.One for Bob              Oliver Nelson 6:07
7.Blues for Mr. Broadway          Dave Brubeck 8:12
8.Goin' to Chicago Blues   Count Basie / Jimmy Rushing 4:37
9.One for Phil  *           Oliver Nelson 3:58
10.Night Lights *           Arnold Shaw 2:46

 *はLP未収録CDのみ。

Thad Jones (tp)
Danny Moor (tp)
Ben Webster (ts)
Phil Woods (as)
Pepper Adams (bs)
Phil Bodner (ts,english horn)
Richard David (b)
Roger Kellaway (p)
Grady Tate (ds)

Arranged by Oliver Nelson

Recorded on Novemnber 10&11, 1964



More Blues & Abstract Truth
Oliver Nelson
Grp Records
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バックとのアレンジとソロが映えると歌も自然に・・・

2014-07-28 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Bobby Troup and His Stars of Jazz

前回、ルースプライスのアルバム紹介の中で、テレビのショーに出ていたプライスの映像を一緒に紹介した。この映像はボビートループが司会をやっていたテレビ番組“Stars of Jazz”の一シーンだ。

ボビートループといえば、有名な「ルート66」の作曲家として知られている。トループは多彩な才能の持ち主で、生涯の中で色々な顔を持っている。いわゆるマルチタレントであるが、才能以外にもツキにも恵まれたのだろう。

1964年は外タレの来日ラッシュだった。このトループも来日し、このルート66の自ら演奏する映像があった。



彼が作曲を始めたのは学生時代、すでにその時にヒット曲”Daddy”を書いている。戦争中は海兵隊に属してリクリエーション施設建設の陣頭指揮をとり、部隊のテーマソングも作った。最後はサイパンで終戦を迎えたという。その間に、最初の妻のシンシアと結婚していた。

有名な”Route 66”が生まれたのは、戦後すぐの1946年、彼女と一緒にまさにルート66をドライブしている時に生まれた。クレジットこそされていないが彼女と一緒の共作であったようだ。トループとしては作曲家としても有名だが、ニールヘフティーの作った名曲”Girl Talk”では作詞家としてもクレジットされている。曲作りも両刀使いであった。
この曲で、作曲家としてのトループは一躍有名になったが、ナットキングコールも後に有名なアルバム”After Midnight”で再演し、他にもこの曲をカバーするミュージシャンはジャンルを問わず多い。

さらに60年代に入ってからは、同名のテレビ番組まで登場し、これも大ヒットする。この番組の主題歌はトループの曲が使われているかと思ったら、ネルソンリドルオーケストラの別バージョンであったが。



一方で、トループのミュージシャンとしての活動はピアニストから。時には弾き語りで歌も歌いながらウェストコーストで活躍。自らリーダーアルバムを出す一方で、地元の名だたるクラブに出演しては地元のミュージシャンと親交を深めていった。60年代まで活動を続けたが、プレーヤーとしては商業的に大成しなかった。印税が入るので、生活には困っていなかったようなので演奏は趣味の域でも困らなかったのかもしれない。

そんなある時、将来のワイフとなるジュリーロンドンと出会う。クラブで歌っていた彼女を見て、歌手として何とか彼女を成功させたいという想いで今度はプロデューサー業に。そして生まれたのが彼女のヒット”Cry Me a River”。これで彼女の心を掴んだのか、1959年に2人は結ばれることになる。



その間、多芸なトループ、今後はクイズやバラエティー番組のホスト役でテレビ出演をするようになる。その中で最も有名な番組が”Stars Of Jazz”。1956年にロスアンジェルスのローカル番組でスタートしたが、58年には全国ネット番組に昇格し、毎週有名ミュージシャンのゲストを迎えた番組として続いた。ミュージシャンへのギャラなど色々問題はあったようだが、ちょうどテレビがメディアとしてスタートした時に、ジャズをコンテンツとしてオンエアさせ、世に広める役割に一役かったようだ。
そして、晩年には、自ら俳優としてテレビ番組に出るようになる。いつの時代をみても、順風満帆の人生を過ごしたように思える。

このトループが、テレビ番組“Stars of Jazz”の放送が終わった直後に、卒業記念ともいえるアルバムを作っている。このアルバムでは主役は自分のボーカルであるが、バックの面々が素晴らしい。付き合いがあったウェストコーストの有名ミュージシャンが集合してオールスタービッグバンドを編成している。ドラムにシェリーマンと一緒にメルルイスも。

アレンジャー陣も、ジミーロウルズ、ショーティーロジャースとお馴染みの面々が揃っている。そして、一番素晴らしいのが、一曲ずつ違ったソロプレーヤーをフィーチャーしていること。ソロ自体は短いが、アレンジもソリストを意識したアレンジが施されており一曲一曲が実に念入りに作られている。フォーブラザースを意識してか4人のテナーの揃い踏みとか、ベニーカーターのバラードプレーや、テクニシャンロソリーノのプレーなど聴きどころ満載だ。歌のバックのソロは絶妙な絡みと短めが秘訣かも。

シェリーマンとレッドノーボのバックが絶妙な、Is You Is or Is You Ain't My Baby




ボーカルのバックというのは簡単そうでそうでもなさそうだ。聴いている方でもバックがしっくりくる場合と、何かとってつけたようでただ一緒にやっているだけというのがはっきり分かる。ライブの場合は会場の盛り上がりに左右されることもあると思うが、スタジオ録音となるとやはりアレンジの巧拙が鍵になる。という意味では、格別上手いという部類に入る歌手ではないトループの歌が、実に表情豊かにバリエーション豊富に聴こえるから不思議だ。それに、日頃付き合っている面々との番組卒業記念というシチュエーションでのセッションなので、集合写真とは別に一人ずつ友人達と記念写真をとっているような特別な計らいなのかもしれない。



1. Free and Easy               3:40
2. Sent for You Yesterday           3:10
3. Back in Your Own Back Yard         3:19
4. I'm Thru with Love             4:06
5. Oh! You Crazy Moon             2:57
6. Perdido                   3:39
7. Take Me out to the Ball Game        2:19
8. Is You Is or Is You Ain't My Baby     3:32
9. As Long as I Live              2:18
10. Please Me Kind                3:19
11. Tulip or Turnip              2:42
12. Tip-Toe Thru the Tulips with Me       2:54

Bobby Troup (vol)

Buddy Childer (tp)
Conte Candori (tp)
Pete Candori (tp)
Ollie Mitchell (tp)
Al Porcino (tp)
Shorty Rogers (tp)
Ray Triscari (tp)
Stu Williamson (tp)
Milton Bernhart (tb)
Harry Betts (tb)
Bob Enevoldsen (tb)
John Halliburton (tb)
Dick Nash (tb)
Frank Rosolino (tb)
Kenny Shroyer (tb)
Benny Carter (as)
Bob Cooper (ts)
Chuck Gentry (bs)
Bill Holman (ts)
Paul Horn (ts)
Plas Johnson (ts)
Richie Kamuca (ts)
Bud Shank (as,fl)
Jimmy Rowles (p)
Red Norvo (vib)
Barney Kessel (g)
Monty Budwig (b)
Joe Mondragon (b)
Mel Lewis (ds)
Shelly Manne (ds)

Recorded in Hollywood, California on October 24,November 10,and December 3, 1958


STARS OF JAZZ
Bobby Troup
RCA SPAIN
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ペッパーアダムスが恋した女性・・・・ルースプライスとは?

2014-07-24 | PEPPER ADAMS
Ruth Price with Shelly Manne & His Men at the Manne Hole

1964年、東京オリンピックの年だ。この年のペッパーアダムスも昨年同様ライオネルハンプトンのグループに加わっての仕事始め。ロスアンジェルスから始まり、南部を廻ってニューヨークに戻ってきたのは3月になってから、長いロードの毎日であった。ミュージシャンにとっては生活のためにはこのようなレギュラーバンドへ加わるのが一番だが、反対に毎日同じような演奏を繰り返すのには多少うんざりしていたのかもしれない。

4月1日、何かの区切りだったのか、気分転換か、アダムスはニューヨークの住まいの引越しをする。今度の新居はマンハッタンを南に下ったグリニッチビレッジ。その後参加するサドメルの拠点であるビレッジバンガードからは、歩いて10分もかからない所であった。何か予感があったのかもしれないが、ここにアダムスは1972年まで住み続け、ニューヨークに居るときには毎週月曜日になるとここからビレッジバンガードまで通うことになる。

その後もハンプトンのグループでアメリカ中を廻るが、6月にはスキーリゾートとして有名なレイクタホのステートラインにいた。このレイクタホの近くにはカジノで有名なレノがある。ラスベガス同様ここにも多くのミュージシャンが訪れる。前の年、アダムスが誘いを受けたハリージェイムスのオーケストラも同じ時期にここを訪れていた。このハリージェイムスオーケストラは直前の4月には来日しているが、その模様はTBSの映像にも残されている。ドラムにはあのバディーリッチも加わっていた。その時のハリージェイムスオーケストラの専属歌手が実はルースプライスであった。

その時の映像がこれ↓



アダムスは、近くに来た好もあってかハリージェイムスのバンドを訪れた。そこで、目に留まったのがルースプライスであった。彼女とは初対面であったのか? 
彼女がロスに来たのが1957年、ちょうどアダムスがロスで活躍していた時だ。アダムスの参加したベツレヘムのアルバムに“Jazz City Presents Bethlehem Jazz Session”というアルバムがある。これはロスのジャズクラブJazz Cityでのライブアルバムだ。

彼女のバイオグラフィーを読むと、彼女はペンシルバニアの田舎町フェニックスビルの出身。町でジャズを聴く機会もなく、小さい頃はバレリーナを夢見る少女であった。ひょんなことで、チャーリーパーカーの演奏を聴きすっかりジャズの虜に。歌を始め、チャーリーベンチュラにグループに加わりジャズ界デビュー。レコーディングの機会を作るまで漕ぎつけたものの鳴かず飛ばず。地元とニューヨークを行き来していた時、西海岸で新たなレコーディングの話が舞い込んだ。喜び勇んでロスに行ったものの、そのレコード会社は倒産してしまいその話もご破算に。多分、そのレーベルは新人を集めていたModeの事であったのだろう。
レコーディングの話は流れたが、そのままロスにとどまったプライスは地元のジャズクラブJazz Cityに出演する機会を得る。「そこでしばらく歌う事が出来た結果、シュエリーマンとも出会う事もでき、西海岸での活動の足掛かりができた」と彼女はその時を振り返る。

58年当時のテレビに出た映像があるが、当時はこんな雰囲気の女性だった。




2つの事実を重ね合わせると、このJazz Cityが2人の出会いの場であった可能性は非常に高い。とすると、彼女とは7年ぶりの久々の再会であった。

アダムスは、初めて会った時から彼女に密かに想いを寄せていたのか、それともその再会で惚れ直したのかは分からないが、ルースプライスに対する恋の炎が突然燃え上がってしまった。
会ってすぐに彼女に結婚したいとプロポーズの手紙を出したのだが・・・
残念ながら、その後二人が結ばれたというハッピーエンドの話は聞かない。

当時の彼女のアルバムとなると、このシェリーマンとのアルバムが一番有名かもしれない。シェリーマンの本拠地であるシェリーズマンホールでのライブ録音で、リラックスした気分で歌っている。
このクラブもロスでは有名だったが、オープンしたのは前の年の秋。ウェストコーストジャズもブームが去ってからのオープンであった。ロスでは有名なシェリーマンのクラブ、週末は本人シェリーマンが自らのクインテットで出演し、ゲスト歌手も迎えるということで人気を博していた。そのゲスト歌手の一人がこのルース・プライスであった。このアルバムはあくまでもプライスがメインなので、せっかくのシェリーマンご自慢のクインテットが伴奏を務めているが、トランペットのコンテカンドリはちょっと顔をだすだけなのが残念。

彼女はその後も歌手活動は続けているが、晩年は、1992年にできたロスの有名クラブ”The Jazz Bakery“を運営するNPOのファウンダーとしても有名だ。

何事にも「たられば」があるが、アダムスがハリージェイムスの誘いに乗ってオーケストラに加わっていたら彼女と行動を共にしていたことになる。もしそこで、彼女と結ばれていたらアダムスのその後の人生が変わったかもしれない。アダムスが、アパートを移ったのも、そろそろ彼女でも見つけて身を固めたいという想いがあったのかもしれない。

1. I Love You                       Cole Porter 2:47
2. They Say It's Spring            Marty Clark / Bob Haymes 3:35
3 .Listen Little Girl          Fran Landesman / Tommy Wolf 4:41
4. Dearly Beloved            Jerome Kern / Johnny Mercer 2:38
5 .I Know Why                   Warren / Gordon 3:57
6. Shadrack                    Robert MacGimsey 3:16
7. Crazy He Calls Me             Bob Russell / Carl Sigman 4:29
8. Nobody Else But Me          Oscar Hammerstein II / Jerome Kern 2:55
9. Nobody's Heart               Lorenz Hart / Richard Rodgers 4:32
10. All I Do Is Dream of You          Nacio Herb Brown / Arthur Free 2:06
11. Who Am I                      Leonard Bernstein 4:19
12. Till the Clouds Roll By/Look for the Silver    Lining B.DeSylva / J.Kern 3:18

Ruth Price (vol)
Conte Candoli (tp)
Richie Kamuca (ts)
Russ Freeman (p)
Chuck Berghofer (b)
Shelly Manne (ds)

Produced by Lester Koenig
Recorded live at the Shelly's Manne-Hole in Hollywood on March 3-5 1961


Ruth Price With Shelly Manne at the Manne-Hole
Ruth Price
Ojc
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日本人による、日本の曲のジャズだが、何故か海外から・・・・

2014-07-23 | JAZZ LIFE
Otonowa / Akira Tana

早いもので、東北大震災から3年目の夏を迎えた。あれだけの大事件であっても遠く離れた所に住み、日々の生活に直接影響がないと段々と記憶も薄れがちだ。しかし現地では昔の生活に戻るという事など遠い夢の状態で時間が止まっている。特に福島の原発に関しては何の問題解決にも至っていない。果たしてこの先どうなることやら。

震災の直後は、被災地に多くの支援の手が差し伸べられた。しかし、3年経つとそれも次第に少なくなっていると聞く。ジャズ関係者もこの被災地支援に尽力した人は多い。良く行く新宿のサムデイのマスター森さんもその一人だった。義援金を募ってある程度の金額が溜まると自ら支援の品を持って現地に赴いていた。ジャズフォー東北というグループを編成し、今でも現地での演奏活動を続けているのはドラムの広瀬潤次さん。このグループにテナーの岡淳さんも加わっている。

遠く海の向こうでも、CD制作やライブコンサートなど数多くの取り組みが行われた。その中に、この震災をきっかけに結成されたグループがある。それが、このアルバムの主“Otonowa”である。ベイエリアで活動している日系アメリカ人のドラマーAkira Tanaが率いるグループだ。

実は、その3人が先日集まった。場所は森さんがオーナーをしている新宿サムデイ。



このOtonowaが編成されたのは、震災の直後、現地の被災者の模様を取材した写真家の作品展示会で演奏したのがきっかけ。他のメンバーも日本人、そしてすべて日本の曲を素材にした演奏が好評を博し、その後も継続的に活動を続けている。昨年も来日して東北で演奏をしているが、詳しくは、こちらのバンドの歩みで。

そもそも、このAkira Tanaは多くの名だたるジャズプレーヤーとの演奏経験があり、参加したレコーディングも100枚を超えるという隠れた実力者。サンノゼ出身でベイエリアを活動拠点にしているせいか、ベースのルーファスリードと組んだTana-Reidのグループでコンコルドに初のリーダーアルバムも残している。

このOtonowaが今年も東北の被災地でのライブツアーのために来日し、そのツアーの初日がこのサムデイでのライブであった。
編成は、Tanaのドラムをリーダーにしたカルテット。アルトのマサル コガも日本生まれだがベイエリアで15年以上活躍している。フルートに加え、尺八も吹く。アルバムではソプラノからバリトンまで吹くマルチリードプレーヤー。さらに各国の伝統音楽を学び、ブラジル音楽の打楽器も教える程の腕前。さらに、ピアノのアート ヒノハラも同じベイエリア出身だが、こちらもスタンダードから前衛までこなす多彩な腕前。バンド全体が実に表現力が豊かでバリエーションに富むのもTanaのドラミングに加え彼らの存在が大きいと思う。

日本の曲だけをやるというコンセプトはこのアルバムでも貫かれているが、選曲も童謡からヒット曲まで色々、どの曲も短めの演奏だが反対にメンバーの技を出し合った色彩豊かなプレーを楽しめる。

サムデイのライブでは、このアルバムからの曲がメインであったが、岡淳とのジャムセッションやボーカルのサキコーノのバックではスタンダードも。ワンホーンの普通の編成だがグループの名前の通り、4人でやってもゲストを加えても自然に音の輪の広がりを感じる楽しいグループだ。

1. 椰子の実(作曲:大中寅二 / 編曲:Art Hirahara)
2. 涙そうそう(作曲:Begin / 編曲:Masaru Koga)
3. 音の葉2(即興)
4. からたちの花(作曲:山田耕筰 / 編曲:Art Hirahara)
5. 赤とんぼ(作曲:山田耕筰 / 編曲:Art Hirahara)
6. 恋のバカンス(作曲:宮川泰 / 編曲:Ted Lo and Akira Tana)
7. 音の葉3(即興)
8. 宵待草(作曲:多忠亮 / 編曲:Noriyuki Okada)
9. 上を向いて歩こう(作曲:中村八大 / 編曲:Masaru Koga)
10. 紅葉(作曲:岡野貞一 / 編曲:Noriyuki Okada)
11. さくらさくら(日本古謡 / 編曲:Noriyuki Okada)
12. 音の葉1(即興)
13. 荒城の月(作曲:滝廉太郎 / 編曲:Masaru Koga)
14. 祇園小唄(作曲:佐々紅華 / 編曲:Masaru Koga)
15. 故郷(作曲:岡野貞一 / 編曲:Noriyuki Okada)

Akira Tana (ds)
Art Hirahara (p)
Masaru Koga (ss,as,ts,bs,fl,Shakuhachi,per)
Noriyuki "Ken" Okada (b)

Produced by Carl Yamada & Tana Akira
Recorded on 17 & 29 January 2013 at 25th Street Studio Oakland

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3人寄れば文殊の知恵とは言うが、3人の名手が集まれば聴き慣れたスタンダードも・・・・

2014-07-21 | CONCORD



Great Guitars At Charlie’s Georgetown

コンコルドレーベルの歴史はギターアルバムで始まったと言っても過言ではない。記念すべき最初のアルバムJazz Concordは、ハーブエリスとジョーパスの共演アルバムであった。その後も、バーニーケッセル、ローリンドアルメイダ、タルファーロー、ジムホールといったベテランプレーヤーが入れ替わり立ち代わり登場した。その後カルコリンズや、エディーデュランの様にローカルで活動していたプレーヤー達も続々後に続いて表舞台に登場した。
そして、ベテランだけでなく新人達も。今ではゴードングッドウィンのビッグバンドにも参加して有名なグラントガイスマンも、グッドウィンと一緒にコンコルドに初のリーダーアルバムを残している。

これも、オーナーであるカールジェファーソンのギター好きから始まった。フュージョン全盛期にこれだけ、オールドスタイルのジャズギターが復活したのはカールジェファーソンのお蔭だともいえる。そして、最初のアルバムがそうであったように、ギター一本ではどうしても陰に隠れてしまうのか、2本のギターでのバトル物も多く残されている。演奏に個性の出やすいギター、そしてソロ楽器としてだけなくリズム楽器としても重宝されるギター故、2人のソロや掛け合いが楽しめる。

そのような中、ギター3本のグレートギターズというグループも比較的早く72年頃に結成された。どうやら名付け親はオーストラリアをツアー途中で出会った地元のファンの一人だったようだが、コンコルドには74年のコンコルドジャズフェスティバルが初舞台だった。それぞれのグループで活動していたが、時にはこの3人が集まって“Great Guitars”としての活動も継続してきた。

このグループの演奏は観客のいる会場でそれぞれの演奏と曲のショーケースのような雰囲気が似合う。何故かジャズのライブ物の定番の紫煙の煙る騒々しいクラブというのは似合わない。コンコルドでのアルバムも、コンコルドジャズフェスティバルや、ワイナリーの屋外会場のライブというアルバムがあったが、どちらも雰囲気はぴったりだ。

このアルバムもライブアルバム。ワシントンのジョージタウンにあるCharlie’sというクラブでのライブ。メンバーのチャーリーバードはジャズプレーヤーにしては珍しく、何故かこのジョージタウンを本拠地としていた。まさに、チャーリーバードのホームグラウンドでの演奏だ。寡聞にして知らなかったが、このワシントンDCというのはGuitar Townといわれ、ギターの演奏には耳の肥えたファンが多いそうだ。となれば、このチャーリーズでの演奏はGreat Guitarsの演奏場所としては最適な環境という事になる。
確かに、本場アメリカのライブ物というと観客席の騒々しさもまた雰囲気を盛り上げてくれるが、このアルバムでは演奏後の拍手以外は妙に静まり返っている。ある種日本でのライブのような感じだ。

曲はスタンダード中心だが、相変わらず三人三様のプレーを生かした絶妙なコンビネーションプレーを楽しめる。ブルースプレー一つをとってみても、ケッセルはオクラホマ、エリスはテキサス、そしてバードはバージニア出身と、それぞれが慣れ親しんだ地元のブルース訛りがあるようで、それが個性を一段と引き立てている。
このようなグループは、小難しいオリジナル曲をやるよりは、このように聴き慣れたスタンダード曲をどう料理してくれるかを楽しむグループのような気がする。ディキシーで定番の「聖者の行進」も新鮮に聞こえる。

1. Where or When        Lorenz Hart / Richard Rodgers 4:15
2. New Orleans               Hoagy Carmichael 6:33
3. When the Saints Go Marching In         Traditional 2:58
4. Change Partners                Irving Berlin 3:49
5. Opus One                     Sy Oliver 4:15
6. Old Folks         Dedette Lee Hill / Willard Robison 4:16
7. Get Happy             Harold Arlen / Ted Koehler 5:33
8. Trouble in Mind   Richard M. Jones / Janis Joplin / Traditional 5:44

Charlie Byrd (g)
Herb Ellis (g)
Barney Kessel (g)
Joe Byrd (b)
Chuck Redd (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recorded live at Charlie’s Georgetown Washington D.C. August 1982
Recording Engineer Phil Edwars

Originally released on Concord CJ-209

Great Guitars at Charlie's..
Great Guitars
Concord Records
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昔の珍しいライブレコーディングが発掘されてくるが、このミンガスのグループにアダムスも・・

2014-07-18 | PEPPER ADAMS
The Complete 1961-1962 Birdland Broadcasts / Charles Mingus & The Jazz Workshop All Stars

ニューヨークの名門ジャズクラブBirdlandが生まれたのは1949年12月、自分が生まれた年である。場所は1678 Broadway、ジャズのメッカであった52nd streetのすぐ北。1965年店を閉めるまでの間、古くは店の名前の由来となったチャーリーパーカーを始めとして、多くの有名ジャズミュージシャンが出演した。



ジャズメッセンジャーズの54年のライブ録音が有名だが、ここでのライブ録音が他にも多く残されている。レギュラーグループ以外にもMonday Nightのジャムセッションやバードランドオールスターズなども生まれた。ビッグバンドではメイナードファーガソンのドリームバンドもここで生まれたし、カウントベイシーがニューヨークで拠点にしていたのもこのバードランド。先日紹介したこのバードランドのライブはその店内の熱気を伝えてくれる。座席数は400、今も残る名門Village Vanguardに較べるとかなり大きな店構えだったようだ。

実は、このバードランドのオーナーMorris Levyは有名なマフィアのエンタメ部門を指揮っていた人物、このバードランドを舞台にしっかり金儲けの構造を作っていった。
時はまさにバップ、ハードバップの全盛期。まずは、このクラブに出演するミュージシャンを売り込むためにラジオ放送を始めた、さらに彼らの演奏をレコードにするためにルーストレーベルを買収し、新たにルーレットレーベルを作った。まさに、コンテンツビジネスのはしりのマルティメディア展開である。

カウントベイシーは、このルーレットレーベルの看板スターだったが、それはギャンブル好きのベイシーの借金のかたにレコーディングを重ねたためとも言われている。さらに、ジョージシアリングの作った名曲ララバイオブバードランドでひと儲けすると、著作権ビジネスにも興味を持ち、ミュージシャンの権利を徐々に召上げていった。

当然、マフィアとなると麻薬ビジネスも商売の内。ミュージシャンに麻薬漬けにしていったのも実は彼らの仲間だったのかもしれない。ジャズの興隆に一役買った人物も裏から見るとこれが実態だったようだ。

さて、このバードランドにはチャーリーミンガスも良く出演していた。ミンガスがワークショップを主催していた時、そのお披露目の場がバードランドあった。当然、ラジオ放送もありその模様が残されている。

ジャズファンにも色々いるが、このラジオ放送をせっせとエアチェックしていたのはBoris Roseというマニア。時には、ラジオに飽き足らずクラブに直接出向いた事もあったそうだ。テープレコーダーが世に出る前は、カッティンマシーンでディスクを作り、テープレコーダーを手に入れてからは、自宅で休むことなく何台ものレコーダーを操っていたとか。2010年に亡くなったが、そのテープの山はブロンクスの自宅の作業場に残されている。陽の目を見たのはまだ一部、娘のエレーヌが引き継いだが貴重なジャズの歴史の遺産となっている。



ミンガスのバードランドの1961年と1962年の演奏はCD3枚組に収められている。時期によってメンバーは替わっていくいが、常に変わらないのはミンガスワールド。
ペッパーアダムスが登場するのは62年10月19日と26日の録音。この前の5月のセッションには秋吉敏子が参加しているが、9月にはバードランド以外でアダムスは敏子と一緒にプレーをしている。メンバーが常に入れ替わっていたという事になる。

10月はラジオ放送があった日以外もミンガスのグループでバードランドに出続けていたが、実はその最中の12日にあのタウンホールコンサートが開かれた。この後、11月もミンガスグループと行動を共にしており、この間のアダムスはミンガス漬けとなっていた。

2日間の演奏を比較すると同じ曲もあるが、両方の演奏を較べるとソロオーダーを含めて内容は微妙に違う。Eat That Chikenはバンドのテーマソングで毎回登場するが、これも微妙に違いがあるのが面白い。The Searchはどう聴いてもメロディーも原曲I Can’t Get Startedだが、きっと回を重ねるにしたがって曲も変化していったのだろう。

今までに世に出ていたアルバムの行間を、新たに発掘されるプライベート録音が埋めることにより、その当時のミュージシャンの全貌が徐々に明らかになってくる。一時ヨーロッパのテレビ局の映像や音源が多く世に出た。そして、モンタレージャズフェスティバルのライブ音源も、宝の山は他にも多くありそうなので今後も楽しみだ。

アダムスのソロも聴けるMonk, Bunk and Vice Versa



<Disc1>
1. Mouroog
2. Ecclusiastics
3. Hog Callin’ Blues
4. Dead Air wit Symphony Sid
5. Take The A Train
6. Fables of Faubus
7. Eat That Chicken
8. Monk, Funk Or Vice Versa
9. Oh, Lord, Don’t Let them Frop It On Themselves,Coz They made It
10. Eat That Chicken

1-3 October 21,1961
Chaeles Mingus (p)
Jimmy Knepper (tb)
Yusef Lateef (fl)
Rahsaan Roland Kirk (ts,mazello,stritch)
Doug Watkins (b9
Dannie Richmond (ds)

4-7 March 24,1962
Charles Mingus (b)
Richard Williams (tp)
Booker Ervin (ts)
Charles McPherson (as)
Jaki Byard (p)
Danny Richmond (ds)

8-10 March 31, 1962
Charles Mingus (b)
Booker Ervin (ts)
Richard Williams (tp)
Charles McPherson (as)
Toshiko Akiyoshi (p9
Danny Richmond (ds)

<Disc2>
1. Eat That Chicken
2. Reets And I
3. Monk,Funk Or Vice Versa
4. Devil Woman
5. Eat That Chicken
6. Introduition by Symphony
7. Peggy’s Blue Skylight
8. Ysabel’s Table Dance
9. Eat That Chicken

1-5 May 5,1962
Charles Mingus (b,p)
Booker Ervin (ts)
Richard Williams (tp)
Charles McPherson (as)
Toshiko Akiyoshi (p)
Herman Wright (b)
Henry Grimes (b)
Danie Richmond (ds)

6-12 May 12, 1962
Charles Mingus (b)
Richard Williams (tp)
Booker Ervin (ts)
Charles McPherson (as)
Toshiko Akiyoshi (p)
Henry Grimes (b)

<Disc3>
1. The Search(I Can’t Get Started)
2. Monk,Funk Or Vice Versa
3. Please Do7nt Come Back From the Moon
4. Eat That Chicken
5. Eat That Chicken
6. Monk,Funk Or Vice Versa
7. O.P.
8. The Search(I Can’t Get Started)

1-4 October 19,1962
Charles Mingus (b)
Edward Armour (tp)
Don Butterfield (tuba)
Charles McPherson (as)
Pepper Adams (bs)
Jaki Byard (p)
Danny Richmond (ds)

5-8 October 26, 1962
Charles Mingus (b)
Edward Armour (tp)
Don Butterfield (tuba)
Charles McPherson (as)
Pepper Adams (bs)
Jaki Byard (p)
Danny Richmond (ds)




Complete 1961-62 Birdland Broadcasts
Charles Mingus
Rare Live Recordings
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いいジャズは道楽から生まれるものだ・・・・

2014-07-15 | MY FAVORITE ALBUM
Up In The Blues / 高橋達也と東京ユニオン

シャープやニューハードと並ぶビッグバンドの雄、東京ユニオンを率いた高橋達也が亡くなって早いもので6年が経つ。ベテランが参加するライブを聴きに行くと、この東京ユニオンのOBが多いのにびっくりする。ハーマンやケントンオーケストラが新人養成するバンドであったがこの東京ユニオンもその役を果たしてきたのかもしれない。
80年代の全盛期に病に倒れ、オーケストラは突然の解散となったが、その間多くの名演を残した。80年にはモントルーに続いて、モンタレージャズフェスティバルにも参加し海外にも名を馳せた。その時、ハービーハンコックらと共演したアルバム“Black Pearl”を残し、時代を先取りしたビッグバンドであることを確固たるものにした。
その年のスイングジャーナルの12月号では表紙の写真を飾った。当時のスイングジャーナルは厚かった。日本のジャズアルバムの売上はアメリカのそれを凌ぎ、世界のジャズを日本が引っ張っていた時代であった。




しかし、そのアメリカ対座中にクラブ主演をした時に、8ビートよりも4ビートの方がお客にうけたという。俄かファンはその時の流行に迎合するが、根っからのファンは案外保守的なのかもしれない。事実、新しいフュージョン系と合わせて、メインストリームジャズも根強いファンに支えられていた
ジャズファンというものは、自分の好きなジャズを聴くためには知らず知らずの内にこだわりを持ってくる。好きなミュージシャンやスタイルを見定め、まずはレコードを集めだす。似たようなアルバムがあると、そちらにも手を出す。
レコードで満足できないとなると、ライブにも出掛ける。昔は、海外から有名ミュージシャンが多数来日した。大きなステージで憧れのミュージシャンの演奏を生で聴けた喜びが半分、何となくレコードで聴いた良さをステージでは感じられなかったこともあった。今のように小さなライブハウスでじっくりというのはなかなか経験できなかった。
その内勝手がわかってくると、この2人が共演したら面白そうだという想いを馳せることもあった。まるで自分がプロデューサーになった気分になって一人悦に入っていたものだ。

音にもこだわるようになるとオーディオ装置も段々大掛かりになる。ジャズ喫茶に負けない音が出るようになっても、それをなかなか大音量で楽しむ環境を手に入れるのは大変だ。
でも凡人ができるのはここまで。

自宅にミュージシャンを呼んだり、自分の好みの演奏をしてもらったり、はたまたその模様をプライベートで録音できたりするのは、ほんの一握りの金持ちの趣味人しか実現できない。
以前、俳優の藤岡琢也がプロデュースしたアルバムを紹介したが、このような作品が出来上がれば最高だ。

大阪に、ドクターモローと言われたジャズファンのドクターがいた。M.R.MORROW RECORDというレーベルも作っていた程のファンだったそうだが、そのドクターモローこと、両角氏が東京ユニオンをプロデュースしたアルバムがこのアルバムだ。録音は、モンタレーに出演して一段と盛り上がった1980年の12月。

一曲目からオーソドックスなベイシーライクなサウンドが心地よい。ビッグバンドには珍しいバイブがどの曲にも加わっている。リズムセクションは曲によってレギュラーメンバー以外に、ジミー竹内や、荒川康男などを使い分ける。曲は、両角氏に捧げたオリジナルDR.MORRO以外は、スタンダートや有名ジャズメンのオリジナル。原曲が思い浮かぶものもあるが、アレンジは前田憲男が中心に、オリジナルのレスターのソロをアンサンブルに組み入れた曲もある。バットビューティフルでは若き堀恵二の熱っぽいアルトも光る。

スイングジャーナルでも大きく取り上げられ、五つ星に輝いた“Black Pearl”と較べて、このアルバムは果たして何枚売れたかは分からない。東京ユニオンの別の顔を今このように楽しむことができるのも、自らプロデュースを買って出る程の熱心なジャズファンが居たお蔭だ。

1. Up In The Blues        Freddie Green 6:18
2. But Beautiful        Jimmy Van Heusen 4:13
3. I’m a Lover            Herb Ellis 3:51
4. Blue Lester           Lester Young 9:24
5. You Stepped Out Of A Dream   Nacio Herb Brown 4:45
6. Soft Shoe              Ray Brown 4:14
7. Dr. Morrow           Masashige Fujio 4:37
8. All Heart           Billy Strayhorn 4:34
9. Satin Doll           Duke Ellington

高橋 達也 (ts)
多田 義文 (tp)
竹田 恒夫 (tp)
大坂 潔 (tp)
河東 伸夫 (tp.flh)
西山 健治 (tb)
松本 治 (tb)
松林 辰郎 (tb)
山崎 通晴 (btb)
堀 恵二 (as)
柳沼 寛 (as,fl)
森口 則夫 (ts)
多田 賢一 (bs)
中村 秀樹 (ds)
金山 正浩 (elb)

Guest

大井 貴司 (vib)
杉本 喜代司 (g)
前田 憲男 (org)
ジミー 竹内 (ds)
石松 元 (ds)
荒川 康男 (b)
河上 修 (b)
小泉 信美雄 (b)

Produced by 両角 龍一 & 五野 洋
Recorded at Polydor Studio Tokyo in December 1980, February 1981





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ラテンジャズの立役者プエンテのコンコルドデビューはグラミー受賞作・・・

2014-07-14 | CONCORD
On Broadway / Tito Puente and His Latin Ensemble

所有盤のCDのジャケットを見るとGrammy Winnerの文字が・・・・。
念のために調べてみると、このアルバムが1983年のグラミーのBest Tropical Latin Performanceを受賞している。プエンテはConcordには初登場だが、いきなりグラミー受賞とは、本人ばかりではなくオーナーのカールジェファーソンも鼻高々であったと思う。

さてラテン系のアルバムとなると、なかなか勝手が分からずどこから紹介したらよいものかいつも迷うが、まずはプロファイルから。
このプエンテはヒスパニック系の移民の子供としてニューヨーク、マンハッタン生まれのアメリカ育ち。ラテンの血が流れているとはいえ中南米生まれではない。ラテン一筋で活動してきたが、パーカッショニストとしてデビュー後、ジュリアードで作編曲も学ぶ。オールラウンドプレーヤーとしての始まりは1948年に25歳で自己のグループを結成した時に遡る。
ボサノバ、ブーガルーとラテンミュージックの流行を確実に追い続けてきたが、ちょうどこのアルバムを録音したころからラテンジャズの世界に演奏の軸足を動かしていった。

まさに、ラテンとジャズの融合を狙ったConcord Picanteにはピッタリのミュージシャンということになる。

ティンパレスを単なる裏方打楽器から、最近よくステージで見られるようにパフォーマンスを含めて表舞台に引き出したミュージシャンとしても有名だ。演奏中ちょと口を開けて、舌を出す表情も個性的だ。



打楽器を本業とするミュージシャンは、リズム感は天性の物を持ち合わせているのは当たり前だが、さらに歌心を持っているとメロディ楽器を演奏し、作曲も得意とするミュージシャンがいる。ビッグバンドドラマーとして有名なルイベルソンも曲作りを得意としていた。またラリーバンカーのように、ドラムだけでなくヴァイブを得意とするミュージシャンもいる。プエンテもヴァイブを得意としているが、歌心のある打楽器奏者は自然のその歌心が何を演奏しても現れてくるものだ。

編曲も得意とするプエンテは、管楽器をフロントラインに配してアンサンブルワークやソロではジャジーな演奏を行い、バックのリズムは強烈なラテンビートを売りにするラージコンボを率いていた。このアルバムでも、バイオリンを加えた10人編成で軽快なリズムの中に分厚いアンサンブルが特徴だ。昨今のラテンジャズグループは、大なり小なりこのプエンテのラテンアンサンブルの影響を受けてきたのだろう。

このアルバムではジャズを意識してか、選曲もエリントンのSophisticated Ladyがあり、フレディーハバートのFirst Lightありで普通のラテン物とは一味違ったアプローチである。モンティーアレキサンダーのMaria Cervantesもご機嫌だ。ラテン物は単調に感じることが多いが、初アルバムという事もあってかバラエティーに富んでいる。プエンテのラテンは踊りのための音楽ではなく聴かせるための音楽だ。

プエンテのラストアルバムであるMambo Birdlandはビッグバンド編成。これもグラミーを受賞するが、このアルバムを作ってから更に20年近く、亡くなる直前まで生涯現役で通した。
ラテンジャズの先駆者であったプエンテはそれまでも多くのアルバムを残してきたが、きっとベテラン再生を得意とするConcordで更にステップアップしていったのだと思う。
この後も、多くのアルバムをコンコルドに残している。



1. T.P.'s Especial                    Tito Puente 5:04
2. Sophisticated Lady    Duke Ellington / Irving Mills / Mitchell Parish 5:16
3. Bluesette               Norman Gimbel / Toots Thielemans 5:14
4. Soul Song                      Milton Nascimento 6:49
5. On Broadway   Jerry Leiber / Barry Mann / Mike Stoller / Cynthia Weil 8:03
6. Maria Cervantes (A Novo Morales          ) Monty Alexander 5:04
7. Jo-Je-Ti                          Tito Puente 4:45
8. First Light                      Freddie Hubbard 7:36

Tito Puente (vibes, timbales, percussion)
Jorge Dalto (p)
Alfredo De La Fe (violin)
Jimmy Frisaura (tp,tb)
Jerry Gonzales (Congas, flugelhorn)
Ray Gonzales (tp)
Edgardo Miranda (g,Cuatro)
Mario Rivera (ts,ss,fl)
Bobby Rodriguez (Fender bass)
Johnny Rodriguez (Bongos, percussion)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Ed Trabanco
Recorded at Soundmixers, New York, NY, July 1982

Originally released on Concord CJ-207(所有盤はCD)


On Broadway
Tito Puente
Concord Records
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ペッパーアダムスのサドメルオーケストラでのラストレコーディングは・・・・?

2014-07-13 | PEPPER ADAMS
It Only Happens Every Time / Monica Zetterlund, Thad Jones & Mel Lewis Orchestra

サドメルオーケストラが、ビレッジバンガードで初ライブを行ったのは1966年2月7日。この日の演奏はFMでも中継され、CDでもその演奏は残されている。ペッパーアダムスはその時リーダーのサドジョーンズとコンビを組んでいたが、そのままこのオーケストラにも参加した。
そして、そのペッパーアダムスが、サドメルのオーケストラを辞めたのは1977年8月24日。丁度ヨーロッパツアーの途中でストックホルムに滞在している最中であった。

オーケストラに加わって11年、メンバーの入れ替わりも多くなっている中、両リーダー以外に11年間続けて在籍したのはペッパーアダムスとジェリーダジオンの2人であった。
アダムスはちょうど35歳から46歳まで、人生で一番脂の乗り切った時をサドメルオーケストラで過ごしたことになる。

サドメルとのファーストレコーディングは66年2月7日の初演、これにアダムスも当然参加している。
「ラストレコーディングは?」というと、実はこのアルバムになる。

77年8月23日録音、翌日バンドを離れアメリカに戻るので在籍最後の日の録音。本当の意味でのラストレコーディングになる。
この事実を踏まえて、このアルバムを聴くとこのアルバムの位置づけもはっきりしてくる。

このアルバムの主役モニカゼタールンドとペッパーアダムスは昔からの知り合いであった。
1961年にはドナルドバードとのクインテットで彼女と録音もしている。あの有名なエバンスとのアルバム“ Waltz For Debby “より3年も前の出来事だが、残念ながら世には出ていないようだ。

このアルバムのジャケット裏に録音時の集合写真がある。
ジャケットの表の写真は彼女とサドジョーンズのアップの写真であるが、裏の写真ではリーダー2人を差し置いて中央に彼女の横に立つペッパーの姿を見ても、このアルバムのもう一人の主役はペッパーアダムスであったのは間違いないだろう。



アダムスは、異国の地スウェーデンでバンドを離れることになったが、そのスウェーデンに住む昔からの友人ゼタールンドと、サドメルオーケストラのメンバー達が、アダムスに餞別の意味を含めてのレコーディングを行ったのではないだろうか思われる。
というのも、このレコーディングは用意周到に企画されたものではなかったので。

サドメルオーケストラの歌伴というと、初期のソリッドステートレーベル時代、ジョーウィリアムスルースブラウンのバックを務めた2枚のアルバムがあった。どちらも、ブルースを得意とする2人。ジョーンズのスマートなアレンジが脂っこさを中和した、好アルバムだろ思う。
このゼタールンドは少しイメージが違う。しかし、名アレンジャーサドジョーンの手にかかると、彼女の歌の魅力を引き出す違ったアレンジをするのではないかと期待するのだが。

しかし、このレコーディングの準備は実際にはとんでもない突貫作業だったようだ。
コンサートツアーの移動中のバスの中、ピアノも手元にない中でジョーンズはスコアを書き続けた。スタジオに入ってからも皆でパートを仕上げながら、リハーサルもそこそこで録音に臨んだ。これもアレンジャー、サドジョーンズの名人芸のひとつだったようだが。

長年サドジョーンズの片腕として、ペッパーアダムスはオーケストラ全体を聴く耳を持っていた。スタジオで遠く離れたトロンボーンセクションにやってきて、「ここは自分がトロンボーンセクションと一緒に吹くことになっているが、どうしよう思っている?」と確認していった。「すでにアダムスの頭の中には全体の中で自分の役割が認識されていた。そこが長くオーケストラ生活を過ごしてきたアダムスの凄い所だ」と、当時のメンバーとして参加していたサムモスカのコメントもある。

タイトル曲のIt Only Happens Every Timeは、サドメルのComsummationにも収められている綺麗な曲。Groove Marchantなどサドメルの有名曲もあるが、すべてがサドメルの曲という訳でもない。

歌と演奏が今一つしっくりこない部分があるのは、このような諸々の裏事情があったからだろう。

いずれにしても、オーケストラが録音に臨んだのは8月20日と21日、フィランドのヘルシンキであった。しかし、まだアルバム一枚には足りなかった。そして、最後の23日にストックホルムで最後の3曲が収められた。Happy Againはオーケストラなしで、アダムスとリズムセクションだけがバックを務める。

これで、やっとアダムスの最後に日までに何とかアルバムが完成したということになる。
アダムスのゼタールンドとの友情の証、そして皆からのアダムスへの餞別と考えるとこのアルバムの味わい方も変わってくる。





1. It Only Happens Every Time        Thad Jones 5:12 
2. Long Daddy Green  Blossom Dearie / Dave Frishberg 3:38 
3. Silhouette                Lars Gullin 4:32
4. He Was Too Good To Me  Lorenz Hart / Richard Rodgers 5;05 
5. The Groove Merchant        Jerome Richardson 4:06 
6. Love To One Is One To Love        Thad Jones 4:13 
7. Happy Again               Lars Gullin 4:15
8. The Second Time Around  Sammy Cahn / James Van Heusen 5:13 

Monica Zetterlund (vocals)
Thad Jones (flh)
Frank Gordon (tp)
Earl Gardne (tp)
Jeff Davis (tp)
Larry Moses (tp)
Earl McIntyre (tb)
John Mosca (tb)
Clifford Adams (tb)
Billy Campbell (tb)
Jerry Dodgion (as,ss,fl,cl)
Ed Xiques (as,ss,fl,cl)
Rich Perry (ts,fl,cl)
Dick Oatts (ts,fl.cl)
Pepper Adams (bs)
Harold Danko (p)
Rufus Reid (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded at Sound Track Recording Studios, Helsinki on 20-21 August 1977
at Swedish Radio, Stockholm on 23 August 1977 (#2,3,7)


It Only Happens Every Time
Monica Zetterlund
Inner City
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プロデューサーになり損なったアダムスだが、ミンガスとの長い付き合いを形に・・・

2014-07-11 | PEPPER ADAMS
Pepper Adams Plays Charlie Mingus

1962年のチャーリーミンガスのタウンホールコンサートにも参加したペッパーダムスだが、ミンガスとの付き合いは実は長い。アダムスがまだニューヨークに出る前、地元デトロイトに居た時、ライオネルハンプトンのバンドのメンバーとして来ていたミンガスと知り合い一緒に仕事をしたのが付き合いの始まりだという。

ミンガスは気性が激しく、怒りっぽくて乱暴者だと世間で言われているが、親しい付き合いをしていたアダムスの目から見るとそうでもないらしい。というのも、アダムスにとって自分をスタンケントンオーケストラに推薦してくれた恩人でもあるオスカーペティフォードから、彼がミンガスを一発のパンチでノックアウトした事も聞いていたし、それを知るアダムスにとっては「ミンガスの日頃の言動も多分にポーズだったように思える」と語っている。

アダムスは機会あるごとにミンガスから声を掛けてもらい、ミンガスが主宰するワークショップに参加するミンガス音楽の良き理解者の一人であった。出来かけの譜面を持ってきて演奏しながら仕上げていくミンガススタイルにも慣れてきていた。

アダムスにとってミンガスは、一方で経済的に色々面倒をみてもらった恩人であった。
ドナルドバードとのクインテットが出演していたクラブが倒産し、ギャラが貰えず途方に暮れた時、すぐに仕事をくれたのはミンガスであった。ある時、一緒にプレーをしていた時、痔を患って具合が悪く、保険なくお金もなくて治療ができずに困っていたアダムスに、すぐ手術代を払ってくれたのもミンガスであった。

2人の関係は、単なる知り合い以上の密な関係であった。
1963年アダムスはテディチャールスのアルバム”Russia Goes Jazz”作りに参加したが、このデディーチャールスもミンガスの良き理解者であり、このチャールズとアダムスとの接点もミンガス繋がりであったのかもしれない。

この年のアダムスは、前年に引き続きあまり目立った活動をしていなかったが、6月にあるレコーディングセッションに参加している。

先日紹介した、デトロイト出身の男性歌手、ハーヴィートンプソンを世に出したトランぺッター、マーカス・ベルグレイブのセッションであった。


レーベルはアダムスの地元デトロイトの新興レーベル「モータウン」の傍系レーベル” Workshop Jazz ”というレーベルであった。モータウンといえば、後にスプリームスなどを世に出したR&B系の超有名レーベルになったが、元々ミュージシャンであったベリー・ゴーディ・ジュニアは、設立時から「黒人向けのR&Bではなく、白人層にも自分たちの音楽の良さを理解して欲しい」という思いで作ったレーベルであった。個人企業から10年で大企業に育てた。コンコルドのカールジェファーソンとも相通じるところがあるが、ジェファーソンは地元の車のディーラーとして裕福な環境に合って趣味が嵩じたもの。一方のゴーディーは数百ドルの借金からスタートした苦労人でもあった。

ベルグレイブもレイチャールスのオーケストラで活躍したミュージシャン。コンセプト的にはピッタリだったのかもしれない。残念乍らこの時の録音はお蔵入り、世に出ていない。

実は、アダムスは、プレーで参加するだけでなく、このモータウンレコードと9月5日に、
exclusive recording contract with Motown and an exclusive management contract with their affiliate, International Talent Management.
の契約を結んでいる。

ゴーディーは新しい白人向けの黒人音楽を目指していたこともあり、ミュージシャンやスタッフに白人を多く採用した。アダムスが選ばれたのも、黒っぽい演奏も得意とする白人アダムスはピッタリだったのかもしれない。まさにモータウンが望んでいる新しいジャズアルバムの全権を委任されたことになる。

アダムスは、1963年12月に自らのグループでこのモータウンでのレコーディングに臨んでいる。サドジョーンズや、ジェロームリチャードソン、ジェリーダジオン、ロランドハナなどが加わっている。
ご存じ、後のサドメルのキープレーヤー達が多く参加している。モーテンスイングなど昔の曲を演奏しているが、何か「今までのジャズとは違ったもの」を求められたようだ。アダムスのとっては10枚目のリーダーアルバムになったはずだが、このアルバムも世に出ることはなかった。

モータウン傘下のWorkshop Jazzがカタログに残したアルバムは僅か20枚程度。それも、カタログ載り乍らリリースされなかった物も多かった。アダムスにとっては、この契約がプレーヤーとしてではなくプロデューサーとしての初仕事であったが、果たしてこの中で何枚のアルバムがあるのかは、寡聞にして知らない。

しかし、一枚だけこの契約に基づいたと思われるアルバムがある。
契約直後の9月9日、12日に録音された自らリーダーとなったアルバムがこのアルバム、ミンガスの作品集だ。



アダムスが温めていたのは、長年付き合いのあるミンガスの音楽を自分流の解釈を加えて世に出すという企画だった。これが、めでたく9枚目のリーダーアルバムとして世に残ることになったが、Workshop Jazzで世に出たアルバムの中で唯一アダムスが参加しているアルバムでもある。

メンバーはデトロイト出身の盟友サド&ハンクジョーンズ兄弟、ポールチェンバース等に加え、ミンガスのグループで一緒にプレーをしていた面々達。呼吸もピッタリと合い、ミンガスの曲を演奏するには最高のメンバーが集まった。

アレンジは、サドジョーンズとアダムスで半分ずつ、一曲だけIncarnationだけは、ミンガス自身が担当した。珍しくアレンジがレコーディングに間に合った。録音は2回のセッションに分かれ、サドジョーンズとのクインテットの演奏が9日に9曲、3曲は他のホーンプレーヤーを入れて12日に行われた。録音にはミンガス自身も立ち会った。

揃ったアレンジにメンバー達が目を通すと、録音は特に何の問題も無く淡々と進められた。
恨み節もなく、叫び声をあげることも無く、まして物が飛び交う事も無く収録が進むを様子をミンガスは口をあんぐりと開け、信じられないという面持ちで見入っていたそうだ。

それほど、アダムスの施したミンガス作品の仕上りが良かったということだろう。もしかしたら、ミンガス自身のプロデュースよりも。
ペッパーアダムスのプロデューサーとしての実力が発揮されたアルバムだ。

これにつけても、12月に行われた幻のセッションの演奏を聴いてみたいものだ。サドジョーンズやリチャードンたちがアダムスと一緒に知恵を絞った結果の作品のようだ。
何となく、この成果が後のアダムスとサドジョーンズのクインテット、そしてサドメルオーケストラへと引き継がれていったような気もする。



1.Fables Of Faubus          4:27
2.Black Light             3:42
3.Song With Orange          2:37
4.Carolyn               5:02
5.Better Git It In Your Soul       4:05
6.Incarnation              5:46
7.Portrait              2:56
8.Haitian Fight Song         7:54
9.Strollin’Honies           5:30

Composed by Chaeles Mingus

Pepper Adams (bs)
Thad Jones (tp)
Charles McPhearson (as)
Zoot Sims (ts)
Bennie Powell (tb)
Hank Jones (p)
Paul Chambers (b)
Bob Cranshaw (b)
Dannie Richmond (ds)

Recorded in New York on September 5 & 12 1963


PEPPER ADAMS PLAYS CHARLIE MINGUS
Pepper Adams
FRESH SOUND
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ジャケットだけでなく内容もどれをとっても合格点以上。やはり名盤・・・

2014-07-07 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
The Broadway Bit / The Modern Touch of Marty Paich

メルルイスはペッパーアダムスと同じ時期にスタンケントンオーケストラに在籍したが、1956年に一緒にケントンオーケストラを辞めて、2人揃ってロスアンジェルスで活動を始めた。まさにウェストコーストジャズが活況を呈していた時期、様々なバンドに加わって演奏をした。
スタンケントンオーケストラでの経験に加え、このロスでの他流試合の日々は、育ちざかりの2人にとってはその後何でもこなせるオールラウンドプレーヤーになるためには大事な経験だったと思う。
メルルイスの初リーダーアルバムGot’chaには、盟友ペッパーアダムスも加わっていたが、2人にとってまさにこのウェストコーストでの仕事始めといってもよいアルバムであった。

ペッパーアダムスがニューヨークに戻ったのは翌1957年の8月、一年足らずのロスでの生活であったが、この間ロス在住の名だたるミュージシャンの多くとの共演を果たし、レコーディングにも数多く参加した。
一方の、メルルイスはロスでの活動をさらに2年、1960年にジェリーマリガンのコンサートジャズバンドに参加するまで続けた。しっかり西海岸を代表するドラマーとしての地位を獲得し、この間のレコーディングの数は膨大だ。多分、ウェストコーストの第一人者であるシェリーマンのその数を上回るであろう。

メルルイスはスタンケントンでビッグバンドドラマーを務めたせいか、その後も大きな編成への参加も多く自らサドメルオーケストラの編成に繋がる。この期間はウェストコーストのアレンジャーの作品への参加が多いが、その一人がマティーペイチだ。ビルホルマンと並ぶ西海岸のアレンジャーの代表格だが、このペイチのアレンジにメルルイスが起用されることが多かった。

このペイチの作品の中で人気ナンバー1アルバムといえば、この「踊り子」が一番であろう。
まずはジャケットも興味を惹く。ジャケ買の対象になるデザインだ。
さらに、中身は曲良し、メンバー良し、アレンジ良し、ソロ良しの4拍子が揃っていて、さらには録音良しとくれば非の打ちどころがない、人気が出るのも当然だ。

この「踊り子」は「お風呂」とセットで語られることが多いが、実はアートペッパーのプラスイレブンも同じ時期の、同じような編成のアルバム。もちろんアレンジはペイチ、ドラムもメルルイスである。
アートペッパーのソロが主役になるが、アルバムのコンセプトとしては10人編成程度の通常のビッグバンドよりは少し小ぶりの編成で、ソロとアンサンブルのバランスが実に絶妙という同じ系列の姉妹アルバムといってもいいだろう。

ソロが短いと何となく物足りなく感じることはよくあるが、話の長い人が饒舌とは限らない。本当の話し上手は、言いたいことをきちんと整理して無駄な話が無いのが本当の饒舌の様な気がする。どの曲も、曲のイメージにアレンジがピッタリはまり、ソロが絶妙の味付けとなっている。曲によってはソロがメインで、アンサンブルが脇役になることも。

いつもB級グルメの大盛りばかりを食べ慣れているとちょっと物足りなく感じるものでも、このような手の込んだ懐石料理の美味しさに嵌ると、自然と量より質に食の好みも変わってくる。
また、このような料理は隠し味もポイントだが、このアルバムもスコットラファロのベースが素晴らしい。さらにヴァイブやホルン、クラリネットなど普段主役にならない楽器の使われ方も絶妙だ。マニアックな味付けに拘る食通だと、「この味付けだけでも食べてみる価値はある」というかもしれない。
メルルイスも表には出ないが、このように派手さは無いが隠れ名盤と云われるようなアルバムに良く顔を出している。プレースタイルに合わせて人柄もあるのかもしれない。

このアルバムを聴いてビッグバンドファンになったという人も多いと聞く。50年以上たっても、まだ色褪せない大編成ジャズの入門アルバムの一枚だと思う。



1. It's All Right With Me               (Cole Porter) - 3:35
2. I've Grown Accustomed To Her Face  (Alan Jay Lerner, Frederick Loewe) - 3:47
3. I've Never Been In Love Before      (Frank Loesser) - 4:20
4. I Love Paris                 (Cole Porter) - 6:16
5. Too Close For Comfort   (J. Bock, L. Holofcener, G. David Weiss) - 3:53
6. Younger Than Springtime / The Surrey with the Fringe
      (Richard Rodgers, Oscar Hammerstein II) - 4:07
7, If I Were A Bell - 3:42              (Frank Loesser) - 3:39
8. Lazy Afternoon - 3:31      (Jerome Moross, John Latouche) - 3:29
9. Just In Time - 3:14   (Jule Styne, Betty Comden, Adolph Green) - 3:12


Jimmy Giuffre (cl, bs)
Art Pepper (as)
Bob Enevoldsen (ts, vtb)
Bill Perkins (ts)
Frank Beach (tp)
Stu Williamson (tp, vtb)
Vincent De Rosa (frh)
George Roberts (btb)
Victor Feldman (vib, per)
Marty Paich (p)
Scott LaFaro (b)
Mel Lewis (d)

arr: Marty Paich

Recorded in Los Angeles, CA on January 1959

ブロードウェイ・ビット
Marty Paich
ワーナーミュージック・ジャパン
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たかが口笛、でも人の才能は鍛えれば限りない可能性が・・・

2014-07-06 | CONCORD
Ron McCroby Plays Puccolo

先月は忙しい毎日が続き、ゆっくりレコード&CDを聴く時間もなければ、ライブにでかける暇もなかった。今月に入って一息ついたところに、マイクプライスのカルテットのライブの案内があり先日久々に出掛けてみた。

場所は、赤坂のビーフラット。ビッグバンドのライブでは良くいくところだが、コンボの演奏は久しぶりであった。ボーカルのハーヴィートンプソンと一緒とのことで楽しみは倍増。さらにこの日はノーチャージデイ。このノーチャージデイは月に何回か催されるが、有名ミュージシャンの演奏が食事とドリンクだけで聴けるファンにとっては有難い企画だ。スポンサーでもつくイベントならまだしも、反対にミュージシャンとお店の懐具合の方が心配になるのだが。



マイクプライスはいつもビッグバンドを良く聴きにいくが、コンボでの演奏を聴くのは久しぶり。それに、トンプソンもいつもはどこかのバンドのゲストで数曲。タップリ聴くのはこれが初めての機会であった。

少し遅れての到着であり、すでにステージは始まっていたが、マイクプライスの溌剌としたプレーがいきなり聞こえてくる。そして、ピアノの田中祐士の華麗なピアノが。
数曲すると、ハーヴィートンプソンがステージに。マイクプライスのカルテットにゲストというのではなく、よくよくプログラムを見ると、当日のメインはハーヴィートンプソンであった。

いつもは、飛び入りでビッグバンドをバックに聴く事が多く、ブルースも得意にしているせいかジョー・ウィリアムスのような歌手と思っていたが、これがとんでもない間違い。
キングコールの持ち歌ネイチャーボーイも本家に負けない歌いっぷり。軽妙なテンポの曲はメルトーメを思い浮かばせ、スキャットを操ればジョンヘンドリックスやアルジャローと十分に張り合える。女性陣に押され気味で、数少ない男性ボーカルの第一人者といっても過言ではない実力の持ち主であった。
特に、ピアノの井上裕士とはプレーすることも多いようで、コンビネーションはピッタリ。チックコリアのスペインでのスキャットでの掛け合いは圧巻だった。

遅れ馳せながら、プロフィールを見てみると、日本に拠点を置くものの世界を股にかけた活躍をしている。デトロイト出身で地元のトランぺッター、マーカスベルグレイブスに世に出してもらったとある。今では、デトロイトでは名誉市民でもあり、つい先日のデトロイトタイガースの本拠地の試合では、開会時の国歌斉唱を務めたようだ。
また、ライブの予定で要マークのミュージシャンが増えた。



さて、ジャズボーカルでの魅力のひとつはスキャット。人の声をまるで楽器のように操るのを聴くのは普通のボーカルを味わうのとは違う楽しみだ。ジャズの創世記は洗濯板でもバケツでも楽器になったが、人の操る楽器擬きにもうひとつ口笛がある。子供の時、何度もチャレンジしてやっと音が出たのがすごく嬉しかった記憶がある。
たかが口笛だが、されど口笛。世の中には口笛上手が時々いる。

このアルバムを初めて手にとった時、「Puccoloとはいったいどんな楽器だろうか?」と一瞬理解できなかった。聴いてみてすぐに口笛と分かったが、口笛とは思えないしっかりした音程とフレーズを繰り出す。ちょうどピッコロと同じ音域だということだが、音色も一緒にプレーをしているサムモストのフルートと実に良くブレンドしている。
そして、選曲がスタンダード曲というよりは、クリフォードブラウンやゴルソン、マリガン達のジャズの名曲というのも、「ジャズの口笛」というポジショニングを明確にしている。

という訳で、これは単なる余興というのではなく、口笛によるストレートなジャズアルバム。バックはモスト以外にも、ドラムは名手ハミルトン、そしてベースのボブマグヌソンの重厚なベースとのコントラストも聴きどころだ。マリガンの曲、Line for Lyonsではクラリネットも聴かせてくれるがこれは愛嬌。
ジャズで口笛といえば、ボブハガートのBig Noise from Winnetkaが有名だがこれは余興、



こちらのロン・マックロビーは本物だ。

このアルバム制作直前の1981年の映像があった。地元シンシナティーでカルコリンズとも共演している。翌年テレビのTonight Showで全国デビューを果たし、モンタレージャズフェスティバルにも出演し、このレコーディングに至ることになる。



1. Joy Spring               Clifford Brown 4:40
2. If You Could See Me Now    Tadd Dameron / Carl Sigman 6:08
3. Line for Lyons              Gerry Mulligan 5:02
4. Puccle While You Work (Whistle While You Work) Frank Churchill 3:13
5. Daahoud                Clifford Brown 4:46
6. Everything Happens to Me   Tom Adair / Matt Dennis 3:35
7. Boplicity                 Cleo Henry 4:44
8. Along Came Betty           Benny Golson 5:52

Ron McCroby (puccolo,cl)
Sam Most (fl)
Bill Mays (p)
Bob Magnusson (b)
Jeff Hamilton (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California December 1982
Recording Engineer : Phil Edwards

Originally released by Concord CJ-208
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冷戦時代にロシアの曲をとりあげたジャズアルバムとは・・・

2014-07-05 | PEPPER ADAMS
Russia Goes Jazz / Teddy Charles

巷では集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、世の中戦争への準備が着々と進んでいる。大きな渦の中に巻き込まれてしまうと、徐々に起こる変化は身近に起こっても鈍感になってしまうものだが、これはやはり前提が大きく変わる大転換だ。

政治に無頓着な国民が増え、世の中全体が「ゆでガエル症候群」になっているのだろう。本来であれば熱湯の熱さにびっくりしても良い出来事なのだが、このまま熱さが分からずに茹で上がってしまうのか?
熱さに気が付いた時には、「時すでに遅し」といことにならないようにしなければ。
歴史は繰り返すとは良く言ったものだ。

何事においてもそうだが、ルールで禁止しなくても本人の倫理観と自覚に任せればよいとよく言われる。法による禁則を外しても悪いことがすぐ起こることは無いともよく言われるが、世の中そんなに甘くは無い。どんなに完璧な人間と思っても、自制心が効かなくなる事が当たり前のように起こる。
「何々してもよい」という主旨のものが、いつのまにか「何々しなければならない」と履き違がえることもよくある。法を悪用しようと思えば何でもできるということだ。時の宰相の誤った判断による行使が行われないことを祈るばかりだ。

太平洋戦争中は、敵国の言葉である横文字は使用禁止、ジャズも敵性音楽と見なされ急激に下火になったと言われている。反対に、アメリカでは戦時中は、ジャズの演奏は一線の兵士の慰問も兼ねて、戦争中でも良く演奏された。結果的にスイングジャズの興隆のピークを極めた。

本来であれば文化活動は戦争とは無縁の物、何も規制しなくてもよいとは思うが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということだろう。何も外敵との争いだけではなく、国内の覇権争いでも文化活動に制約を加えることは良くある。覇権争いをして一国の独裁を狙う当事者にとってみれば、民衆の心を掴むものは自分以外何であって気に食わないということになる。

1962年10月、チャーリーミンガスのタウンホールコンサートが行われていた時、世はまさに米ソ冷戦の真只中。そのピークともいえるキューバ危機は同じ10月の出来事であった。世の中は戦争の勃発を予感させピリピリした緊張感が漂っていたと思う。
しかし、一方でその年の7月にはベニーグッドマンオーケストラがソ連を親善訪問していた。太平洋戦争の状況に当てはめれば、真珠湾攻撃の直前にアメリカからジャズバンドを招聘したようなものだ。

米ソの間では、表向き戦争と文化活動は別物であった。政治的には東西の対決が緊張していく中、1958 年に米ソ文化交流協定が結ばれ、その第1弾として行われたのがベニーグッドマンのツアーであった。
当然、ソ連のジャズファンからは熱狂的に歓迎され、地元のジャズメンともジャムセッションが繰り広げられたようだが、このコンサートを聴いたフルシチョフ首相はこのグッドマンの演奏を快く思わなかった。

そして、この年の12月に行われた前衛画家の展覧会で、有名な「ロバの尻尾」発言をして、前衛的な芸術活動が制約を受けることになる。当然ジャズも公に認知されたものではなくなってしまう。せっかくソ連でもブーム到来の下地ができたのだがフルシチョフが解任される1964年まではおおっぴらに演奏することも難しくなってしまった。
一人の独裁者の判断で何事も決まってしまう恐ろしさだ。

ペッパーアダムスの1962年はこのような中での演奏生活であった。
それまでの八面六臂の活躍と較べると、この年の活動はレコーディングも少なく、レギュラーグループに参加することもなく、タウンホールでのハップニングコンサートの後もミンガスとのプレーで終わりを告げたようだ。確かに世の中全体を席巻したハードバップムーブメントも徐々に下火を迎えていたが。

年が明けると、アダムスはライオネルハンプトンのオーケストラに加わってラスベガスに
いた。経済的には、このようなバンドのメンバーになるのが安定していたのだろう。
ラスベガスに滞在中、アダムスはハリージェイムスから年俸10000ドルで誘いを受ける。生活のためには、多分ハンプトンオーケストラよりさらに好条件だったであろう。しかし、アダムスは、当時のハリージェイムスオーケストラ自体の演奏がコマーシャル化していた事、そしてソロのパートが殆どな無いオーケストラには興味を持てず丁重に断った。スタジオワークは色々参加しても、レギュラーグループへの参加となると拘りがあったのだろう。
4月までハンプトンのバンドで過ごすと、アダムスは再びニューヨークに戻る。

そこで、早速テディー・エドワーズからレコーディングの誘いを受ける。
それまでも、アダムスは実験的な取り組みを数多くしていたテディーチャールスのセッションに加わる事は何度かあったが、今回のレコーディングは”Jazz Goes To Russia”と題された意欲的なものであった。

当時の時代背景を考えるとキューバ危機は去ったとはいえ、敵国であったソ連(ロシア)を題材として取り上げるのは挑戦的であったに違いない。
ソ連では確かにグッドマンの訪ソもあってますますジャズブーム到来の下地はできたが、アメリカでソ連の音楽が話題になっていたとは思えない。ところが、ロシアといえばクラッシクではヨーロッパの伝統を引き継ぎ有名な作曲家を多数輩出している。

そこで、選ばれたのはチャイコフスキーやストラヴィンスキーなどの有名作曲家の作品から。これらの曲を素材にジャズの味付けをした演奏に仕上げている。
集まったメンバーはアダムス以外も一流処のソリストが揃った。短めのソロだが、いずれも素材の良さを生かして、チャールズのバイブやフルート、バスクラなどを使った軽妙なアレンジに仕上げている。アダムスのソロもDance Arab, Bordin Bossa Novaで聴ける。ジャズは素材を選ばず、何でもスイングさせてしまうワールドミュージックだというのを実感するアルバムだ。

このアルバムもレーベルはユナイテッドアーティスト。なかなか意欲的な切り口で取り組んだアルバムが多い。




1. Scheherazade Blue       (Korsakoff) 3:45
2, Lullaby Of The Firbird     (Stravinsky) 5:02
3. Love For Three Oranges March  (Prokofieff) 2:21
4. Borodin Bossa Nova       (Borodin) 3:37
5. Dance Arabe           (Tchaikowsky) 2:49
6. Lullaby Russe          (Khachaturian) 4:25
7. Etude              (Prokofieff) 3:11
8. Princes Scheherazade      (Korsakoff) 4:45

Teddy Charles (vibes)
Haward McGhee (tp)
Jerome Richardson (fl,ts)
Jimmy Giuffre (cl,ts)
Zoot Sims (ts)
Eric Dolphy (bcl)
Tommy New som (bcl)
Pepper Adams (bs)
Hank Jones (p)
Hall Overton (p)
JimHall (g)
Jimmy Raney (g)
Ted Notick (b)
Osie Johnson (ds)

Recorded on April 23& May 6, 1963 in New York

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ステージのラストを飾るのに相応しい曲、インナメロートーン・・・・

2014-07-03 | CONCORD
Concord Jazz All Stars At The Northsea Jazz Festival Volume2

コンサートのライブアルバムというのは昔から数多くある。ニューポート、モンタレー、そしてモントルーなど有名なジャズフェスティバルでの過去の名演は、そのまま名盤として今でも楽しむことができる。
しかし、レコードの収録時間の制約もあり、その多くはその演奏の一部が収録されているものだ。中にはソロがカットされたものもあり、レコーダだけではなかなか当日の会場の様子の全貌を窺い知ることはできない。実際にライブやコンサートでその場に居合わせると、最後のフィナーレ、そしてアンコールでの盛り上がりを肌で体感できるのは格別である。これを疑似体験できたらと思うのはファンの願いでもある。
CDの時代になり、スタジオ録音でもお蔵になった未発表曲が収められ、アルタネイトを含むコンプリート盤が出るようになったが、ライブ物が完全に復活するのは別の意味での楽しみがある。先日記事にしたミンガスのタウンホールコンサートも、そんな一枚だろう。普通の盛り上がりとは別のそのコンサートの意味合いの全貌も明らかになってくる。
最近では映像も数多く発掘され、ビジュアルが加わると一段とリアリティーが増す。人間はやはり感動は五感で感じるのが本来なのだろう。

LP時代はより多くの曲を収めるために、2枚組になり、続編となってリリースされることが多かった。このコンコルドオールスターズのノースシージャズフェスティバルのアルバムもVol.2。以前CJ-182でリリースされたVol.1の続編となる。メンバーは当然同じで、当時のコンコルド専属のまさにオールスターメンバーのステージでの共演となる。

一曲目は、ハンクジョーンズのビグネット。自分は、この曲はコールマンホーキンスのThe Man and Mighty Hawkで初めて聴いた。まだジャズを聴き始めて間もない頃で何度も聴いた事もあり思い入れのある曲だ。

この手のステージはJATP時代からの常套手段、全員での競演やバトルがあったり、それぞれのソロをフィーチャーしたショーケースがあったりの構成になるが、皆腕達者揃い。時代はフュージョン全盛期であったが、ステージ上ではモダンスイングの好演をたっぷりと楽しめる。そして、最後の全員参加のジャムセッションへと。

素材は、エリントンの名曲、インナメロートーン。
この曲はジャムセッションの素材に良く使われることが多いように思う。
皆が知っている曲、そして曲想もテンポもバックのリフの入り方もジャムセッションにピッタリなのかもしれない。
聴く方もこの曲を聴くと何故かウキウキ感が高まってくる。
奇しくも先日紹介したミンガスのコンサートでもラストはこの曲であった。これまで紹介したアルバムでも印象に残る演奏が多い。ビッグバンドだけでなく、コンボでも、そしてヴォーカルでも。このコンコルドオールスターズも、他のステージで。エリントンの曲なのに、ベイシーのオーケストラも良く演奏しているのも不思議だ。

この曲も好きな曲のひとつだが、まだまだ聴いていない演奏や忘れてしまったアルバムもたくさんある。少し気にかけてみようと思う。

似たようなアルバムを数多く聴くとなかなか印象に残らないことも多くなったが、このアルバムのように好きな曲で始まり好きな曲で終わると、しっかり記憶に留めることができるものだ。

1. Vignette            Hank Jones 6:50
2. Can't We Be Friends?   Paul James / Kay Swift 7:43
3. Emily        Johnny Mandel / Johnny Mercer 4:57
4. Out of Nowhere    Johnny Green / Edward Heyman 4:21
5. Your Red Wagon   Gene DePaul / Richard M. Jones / Don Raye 4:46
6. Once in a While     Bud Green/Michael Edwards 4:57
7. Sweet Lorraine   Clifford R. Burwell / Mitchell Parish 4:05
8. In a Mellow Tone     Duke Ellington / Milt Gabler 7:48

Al Cohn (ts)
Warren Vache (cor)
Cal Collins (g)
Scott Hamilton (ts)
Dave Mckenna (p)
Bob Maize (b)
Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineers : John Van Den Houten-De Hister Wisseloord Studios
Recorded live at The Northsea Jazz Festival, The Hague, Holland, July 1981

Originally released on Concord CJ-205
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本来であれば、ミンガスビッグバンドのお披露目の晴れ舞台のコンサートのはずであったが・・・

2014-07-01 | PEPPER ADAMS
The Complete Town Hall Concert 1962 / Charles Mingus

チャーリーミンガスのタウンホールコンサートというと1964年に行われたものが有名だ。エリックドルフィーの死ぬ直前の演奏も聴く事ができ、この前後に行われたツアーではヨーロッパにも遠征し、当時のミンガスグループの脂の乗りきった演奏が聴ける名盤だ。
実は、ミンガスのタウンホールライブというともう一枚1962年のものがある。ところが、最初にリリースされたこのライブのアルバムはとんでもない代物であった。というよりも、このコンサートそのものが・・・。

ミンガスは、50年代から大編成のグループアンサンブルにもチャレンジしていた。アレンジをしては日頃からリハーサルを重ねていた。というのも、ミンガスのビッグバンドというのは、アンサンブルワークに加えグループインプロビゼーションにも重きを置いていた。このメンバーの呼吸合わせが大変だったのであろう。

1962年の後半、ペッパーアダムスは、このミンガスと行動を共にしていた。クラブ出演には秋吉敏子も参加していたようだ。
ペッパーアダムスは、このミンガスとの付き合いは古くこのミンガスのワークショップ活動にも良く参加していた。以前紹介したロフトもこのミンガスグループの練習場所にも使われていたようだ。

ミンガスは曲想を色々膨らませていく中で段々編成が大きくなっていった。仲間の中には、いい加減にしたらというアドバイスをした者もいたようだが、ミンガスは我関せずでついには通常のビッグバンド編成をはるかに上回る30人編成にもなっていた。

そこに、丁度活動を活発化して、新しいチャレンジをしていたユナイテッドアーティスト(UA)がレコーデョングを働きかけた。それもライブレコーディングの企画を。ミンガスはこの直前に、エリントンと共演したマネージャングルの録音を済ませていて、ミンガスもこのUAの進取の精神が気にいっていたのかもしれない。

10月はバードランドに長期間出演していたが、その丁度間に、このタウンホールコンサートが行われた。
ミンガスはレコーディングに向けて着々と準備を進めていたが、途中でプロデューサーのアラン・ダグラスは会社のボスの意向だったのかもしれないが、何とレコーディングの予定を5週間も前倒しして早めてしまった。いわゆる公開ライブの形をとったが、表向きは有料のコンサート。チケットもそこそこ捌けて10月12日を迎えてしまった。

ミンガスのライブはリハーサルも入念に行うのが常なのに、このコンサートはリハーサルどころかアレンジ自体も当日なって全曲が出来上がっていないという有様。何とアレンジャーの一人、メルバリストンは舞台の上で出来上がったアレンジを写譜屋に渡している始末であった。メンバーはレギュラメンバーに加えて錚々たる面々。遠く西海岸からも駆けつけた。全員タキシードにブラックタイを着込んでスタンバイ。プログラムが未完成のままにカーテンが上がってしまった。ミンガスは最初抵抗したのか、一人Tシャツのまま舞台にいたらしいが、結局、着替えをして舞台に上ることになった。

そこを何とかしてしてしまうのがプロだが、さすがにこの状態ではまともな演奏はできない。ミンガスも「今回は公開リハーサルだ」と断りをいれ、主催者もキャンセル希望者にはお金を返すということにしたが、インターミッションになっても客は半分以上が残っていた。あのミンガスの怒りの一発のハプニングを期待していたのかもしれない。

ミンガスの怒りっぽい性格は有名だが、このコンサートに向けたリハーサルでも事件は起こっていた。コンサートが近づいているのにアレンジが出来上がらないのにイライラしていたのか、長年付き合っていたジミーネッパーに一撃を加えて前歯を折ってしまうトラブルに。その後訴訟事になってしまう程の大事になったが、ネッパーはこのお蔭でその後の演奏にも支障が出て以前と比べて一オクターブも音域が狭くなってしまったそうだ。という事は、サドメルに加わっていのはこの後なので、ネッパーの全盛期を聴けなかったということになるが。

このコンサートに参加したメンバーや関係者達の後日談が色々残っているが、ペッパーアダムスもコメントを残している。アダムスは当日のアレンジを一曲提供したそうだ。アダムスが語る所によると、コンサート自体も酷かったが、その後がもっと酷い。リハーサルのようなライブになってしまったので、本来はレコード話も仕切り直しになるのが筋だが、何とレコード会社はこれをリリースしてしまった。出来の良かった曲だけをピックアップすればまだよいのだが選曲も滅茶苦茶、レコーディングのコンディションも酷いもので、アダムスに言わせるとこのコンサートは悍ましい出来事であり、アルバムだったということだ。

ところが、捨てる神がいれば救う神もいる。89年になって、ブルーノートからこのアルバムが再リリースされた。デジタルリマスターで音も良くなり、没になった曲も復活してコンサートの有様が再現された。最初に発売されたLPではソロがカットされた曲もあってほぼ完全な形で復活した。となると、色々あったにしても歴史上の出来事としての価値は増す。



ペッパーアダムスはジェロームリチャードソンとダブルバリトンで参加。ソロはリチャードソンが先行するが、最後のジャムセッションのように始まるインナメロートーンでは2人のバリトンバトルも聴ける。残念なのはソロがオフマイクで録られていること。音質自体はリマスターで良くなっても、こればかりは再現不可能だ。オフマイクであっても2人のソロは秀逸なのが救いである。LPではカットされている、演奏が一旦終わったあとのドルフィーのソロもCDには収められている。

ミンガスオーケストラの原点ともいえる演奏は、うねる様な重厚なサウンドを聴かせてくれ、他のビッグバンドとは一味も二味も違う。未完成ライブとはいえそれなりに価値あるものだと思う。すべての曲が揃ったたっぷり2時間分の譜面はミンガスの死後になって見つかり、1989年になってから全曲が演奏されている。

1. "Freedom Part 1" - 3:47
2. "Freedom Part 2" - 3:14
3. "Osmotin'" - 2:50 Bonus track on CD reissue
4. "Epitaph Part 1" - 7:03
5. "Peggy's Blue Skylight" - 5:21 Bonus track on CD reissue
6. "Epitaph Part 2" - 5:10
7. "My Search" - 8:09
8. "Portrait" - 4:34 Bonus track on CD reissue
9. "Duke's Choice" - 5:12
10. "Please Don't Come Back from the Moon" - 7:24 Bonus track on CD reissue
11. "In a Mellow Tone" (Duke Ellington, Milt Gabler) - 8:21
12. "Epitaph Part 1" [alternate take] - 7:23 Bonus track on CD reissue

All compositions by Charles Mingus except as indicated

Charles Mingus - bass, narration
Ed Armour, Rolf Ericson, Lonnie Hillyer, Ernie Royal, Clark Terry, Richard Williams, Snooky Young - trumpet
Eddie Bert, Jimmy Cleveland, Willie Dennis, Paul Faulise, Quentin Jackson, Britt Woodman - trombone
Romeo Penque - oboe
Danny Bank - bass clarinet
Buddy Collette, Eric Dolphy, Charlie Mariano, Charles McPherson - alto saxophone
George Berg, Zoot Sims - tenor saxophone
Pepper Adams, Jerome Richardson - baritone saxophone
Warren Smith - vibraphone, percussion
Toshiko Akiyoshi, Jaki Byard -piano
Les Spann - guitar
Milt Hinton - bass
Dannie Richmond - drums
Grady Tate - percussion
Bob Hammer - arranger
Melba Liston - arranger, conductor

Recorded at Town Hall, New York, on 12 Oct. 1962




Complete Town Hall Concert
Charles Mingus
Blue Note Records
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