A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

BOY MEETS GIRL/CARMEN McRAE & SAMMY DAVIS Jr.

2006-06-30 | MY FAVORITE ALBUM
ソフィアさんがカーメンマクレーを紹介しているのに影響されて、マクレーの少し毛色の違ったお気に入りの一枚を。

まず、ジャケットの2人の写真が若い。カーメンは35歳で、油の乗り切った時。といっても、これ以前の録音は7枚しない。声も何となく、晩年のそれよりも若々しい。

2人の歌手のduetというのは、レギュラーグループではなくレコーディングの為のセッションとなると、ありそうでそれほど多くはない。1~2曲のジャムセッションならまだしも、2人の個性を生かしながらも、2人の自己主張をうまく噛み合わせてコラボレーションの成果を一枚のアルバム単位で出すのは難しいのかもしれない。

このアルバムは、2人のコンビネーションが色々な局面でいい結果を出している。これは、サミーが純粋にJAZZシンガーとして自分の世界だけで歌ってきたのではなく、ジョービジネスの世界を生きてきた経験を十二分に生かして、エンターテイナーとしてマクレーの引き立て役を演じているかもしれない。マクレーも、マクレー節でマイペースを維持しつつも、サミーに合わせて、いつもよりくだけた雰囲気で掛け合いを演じている。
一曲目のスタートから、これは2人のショーが始まったという雰囲気だ。

どの曲もスタンダードばかりで、2人の料理の仕方も甲乙付けがたいが、もともとのDUET SONGを面白おかしく2人で掛け合いを演じているBaby, It’s cold outsideと、スキャットを交えてJazzyに歌いきっているWho caresがお気に入り。

Happy to meet your acquaintance
Tee for two
They didn’t believe me
You’re the top
Cheek to cheek
People will say we’re in love
There’s a small hotel
A fine romance
The things we did last summer
Two sleepy people
Who cares

Vo) CARMEN McRAE
Vo) SAMMY DAVIS Jr.
Acc by) jack Pleis' Orch.

Recorded at New York, January, 1957
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職住接近(10分で会社)~遊住接近(10分でゴルフコース)

2006-06-29 | GOLF LIFE
高度成長期、都市の人口が急激に増え、住宅地がどんどん郊外に拡大していった。緑の野山を切り開き、大規模な住宅地が彼方此方に開発された。
東京西部の多摩ニュータウンも、こんな大規模ベットタウンの一つである。

その真ん中にゴルフコースがある。一番近い駅からは歩いてでも行ける。
そのコースができた昭和30年代は多摩丘陵の奥地、まだ近くで炭焼きが行われていた辺鄙な場所であった。そこが、今ではすぐ隣まで住宅地が開けている。

先日一緒に廻ったこのコースのメンバー2人は、現役を引退してコースから10分の所に住む友人同士。その日の天気を見ながら、気楽に練習やラウンドに訪れているそうだ。
その前にご一緒したご夫妻も、毎週このコースに通っているメンバーだが、「実はここから10分の近くのマンションに良い出物があったので、この前ゴルフの帰りに見に行って衝動買いした」とのこと。

ここ数年ブームになっている都心のマンションは、遠距離通勤の地獄から逃れるひとつの方法。確かに仕事に追われる毎日を過ごしていると、職住接近によって得られる通勤時間の短縮と都心生活の利便性は、他に変えがたいメリットだ。
ゴルフだって同じだ。アメリカでは、定住型のリゾートとゴルフコースの開発は一緒に行われ、住宅地の中にコースがうまくレイアウトされている景色を良く見る。

東京で、普段ゴルフに行くとなると最低でも片道1時間は覚悟しなければならない。車で高速を使って100km以上走ることも珍しくはない。プレー代よりも交通費のほうが高くなり、プレーしている時間より往復の移動時間が長くなることもよくある事だ。

まさに、「通勤地獄」ならぬ、「通遊地獄」だ。
ゴルフコースの近くに住み、往復の時間に費やす時間とお金が節約できれば、他で得られるメリットは計り知れないものがある。

「仕事を引退して時間の余裕ができたら、どこか地方に行ってゴルフ場の近くに住めればいいな」という願望は常々持っているが、まだ実現は先のことである。
そんな中で、このコースのメンバーは、「遊住接近の居場所をコースの近くに確保して毎日がGOLFの生活」に向けて着々と準備をし、すでに進行中。
地方に行かなくても「遊住接近」は実現できる。
羨ましい限りだ。

こんな恵まれた環境でゴルフをしている方と一緒にプレーをすると、不思議とゆったりした気分でプレーができる。
3パットはなし。昼食後一番のティーショットでOBを打ってしまったが、これは愛嬌。
スコアは42・43でまずます。
5番、481Yのロング。ティーショットは完璧でよく捕まったボール。残りは200Yの軽い打ち上げ。2オンを狙ったがテンプラのミス。しかし、気持ちはリラックス。残り50Yをきっちりピン手前2mにつけて、難なくバーディー。

本日の一番は、この50Yのアプローチショット。
練習不足で、最近アプローチの距離感が合っていなかったが、今回はばっちり。
旨くいく時は、気分的にも、プレー面でも「流れ」が良い。
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BLUES-ETTE / CURTIS FULLER

2006-06-28 | MY FAVORITE ALBUM
これが録音された1959年はいわゆるハードバップの全盛期。名盤といわれるものも、この頃の録音が多い。このALBUMは、JAZZの名盤BEST100には必ず選ばれると思う。
アルバムのタイトルはBLUES-ETTEであるが、これよりも一曲目のFIVE SPOT AFTER DARKの方が遥かに有名になった。何かのCMのバックにも使われるくらい日本でもポピュラーな曲だ。

BENNY GOLSONとCURTIS FULLERの低音域でのユニゾンが奏でる各曲は、ある種独特の雰囲気だ。トランペットやアルトの高音域がないので派手さはないが、2人の声で語りかけるようなトーンで、分かりやすいメロディーが、耳障りがよく覚え易い。
これがこのアルバムが誰にでも受け入れられている理由かもしれない。

お気に入りは、やはり「FIVE SPOT AFTER DARK」だ。

Five Spot After Dark
Undecided
Blues-ette
Minor Vamp
Love Your Spell Is Everywhere
Twelve Inch

tb) Curtis Fuller
ts) Benny Golson
p) Tommy Flanagan
b) Jimmy Garrison
ds) Al Harewood

Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, May 21, 1959
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NANCY WILSON / CANNONBALL ADDERLEY

2006-06-27 | MY FAVORITE ALBUM
大物歌手と、大物プレーヤーのレギュラーグループとの共演。これもJAZZの楽しみだ。
「この歌手が、このバンドと共演するとどんな歌い方になるか?」、「このバンドが歌伴をすると果たしてどんな演奏をするのか?」、想像どおりもあれば、新たな発見もある。

歌手が有名になると、レコーディングのためのバックオーケストラの編成や編曲にも凝るようになり、コンボ編成のバックで、「これぞJAZZ」というLIVE感覚の歌がだんだん聞けなくなるのものだ。特に、JAZZ以外を歌うようになると。

NANCY WILSONは、JAZZ歌手としてデビューし58年にはニューヨークへ。
アダレイの後押しもあり一躍有名に。60年代はレコードも矢継ぎ早にリーリースし、JAZZに限らず、R&B、POPS、ゴスペルなど幅広いジャンルをこなすオールラウンドシンガーとして、不動の地位を得た。

このアルバムは、「でも育ちはJAZZシンガーだ」ということをアピールした一枚。
デビュー当時共演したしたこともある両者が、がっぷり組んで歌と演奏を繰り広げる。NANCYの張りのある声で、JAZZYに謳う。
曲も、NANCYの歌(もちろんアダレイグループがバック)と、アダレイグループの演奏がテレコで入っていて、インスト曲も決しておまけではない。

お気に入りは、「I can’t get started with you」、アダレイのアルトの独壇場(この曲のインストはやっぱりアルトサックスがいいかも・・・)と、ナンシーの「The Masquerade is over」。
バックのピアノが何とウェザーレポートで一世を風靡したジョーザビヌルだが、リリカルなタッチのピアノで、後年の電子ピアノを多用したフュージョンの演奏とは違う一面を見せている。ザビヌルが、アダレイのグループには結構長い間在籍していたのを再認識。

SAVE YOUR LOVE FOR ME (vocal)
TEANECK (instrument)
NEVER WILL I MARY (vocal)
I CAN’T GET STARTED WITH YOU (instrument)
THE OLD COUNTRY (vocal)
ONE MAN’S DREAM (instrument)
HAPPY TALK (vocal)
NEVER SAY YES (instrument)
THE MASQUERADE IS OVER (vocal)
UNIT 7 (instrument)
A SLEEPIN’G BEE (vocal)

Vo) NANCY WILSON
As) JULIAN ”CANNONBALL” ADDERLEY
Cor) NAT ADDERLEY
p) JOE ZAWINUL
b) SAM JONES
ds) LOUIS HAYES

Recorded , September 1,1961, NEW YORK
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"JUNIOR" / JUNIOR MANCE TRIO

2006-06-26 | MY FAVORITE ALBUM
昨年「Always三丁目の夕日」という映画が流行った。
ちょうど、東京タワーが建設されていたので、1958年(昭和33年)の時代背景。三種の神器といわれた、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が日本でも各家庭に入り始めたころである。団塊の世代はちょうど小学生、何にでも興味があった時だった。

その頃アメリカでは、今でも名盤として残っているJAZZレコードが数多く録音された頃である。
VERVEが生まれ、東のBLUE NOTE、PRESTIGE、西のCONTEMPORARY、PACIFIC JAZZなどのJAZZ専門レーベルが台頭した時期で、JAZZの黄金期だ。

家庭には簡易な蓄音機しかなかった時に、かけているレコードの中に実はこんなに素晴らしい音がたくさん詰まっているとは、その時代の大部分の人は想像していなかったであろう。

このアルバムもそんな頃1959年の録音された、JUNIOR MANCEのデビュー作。

JUNIOR MANCEのプレーは一言で云うと、軽快に飛び跳ねるスイングするピアノ。驚異的なテクニックがある訳でもなく、派手なプレーがある訳でもないが、古き良き伝統を守りながら、ブルースが得意でモダンに弾いている。「Traditional Modern」という言葉がピッタリだ。

ベースは、お馴染みのRay Brown。何も言う事はない。
ドラムスはRex Humphries。質実剛健、着実なブラッシュワーク。

曲は、オリジナルから、スタンダードまで多彩であるが、スローなベニーゴルソンのオリジナルのウィスパー・ノット、アップテンポは、お馴染みのラブ・フォー・セールがお気に入り。

A SMOOTH ONE
MISS JACKIE’S DELIGHT
WHISPER NOT
LOVE FOR SALE
LILACKS IN THE RAIN
SMALL FRY
JUBILATION
BIRK’S WORKS
BLUES FOR BEVERLEE
JUNIOR’S TUNE

P) JUNIOR MANCE
B) RAY BROWN
DS) LEX HUMPHRIES

Recorded in NYC, April 9,1959
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目指せ18アンダー (2)

2006-06-25 | SHOT OF THE DAY
食事を終え、いよいよ後半のスタート、アウトコースへ。
1番ロングホールの第一打は4人とも完璧で、ほぼ同じ位置に。
2打は全員無難に終え、いよいよ第3打に。
最初の一人がダフってミス。悪い流れは伝染しやすい。
結局、プロを含めて4人とも3オンできず。

相変らず2打を引っ張ってしまう流れは変らずグリーン左に。しかし何とか寄せてパー。午前中は必ずといってもいいほど、「バーディー」候補が2人以上いて、お互いに保険がかかっている状態であった。あうんの呼吸でお互い攻め役、守り役を使い分けていけたのに、午後は一転苦しい流れ。
「バーディー」確保が一人の肩に重く圧し掛かるパターンに。

そして、試練はいきなり2番ホールで訪れた。
多少ラフにはかかったが、距離も良く出て全く問題の位置から打った第2打は。またもグリーンの左奥へ。ピンは右側。やや下りの20Y近いパットを残すのは、午前中の最終ホールと同じパターン。
ファーストパットは悪くなかったが、1メートル半くらい残してしまった。他の3人のパー狙いはことごとく外れて、このパットに連続「バーディー」がいけるかどうかが掛かった。

やはり、このような状態になると今までスムースに動いていた肩がうまく動かない。
多少手打ち気味になったパットは悪くはなかったが、カップをかすめたが入らず。
3パットのボギー。
全員の良い流れを断ち切ってしまった自分に責任を感じる。

こうなると、全体の流れは悪くなるものであるが、そこからの踏ん張りは驚異的であった。
何度かピンチは訪れたが、ここ一番を各人がしっかり決めて「連続バーディー」再開。7番、8番になるとすっかり午前中のペースに戻り、2人、3人が楽々パーを狙える状態に。

そして、最後の9番ホール。一人が左へミスったが、プロを含めて3人は完璧な第一打。
特に自分のティーショットは「本日一番」。フェアウェイ左で、右端にあるピンを狙うにも絶好の位置。
他の2人が第2打を打つが、グリーンを捉えられず。
そして、自分の第2打が運命の一打に。これをピンそばに絡めてバーディーをとれれば、目標の18アンダー達成。

結果は、またもやナイスショットではあるが、左に強めのパターン。「この日のミス」の再来であった。
ファーストパットは、これまたグリーン左奥から右端のカップへ向けての下りのパット。
タッチは悪くなかったが、カップ周りは一段と傾斜が強くなっていて、カップを何と3メートル近くオーバー。万事休す。
バーディーどころか、2つめのボギーになってしまった。

終わってみれば、16アンダー。
目標に2打届かなかったが、その責任はどちらも自分の3パット。
何と、その日のパット数は21・17の38パット。
これでは勝てない。
でも、このような結果になるパットを残した第2打が今日の反省ショット。
全部で5回はあったか?

チーム戦は19チーム中2位には入ったが、優勝はネット「53」の19アンダー。
改めて省みれば、プロ以外の我々3人ともバーディーをひとつも取れなかったのがチーム戦全体の敗因。パットが如何に大事かを3人で痛感した一日であった。
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目指せ18アンダー (1)

2006-06-24 | SHOT OF THE DAY
18アンダーとは、通常のPAR72のコースだと「54」。つまり、すべてのホールがバーディーという計算になる。さすが、これはプロでも達成が難しいスコアである。
ところが、団体戦と競技方法によっては実現可能性が出てくる。

その日は、所属コースのプロが集まって、一組にプロ1名と我々アマチュア3名でチームを作っての団体戦。競技方法はベストボール。通常ベストボールだとグロスのスコアで勝負することが多いが、今回はクラブのオフィシャルhdcp(但し18上限)を適用。
自分のようにhdcpが15だと、hdcp1から15までのホールに一打ハンディがつく。そのホールをパーで上がれば、バーディーでカウントされるということだ。バーディーをとれば何とイーグルに。

最近ショットが好調なので、調子が良ければパー狙いは難しくない。
一緒に廻った、仲間2人もhdcpが15~18。
このコースのプロはレベルが高く、誰でもアンダーで廻る兵ぞろい。
条件は揃った。大会の前日から、「目指せ18アンダー」が仲間内の合言葉であった。

当日は、梅雨の合間の薄曇で無風、時には日差しも射す絶好のゴルフ日和。
第2組でINコースをスタート。
一人がティーショットをミスったが、残り3人はフェアウェイに。
団体戦は気が楽だ。
まずは、確実にパーをとり、でめでたく「バーディー」スタート。
後は、チームワーク良く、一人が崩れても誰かが確実にフォローして「バーディー」ラッシュ。8番までで8アンダー。予定通りの進行だ。

午前中の最終ホール。プロと自分のティーショットはフェアウェイのど真ん中。残りも120Y位。
池超えで、ピンは右端の手前で、少し狙いにくいところにはあるが、パー狙いには全く問題ないところ。
仲間の他の2人は、ティーショットをミスして、2打を先に打ったが2オンならず。

多少、プレッシャーがかかった状態で第2打。
このような状況だとよくあるパターンで、ナイスショットだが強い球が左へ。グリーンエッジには乗ったものの、グリーン奥から20Y近い下りのパットを残す。

少し、ピンチ!。
しかし、最後に打ったプロの第2打は、ピンがらみのOKバーディーの位置へ。
団体戦としては、またしても旨く噛み合っている。

こんな展開になると、気楽に打てたファーストパットはナイスタッチでピンそばに。
9番ホールも難なく「バーディー」、9アンダーで午前中を終了。
18アンダーも夢ではない手応えを全員で感じた。
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ジャケット買い

2006-06-23 | JAZZ LIFE
JAZZのレコード(CD)の買い方には色々ある。
昔JAZZを聞きまくっていた頃、雑誌やJAZZ喫茶で中身を吟味・確認して買いに行くこともあったが、

・ミュージシャン(リーダー、共演者)
・レーベル
・プロデューサー
・曲
・録音
・編成(ソロ、デュオ、コンボ、ビッグバンド)

をきっかっけ、手掛かりとして、中の演奏を想像して買うことも多かった。

掘り出し物を求めて、レコード屋をはしごして、JAZZの棚を片端から見て歩いたものだ。
そんな時、あまりメジャーなレーベルや、ベストセラーアルバムではなく、「当たりの一枚」を見つけた時の嬉しさは何ともいいようがない。
幻の名盤ブームと云われて、そんな珍しい一枚が中古でもプレミアムがついたりしたこともあった。

時には、何の予備知識も無く「ジャケットの良さ」だけで思わず買ってしまったものもある。不思議と「外れ」が少なかったように思う。

これも「レコード時代」の買い方であり、CDになってジャケット買いは間違いなく少なくなった。
さらに、ネットの通販で買うようになると、ジャケットのデザインは不思議と記憶に残らない。そもそも検索で選んだCD以外は、ジャケットも見る機会が減ってしまう。
最近では曲自体をネットからダウンロードの時代になり、ジャケット自体が無くなってきた。間違いなく「ジャケット買い」は死語になってしまう。

今の時代便利さ・効率だけを追求しているために、これまであった「偶然の出会いのような楽しみ」がひとつずつなくなってきているのも現実だ。
ネット上のバーチャルな世界が広がれば広がるほど、アナログでリアルな世界が反対に見直されてきているのは、単に昔を懐かしむ郷愁だけではないと思う。
「ジャケット買い」がネットの世界でもできる世の中が来ることを切に願っている。
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MY FAIR LADY / ANDRE PREVIN & SHELLY MANN

2006-06-22 | MY FAVORITE ALBUM
色々な才能を持っている人は、それらを同時に生かしてマルチタレントとして活躍する人もいれば、今活躍している世界にいったん幕を引き、別な世界に転じていく人もいる。

プレビンは、ジャズピアニストであり作編曲家として映画音楽の世界で活躍していたが、1960年最初からクラッシックの指揮者としての活動を始め、1968年にはロンドン交響楽団の指揮者としてクラッシックの世界に第一人者として転じていった。

まさに、プレビンは別世界に転じた代表格だが、いつまでもJAZZ PIANOを忘れず、後年もJAZZアルバムを時には出し続けているのは嬉しい限りだ。

1950年代を代表するミュージカル「MY FAIR LADY」をタイトルとするこのアルバムは、全編このミュージカルで使われたお馴染みの曲ばかりである。
サイドメンは、全盛期であったWEST COAST JAZZを代表するシェリーマンとリロイビネガー。
これで、売れないはずがなく、発売当時もJAZZのレコードとしては異例のベストセラーになったそうだ。

プレビンのピアノは、アップテンポもスローな曲もこれぞJAZZ PIANOという「優等生」的な演奏である。きちんと教育に裏打ちされたテクニックに頼るだけではなく、JAZZに本格的に向き合っている気持ちがプレーにも現れていて心地よい。

お気に入りは、一曲目、アップテンポのGET ME TO THE CHURCH ON TIME、スローな曲では、I’VE GROWN ACCUSTOMED TO HER FACE。

また、このアルバムは、WEST COAST JAZZを代表するCONTEMPORARYレーベルの代表作でもある。また、このレーベルの録音の良さは(エンジニアはROY DUNANN)秀逸である。
1956年のステレオ録音のはしり(他のレーベルはまだモノラルで、ステレオ化は1~2年後)であるが、今でも全く古さを感じさせない。

GET ME TO THE CHURCH ON TIME
ON THE STREET WHERE YOU LIVE
I’VE GROWN ACCUSTOMED TO HER FACE
WOULDN’T IT BE LOVERLY
ASCOT GOVOTTE
SHOW ME
WITH ALITTLE BIT OF LUCk
I COULD HAVE DANCED ALL NIGHT

 p) ANDRE PREVIN
 b) LEROY VINNEGER
ds) SHELLY MANNE

Recorded in August 17,1956, Los Angels
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生みの苦しみ

2006-06-21 | SHOT OF THE DAY
実は、先週末のラウンドでひとつ目標を達成した。
「ここ一ヶ月の課題」であった、「今年のラウンドのベストスコア更新」を達成。
「79」で、これまでのベストスコアタイだった。
その上を狙えるチャンスがあったのだが・・・・・・

某女子プロ主催の定例コンペ。
今回は、水戸ICからさほど遠くない27Hの丘陵のコース。開場30年を過ぎた各ホールは、最近のコースのように大規模な造成をすることなく、自然の地形を生かしたレイアウトで、攻め甲斐があるコースだ。

その日は前日から天気予報は一日雨。雨ゴルフを覚悟していたが、一夜明けみれば曇り。何とかもって雨は全く降っていない。すごく得をした気分でコースへ。

第一組でスタート。
スタートホールの打ち下ろしのティーショットはいきなり会心のショット。
400Yの長めのミドルで「ボギーでもよし」と思っていたが、残りは130Y弱、難なく2オンでパー。これまたすごく得をした気分。

ちょうどクラブ選手権の準決勝を行っているとのことで、途中その4組をパスさせるために、何度も「待ち待ち」であった.
いつものスロープレーが原因の「待ち待ち」ではないので、まったくイライラもせず競技を観戦。

ハーフを終わってみれば、フェアウェイを外したのは一回だけ。
スコアも、4ボギー、1バーディーで「39」。
ショットやパットの内容的にも満足のいく結果で午前中は終了。
上向き調子であることに間違いないことを改めて実感。

午後も、1番、2番がパー、バーティーと好調を継続。
7番が終わって、2オーバー。
残り2ホール、どちらかがパー、ボギーであれば、「39」で、ベストスコア更新。
そこまでの16ホール、ダボなしで「気分が良いゴルフ」は継続中。

17番は、右へドックレッグの410Yの長めのミドル。左へ逃げると2打の距離が残るし、右のショートカットはOBが怖い。
いくら調子が良くても冒険はできないので真ん中を狙った。
結果的には右山裾超えのナイスショット。ラフには入ったものの残りは140Y。十分に2オンが狙える好位置。これまた気分が良い。

第2打は、ショットが当たっていたので、一番手下げて9番アイアンを選択。
ナイスショットだが、多少力んだ分左へ。
距離はピッタリで、サブグリーンへ。
ちょうど、2グリーンを1グリーンに改造中。
グリーンの間に大きな段差も無く、ドロップの場所は十分に寄せワンが狙える寄せやすいところ。ラッキー。
またまた「気分良し」。

ところがアプローチをミスして、2メートル強のパットを残す。
いいタッチであったが、カップをかすめて残念ながらボギー。
内容が悪くなかったし、もう一ホールあったこともあり、全く冷静。
「気分は良いまま」で、記録更新か否かは最終ホールへ。

以前、このコースは廻ったことがあった。
しかし、この最終ホールが勝負を賭けるホールとしては難しいことに、ティーグラウンドに立って改めて気がついて、多少動揺・・・?

右ドックレッグであり、右コーナーの200Y地点が池。
超えるには240Yのキャリーが必要。状況的に無理はできない。
真ん中を狙ったつもりのティーショットは、気持ちが逃げていたのか、左へ。あたりは悪くなかったので、突き抜けて林の中で。
この時点で2オンは難しく、可能性は3オン1パットへ。

冷静なつもりであったが、多少動揺があったのか・・・・?
林から安全にフェアウェイに出したつもりが、枝に当ててしまって、残り120Yのラフへ。

打ち上げの第3打は、前のホールと同様、確実に強く打てたものの、多少引っ掛かり気味で左へ。
これまた、前のホールと同様にサブグリーンへ。
これでパーの可能性は、チップインしかない。確率は限りなく低くなった。

気持ちの切り替えは早く、確実にボギー狙いでアプローチ。
しかし、ここ一番でミス。残りのパットを3メートル以上残してしまった。
完全にずるずるとミスを重ねる悪いパターンに入った。

しかし、その日はいつもと違って「気分の良さ」の余韻がまだ残っていた。冷静に狙ったパットはカップの真ん中からナイスイン。
大ピンチを何とかボギーで切り抜けた。
今日の記憶に残る一打はこのパット。

結果的には「40」であったが、トータル「79」のベストタイ。
ダボ無しの、ナイスラウンド。
「ラウンドベストの更新」と「両方のハーフ30台」の目標は、またまた先送りになってしまった。が、コンペでは優勝できたし、何となく一皮向けた内容でフィニッシュできた一日であった。
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ベストスコア更新はいつ?

2006-06-20 | GOLF LIFE
自分の今までのベストスコアは昨年3月の「79」。
ハーフのベストは「37」
ベストスコアの更新どころか、この「79」も「37」も二度目が出ない。

最近好調で30台は時々でるが、今年のベストは81、ハーフのベストは39(ということは今年の30台はすべて39ということ)で、両方のベスト更新にはまだ少し遠い。
先日実現しそこなった、両ハーフ30台も、39・39が出れば「78」でベストスコア更新。
どうやら、直近の壁はこの辺りにありそうだ。
果たして、どこからブレークスルーできるのか?
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MICHEL LEGRAND TRIO at SHELLY'S MANNE-HOLE

2006-06-19 | MY FAVORITE ALBUM
ミシェルルグランといえば、作編曲家として有名だ。
映画音楽も数多く手がけ、スタンダード曲になっているものも多い。
実は、ピアニストとしても際立った才能を持っているのはあまり知られてない。
もし、作編曲の才能がなければピアニストとしてもっと活躍していたかもしれない。才能があり過ぎるのも問題だ。

このアルバムは、彼のピアニストの卓越した才能を「ピアノトリオ演奏」で十二分に披露している。それもLIVE録音で、聴衆と一緒になった、まさにJAZZプレーの真髄を。
相手を務めるのもレイブラウンとシェリーマンで、役者が揃った。

一曲目は、3人の名前を入れ込んだ曲名のオリジナル。といっても何の準備もない自然発生的なアドリブで生まれた曲だ。アップテンポで、ダイナミックなルグランのピアノプレーが聞ける。シングルトーンからブロックコードまでプレーも多芸多彩だ。
このような曲がブルースで2曲、Ray’s Riffは3拍子だ。
最後のlos Gatosでさらに一曲、フラメンコ調のリズムで盛り上がる。

そして、ルグランのオリジナルが2曲、どちらも有名なA Time for LoveとWatch What Happensは、オリジナルメロディーを大事したルグランのピアノからスタートする。
おまけにスタンダードのMy Funny Valentineでは、ルグランのスキャットまで飛び出す。
Willow Weep for Meもレイブラウンとの掛け合いのスタートが秀逸だ。

このアルバムに関しては、すべての曲がお気に入り。

録音された場所は、シュリーマンの経営する、LIVEHOUSE。
当時、WEST COASTでは有名なクラブであった。
店の名前の、「マンホール」の洒落っ気がさすが。

The Grand Brown Man
A Time for Love
Ray's Riff
Watch What Happens
My Funny Valentine
Another Blues
Willow Weep for Me
Los Gatos

p) Michel Legrand
b) Ray Brown
d) Shelly Manne

Recorded at "Shelly's Manne-Hole", Hollywood, CA, September 5, 1968
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CANNONBALL ADDERLEY and the Poll-Winners

2006-06-18 | MY FAVORITE ALBUM
WESの後期の名盤の一枚が「A DAY IN THE LIFE」であるが、前期となるとRIVERSIDEレーベルに多くある。
このアルバムも、その中の一枚だ。

いわゆるオールスターセッションは、レギュラーグループのリーダー格を集めるとなると大変だ。それも、ミュージシャンが、今ほど交通の便も良くない時代に、広いアメリカの中をライブ中心の活動をしている時には。

アルトのCANNONBALL ADDERLEY、ベースのRAY BROWN、そしてギターのWES MONTGOMERYは1960年の5月、それぞれのグループ(RAY BROWNは、もちろん
OSCAR OETERSON TRIO)で、西海岸のライブハウスに出演していた。
その機会を捉えて、A面はLOS ANGELSで、B面はSAN FRANCISCOで録音されたアルバムである。
アルバムタイトルどおり、人気投票で当時常に一位を争うプレーヤー達の競演である。

一曲目のCharlie Parkerで有名な、Au Privaveを聴いた瞬間から、派手さはないが、3人の個性がうまく溶け合ったサウンドが飛び込んでくる。
ピアノは、イギリス出身のVictor Feldmanであるが、vibeもうまくこなして、自分のオリジナル曲も提供している。
そのサウンドのせいもあるが、メインストリームでありながら、全体にWEST COASTの清涼感も感じる。

お気に入りは、やはりAu Privave。

RIVERSIDEレーベルは、トラディショナルJAZZの復刻レーベルとしてスタートしたが、モダンジャズの新たな録音を1953年以降拡大し、セロニアスモンク、ビルエバンス、ウェスモンゴメリーなどを売り出し、JAZZ専門レーベルのメジャーに育っていったのは、Adderleyの貢献が大きい。

1.Au Privave
2.Yours Is My Heart Alone
3.Never Will I Marry
4.The Chant
5.Lolita
6.Azule Serape

  As) CANNONBALL ADDERLEY
  G) WES MONTGOMERY
P,Vib) VICTOR FELDMAN
  B) RAY BROWN
  Ds) LOUIS HAYES

1960年5月21日, 6月5日録音
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AFTER MIDNIGHT / NAT KING COLE

2006-06-17 | MY FAVORITE ALBUM
先日、CSのDISCOVERYチャンネルでナットキングコールのドキュメンタリー番組があった。

1919年アラバマ州で生まれたコールは、16歳の時からピアニストとしてバンドを結成、18歳でロスへ出てプロに。
22歳の時に初めて歌をレコーディング。
1943年、24歳のときにキャピタルレコードと契約。歌手としてのコールの活躍が始まった。

50年代に次々とヒット曲を生み出し、シングル1500万枚、アルバム500万枚の売上げを記録、キャピタルレコードのハリウッドの本社ビルは、コールのお陰で建ったそうだ。

第2次世界大戦には、偏平足で兵役を免れ、戦後は、JAZZというよりは一層ポピュラーな世界で人気が高まった。
しかし、その当時の人種差別はまだまだ激しいものがあり、幾多の嫌がらせにあう。
1956年、自身のテレビショーが始まり、大人気番組になったにもかかわらず、スポンサーがつかずに打ち切りという事実も。
その後、海外ツアーも積極的に行い、日本語での「枯葉」も披露している。

1965年肺がんで他界するまでの一生を、レコード会社や妻の回顧、BBキング、トニーベネット、ハリーベラフォンテ、スティービーワンダーなどのインタビューを交え、音楽と人生を描くドキュメンタリーに仕上がっている。

見逃した方は、21日に再放送があります。
お勧めです。


コールのアルバムは数多くあるが、JAZZ VOCALという意味では、このAFTER MIDNIGHTがベストであろう。

ギターを加えたリズムセクションに、曲によって、トランペット、アルト、バイオリンなどを加えた、コンボ編成のプレーはJAZZそのものである。
タイトルどおり夜中の閉店後の仲間内のアフターセッションを感じさせるプレーで、ボーカルだけでなく、ピアノも楽しめる。

Just You Just Me
Sweet Lorraine
Sometimes I’m happy
Caravan
It’s Only A Paper Moon
You’re Looking At Me
The Lonely One
Don’t Let It Go To Your Head
I Know That You Know
Blame It On My Youth
When I Grow Too Old To Dream
Route 66

p,vo) Nat King Cole
g) John Collins
b) Charlie harris
ds) Lee Young

as) Willie Smith
tp) Harry Edison
vi )Stuff Smith
tb) Juan Tizol

1956年8月録音
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アナログレコードプレーヤー

2006-06-16 | JAZZ LIFE
先日、会社の引退した先輩のOB会があった。
団塊の世代よりもひとまわり上、日本の高度成長を支えた先輩の方々だ。
仕事に趣味にボランティアと、皆さん現役の時以上に元気である。
今、まだ現役の団塊の世代が、あと10年経ったとき、果たして同じように元気かどうか、全く自信がない。
今を大事に生きよう。

一次会が終わった後、JAZZ好きの先輩から、「久しぶりにJAZZでも聞きに行こうか」と誘われた。
有楽町から少し新橋よりに行った、ビルの地下に「JAZZ COUNTRY」という昔ながらのJAZZ喫茶が残っていた。
30年前と同様、まだアナログLPレコードをかけている。
懐かしい、JAZZ SOUNDである。

ターンテーブルを見ると、YAMAHAのGT2000。



自分のプレーヤーと同じである。
このブログを書き始めて、埃をかぶっていた我が家のプレーヤーも大活躍である。

40年以上前のレコードを聞きなおして、当時の録音の素晴らしさに改めて感動を覚えている。CDのデジタルサウンドの音の良さもあるが、JAZZはやはりアナログの良さが合う。
スクラッチのノイズは確かに耳障りであるが、これもJAZZ SOUNDの内。
もっとも、最近は針のないレコードプレヤー(レザー・ターンテーブル)なるものがあるらしい。
一度、どんな音がするのか聞きに行ってみようと思う。
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