A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

パーカーのアルトを引き立たせるストリングスと1本のオーボエ

2014-08-31 | MY FAVORITE ALBUM
Charlie Parker with Strings : The Master Takes

さる8月30日はチャーリーパーカーの誕生日であった。この日、パーカーの生誕94周年記念のライブがあった(ということは生きていれば94歳。自分の母親と同い年ということを今知った)。
パーカー派のアルトで有名な澤田一範さんのライブであったが、いつものクインテットではなく、この日の編成はWith Strings。年に数回行われるが、他ではなかなか聴けない演奏だ。

澤田さんのアルトを自分はビッグバンドで聴くことが多いので、必ずしもパーカースタイルのアルトにいつも接している訳ではない。ストリングスをバックにしたアルトは、よりパーカーを意識しているせいかパーカーライクなフレーズが盛りだくさん。この日はたっぷり聴くことができた。
レパートリーはパーカーのWith stringsに収録されている曲が中心だが、最近ではオリジナルアレンジの曲も加わり、また最近は飛び入りゲストも加わったり、なかなか楽しいライブになってきている。

パーカーのウィズ・ストリングスの特徴は?というと、ストリングスに加わったオーボエ。パーカーのアルトにこのオーボエの間奏が実に効果的であり、魅力的だ。アクセントになっているだけでなく、ストリングスのアンサンブルでもお化粧を施している。それに、ハープが加わりさらにゴージャスな雰囲気を醸し出している、パーカーのストリングスというと、このバックが実にいい感じで、他のストリングス物と一線を画しているのだと思う。

当日のライブでは、さすがにハープは加わっていないが、ストリングスのクインテットにオーボエが加わって、このパーカーのストリングスサウンドを見事に再現していた。
一曲目はJustFriend、アルバムもこの曲で始まる。



テレビの創世記に「ミッチと歌おう」とテレビ番組があった。ちょうど、東京オリンピックの頃に放送していたと思う。ヒゲのミッチミラー率いる合唱団が、色々な歌を聴かせてくれた番組だが、



何といってもミッチミラーで有名になったのは、クワイ河マーチ、そして大脱走のテーマであろう。よく口笛を吹いていたものだ。



この合唱団で有名なミッチミラーだが、キャリアを遡ればコロンビアレコードのプロデューサーであり、さらにその前はというとクラッシクのオーボエ奏者であった。

パーカーのウイズ・ストリングスの最初の録音は。1949年11月(これは自分の誕生日と同じだ)。このセッションのストリングスに混じって加わっているオーボエ奏者が、実はこのミッチミラーだ。ちなみに、ベースはレイブラウン、ドラムはバディーリッチという豪華版。もちろんこの時は、パーカーこそ全米に名を馳せていたと思うが、ミラーも、ブラウンも、リッチも一流入りするのはまだこれから。将来のスターをバックにした豪華ストリングスであったということだ。



CD盤のWith Stringsは、Master Takeというタイトルで、このファーストアルバムだけでなく、後の録音も収められている。その中に、カーネギーホールでのライブ録音もあるということは、このWith stringsが当時もそれなりに話題を呼んだアルバムであったのだろう。

ライブの余韻が残っている間に久々にフルで聴いてみた。やはりいい物はいい。

1. "Just Friends"  (John Klenner, Sam M. Lewis) – 3:30
2. "Everything Happens to Me"  (Tom Adair, Matt Dennis) - 3:15
3. "April in Paris"  (Vernon Duke, E.Y. Harburg) – 3:12
4. "Summertime"  (George Gershwin, Ira Gershwin, DuBose Heyward) – 2:46
5. "I Didn't Know What Time It Was"  (Richard Rodgers, Lorenz Hart) – 3:12
6. "If I Should Lose You"  (Ralph Rainger, Leo Robin) - 2:46

Charlie Parker - alto saxophone;
Mitch Miller - oboe
Bronislaw Gimpel, Max Hollander, Milton Lomask - violins
Frank Brieff - viola
Frank Miller - cello
Myor Rosen - harp
Stan Freeman - piano
Ray Brown - bass
Buddy Rich - drums
Jimmy Carroll - arranger and conductor

Charlie Parker with Strings (Studio recordings of Nov. 30, 1949)

7. Dancing in the Dark" (Arthur Schwartz, Howard Dietz) - 3:10
8. Out of Nowhere" (Johnny Green, Edward Heyman) - 3:06
9. Laura" (David Raksin, Mercer) - 2:57
10. East of the Sun (and West of the Moon)" (Brooks Bowman) - 3:37
11. They Can't Take That Away from Me" (G. Gershwin, I. Gershwin) - 3:17
12. Easy To Love" (Cole Porter) - 3:29
13. I'm in the Mood for Love" (Jimmy McHugh, Dorothy Fields) - 3:33
14. I'll Remember April" (Gene DePaul, Pat Johnson, Don Raye) - 3:02

Charlie Parker - alto saxophone
Joseph Singer - french horn
Eddie Brown - oboe
Sam Caplan, Howard Kay, Harry Melnikoff, Sam Rand, Zelly Smirnoff - violins
Isadore Zir - viola; Maurice Brown – cello
Verley Mills - harp
Bernie Leighton - piano
Ray Brown - bass
Buddy Rich - drums
Joe Lipman - arranger and conductor
unknown xylophone and tuba

Charlie Parker with Strings (Studio recordings of July 1950)
Released on 10" as Mercury MGC-509, reissued as MGC-109. These records do not contain "Dancing in the Dark" and "Laura".

15. What Is This Thing Called Love?"  (Porter) - 2:55
16. April in Paris"  (Duke, Harburg) - 3:13
17. Repetition"  (Neal Hefti) - 2:48
18. You'd Be So Easy to Love"  (Porter) - 2:25
19. Rocker"  (Gerry Mulligan) - 3:00

Charlie Parker - alto saxophone
Tommy Mace - oboe
Sam Caplan, Ted Blume, Stan Karpenia - violins
Dave Uchitel - viola; Wallace McManus - harp
Al Haig - piano
Tommy Potter - double bass
Roy Haynes - drums
unknown cello

(Recorded on September 17 1950 at Carnegie Hall, New York)

20, Temptation"  (Nacio Herb Brown, Arthur Freed) - 3:31
21. Lover"  (Richard Rodgers, Lorenz Hart) - 3:06
22. Autumn in New York"  (Vernon Duke) - 3:29
23. Stella by Starlight"  (Victor Young, Ned Washington) - 2:56

Charlie Parker - alto saxophone
Al Porcino, Chris Griffin, Bernie Privin - trumpets; Will Bradley, Bill Harris - trombones; Murray Williams, Toots Mondello - alto saxophones; Hank Ross - tenor saxophone; Stan Webb - baritone saxophone; Artie Drelinger - woodwinds; Caplan, possibly Sylvan Shulman and Jack Zayde - violins; Mills - harp; Lou Stein - piano; Bob Haggart - double bass; Don Lamond - drums; Joe Lipman - arranger and conductor; unknown woodwinds, violins, violas, and cello

(Recorded on January 22 or 23 1952, New York City)

24. Repetition"   (Hefti)- 2:57
Charlie Parker - alto saxophone
Vinnie Jacobs - french horn; Porcino, Doug Mettome, Ray Wetzel - trumpets; Harris, Bart Varsalona - trombones; John LaPorta - clarinet; Williams, Sonny Salad - alto saxophones; Pete Mondello, Flip Phillips - tenor saxophones; Manny Albam - baritone saxophone; Caplan, Smirnoff, Gene Orloff, Manny Fiddler, Sid Harris, Harry Katzmann - violins; Nat Nathanson, Fred Ruzilla - violas; Joe Benaventi - cello; Tony Aless - piano; Curly Russell - double bass; Shelly Manne - drums; Diego Iborra - percussion; Neal Hefti - arranger and conductor

(Recorded in December 1947, New York)



Charlie Parker With Strings: The Master Takes
Charlie Parker
Polygram Records
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有能な新人達に囲まれて、ファーマーのプレーも一段と力が入っているような・・・

2014-08-30 | CONCORD
Warm Valley / Art Farmer Quartet

先日、Otonowaというグループを率いて、東北の支援のコンサートを行うためにAkira Tanaという日系のドラマーが来日した。あまり有名ではないと思うが、なかなかの実力者である。彼らのアルバムとライブの模様は先日紹介した。

「ピアノの詩人」として最近人気が出ているフレッドハーシュというバラードプレーの上手いピアニストがいる。今年来日したので、そのピアノの魅力を生で聴いた方も多いと思う。

友達づきあいをしていると、決して先頭に立って活動することもなく、あまり目立たないがどこにでも顔を出してしかるべき役割をきちんと果たすタイプの人物に出会うことがある。ベースのレイドラモンドはそんなタイプのプレーヤーかもしれない。

このアルバムのリズム隊はこの3人。今考えると異色の組み合わせかもしれないが、まだ、彼らがデビューしたばかりのニューヨーク、1982年9月、今から32年前のセッションだ
そしてリーダーは、古いジャズファンであれば知らぬ人はいないと思うが、トランペットのアートファーマー。

ファーマーは40年代から活動を始めたが、クインシージョーンズやクリフォードブラウンなどと一緒にライオネルハンプトンのバンドに加わった頃から頭角を表し、ハードバップ全盛期はホレスシルバーやベニーゴルソンとのジャズデットでなくてはならない存在であった。
その後ジェリーマリガンのグループに加わったり、ジムホールとコンビを組んだり、決して自らが主役ではないがメインストリームを歩み続けた。

そして、このアートファーマーもアメリカでの活動に見切りをつけて、ヨーロッパに渡った一人だ。68年にウィーンに拠点を移したが、ヨーロッパの滞在は長く続いた。70年代はアルバムこそアメリカで作った(実は日本で監修したもの多かったように思う)ものの、拠点はあくまでもヨーロッパだった。
そのファーマーが、80年代に入るとアメリカで再び頻繁に活動するようになる。自分を育ててくれた母国に何か恩返しをと思ったのかもしれない。

Concordのアルバムはそのような時の録音だ。前作のWork of Artに続いての2作目になるが、「再びアメリカでやるぞ」という意気込みが感じられる。

その最大の理由が、よくある旧友達との再開セッションではなく、若手を登用したアルバム作りだった。
この時50歳を超えたファーマーに対して、他のメンバーはまだ20代。年回りからいえば親子の関係になるし、仕事の世界では、親分が自ら新人教育を行うようなものだ。
今からみれば後の実力者を抜擢したことになるが、当時では多くいる新人達の中からの抜擢、見る目があったということだろう。

このアルバムでは、ファーマーはすべてフリューゲルホーンでの演奏。というより、しばらく前からプレーはフリューゲルホーン一本に絞っていたので、ただでさえソフトなタッチのプレーは一層丸みを帯びている。しかし、演奏そのものは何故か鋭さを増しているような気がする。

それは、曲選びにも現れている。
まずは、一曲目のパーカーのMoose the Mooche。
若者たちに、「新しいことにチャレンジするのは大事だが、バップの伝統は忘れるな」と檄を飛ばしているようにも感じる。

かと思えば、次のハーシュのオリジナルAnd Now There's Youでは、ミュートプレーでのハーシュとのピアノとの絡み。「バラードというのはこう演奏するのだ」と言っているようだ。これがハーシュのバラードプレーの原点かもしれない。

ドラムのAkira TanaにはThree Little Wordsで、ドラムとの掛け合いの極意を伝授。
7曲それぞれに若者達には意味のある曲の選定と演奏だったように思える。

初めてこのアルバムを手にとった30年近く前、無名のサイドメンにはあまり注意を払うことはなかった。ベテラン達の復活の場と思われていたConcordが、実はニューヨーク録音のアルバムではベテランの力を借りて着実に新人の発掘役を果たしていたことの証である。同じコンコルドでマルサリスやジェームスウイリアムスを育てたアートブレーキーのジャズメッセンジャーズがお手本になったのかもしれない。
そう思って聴くと、決して名盤ではなくとも愛着が沸くものだ。

この時からすでに30年以上が経って世の中はすっかり代替わりした。当時若手だった3人はすでに60歳を過ぎた大ベテラン、ファーマーからの教えを若手に引き継いでいることだろう。



1. Moose the Mooche          Charlie Parker 4:31
2. And Now There's You          Fred Hersch 5:09
3. Three Little Words     Bert Kalmar / Harry Ruby 4:49
4. Eclypso               Tommy Flanagan 5:28
5. Sad to Say            Benny Golson 5:34
6. Upper Manhattan Medical Group   Billy Strayhorn 5:41
7. Warm Valley             Duke Ellington 7:52

Art Farmer (flh)
Fred Hersch (p)
Ray Drummond (b)
Akira Tana (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Ed Trabanco
Recorded in New York, September 1982

Orijiginally released on Concord CJ-212




Warm Valley
Art Farmer
Concord Jazz
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こてこてのブルース歌手のソフトな一面を引き出す秀逸なバック・・・

2014-08-29 | PEPPER ADAMS
Blues for Easy Livers / Jimmy Witherspoon

ここに録音日が不詳の一枚のアルバムがある。プレスティッジのディスコグラフィーを見ても1965-1966だけ書かれていて正確な日付はわからない。ペッパーアダムスのディスコグラフィーには1966年の春のセッションとあり、サドメルの旗揚げの2月7日と、前回紹介した5月録音の2枚のアルバムの間に載せられている。

このアルバムも、ペッパーアダムスを追いかけていなければ手にする事はなかっただろう。ジミーウィザースプーンのアルバムは1959年のモンタレーのライブ以外は持っていない。このアルバムはモンタレーのステージを生々しく伝えてくれる素晴らしいアルバムだが、ブルース歌手というイメージが強すぎるせいかその後はあまり食指が動かなかった。

このアルバムは最近になって初めて聴いてみたがなかなかいいアルバムだ。もっと早く手にしてもしてもよかった。前述のライブ物と比べて、一言でいうと実にスマートな演奏、メローな歌いっぷりとなる。一曲以外はミディアムテンポ以下のスローな曲ばかり、ある種のバラード集といってもいい。ジョニーハートマンとコルトレーンのアルバムを思い浮かべる。

曲もブルースではなくスタンダードが多い。タイトルからして、「ブルースを気楽に聴いてみたい人」向けといった感じだ。要はブルース擬きでウィザースプーンのブルース歌手の魅力を味わって下さいというコンセプトなのか?
他をあまり聴いていないのでこれ以上偉そうなコメントはできないが。

このアルバムの主役はあくまでのウィザースプーンのボーカル。アレンジを担当したピアノのロジャーキャラウェイもこの辺は良くわきまえていて複雑なアレンジは何もない。「あくまでもボーカルをキャンバスの中心にしてスケッチのように誰でもソロができるような構成になっていた」とは、このセッションに参加したビルワトラスのコメントだ。

スローな曲でも、キャラウェイの輝くようなピアノが実に効果的だ。そして、ワトラスとアダムスも特にアンサンブルワークがある訳ではなく、それぞれボーカルに絡むようなバックが実に魅力的だ。ボーカル自体が低音の魅力なので、本来低音を売りにするトロンボーンやバリトンが高めの音域で絡むのも妙に新鮮に感じる。
リチャードデイビスとメルルイスの参加も全体のバックの完成度を高めている。

そういえば、アダムスの参加したアルバムをここまで追いかけてきたが、これまで歌伴に参加したアルバムは記憶が無い。もう一度確かめてみようと思うが、これがお初かも知れない。
アダムスといえば、アップテンポの曲で切れ味の良いソロが魅力だが、このようなスローな曲のフレーズ作りも実にうまい。歌のバックには歌心がないプレーだとしっくりこないが、アダムスにしてもワトラスにしても、これぞボーカルのバックのお手本という感じの好演だ。

その中で唯一のアップテンポの曲がI'll Always Be In Love With You。この曲はバックもジャムセッション風に展開していくが、ここでひとつ不思議なことが。
ライナーノーツでのコメントも、ここでのサックスはアダムス(他にクレジットがないのでアダムス以外は考えられないが)と記されているが、聴こえてくるのはどう聴いてもテナーの音。フレーズ作りもいつものアダムスのバリトンとは少し違うような。アダムスは、演奏するジャンルやグループによってプレースタイルも起用に変えるが、これもバリトンをテナー風に吹く新たな芸風かも。もし、アダムスがテナーを吹いているとすればこれは珍しいが果たして真相はどうなっているのか?
もちろん他の曲はまぎれもないアダムス節だが。



1. Lotus Blossom      Sam Coslow / Arthur Johnston / Billy Strayhorn 3:03
2. Gee Baby, Ain't I Good to You         Andy Razaf / Don Redman 3:11
3. Travelin' Light             Jimmy Mundy / Trummy Young 4:15
4. P.S. I Love You             Gordon Jenkins / Johnny Mercer 3:04
5. I'll Always Be in Love With You Bud Green / Herman Ruby / Sam H. Stept 2:29
6. Don't Worry 'Bout Me             Rube Bloom / Ted Koehler 3:02
7. Easy Living                 Ralph Rainger / Leo Robin 3:24
8. Embraceable You            George Gershwin / Ira Gershwin 3:08
9. Blues in the Night             Harold Arlen / Johnny Mercer 4:04
10. Trouble in Mind      Richard M. Jones / Janis Joplin / Traditional 2:23
11. How Long Will It Take for Me to      Become a Man Traditional 3:16
12. I Got It Bad (And That Ain't Good) Duke Ellington / Paul Francis Webster 3:13

Jimmy Witherspoon (vol)
Bill Watrous (tb)
Pepper Adams (bs)
Roger Kellaway (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by Peter Paul
Arranged by Roger Kellaway

Recorded in New York City, 1965-1966

Blues for Easy Livers
Jimmy Witherspoon
Obc
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サドメルオーケストラとサドジョーンズ&ペッパーアダムスクインテットはどちらが先に生まれたか?

2014-08-28 | PEPPER ADAMS
サドジョーンズとペッパーアダムスの出会いは古い。同じデトロイト出身である学生時代から顔なじみだったかもしれない。

プロになってから2人が一緒にプレーしていた場所は地元の”The Blue Bird Inn”というクラブ。デトロイトでは老舗のジャズクラブ、地元のメンバーだけでなくチャーリーパーカーやマイルスなども出演していた。デトロイトも今では寂れた街になってしまったが、当時は自動車産業の街として活気を呈していた。活気のある街のクラブも当然のように毎夜熱い演奏が繰り広げられていたようだ。





軍隊に入って朝鮮戦争へ出征し、地元へ戻ったのは1953年7月の事であった。アダムスは、早速このブルーバードでプレーを再開した。その時のハウスバンドのリーダーはビリーミッチェル。そのミッチェルと52年の秋以来コンビを組んでいたのがサドジョーンズであった。
ミッチェルが抜けることになり、アダムスはサドジョーンズとフロントラインでコンビを組むことになる。これが、2人がレギュラーで一緒にプレーした、最初のクインテットの誕生となった。
アダムスが23歳、7つ年上のジョーンズが30歳の時であった。

ハウスバンドには、その後トミーフラナガンが加わり、時にはピアノレスのカルテットの時もあった。翌54年の5月にピアノがバリーハリスに代わった直後、サドジョーンズはカウントベイシーオーケストラに加わる事になりバンドを去ることになった。
それから10年サドジョーンズはベイシーオーケストラと共に活動することになる。その間プレーだけでなくアレンジにも腕を振るうようになる。

残されたアダムスは、この「ブルーバード」のミュージカルディレクターを務め、マイルスデイビスなどを迎えたセッションを企画しながらクラブを切り盛りしていたが、12月にはアダムスもブルーバードを去ってケニーバレルのグループに加わることに。

そんな関係であった同郷の2人はその後も幾度となく出会う事になる。特に、63年にデトロイトの新興レーベルモータウンのジャズ系の傍系Workshop Jazzの立上げをアダムスが手伝った時は2人で一緒のレコーディングもあり、レギュラーコンボ結成に今一歩の所まできたが続かなかった。

そして、再びコンビを組んだのは1965年の3月になってから。デトロイトのブルーバードで一緒にプレーしてから10年以上が過ぎていた。

実はこの時期、60年代の中頃、ペッパーアダムスは金銭的に窮していたという。
ドナルドバードとのコンビの活動の報酬としてのギャラを貰えず、自分が作った曲の権利は登録されず、録音したアルバムの権利も曖昧であった事が災いしていたのだろう。要は、プロのミュージシャンとしてまともな収入の基盤ができていなかったということになる。

止む無く、ライオネルハンプトンのオーケストラに雇われてツアーに出たが、決して高給をとっていたとは思えない。ハンプトンバンドの演奏内容もアダムスにとってけっして満足できるものではなかった。金銭面ではハリージェイムスからのいい条件での誘いを断ったのを後悔していただろう。レコーディングへのお呼びが少なかったのも、ちゃんとミュージシャンユニオンへの登録が行われていなっかったからという。要領が悪かったのか、ツキに恵まれなかったのかは定かではないが、いずれにしても運には見放された日々をおくっていた。

そんな状況下でのサドジョーンズからの誘いは、旧友からの有難い誘いであった。コンボでの演奏を望んでいたアダムスなので、もちろん内容的には満足のいくものであったと思うが、果たして金銭的に潤ったかというと甚だ疑問である。

というのも、お金を稼ぐことに関して決して得手ではなかったアダムスの目から見ても、「サドジョーンズは、プレーもアレンジもすべてが素晴らしいのに、せっかくのビジネスチャンスを生かしきれなかった」と手記の中で評価されている。音楽的なリーダーシップとビジネス面でのプロデュース能力は別物なのだ。

その様な中、今度はサドメルオーケストラのリハーサルが始まった。1965年11月、クインテットの活動から半年以上遅れてのスタートであった。
サドメルオーケストラの起源を辿ると、1955年6月カウントベイシーオーケストラに加わったばかりのサドジョーンズが、地元デトロイトで行われたバンド合戦に来訪したスタンケントンオーケストラのメルルイスと楽屋で話をしている時、「将来は2人でやろう」と意気投合したのが始まりといわれている。
こちらも、2人にとっては10年の道のりをかけ、このオーケストラが若い頃の夢の実現の場であった。

アダムスは、61年にドナルドバードとのコンビを解消してからは、鳴かず飛ばずの活動で、レギュラーグループで活動するきっかけを掴めないでいた。その時、気心の知れた、そして2年前に一緒に再起のきっかけを掴みかけたサドジョーンズとのコンビのスタートは手応えを感じていただろう。

その中、今度はあまり気の進まないオーケストラへの参加要請であった。
というのも、コンボでのプレーを希望していたというのは表向きの理由があったが、このリハーサルオーケストラに加わることに金銭的な不安もあったと思われる。要は、時間はとられるが、お金にはならない仕事は控えたいというが本音だったかも。リハーサルは、もう一人のバリトン奏者、マーヴィンホラディと交代で参加していた。

サドメルオーケストラの立上げは、表向きにはニューヨークの一流のスタジオミュージシャン達が、仕事の合間をぬって編成されたリハーサルオーケストラと報じられていた。それ故、仕事の休みが多い月曜日の夜に毎週集まったと言われている。
確かに、スヌーキーヤング、ボブブルックマイヤー、ジェロームリチャードソンなどのファーストコールのミュージシャンも何人もいたが、反対にスタジオの仕事も満足にもらえないジミーオーエンス、そしてペッパーアダムスなどの若手もいた。彼らにとっては、リハーサルでもお金がもらえるのか、ビレッジバンガードに出演するようになってもいくらギャラが貰えるかは死活問題であった。

結局、20ドルのギャラで折り合いがついた様だが、決してギャラとしては多いものではなかった。事実、ジミーオーエンスはスタート直後にハービーマンのグループに加わるため早々にバンドを去った。

サドメルのオーケストラが1966年2月7日にデビューすると、当然初アルバムの制作の話も具体化した。リハーサルの場所を提供していたPhil Ramoneも動いたのであろう。ラモーンも関係したソニーレスターが新たに立ち上げたソリッドステートレーベルで初録音を行う事が決まった。

録音場所はフィルラモーンご自慢の新機材の入ったA&Rスタジオ、デジタルの時代にはまだ早かった。何が当時の新技術、新機材かといえば、真空管からトランジスターに替わって行った時代。レーベル名もその名のとおりのSolid Stateであった。



実はこのラモーンは今ではプロデューサーとして有名で、ジャズに限らず多くの有名アルバムを作り出している。この頃はまだ先進的なレコーディングエンジニアとして活躍を始めた頃だ。この後もエンジニアとしては、4chトラック録音、映画の光学式サラウンド、そしてデジタル録音と常に時代を先取りした技術を生み出した。市販CDアルバムの第一号も彼のA&Rスタジオで作られた。
彼が携わった仕事の経歴をみると、まだ駆け出しだった1966年の実績にこのアルバムも確かに記されている。

一方の、サドジョーンズ&ペッパーアダムスクインテットも結成一年を経て、やっとアルバム制作の段取りが始まった。こちらのプロデュースは、名門リバーサイドを経営していたオリンキープニュース。リバーサイドが倒産し、捲土重来を期してスタートしたマイルストーンレーベルの第一弾のアルバムとして企画された。





このような経緯で生まれた2枚のアルバムは、

サドメルのオーケストラが、
”Presenting Thad Jones & Mel Lewis & The Jazz Orchestra”




クインテットが、
“Mean What You Say / Thad Jones & Pepper Adams Quintet”



として、世に出ることになった。

2枚のアルバムのそれぞれの録音日を辿ると。
サドメルのオーケストラは、5月4、5、6日、一方のクインテットは、4月26日、5月4日、9日
となっている。

5月4日は、両方の録音が重なっている。サドジョーンズ、メルルイス、そしてアダムスの3人はこの日は2つのスタジオをハシゴしたということになる。

いずれにしても、オーケストラとクインテットの2枚のアルバムはほとんど同じ時期に録音されて世に出ることになった。






クインテットのアルバムのタイトル曲になっている”Mean What You Say”は、オーケストラの最初のレパートリーの中の一曲でもあり、この録音にも入っている。サドジョーンズの曲の中で自分も気に入っている曲の一つだが、このベイシーライクの曲とアレンジにはギターのリズムが良く似合う。サドジョーンズはベイシーオーケストラに長くいたせいか、ギターへの拘りもあって、立ち上げ時はサムハーマンをメンバーに入れていた。

しかし、他の曲のアレンジではギターの出番は少なく、ハーマンの出番はパーカッションが多くなっていった。当然ハーマンはこのバンドにギターが不要なのを悟りハンドを去った。
その後、レコーディングではギターが入っても、サドメルオーケストラのライブ演奏でギターがレギュラー参加することは無かった。ジョーンズにとっては、拘っていたギターを外すことが慣れ親しんだベイシーサウンドからの決別にもなったのかもしれない。

2月の旗揚げライブの後、このレコーディングまでの期間アダムスはテディーチャールスのグループでツアーに出て、サドメルのオーケストラには参加していない。サドメルではファーストライブにも参加したもう一人のバリトン奏者、マーヴィンホラディが参加した。
しかし、アダムスはこの2枚のアルバム録音に参加したことによって、色々迷いがあったが正式メンバーとして定着する決心がついたようだ。もちろん、ジョーンズからの強い説得もあったと思うが、コンボでも相方を務めている先輩ジョーンズの要請は断りきれなかったのだろう。

このアルバム録音を経て、サドメルのオーケストラは毎週月曜日のビレッジバンガードへの出演がレギュラー化し、他にも7月のニューポートへの出演など活動がどんどん活発になっていく。
一方のクインテットの活動は頻度が少なくなるが、合間を見てクラブ出演は続いていた。
しかし、残念ながらクインテットの2作目のアルバムがその後作られることは無く、サドジョーンズ&ペッパーアダムスクインテットの演奏は結局この一枚しか残されていない。

このアルバムを改めて聴き直してもバードとのクインテットとは趣が違うし、並のハードバップ系のクインテットとは異なる。特に、ドナルドバード&ペッパーアダムスのクインテットのファンがこのアルバムを聴くと、同じ編成でもファンキーらしさが無く、ある種フリーな演奏もあるこのクインテットにがっかりするかもしれない。しかし、世の中ハードバップから、ファンキー、8ビートと変遷を遂げている中で、明らかに違う位置づけの演奏でありマイルストーンレーベルの初アルバムを飾るに相応しい一枚だと思う。

2管編成でありながらサドメルオーケストラのミニ版の響きがするが、これもサドジョーンズのアレンジの特徴によるもの。オーケストラより先に立ち上がったこのクインテット、さらに遡れば63年のモータウンでのレコーディングが実はサドメルの原点になっているかもしれない。結果、それがこのクインテットの味付けを決めている。

アダムスは居場所が定まったので安心したのか、お金を稼ぐためには欠かせないレコーディングへの参加もこの年から急に増える。セッションや他のビッグバンドへの参加も多くなっていった。久々に元気なアダムスのプレーが聴けるようになった1966年の始まりであった。

いよいよ12年間のサドジョーンズと行動を共にする時代の始まりだ。
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似たような音楽でも、元を辿るとそれぞれのルーツがある

2014-08-27 | CONCORD
Latin Odyssey / Laurindo Almeida & Charlie Byrd

先週までの暑さが嘘のように急に涼しくなった。昨日のゴルフも灼熱地獄のプレーを覚悟したが快適そのもの。気分屋の自分としてはプレーの内容も久々に好調そのもの。小さなミスはあったにも関わらず80台の前半のスコアは久々。最近は、あまりスコアへの執着心を無くしていたが、再び拘りのゴルフを思い出した。秋のシーズンに期待ができる。

もうひとつ好調であった理由は、先週末、久々に女子プロのトーナメント観戦に出かけたこと。以前はプロのトーナメントを良く見に行ったものだが、今回は久々の観戦。出場している選手もすっかり若手に入れ替わっていたが、最近の若手は皆上手いし良く飛ばす。いい内容のゴルフを見続けていると、自然にリズムやテンポも影響を受けるものだ。昨日の自分の好プレーも女子プロのスイングの残像効果があったのかもしれない。いい刺激を受けた。

若手に交じって、懐かしい福島晃子の姿を見たが、飛ばし屋は健在であった。他のプロを常に40ヤード近くオーバードライブしていた。170ヤード弱のショートを8番でオーバー気味とは恐れ入る。自分も若手に交じってゴルフをする機会も多いが、歳をとったなどと言っていられない、またゴルフの記事を書く気になる位少し頑張らねば。

さて、今回のアルバムは久々にコンコルドのアルバム、ローリンドアルメイダとチャーリーバードの共演だ。

コンコルドはギター関連のアルバムが多いが、この2人の共演となると当然ラテン物、Concord Picanteのアルバムになる。
ジャズとラテンの融合、ボサノバブームを生んだアルバムというと、60年代の初めとゲッツとジルベルトのアルバムになる。一連のゲッツのアルバムの中にゲッツとチャーリーバードのJazz Sambaもある。
実は今回のもう一人の主役ローリンドアルメイダがバドシャンクと組んでブラジル音楽とジャズの融合を図ったのは10年前の50年代の最初。もしこれがヒットしていたら、ゲッツに代わってバドシャンクがボサノバの立役者になっていたかもしれない。

何の世界でも、ヒットするしないは時の運。そして、世の中の人はヒットしたものが、その世界のルーツと思い込んでしまうのは仕方がない。

そういう意味では、人だけではなく音楽自体もそうかもしれない。たまたまラテンの世界ではボサノバがヒットしたが、ラテン音楽のルーツは何もブラジルだけではない。反対に、ブラジルだけがポルトガルの植民地であり、他のラテン諸国の中ではブラジルの方が特異な存在かもしれない。

このバードとアルメイダのコンビは、コンコルドで以前”Brazilian Soul”というアルバムを作っている。 このアルバムも単なるボサノバアルバムというのではなく、ブラジル音楽のルーツをたどった作品集であった。
今回のタイトルは、”Latin Odyssey“。その対象をブラジルだけでなく、ラテン諸国全体に広げた。素材となる曲は一曲目のCatsのメモリーを除けば、メキシコの作曲家の曲であったり、ベネズエラのフォークソングであったり、中南米各国の曲を集めている。

ギター2本が主役という事もあり、また選んだ曲の曲想もあるが、それらの曲はラテン特有のリズムを効かせたアップテンポ曲というより、哀愁を込めたギターの調べが似合う曲が続く。明るいラテンの曲はどうしても夏の日差しが似合いうが、このようなラテンサウンドは、ちょうど涼しくなって秋の気配を感じる時にピッタリだ。

前作のブラジリアンソウルと合わせて、2人の生ギターの調べをじっくり味わう事のできるアルバムだ。ライナーノーツの最後でも触れられているが、ちょっと聴いた感じでは簡単に演奏できそうだが、音楽的に影響を与え合う2人のギターによる会話は他ではなかなか味わえない。



1.Memory               Andrew Lloyd Webber 4:07
2.Zum and Resurección del Angel        Astor Piazzola 7:41
3.El Niño                 Antonio Romero 3:08
4.Gitanerias        Ernesto Lecuona Ernesto Leuro 2:35
5.Adios           Enric Madriguera / Eddie Woods 2:59
6. El Gavilan              Aldemaro Romero 2:58
7. Estrellita                 Manuel Ponce 4:20
8. Tubihao de Beijos            Ernesto Nazareth 4:07
9. Intermezzo Malinconico            Manuel Ponce 3:01

Laurindo Almeida (g)
Charlie Byrd (g)
Joe Byrd (b)
Bob Magnusson (b)
Jeff Hamilton (ds)
Chuck Redd (ds)

Produced by Carl Jefferson
Phil Edwards : Engineer

Recorded at Coast Recorders, San Francisco, December 1982

Originally released on Concord Picante CJP-211

Latin Odyssey
Concord Records
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家のゴミと思った中にも宝物が・・・

2014-08-20 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
One More Time / Terry Gibbs’s Dream Band Vol.6


歴史を語る時に古文書の存在が大きい。歴史小説を読んでも、あるいは今流行りの官兵衛をみても、よく元になる史実が詳細に残っているものだと感心する。このような古文書はどこかに保管されていたのだろう。今でこそ博物館にあっても、それがあったのは寺や神社だけでなく、一般の家庭に先祖代々引き継がれているものの中から見つかることも多い。

一昨年親を亡くして家の整理もまだ終わっていないが、確かに思い出のある物も多く、中には家の歴史になるものもあるので簡単には捨てられない。
一方で、いま時代の価値観は「断捨離」。親や先祖のものだけではなく、自分自身の身の回りも何も無い方がスマートな暮らし方のようだ。確かに、その日を楽しく快適に過ごすだけであれば、それは理想だろう。しかし、それならば何も家を持たずにホテル暮しをすればいいのにと思ってしまう。
この「断捨離文化」が本来残さなければならない歴史と文化も捨て去ってしまっているように思えてならない。もう一回世代替わりをすると、歴史を持たない民族が生まれる。恐ろしいことだ。

こんなことを考えると、自分はどうもゴミ屋敷にならない程度に物に囲まれた生活が合っているようだ。これはどうやら一生変わることが無さそうなので、家の大整理は息子に引き継ぐことになるかもしれない。

ところが、天変地異が起こるとそうそう悠長な事は言っていられない。今日も大きな災害があったが、津波や火災で全てを失えば諦めもつくが、引越しをしなければならないとか、家を修理しなければならない事態に陥ると最小限の整理は必要になる。自分は、引越は何度もやったが結局一度も開けずのダンボールが行き来することも。

1994年1月17日(これも117だ)ロスアンジェルスで大地震が起こった。これで被害を受けたのはかなり広範囲に及んだそうだ。ロスといえばジャズプレーヤーも多く住んでいる所、被害を受けたミュージシャンも何人もいたと思うが、その一人がヴァイブ奏者のテリーギブスであった。
自宅が大きな被害を受け、修理のために荷物をすべて一旦家の外に出さなくてはならなくなった。8ヶ月後にすべての物を元の位置に戻したつもりになっていたのだが・・・。
2001年8月になって、クローゼットの中に見知らぬダンボールを発見。中身を改めると、何と録音済のオープンリールのテープが25箱。本人もすっかり存在を忘れていた30年以上前の録音の数々だった。

どこの家にも何かこのような宝物が出てくる可能性があるので、簡単に物を捨てられないということになる。

早速、聴いてみると何とそれらは、ギブスが華々しくドリームバンドを率いていた頃のライブの録音がザクザク。録音状態も非常に良く、それらの演奏がCD時代になってから陽の目を見ることになった。
それがこのアルバムだ。それまでも、自分が残した録音からアルバムを出してきたが、さらに新たなソースを発見したということになった。

新たな未発表録音やプライベート録音が続々見つかって世にはでてくるので、物珍しさから興味を惹くが、名盤、名演というのにはなかなか当たらない。まあ宝探しの楽しみと思えば、好きなミュージシャンの思わぬ発掘品も見つかるものだ。

このギブスのドリームバンドの中身はいうと、当時の西海岸在住のオールスターバンド。
ウェストコーストジャズが下火になった中、地元でホットな演奏を繰り広げていたバンドの一つだ。
そのライブ録音となると少しは興味が沸く。ファンの歓迎を受けて、2枚目、3枚目・・と続いていたが、これが2002年になってVol.6となってリリースされた。

このアルバムには1959年3月と11月の2つのセットが収められ、メンバーも若干入れ替わっているがどちらもスインギーなプレー。またトップミュージシャンを起用に若手アレンジャーのスコアが提供されている。同じジャンプナンバーでも、同じヴァイブをリーダーとしたハンプトンのバンドと較べるとはるかに中身があるし、スマートな演奏だ。

ラストのジャンピングアットザウッドサイドではテナーバトルが素晴らしい。その後、アレンジャーとして活動がメインになったビルホルマンのホットなプレーが聴ける。
盛り上がったところで、ギブスの2本指のピアノプレーも。

おまけに、先日メイナードファーガソンで紹介したアイリーンクラールのボーカルが3曲。どうやら客席にいたのを引っ張り出しての飛び入り参加らしく、スコアが用意されていなかったようだ。
そこは、プロの集まり、彼女が曲とキーを言うとピアノがさりげなくイントロを務めると、ベースとドラムが加わる。様子を見ていたギブスも2コーラスから参加、最後はバンド全体で即興のアンサンブルも。ライブの楽しいところだ。


このアルバムをリリースするにあたって、テリーギブスはドリームバンドに貢献した特に3人にこのアルバムを捧げたいと言っている。

一人は盟友コンテカンドリ。素晴らしいトランペットプレーヤーであるだけでなく、無二の親友で兄弟のような関係。いつも一緒にいてくれただけでなく、素晴らしいプレーを随所で聴かせてくれる。
素晴らしいリーダーには優れた女房役が必要。ギブスにとってはカンドリがその役割であったようだ。

そして次がメルルイス。
バディリッチとは対局を為すドラミングだが、2人はバンドをスイングさせる名手だと褒め上げている。ギブスはメルを”The Tailor”と呼んでいた。スインギーな演奏のタイムキーピング役だけでなく、ソロやアンサンブルを実にうまく縫い合わせていってくれる、ドリームバンドに不可欠な存在であった。

西海岸で活躍していたメルルイスが、東海岸に活動拠点を移したのはジェリーマリガンのコンサートジャズバンドに加わったのがきっかけという。この59年から60年にかけてメルルイスが参加したアルバムは非常に多い。どうやら、この辺りが西海岸での最後のプレーになってくる。
メルルイスにとって、ビッグバンドのドラミングはケントンで鍛えられたと思っていたが、サドメルのドラミングの原点はこのドリームバンドの演奏にあるのかもしれない。

最後に、この素晴らしい録音をしてくれたWally Heider.。
やけにいい音だと思ったらやはりハイダーであった。ギブスが言うように、40年後に「昨日録った録音」といってもいい程のクオリティーだ。さすが、ライブレコーディングの魔術師。このアルバムの価値を高めるのに一役かっている。

このテリーギブスが亡くなったという話はまだ聞いていない。流石に現役は退いたとは思うが・・・。
晩年になって、ファンから「ドリームバンドはまたレコーディングしないのか?」という問いかけは良く出るが、返事はいつも「やらない」であった。

ギブスにとっては、59年から61年にかけてのこのバンドが「ドリームバンド」。まさに、この録音そのものが。
メンバーの何人かは残っていても、このメンバーでなくては駄目だということのようだ。ベニーグッドマンのバンドといえば、ジーンクルーパ、テディウィルソン、そしてハンプトンがいなければダメなのと同じようにと例えている。ライブはやっても、それはメモリアルドリームバンドなのだろう。

確かに、これまでの人生を振り返ると、誰もが自分にとってドリームチームといえるメンバーとやった仕事(遊び)は一生忘れることができないものだ。これがその人にとっての宝物だ。



1. The Fuz                    Al Cohn 4:20
2. The Subtle Sermon              Sy Johnson 9:13
3. Opus On Sid                 Garris / Sy Oliver 9:03
4. Smoke Gets in Your Eye       Otto Harbach / Jerome Kern 3:26
5. Slittin' Sam (The Shaychet Man)            Al Epstein 3:18
6. Prelude to a Kis   Duke Ellington / Irving Gordon / Irving Mills 2:58
7. Flying Home   Benny Goodman / Lionel Hampton / Sydney Robin 11:27
8. I Remember You      Johnny Mercer / Victor Schertzinger 2:41
9. The Fat Man T                  erry Gibbs 7:16
10. Just Plain Meyer              Bob Brookmeyer 4:01
11. Sometimes I'm Happy  Clifford Grey / Leo Robin / Vincent Youmans 3:07
12. Moonlight in Vermont     John Blackburn / Karl Suessdorf 3:12
13. Lover, Come Back to Me Oscar Hammerstein II / Sigmund Romberg 2:07
14. Jumpin' at the Woodside              Count Basie 10:53

Terry Gibbs Producer, Vibraphone

#1,3,4,8,10,and 14

Al Porcino (tp)
Conte Candoli (tp)
Ray Triscari (tp)
Stu Williamson (tp)

Bob Enevoldsen (tb)
Vern Friley (tb)
Joe Cadena (tb)

Joe Maini (as,ts)
Charlie Kennedy (as)
Med Flory (ts,arr)
Bill Holman (ts)
Jack Schwartz (bs)

Pete Jolly (p)
Max Bennett (b)
Mel Lewis (ds)

# 2,5,7,8,9,11,12,and 13

Conte Candoli (tp)
Stu Williamson (tp)
John Audino (tp)
Lee Katzman (tp)

Bill Smiley (tb)
Bob Burgess (tb)
Vern Friley (tb)

Joe Maini (as,ts)
Charlie Kennedy (as)
Bill Perkins (ts)
Med Flory (ts,arr)
Jack Schwartz (bs)
Benny Aronov (p)
Lou Levy (p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (ds)

Irene Kral (Vocals)

Al Cohn Arranger
Manny Albam Arranger
Bob Brookmeyer Arranger
Wes Hensel Arranger
Sydney Johnson Arranger
Marty Paich Arranger

Wally Heider Engineer

Recorded live at the Seville and Sundown, Hollywood, March & November, 1959


One More Time 6
Terry Gibbs
Contemporary
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暑い夏にピッタリな音楽は・・・

2014-08-19 | MY FAVORITE ALBUM
Chambre Avec Vue / Henri Salvador

お盆休みは毎年恒例のゴルフの夏合宿。ところがコースが快適な高原ゴルフとはいかず、毎年暑さとの戦いになる。昔は、この暑さの中での連日ゴルフも苦にはならなかったが、最近は寄る年波には勝てず・・・。ところが、今年は最高気温も低く、朝夕は幾分過ごしやすい天気であったのが幸いし、早朝のオプションラウンドもこなすことができた。
とはいうものの、お盆を過ぎても暑い日が続く。快適なゴルフができるのはまだ先、ゴルフはしばらく灼熱地獄との戦いになりそうだ。



夏のリゾートといえば海か山。自分はもっぱら「山」派で、夏の海にはもう何年も行っていない。海外のリゾートでのんびりならまだしも、東京近郊の人でごった返した海岸にはなかなか行く気にもならない。キャンプに良く行っていた頃、友人とたまには海でキャンプをしてみようと行ってみたものの、暑さと砂でひどい目にあいそれ以来夏の海というのは敬遠している。

海水浴場といえば、先日海水浴場の音楽規制で人の流れが変わったというニュースが流れた。規制で人が減ってゆっくりできるのであればいいのではないかと思ったが、ここで商売をしている人にとっては大打撃とか。海岸も客層を選別する時代になったのかもしれない。

というものも、静かな海岸ならまだしも、人の集まる海岸であれば音楽など規制をしなくてもいいのではと思ったが、その元凶はクラブ並の大音量と大騒ぎだとのこと。それでは規制を受けても仕方がないかもしれない。

何事も、自分達の楽しみは人に迷惑をかけない範囲でという常識が働いていれば問題が起きないのだが・・・、最近の常識は自分達が楽しんでいるのに何が悪いということらしい。

そういう自分も、最近は自宅で聴く時はついつい大音量になりがち。近所迷惑になっているかどうかを一度確かめておこう。

夏に気軽に聴く音楽というと? 
あまりヘビーな音楽は暑さを助長してしまうのでボサノバなどが一番かも。

自分の愛聴アルバムもこのアルバム。ヒットしたアルバムだが、一枚通して聴いても、そして何度聴いても、何故か飽きがこないアルバムだ。理屈抜きでいい音楽なのだろう。こんな音楽が流れている海岸での昼寝は気分が良さそうだ。

このアルバムの主役、アンリ・サルバトールのことをあまりよく知らなかったが、1917年生まれというので、このアルバムを作ったのはすでに80歳を超えてから。歳をとってから益々他人に真似のできない魅力が増す、羨ましい限りだ。
経歴を見ると、ジャンゴラインハルトとギターを弾き、クインシージョーンズと曲を作り、ミッシェルルグランとロックの先駆けをやり、ジョビンにボサノバの影響を与えたと聞くと、ジャズファンとしては身近に感じる以上に、何かジャンルを超えてジャズ界に影響を与えた神様のような存在に思える。

最近は、暑さだけでなく、自然災害も尋常ではない。毎日のように起こる殺人事件も常識離れしてきている。地球も自然のストレスに、そして社会のストレスに皆が堪え切れなくなっているのだろう。
そんな時こそ今の自分を見直すことが必要だと思う。

フランス語なので歌詞は全く分からないが、全体を通して長老が与えてくれるこの「まったり感」は、単に気持ちをリラックスさせるだけでなく、色々苦労を重ねて80歳を超えたサルバトーレからのメッセージのような気がする。彼の生涯を色々と探ってみたくなった。



1. Jardin d'          Hiver Keren Ann / Benjamin Biolay 2:49
2. Chambre Avec Vue                 Henri Salvador 2:42
3. J'Ai Vu                       Henri Salvador 3:30
4. Il Fait Dimanche                    Art Mengo 3:56
5. La Muraille de Chine                Henri Salvador 3:21
6. Jazz Mediterranée             Keren Ann / Benjamin Biolay 3:23
7. Un Tour de Manege                  Henri Salvado 3:38
8. Vagabond                        Art Mengo 3:22
9. Je Sais Que Tu Sais                   Paul Misraki 4:26
10. Mademoiselle Thomas   Dutronc / Armand Garoux / Henri Salvador 3:53
11. Le Fou de la Reine Françoise         Hardy / Henri Salvador 3:10
12. Faire des Ronds Dans l'             Eau Henri Salvador 2:48
13. Aime-Moi                       Henri Salvador 3:54

Henri Salvadorr (vol,g)
Patrick Artero (tp)
Eric Le Lann (tp)
Denis Leloup (tb)
Herve Mechinet (fl)
Daniele Scannapieco (sax)
André Villéger (sax)
Florin Niculescu (Violin)
Thomas Dutronc (g)
Dominique Cravic (g)
Bernie Arcadio (Arranger, Conductor, Musical Director, Piano)
Vincent Artaud (b)
Laurent Vernerey (b)

Produced by Marc Di Domenico
Jacques Ehrhart Engineer


Chambre Avec Vue
Henri Salvador
EMI Import
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有名歌手のカバーは真似るより徹底的に自分のスタイルで・・・・

2014-08-18 | MY FAVORITE ALBUM
To Billy With Love From Dee Dee Bridgewater

ビッグバンドとボーカルの関係となると昔は専属歌手がいたのが普通だったが、モダンビッグバンドとなると稀となってきた。とはいうものの、大きなステージではゲストの歌手を招く事も多く、ボーカルファンにはとっては、普段はフルバンドをバックにボーカルを聴く機会もすくないので、これも楽しみだ。

サドメルのビッグバンドが2度目の来日をした時74年に、帯同してきたのがまだうら若きディーディーブリッジウォーターであった。メンバーの一人であったセシルブリッジウォーター夫人としての同行でもあった。ステージを見には行ったが、正直オーケストラの方に集中していて、その時は自分にとってはおまけのような存在であった。

74年来日時のサドメルとの共演



来日した時に残したアルバム”Afro Blue”を聴くと、これがなかなかの出来。その後、本国アメリカでのデビューアルバムを作ってからはトントン拍子で大出世。今では女性ジャズボーカル界の大御所の一人となった。

今年来日した時に、久々にライブのステージを聴いたが、これが貫禄のショーであった。
ブルーノートでのライブの最終日、ラストステージでもあったので、最初からマイペースでステージが進む。一時間経ってもまだこれからという感じ。靴も脱いで戦闘態勢に入った時にはすでに1時間半を過ぎ、スタッフが時間経過のメッセージを送るがこれを完全に無視。大盛り上がりで終わった2時間を超えるステージであった。

ライブでのステージ作りの上手さは、以前紹介したLive at Yoshi’sで味わう事が出来る。緩急交えて最高のステージを聴く事が出来るが、ジャズはたはりライブで実力を出し切れるミュージシャンが本物だろう。

一時トリビュートアルバムを続けて出した時期があるが、最近のアルバムでは何と言ってもこのビリーホリデイトリビュートが素晴らしい。2011年のグラミー賞をとったが。レディーデイのミュージカルにも出たことのあるディーディーにとってはスタジオ録音といっても、舞台づくりのようなアルバム作りでその貫禄と実力を窺い知る事もできる。

ビリーホリデイのカバーというと、限りなく彼女の歌い方、イメージをカバーするというアプローチと、徹底的に自分のスタイルでビリーの曲を料理する2つのアプローチの方法がある。このアルバムは後者だが、企画段階では2つのアプローチ、「暗」のビリーと「明」のビリーの2枚組も考えられたそうだ。予算の問題でお流れになったようだが、実現されていたらもっと素晴らしいアルバムになっていただろう。

このアルバムのクレジットに、彼女の名前の横に、vocals, Producerに加えて、Artistic Directorとある。メンバーの選定から、アレンジのイメージづくり、そして演奏そのものまでまさに芸術的に組み上げられている。バックはジェイムスカーターを加えたピアノトリオだが、彼女の表現力豊かな歌と合わせて5人だけとは思えない変化と迫力を提供してくれる。フルオーケストラをバックにしたゴージャスな演奏は物量で作れるが、このような中身の濃い演奏はそれなりの実力者が揃わないとなかなか実現できないものなのだ。

1. Lady Sings the Blue         Billie Holiday / Herbie Nichols 3:31
2. All of Me          Gerald Marks / Seymour B. Simon 2:58
3. Good Morning Heartache   Ervin Drake / Dan Fisher / Irene Higginbotham 5:11
4. Lover Man James Edward   Davis / Roger J. Ramirez / James Sherman 4:43
5. You've Changed        William "Bill" Carey / Carl Fischer 5:11
6. Miss Brown To You      Ralph Rainger / Leo Robin / Richard A. Whiting 2:12
7. Don't Explain        Billie Holiday / Arthur Herzog, Jr. 6:15
8. Fine and Mellow       Billie Holiday 4:55
9. Mother's Son-In-Law      Mann Holiner / Alberta Nichols 2:47
10. God Bless the Child    Billie Holiday / Arthur Herzog, Jr. 5:13
11. A Foggy Da          George Gershwin / Ira Gershwin 4:33
12. Strange Fruit                 Lewis Allan 4:16



Dee Dee Bridgewater  (Producer, artistic director,vol)
James Carter  (ts,ss,cl,fl)
Edsel Gomez  (p,arr)
Christian McBride  (b)
Lewis Nash  (ds)

Recorded at Avater Studio New York, on June 5,6,7,2009

Eleanora Fagan 1915-1959: To Billie With Love From
Dee Dee Bridgewater
Emarcy / Umgd
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サドジョーンズ&メルルイスオーケストラの記念すべき初ライブにペッパーアダムスは参加していたか?

2014-08-17 | PEPPER ADAMS
Money in The Pocket / Joe Zawinul

ザビヌルのアルバム紹介で、いきなりサドメルの初ライブの話で始まるのには訳がある。

1965年11月の末に、サドジョーンズとメルルイスの長年の夢がかなって、やっと立上げ準備のためのリハーサルが始まった。2人の頭の中では色々メンバーの構想を巡らせていた。リードアルトはフィルウッズを考えていたが残念ながら快諾は得られなかった。ウッズは、その後アメリカのジャズ界に見切りをつけてヨーロッパに渡る。他にもトロンボーンのウィリーデニスやトランペットのニックトラビスなどが候補に挙がっていた。
その時、サドジョーンズとメルルイスと一緒にクインテットを組んでいたペッパーアダムスも当然のようにこの旗揚げには参加をしていた。しかし、アダムス自体はコンボでの演奏をもっとやりたいと思っていたので、必ずしも諸手を上げてという訳でもなかった。事実、リハーサルにはもう一人バリトン奏者としてMarvin Holladayが参加することもあった。

当時ニューヨークのFM局WABCでは、Alan Grantをホスト役として、ニューヨークの色々なライブハウスから中継をする番組“Portraits in Jazz”という番組を毎週やっていた。
年が明けて1月21日の番組には、サドジョーンズとペッパーアダムスのクインテットが出演した。メンバーはメルルイスに、ピアノがデュークピアソン、ベースがレジーワークマンであった。メルルイスから新しいオーケストラの話を聞き、一度リハーサルを聴きに来ないかと誘われた。オーケストラの演奏を目の当たりに聴いたグラントは、このオーケストラのデビューをビレッジバンガードで行う段取りを早速バンガードのオーナーのマックスゴードンと始め、2月7日月曜日がそのデビューの日と決まった。

まだこのオーケストラは知る人ぞ知るという存在であったし、今のようにインターネットで告知もできない時代でもあった。最初はバンドメンバーの知り合いと関係者だけで半分も埋まればという感じの初公演になりそうであった。それでも、ラジオで告知をしたりチラシを作ったりといった準備は着々と進めていた。

翌週の番組には、ペッパーアダムスが再び出演する。この時のメンバーはテナーのエディーダニエルスにピアノがボブジェイムス、ベースがチャックイスラエル、ドラムがマーティーモレルという、これもまた興味津々の組み合わせであった。
コンボでのプレーを希望していたアダムスにとっては、翌週のオーケストラよりもこの日の演奏の方が気が気ではなかったかもしれない。

そして、いよいよ当日を迎える。チラシのメンバー表にもバリトンには、アダムスともう一人マービンホラディもクレジットされていた。そして、このオーケストラの演奏はFMでオンエアされ広くニューヨークのジャズファンの知る所となった。しかし、遠く離れた所に住むジャズにとっては幻の演奏であった。しかし、その模様はテープにも残されていた。エアチェックではなくオリジナルなので音もそこそこ良い音だ。このテープは長年グラントの手で保管されていたが、後に”Opening Night”のタイトルでCD化され、サドメルの本当のファーストアルバムとなった。サドメルファンは必携のアルバムだろう。



このアルバム自体は、以前このブログでも紹介しているので、興味がある方はこちらを見て頂きたい。

バリトンプレーヤーが2人クレジットされていると、このCDに収められている演奏のバリトンプレーヤーが誰かという疑問が沸く。ペッパーアダムスの研究家として有名なゲイリーカーナーもその点が気になったのだろう、その時の様子や演奏内容を色々調査している。

そこに、このライブとは別にもうひとつの事実があった。ペッパーアダムスとサドメルファンを自認する自分も、この事は今まで知らなかった。

実は、ペッパーアダムスはこの晴れ舞台の日にもう一つの仕事を抱えていた。それが、このジョーザビヌルのアルバム”Money in the Pocket”の録音であった。この録音が何時まで行われたかは定かではないが、このアルバム一枚分が一日で行われている。1、2時間という訳にはいかず、それなりに時間はかかったと思われる。

一方で、ビレッジバンガードでのステージは3セット行われた。セットによってアダムスとホラディが交代したということも考えられるが、このCDに収められた演奏が何セット目かの記録もない。
また、この時のサドメルオーケストラは立ちあげたばかりで、レパートリーがまだ10曲程度しかなく、セットが違っても同じ曲を何度も演奏したと言われている。アダムスが最初のセットに間に合わず、後半で参加ということも考えられる。

このCDも、一曲目はメルルイスのインタビューであり、ポルカドッツはハンクジョーンズのソロなので残りの10曲がすべてということもありうる。アダムスが最初のセットに間に合わず最後のセットだけということも十分に考えられる。

となると、実際の演奏を聴いてプレーヤーを当てざるを得ないが、自分は残念ながらもこのホラディの演奏を聴いた事が無いので比較ができない。

ガーナーも同じ疑問に至ったのだろう、このサドメルオーケストラで後にアダムスの後継者として演奏したこともある、Frank Basileにお伺いをたてた。Basileが聴いた限りは、このバリトンはアダムスだろうとのことだ。「特にソロをとっているワンスアラウンドは議論の余地が無くアダムス」だとのコメントを得たようだが、果たして真実はどうであったのか?

このOnce Aroundは、この後スタジオでの初アルバムの録音でも演奏され、1曲目に収められているが、このライブでは3分を超えるソロの熱演だ。

あまり聴く機会もないと思うので、YoutubeにUPしておいた。



この曲は、アダムスのソロをフィーチャした曲として、後にもいくつも録音が残っているが、この最初のライブでのソロは少し違った感じであるのも事実だ。ソロの違いはアドリブだからといってしまえばそれまでだが、ビッグバンドでは大体同じような感じになるのが世の常である。アダムスの場合は時と場合によって自在に変わるのでアダムスで間違いはないであろう。

実は、サドメルオーケストラのもう一つの特徴がある。この点に関して、ジェリーダジオンがコメントを残している。
「確かにスタート時点ではレパートリーは少なかった。したがって、3セット目までに何度も同じ曲を演奏することになるが、サドはけっして同じような演奏にならないように、わざと演奏を変えていった。誰かがソロをとっている途中で突然バックのアンサンブルを全員休みにする。バックはベースだけになったり、ドラムだけになったり、時には全く伴奏なしのソロ状態に。それに再びベースを加えたり、さらにドラムをと自由自在にソロストを操っていく。さらに、サックスセクションにワンノートだけを一緒に吹かせたり、ブラスセクションにアクセントをつけたコードをキュー出ししたり、それは指揮と作曲を同時に自然発生的に行う事であり、聴いている方には何が起こるか分からない楽しみがあった」と。

これが、サドメルの本当の楽しみはライブを聴かないと分からないと言われた所以であろう。

このワンスアラウンドは初演から、晩年までレパートリーのメインで、アダムスはソロをとる曲としての有名なので聴き較べをしても面白い。いずれにしても、指揮者サドジョーンズとアダムスのコラボの結果ということになる。

このファーストライブのすぐ後に行われたスタジオ録音。
スタジオでは、サドジョーンズの指揮のマジックによるソロが無いので全体的に演奏時間も短く、何故か優等生になってしまう。これがオリジナルのアレンジだとは思うが。



1968年のスタジオライブ。ピアノがロランドハナに代わるなど、メンバーは2世代目。


日本に2度目の来日をした頃。このアダムスもすごいプレーだ。


ついでに、74年の東京公演のライブも



さて、サドメルの話の方が長くなってしまったが、ビレッジバンガードに駆けつける前のジョーザビヌルのアルバムも、ちょうどザビヌルの変身の過程でのアルバムで面白い。
アダムスにとっては、このアルバムへの参加が1965年の初レコーディングとなった。

ザビヌルといえば、キャンボールアダレイのマーシーマーシーマーシーでファンキーな一面を出していたが、70年代に入ってからはウェザーレポートのザビヌルに大きく変身した。
その過渡期のアルバムになる。

一曲目のMoney in the Pocket はジャズロック路線。しかし。この路線はこのアルバムではこの曲だけ。バックもこの曲だけはアダレイクインテットのメンバーが務める。
ピアノソロのMy One and Only LoveやトリオのSharon’s Waltzではアコースティックでリリカルな演奏でザビヌルもこんな演奏をするんだという感じ。
後はハードバップ路線になるが、続くIfはハードバップ、アダムスもここではジョーヘンダーソンとの掛け合いが素晴らしい。リズム隊もルイスヘイズとサムジョーンズに代わる。

このアルバムではアダムスのソロの出番も多い。Riverbedで短いながら流暢なソロを聴かせてくれるが、ライナーノーツを書いているキャノンボールアダレイがこの難しいブリッジの扱い方はすべてのサックスプレーヤーがレッスンの教材にすべきものとコメントしている。



いずれにしても、アダムスにとってその夜のサドメルの初ライブのウォーミングアップとしては十分な出来であったということだろう。アダムスにとっては久々に24時間、フル活動の一日であった。

1. Money in the Pocket          Joe Zawinul 4:46
2. If                  Joe Henderson 3:47
3. My One and Only Love   Robert Mellin / Guy Wood 3:52
4. Midnight Mood             Joe Zawinul 6:06
5. Some More of Dat             Sam Jones 6:02
6. Sharon's Waltz             Joe Zawinul 5:06
7. Riverbed                Joe Zawinul 5:09
8.Dell Sasser                Sam Jones 3:45

Joe Zawinul (p)
#1
Blue Mitchell (tp)
Clifford Jordan (ts)
Bob Cranshaw (b)
Roy McCurdy (ds)

#3~8
Blue Mitchell (tp)
Joe Henderson (ts)
Pepper Adams (bs)
Sam Jones (b)
Louis Hayes (ds)

Recorded in NYC, February 7, 1966


Money in the Pocket
Joe Zawinul
Warner Bros UK
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久々に再会したピアソンのセッションにお呼びがかかったが・・・・

2014-08-13 | PEPPER ADAMS
Honeybuns / The Duke Pearson Nonet

ペッパーアダムスのアルバム紹介もいよいよ1965年に入る。前の年64年はハンプトンバンドへの参加を除くと、暮れにオリバーネルソンクインシージョーンズのレコーディングに参加したが、他にはレコーディングの機会は無かった。

年が明けてgigには参加の機会が増えた。ジミーヒース、フランクフォスターなど、今まであまり一緒にやらなかったメンバーとの共演があったかと思うと、久々にメイナードファーガソンのバンドに加わったりしていた。

3月になると、アダムスのバイオグラフィーとしては、新たなページが始まる。
サドジョーンズとの共演の時代だ。65年からサドメルを辞める77年までの足掛け13年長い付き合いになる。アダムスが35歳の時、40代にかけての一番脂の乗り切った時期である。
もちろん、この付き合いはサドメルオーケストラへの参加が大部分だが、実はサドジョーンズとのクインテットの活動の方が先行する。

63年の9月にアダムスのミンガス曲集のアルバムでサドジョーンズと久々に一緒になったが、翌年はアダムスがハンプトンのバンドで過ごすことが多かったので、また一時疎遠になっていた。
以前は同郷のドナルドバードとコンビを組んだが、今度も同じ旧知の仲であるサドジョーンズとのグループ活動の始まりだ。3月20日からスタートしたメンバーは、ピアノは、サドの長兄ハンク、ベースには当時マイルスのグループにいたロンカーター、ドラムはジョンデンツであった。

5月になるとピアノは昔のドナルドバードの時のメンバーであったデュークピアソンに代わる。6月もこのメンバーで演奏し、レギュラーバンド化しかかった時、このグループ活動は一休みになる。8月、9月は、アダムスはサルサルバトールのビッグバンドに加わって過ごした。

そして11月に入ると、いよいよサドメルオーケストラの初のリハーサルが開かれる。
初めてのリハーサルは11月も末になって感謝祭をからめた週末であった。これにアダムスも呼ばれて参加するが、実はもう一人バリトン奏者Marv Holladayが呼ばれた。本番スタート後も、しばらく2人が起用されていたが、さてこの理由は?
リハーサルの場所は、エンジニアのフィルラモンのA&Rスタジオを使うことが多かった。ラモンは丁度新しい録音機器を揃えスタッフの教育を兼ねて、このリハーサルでもテープを回しっぱなしにしてビッグバンドのレコーディングのテストを行ったので両者にとって好都合であった。そして、後にこのラモンがサドメルの初アルバムを自分も設立に参加したSolid Stateレーベルで作ることになる

このような活動であっという間に一年が経つが、この間アダムスがレコーディングへ参加したのは一回だけであった。ちょうどデュークピアソンがグループに参加した時、ピアソンのリーダーアルバムの話があり、これにアダムスも参加することになった。一年間での参加がこのレコーディングセッション1回だけという寂しいものだ。

このアルバムのリーダーであるデュークピアソンはデビューした時から「ブルーノートの人」と思っていたが、ちょうどこの時はフリーだったのか、アトランティックに2枚のアルバムを残しているが、その内の一枚。

65年というと、ジャズのヒットアルバムの一枚としても有名な、ラムゼイルイスの”The in Crowd”が作られた。あの単調なリズムのソウルフルな8ビートが新鮮だった。当時の流行だったのかもしれない。

このアルバムのタイトル曲のHoneybunsもそんな雰囲気の曲だ。
フルートを加えた5管編成のアンサンブルが、8ビートに乗ってミドルテンポでねちっこく始まる。このアルバムではソロを多くとるジョニーコールズのトランペットがこの曲のムードを引き継ぐ。ピアソンのピアノもファンキーだ。全体がこん雰囲気の世の中の流行にのったアルバムかと思いきや、この曲だけがちょっと異質で、2曲目からはピアソンらしくなる。



次のNew girlは後のビッグバンドでもレパートリーに加わったピアソンの作曲した曲としては良く演奏される曲。軽妙なテーマのアンサンブルは、そのままビッグバンドのアレンジへと引き継がれていく。
次のYou Know Careでは、また雰囲気が替わってフルート、クラリネットなどの木管アンサンブル。ハンコックのスピークライクアチャイルドのような感じ、と今度はピアソンのリリカルな面が前面に出る。
Is That SoとHeavy Legsは他の録音でも使われたピアソンの曲でストレートな演奏。
Oue loveは唯一スイング時代のナンバー。アンサンブルをバックに少し姿勢を正したピアソンのピアノをフィーチャー。
と変化に富んでいるが、木管リードのアンサンブルはサドメルの雰囲気を感じさせる。当時のアレンジの流れであったのか?



という感じで、ピアソンもせっかくノネットという大編成の披露の場を設けてもらったものの、ソロもアンサンブルもすべてに中途半端な感じがするのがもったいない。肝心なアダムスも、せっかくお呼びがかかったものの、アンサンブルのみの参加でこのアルバムでもソロはない。

1.Honeybuns        Duke Pearson 7:07
2.New Girl         Duke Pearson 5:15
3.You Know Care      Duke Pearson 4:08
4.Is That So?         Duke Pearson 4:15
5.Our Love  Buddy Bernier / Larry Clinton / Bob Emmerich 4:07
6.Heavy Legs       Duke Pearson 5:59

Duke Pearson (p.arr.)
Johnny Coles (tp)
George Coleman (ts)
James Spaulding (as)
Les Spann (fl)
Pepper Adams (bs)
Garnett Brown (tb)
Bob Cranshaw (b)
Mickey Roker (ds)

Produced by Donald Elfman
Engineer : Phil Iehle

Recorded on May 25 & 26,1965

Honeybuns
Duke Pearson Nonet
Collectables
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お盆休みは、たまにはゆったりした気分で・・・・

2014-08-12 | MY FAVORITE ALBUM
Music From Mr. Lucky / Henry Mancini

今の時代、何でもコスト重視、便利で安ければ良いという風潮が幅を利かせていて、庶民にとっては優雅にゆったりした気分になれるような機会にはなかなか巡り会えない。
先日、ライムライトのアルバムを久々に手に取って、昔は豪華なアルバム作りしていたのを改めて思い出し。何かゆったりした気分で聴けるアルバムでもないかなと思ったものの。普段聴くアルバムは99%ジャズばかり。たまに他のアルバムを聴く事も無くはないが、手持ちのアルバムも数えるほど。そこで、思い出したのがこのアルバム。

しばらく前に、辰巳哲也のオクテットを聴きに行った時、このタイトル曲もレパートリーに入っていた。その時、曲の紹介で、「オリジナルのアルバムはオルガンも入ってゴージャスな雰囲気でお金のかかった演奏だが」というコメントを、フムフムと思いながら聞いていたのを妙に覚えている。

ジャズのスタンダード曲はミュージカルや映画で使われた曲が多い。時代の変遷の中でテレビがメディアの主力になると、このテレビのテーマソングというのも良く採り上げられるようになった。テーマその物がジャズ(風)というのも多い。
このミスターラッキーはマンシーニの作曲だが、マンシーニは、この作品の前に「ピーターガン」でジャズを使って大ヒットしている。その続きで、この作品でもジャジーな演奏の曲が多い。

とはいっても、このアルバムはストリングスを加えたフルオーケストラで、ソロはオルガンがメイン。雰囲気はビートの効いたピーターガンとはがらりと変る。特に、メインテーマはゆったりと流れるような感じで、まさに優雅な気分で聴ける一曲だ。
他の曲も優雅さの中にリズム感が実にバリエーションに富むのはサウンドトラック(テレビではあるが)ならでは。クレジットはされていないが、多分スタジオワークをしているジャズミュージシャンも多く参加しているのだろう。

この曲は、テレビが放映された時、ドナルドバード&ペッパーアダムスクインテットが早々にレパートリーに加えていた。マンシーニの曲はどれも綺麗なメロディーで馴染み易い。ミシェルルグランと並んで、スタンダード曲の量産家だ。

自宅のオーディオも久々にストリングスオーケストラを朗々と鳴らしてくれた。お盆休みは、ゴルフの合間にちょっとゆったり、優雅な気分で聴いてみようと思う。



1. Mr. Lucky         2:17
2. My Friend Andamo      3:34
3. Softly           2:47
4. March of the Cue Balls   3:19
5. Lightly Latin        2:59
6. Tipsy            2:35
7. Floating Pad        2:56
8. One Eyed Cat        3:18
9. Night Flower        2:28
10. Chime Time         3:20
11. Blue Satin         2:38
12 That's It and That's All  2:54

Recorded at RCA Victor’s Music Center of the World, Hollywood
December 4, 10, 17, 1959


MR.LUCKY
Henry Mancini
RCA SPAIN
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メイナードファーガソンビッグバンドのバンドシンガーは?

2014-08-11 | MY FAVORITE ALBUM
Maynard Ferguson / Boy with Lots Of Brass

スイング時代のビッグバンドは大体バンドシンガーを抱えていた。しかし、モダンビッグバンドになると、ゲストでボーカルを招くことはあっても、行動を共にするボーカルをメンバーに加える事は少ない。モダンビッグバンドの雄、メイナードファーガソンも一時バンドシンガーを加えていたことがある。

ハイノートヒッターとして有名なメイナードファーガソンは、スタンケントンを辞めた後はロスでスタジオワークをしていた。生活も安定し、スタジオ以外でも地元でのセッションに何の不自由もなかったのだが、自分のバンドを持ちたいという夢は抗し難く、スタジオの仕事を辞めて1956年には早々に自分のビッグバンドを立ち上げた。

DREAM BANDと名付けたバンドは、ビッグバンドのレギュラー編成よりも少し小ぶりな編成の13人編成であったが、ファーガソンの迫力もあり、人数の少なさを感じさせないパワフルな演奏を繰り広げた。
オリジナル曲を中心に若手のアレンジャーを起用して、ファーガソンのハイノートを筆頭に、エキサイトなソロも売りにしていた。
最初は、地元の西海岸で活動していたが、ツアーを経て東海岸に乗り込んで、後に本拠地になるバードランドでもプレーをする。その時は、同じケントン出身であったペッパーアダムスが加わる事もあった。

このドリームバンドの演奏は、西はロスのピーコックレーンでのライブ東はスタジオであったがバードランドドリームバンドとして演奏が残されている。どちらも若さあふれる元気な演奏が印象的だ。

まずは旗揚げ公演を無事に終え、手応えを感じたファーガソンは引き続き自分のバンドでやっていく決心をした。

その理由の一番は、オーケストラをスタートした時から、ジャズの真髄を決して薄めることなく、広く音楽ファンにうけるように商業的にも成功すること。実際に、我々の熱い演奏とプレゼンテーションは聴衆を最初から惹きつけた。他のオーケストラがジャズの枠に拘ったばかりに商業的に成功しなかったのとは大違いだ。
この基本的なコンセプトは、晩年のファーガソンのビッグバンドまで変わらず生き続けた家訓のようなものだと思う。

その時に、メジャーのマーキュリーから声がかかって制作されてのがこのアルバムになる。
基本コンセプトは変えずに、最初のドリームバンドの成果と反省を反映し商業的にはもう一段工夫を加えた。ひたすらアップテンポに拘ったのを、多少テンポにもバリエーションを増やしたのもその一つ。素材にスタンダード曲を並べたのもその一環かもしれない。

そして、もうひとつ、このアルバムではボーカルを加えている。

ファーガソンがオーケストラを立ち上げた時にボーカルを加えようと思って何度かオーディションを行った。しかし、しっくりくる歌手に巡り会えず、決めかねていた時に、推薦してくれた人がいた。

その人はカーメンマクレー。自らを売り込むのではなく、彼女が推したのはアイリンクラールであった。
有名なジャッキー&ロイのロイクラールの妹である。コマーシャルな仕事はしていたが、ジャズのボーカルではたいして実績はまだなく、推薦を受けたファーガソンもすっかり忘れていたところ・・・
ファーガソンオーケストラがシカゴにツアーに行った時に、反対に彼女の方から売り込みがあり、早速リズム隊を用意して彼女のオーディションをしたら、これがピッタリ嵌る。
即採用ですぐにツアーに加わってデビューとなったが。彼女にとってもビッグバンドで歌うのはこのファーガソンのバンドが初めてだったようだ。

このアルバムでは4曲歌っているが、晩年はピアノトリオでバラードを得意とした彼女の、ホットなオーケストラとの共演が本格デビューというのも妙な取り合わせだ。
いずれにせよ、クラールもこのファーガソンのバンドの経験でキャリア的にもステップアップし、プライベートでもこのアルバムに参加しているトランぺッターのジョー・バーネットと結ばれることになる。
ファーガソンのバンドも、このアルバムで更にステップし、ルーレットレーベルで多くの作品を残す実力バンドに育っていく。

2人にとって節目となるアルバムだ。

SIDE-A
1. Give Me The Simple Life      (R. Bloom - H. Ruby) 2:30
2. My Funny Valentine          (Rodgers - Hart) 3:56
3. The Lamp Is Low         (Shefter - De Rose - Parish) 3:23
4. Imagination            (Burke - Van Heusen) 3:49
5. The Song Is You         (Kern - Hammerstein II) 2:06
6. Jeepers Creepers           (Warren - Mercer) 2:51

SIDE-B
1. Love Me Or Leave Me         (Kahn - Donaldson) 2:42
2. A Foggy Day             (G. & I. Gershwin) 3:02
3. Easy To Love                 (Porter) 3:06
4. Moonlight In Vermont        (Suessdorf - Blackburn) 3:47
5. I Hadn't Anyone Till You              (Noble) 1:40
6. I Never Knew                (Fiorito - Kahn) 3:06

A-1, A-2, A-4, A-6, B-2, B-5:
Maynard Ferguson (tp, leader) with:
Tom Slaney (tp), John Bello (tp), Joe Burnette (tp),
Bob Burgess (tb), Jimmy Cleveland (tb),
Anthony Ortega (as), Jimmy Ford (as, ts), Willie Maiden (ts), Tate Houston (bs),
Bobby Timmons (p), Richard Evans (b), Larry Bunker (ds),
Irene Kral (vo on A-2, A-4, B-5).
Recorded in New York City on July 29, 1957.

A-3, A-5, B-1, B-3, B-4, B-6:
same personnel as above, with Irene Kral (vo) on A-4,5, B-4,5
Recorded in New York City on August 2, 1957.

A-1, A-2, A-4, A-5, B-4, B-5 arranged by Willie Maiden.
A-3, B-6 arranged by Ernie Wilkins.
A-6, B-1, B-2 arranged by Al Cohn.
B-3 arranged by Bill Holman.

BOY WITH LOTS OF...BRASS
Maynard Ferguson
FRESH SOUND
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昔は新規レーベルの誕生の時、豪華絢爛なアルバムがあったことも・・・

2014-08-10 | PEPPER ADAMS
We Had A Ball / Quincy Jones & Various Musicians

最近はCDの売上が減少しているというニュースばかりを耳にする。確かにネットで簡単にダウンロードできる時代にはなったが、自分のような旧人類はやはり好きなアルバムはちゃんとジャケットのあるアルバムでないと何か物足りない。やはり聴くのと持つのは違うものだが、それが災いして物を捨てられない性分だ。今流行の「断捨離」は縁遠い。

一方で、昔のレコードには根強い人気があり、中古市場が活気を呈しているそうだ。たまに目にするオリジナルアルバムの値段の高さにはビックリするばかり。自分はオリジナル盤の信奉者ではないが、レコードの音質の良さには改めて感心することもあり、アナログディスクを買い求めることも。アナログディスクのジャケットを手に取って、デザインに見入ってライナーノーツを見るのも楽しみの一つだ。

CDといっても、ジャズの場合は昔のアルバムの再発が大部分だろう。
ジャズアルバムの新譜は最近どうなっているのだろうか?以前はメジャーレーベルでもジャズアルバムの新譜を積極的に出していた時代もあるが、最近は果たしてどうなっているのか?
最近の事情に疎いが、たまに自分が買い求めるアルバムはマイナーレーベルや自主制作のようなものばかり、メジャーレーベルがお金をかけて作ったアルバムが果たして今でもあるのか?・・・・気になる所だ。

昔、マーキュリーレコードというレーベルがあった。ジャズだけではなく、ジャンルはポピュラー、クラシックからロックまでをカバーするメジャーレーベルであった。ジャズファンには傍系のEmArcyの方が、馴染みがあるかもしれない。

クインシージョーンズのビッグバンドが、苦難のヨーロッパツアーを終えてレコーディングを残したのが、このマーキュリーレーベルである。クインシージョーンズは、このマーキュリーレコードの役員に就任し、アレンジャーとしての役割を卒業しプロデューサー業に転じることになる。彼のビッグバンドもそれに伴い、また時代の要請もあり、よりポピュラーな路線に変わっていき、硬派のジャズファンからは縁遠くなっていった。

ジャズ界全体が変化をしていたこの60年代の半ば、このクインシージョーンズのマネジメントの影響もあってか、このマーキュリーレーベルが新たなジャズレーベルを立ち上げた。
それが、limelightレーベルであった。
ちょうど自分がジャズを聴き始めた頃でもあり、このレーベルの立上げはよく覚えている。
レーベルがスタートした時は、ガレスピー、マリガン、ピーターソン、ブレイキーなどの大物が名を連ね、メジャーの貫禄を見せつけてくれた。



流石メジャーと思わせたのが、ミュージシャンのネームバリューだけでなく、レコードジャケットの体裁も凝った物が多かった。
鳴り物入りでスタートはしたが、ジャズのメジャーレーベルとしては長続きせず、クインシーも去った後は、このライムライトレーベルもジャズ以外のアルバムも出すようになっていった。

その、ライムライトの最初の記念すべき初アルバムはアートブレイキーの” 'S Make It“だが、カタログで次に続く2枚目がこのアルバム”We had a ball”だ。
ジャケットの真ん中に名前が列挙されているように、ライムライトの立上げに参集したメジャープレーヤー達の顔見世アルバムとなっている。いわゆるコンピレーションアルバムだが、中身はそれぞれのセッションのベストや未収録曲の寄せ集めではなく、当時始まったばかりのミュージカル”I had a ball”を素材として、皆で好みの曲を分担したアルバムで、このアルバムのためだけの録音も行われた。

ガレスピーとチェットベイカーは歌も披露。ガレスピーはマックザナイフに似ているこの曲が気に入って選んだそうだ。

クインシージョーンズのビッグバンドは3曲担当しているが、アレンジ自体は御大が行わずベニーゴルソンとビリーバイヤースが担当する。この頃、バイヤースはクインシーの片腕として活躍していたが、アレンジを頼まれたのは前日。筆が早い方ではなかったバイヤースは、アルコーンに助けを求める。アルコーンとバイヤースは日頃から協力し合っていたが、実はアルコーンは多くの人々のゴーストライターをやっていたそうだ。反対に筆が早かったということだろう。
メンバーは、昔からのメンバーであるウッズやメルバリストンに加え、ガレスピーやミルトジャクソンなども加わっているオールスタービッグバンド。実は、このセッションの人集めをしたのはフィルウッズ。ドラムはアートブレイキー。譜面が不得手なブレイキーのビッグバンドでのドラミングも珍しいと思ったら、スタジオにはグラディーテイトが来ていた。アレンジの最初のリハーサルはこのテイトが務め、本番ではブレーキーに代わっている。プロデューサーとしてのクインシーの人の能力を引き出す技の発揮といった所だろう。

そして、バリトンサックスにはペッパーアダムスが参加しているがソロは特にない。
オリバーネルソンのアルバムに続いて、これが64年2回目のレコーディングセッションへの参加であった。ハンプトンのバンドでの活動が大部分の64年であったが、翌年からはサドジョーンズとのレギュラーバンド、そしてレコーディングへの参加と、アダムスもいつもの仕事のペースに戻ってくる。

他にも、ミルトジャクソン、チェットベイカー、アートブレイキーのグループと、これだけのメンバーを集めてのアルバムとしては物足りなさを感じさせるが、有名プレーヤーをさりげなく起用するには、メジャーレーベルの余裕であったのだろう。ジェケットの凝り方を含めて、今ではなかなか作れないアルバムだと思う。

1. I Had A Ball        5:00 Quincy Jones and his Band
2. Fickle Finger Of Fate   2:14 Dizzy Gillespie Quintet
3. Almost        4:18 Quincy Jones and his Band
4. Faith        5:52 Art Blakey and the Jazz Messengers
5. Addie's At It Again    4:57 Quincy Jones and his Band
6. Coney Island, U.S.A.   2:25 Oscar Peterson Trio
7. The Other Half Of Me   3:05 Milt Jackson
8. Think Beautiful      4:18 Chet Baker Quartet

All Songs & Words by J. Lawrence - S. Freeman)

Produced by Jack Tracy.

●Quincy Jones and his band:
Nat Adderley (tp), Dizzy Gillespie (tp), Freddie Hubbard (tp),
Jimmy Maxwell (tp), Jimmy Nottingham (tp), Joe Newman (tp),
Curtis Fuller (tb), J.J. Johnson (tb), Kai Winding (tb), Melba Liston (tb),
Jerry Dodgion (as), Phil Woods (as), James Moody (as, ts, fl),
Roland Kirk (ts), Benny Golson (ts), Lucky Thompson (ts), Pepper Adams (bs),
Milt Jackson (vib), Bobby Scott (p), Bob Cranshaw (b), Art Blakey (ds),

Quincy Jones (cond).
Arranged by Benny Golson and Billy Byers.
Recorded in New York City on December 20, 1964.

●Dizzy Gillespie Quintet:
Dizzy Gillespie (tp, vo), James Moody (ts, fl),
Kenny Barron (p), Chris White (b), Rudy Collins (ds), Kansas Fields (perc).
Recorded at Universal Recording Studios, Chicago, IL on November 6, 1964.

●Art Blakey and Jazz Messengers
Lee Morgan (tp), Curtis Dubios Fuller (tb), John Gilmore (ts),
John Hicks (p), Victor Sproles (b). Art Blakey (ds),

Recorded at Radio Recorders, Hollywood, CA on November 15, 16 and 25, 1964.

●Oscar Peterson Trio:
Oscar Peterson (p), Ray Brown (b), Ed Thigpen (ds).
Recorded in New York City on May 18, 1965.

●Milt Jackson Quintet:
Jimmy Heath (ts, fl), Milt Jackson (vib),
McCoy Tyner (p), Bob Cranshaw (b), Connie Kay (ds).
Recorded in New York City on December 9, 1964.

●Chet Baker Quartet:
Chet Baker (flh), Bob James (p), Mike Fleming (b), Charlie Rice (ds).
Recorded at A&R Studios, New York City on November 20, 1964.
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一見同じように感じても、拘りによる違いの楽しみ方が・・・・

2014-08-09 | CONCORD
Rosemary Clooney Sings The Music of Harold Arlen

暑い日が続くがこの暑さの中ゴルフに行くと、ゴルフをやらない人からは、何故こんな暑い中、それも日中の一番暑い時に一日外にいるようなゴルフをやるのか分からないと言われる。確かに、ゴルフ好きにとっては暑さも、寒さも関係ない。一週間クラブを握らないとウズウズしてくるものなのだ。

先週末は、毎年仲間と恒例になっている長野ツアー。標高1000mを超える高原ゴルフは日差しが強くても木陰に入ると爽やかな風が心地よい。毎度の事ながらこのシーズンの極楽ゴルフを満喫した。

せっかくの避暑地滞在、いつもはゴルフだけで帰ってきてしまうが、今回は友人達と別れて温泉、散策、街歩き、花火とそのまま北信州の夏を満喫してきた。極寒の雪の中温泉に浸かって暖をとる野生の猿で有名な地獄谷の温泉も、夏は猿とっては水浴びと水分補給の場所のようであった。





ゴルフも今回の様に普段とは違うコースに行き、せっかく訪れた遠方の地を楽しんでくるのであれば、それはそれなりの楽しみとなる。ところが、同じホームコースに毎週のように通い詰めるとなると、「よくも飽きずに同じところばかり行って」といわれる。

ゴルフというものは何百回ラウンドしても、全く同じラウンドという事がないからであろう。スコアだけでなく天気やコースのコンディションを含めて。だからあの時のショットというのをいつまでも覚えているのだろう。
そして、プレー内容も上手くなったと思ってもすぐに元に戻ってしまう。一度習得したら全く同じプレーができてしまっては、反対に面白くない遊びになってしまい、ここまで入れ込むこともないであろう。

ジャズも同じような楽しみがある。同じ曲でも人によって全く内容が違うし、同じプレーヤーでも時と場合によって微妙に内容が違う。場合によっては、プレースタイルも全く違うものになる。同じプレーヤーの同じ曲でも時代が変わり、相手が違えばもちろんの事、一日違うだけで違う演奏になってしまう事。それがジャズの楽しみであろう。

コンコルドのアルバムを棚卸して改めて感じるが、全体で同じようなコンセプトでも、プレーヤーによって違うのはもちろん、アルバム毎に何か特徴があるので一枚一枚を楽しめる。もっとも、大外れは無い反面、あっと驚く新鮮さを感じる盤は少なくなるが、それは致し方がない事。
ゴルフ場も誰もが認める名コースというのもあるが、自分の好きなスタイルの、相性の良いコースというのが自然とできてくるものだ。

さて、コンコルドに移籍して何枚ものアルバムを作り、作曲家シリーズを始めたのがローズマリークルーニー。このアルバムで何と9枚目になる。前作のコールポーター作品集に次いで、今回はハロルドアレン集だ。バックは、おなじみのコンコルドオールスターズ。
彼女の歌い方は、原メロディーを大事にする正統派。聴く前から、大体のイメージは沸く。
とすると、どんな曲を選ぶのかが興味の対象になる。

普段あまり作曲家について深く頭の中を整理したことはないが、これを機に多少リセットしてみることに。
ハリーアーレンの曲はスタンダードとして多くのジャズプレーヤーに取り上げられているので、良く耳にする。自分が好きな曲では、It’s only a paper moon, A sleepin’ bee, Ill wind などがすぐに思い浮かぶが、アーレンのOver The Rainbow(虹の彼方に)が,RIAAによって20世紀の1曲に選ばれたようだ。

そして、このアルバムの曲を見渡すと自分にとってはあまりメジャーではない曲が並ぶ。この紹介したアダムスのアルバムのタイトル曲”Out of This World”もアーレンの曲だったのかということを認識した次第だ。

日本で企画されたアルバムというと、良く知られた曲が並ぶことが多い。多くのファンに聴いて貰う(営業的にも成功するため)にはよりポピュラーな曲が良いのは分かるが、アルバムとして聴くにはプロデューサーやミュージシャンが拘りを持った曲選びがされている方が聴き甲斐がある。このアルバムの選曲の理由は良く分からないが、外向きの派手さを求めるよりも、内向きにアメリカンポピュラーソングの神髄に拘りを持ってきたこの頃のクルーニーの想いが曲選びと演奏にもあったのだろう。

いつもと同じゴルフコースに通いながらも、今日の攻略法を思い浮かべてプレーするように。

1. Hooray for Love           Harold Arlen / Leo Robin 3:09
2. Happiness Is a Thing Called Joe   Harold Arlen / E.Y. "Yip" Harburg 4:32
3. One for My Baby (And One More for the Road) Harold Arlen / Johnny Mercer 3:46
4. Get Happy             Harold Arlen / Ted Koehler 3:05
5. Ding-Dong! The Witch Is Dead   Harold Arlen / E.Y. "Yip" Harburg 3:23
6. Out of This World       Harold Arlen / Jimmy McHugh / Johnny Mercer 4:56
7. My Shining Hour        Harold Arlen / Johnny Mercer 3:48
8. Let's Take the Long Way Home  Harold Arlen / Johnny Mercer 3:31
9. Stormy Weather         Harold Arlen / Ted Koehler 5:41

Rosemary Clooney (vocals)
Ed Bickert (g)
Scott Hamilton (ts)
Warren Vache (cor)
Dave McKenna (p)
Steve Wallace (b)
Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer Phil Sheridan
Recorded at McClear Place, Toronto, Canada, January 1983

Originally released on Concord CJ-210
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50年目の節目で、新たなチャレンジをしたプリザベーションホールジャズバンド・・・

2014-08-01 | JAZZ LIFE
Preservation Hall Jazz Band・New Orleans

世の中何であっても発祥の地があり、それを信じる者や熱烈ファンは一生の内に一度はそこを訪れてみたい聖地となる。ジャズの場合は言わずと知れたニューオリンズ。自分もアメリカには過去プライベートでも仕事でも何度か行ったことがあるが、南部はテキサス、フロリダまで。ニューオリンズは残念ながらまだ行ったことがない。一度は訪れてみたい所だ。

そのニューオリンズの中でのジャズの聖地といえば、ジャズの伝統を今に引き継ぐプリザベーションホールであろう。昔ながらのニューオリンズのジャズの伝統が聴ける所、ここのハウスバンドPreservation Hall Jazz Band(PHJB)が先日来日した。




簡単な歴史はこちらで↓


このプリザベーションホールを巡り、ここを訪れる「おばあちゃんドラマー」のドキュメタリーを前に見た事を思い出した。


80歳を過ぎた昔駐留軍周りをしていたおばあちゃんドラマーが、プレー仲間でもあった亡き夫の遺影を抱いて孫に連れられてここを訪れ、飛び入りでTake The A Trainを演奏して喝采を浴びるという内容であったが、普段あまりこの手の番組に思い入れを感じない自分だが、これを見ながら思わず感動を共有化してしまった。プレーヤーにとっては、ここを訪れるだけなくここで一度演奏できたら本望であろう。

自分がこのグループのアルバムで持っていたのはこれ。今から40年近く前の録音。今回来日したバンドリーダー、ベン・ジャフィーの父親が現役メンバーであった時代の演奏だ。
ジャズが初めてレコードになったのは1917年のオリジナルディキシーランドジャスバンドの演奏。このバンドがレパートリーにしていたニューオリンズジャズではスタンダードのタイガーラグで始まる。内容は、古き良き時代を伝える正真正銘ニューオリンズジャズの演奏だ。
もちろん、今回の来日メンバーはこのレコードの時代とは一新されているが、元々トラッドジャズが好きであったので、今回は本家本元の演奏を期待してでかけてみたが・・。

勉強不足で、最近の活動状況を知らなかったが、此のバンドも昨年結成50周年を記念して、すべてオリジナル曲によるアルバムを出して、これがヒットしているようだ。そのために、本拠地での演奏だけでなく、全米のツアーに出るようになり今回の来日もその一環のようだ。
これで、来日メンバーの紹介を含めて現在の演奏を聴ける



改めてこのアルバムを見るとこちらのメンバーは1900年~1910年の生まれが殆ど。録音当時でも70歳を超えるメンバー達で、彼らはまさにジャズの創世記を自ら体験した面々である。
一方で、今回来日したメンバーは地元の代々ミュージシャンの家系を引き継いでいる者が多いが、すでに3世代、4世代目だそうだ。

伝統芸能では何でもそうかもしれないが、代々引き継がれる伝統を重んじるのはもちろんだが、時代の流れに応じて新たな物を採り入れていくことも大事だ。ニューオリンズ出身のウイントンマルサリスなどはそのようなスタンスで活動をしているリーダー格の一人だろう。
今回はプリザベーションホールを守る本家も4世代目になって、オリジナル曲のアルバム作りという新たな世界に飛び込んだということになる。もちろん演奏スタイルも伝統的なスタイルとは一味も二味も違っている。

4代目の変身という事で、先日の老舗「白元」の破綻のことをふと思い出した。しかし、これは先代からの教えを無視して突っ走った結果の破綻。PHJBのメンバーはけっしてそんなことにはならないと思うし、仮になったとしても、この映像を見るとニューオリンズの街全体がジャズの伝統を引き継いでいる様子が分かる。きっと次々と新たな後継者が現れてくるであろう。いかに伝統を引き継ぐのが大事かを思い知らされる。

この映像↓を見ると、ニューオリンズの街がジャズミュージアム。ますます行ってみたくなった。



そして、再びこのアルバムのライナーノーツを見ると、ニューオリンズジャズの定義のような物が書かれている。

「20世紀の始めニューオリンズに生まれた新しい音楽は、人々に楽しい時を与えるものであった。それはすぐに人々の共感を得て、あっと言う間に全米中に広まった。そして世界中に。その演奏スタイルにはそんなに種類がある訳ではなく、基本はビートを刻んで単にメロディーを奏でる事。ニューオリンズのミュージシャン達はルーズでリラックスしたビートを皆で一緒に生み出していく術を学んだ。踊りださないまでも、足でリズムを刻みださざるを得ない雰囲気を作り出した。時には催眠術にかけるようなこのリズムは特に意識しなくても自然に続いていくものだ。もう一つの特徴は、一人のミューシャンが目立とうとするのではなく、皆でお互いに高めあっていくこと。そしてソロがフィーチャーされる時、即興的なアンサンブルコーラスが実に自然な感じに絡み合うようになる。ハーモニーを皆で一緒に作っていくということは、バンド全体の力強さを生み出していくものだ。そして、このアンサンブルがどんどん積み重なってして、スリリングなクライマックスの波が押し寄せる。

ニューオリンズスタイルはメロディーがいつも明確だ。
メロディー自体は変わらないが、色々な楽器で暖かさがある歌声の様に様々な形で歌われる。あるトランぺッターは、それを「聴いている人皆にプリティにプレイすること」という。曲自体、ハーモニーが複雑になったり、アレンジが施されて曲がぼんやりしたものになることもない。ミュージシャンは、その人生と同じようにシンプルな中にこそ、その本当の素晴らしさの真髄があると思っている。決して、無理矢理熱狂させたりや叫び声を上げさせたりするものではない。その代わりに、リラックスした気分でダンスをしたりマーチングしたりするものだと。彼らミュージシャンの名刺には、”Misic for all occasionsと書かれていて、どんな所でも、その場に合わせた演奏ができるということだ。普段のパーティーやパレードだけでなく、教会の洗礼から葬式まで。」

多少長くなったが、引用したのは今回のPHJBの新たなオリジナルの演奏も、実はこの枠の中の音楽であることには違いが無いということを感じたからだ。

確かに、これがニューオリンズに生まれたジャズの起源でありDNAということだろう。新生PHJBがどんな演奏をしようとも、実はこの教えは守られている。会社経営も創業以来の社是や家訓というものが必ずあるものだ。これを忘れなければ4代目の破綻という事は起こらないような気がする。

1. Tiger Rag
2. Amen
3. Over In Gloryland
4. Good Blues
5. Bill Bailey
6. Joe Avery
7. His Eye Is On The Sparrow
8. Memories
9. Panama

Willie Humphrey (cl)
Percy G. Humphrey (tp)
Frank Demond (tb)
Narvin Henry Kimball (banjo)
James Edward “Sing” Miller (p)
Allan P. Jaffe (tuba)
Josia “Cie” Frazier (ds)

Amazonレビュー
Preservation Hall has been a New Orleans landmark since 1961, when it first began providing a regular stage for the city's traditional musicians. It quickly became the object of regular pilgrimages for traditional musicians and enthusiasts around the world. By the time this recording was made in 1976, the official band had coalesced around the Humphrey brothers, Percy on trumpet and Willie on clarinet, veterans already in their 70s. Their age shows only in their fidelity to the music's repertoire and instrumentation, with the band still using a banjo player, Narvin Kimball, and the younger tubaist Allan Jaffe in place of a string bass. In this vigorous traditional jazz, the band brings lifetimes of received musical wisdom to hymns like "Over in Gloryland" and Dixieland warhorses like "Bill Bailey." --Stuart Broomer




New Orleans 1
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