A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

「極楽」高原ゴルフ・・・・2日間の合宿の成果は

2011-07-31 | GOLF LIFE
毎年この時期に行っている暑気払いを兼ねた高原ゴルフ合宿。以前ハワイに合宿に行ったメンバーの同窓会を兼ねている。
場所は、長野県の長野カントリークラブ。善光寺の裏の七曲の山道を登っていくと、30分で飯綱高原に着く。冬はスキー場にもなる飯綱山の麓にコースがある。途中の山道からは想像できない自然の傾斜を活かしたフラットなレイアウトでホールも変化に富んでいて楽しめるコースだ。フェアウェイは野芝・ベントのワングリーンだが、飯綱山からの強い目にいつも悩まされる。



このコースは、海抜1120メートルの所にあるので下よりは3、4度気温が低い。いつも下界の灼熱地獄を忘れて一時の真夏の極楽快適ゴルフが楽しみだが、今年も初日にコースに着いた時は、温度計は20度を下回る涼しさだった。
今回は、隣の新潟で豪雨災害が起っており天気が心配であったが、最初は小雨がぱらついたものの後は薄曇、時々日が射すというゴルフには絶好のコンディションの2日間だった。



暑さを忘れられると不思議と集中力が増す。「いつもの悪い癖の大叩きのないゴルフができるか」と、肝心のスコアの方に期待はしたのだが・・。
初日の前半戸隠コースは、いきなりバーディースタート。その後ボギーペースが続いて、7番のパーで5オーバー。
最後の追い込みと思った途端に、次のショートで1オン3パット。最終ホールでバンカーからホームランと、内容は悪くないのに今ひとつ調子に乗れない。
後半の高妻コース。7番まで2-オーバー。どちらかパーをとれれば30台と思った途端に8番で3パットのダボ。最終9番はパーセーブできたが万事休すで40。
でも、初日、「84」はまずまず。

翌日、スタートは前日の上がりと同じ高妻から。前日の余韻が残っていたのか、最初からミスなしで快調に飛ばす。6番まで印刷どおり。残りの3ホールは難しいホールが続くので、ボギーでいいかと思った途端に3ホール連続ボギー。確かに上がりの3ホールは難しいが、どのホールもパーパットを決めるチャンスがありながら詰めが甘かった。でも、やっと39ながら30台は満足な結果。
後半のハーフは飯綱コース。3つの中では一番距離もありタフなコースだが、案の定パーをとるのに苦労する。最終ホールでロングパットを決めてパーセーブ。辛うじて44。
トータル83は、前日のスコアを1打縮めた。

ここ一番で相変わらずもったいないミスがあったが、OBや1ペナも無く今回課題の「大叩き」はなんとか回避できた。「暑さを逃れて集中力に拘ったゴルフ」の結果は自己採点では辛うじて合格点。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑い時にはクールなジャズバトル・・・・2×2

2011-07-30 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
A Jazz Band Ball (First Set) / Stu Williamson

ジャズのバトルというと、ステージでの白熱したソロの交換が思い浮かぶが、クールなジャズバトルもある。お互い語り合うようなインタープレーだ。ビルエバンスとジムホールの掛け合いが有名だが、DOUのアルバムは基本的にすべて2人のバトルだ。
同じ楽器同士のバトルは、2人の個性の掛け合いがまた楽しい。

このアルバムは、2つの楽器が2人ずつ、2×2=4のバトルだ。2人のトランペットと2人のトロンボーン。それも普通のスライドではなく、バルブトロンボーンが2本だ。
トランペットとトロンボーン、それもヴァルブとなると、クラークテリー&ボブブルックマイヤーが有名だが、バルブドローンボーンが丁度人の声でモグモグやっているような感じで、ある種スキャットのように感じることもある。
トランペット2人の掛け合い、トロンボーン2人の掛け合い、そしてトロンボーンとトランペットの掛け合い、さらには4人のアンサンブルと色々な組み合わせが聴けより変化がある。曲もディキシーの名曲から、ベイシーの十八番、オリジナルまで良く考えられている。

4人を取り纏めているのはマティーペイジ。モードレーベルらしい、玄人受けする企画だし演奏内容だ。ハイノートとフォルテシモで盛り上がるバトルもいいが、ウェストコーストサウンドのクールなバトルも清清しくて楽しいものだ。

1. Blue Lou
2. Soft Winds
3. Dinah
4. Iris of the IRA
5. Jumpin' at the Woodside
6. Look Around
7. Ida
8. Yardbird Suite
9. Logrolling

Don Fagerquist (Trumpet)
Jack Sheldon (Trumpet)
Bob Enevoldsen (Trombone (Valve))
Stu Williamson (Trombone (Valve))
Marty Paich (Piano)
Buddy Clark (Bass)
Mel Lewis (Drums)

Eva Diana (Cover Design)
Bones Howe (Engineer)
Red Clyde (Producer)
Joe Quinn (Liner Notes)

Recorded in Hollywood, CA, 07/1957
Mode 110





Jazz Band Ball First Set
クリエーター情報なし
Vsop Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トーナメント用のセッティングはやはり難しい

2011-07-29 | GOLF LIFE
先日の台風以降暑さが多少和らいでいる。曇り空であったが、これで灼熱地獄からは開放される。この時期としては最高のゴルフ日和。アクアラインを渡って、9時前にはコースに着く。駐車場に車はまばら、玄関前に車を停めても出迎えの人影は無い。しばらくして、付近の掃除をしていたキャディーさんが近寄ってくる。「今日は休みですか?」と聞くと、「いえ、今日のプレー予定の方は皆さん到着済みと連絡があったので」と。少し不安になったが、荷物を降ろしてフロントへ。名前を告げると案の定「予約にお名前が見当たらないのですが」と。さて、コースを間違えたか、プレー日を間違えたか。予定表を見ると確かに、当日そのコースになっている。昨日確認の電話があったので日にちは間違いないはずだが。一緒にプレー予定の友人に電話を入れても出ないし・・・・。

仕方がないので、荷物を車に戻していると友人から電話が。「おーいどこにいるんだよ」と。やはりコースを間違えていた。そういえば、最初の連絡を貰った時も電話だった。後で予定表に書き込む時に完全に思い違いをして記入してしまったようだ。最近は、ほとんどゴルフの予定はメールや予約システムで行っている。前日の確認もそれで行うことが普通のパターン。いつのまにか行動パターンも変わっていて、変則パターンの対応力が落ちている。先日のスタート時間の変更の見落としといい、今回の出来事といい注意力が散漫になっている、というか機械に依存しすぎているのを少し反省。
実際のコースは、そこから10キロちょっと。早々に移動してとりあえず事なきを得た。

さて、本日の実際のコースは“キングフィールドゴルフクラブ”。バブルの時に何度か来た事があったが久々のプレー。相変わらず落ち着いた雰囲気のいいコースであるが、今年はここで日本女子プロコニカミノルタカップが9月に開催される。入り口付近にはすでに看板なども目立ち、トーナメント開催の雰囲気が感じられる。



着替えもそこそこにスタートになった。綺麗に手入れをされているコースだが、スタート早々異変を感じる。左のラブに打ち込んだボールが中々見つからない。それ程奥には行かなかったはずなのに。しばらく探して、フェアウェイ近くのラフにあるのが見つかったが、すっぽりラフに埋まって真上からでないと見えない。そこからのショットはラフに食われて手前のバンカーに。スタート早々「手ごわいラフの洗礼を受けた」。

そして次のホールへ。フェアウェイがすごく狭く感じて狙いどころが分かりにくい。同伴のメンバーが、フェアウェイ幅はいつもの2/3か半分かなと。左が嫌だったので、多少右目のナイスショットだったが、ここも右のラフにボールはすっぽり埋まっていた。いやはや今日はラフとの戦いになりそうな予感。

そしてこのコースの特徴は距離表示がエッジから。距離表示の木だけ見ていると残りの距離はなさそうだが、実際に行ってみると+20Yとか奥だと+35Yとか。2番手、3番手はプラスになる。ティーグラウンドはレギュラーからでも結構距離は残る。女子プロの試合もほぼ同じか少し後ろから。結構手ごわそうだ。

グリーンは、最初に遅めなのが分かって強めに打っていったのが功を奏して、大きなミスも無く前半は43で終わる。他のメンバーもほぼ同様のスコア。
口を揃えて出た言葉が「ラフがきつかった。」

後半は、パットのタッチが少し合わなくなって3パットが出始める。当然スコアもダボ先行でボギーペースを維持できずに16番に。いわゆる上がりの3ホール、トーナメントでも中継ホールなので、皆それを意識して自分のショットとプロのショットを比較してみようということに。

16番のショートは200Y近くある長いショート。少し薄めの当たりでボールが上がらずに手前のバンカーに。とりあえず出したが、ピンは3段グリーンの一番上。下から結構思い切って打ったがファーストパットをショート。3パットのダボ。

17番のロングは見晴らしのいい右ドックレッグ。ドライバーの飛距離で狙い場所が変わるが、ここは思い切って右のバンカーの上狙い。ナイスショットでバンカーを越えてフェアウェイキープ。2打目のショットの丁度落ちどころにバンカーが。キャディーさんからも丁度距離的に入るかもと。でも右の池も気になりまっすぐ狙ったが、案の定バンカーにつかまる。
ここからは残り70Y位。バンカー内であったが、ラフより遥かに打ちやすい。結果もピン手前2メートル位に付く。プロがよく、ラフよりバンカーのほうが易しいという意味が今日は実感としてよく分かる。これを決めてバーディー。トータルもボギーペースに戻す。

最終の18番は右の池が気になる。17番は狙い所をしっかり決めて打って、結果正解であったが。このホールは前のバーディーに安心してしまったのか、左を狙うような、池をぎりぎり越えるような何となく狙いが定まる前に打ってしまった。このような時は、いい結果は出ないもの。スライス気味の球は距離も出ずに池に消える。
池の縁からの第3打は、ラフを嫌って後ろに下がってフェアウェイからだと、残り200Yを越えてしまう。無理をせずにグリーン手前に。ピンが奥目だったので、アプローチは40Yくらい残したが、これを1ピンにつけて何とかボギー。

トーナメントまで、まだ1ヶ月以上だがラフは十分にトーナメント用のセッティングになっている。これでグリーンが絞まって硬くなり、速くなったらかなり手強そうなコースセッティングだ。女子プロの試合も普段はあまり厳しいセッティングをしていないが、日本女子オープンとか、この日本女子プロ位は厳しいセッティングでプロの実力を見せてもらいたいものだ。本番のテレビ中継が楽しみ。

ラフには久々に一日中悩まされたが、楽しいプレーができた一日だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次世代テレビ放送はどうなるか? (2)アナログテレビもネットーク化されていた

2011-07-28 | Weblog
ネットワークという言葉はよく聞く言葉だ。そしてデジタル化ではそのネットワーク化が重要な意味を持つ。ところが、そのネットワーク化の意味を曖昧に使っているので、話が見えにくくなることがある。デジタルテレビ放送でも「ネットワーク」が重要だが、何のネットワークかを定義して議論しないと話が混線してくる。

実は、アナログのテレビ放送サービスでも、ネットワーク化は行われていたし、それはビジネス上も重要なファクターであった。それは、何かというと「キー局と地方局のネットワーク化」である。

地上波を利用するテレビ放送は、電波によって放送番組(コンテンツ)が各家庭に配信されるが、その送信アンテナの送信範囲はUHFでもVHFでも限られてくる。したがって、必然的に放送局毎に視聴エリアが限定されてくる。東京でいえは、東京タワーからの電波の届く範囲がそれにあたる。同様に大阪、名古屋、などの都市圏では周辺の県を跨った範囲で、さらに地方に行くと県域に合わせて放送エリアが決められ、そこに放送用のアンテナと放送局が作られていった。

各地方の局はその放送エリアで独自の放送をすればよいのだが、実際にはキー局の番組を入手し、再送信することが仕事の大半であり、独自の番組を制作し放送するのは地方のニュースなど一部の番組に限られてきた。実は、この構造が民間放送をビジネス的にも支えてきたし、結果、国民の生活の中で無くてはならないサービスとして定着したテレビ放送モデルだ。まさに、中央で制作・編成された番組が全国津々浦々で同時に見ることができる強力なメディアプラットフォームそのものだ。逆の言い方をすれば、中央から強制的に全国に番組を送りつけることができるということだ。

これを実現するために、キー局は自局の番組の全国放送のネットワークを構築してきた。公共放送であるNHKはいつの世にもテレビの普及の先頭に立つ任を受け、先行して日本中でテレビを見ることができる環境を整備していった。それに続いて民放キー局も順次地方局を整備し系列に収めていった。

ブロードバンドが未整備の時代、テレビ放送を全国レベルで瞬時に行うためには、無線によるマイクロ波のネットワークが放送局間のネットワークを可能にし、独占状態を作り上げることができた。今では、この基盤も光ファイバーによる有線通信に切り替わっているのも時代の流れである。

実は、技術的に全国統一放送がやり易い衛星放送が誕生した時、本来であれば地上波によるネットワークと衛星放送によるテレビ放送は一度競争をやらなければならなかった。しかし、無用な競争を避けるために、BSは天候によって不都合が生じることが多いとか理屈をつけ、公共放送の全国版に使うのは不適当と位置づけた。また、地上波キー局は自らBS局を持つことにより、自らを守るために正面衝突を避けた。結局。これは問題の先送りでしかなかったと思う。

現在の民間放送の5大ネットワークの現状は以下の通りだ。



東京に住んでいると、いつも見ている番組は日本中何処に行っても見ることができる思いがちである。テレビ東京系列は都市圏に限られるし、他の系列でも実際には系列局のない県もいくつか残っている。地方によっては東京の番組を見れないということだ。テレビがまだ花形だった頃は、新局が出来ることがカロリーアップといって、多少視聴率の取り合いはあっても、全体視聴の伸びが見込まれた。経済的に右肩上がりの時代は、全国の系列が整備されていることが、局間のスポンサー獲得の競争でもアドバンテージになった。
しかし、いつしか地方局を増やすことのメリットがディメリットを上回ることがなくなった。今ではスポンサーにとっては、不要な地域が系列に入っていることが番組提供のディメリットにもなる時代である。

日頃テレビを見ていると当たり前のようであるが、全国同一番組ネットワーク、これがマスメディアというものである。これは民放だけでなく、そもそも国策としてNHKを推進した構造である。テレビだけでなく、新聞や雑誌もそのような経緯で生まれてきた。国レベルで世論形成を簡単に出来る道具ほど権力者にとって便利なものは無い。これまでの歴史の中で、国家権力を持った政権がメディアを手中に収め、権力を行使するためのプロパガンダの手段としてマスメディアを使ってきたのは、このような構造故の必然である。
今あちこちで「マスメディアの時代」の終焉が言われだしたのと、世界規模で「これまでの政治体制の崩壊」が起りつつあるのも相互に深く関連があるからだ。

実は、この構造に広告業界も上手く乗じて、テレビ広告ビジネスを確立させてきた。当初は、全国に配信する番組にスポンサーが一社提供でつき、番組の人気、知名度の浸透に合わせてスポンサーを開拓した。我々の子供の頃は、プロレスといえばM電機、てなもんや三度傘といえばXXXクラッカーといったように。社名や商品を全国レベルで認知させるには、テレビ広告は長い間圧倒的な影響力を持っていた。結果としてスポンサーがナショナルブランドに育つ実績も上げ、巨額の広告費を生む仕組みに育っていった。

しかし、この地上波のデジタル化の流れは一変した。既存の放送設備をデジタル化対応に一新するために、各放送局はそれぞれ多額の投資を必要とした。ビジネスモデルの変更の無い中でのリニューアルはコスト負担だけが後に残る。キー局は自らの利権を守るためには仕方がないにしても、地方局は「キー局と地方局のネットワーク」自体の存在価値が揺らぎ始めている中での決断である。先行き経営的な不安はまだ払拭できていない。

生き残りをかけた地方放送局の再編がこれからスタートする。これまで、アナログ時代は利権を最大限享受できたキー局を核とした系列といわれた地方局ネットワークが、本格的なデジタルのネットワーク化の時代を迎えてかえって足枷になっているとは皮肉なものだ。
テレビ業界が、「ネットワークの括り」が変化するのに気がつくのが遅かったのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々にボサノバに徹して・・・・“Picante”スタートのお祝い

2011-07-27 | CONCORD
Sugarloaf Suite / Charlie Byrd


チャーリーバードとConcordの付き合いは設立以来だ。長続きしているのはカールジェファーソンとの信頼関係も深かったからだろう。当初はバーニーケッセル、ハーブエリスなどと一緒に良く登場していた。ギターはアコースティックだが、プレーはオールラウンド。メインストリームジャズ、そして忘れられかけていた「ジャズの魅力であるバトルの楽しみ」を演じる役者としてはうってつけだった。そして、このアルバムの前年には、自己のトリオのアルバム“Blue Byrd”も登場して、バードのプレーだけをじっくり聴く事もできた。

Concordが“Picante”レーベルをスタートさせたのに合わせて、チャーリーバードが第2弾で登場した。1979年のコンコルドジャズフェスティバルのライブだ。自己のトリオでボサノバに徹したステージが繰り広げられている。このステージ構成は、Picanteレーベルスタートを目論んでいたジェファーソンの想いもあったのだろう。そのステージの全容がそのまま納められている。

クラシックとの出会いが先んじたバードであったが、1961年にブラジルに行く機会があり、そこでボサノバの洗礼を受けた。ジャズとクラシック、そして本場のボサノバが絶妙にブレンドされたハイブリッドなプレーだ。帰国後スタンゲッツとその成果を形にしたのが、有名なアルバム“Jazz Samba”。これでバードは一躍ボサノバで有名になった。

それまでのバードはウディーハーマンのバンドに加わったりもした、ジャズのオールラウンドプレーヤーだった。その後も、コンスタントにレコーディングは行っていたが、必ずしもボサノバオンリーではない。Concordに登場してからは、ジャズのメインストリームの演奏が目立っていたが、今回は久々にボサノバに拘った演奏。自分のオリジナルに、ジョビンのTristeや、ボンファのthe gentle Rainも加えて、フェスティバルの大ステージで聴衆を魅了した姿が目に浮かぶ。Picanteスタートのお祝いに合わせて、バードのボサノバの真髄をトリオでじっくり味わうことができる一枚だ。

晩年のバードのボサノバプレー



1. Primeira Palavra (The First Word)    Byrd 6:44
2. Triste                     Jobim 4:06
3. Favela                     DeMoraes, Gilbert, Jobim 4:06
4. Na Praia (At the Seaside)         Byrd 4:48
5. Meninas Brincando [Little Girls at Play]  Byrd 5:30
6. Saudade da Bahia              Byrd, Caymmi 6:19
7. Sapatos N�vos (New Shoes)        Byrd 8:24
8. The Gentle Rain               Bonfa, Dubey 3:43

Charlie Byrd Guitar
Joe Byrd Bass
Wayne Phillips Drums

Phil Edwards Engineer, Remixing
Carl Jefferson Producer
Recorded live at Concord Jazz Festival 1979
Concord Picante CJP-114

Sugar Loaf Suite
Charlie Byrd
Concord Records

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次世代テレビ放送はどうなるか?・・(1) 今回のアナログ停波で何が変わったか

2011-07-26 | Weblog
地上波テレビ放送のアナログからデジタルへの切り替えが、たいした混乱もなく取り敢えず無事に終わったようだ。

でも今回の切り替えは、テレビ放送に使用する「放送波」の切り替えのメインイベント。アナログ用に使われていた放送波が停波し、いわゆる「空地」ができた。今後はこの部分の有効活用が具体化する。放送ではなくモバイル通信への利用が方針としては決まっている。テレビ放送(局)としては、これでデジタル波への引越し(これまでは両方使っていた)が完了し、跡地の引渡しが可能になったという状態だ。

周波数帯域の有効利用にはオークション制度の導入も謳われていたが、どうも本格的にはなりそうもない。最近あまりニュースも追いかけていないのでどうなっているのか。今後注目してみよう。

国が管理する電波の周波数帯域は限られた資源(資産)であり、当然次の世代で有効利用されなければならず、反面限られた資源なので利権化が行われる可能性がある。テレビ局の利権という視点では、少なくともアナログ波を使用していた帯域は返上するというのが今回の出来事だ。

テレビ局は、これまで放送波の利権のとりあえずの確保を真っ先に行うために、地上波だけでなく衛星波のBSにも手を出した。使用できる波が増えれば番組も増やさなければならないが、番組を制作し、購入するには費用がかかる。これまでには、民間放送の事業モデルが高収益を上げることができたので、とりあえずの利権化のコストも全体の中で帳尻を合わせることができた。

これからはそれぞれのビジネスを確立しなければならない。テレビ局とってはこれからが正念場だが、それが「次世代のテレビ放送」の答えになるものだ。

テレビビジネスの全体フローは単純に書けば以下のようなものだ。
今回は、単に「4の送波」の部分が変わっただけ。それに合わせて各世帯では、多くは受像機の買い換えが行われた。丁度デジタル放送の高画質を楽しむための大画面テレビが世に出てきた事もあり、この切り替えはまずまず成功した。アナログ⇒デジタル変換のチューナーもあるので、未対応の人もこれとアンテナを使えばとりあえずアナログのテレビ受像機でも見ることはできるので当座は凌げる。

1. 番組制作(購入)、CM集広
2. 編成
3. 送り出し(送出)
4. 送波
5. 受信
6. 受像機
7. 視聴

一方で、デジタル放送用の送信アンテナが東京タワーからデジタル放送のシンボルであるスカイツリーに替わることが予定されているが、こちらはまだ完成していない。来年テスト運用、本格的な使用開始は2013年の予定なので、まだ先の話だ。

デジタル化が一番の効果を表すのが、それがネットワーク化されたとき。
コンピューターシステムの世界では、ネットワーク化により劇的にサービスの内容が変化した。いわゆる昔オンライン化といわれた世界だ。

テレビの世界も、この1から7までがすべてネットワーク化されたときに、劇的な変化が起る。1から7の個々の要素のデジタル化対応は完成しつつある、あとはどう繋がってネットワーク化されるのかだ。
いわゆる「点のデジタル」から「面のデジタル」へのステップアップだ。順次その中身を解きほぐしてみよう。 
                                             
                                            <続く>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対決バトルは、競争か・・・・それとも協調か

2011-07-26 | MY FAVORITE ALBUM
SWING BROTHERS / Harry Allen New York Sextet featuring Scott Hamilton

生き物の世界、その歴史を辿ってみれば競争社会そのもの。仲間の中では競争を勝ち残った勝者がリーダーになり、種族間ではまさに食うか食われるかの死闘が自然の中で繰り広げられている。動物を扱うドキュメンタリーではいつも取り上げられているテーマだ。地球上の生き物は、自然淘汰と、本能的に持っている闘争の勝者によって常に構成され続けている。

ゆとり教育、法の下の平等、機会均等、男女平等・・・、戦後の日本の施策は、どれをとっても民主主義の下に競争を避ける方向でコントロールされてきた。一方で、新自由主義の名の下に、極端なマーケット至上主義が格差社会を生み出した。何で、金融の世界だけが、いびつな競争社会が許されるのだろうか。不当なルールの下に、一部の成功者と大多数の隷属者を生み出している現実に皆が首を傾げだした。
競争社会を否定した平等主義が、結果的に支配される状況を作り、反対に、個々が日々競争の中で切磋琢磨していることが、実は活性化した、安定した社会を作ることをやっと理解しだした。

ジャズの世界でも、バトルというものが昔は良くあった。ビッグバンドバトル、ドラムバトル、サックスバトル、ギターバトル・・・など、枚挙にいとまがない。

このアルバムのライナーノーツで、プロデュースした児山紀芳氏は、こう語っている。
「ジャズ・ミュージシャン気質が変化し、互いに相手を尊重する“民主主義的”な思考が憚るようになり、“バトル=相手を倒す”という構図が敬遠されるようになった。ジャズが面白くなくなったとベテランのジャズファンが嘆くのはその結果である」と。
正しい、認識だと思う。

スイングするテナーの伝統を引き継ぐスコットハミルトン。当然、昔のジャズのメインイベントであったバトルの相手を探すことになる。テナーの世界でこのバトルができるコンビは、比較的新しいところではアル&ズートが有名で好みだが、他にはあるようでない。アルトだとフィルウッズ&ジーンクイル
ハミルトンが選んだのは同じタイプのハリーアレン。というよりも、きっかけはハミルトンを尊敬しているアレンの方から申し出があったからといわれている。




初めてコンビを組んだのは2003年9月にニューヨークの名門ビレッジバンガードへ出演したのがきっかけ。その後、コンコルドジャズジャズフェスティバルJAPANにも来日し、衆目の元にデビューを果たしている。
人の暖かい演奏は、バトルというよりも、お互いを刺激しながら、2人のテナーをより豊穣なサウンドに作り上げている。きっと彼らの中には、お互いライバル心を持ち相手に負けまいという気持ちがありながら、2人で一緒にジャズの伝統を守りながらこの音作りに励んでいこうという意欲が満ち溢れていたことであろう。

八百長に揺れた日本の大相撲、やっと再開されたが一番大事なのは「この種を守るための競争心」だろう。



1. My Lean Baby (May) 7:55
2. Flying Home (Goodman, Hampton) 7:02
3. Danny Boy (Traditional) 5:35
4. Shiny Stockings (Foster) 6:19
5. Crazy Rhythm (Kahn, Meyer) 6:47
6. A Nightingale Sang In Berkely Square (Sherwin) 4:39
7. The Way You Look Tonight (Kern) 6:22
8. One O'Clock Jump (Basie) 6:04
9. Lobe Is Just Around The Corner (Geensler) 7:03
10. Cotton Tail (Ellington) 5:21
11. Love Light *bonus track japan only (Izumi) 5:21

Harry Allen (TenorSax) 
Scott Hamilton (TenorSax)
Bucky Pizzarelli (Guitar)
JohnBunch (Piano)
Jay Leonhart (Bass)
Chuck Riggs (Drums)

Recorded at Nola Recording Studios, NYC 2005


スイング・ブラザーズ~スイングジャーナル・リーダーズ・リクエスト
ハリー・アレン,スコット・ハミルトン,バッキー・ビザレリ,ジョン・バンチ,チャック・リグス
スイングブロス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベテランが新人を引き連れて晴れ舞台に・・・・女性同士の思いやり

2011-07-25 | CONCORD
At The Festival / MARIAN McPARTLAND


1979年のコンコルドジャズフェスティバルに、Concordではすでにおなじみのマリアンマクパートランドもトリオで出演した。前作と同じコンビ、ベースにはジョージシアリングにも紹介した若手のホープ、ブライアントーフ。ドラムはコンコルドのハウスドラマーのジェイクハナ。3人のコンビネーションも息が合ってきている。男勝りのダイナミックなトリオ演奏で、スタンダート、チックコリアの曲、そして自作の曲が続く。最後はエリントンナンバーで締めくくる。5曲を終えると、一人の女性を紹介してステージに招いた。

Mary Fettig Park、26歳になる女性のアルトプレーヤーだ。最近ジャズの世界では日本でも女性の管楽器プレーヤーが増えてきた。オール女性のビッグバンドも出現してきた位だ。それでは、本場アメリカではさぞかし女性も多いと思いきや、サックス奏者ですぐに思い浮かばない。Candy Dulferはオランダだし。



マクパートランドのトリオをバックにまずは、スローなテンポで、お馴染みのHere’s That Rainy Day。少し線が細いかなと思って、2曲目に移る。今度はアップテンポでOn Green Dolfin Streetになると、そうでもない。張りのあるフィルウッズライクな輝かしいサウンドが会場に響く。女性だからといって侮ってはいけない。

この時、彼女はまだ26歳、ジャケット裏には当時の可愛い顔写真も載っている。その後の消息を追いかけていなかったが、これを機に少し調べてみると、サンフランシスコのミュージシャンとしては重鎮になっているようだ。歳と共に貫禄も付いてきているが、アルトのプレーも体格に合わせてより重厚になっている。

ホームパーティーでスタンゲッツとジャムるお宝映像



最近では、ベースで歌も歌う女性のベーシスト Kristin Korbとの共演映像もある。



後輩を育成するのはベテランの務め。ベテラン同士でいつもと同じ昔話を繰り返しても何も進歩はない。若手との交流がお互いにとって刺激になるのは世の常。ベテランから色々学んだ新人がその歳になった時に、「同じように新人に自分の経験を伝えていかねば」と昔を思い起こすであろう。
彼女がサンフランシスコで若手と一緒にプレーをしている時、きっと自分が若い頃マクパートランドから学んだことを思い返し、次の世代に受け継いでいるだろう。

1. I Love You              Dukowski, Jenkins, Porter, Walker 5:19
2. Willow Weep for Me         Ronell 6:27
3. Windows                Corea 6:34
4. In the Days of Our Love      Lee, McPartland 4:45
5. Cotton Tail               Ellington 5:58
6. Here's That Rainy Day       Burke, VanHeusen 6:20
7. On Green Dolphin Street      Kaper, Washington 7:33
8. Oleo                   Rollins    6:24

Marian McPartland (p)
Mary Fettig (as) on6,7,8
Brian Torff (b)
Jake Hanna (ds)

Phil Edwards Engineer, Remixing
Carl Jefferson Producer

Recorded live at The Concord Jazz Festival, Aug. 1979

Concord CJ-118


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラテンのリズムは好きだが・・・・・全編ラテンとなると

2011-07-24 | CONCORD
La Onda Va Bien / Cal Tjader


1974年に初アルバムを出したConcordレーベルだが、5年で100枚を越える新譜をハイピッチで出し続けた。流行のフュージョンなどには目をくれることなく、古き良きジャズに拘り続けていた。ソロやコンボ、ビッグバンドやボーカルなど編成は様々だが、それらはすべてジャズ。それも大げさな仕掛けも無く、何処でも聴くことができるような普段着のJAZZを貫き通してきた。

112枚目になって、プロデューサーのカールジェファーソンは大きな決断をした。別ブランドの立ち上げだ。Concord Picante。ラテンジャズのためのブランドだ。ただし、設立以来の通番のレコード番号の体系は変えなかったんので、以降従来のConcord Jazzと新たなConcord Picanteが混在して続くことになる。

このPicanteの一番バッターが、ヴァイブのカールジェイダーだ。ラテン諸国出身以外ラテンのリーダー格としては第一人者だろう。コンコルドのラテンブランドの立ち上げには打って付けだったかもしれない。
1925年生まれのジェイダーは、この年54歳。すでに大ベテランで活動暦は長い。1950年頃にはデーブブルーベックと一緒にプレー、レコーディングもこの頃からコンスタントに行い、膨大な数のアルバムを出し続けてきた。それだけ根強い人気があったということだろう。



彼がラテンに取り付かれたのは、ジョージシアリングのバンドにいた時。シアリングのバンドを離れて以降死ぬまでの間ラテンスタイルを貫いている。熱い演奏になりがちなラテンではあるが、クールヴァイブといわれたカルのプレーは、若い頃のジャズの演奏がベースになって彼のスタイルを作っていったのではないか。

そんなジェイダーが、fantasy、Verveと大手レーベルから移籍してきたのが今回のConcord Picanteだ。

ラテンに合う楽器、合わない楽器というがあるように思う。ジェイダーの得意とするヴァイブは良く合う。そして、ラテンに不可欠なのがパーカッション。ヴァイブという楽器は、時にリズム楽器にも変身できるのでラテンには合うのかもしれない。このアルバムにも参加しているポンチョサンチェスとは、以降長年に渡って一緒にプレーをした。相性が良かったのだろう。ラテン特有のリズムは、ジャズの4ビートとはまた違った趣だ。だが、長く聴いているとこの強烈なリズム感が常に前に出てきてしまう。曲を聴くよりリズムを楽しむという感じになりがちだ。
あくまでも個人的な好みだが、4ビートの味付けにラテンのリズムや8ビートが混ざるのが、どうも聴いていて収まりがよい。ということで、自分は根っからのラテンファンにはなれなかった。

Concord Picanteも、その後もジャズに根ざしたラテンのアルバムが続くので、結局このPicanteも一緒に付き合ってしまった。ジェファーソンの想いも、純粋ラテンレーベルではなく、ラテンジャズレーベルとしてのPicanteに拘ったのかもしれない。

1. Speak Low     Brunner, Nash, Tate, Weill, Wilton 6:07
2. Serengeti      Levine 5:07
3. Star Eyes      DePaul, Raye 4:36
4. Mambo Mindoro  Tjader 3:49
5. Aleluia        Guerra, Lobo 4:11
6. I Remember You  Mercer, Schertzinger 4:37
7. Linda Chicana    Levine 5:21
8. Sabor         Donato 4:27


Cal Tjader (Vibraphone)
Roger Glenn (fl,per)
Mark Levin (Fender Rhodes, p)
Rob Fisher (b)
Vince Latean (ds, Per)
Poncho Sanchez (Conga, Per)

Nick Phillips Executive Producer
Carl Jefferson  Producer

Recorded on July, 1979

Concord Picante CPJ-113
La Onda Va Bien
Cal Tjader
Concord Records


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デュークエリントンは3代目でも健在だ・・・・永遠に続いて欲しい

2011-07-23 | MY FAVORITE ALBUM
Third Generation / The Duke Ellington Orchestra

政治の世界は2世議員ばやり、中には3世も。事業で成功を収めた人も3代目まで続けるのは難しいという。エリントンもいつのまにか3代目になっていた。

‘74年にエリントンが亡くなり、エリントンオーケストラがマーサーエリントンに引き継がれたのは良く覚えている。
しかし、今の3代目になったのは良く認識していなかった。
ジャズを聴き始めてからエリントンのレコードを買ったのは比較的早かった。多分このアルバム“WILL BIG BANDS EVER COME BACK?”が最初だろう。


ビッグバンドの世界をあまりよく知らなかったが、その独特のサウンドは深く印象に残り何か惹きつけるものであった。その後、色々なジャズ、ビッグバンドを聴くようになったが、エリントンはOne&Onlyの印象的なバンドであり続けた。好きなオーケストラであるが、何故か最近ではあまりターンテーブルに乗らずにいた。

今、そのエリントンオーケストラが日本を巡業中だ。最近はライブづいているので、エリントンも久々に行って見ることに。東京周辺のいくつかの公演予定を見ていたら、日程的にも草加でのコンサートが丁度都合が良かった。それに、チケットの価格が安い。何でも、宝くじの収益金の還元事業の一環とのこと。例の事業仕分けで、宝くじ事業も何か指摘されていた記憶があるが、このようなコンサートへの補助事業であればどんどんやって欲しい。

場所が草加、昼のコンサートであったが、最後列に何列か空席があったくらいで満席。最近はジャズのコンサート自体が大ホールでやることが少ないので、まだまだジャズファンはいるなと思ったが、周囲を見渡すと同年代以上のお年寄りばかり。最近の若者はエリントンを聴かないのかなといささか心配になる。



当日の様子はこちら

デューク・エリントン・オーケストラ ジャパンツアー2011

久々のエリントンオーケストラ、そしてエリントンナンバーのオンパレード。メンバーはほとんど知らなかったが、伝統あるエリントンサウンドは確実に引き継がれている。ドラマーに、ビルエバンストリオにいたマーティーモレルがいるのに少しびっくり。皆ソロも達者で、2時間を越えるプログラムもあっという間に過ぎ期待以上に楽しめた。

会場で、この3世代エリントンのCDを即売していたので記念に一枚購入。
そして、「草加せんべい」も一緒に。

このCDは一昨年録音の最新盤。コンサートの余韻がまだ残っている間に、永遠のエリントンサウンドを最近の録音で聴き直すことができるのも新鮮だ。3代で終わらずにいつまでもこのサウンドはこのままの形で引き継いでもらいたい。すでに一種の伝統芸能としての文化財になっているので。

今のバンドの魅力はこちらで



1. Take The "A" Train
2. Black And Tan Fantasy            
3. Caravan  
4. Cotton Club Stomp      
5. Do Nothin' Till You Hear From Me      
6. In A Mellotone  
7. Mood Indigo  
8. Satin Doll   
9. In My Solitude
10. Just Squeeze Me  
11. The Mooch  Sophisticated Lady
12. Things Ain't What Used To Be 

Mark Gross (as,cl,fl)
Cleave Guyton (as,cl,fl)
Shelly Carrol (ts ,cl,fl)
Bobby Lavell (ts)
Robert Landham (bs,cl)
Dion Tucker (tb)
Stafford Hunter Ⅲ (tb)
Jack Jeffers (btb)
Kevin Bryan (tp)
James Zollar (tp)
Chris Albert (tp)
Ravi Best (tp)
Tommy James (p)
Hussan Abdul-Ashkur (b)
Marty Morell (ds)

Paul Ellington (Band Leader & Conductor)
Barrie Lee Hall Jr (tp, musical director).

Produced by Corey Allen
Recorded by Joe Marciano on June 2, 2009
at System Two Studios, Brooklyn, New York



サード・ジェネレーション~ダイナミック・サウンド・オブ・エリントン~
DUKE ELLINGTON
キングレコード
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アナログ放送も終わりだ・・本来であればデジタル新時代のスタートのお祝いのはずなのだが。

2011-07-23 | Weblog
アナログテレビ放送最後の記念すべき日になった。

テレビ放送のデジタル化が騒がれだして、もう10年近く経つであろう。今日がその最後の日となると感慨も一入だ。まだ会社勤めの現役の頃、このテレビのデジタル化に合わせて通信と放送の融合の狂騒が世の中を席巻した真っ只中で仕事をしていた。技術的な話から、中身のコンテンツの話、ビジネスモデル、さらにホリエモンのフジテレビの買収騒ぎまでが毎日のようにニュースに盛りだくさんであった。

師として仕えた役員が「デジタルはビジネスモデルを変える。目先に振り回されるのではなく、デジタルになったら何が変わるかからビジネスを組み立てろ」との指示の中、試行錯誤が続いた。色々なアイディアやきっかけはあったが、既存の利権に根ざした収益モデルと比較すると桁違いに小さなマーケット規模だった。具体的な事業の芽を創る前に、役員は退任し、自分も会社を去った。

デジタルテレビになると、ハイビジョン、大画面、ワンセグ、EPG、データ放送、アクトビラ、・・とそれまでのアナログ放送よりも、多種多様な機能やサービスが増えることをメリットに、テレビ受像機の買い替え商戦に皆が参入した。テレビメーカー、CATV、通信会社・・。
肝心のテレビ局はこのデジタル化のお陰で放送施設の更新に多大な投資を強いられた。このテレビのデジタル化が巨額の利益をもたらすのではないかとの幻想の中で。メーカーも思惑が外れて想定外の価格競争に巻込まれ、テレビ受像機事業は赤字に。技術の差別化が難しいデジタルの怖い点だ。

そして、いよいよ明日の完全切替日を迎えた。確かに、周辺の付加サービスについては、EPGのように便利さがすぐに理解され受け入れられたもの、アクトビラのように鳴り物入りで始まったものの今ひとつ利用が進まないものなど様々だ。しかし、肝心なのはテレビの放送そのものだ。

ほとんどの家庭はデジタル対応が済んで、すでにデジタル放送を視聴している。明日になってテレビのスイッチを入れても何も変わらない。普段使わない部屋にあるアナログテレビのスイッチを入れてみると確かに何も映らない。でも、今までほとんど使わなかったので何も問題はない。

そして、何も変わることなく1日が終わる。
地上波のテレビ番組は完全デジタル化されたからといって昨日までと何も変わらない。
確かにデジタル放送用に買い換えた大画面テレビに向かう時間は増えたかもしれない。それで、録画したCS放送の番組、DVDを見る時間は確かに増えた。最近ではyoutubeを見ていることも多い。でも地上波の局の番組はほとんど見ない。
この前、ゴールデンの民放の視聴率が皆一桁になったといって大騒ぎをしていた。テレビを見なくなったのは自分だけではなさそうだ。

民放のビジネスのモデルは、リアルタイム視聴を前提とした視聴率に依存した広告モデル。このモデルがいつか行き詰るのは、デジタル騒ぎの前の、ビデオの登場の時から言われていた。しかし、この問題を先送りしてとうとう今日を迎えてしまった。利権にぶら下がった収益モデルはいつか破綻するのは最近の電力ビジネスの原発騒ぎで明らかになったばかり。

しかし、放送モデルの利権の美味しさに、放送局はそのビジネスモデルを変えることをしなかった。完全デジタル化になっても視聴率が上昇して、広告費が増えることはないであろう。
そして放送局は気がつく、デジタル化に向けた放送設備の多額の投資を回収する術が無いことを。そして、デジタル化に向けたコンテンツの開発を疎かにしていたことを。特に地方局は電波利権以外の存在意義が問われて久しかったのに。

地上波の完全デジタル化とは、放送局にとってアナログ時代の民放モデルの終焉に向けていよいよ坂道を駆け下りていくスタート台に立たされたことかもしれない。思ったよりも勾配が急で一度落ちたらもう戻れない坂の。

ネットの事業でメジャーになって世界を征服している、Yahooやgoogleも、その創世記は単純な機能に過ぎず、それが此れほどまでに大きなビジネス市場を作り出すとは多くの人は想像できなかった。次世代のテレビ放送を支えるであろう技術の要素はほとんど出来ていると思う。後は組み立てるだけだ。

本来であれば既存の事業を行っていたプレーヤーが自らの業界の存続のために作り上げて欲しかったが、今となっては完全にオープンマーケットだ。
誰が一番乗りで次世代テレビのモデルを作り出すか見ものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二兎を追うものは一兎をも得ず・・・・とはよく聞くが

2011-07-22 | MY FAVORITE ALBUM
BUG ALLEY


マンハッタントランスファーの成功を受けたか、同じようなコーラスグループが洋の東西を問わずいくつか登場した。ソロのボーカルと違って、コーラスとなると単に歌が上手というだけではなく、ハーモニーの美しさや、4人の呼吸合わせに相当練習が必要だ。

あのマントラも、デビューアルバム作成に向けては週6日の練習が6ヶ月、そして2年間の活動の下地があった。いやその下地があったからこそ、今まで長い間続けて活動できているのだろう。レパートリーも、古き良き時代のコーラスの再現もあれば、ランバートヘンドリックス&ロスの流れのモダンなコーラス、さらにブラジル音楽、最近ではチックコリアの曲まで幅広い。これは長年の活動の賜物であり一朝一夕で実現できたわけではない。

1980年にカナダ出身のコーラスグループがレコードデビューした。男3人女性2人。さらに楽器までこなすという器用な5人組だ。そのファーストアルバムが、そのグループ名称どおりのこのアルバムだ。

A面から聴き始めると、古き良き時代のコーラスの香りが。ノスタルジーブームもあった時期、なかなか時代の流れの読みもいいかも、盤を裏返してB面に。一転してモダンなサウンド、SANCHO SUITEのイントロ部分は後にクラブで流行って、サンプリングにも使われ人気が出たとか。そしてラストはマイルスの十八番、マイルストーンで締める。ベストアルバムでもないのに、よくもタイプの違う曲を詰め込んだものだ。マントラの30年の歴史を1枚のアルバムに詰めたようだ。かえってそれぞれの良さが見えなくなってしまう。

最初のアルバムなので彼らの気負いを感じつつも大目に見て、意欲を買って次作に期待といった所だが、その後は・・・・? グループの詳しい消息はわからないがbug alleyは結局この一枚で終わってしまったようだ。
リーダー格のKaren Youngは独自の活動を続けているようだ。

最近の演奏のようだが、ちょっと自分の好みとは違っているかな?



あまり色々な方向を一度に追わずBug Alleyでじっくりやっていたら、マントラ2世になっていたかもしれない。最初の内容が良かっただけに残念。

1. Bop Follies Pinsonneault 2:54
2. Down for the Count Foster, Hendricks 3:06
3. Bijou Burns, Hendricks 3:23
4. Art's Oregano Pepper, Young 2:01
5. Steppin' Around Public Domain 1:21
6. Boswell Medley: Dinah/HeebieJeebies/Everybody Loves My Baby Akst,Lewis, Palmer, Public Domain 4:50
7. Sancho Suite  Pinsonneault 6:18
8. Footprints  Pinsonneault, Shorter 4:35
9. Daybreak  Cole, Pinsonneault 4:27
10. Milestones   Davis, Pinsonneault 3:18

Karen Young (vo)
Liz Tansey (vo)
Steve Cole (vo,g)
David Thompson (vo,b)
Andre White (ds)

Doug Water (sa,bs,piccolo,p)
Mike Pinsonneault (arr.)
Charles Ellison (tp)
Huhammad Abdul Al-Khabyyr (tb)
Christine Beckett (viola)
John Rudel (per.)

Produced by Gene Perla,San Soleil and Bug Alley
Recorded at Soleil,Montreal by Gene Perla,1979

Bug Alley
BUG ALLEY
ヴィヴィド・サウンド・コーポレーション



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名アルバムを聴くのもいいが・・・・生の演奏を聴くと感激も一入

2011-07-21 | MY FAVORITE ALBUM
Salute Chet Baker / Phil Urso & Carl Saunders

先日紹介したビルホルマンのビッグバンドのリードトランペットに髭を生やした学者風のあまり派手さを感じさせない人物が座っている。

何となく見た目は綺麗な洋服でもピンとこないことがある。おいしそうな料理を食べても何か物足りないということが。洋服を引き立たせるためにはちょっとしたアクセサリーが必要、料理の美味しさ引き出すのも隠し味が決め手かもしれない。でも最後は、それを着る人や料理人の人柄が全体の美しさを醸し出すのかもしれない。

レコードやCDでは演奏するその人の人柄までは分からない。ところが、ライブではプレー振り、他のメンバーとのコラボレーション、聴衆との対話を目の辺りにすると、レコードでは聞こえなかったその人の音が聞こえてくる。そしてその人の存在が、全体の音が輝きを増していることも分かってくる。

昨年、このカールサンダースというトランペッターが来日した。
広く告知もされておらず、たまたま偶然に辰巳哲也ビッグバンドに客演しているライブを聴いた。あまり期待もせずに行ったのだが、彼のプレーを目の辺りにして感激した。名前も知っていたし、彼の参加したCDも持ってはいたのだが、ここまで素晴らしいとは。特にオーバーアクションをとることも無く、次から次へと溢れ出す歌心のこもったフレーズにどんどん引き込まれていく。
彼がビッグバンドのセクションに入った時は、リードトランペットに徹して皆をグイグイひっぱっていくことも。このオールマイティー振りは生で彼の演奏を聴いて見なければ分からない。



こちらのプレーも凄い



このアルバムはチェットベーカーに捧げたアルバム。晩年のベイカーは歌の方が有名になったが、初期の力強い歌心のあるトランペットプレーを再現している。若い頃のトランペッターベイカーの影武者としてはカールは適役だろう。さらに、このアルバムには実際にベイカーともコンビを組んでいたフィルアーソーが加わる。いわゆるアンダーレイテッドなプレーヤーの元気なプレーが聴ける。

もうひとつは、西海岸でいい作品を出し続けているJAZZEDMEDIAレーベルの記念すべきファーストアルバムである。今では巨大レーベルグループに育ってしまったConcordレーベルだが、あまり評価を受けないベテランジャズマンの生の姿を世界に発信していった初期のConcordレーベルの現代版といってもいいかもしれない。コンコルドの立役者カールジェファーソンの役割を、JAZZEDMEDIAではGraham Carterが務めることになる。

アーソはウェストコースト派の登竜門、ウディーハーマンの出身。セカンドハードにその名を見ることができる。有名なゲッツ、シムス、コーンの後釜としてテナーを吹いている。ベイカーとのコンビを解消してそれぞれの道を歩むことになったが、デンバーに居を移して一線から退く。地元ではディキシーのバンドでソプラノサックスを吹くこともあったとか。

そして、2002年、ベテランジャズメンを集めた“Cool & Crazy” jazz FestivalなるものがLA近郊で開かれ、そこにアーソも出演することに。彼にとっては初めての大きなフェスティバルの出演だったそうだ。そこで聴衆の一人であったGraham Carterが、力強いアーソのテナーの健在ぶりを聴いて、このアルバム制作につながっていく。
録音はアーソが77歳の誕生日を祝ってすぐ、地元のデンバーで行われた。カールサンダースとは始めての顔合わせだったらしいが、チェットベーカーの思い出を噛み締めながら2人のナイスプレーが続く。

ウェストコーストのスタジオワークをやっているプレーヤーに腕達者は多い。これは50年前も今も変わらない。
カールサンダースの次回の来日を期待しよう。できれば仲間を何人か引き連れて。


1. Jumpin' Off a Clef      Haig    5:39
2. For Minors Only       Heath    4:51
3. Halema           Urso    5:09
4. Mister B           Galper 6:38
5. This Is the Thing       Galper 5:50
6. Funk in the Deep Freeze  Mobley 7:08
7. My Funny Valentine      Hart, Rodgers 5:44
8. Baby Breeze         Carpenter 4:17
9. Way to Go          Urso    3:56
10. Worryin' the Life Out of Me  Mole, Russell, Signorelli 3:33
11. Line for Lyons        Mulligan   7:51

Carl Saunders Trumpet
Phil Urso Sax (Tenor)
Keith Waters Piano
Colin Gieg Bass
Paul Romaine Drums

Graham Carter Audio Production, Producer
Scott Griess Audio Engineer, Engineer
Jeff Jenkins Audio Engineer, Engineer

Recorded  October 24&25、2002
JAZZEDMEDIA JM-1001


Salute Chet Baker
Phil Urso & Carl Saunders
Jazzed Media
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友を助けるついでに、その場を借りて旧友と再会を・・・・

2011-07-20 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Bob Brookmeyer Composer,Arranger / Mel Lewis & the Jazz Orchestra


‘78にサドジョーンズが突然去った後のサドメルオーケストラを引き継いだのはメルルイス。それまでは曲の多くをサドジョーンズに頼っていただけにサドが去った後のレパートリーの維持には苦労したと思われる。色々試行錯誤が行われと思われるが、その時に支えになったのは旧友のボブブルックマイヤー。サドメルオーケストラが生まれた時は、トロンボーンセクションにトレードマークのバルブトロンボーンで参加していた。’82年のアルバムは全編ブルックマイヤーのアレンジでプログラムが作られていた。
このアルバムは、先立つこと2年前、1980年にホームグランドのビレッジバンガードでのライブだ。やはりこのアルバムも全編ブルックマイヤーのアレンジだ。
そして、もう一人このアルバムにはゲストが加わっている。クラークテリーだ。サドジョーンズがいなくなった後の代役という訳でもないと思うが。



A面の4曲はブルックマイヤーの編曲、主役はメルルイスオーケストラ。
B面に移るとクラークテリーが登場、そしてブルックマイヤーもトロンボーンを手に取る。このクラークテリーとボブブルックマイヤーは60年代の前半、このレコーディングから15年前には双頭コンボを組んでいた仲だ。したがって、この2曲は2人の再会をメルルイスオーケストラがバックで祝う構成になっている。彼らのトレードマークの、mumble(もぐもぐ) & grumble(ぶつぶつ)の再演だ。ブルックマイヤーのアレンジは渋いが演奏はスイングするから不思議だ。テリーの参加は、サドの代役ではなく、旧友との再会であった。

このアルバムの2曲目のFIRST LOVE SONGは先日の辰巳哲也のビッグバンドで取り上げられていた美しい曲だ。この選曲をした辰巳の想いはこちらで。



1. Ding, Dong, Ding   Brookmeyer 7:13
2. First Love Song    Brookmeyer 5:06
3. Hello and Goodbye   Brookmeyer 7:27
4. Skylark          Carmichael, Mercer 6:35
5. El Come Sunday     Ellington 15:34
6. The Fan Club      Brookmeyer 5:11

Ron Tooley Trumpet
Larry Moses Trumpet
Earl Gardner Trumpet
John Marshall Trumpet
Lollie Bienenfeld Trombone
Lee Robertson Trombone
John Mosca Trombone
Earl McIntyre Trombone, Trombone (Bass)
Stephanie Fauber French Horn
Dick Oatts Reeds (Multiple), Sax (Alto), Sax (Soprano), Saxophone
Rich Perry Saxophone
Steve Coleman Saxophone
Gary Pribeck Clarinet (Tenor), Saxophone
Bob Mintzer Saxophone
Jim McNeely Piano
Rufus Reid Bass
Mel Lewis Drums

Clark Terry Flugelhorn, Trumpet
Bob Brookmeyer Liner Notes, Performer, Producer, Trombone, Trombone (Valve), Vocals

Norman Schwartz Liner Notes, Producer

Recorded in Concert at the Village Vanguard, Feb. 1980

Live At The Village Vanguard
 BOB BROOKMEYER
DCC Compact Classics, Inc.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オープンコンペはプレッシャーが少ない・・・・・気楽にやれると運も付いて来る

2011-07-19 | GOLF LIFE
3連休の最終日、ホームコースでのオープンコンペ。仲間と一緒に参加したが、朝一番からトラブル発生。コースまでもうすぐという所で、仲間から電話が入る。「もうスタートだけどまだ?」と。まだ一時間近くあるので、一瞬「何故?」と耳を疑う。実は予約のスタートが早まっていたとのこと。変更連絡はしたとのことだが見落としていたようだ。毎日見るメールや掲示板の数は膨大。便利になるのはいいが度を過ぎるとかえって不便。確実な確認は一本の電話。月例であれば失格だが、今回は大目に見てもらってスタート時間を変更してもらって危うくセーフ。大体朝からこんなことが起るとプレーの方にもいい影響はでないものだが・・・。

朝の騒ぎの気を取り直して、INからのスタート。ティーショット、セカンドともにショットは好調。バーディーチャンスと思ったら、何のことは無い3パットでボギー。先日来のパットの悪い癖が朝から又出てきた。

11番のロングも、ティーショット、セカンドは完璧。第3打も悪い当たりではなかったのだが。左奥のピンに向かったボールは僅かに届かずバンカーへ。少し右寄りであったらナイスオンだったのだが。ショットが悪い時は真ん中狙いだが、調子が良いとついついピンを狙ってしまうのだが、朝はやはり安全策でいくべし。
そしでこのバンカーショットを一回ザックリして、ダボ。いやいや悪い予感どおりのスタートになった。

ところが12番からは、流れは一変。ショットは悪くないが微妙にグリーンを外したのが寄せきれない。悪い流れが続けはズルズルいってしまう所が、パットが突然入りだす。パーオンの所も確実に2パット。17番まで6ホール連続パーが続く。特に15番からは魔のホールの連続で、いつもはどこかで大叩きをする所だが、ここをすべてパーでクリアしてきたのは始めての経験。

そして、最終の18番。両サイド池の嫌なホール(写真のフェアウェイが浮島のようなホール)だが、ここでもフェアウェイキープ。
ここをパーで行ければ30台。セカンドは僅かに足らずにバンカーに入ったが、バンカーショットはピン手前2メートルに。十分にパーを狙える所に付けたが、結果はカップをかすめてボギー。最後は愛嬌だが、それでも難関のINの40はこのハーフのベストスコア。

オープンコンペは新ペリア競技。いつもの月例と違って大叩きも気にならないが、前半は何故か絞まったゴルフになった。

後半はどうしても色気が出てくる。ところが、ゴルフの神様は色気を感じるとすぐに逃げてしまう。今度は一転、カップの縁で止まる事が多い。7番までボギーペース。それもパー逃しのパットが続く。結局、いつもと同じになってしまった。

8番のショートはピンに絡んでバーディーの狙える位置に。これも2センチ届かずパー。
最後のロングの第3打。前のホールのパーで気分を良くしたのか、この100ヤードのショットは完璧。ピン下40センチに。これは確実に入れて、最後はバーディーで締めくくる。終わってみれば、後半のハーフは42。合わせて82はこのコースでのベスト。めでたし、めでたし。

結果的に、スコアに拘らずにパットだけに注意してきたのが好結果に繋がった。それもショットが安定してきてパットに集中できたおかげ。前半は結果が出たが、後半は今一歩。でも全体にタッチは合ってきた。先日の4パット連続の悪夢は、一ホール目で逃れることができた。

コンペの新ペリアの方も、ダボが上手くはまって、バーディーが入らずでネット70で第二位。賞品にありつけたのは嬉しいが、嫌いなコースでのグロス自己ベストの方が実はもっと嬉かった。
いいスコアが出ないので、最近このコースは疎遠になっていたが、また通うとしよう。

今日の一打は、最終のバーディーに繋がるウェッジショットにしておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする